浅間山麓のブラタヌキ

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zoom RSS 『信濃の国』は面白い

<<   作成日時 : 2018/06/08 11:36   >>

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 長野県民なら誰でも歌える県歌『信濃の国』。ポン太は県民になってまだ3年ですが、もちろん歌えます。移住後に覚えたというわけではありません。ポン太の亡父は信州の出身で、いつもこの歌を口ずさんでいましたから、それを聞かされて育ったポン太は、自然に覚えてしまったというのが真相です。
 県歌に制定されて今年で50年ということで、様々な企画やイベントが催されています。しかし、この歌は、県歌に制定されるずっと以前から県民に親しまれていたのであり、県歌になったのはその結果にすぎません。長野師範学校の教師であった浅井洌が作詞し、同僚の音楽教師が曲をつけ、明治33(1900)年に同校の運動会で披露したのがその始まり。師範学校卒業生である教員たちが「宣教師」の役割を果たし、全県に広まったというわけです。
 一言でいえば、お国自慢ソングですが、信州の風土が巧みに織り込まれていて、県内どの地域の人でも、納得できる内容になっているのがミソです。かつて、県庁所在地をめぐる対立から、県を二つに分けてしまえという分県運動が盛り上がったことがありました。県議会の議論が白熱したその時、傍聴席から『信濃の国』の大合唱がわき起こり、分県熱が沈静化したという「伝説」も残っています。信州人というアイデンティティーを醸成した、とんでもなく重要な歌なのです。
 信州といえばなんといっても山自慢。1番の歌詞に「聳びゆる山のいや高く」とあり、2番で「御嶽、乗鞍、駒ヶ岳、浅間は殊(こと)に活火山」と有名な山が列記されています。浅間山麓に住むポン太は、浅間山が別格扱いされているようで嬉しくなりますし、木曽の住民なら御嶽山が冒頭にきていることを誇らしく思うでしょう。この歌が生まれたころ、登山はまだ一般的ではなく、ウェストンが日本アルプスのすばらしさを著書で紹介(イギリスで出版)したのは、『信濃の国』発表の僅か4年前です。今なら当然とりあげられるであろう穂高、槍、八ヶ岳といった山が出てこないのはやむを得ません。
 名所としてとりあげられているところも、今とはずいぶん異なっており、軽井沢や志賀高原、上高地といった地名は出てきません。しかし、「旅のやどりの寝覚めの床」や「月の名に立つ姨捨山」といったくだりは、情感が漂っていて好ましく、「尋ねまほしき園原や」とか「心してゆけ久米路橋」といった歌詞を読むと、どんなところか行ってみたくなります。歌えば歌うほど、知れば知るほど味わい深く興味のわく『信濃の国』です。
 

 1番の歌詞に、「4つの平は肥沃の地」とあります。平とは盆地のことですが、その1つに数えられているのが佐久(平)です。田植えが終わったばかりの佐久平は瑞々しく、たしかに「肥沃の地」であることを実感します。
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 2番の歌詞に、「浅間は殊に活火山」とあります。大噴火は困りますが、浅間山はこのように少し噴煙が上がっている方が、シンボリックで見栄えがします。
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 2番の歌詞には、山の名前だけでなく、代表的な河川の名が4つ(犀川、千曲川、木曽川、天竜川)でてきます。県民の大半がそのどれかの流域に住んでいるわけですから、この歌に親しみを感じるのは当然でしょう。浅間山麓で川といえばもちろん千曲川です。
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 3番の歌詞には「木曽の谷には真木(まき)茂り、諏訪の湖(うみ)には魚多し」とあります。木曽は周知のとおり林業のメッカ。赤沢自然休養林に行けば、保存されている森林鉄道に乗って、美林を鑑賞することもできます。
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 海のない信州にとって、諏訪湖は貴重な存在。「魚多し」からワカサギを連想してしまいます。
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 4番では曲調が変わり、名所旧跡が紹介されます。月の名所として知られる姨捨の棚田は、古くから文人墨客の憧れの地でした。今もその景観は保たれており、姨捨駅には、JRの豪華列車「四季島」も立ち寄ります。
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 5番の歌詞は人物自慢です。木曽義仲から佐久間象山まで、四人の偉人名が列記されています。ところで、幕末の先覚者、佐久間象山の呼び方ですが、信州では「しょうざん」ではなく「ぞうざん」が一般的。『信濃の国』でもそう歌います。「象山」の号は、故郷松代の生家の裏山(象山=ぞうざん)にちなんだものですから、そう読むのが当然だと地元では思っているわけです。町を挟んで反対側(東側)にある尼巌山(あまかざりやま)から、その象山を眺めてみましたら、尾根の形が象の頭と鼻のように見えました。
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 最後の6番の歌詞でポン太が大好きなのが、「穿つ隧道(トンネル)26、夢にもこゆる汽車の道」という部分です。碓氷峠にアプト式鉄道が開通したのは1893(明治26)年。1963年までアプト式で運行されており、子供のころのポン太は、本当に26ものトンネルがあるのだろうかと、列車で通る度に数えた思い出があります。横川駅から旧熊ノ平駅までの間は「アプトの道」として遊歩道化されており、アプト式時代のトンネルや橋梁をたどることができますから、ぜひ出かけてみて欲しいと思います。
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