浅間山麓のブラタヌキ

アクセスカウンタ

zoom RSS 見えない檻

<<   作成日時 : 2018/06/11 10:03   >>

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

 現代俳句の巨人、金子兜太氏が鬼籍に入られたのは4ヶ月前のことです。海軍経理学校の同期生であった亡父が、しばしばその名を口にしていたので、ポン太は子供のころから同氏が俳人であることは認識していました。しかし、俳句には興味がなく、どんな人物か知りたいとも思いませんでした。同氏に関心を寄せるようになったのは、だいぶ年を重ねて、「朝日俳壇」に目を通すようになってからです。「金子兜太選」の句には、胸を突き刺さすような鋭さとパワーを感じました。花鳥風月だの風流だのとは全く異なる視点をもつ、こんな俳句もあるのだと、門外漢ながら目を開かれた思いがしたのです。
 兜太氏は、自身の戦争体験から、二度と戦争の惨禍を招かないためには、「表現の自由」が何より大切だと考えていたようです。かつて治安維持法により、大勢の俳人が弾圧されたことを忘れてはならないと、「俳句弾圧不忘の碑」の建立を呼びかけ、自ら揮毫しました。碑は上田市西郊の塩田平に建てられ、兜太氏が亡くなった5日後に除幕式が行われました。碑の隣には「檻の俳句館」(館主はフランス出身の俳人、青眼マブソン氏)という施設が設けられたということを新聞で知り、これは一度は見ておく必要があるのではと、出かけてみました。その場所は、戦没画学生の作品を収集展示していることで有名な「無言館」のすぐ近くです。「無言館」は以前見学したことがありますが、その時には存在しなかった第二展示館「傷ついた画布のドーム」が設けられていましたので、そちらも巡ってきました。
 「檻の俳句館」には、弾圧された俳人の作品17句が展示されています。その全てが檻の中という特異な展示方法がとられており、句の内容もさることながら、視覚的にも大きなインパクトを与えられます。「大戦起こるこの日のために獄をたまわる」(橋本夢道)という句のなんというリアルさ。思わず身震いしてしまいました。
 館の入口に、「もしかすると、かつて弾圧された若き俳人たちは、私達よりも心が自由だったかもしれません。現代の私達こそ檻の中で生きているのではありませんか」というマブソン館主の言葉が掲げられていました。S市公民館報の俳句掲載拒否事件をはじめ、あちらこちらで起きている権力を慮っての自主規制。個人のレベルでも同様なことが起きてはいないかと、考えさせられたポン太でした。
 帰路、一句浮かびました。「忖度の行き着く先は戒厳令」(ポン太)

 木立に囲まれた「俳句弾圧不忘の碑」です。
画像

 その隣に設けられた「檻の俳句館」。入館は無料(火曜休館)で、「平和の俳句」投句箱が置かれています。
画像

 檻の中に掲示された青木村(長野県)出身の栗林一石路の句。「戦争をやめろと叫べない叫びをあげている舞台だ」
画像

 他の作品も全て檻の中に掲示されています。手前は中村三山の句、「千人針を前にゆゑ知らぬいきどほり」です。
画像

 こちらは、「無言館」の第二展示館「傷ついた画布のドーム」です。中に入るとその名のとおり天井がドーム状になっていて、そこには戦没画学生が美術学校在学中に描いた習作が無数に貼られていました。彼等の無念さが、完成された作品以上に伝わってきました。
画像

 画布にみたてたコンクリートには、このような文字が刻まれていました。
画像

 こちらは戦没画学生慰霊美術館「無言館」の本館です。展示されている作品の中には、もし、戦争で命を落とすことがなければ、画家として大成したのではないかと思わせるものが少なくありません。東京美術学校(現在の東京芸大)首席卒業といった証書なども掲示されており、いかに多くの有望な人材が失われたか、よくわかります。
画像

 「傷ついた画布のドーム」から「無言館」(本館)へむかう坂道には「自問坂」と刻まれた石が置かれていました。この坂は体力だけでは登れませんね。
画像

 全部見終わって、少々重苦しい気分にはなりましたが、「無言館」の前に広がる山里の風景のなんと美しいこと。もし、戦没画学生が生き返って、自分の作品が展示されているこの地を訪れたなら、きっと絵筆を握りたくなるのではないでしょうか。
画像




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
ナイス ナイス
驚いた

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
見えない檻 浅間山麓のブラタヌキ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる