中山道でブラタヌキ~ポン太とポン子のずくなし道中記 その4

<第5日目、6月18日> ちょっぴり昔の旅ガラス 荒川土手から熊谷、深谷へ

 梅雨の晴れ間を狙って中山道歩きを再開。前回は雨で気づかなかったのですが、「間の宿」であった吹上市街地も旧街道らしさが残っており、中山道関連の標柱もしっかり設置されていたので、本町から左に折れる旧道を迷わず進むことができました。
 高崎線を越えて荒川の土手に登ると、視界が一気に開けて、まさに気分爽快。「合羽からげて三度笠」の旅ガラスも、参勤交代の侍たちも、緑がどこまでも広がるこの風景に、さぞかし癒されたのではないでしょうか。荒川土手の快適な道を離れ、しばらく進むと熊谷の市街地です。ビルが建ち並ぶ中心部は、大宮同様、宿場町であったとはとうてい思えないような雰囲気でした。その先、国道17号とは別の旧道をたどる箇所は、中山道を歩いている気分になれましたが、国道に吸収されてしまっているところや、籠原付近のように新興住宅地の中に取り込まれてしまっているところは、ひたすら歩くだけといった感じで疲れました。熊谷宿は長谷川伸の代表作のひとつである『沓掛時次郎』の舞台ですが、歌の文句のような「追われガラスが流れて着いた、風の熊谷仮の宿・・」といった情景を思い浮かべるのはちょっと難しいですね。
 この日の到達点となった深谷はなかなか面白いところでした。宿場の手前の交差点には「見返りの松」、その先には宿の入口を示す常夜燈があり、宿場町に入っていくという気分になります。道沿いに見事な洋館をみつけましたが、何やらいわくありげでこれまた興味津々。深谷宿中心部の仲町に入り、本陣や脇本陣の跡を探して、「きん藤」という老舗旅館のご主人に話を伺うと、その旅館がかつての脇本陣で、その裏の路地に明治天皇御小休所の碑があることがわかりました。また、先ほど見た洋館は、昭和初期の不況時に職人救済のために地元の有力者が発注してつくらせたものであることも判明。
 深谷には東京駅の建設にも用いられた煉瓦の工場(日本煉瓦)があったことから、煉瓦造の建造物がたくさん残されています。宿場だった時代、近代化の時代、その両方を味わえるという点で、興味深い町だとポン太は思いました。

爽やかな風が吹き渡る荒川土手を行く。昔もこんな感じだったかなと思える風景です。
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熊谷宿本陣跡の碑。市街地のど真ん中で風情はまったくありませんが、バス停の上屋がちょっぴり歴史を感じさせてくれました。
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国道歩きの単調さにはうんざりですが、旧道に入るとそれなりの風情があり、元気がでてきます。
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深谷宿入口の常夜灯。クロスしている細い道は、日本煉瓦の工場に通じていた専用鉄道の廃線跡です。
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偶然みつけた謎の豪邸
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側壁が煉瓦の商店。深谷には煉瓦を使った建造物がたくさんあります。
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煉瓦の町深谷を象徴するのが、東京駅を模して建設された深谷駅。煉瓦はタイルですが、ほんものの煉瓦造のようにみえます。
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この記事へのコメント

ギャラリー静河
2017年06月24日 00:27
ルート図が添付されると、道中記が見やすくなるのでは・・。
ポン太
2017年06月24日 23:26
ご指摘のとおりです。次回からは地図を添付することにします。
武蔵国埼玉郡の住人
2020年04月29日 16:23
ご無沙汰致しております。m(__)m
中山道の街道歩き、昨年の3月に日本橋に到達致しました。

そのまま、東海道に突入しようと思いましたが、
昨今のコロナの情勢により、断念。

ここのところ、家にいて、退屈なものですから、
中山道を上信方面に歩いてみようと思い立ちました。

現在のところ、箕田の追分から始めて、
熊谷堤を下りた久下の立場まで到達致しました。m(__)m
ポン太
2020年04月29日 21:54
 日本橋到達おめでとうございます。都市部を歩かなければならないこの区間は、ある意味中山道の難所ですから、そこが終わったということは、残りは気持ちよく歩けるところばかりです。「コロナ」の問題があるので、人と接触する恐れのある外出は控えなければなりませんが、熊谷以西の旧中山道で、人に出合うことは少ないと思われます。注意は必要ですが、新緑のさわやかな季節でもあり、近場を歩くだけなら問題はないのでは・・・。