中山道でブラタヌキ~ポン太とポン子のずくなし道中記 その10

 
<11日目、7月23日> ルンルン気分で追分宿へ

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  碓氷峠越えの難所を乗り切ったことで、この日はもうほとんどお散歩気分です。夏休みのシーズンに入ったとはいえ、朝の軽井沢は人影もまばら。吹き渡る風は涼しく、絶好のウォーキング日和。旧軽銀座から離山の麓にかけての沿道は、ほぼすべて別荘地化しており、お洒落なレストランも点在しています。旧街道の雰囲気はまるでありませんが、緑のトンネルのような道で、とにかく涼しく快適です。
  離山交差点の先で、しなの鉄道の踏切を渡り線路の南側へ。そこからは先は細い旧道が生きていて、湯川の橋まで歩くことができました。しかし、その沿道も別荘地となっており、「旧中山道」の標識の類は一切ありません。別荘に来ている人たちも、家の前の道が、大名行列も通った旧道だということをご存知ないのではないでしょうか。
 湯川を渡り、国道18号に合流すれば、その先は、中軽井沢と改名されてしまったかつての沓掛宿です。大火にあったということで、古い建物などは残っておらず、宿場町の面影はほとんどありません。中山道の宿場でその名前まで失ってしまったのはここだけです。しかし、その名を惜しむ気持ちはあるようで、中軽井沢駅に併設されている地域交流センター(図書館や集会施設など)の名称は「くつかけテラス」です。

離山付近で唯一旧街道らしさを感じさせてくれた石仏
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ここが旧中山道だとは思えないような道です
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元は沓掛宿だった中軽井沢駅付近の街並み
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 しばらく進んだところで、国道18号と分かれ、左側の旧道へ。道端には可愛らしい双体道祖神があり、旧道らしい雰囲気になってきました。古宿という集落をぬけていくのですが、道路際をきれいな疎水が流れていて、気持ちの良い道です。一旦18号と合流しますが、18号バイパスとの合流点で再び左手へと分かれ、借宿という集落の中を進みます。そこは沓掛宿と追分宿の間の「間の宿」。碓氷の関所を避けて下仁田へと抜ける裏街道=「女街道」の入口があり、それを示す説明板が立っていました。杉玉を吊るした旧造り酒屋などの古い建物もあります。街道の右手には大きな馬頭観音があり、中馬稼ぎ(農民が馬を使って行った運送業)が盛んであったことをうかがわせます。借宿の集落をぬけると再び18号に合流します。18号線最高地点を過ぎると間もなく、右手に日本橋から39番目、すなわち江戸から39里、京へは91里14町という一里塚がみえてきました。道路の両側に一対の一里塚がしっかり残っています。その先のガソリンスタンドのところを右手に入れば追分宿です。
 追分宿は北国街道の分岐点であることから、浅間三宿の中で最も旅籠の数が多く、参勤交代の大名をはじめ、善光寺詣での人々などでたいそう賑わったそうです。中山道で最も標高の高い宿場でもあります。
 このあたりはポン太が日常的に徘徊しているところですが、軽井沢宿からずっと歩いてきたのはもちろん初めて。電線の地中化やタイル舗装がなされているため、いままでのどの宿場町よりもきれいに見えます。というよりむしろきれいすぎると言ったほうがよいかもしれません。浅間神社の裏に、追分宿郷土館があり、見学がてら、信州東部の中山道に関する資料を入手しました。本陣の建物は現存していませんが、旧本陣の門が堀辰雄記念館の入口に移設されています。脇本陣であった「油屋」や高札場の前を通り、北国街道との分岐点である「分去れ」に到着。本日はここまでです。これまでで一番気が楽で涼しい街道歩きでした。
 ところで、ポン太の古い記憶では、「分去れ」には、手水鉢風の石の小さな道標があり、「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」という素敵な文言が記されていました。ところが、それが見当たらなくなって久しいので、博物館にでも収納されたのかと思っていたところ、なんと盗まれたという話を耳にしました。手水鉢を盗むなんて、とんでもないバチあたりがいたものです。

18号(右)と分かれ旧道(左)へ
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可愛らしい双体道祖神
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借宿の古い街並み
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「女街道」の入口
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追分の一里塚
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追分宿中心部
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「分去れ」。手前が中山道、右が北国街道。
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ポン太が初めて追分宿を訪れた50年前の写真です。常夜燈の基部の前に確かに手水鉢のようなものが写っています。

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