中山道でブラタヌキ~ポン太とポン子のずくなし道中記 その23

<25日目、11月13日> 木曽路に別れを告げ、中津川へ画像
 昨夜来の雨はやんだものの、気温は12月並に下がり、晴れ間が出るかと思うと雨がまたパラつくという、きわめて不安定な天気でした。
 馬籠宿から峠を越えて妻籠宿へむかう人に比べて、中津川へ下る人はかなり少ないようです。しかし、岐阜県側の中山道の風情もまたすばらしく、そこを歩かないのはもったいない話です。馬籠を過ぎてから気づいたことですが、旧道の舗装に著しい特色がありました。煉瓦や陶器のかけら?をまぶしたような独特の工夫がなされていて、ひと目で中山道であることがわかるのです。これなら道に迷う心配もなく、すばらしいアイデアだと感心しました。
 馬籠宿から少し下ると、展望が開け、恵那山や美濃の平野部を一望できる場所にでました。そこには、子規の句碑とともに「信州サンセットポイント百選」の標識が立っていました。2005年に馬籠宿を含む旧山口村が中津川市に越県合併したので、このあたりは、行政上は岐阜県です。しかし、旧国名の信濃(信州)の領域であることに変わりはありません。旧山口村合併時に、藤村が岐阜県の出身者になってしまうことを嘆いた長野県民もいたそうですが、馬籠生まれの藤村が信州人であることは間違いないのです。
 信濃と美濃の国境は、もう少し先の新茶屋というところで、藤村が揮毫したという「これより北木曽路」の碑がありました。そこを過ぎると十曲峠の石畳の道となります。雨で濡れた石は滑りやすく歩きにくいのですが、旧街道の風情をたっぷり味わうことができます。峠を下り終え、落合川を渡ったところが落合宿。本陣の建物が残っており、枡形もありました。
 その先の与坂、子野坂あたりは、山里ののどかな雰囲気がただよっていて、気持ち良く歩くことができました。地下道で国道19号をくぐりぬけると、中津川市郊外の住宅地となります。その地下道入口には「中山道」の立派な標識が掲げられ、地下道内には中山道の説明や歌が記されていました。地域の人々が中山道を誇りに思っている様子がうかがえます。
 旭が丘公園の脇を下ると高札場がありました。市街地に入り、中津川駅前へ通じる大通りを横切った先がかつての宿場の中心で、その名も本町。残念ながら、宿場時代の建物は少なく、本陣も碑があるのみですが、その斜め前に、旧庄屋宅(旧肥田家)の古い立派な建物が残っていました。庄屋は関東における名主(なぬし)と職制上は同じもので、西日本でそう呼ばれることが多いそうです。ということは、西日本の文化圏に一歩足を踏み入れたわけで、京都三条大橋が遠い世界ではなくなったような気がしてきました。
 まだ日は高いのですが、今日の行程はここまでとし、中津川駅から電車で帰途につきました。座席に腰を下ろすやいなや、ポン太とポン子の口から同時に出た言葉は、「また歩きたいね」。この三日間の行程は本当に素晴らしいものでした。

 さらば馬籠宿。これにて木曽11宿をすべて踏破したことになります。
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信州サンセットポイント100選の地を行く
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料亭のような佇まいの新茶屋
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藤村が揮毫したという「これより北木曽路」の碑。ここでいよいよ木曽路とも信州ともお別れです。
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十曲峠の石畳を下りましたが、かなりの急坂です。
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落合宿本陣前
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のどかな与坂の風景
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「中山道」と記された国道下の人道トンネル
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中津川宿中心部の中山道と旧庄屋宅
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