中山道でブラタヌキ~ポン太とポン子のずくなし道中記 その26

★年内歩き納めの巻
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<29日目、11月30日>宿場情緒たっぷりの太田宿を経て坂祝駅へ
 雪が降る前に、なんとか関ヶ原の手前までは行っておきたいと、前回から10日足らずで中山道歩きを再開。伏見宿から、国道21号を西へと歩き始めました。パチンコ屋、ラーメン屋といったどこにでもありそうな沿道風景が続きます。中山道を示す標識の類も少なく、街道歩きをしている実感はありません。一里塚も道路際に石碑があるのみ。岐阜県内に入ってから最も殺風景な区間と言ってもよいかもしれません。中恵土(なかえど)というところを過ぎ、しばらく進んだところで国道21号と分かれ、ようやく少しばかり旧道らしさの残る道に入りました。
 木曽川のほとりに、今渡の渡し場跡があり、木曽川のむこうに見えるのは広重の絵に描かれているような山々。今はその場所で川を渡ることはできないので、上流側にあるレトロな太田橋を渡りました。木曽川右岸の堤防に沿って進むと間もなく太田宿です。旧家が軒を連ね、かつての宿場町の情緒たっぷり。本陣は門のみですが、脇本陣は建物が残っており、内部を見学することができました。総じて、印象の良い宿場町で、宿場の出口には桝形も残っていました。

今渡の渡し場から見た木曽川と太田橋。対岸の左手方向に太田宿があります。
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宿場情緒たっぷりの太田宿を行く
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「うだつ」のあがった太田宿脇本陣。内部を見学することができました。
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 太田宿を出て、中濃大橋の下をくぐり、再び木曽川の堤防沿いを進みました。まだ紅葉の残る木曽川べりは風景もよく、気持ちよく歩くことができます。
 しばらく歩くと、坂祝町役場があり、その前の会館には「難読町村名坂祝」という表示がでていました。坂祝は「さかほぎ」と読みます。その近くに「飛騨木曽川国定公園 日本ライン」看板が出ていたので、木曽川の堤防に登ってみると、確かにすばらしい眺めでした。紅葉の山々をバックに奇岩の間を行く碧の木曽川。昔の旅人も、このあたりの景色には癒されたことでしょう。
 その少し先にJR高山線の坂祝駅があります。今日はここまでとし、列車でホテルのある美濃太田へもどりました。

木曽川の眺めが美しい「日本ライン」。中山道から木曽川の堤防に登るとこんな景色でした。
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町名同様読み方が難しいJR高山線の坂祝(さかほぎ)駅
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<30日目、12月1日>雨の木曽川沿いを行く
 ホテルの朝食はバイキングでしたので、本日の長丁場に備え、たっぷり食べてエネルギーを蓄積。美濃太田発の列車で坂祝駅へもどり、鵜沼(うぬま)宿をめざしました。今日はあいにくの雨。最初のうちは国道21号の車道歩きで、あまり面白みはありませんが、しばらく進むと旧道が残っている箇所がありました。旧道は、木曽川にせまる山の斜面を、上ったり下りたりしながら進む形になっています。
 木曽川と国道21号の間に「中山道 下りる」と書かれた標識を見つけました。その標識に従って階段を下りていくと、水がかなりの勢いで流れている沢があり、その脇に狭い歩道がつけられていました。国道21号線とJR高山線の下を潜り抜けるようになっており、その先には、うとう峠への山道が続いています。こんな雨の日にここを通る人などいそうもなく、ちょっと心細くなりますが、旧道を行くのが鉄則。「中山道いこいの広場」という名の休憩場所を通過して間もなくサミットとなり、そこを過ぎると団地や新興住宅地が現れ、景色は一変しました。大きな池もあります。その周りの紅葉が見頃で美しいのですが、激しい雨の中、ゆっくり眺めている気分ではありません。鵜沼台という住宅地の中を下っていくと、鵜沼宿を一望できる場所に出ました。雨に煙ってよくは見えないのですが、雰囲気の良さそうな街並みです。坂を下りきったところが桝形になっていて、そこから宿場町へと入っていきます。水路を渡った先が鵜沼宿の中心部。鵜沼宿は、電線の地中化がなされ、沿道の家々も宿場の雰囲気にあわせたつくりになっています。造酒屋の黒塀の先に並ぶ登録文化財の家並みも見応えがありました。

国道21号と高山線の間を行く旧道。かなりのアップダウンがあります。
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うとう峠の入口。この先はちょっとした山道です。
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峠を越えた反対側は住宅地でした。
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見事に修景されて、風情のある鵜沼宿。
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造り酒屋の黒塀の先には、登録文化財の家並みが
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 鵜沼宿からしばらく歩くと、道はふたたび国道21号と合流。この先は、各務原(かかみがはら)市の中心部を通っていくわけですが、完全に市街地化した道で、面白味はほとんどありません。名鉄線を跨ぐ三柿野付近には、川崎重工の広大な工場群がありました。その先で国道21号はバイパスとなって離れて行き、激しく行き交うトラックの風圧と跳ね上げる水に辟易していた状態からは解放されました。各務原市の市役所があるあたりは電線が地中化されており、すっきりと整った街並みが続きます。岐阜大農学部跡地の石碑がある市民公園は紅葉が真っ盛りでした。
 この各務原市のメインストリートと分かれ、旧道に入ると間もなく新加納。鵜沼宿と加納宿(岐阜)の間は17キロ余と距離が長いため、立場茶屋のあった新加納は、間の宿としての機能を有していたということです。道も枡形になっており、規模は小さいものの旧街道らしい好ましい町並みです。
 新加納を出ると畑や水田の中を行くのどかな道となりました。中山道と並行している名鉄各務原線がよく見えます。手力やその先の切通という集落の街並みは歴史を感じさせます。ようやく天気が回復し、薄暗い雨の中の歩行から解放されたところで、名鉄の細畑駅に着きました。時計をみると午後4時。このまま歩き続けても、加納宿に着く前に暗くなってしまいそうなので、本日はここまでとし、電車で宿泊先の岐阜へとむかいました。

各務原市中心部の中山道を行く。電柱がなくすっきりしています。
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新加納の枡形です。
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旧道と並行する名鉄各務原線
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<31日目、12月2日>長良川を越えて河渡宿、そして美江寺駅へ
 今日は雨の心配はないものの、冬型の気圧配置となった影響で風が強く、昨日と比べると格段の寒さです。岐阜から電車で細畑駅へもどり、年内最後の中山道歩きをスタート。
 細畑から加納に至る中山道は、古い街並みが続きます。領下というところには感じのよい地蔵堂と道標が立っていました。東海道線の下を潜り抜けると、名鉄の茶所駅。駅前には、中山道加納宿と記した石柱がありました。岐阜の市街地に吸収された加納宿には、古い建物はほとんど残っていません。本陣も脇本陣も標識があるだけですが、折れ曲がった道路の形状に宿場町らしさが感じられます。江戸期の石の道標もありました。旧加納町役場の古いビルが廃墟のように残っており、かつては岐阜とは別の町であったことがわかります。
 加納宿を抜け河渡(ごうど)宿へとむかう道は、ごく普通の都市周辺の住宅地の中を歩くといった感じで、あまり面白味はありません。鏡島と書いて「かがしま」と読ませる集落を抜けると、長良川の大きな堤防が見えてきました。その名も河渡橋という橋を渡った先が河渡宿です。橋の上からは岐阜城をはじめ長良川周辺の山々が一望でき、なかなかよい眺めでした。
 河渡宿は長良川の水面より低い「輪中」の中にある宿場です。堤防下に、「いこまい中山道河渡宿」と記した櫓が立っていました。その傍には馬頭観音堂がありました。河渡宿には、ほかにこれといった建造物や見どころはありません。しかし、背後には長良川の堤防が大きくそびえ立っており、川止めの際ににぎわった宿場であったことを実感することができます。
 穂積市の正津(なまづ)という、読み方が面白い地域を進みました。その先の本田という地域の街並みは旧街道らしい雰囲気があります。かつて代官所が置かれていたということです。
 広々とした水田の中を進むと、樽見鉄道の踏切が見えてきました。美江寺駅はすぐ先です。時計をみると、すでに予定した列車の発車時刻になっていました。無理かなと思いながらも急ぎ足で駅へむかったところ、2分遅れでやってきた列車に乗り込むことができました。年内はここまで。来春には必ず京都三条大橋に到達するぞ、という思いを胸に、帰途についたポン太とポン子でした。

名鉄茶所駅と「中山道加納宿」と記された石柱
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加納宿の枡形。かぎ型に曲がりくねっていて、どこを進めば良いかちょっと迷います。
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かつての加納町役場の建物です。
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河渡橋の上からの眺めはすばらしいものでした。この写真は長良川の上流側をみたところです。
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河渡宿と記された櫓と馬頭観音堂
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河渡宿と長良川の堤防
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本田代官所跡
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樽見鉄道の美江寺駅。少し遅れて到着した大垣行の列車に乗車することができました。
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