中山道でブラタヌキ~ポン太とポン子のずくなし道中記 その28

<34日目、3月18日>柏原宿から鳥井本宿へ画像
 昨日は電車の時間の都合で駅に直行したため、柏原宿を歩くのは今日が初めてです。伊吹山の麓の柏原宿といえば、昔から名物として有名なのが、お灸用の艾(もぐさ)。百人一首の「かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを」の「さしも草」がそれです。かつては艾を売る店がたくさんあったそうですが、現在は、伊吹堂1軒のみ。歴史を感じさせる重厚な建物で、その周辺の街並みも宿場町らしい風情があり、見応えがありました。
 柏原宿を出て松楓並木を過ぎると、旧道の分岐があり、道標もありました。ところが、道標の示す旧道を進むと、やがて金網の柵があらわれ、通行不能に。やむなく舗装された「新道」を進んだのですが、旧道が残っているのであれば、街道歩きを楽しみにやって来る人のためにも、通行可能にするべきではないかと少々腹が立ちました。
 名神高速道路に並行して進むと、梓川の松並木があらわれました。残っているのはわずかな本数ですが、それでも旧街道の雰囲気は感じられます。12時ちょうどに醒ヶ井宿に到着。地名の由来となった居醒(いさめ)の清水に隣接した地蔵堂境内にベンチがあったので、そこで昼食休憩をとりました。こんこんと湧き出る水が、清流となって宿場の中を貫流し、涼しげな風景をつくりだしています。水の中には梅花藻が青々と育っていて、大変美しい眺めです。桜の並木もあるので、花見時には中山道でも極めつけの美しい宿場町となりそうです。
 醒ヶ井宿を出て、立場茶屋のあった樋口を過ぎたところで、東海道線から離れ、山間の小さな宿場である番場宿へとむかいました。名神高速道路が並行してはいますが、少し距離があるため、静かな街道歩きを楽しむことができます。桜楓並木の道を進むと間もなく番場宿です。問屋場跡があり、大きな石に番場宿と記した小公園もあります。その先には、彦根へ向かう道との分岐の道標が立っていました。
 番場の宿から小摺針峠へ、道はゆるやかに上っていきます。左手に名神高速道路が並行していることを除けば、昔と変わらないのどかな風景です。振り返ると、低い丘の向こうに伊吹山がひときわ大きく見えます。京から江戸へむかう旅人にとっては、いよいよこの先関ヶ原を越えて遠い東国へむかうという、覚悟を決める場所であったのかもしれません。
 小摺針峠を越えると、今度は摺針峠が待っています。峠としては小さなものですが、その頂上からは、琵琶湖や近江平野が一望できます。かつては望湖亭という大きな茶屋があり、中山道一の景観を誇ったということです。鳥居本へ下る途中には、人一人がやっと通れるような旧道が残されており、そこを下りました。最後は産廃処理場脇に出るというあまり好ましくないロケーションですが、まぎれもなくこれが旧道です。北国街道との分岐点を示す道標を過ぎると鳥居本宿。赤玉という薬が名物で、今も神教丸本舗が営業中です。実に立派な建物で驚きました。ほかには合羽を売る店が多かったということで、営業はしていないものの合羽の看板を掲げた家がありました。宿場に隣接する近江鉄道鳥居本駅に到着し、本日の行程は終了です。鳥井本駅駅舎は開業以来使われている腰折れ屋根のモダンなもので、鉄道遺産としても貴重な駅舎です。
 天気予報では、天気は下り坂で夕方には雨になるということでしたが、幸い雨に降られることはなく、計画通り歩みを進めることができました。今宵の宿は、中山道からは少し離れた琵琶湖畔。湖岸の絶景と温泉、近江の郷土料理、そして美味しい地酒に癒され、明日への活力を養うことができました。

柏原宿のすばらしい街並みと可愛い行列
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柏原宿に今も残る艾(もぐさ)屋の伊吹堂
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旧道は右という標識に従って行くとなんと通行止めになっていました。それはないよ!
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国道21号沿いの中山道です。
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水の流れが美しい醒ヶ井(さめがい)宿
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番場(ばんば)宿に入りました。
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番場宿を抜けたところで、ここが長谷川伸の名作『瞼の母』の主人公、(番場の)忠太郎の出身地であることを思い出し、ちょっとポーズを決めてみました。「たった一言、忠太郎と呼んでくだせえ、おっかさん」

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かつては琵琶湖を見下ろす絶景が広がっていたという摺針峠の頂上です。
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「赤玉」で有名な鳥居本宿に着きました。右側が神教丸本舗の建物です。
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昭和6年に建築された近江鉄道鳥居本駅の駅舎です。よく見るとなかなかお洒落です。
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<35日目、3月19日>鳥居本から近江商人の里へ

 昨夜来の雨が降り続いており、最悪の天気です。朝食バイキングをたっぷり食べ、覚悟を決めて出発しました。
 鳥居本駅を10時30分に出発。雨の中山道を粛々と進みました。まわりには水田が広がっており、豊かな近江平野のまっただ中を行く感じですが、雨に煙って眺望はよくありません。中山道は新幹線と並行しており、ひっきりなしに、高速列車が駆け抜けていきます。 小野小町塚の前を通り、昼前には芹川を渡りました。雨の日の方が、歩くことに集中するせいか歩行速度ははやいようです。近江鉄道の中仙道踏切(なぜかここも仙の字を使用)を渡ると間もなく高宮宿に入りました。雨の中で休める場所といえば、駅の待合室ぐらいしかないので、高宮駅に寄り、米原駅で購入した「湖北のおはなし」というおしゃれな弁当で昼食をとりました。
 高宮宿には、「うだつ」の上がった古い家が並び、風情があります。麻の布(高宮布)を扱っていたという「布惣」の家屋があり、円照寺という大きな寺には家康の腰掛石なるものが存在していましたた。高宮宿を出てすぐに渡る犬上川の橋は無賃橋といい、江戸時代の古い道標も残っています。
 葛籠(つづら)の松並木を過ぎ、30分ほど歩いたところが、伊藤忠・丸紅の創業者伊藤忠兵衛をはじめ、多くの実業家を輩出し近江商人の里として有名な豊郷です。「先人を偲ぶ館」という施設があったので、トイレ休憩も兼ねて見学しました。ほとんど訪れる人はいないようで、私たちが入ってから照明がつき、番をしていたおじさんは、「今日は館長がいないのでこれを見てください」と言いながらパンフレットを渡してくれまいた。その後は、テレビのドラマを夢中でみていて、こちらにはおかまいなし。道を急がねばならない当方としては、時間の節約にもなり、かえってよかったような気がしました。
 その施設のすぐ近くにある豊郷小学校の旧校舎は、当地出身の丸紅専務古川鉄治郎の寄付で建設されたものですが、とても小学校とは思えない大学並の立派な建物でおどろかされます。中山道の沿道には、丸紅関係者がつくったという「くれない園」があり、その中には伊藤忠兵衛の像を刻んだ大きな石碑が鎮座していました。その園の先には伊藤長兵衛生家の碑や、伊藤忠兵衛旧宅があり、さらに進んだところには、「あけぼの」缶詰につながる廻船業を営んだ藤野喜兵衛喜昌の又十屋敷(豊会館)がありました。まさしく近江商人の里と称するにふさわしいところです。
 雨の中をなんとか歩き通して、愛知川(えちがわ)宿に到達しました。今回はここまでとし、近江鉄道愛知川駅から電車で米原へもどり、帰途につきました。

新幹線と並行する旧中山道です。昔の旅人には想像もできない光景でしょう。
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旧道沿いには、べんがら色の格子がついた家が多く、近江路らしい雰囲気が漂います。
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雨の高宮宿。こんな天気でなければ、間違いなく見応えのある街並みです。
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高宮布(麻布)を商っていた「布惣」の建物です。
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犬上川に架かる橋は、「無賃橋」とよばれ、江戸時代の道標も残っています。
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 とても小学校とは思えない豊郷小学校の旧校舎です。さすがは近江商人。故郷への錦の飾り方がすごいですね。
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中山道に面した「くれない園」。丸紅関係者がつくった公園です。近江商人の里らしいものが続々とあらわれます。
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雨の中を一日歩き続けて、なんとか愛知川(えちがわ)宿の入口まで到達しました。
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