白糠線北進駅~忘れ難き終着駅(1)

 浅間山麓の冬の夜、星空はプラネタリウムのようにきれいですが、底冷えのする寒さの中、出歩ける場所はほとんどありません。長く寒い夜をネガティブにとらえれば、「こんなところに住んでいられるか」となりますが、ポジティブにとらえれば、「暖房の効いた部屋の中で、落ち着いて読書や資料整理に取り組めるチャンス」ともいえます。
 この冬こそなんとかせねばと思っていることの1つが、古い写真の整理です。劣化が心配なフィルムをデジタル化し、タイトルやデータをつけて検索しやすいようにするといった作業ですが、結構な手間がかかります。おまけに、フィルムのひとコマひとコマには、それを撮影した時の思い出がありますから、ついつい感慨にふけってしまい、作業は遅々として進みません。それでも、懐かしいシーンがパソコン画面に少しずつ甦ってきていますので、それらを利用した連載企画を始めることにしました。題して「忘れ難き終着駅」です。

 第1回 白糠線北進駅(北海道)
 白糠(しらぬか)線というのは、根室本線の白糠駅から分岐し北進(ほくしん)駅に至る33.1キロの盲腸線(行き止まりの路線)です。国鉄末期、利用者の少ないローカル線は赤字の元凶とみなされ、1980年のいわゆる「国鉄再建法」の成立により、次々と姿を消していきました。白糠線は同法施行後の特定地方交通線廃止第1号となった路線です。画像
 白糠線には一日僅か3往復の列車しか運転されておらず、極めて乗りにくい路線の1つでした。白糠発の始発は6:38、その後は13:50、そして17:40発が最終です。札幌方面からは夜行列車を使っても始発には間に合いません。そこで札幌発7:05の急行「狩勝1号」で白糠へむかい、13:50発の列車に乗ることにしました。そのためだけに札幌に1泊するのはもったいないので、青函連絡船で北海道に渡った後、函館発23:40の夜行急行「すずらん4号」に乗り、札幌で「狩勝1号」に乗り継ぐというプランを立てました。今考えると、かなりのハードスケジュールですが、当時はこのぐらいの旅は当たり前でした。
 13:50発の白糠線533D列車は、気動車(キハ22242)の単行(一両編成)。通学時間帯ではないので、ローカル線の主役ともいえる高校生の姿はなく、乗客は数人のみ。当時のメモには「牧場のような風景が続く」とあります。終点の北進は、片面ホームだけがポツンと存在している駅舎もない無人駅で、周辺に人家らしきものは見当たりません。北海道の国鉄線で唯一の未乗路線でしたから、乗車できて嬉しい反面、これでは存続は難しいのではと少しばかり暗い気分になりました。
 どうして人家のないようなところが終点なのか。実は、この路線は、白糠と池北線の足寄(あしょろ)駅を連絡するというのが当初の目的で、1964(昭和39)年10月7日に白糠から上茶路(かみちゃろ)まで開通。それから8年後の1972(昭和47)年9月8日に、北進まで延長開業しました。「北進」という駅名は、地名ではなく、鉄路よ北へ進めという願望を込めたネーミングだったようです。しかし皮肉なことに、北へ進むどころか、1983年(昭和58年)10月23日、全通から僅か11年で廃止されてしまいました。当初連絡を予定した池北線も、第三セクター化された後に廃止されていますから、仮に足寄まで開通していたとしても、生きのびることは難しかったでしょう。元々の計画に無理があったといえばそれまでですが、僅かな間とはいえ「夢」を見させてくれた存在、そう思えば「北進駅」も浮かばれるのではないでしょうか。

 これが終点の北進駅です。乗ってきた気動車(キハ22242)が停車しています。16分後に上り534D列車として折り返していきます。(1977年7月25日撮影、以下同様)
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 白糠側からみるとこうです。どこからともなく(といった感じがしましたが)乗客が一人やってきました。
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 開業からまだ5年というのに、駅名板は文字が読めないほどぼろぼろになっていました。
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 北進は無人駅ですから乗車券も入場券も買うことはできません。記念に車掌さんから購入した車内補充券がこれです。地図式ではなく手書きでした。
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