宮原線肥後小国駅~忘れ難き終着駅(10)

第10回 宮原線肥後小国駅(熊本県)
 その昔、「日本の鉄道」というテレビ番組があったのをご存知でしょうか。テレビ草創期の話です。日本でテレビ放送が始まったのは1953年で、最初はNHKと日本テレビの2局しかありませんでした。その後、現在のキー局にあたる放送局が次々と開局。1959年に、テレビ朝日のルーツとなる日本教育テレビ(1960年に名称をNETに変更)が開局したのですが、その翌年から毎週1回放送されたのが、「日本の鉄道」でした。おそらく日本で最初の鉄道紀行番組です。タイトルバックは山陰本線の余部鉄橋で、その上を白煙をなびかせて蒸気機関車が走るシーンはインパクトが大きく、今も目に焼き付いています。
 ポン太は小学生でしたが、学校で、一番好きなテレビ番組名を問われた際に、「日本の鉄道」と答えて、少々変な目で見られた記憶があります。同じころに始まったNHKの「日本縦断」(のち「続日本縦断」→「新日本紀行」)も大好きでした。今も、ドラマよりドキュメンタリーの方に関心がありますから、子供のころの興味関心というものは、年を重ねても変わらないものだとつくづく思います。
 「日本の鉄道」が取り上げた各地の路線の中で、特に印象深いのが宮原線です。人家のない広い草原のようなところを、正面が丸みを帯びた気動車(おそらく、戦前のガソリン動車由来のキハ07)が走っていくシーンがあったと思うのですが、子供心に、こんなすばらしい景観の路線に、ぜひ乗ってみたいものだと思いました。線名が、「みやはら」ではなく「みやのはる」であること、九州では「原」を「はる」と読むことを初めて知り、そこにも興味を感じました。
 宮原線の旅が実現したのは、1973年の夏です。車両はキハ20でしたが、単行(1両編成)であるのは「日本の鉄道」に描かれた状況と同じでした。麻生釣(あそづる)という駅から先は、まさに九州の屋根を行くという雰囲気で、ローカル線の旅情という点では、申し分ありません。しかし、終点の肥後小国まで行く列車は僅か4本(うち1本は土曜のみ)しかなく、乗車するのはかなり大変でした。
 肥後小国からバスに乗り継ぎ、阿蘇外輪山の大観峰を経て阿蘇駅へというルートをたどったのですが、鉄道もバスも車窓風景は見応えがあり、優れた観光ルートという印象でした。しかし、宮原線の利用者はあまりにも少なく、「国鉄再建法」に基づく第一次廃止対象路線として、1984年12月1日、全線廃止となってしまいました。ちなみに同線が開業したのは1937年6月27日で、最初の開業区間は恵良~宝泉寺間でした。戦時中は一時営業休止となったものの、戦後復活し、1954年3月15日に、肥後小国まで延伸されました。
 現在は、宮原線に相当するバス路線はなく、かつてと同じルートで旅をすることはできません。しかし、私の頭の中には、「日本の鉄道」の映像と1973年に実際に乗車した際の風景とが、しっかり刻み込まれており、今も列車が走り続けているよう気がしてならないのです。

 宮原線訪問時に使用した「九州周遊券」裏表紙の地図の抜粋(赤枠、赤線、赤丸は筆者挿入)です。この地図からは、肥後小国駅が阿蘇北部の観光ルートの拠点のようにみえますが、ここまで鉄道(宮原線)で来てバスに乗り継ぐ人は稀でした。
九州周遊券裏表紙の地図.jpg
 分岐駅の恵良に進入する、豊後森発肥後小国行227D列車(キハ2090)です。(1973年8月28日撮影、以下同様)
730828宮原線肥後小国行227Dキハ2090  /恵良.jpg
 肥後小国駅のホームです。
730828宮原線肥後小国駅ホーム (2).jpg
 肥後小国駅の駅舎は意外にモダンなコンクリート造でした。
730828肥後小国駅にて001 (2).jpg
 肥後小国駅とその周辺ののどかな風景です。
730828宮原線肥後小国駅構内(2).jpg
 肥後小国駅は無人駅ではなく、このような入場券も売っていました。
肥後小国駅入場券.jpg

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