中央線130周年の意味

 少年時代から社会人となるまで、東京の杉並区で過ごしたポン太にとって、鉄道といえば中央線でした。中学生になった1962年に、中野~三鷹間の高架複々線化工事が開始されたので、それ以前の地上線時代も、工事の途中経過も、完成後の様子も、そのすべてを眺めることができました。自分自身の成長とともに大変貌を遂げた中央線が、本年、開業130周年をむかえ、様々なイベントが行われています。130周年記念のヘッドマークを掲げたラッピング電車も走っています。
 その130周年とは何を意味しているのでしょうか。130年前に新宿から八王子まで開業した鉄道は、中央線ではなく甲武鉄道という私鉄でした。1906(明治39)年の鉄道国有化により国鉄線となったわけですが、130周年記念イベントのパンフレット等では、あまりそのことに触れていないように思われます。8月11日に、八王子駅開業130周年記念セレモニーが行われました(ポン太は見ていません)が、その案内を載せたパンフレットにも甲武の文字はなく、今の(現在地の)八王子駅が130年前に中央線の駅として開業したと思ってしまう人が多いのではないでしょうか。
 130年前に開業した甲武鉄道八王子駅は、今の八王子駅の場所ではなく、現在の京王八王子駅との中間地点にありました。市街地に突き当たるような形状で、そこから先へ延伸することは不可能でした。八王子以西は甲武鉄道ではなく、官設鉄道として建設されたのですが、両者を接続させるため、八王子~上野原間の開業(1901年8月1日)に合わせて、甲武鉄道八王子駅は現在地に移転したのです。
 甲武鉄道初代八王子駅の跡地は、東京府立織染学校(後の八王子工業高校、現在は桑志高校)校地となり、その経緯を記した「東京府立織染学校之趾」碑が、その場所(その後、都立繊維工業試験場→都立産業技術研究センターとして使用)に建てられていました。 
 この初代八王子駅跡地は、現在再開発の真っ最中で、産業交流拠点となるビルが建設されるようです。先日、工事現場を覗いて見たところ、「東京府立織染学校之趾」碑が見当たりませんでした。碑文に、甲武鉄道八王子駅跡であることを明記している貴重な存在であっただけに、再開発工事完成後に同じ場所に戻されるのか気になるところです。
 10年ほど前の初代八王子駅跡の様子と、再開発が行われている現状を写真でご紹介することにします。また、ポン太が少年時代に撮影した往時の中央線の写真も添付いたしますので、中央線の歴史に思いを馳せていただくことができれば幸いです。なお、八王子市郷土資料館では、中央線130周年記念の企画展「八王子と鉄道」が開催中(10月14日まで)ですので、興味のある方は足を運ばれてはいかがでしょうか。

 東京駅で見かけた、中央線130周年記念のラッピング電車です。
中央線開業130年電車.JPG
 初代八王子駅跡の10年前の様子です。130年前の1889(明治22)年8月11日、新宿~八王子間が全通し、甲武鉄道の列車が発着したのはこの場所でした。
080803甲武鉄道八王子駅跡.JPG
 「府立織染学校之趾」碑です。「甲武鉄道駅舎趾だった・・・」と記されていました。
甲武鉄道八王子駅跡に立つ碑.JPG
 再開発工事の様子です。このあたりに「府立織染学校之趾」碑があったと思うのですが・・・。後方に京王プラザホテルが見えます。
甲武鉄道八王子駅跡地.JPG
 八王子駅が現在地に移転する際に設けられた第二石曽根橋梁です。現在も使用されていますが、橋台は煉瓦積みで、明治の雰囲気を漂わせています。
甲武鉄道八王子駅移転の際に設けられた第二石曽根橋梁.JPG
 53年前の1966年11月に撮影した中央線多摩川橋梁(上り線)です。甲武鉄道開業以来のこの橋梁は、今も現役です。
甲武鉄道以来の中央線多摩川橋梁/1966年11月.jpg

 ポン太が中央線の写真を撮り始めたころの阿佐ヶ谷~荻窪間です。写真に写っている電車は、上下とも国鉄の「新性能電車」の先駆けといわれる101系電車ですが、当時はまだ全部が101系というわけではなく、旧型国電も走っていました。(1963年8月22日撮影)
101系通勤電車同士のすれ違い。天沼陸橋より/1963年8月.jpg
 高架化工事が始まると、阿佐ヶ谷駅には仮設ホーム(下り線側)が設置されました。その下り線ホームから見た阿佐ヶ谷駅です。右手に北口広場が見えます。(1963年9月8日撮影)
阿佐ヶ谷上りホーム.jpg
 阿佐ヶ谷~荻窪間を行く貨物列車です。牽引しているED16形電気機関車は、中央線浅川(現、高尾)~甲府間の電化にあわせて開発された国産標準機で、青梅鉄道公園に保存されている1号機(ED161)は、国の重要文化財に指定されています。(1964年1月撮影)
【第7章②】立川機関区に配属され、中央線でも運用されていた時代のED16形電気機関車。1964年4月 阿佐ヶ谷~荻窪間.jpg
 地上線時代の荻窪~西荻窪間です。今では考えられないほど、のどかな雰囲気でした。(1964年9月13日撮影)
のどかな雰囲気の荻窪~西荻窪間を行く上り東京行電車(72系)/1964年9月13日.jpg
 阿佐ヶ谷駅東側の中杉通りの踏切は、開かずの踏切として有名でした。その踏切の最終日の写真です。(1964年9月19日撮影)
この踏切も今日かぎり/1964年9月19日.jpg
 中野~荻窪間の複線高架開通前日の阿佐ヶ谷駅付近です。(1964年9月19日撮影)
高架開業前日の阿佐ヶ谷の踏切。北口側/1964年9月19日.jpg
 
 複線高架化に引き続き、複々線化工事が行われていた阿佐ヶ谷付近を通過する中央本線の下り列車です。阿佐ヶ谷駅ホームから高円寺側をみたところです。(1965年5月9日撮影)

複々線化工事が進む阿佐ヶ谷駅付近(高円寺側)を行く中央本線下り普通列車/1965年5月9日.jpg
 

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