東京都電福神橋停留場~忘れ難き終着駅(12)

第12回 都電24系統福神橋停留場(東京)
 廃線跡と聞けば、過疎地を思い浮かべる人が多いと思いますが、実は東京ほど廃線跡だらけの場所はありません。かつては、山手線の内側から東側にかけてのエリアを中心に、稠密な都電の路線網が形成されていました。高度成長下でモータリゼーションが進行し、道路渋滞が常態化すると、都電は邪魔者扱いされるようになり、1972(昭和47)年までに、荒川線(32系統と27系統の一部を合体)を除くすべての路線が姿を消してしまったのです。したがって、都区内のちょっとした大通りはどこもかしこも廃線跡というわけです。
 都電には、運行系統を示す番号が付されており、どこかへ出かけるにはまずその番号を把握する必要がありました。たくさんあった系統の中で、特に印象深いのが24系統です。神田駅に近い須田町(ここはたくさんの系統が集まる都電の大ジャンクションでした)を起点に、上野広小路から上野駅前を経て浅草の雷門に至り、吾妻橋で隅田川を渡り、京成の押上駅前から柳島を経て福神橋に至るという系統でした。経由地の地名を聞いただけでおわかりになると思いますが、典型的な下町路線で、みどころがいっぱい。もしも存続していて、お洒落な観光電車でも運行していたら、インバウンド客に大人気となったことでしょう。東京に行ったら絶対に乗るべき「三つ星」の乗り物にランクインしたかもしれません。
 柳島から終点の福神橋にかけては、北十間川に沿って走り、柳島の名のとおり美しい柳の並木が続いていました。下町情緒たっぷりで、乗っていてつくづく「都電っていいなぁ」と思いました。そして、これほど魅力的な路線があっさり廃止されてしまうことへの憤りも感じました。
 路面電車(軌道)の場合、乗降する場所は駅(停車場)ではなく停留場ですから、終着駅というのはおかしいな表現ではあります。されど、数ある都電の終点の中で最も強い印象を受けたのが福神橋であり、そこへ至る柳島界隈の雰囲気が何よりすばらしく、「忘れ難き終着駅」の1つとして取り上げないわけにはいきません。
 新型コロナウィルスの感染拡大で、世の中殺伐とした雰囲気ですが、昔の都電の写真を眺めていると、少しばかりのどかな気分になれます。こんな時こそノスタルジーに浸って癒されたいもの。その一助となれば幸いです。

  1968年(昭和43)年の都電路線図の一部です。左上の須田町と右下の福神橋を結ぶ赤線で示されたルートが24系統です。
都電系統図/昭和43年.jpg
 都電24系統の起点だった須田町の風景です。停留場に福神橋行の電車が停車しています。(1971年5月3日撮影)
710503都電/須田町076.jpg
 上野公園の下を行く24系統の電車です。この日は祝日でしたので、公園入口の階段が大勢の人で溢れています。(1971年5月3日撮影)
710503都電/上野公園下060.jpg
 今は無き仁丹塔を背に浅草へとむかいます。(1971年5月3日撮影)
710503都電/浅草仁丹塔を背に.jpg
 雷門前を行く都電と都バスです。沿線は観光名所だらけでした。(1971年5月3日撮影)
710503都電/浅草雷門 (2).jpg
 浅草電停です。左手の地下鉄出入口上屋と電車の後方の神谷バーは今も健在です。(1971年2月3日撮影)
710203都電浅草7電停.jpg
 東武浅草駅前を行く都電です。この時代の浅草駅ビルは、ほぼ創建当時のままの姿でした。(1971年2月3日撮影)
710203都電24系統/浅草駅前.jpg
 柳島橋を渡る都電です。この少し手前に柳島の電停があり、その横が柳島車庫(柳島電車営業所)でした。(1971年5月3日撮影)
710503都電/柳島057.jpg
 北十間川に沿う柳島付近の風景は都電とお似合いで、風情がありました。(1971年5月3日撮影)
710503都電/柳島056.jpg
 これが柳島電車営業所です。
710503都電/柳島072.jpg
 ずらりと並んだ都電は壮観でした。(1971年5月3日撮影)
710503都電/柳島車庫.jpg
 柳島の1つ先が終点の福神橋。のどかで雰囲気のよい停留所でした。電車に乗ろうとしている女児の姿が時代を感じさせます。(1971年5月3日撮影)
710503都電/福神橋.jpg

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

驚いた

この記事へのコメント