なつかしき多摩丘陵の春

 孫の風邪が長引いて登園もままならないという連絡を受け、ここはジイバアの出番と、多摩丘陵の古巣へ助っ人に出かけてきました。
 家の中にばかりいては、運動不足になってしまうので、孫の世話の合間に、近くの丘陵を歩いてみました。すでに桜が咲いているところもあり、浅間山麓と比べると、ひと月はやく季節が進んでいる感じです。これからやってくる浅間山麓の春はもちろんすばらしいのですが、多摩丘陵の春も味わい深いものがあります。
 昔よく散策した絹の道(浜街道)を下り、いくつかの谷戸(やと)を巡りました。谷戸というのは、丘陵地が浸食されてできた谷のことで、多摩地域では一般的にそう呼ばれています。そこは多摩丘陵が住宅地化される以前からの人々の生活の舞台であり、水田、畑、雑木林と古民家が織りなす景観は、東京とは思えないのどかさです。
 嬉しいことに、この地と出会った40年前と変わらぬ風景が保たれているところが多く、浦島太郎にならずにすみます。もちろんまったく変化がないわけではなく、谷戸の入口に近いところは、新築の家が増えた印象です。また、代替わりがその理由なのかもしれませんが、耕作放棄地のようになってしまったところや、手入れが行き届いていないようにみえる庭などがあり、ちょっと荒れた感じがして残念に思いました。それでも、谷戸の中は、街中とは異なるまったりした空気が流れていて、歩くほどに癒されます。
 「絹の道」近くの谷戸は「嫁入谷戸」とよばれていますが、それは「弓射谷戸」が転化したものだという説があります。夜な夜な現れては村の若者たちをたぶらかす妖艶な巫女がおり、魔性のものに違いないと弓で射たところ、たちまちその姿は消え失せ、翌朝になって田に射貫かれた狐が横たわっていたという伝説がその由来です。
 丘陵上に開発されたニュータウンと隣あわせのところに、こうした伝説の残るのどかな谷戸があり、きれいな空気と緑が溢れている。こんな恵まれた環境の下で長年暮らすことができ、子育てをし、仕事にもそれなりに精を出せた幸せを、改めて感じたポン太でした。

 多摩丘陵の傾斜地に植えられた菜の花が満開でした。
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 一見、高原のお花畑のようです。
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 幕末から明治初期にかけて、生糸の集散地八王子から貿易港横浜へ、当時最重要な輸出品であった生糸が運ばれた「絹の道」です。竹林が大きくなった以外は昔と変わりません。
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 このあたりの「絹の道」の雰囲気は幕末からほとんど変わっていないのではないでしょうか。今、生糸を積んだ荷車がやってきても違和感はありません。むかって左手側が嫁入谷戸です。
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 谷戸の片隅に、フキノトウがでていました。
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 かつて散歩をしていて、桃源郷に迷いこんだような気分になった嫁入谷戸です。
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 谷戸の最奥には美しい水田があったのですが、どうやら耕作放棄地と化したようです。
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 花に囲まれた民家をみると、桃源郷のように感じたころを思い出します。
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 よい香りに誘われて歩みを進めると、沈丁花が満開でした。
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 こちらは別の谷戸ですが、緑が一面に広がり、これぞ谷戸の春といった感じがしました。
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 谷戸のむこうには、多摩ニュータウンがせまっています。家がだいぶ増えたような気がします。
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 日当たりのよいところには、花がたくさん咲いていて、目を楽しませてくれました。
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 ニュータウン内の桜は、二分から三分咲きになっているところもありました。
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 ソメイヨシノではなさそうですが、やはり桜はいいですね。ウキウキした気分になります。
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 植えた時期は定かでは無く、おそらく十数年は経っていると思いますが、ポン太が古巣の裏庭に植えた八朔が大きく育ち、たくさんの実をつけていました。孫が喜んで食べているということなので、植えた甲斐がありました。
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