ノスタルジーという名の妙薬

 単純に「昔は良かった」とか、「古き良き時代」などとはいえません。例えば、ポン太やその少し上の世代では、高度成長時代を懐かしむ人が多いと思います。右肩上がりで希望に満ちた良き時代であったと。しかし、その陰には悲惨な公害や出稼ぎ労働者・日雇い労働者の過酷な労働があったのであり、そのことを忘れてはならないでしょう。どんな時代にも光と陰があるのです。それを前提としつつも、先人の営みの結晶やその時代の賜といえる文化に目をむけ、味わい、ノスタルジーに浸るという行為は決して悪いことではないと思います。
 未来は(現在も)不確実で不安がいっぱいです。しかし、過去はすでに確定したものですから安心感があります。つまり結末のわかっているお芝居を見るようなもので、安心して名場面の所作を楽しめるというものではないでしょうか。
 ポン太もそうですが、鉄道好きにはノスタルジー志向が強いように思います。古びた駅舎や車両を見ただけでいろいろなことが想像され、感動で涙ぐむこともあります。そんな心情を、今から半世紀以上前に実行した旅の記録を基に綴った本があります。古くからの知人である小川功さんの著『昭和四十一年日本一周最果て鉄道旅』(笠間書院、2019年刊)です。小川さんは経営学的視点からの鉄道史研究者で、これまでたくさんの研究書を著していますが、情感をたっぷり込めたこのようなエッセイは初めてとのこと。
 そうそうと頷いたり、こんなシーンを見ることができたのかと羨ましく思ったり、鉄道愛が宗教の領域にまで到達しているのではないかと思わせる記述にニンマリしてしまったりと、とにかく楽しめます。
 本書は三部構成になっていて、一部が日本一周大旅行の顛末、二部はそれから五十年後の鉄路や周辺地域の変貌について、三部は日本一周大旅行に当初賛同しながら諸般の事情で参加しなかった仲間の「懺悔録」となっています。
 第一部で最も力が入っていると思われるのは、冬の北海道をたどる部分です。日本三大車窓の1つと謳われた狩勝峠の旧線をはじめ、北海道拓殖鉄道、湧別鉄道、手塩炭礦鉄道、定山渓鉄道等々、著者が眺めた数々の鉄道シーンを、ほんの僅かな年の差ゆえに見ることができなかった(間に合わなかった)ポン太としては、読み進むにつれ、郷愁を通り越して、夢の世界に遊ぶ心地がしました。
 第二部では、筆者ならではの観察眼を感じました。「私鉄帝国主義」と表現された電鉄資本による地域争奪戦をはじめ、駅前の風景から資本の盛衰を読み解くところなど、後に経営学者となられたのは、むべなるかなと思います。この50年の間に、地域がすっかり変わってしまい、懐かしい昭和の情景全体が喪失したことを改めて認識させられます。
 本書のタイトルにも使われている「最果て」という言葉。今は死語のようになってしまいましたが、その魔力に吸い寄せられたという点では、私も著者と同じです。新型コロナウイルスが猛威を振るい、外出自粛を余儀なくされる中、半世紀前の「最果て」の旅を追体験し、ノスタルジーという名の妙薬で癒されてみてはいかがでしょうか。

 この表紙を見ただけでノスタルジーを感じます。
昭和41年鉄道旅001.jpg
 これは口絵の一部ですが、ポン太が「間に合わなかった」垂涎のシーンばかりです。
昭和41年鉄道旅002.jpg

 海外旅行など夢のまた夢だった当時、北海道は憧れの地でした。ポン太が初めて北海道を訪れたのは、小川さんが「日本一周最果て鉄道旅」をされた4年後の1970(昭和45)年夏です。この間に残念ながらかなりの数の私鉄が失われましたが、初めて見た北海道の鉄道シーンは感動の連続でした。青函連絡船を降り、函館駅ホームでまず目にした風景がこれです。右はこれから乗車する函館本線(山線)経由の札幌行急行「ニセコ3号」、左は室蘭本線・千歳線経由の旭川行特急「北斗2号」です。いやが上にも気分は高揚しました。(1970年7月10日撮影)
700710函館本線急行「ニセコ3号」と「北斗」/函館005.jpg
 薄暮の倶知安駅で乗ってきた「ニセコ3号」を見送りましたが、このC62重連の勇姿を見て、北海道に来たことを実感しました。(同上)
700710函館本線急行「ニセコ」発車/倶知安002.jpg
「最果て」の鉄道景観を求めて道東へ。珍しくカラーで撮影した釧網本線です。原生花園や線路自体は今も健在ですが、こんな貨物列車の走る姿を見ることはできません。(692列車、北浜~浜小清水にて1970年7月17日撮影)
700717釧網線692列車(DE10)北浜~浜小清水.jpg
 日本海側の羽幌線も最果てムードの漂う路線でしたが、沿線にあった私鉄ともどもすべて消え失せてしまいました。(6884列車、番屋ノ沢乗降場~力昼間にて1970年7月14日撮影)
700714羽幌線6884レD5186+D51/番屋ノ沢乗降場~力昼003.jpg
 名寄本線も最果てという言葉にふさわしい路線でしたが、一族郎党すべて消え失せました。(名寄本線691列車、一ノ橋~上興部間にて1970年7月15日撮影)
700715名寄本線691レ(49672+補機)/一ノ橋~上興部007.jpg
 路線自体が姿を消したわけではありませんが、ルート変更により今は見られなくなったシーンもあります。これは室蘭本線礼文~大岸間を行く上り特急「北斗1号」です。当時は噴火湾沿いを走っていました。(1970年7月21日撮影)
700721室蘭本線8D北斗礼文~大岸 .jpg
 石北本線の常紋信号場で、貨物列車同士が交換する印象深いシーンです。(1970年7月16日撮影)
700716石北本線592レと595レ/常紋信号場付近002.jpg
 宗谷本線和寒駅でのスナップです。夏なのに寒々とした雰囲気の中、C5547牽引の330列車が勢いよく煙を噴き上げ、発車して行きました。(1970年7月15日撮影)
700715宗谷本線330レC5547/和寒 (2).jpg
 南稚内駅を発車するC5530牽引の322列車です。北の果てまで来たという実感がわきました。(1970年7月13日撮影)
700713宗谷本線322レ(C5530)/南稚内付近003.jpg
 私鉄の多くが姿を消していた中、なんとか間に合ったのがこの美唄鉄道です。運炭鉄道の雰囲気をかろうじて味わうことができました。(常盤台にて1970年7月20日撮影)
700720美唄鉄道7号機/常盤台の転車台.jpg

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント