消える「きっぷ」

 今月(7月)に入ってからは、梅雨前線の影響で連日の雨。必然的に家の中で過ごす時間が長くなりました。
 この機会にと取り組んだのが、古い「紙資料」(他人から見ればただのゴミ)の整理です。こんなものまで、と思えるようなものが、段ボール箱の中から続々と姿を現しました。学生時代に通っていた自動車教習所の教習者証まであり、そこには、路上試験に2度落ちた証拠がしっかり残されていました。
 「資料」の中で、最も数が多かったのは鉄道の乗車券等のきっぷ類です。旅の記念、記録として大切なものという意識から、捨てることができずに残しておいたものが大半ですが、時を経て眺めてみると、個人の記念や記録を越えて、それぞれの時代の交通事情や旅のスタイルを物語る資料として、それなりの価値がありそうな気がします。しかし、驚いたのは、券面の表示が消え失せているものがかなりあったことです。
 自動券売機が一般化する以前は、鉄道の切符は、出札口で行き先を告げて購入するのがあたりまえでした。切符は、厚紙に印刷された「硬券」が主で、それらの切符は、相当古いものであっても、券面の文字が読めなくなっているものはありません。問題は薄い紙を用いた切符、いわゆる「軟券」で、多能式(多種類の発券ができる)自動券売機が普及してからのものです。1960年代中期に登場した初期のものはインクを用いていたため、手が汚れるなどの問題があり、60年代末から感光紙を利用して画像を焼き付ける方式に移行。70年代には塗布した薬剤を化学変化させることで発色させる方式が主流となりました。こうした化学的方法で印字した切符は経年劣化が著しく、日付や番号も含め何一つ読めないただの紙切れと化してしまっているものがかなりあります。これでは資料としての価値はなく、何のために保存していたのか、むなしさが募ります。現在の発券機は感熱紙を利用しているそうですが、半世紀後にはどのような状態になっているのかわからず、はたして保存する意味があるのか考えずにはいられません。
 もっとも、今の世の中はチケットレス時代に突入しており、IT化がさらに進めば、切符そのものが消えてしまうかもしれません。IT化が日本よりはるかに進んでいるといわれる中国では、すでに紙の時刻表が発行されなくなっています。自分が利用したい列車を検索するだけならスマホで用が足りるのでしょうが、どこをどのような列車が走っている(いた)のかを全国的レベルで把握(一覧)することができなくなりました。
 便利さの追求=当面の役に立ちさえすればよい(そうでないものは消えて結構)、ということであれば、自分たちが歩んだ社会の足跡を後世に伝えることが難しくなります。IT化社会の負の側面として、「記録」という意識の希薄化がありはしないか。議事録をつくらず、公文書は平気で破棄という某政権の手法は、ひょっとしたら時代の先取りかもしれません。不安と危惧を感じないわけにはいかないアナログタヌキのポン太です。

 下の4枚の切符は、いずれも1974(昭和49)年に自動券売機で購入した、当時の最低運賃区間(30円)の乗車券です。消え具合に差があるのは印刷方式の違いでしょうか。これは想像ですが、左上のものは従来のインクを使用していた、右上と左下は年月日と番号だけインクで、右下はすべてが化学変化を利用した印字であったのかもしれません。
感熱式乗車券.jpg
 次の2枚は、ポン太が子供のころの地図式の硬券乗車券です。上は1958(昭和33)年7月24日に発券されたものですが、当時の国鉄は3等級制の時代で3等の表記があります。下は、1962(昭和37)年7月4日発券の乗車券です。1960(昭和35)年から2等級制に移行しており、2等と表記されています。
硬券電車切符003.jpg
 以下の2枚は1960年代後半に、自動券売機で購入した軟券の乗車券です。上は、発券日が1968(昭和43)年7月4日となっていますが、その2年前、1966(昭和41)年3月5日の運賃改定により最低運賃が20円になりました。まだ2等級制が続いており2等の表記があります。汎用インクを用いていたようで、きれいな印刷とは言えませんが、消えることはなさそうです。下は、モノクラス制に移行した1969(昭和44)年の乗車券で、最低運賃が30円となりました。券面の表示がしっかり消えずに残っているところをみると、感光式ではなさそうです。
渋谷から初乗り20円、30円時代007.jpg
 これは戦前の1937(昭和12)年の省線電車の乗車券です。83年の時を経た今でも券面の印刷は鮮明で、当時の最低運賃が5銭であったことや、5銭でこれだけ乗ることができたという情報を得ることができます。こうであってこそ、保存価値のある「資料」といえるのではないでしょうか。ちなみに当時の映画館の入場料は50銭、ハガキが2銭、コーヒー1杯が15銭ほどであった由。現在の山手線の最低運賃は140円ですから、電車の運賃は、感覚的には昔も今もそれほど変わらないレベルといえるかもしれません。
硬券電車切符戦前004.jpg
 かつてはごく一般的であった硬券の乗車券です。出札所にはこうした乗車券が常備されていて、窓口で「○○まで1枚」と告げれば、さっと出てきました。東京電環というのは東京電車環状線の略で、ちょっと懐かしい言い方です。現在の「東京山手線内」と同じ意味です。
硬券切符005.jpg
 常備券がない場合には、このような補充券に、行先、経由等の必要事項を記入して発券してくれました。これは高校1年の秋に、初めて東北地方へ出かけた際に用いた思い出深い乗車券です。東京→新津→郡山→平(現在のいわき)→東京と一周するルートですが、運賃が僅か890円というのは驚きです。運賃レベルが今よりずっと安かったというだけでなく、学割の割引率が高かった(100キロを越えた部分は5割引)ことが大きな理由です。この翌年3月の運賃改定から割引率が現行と同じ2割となってしまい、ポン太が5割引の恩恵にあずかれたのは僅かな期間でした。 
手書き切符006.jpg
 この乗車券で旅した際に撮影した写真の1枚がこれです。磐越東線の川前~江田信号場間を行く D6068牽引の727列車です。SLは消えても風景は今も同じかも知れません。
727レD6068/川前~江田 (2).jpg
 切符の話のついでに、これはどうでしょうか。今も存続しており、ポン太も利用することの多い「青春18きっぷ」ですが、1982(昭和57)年の発売当初は「青春18のびのびきっぷ」という長い名前でした。国鉄全線乗り放題という画期的な切符の登場に、すでに「青春」とは言い難い年齢となっていたポン太も飛びつきました。1枚ずつ切り離して使用できるこの形式は、JR移行後もしばらく継承されていました。
青春18のびのび切符001.jpg
 「青春18のびのびきっぷ」にはワッペンが添付されていました。されど、このワッペンを付けて乗車している人を見たことはなく、定着せずに終わったようです。
青春18のびのび切符002.jpg
 自動券売機で発券される現在の「青春18きっぷ」はこの形式ですが、いずれ券面の表示が消えてしまいそうで不安です。
渋谷から初乗り20円、30円時代008.jpg
 自動券売機が主流の時代になってからも、地方では紙に印刷されたこんな「青春18きっぷ」を買うことができました。これなら絶対に券面の表示が消えることはなく、100年後も「青春18きっぷ」なるものが存在したことを伝えてくれそうです。
紙の青春18.jpg

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