咲き競う森の女王

 相変わらずの梅雨空です。それでも今日は日中の降水確率がほぼゼロという天気予報を見て、半月ぶりに平尾山へ出かけてみました。登山口に赤いコーンが置かれていたので、これはもしや登山道が崩れて登れなくなってしまったのではと心配になりました。どうしようかと思案していたところへ、年配の女性が山から降りてきたので話を聞くと、問題なく登れたとのこと。その方は佐久市の住民で、まわりには「平尾山愛」に溢れた人がたくさんいて、毎日山を眺めては「今日は登れるかな」などと話しているそうです。ご本人は雨が降っていてもポンチョを被って登るそうですから、「平尾山愛」は半端ではなさそう。
 この時季の平尾山には咲いている花はほとんど無く、山頂からの眺めも期待できません。それでも、緑のトンネルのような登山道を大汗をかいて登るだけで気分は爽快。山頂に立てばちょっとした達成感もあり、満足度は、平地のウォーキングとは比べものになりません。「平尾山愛」に染まる人が増殖しているのは、むべなるかなです。
 家に戻って、周囲を眺めると、いつの間にか山百合がたくさん開花していました。前回のブログで百合の王者と書きましたが、花束のように咲いている姿は森に舞い降りた女王のようです。その山百合の傍らには、ウバユリも咲いています。地味ながら、それなりの品があり、例えていえば女王の侍女といったところでしょうか。わが家の森が宮殿の花園と化したわけです。
 梅雨明けはまだ先のようですが、山歩きの心地よさと相俟って、晴れ晴れとした気分になれた一日でした。

 久しぶりに登った平尾山頂からの眺めです。低く垂れ込めた雲に覆われて、蓼科・八ヶ岳連峰はまったく見えません。それでも登れただけで嬉しくなりました。
平尾山から1.JPG
 浅間山も姿を見せません。こんな状態がずっと続いているのです。
平尾山から2.JPG
 森に舞い降りた女王のような山百合です。あまりの見事さに見とれてしまいました。
森の女王 山百合.JPG
 雨に濡れた山百合も風情があります。
雨の中の山百合.JPG
 森の中だけでなく、花壇でも山百合が咲き、あたり一面芳香を漂わせています。
花壇の山百合.JPG
 これでもかというぐらい、たくさんの花をつけている山百合です。
花がこんなについた山百合.JPG
 ウバユリも咲きました。山百合を「陽」とすればこちらは「陰」という感じでしょうか。ウバユリがあることで、より一層山百合が輝いて見えます。
ウバユリ.JPG
 葉がない百合→歯が無いのは姥、よってウバユリという気の毒な名前がつけられているのですが、葉がないわけではありません。茎が長いのでそう見えるだけで、下部にはしっかりした葉がついています。花もなかなかのものだと思うのですが・・・。
DSCF3427.JPG
 異常な長梅雨のおかげで、菜園の作物は育ちが悪く、やっと実ったキュウリもこのレベル。トマトは期待できそうもありません。
キュウリ.JPG
 インゲンだけは何故か元気に花を咲かせていて、少し期待がもてそうです。
インゲンの花.JPG
 夏の花壇の主役の1つと考えている百日草も育ちが悪く、ようやく花が咲き始めたところです。
百日草.JPG
 もう一つの夏の主役と位置づけているのがマリーゴールド(万寿菊)です。こちらはまずまずといったところで、花の上をよく見ると、まるで保護色のようなベニシジミ蝶が来ていました。
マリーゴールドとベニシジミ蝶.JPG

待ち遠しい梅雨明け

 天気予報を見る度に、傘と雲のマークばかりが並んでいてうんざり。もうそろそろ梅雨明けして欲しいと願う日々です。
 これだけ雨が続いていても、すこぶる元気で、いままで見たことがないほどの大輪の花をつけているのがアジサイです。以前のブログで、花の色がすべて真っ白になってしまったと書きましたが、実はそうではありませんでした。よく見ると花の一部が少し青みがかっています。もしかすると、ちょっとした手当が効いたのかもしれません。アジサイの花は、酸性土壌にアルミ分が含まれていると青くなるという話を聞き、半月ほど前ですが、株元にアルミ箔を埋めてみました。まだはっきり識別できるほどのブルーになっているわけではないので、本当にその効果がでているのかどうかはわかりませんが、この先どう変化していくのか楽しみです。
 コスモスも大きく育って、次々と花を咲かせています。梅雨時を象徴するアジサイと秋の訪れを告げるコスモス。その両者のコラボは意外性があるだけではなく、とてもきれいで、アジサイの隣にコスモスのタネを蒔いておいて大正解でした。
 この時季らしい花の1つであるオオバギボウシも咲き始めました。日本中の山地に自生しているということで、ここ浅間山麓でもいたるところで目にします。ありふれてはいるのですが、岩のまわりなどに寄せ植えにすると見栄えがよいので、ポン太も庭の植栽に利用しています。蕾が橋の欄干の擬宝珠に似ているというのが名の由来で、漢字で書くと「大葉擬宝珠」です。
 これが咲いてくれないと、本格的な夏が来た気がしないというのがヤマユリです。ヤマユリは、近畿以北の山地に自生する日本特産の百合で、花弁が大きくて目立つだけでなく、その香りも強烈で、庭中がその芳香で満たされてしまいます。花言葉は「荘厳」だそうですが、まったくそのとおりの花で、間違いなく百合の王者です。そのヤマユリが本日開花しました。まだ1輪だけですが、これを見た瞬間、気分は一気に夏モードになりました。あとは本物の梅雨明けを待つばかりです。

 挿し木で増やしたアジサイですが、こんなに見事に咲いたのは初めてです。ほんのり青みがかっている部分があるのは、アルミを「供給」した成果でしょうか。
少し青みがかってきたアジサイ.JPG
 アジサイとコスモスのコラボです。季節変化の激しい当地にふさわしい景観だと思います。
アジサイとコスモスのコラボ.JPG
 こちらはガクアジサイです。ご近所の方からいただいたもので、この土地にあっているのか、移植初年度からきれいな花を楽しんでいます。
ガクアジサイ.JPG
 オオバギボウシの花です。若い葉は山菜として食することができ、山菜として売られている際の名は「ウルイ」です。
オオバギボウシ.JPG
 庭で蝶を見る機会が増えました。これはサンショの花に来ていた蝶で、図鑑で調べたところでは、コミスジチョウのようです。
コミスジ蝶とサンショ.JPG
 こちらはモンシロチョウだと思いますが、サンショの花の蜜は多くの蝶を呼び寄せるほど美味しいものなのでしょうか。
サンショとモンシロチョウ.JPG
 雨の中でもしっかり熟してくれたブルーベリーです。わが家としては初めての大豊作で、このところ毎日、ヨーグルトのトッピングにして食べています。
ブルーベリー.JPG
 これぞ夏の野草の真打ち、ユリの王者、ヤマユリです。咲いたのはまだ一輪だけですが、森が一気に華やかになりました。
DSCF3360.JPG
 今年はヤマユリの当たり年かもしれません。1つの株にこれだけ多くの蕾がありますので、これが全部咲けば、豪華絢爛な花束になること間違いなしです。
ヤマユリたくさんの蕾.JPG

 雨で山歩きもウォーキングもままなりません。そこで、久しぶりに美術館に出かけてみました。佐久市立近代美術館では、「収蔵品展」の観覧料を無料にする取り組みが行われており、気軽に鑑賞することができるからです。無料とはいえ、平山郁夫や東山魁夷といった有名画家の作品をはじめ、かなりのボリュームがあります。入口で、検温があり、氏名、連絡先を記入するなどのコロナ対策がとられていますが、館内はまったく「密」ではなく、安心です。
 疫病退散の妖怪として知られるアマビエを版画にした美術館特製の「おみくじ」があり、このような札をゲットしました。コロナ退散の御利益を期待したいものです。
アマビエおみくじ.jpgあまびえおみくじ吉.jpg

消える「きっぷ」

 今月(7月)に入ってからは、梅雨前線の影響で連日の雨。必然的に家の中で過ごす時間が長くなりました。
 この機会にと取り組んだのが、古い「紙資料」(他人から見ればただのゴミ)の整理です。こんなものまで、と思えるようなものが、段ボール箱の中から続々と姿を現しました。学生時代に通っていた自動車教習所の教習者証まであり、そこには、路上試験に2度落ちた証拠がしっかり残されていました。
 「資料」の中で、最も数が多かったのは鉄道の乗車券等のきっぷ類です。旅の記念、記録として大切なものという意識から、捨てることができずに残しておいたものが大半ですが、時を経て眺めてみると、個人の記念や記録を越えて、それぞれの時代の交通事情や旅のスタイルを物語る資料として、それなりの価値がありそうな気がします。しかし、驚いたのは、券面の表示が消え失せているものがかなりあったことです。
 自動券売機が一般化する以前は、鉄道の切符は、出札口で行き先を告げて購入するのがあたりまえでした。切符は、厚紙に印刷された「硬券」が主で、それらの切符は、相当古いものであっても、券面の文字が読めなくなっているものはありません。問題は薄い紙を用いた切符、いわゆる「軟券」で、多能式(多種類の発券ができる)自動券売機が普及してからのものです。1960年代中期に登場した初期のものはインクを用いていたため、手が汚れるなどの問題があり、60年代末から感光紙を利用して画像を焼き付ける方式に移行。70年代には塗布した薬剤を化学変化させることで発色させる方式が主流となりました。こうした化学的方法で印字した切符は経年劣化が著しく、日付や番号も含め何一つ読めないただの紙切れと化してしまっているものがかなりあります。これでは資料としての価値はなく、何のために保存していたのか、むなしさが募ります。現在の発券機は感熱紙を利用しているそうですが、半世紀後にはどのような状態になっているのかわからず、はたして保存する意味があるのか考えずにはいられません。
 もっとも、今の世の中はチケットレス時代に突入しており、IT化がさらに進めば、切符そのものが消えてしまうかもしれません。IT化が日本よりはるかに進んでいるといわれる中国では、すでに紙の時刻表が発行されなくなっています。自分が利用したい列車を検索するだけならスマホで用が足りるのでしょうが、どこをどのような列車が走っている(いた)のかを全国的レベルで把握(一覧)することができなくなりました。
 便利さの追求=当面の役に立ちさえすればよい(そうでないものは消えて結構)、ということであれば、自分たちが歩んだ社会の足跡を後世に伝えることが難しくなります。IT化社会の負の側面として、「記録」という意識の希薄化がありはしないか。議事録をつくらず、公文書は平気で破棄という某政権の手法は、ひょっとしたら時代の先取りかもしれません。不安と危惧を感じないわけにはいかないアナログタヌキのポン太です。

 下の4枚の切符は、いずれも1974(昭和49)年に自動券売機で購入した、当時の最低運賃区間(30円)の乗車券です。消え具合に差があるのは印刷方式の違いでしょうか。これは想像ですが、左上のものは従来のインクを使用していた、右上と左下は年月日と番号だけインクで、右下はすべてが化学変化を利用した印字であったのかもしれません。
感熱式乗車券.jpg
 次の2枚は、ポン太が子供のころの地図式の硬券乗車券です。上は1958(昭和33)年7月24日に発券されたものですが、当時の国鉄は3等級制の時代で3等の表記があります。下は、1962(昭和37)年7月4日発券の乗車券です。1960(昭和35)年から2等級制に移行しており、2等と表記されています。
硬券電車切符003.jpg
 以下の2枚は1960年代後半に、自動券売機で購入した軟券の乗車券です。上は、発券日が1968(昭和43)年7月4日となっていますが、その2年前、1966(昭和41)年3月5日の運賃改定により最低運賃が20円になりました。まだ2等級制が続いており2等の表記があります。汎用インクを用いていたようで、きれいな印刷とは言えませんが、消えることはなさそうです。下は、モノクラス制に移行した1969(昭和44)年の乗車券で、最低運賃が30円となりました。券面の表示がしっかり消えずに残っているところをみると、感光式ではなさそうです。
渋谷から初乗り20円、30円時代007.jpg
 これは戦前の1937(昭和12)年の省線電車の乗車券です。83年の時を経た今でも券面の印刷は鮮明で、当時の最低運賃が5銭であったことや、5銭でこれだけ乗ることができたという情報を得ることができます。こうであってこそ、保存価値のある「資料」といえるのではないでしょうか。ちなみに当時の映画館の入場料は50銭、ハガキが2銭、コーヒー1杯が15銭ほどであった由。現在の山手線の最低運賃は140円ですから、電車の運賃は、感覚的には昔も今もそれほど変わらないレベルといえるかもしれません。
硬券電車切符戦前004.jpg
 かつてはごく一般的であった硬券の乗車券です。出札所にはこうした乗車券が常備されていて、窓口で「○○まで1枚」と告げれば、さっと出てきました。東京電環というのは東京電車環状線の略で、ちょっと懐かしい言い方です。現在の「東京山手線内」と同じ意味です。
硬券切符005.jpg
 常備券がない場合には、このような補充券に、行先、経由等の必要事項を記入して発券してくれました。これは高校1年の秋に、初めて東北地方へ出かけた際に用いた思い出深い乗車券です。東京→新津→郡山→平(現在のいわき)→東京と一周するルートですが、運賃が僅か890円というのは驚きです。運賃レベルが今よりずっと安かったというだけでなく、学割の割引率が高かった(100キロを越えた部分は5割引)ことが大きな理由です。この翌年3月の運賃改定から割引率が現行と同じ2割となってしまい、ポン太が5割引の恩恵にあずかれたのは僅かな期間でした。 
手書き切符006.jpg
 この乗車券で旅した際に撮影した写真の1枚がこれです。磐越東線の川前~江田信号場間を行く D6068牽引の727列車です。SLは消えても風景は今も同じかも知れません。
727レD6068/川前~江田 (2).jpg
 切符の話のついでに、これはどうでしょうか。今も存続しており、ポン太も利用することの多い「青春18きっぷ」ですが、1982(昭和57)年の発売当初は「青春18のびのびきっぷ」という長い名前でした。国鉄全線乗り放題という画期的な切符の登場に、すでに「青春」とは言い難い年齢となっていたポン太も飛びつきました。1枚ずつ切り離して使用できるこの形式は、JR移行後もしばらく継承されていました。
青春18のびのび切符001.jpg
 「青春18のびのびきっぷ」にはワッペンが添付されていました。されど、このワッペンを付けて乗車している人を見たことはなく、定着せずに終わったようです。
青春18のびのび切符002.jpg
 自動券売機で発券される現在の「青春18きっぷ」はこの形式ですが、いずれ券面の表示が消えてしまいそうで不安です。
渋谷から初乗り20円、30円時代008.jpg
 自動券売機が主流の時代になってからも、地方では紙に印刷されたこんな「青春18きっぷ」を買うことができました。これなら絶対に券面の表示が消えることはなく、100年後も「青春18きっぷ」なるものが存在したことを伝えてくれそうです。
紙の青春18.jpg

士幌線十勝三股駅~忘れ難き終着駅(14)

第14回士幌線十勝三股駅(北海道)

 北海道十勝地方の中心都市といえば帯広です。現在の帯広駅に発着するのは、根室本線の列車のみですが、かつては、南へ広尾線、北へ士幌線が分岐する、鉄道交通の要衝でした。北へむかう士幌線の終点は東大雪の山懐に位置していた十勝三股。途中の糠平にはダム湖(糠平湖)があり、糠平温泉という観光地もありましたので、そこまでは士幌線を利用することがあっても、終点の十勝三股まで足を伸ばした人は少ないのではないでしょう。十勝三股には、これといった観光スポットはなく、その先どこかへ抜けられるというわけでもなかったからです。
 私が乗車した1972(昭和47)年3月の時点で、十勝三股まで行く列車は1日4本でした。帯広発の始発が6時10分、その次の列車は糠平止まりで、十勝三股行は13時00分までありません。その後の行動を考えると、始発に乗るのがベストというわけで、帯広駅に早朝の5時44分に到着する根室本線の夜行列車(423列車)を利用することにしました。そんな鈍行の夜行列車があったことも、今となっては夢のような話ですが、列車で十勝三股まで行けたことも実は大変幸運なことだったのです。なぜなら、その後、十勝三股エリアの居住者がどんどんいなくなってしまい、1978年12月25日以降、糠平~十勝三股間はバス(実際はタクシー)代行となったからです。士幌線が全線廃止となる1987(昭和62)年3月23日まで、十勝三股は名目上の終点という状態でした。
 国鉄末期の1980年、国鉄旅客営業路線の完乗を目的としたキャンペーン、「チャレンジ2万キロ」が始まりましたが、その時には、すでに士幌線を列車で完乗することはできなくなっていたわけです。列車の終点である糠平まで乗れば、士幌線完乗とみなすという決まりになっていたかと思うのですが、線路があるのに乗れないというのは、チャレンジャーにとっては、気分的にすっきりしないものだったでしょう。
 士幌線が十勝三股まで全通したのは1939(昭和14)年11月18日です。その先に森林鉄道があった時代もあり、林業の拠点として役割を担った駅でした。旅客用には片面ホームが1つあるだけでしたが、木材輸送の名残で構内は広く、何本もの線路があり、東大雪の山々を望む景色は雄大で、北海道らしさを感じた終着駅でした。
 なお、糠平ダムの建設に伴い、1955年に糠平付近のルートが変更されています。私が乗車したのはもちろん新しいルートの方です。旧線に存在したタウシュベツ川橋梁等は「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」として第1回北海道遺産に選定され、古代ローマの遺跡のようだとして人気を集めていますが、そのころは名前すら知りませんでした。ただし、旧線跡らしきものを車窓から眺めて、カメラをむけた記憶はあります。

 当時の国鉄が配布していた観光パンフレットの一部です。士幌線が描かれた部分を拡大してみました。
士幌線沿線.jpg
 十勝三股駅は無人駅ではなく、入場券を買うことができました。
十勝三股駅入場券001.jpg
 十勝三股に着いた721Dです。寒冷地向けの気動車、キハ1215とキハ128の2両編成で、前者の一部は荷物室扱いとなっていました。(1972年3月11日撮影、以下同じ)
720311士幌線724Dキハ1215/十勝三股.jpg
駅の構内は広く、高原のような雰囲気を感じる駅でした。
720311士幌線十勝三股駅.jpg
 駅名板の脇に、海抜664mという表示があります。当時、北海道最高所の駅でした。
720311士幌線十勝三股にて俊明.jpg 
これはウペペケサンケ山(1848m)でしょうか。十勝三股駅から見た雪山の風景はインパクトがありました。
720311士幌線十勝三股からみたウペペサンケ山.jpg
 十勝三股の駅前風景です。当時の駅周辺には常住者がかなりいて、しっかり除雪されていました。
720311士幌線十勝三股駅前.jpg
 糠平湖を車窓からみた風景です。結氷しており、一面の雪原となっていました。
720311士幌線からみた糠平湖.jpg
 対岸に、旧線跡らしきものが見えました。タウシュベツ川橋梁はこの近くかもしれません。
720311士幌線からみた糠平胡付近の旧線?.jpg
 当時の国鉄は、個人旅行者を増やそうと、1970年から「ディスカバー・ジャパン」という名のキャンペーンを展開していました。そのため、士幌線の糠平駅にもこんなスタンプが設置されていました。記憶は定かではないのですが、観光客がほとんど来ない十勝三股駅には設置されていなかったと思います。
糠平駅スタンプ002.jpg

梅雨空の下でも野菜は美味

 梅雨らしいといえばそれまでですが、ここ1週間ほど、雨の降らない日はありません。幸い、災害に直結するような豪雨にはなっていませんが、野山を歩き回ることはできず、雨の止み間を利用して、家の周りを散歩するのが関の山です。
 そのような日々の中で、ささやかな楽しみを与えてくれるスポットといえるのが野菜の直売所です。地元産の野菜が旬をむかえており、畑から直接持ち込まれる野菜は、鮮度抜群でとにかく美味です。もちろん価格は超リーズナブルですから、スーパーには悪いのですが、夏野菜の大半は直売所で調達することになります。
 珍しい野菜と出合うことも多く、先日は、サボイキャベツなるものをゲットしました。葉が縮れていて、白菜とキャベツを足して2で割ったような感じの野菜です。煮て食べると美味しいという話でしたので、同じ直売所に並んでいたビートと一緒に煮込んで、ボルシチ風のシチューをつくってみました。煮崩れしないので、シャキシャキ感が楽しめました。スライサーで千切りし、サラダにした場合も歯触りが良く、美味しく食べることができました。このほかロマネスコという不思議な形をした野菜も入手しましたが、こちらはカリフラワーのコリコリ感とブロッコリーの甘みをミックスしたような感じで、いろいろな料理に応用できそうです。
 さて、わが家の菜園の野菜や果実はどうなったかというと、レタスはすでに食べ尽くし、キューリやトマトが実るのを待っているところです。山東菜は、虫除けの網を設置したところだけは育ちましたが、それ以外は虫に食べられて茎しか残っていません。高冷地といえども葉物の無農薬栽培は難しいものです。虫除け網の中を、なんと蝶が飛び回っていました。成虫になって入ったのではなく、山東菜をエサに育ったのでしょう。醜い蛾でなくてよかったと思うしかありません。
 アンズやプラムは全く実をつけずがっかりですが、今年の期待の星はブルーベリーです。かなりの数の実が成り、すでに完熟状態になっているものもありますので、今後の収穫が楽しみです。
 家のまわりではこの時季らしい花が咲いています。筆頭はアジサイです。ここ数年全く花が咲かず、冬の寒さに耐えられなくなったかと心配しておりましたので、久々にたくさんの花を見て嬉しくなりました。
 花壇ではユリも咲いています。初めて植えてみたアスター(エゾギク)も咲き始めました。驚いたのは、はやくもコスモスが開花したことです。梅雨も明けていないのに、庭の片隅では、すでに秋の気配が漂い始めました。

 いつもお世話になっている直売所の1つがここです。御代田町の浅間サンライン沿いにあります。
塩野の直売所.JPG
 入口の台の上に白菜が並んでいます。白菜=冬=鍋物というイメージですが、当地では今が旬。夏の白菜の方が美味しいといわれていますので、ポン太もゲットしました。
店頭の野菜.JPG
 直売所の前に花壇が設けられていて、色とりどりの花が咲いていました。看板に「中山間地」とあるように、確かにここは標高の高いところです。こういう環境で育つ野菜が、美味しくないはずはありません。
直売所前の花壇.JPG
 すぐ近くには人気の蕎麦店「地粉や」があります。コロナ禍にもめげず、いつの間にか駐車場が舗装されていました。
地粉屋.JPG
 直売所のはすむかいにあった、こちらのフレンチレストラン「エマーブル」は、残念ながら閉店してしまいました。
エマーブル閉店.JPG
 浅間サンライン沿いにあるラベンダーの畑です。ちょうど花が満開になったところで、梅雨空の下でも鮮やかに見えます。
ラベンダーは岳.JPG
 直売所で入手したサボイキャベツがこれです。キャベツ?白菜?、何だろうこれはといった感じです。サボイというのはフランスの産地の地名とか。
サボイキャベツ.JPG
 これが、一見グロテスクなロマネスコ(左)とビート(右)です。ロマネスコはイタリアの野菜で、ローマ近郊では16世紀から栽培されているそうです。
ビートと不思議な野菜.JPG
 大根にもこんなタイプがあります。左右の赤大根は中まで真っ赤で、スライスして甘酢漬けにすると美味。真ん中のふとっちょ大根は辛みが際立ちます。
大根家族.JPG
 これが赤大根の甘酢漬けです。着色料を使用したわけではないのに、血の滴るようなこの色。知らない人はドキッとするでしょうね。
赤大根の甘酢漬け.JPG
 わが家で今一番の期待の星はこのブルーベリー。良い感じに熟してきました。
ブルーベリー.JPG
 山東菜を虫から守るために防虫網を設置しましたが、その中で蝶が数匹飛び回っていました。ムムッ??
囲われた蝶.JPG
 花壇ではユリが咲きました。マリーゴールドも日に日に大きくなっています。
百合とマーガレット.JPG
 久しぶりに咲いてくれたアジサイです。多摩の古巣から移植し、挿し木で増やしたものです。土壌の影響か、花の色が全部白くなってしまいました。
アジサイ.JPG
 初めて植えてみたアスター(エゾギク)ですが、無事に大きくなり開花しました。
アスター.JPG
 森の中では、ヤマホタルブクロが咲いていました。
ホタルブクロ.JPG
 これは、自らは光合成をおこなわないオニノヤガラという腐生植物です。漢方薬の原料になるそうです。昨年、ご近所の家の庭に変わった植物があると聞き、見せてもらいましたが、わが家の森にも現れるとは。
オニノヤガラ.JPG
 今年最初に咲いたコスモスです。この花を見れば、秋を感じないわけにはいきません。
コスモスが咲いた.JPG
 孫を喜ばせようと、切り株を利用して「お猿のジョージ」をつくってみました。自分でつくっておいてなんですが、雨の降りしきる森の中にこれが立っているのを見ると、ちょっとドキッとします。
おさるのジョージ.JPG

浅間山麓にブルーの新風 -しなの鉄道に新型車両登場-

 東京都で新型コロナ感染者の増加が顕著になったり、九州では甚大な水害が発生したりと、暗いニュースが多い中で、浅間山麓ではちょっぴり明るいニュースがありました。それは、しなの鉄道発足以来はじめての新型車両となるSR1系の営業運転が始まったことです。
 今回投入された3編成6両は、有料ライナー仕様で、平日は、「サンライズしなの」号及び「サンセットしなの」号、土休日は「軽井沢リゾート」号として運転されます。小諸以東の浅間山麓を走るのは「軽井沢リゾート」号のみです。営業初日(7月4日)は土曜日でしたので、間近に見ることができるチャンスとばかり、御代田駅付近へ出かけてみました。前夜から降っていた雨が止んだのが列車の通過直前ということもあり、ほかにはカメラを持った人はおらず、営業初日の1番列車が走行するシーンを「独占取材」することができました。
 ブルーを基調にしたこの車両、今までのしなの鉄道のイメージを一新するものであることは間違いありません。沿線の山並みと千曲川の清流をイメージしたデザインという話ですが、私の印象では水を意識させる部分が強いようで、山岳地帯を走る列車というよりはリバーサイドトレインという感じです。慣れればどうということはないのでしょうが、ちょっと違和感はありました。
 報道によれば、座席がロングシート・クロスシートの両方に転換可能になっていたり、電源コンセントやカップホルダーが付いていて、Wi-Fiサービスが利用できるなど、従来の車両とは一線を画する車内設備を有しているということです。実際に利用してみないと感想は述べられませんので、なるべく早く乗車の機会を得たいものです。 
 この新型車両は、国鉄時代以来使い続けている115系を置き換えることを目的としており、2026年度にかけて26編成52両を導入する計画でした。しかし、コロナ禍の影響で運賃収入(特に定期外収入=普通乗車券の収入)が減少し、今年度は黒字困難の見通しとなり、導入期間の延長や車両数の削減も検討されるということです。一茶の故郷を走る路線だからというわけではもちろんありませんが、「めでたさもちうぐらいなり」の新車デビューでした。

 雨上がりの浅間山麓を走るSR1系「かるいざわリゾート1号」です。軽井沢から終着の妙高高原までの所要時間は1時間51分です。(7月4日、御代田~平原間)
新型SR1系「軽井沢リゾート1号」/御代田~平原.JPG
 颯爽と小諸方面へ下っていきました。
新型SR1系「軽井沢リゾート1号」②/御代田~平原.JPG
まもなく上りの1番電車、長野発軽井沢行の「かるいざわリゾート2号」がやってきました。
新型SR1系「軽井沢リゾート2号」/御代田~平原.JPG
 25‰の急勾配を軽快に登っていきます。ここは、御代田駅の少し平原寄りの地点で、左手奥の三角屋根の建物は御代田町役場です。
新型SR1系「軽井沢リゾート2号」②/御代田~平原.JPG
 SR1系はJR東の総合車両製作所新津事業所で製造されたもので、基本的には同所で製造され、JR東の新潟地区に投入されているE129系と同形です。これは一昨年の7月1日に新津駅で撮影したJRのE129系ですが、塗色が異なるだけで、ずいぶん違ったイメージになるものです。
E129系/新津.JPG
 今後導入される車両は、今回のライナー用とは異なり、赤色の塗色となるそうです。現在のこの赤とグレーのしなの鉄道カラーは、沿線にリゾート地をかかえる路線らしい上品さが感じられ、大変気に入っていました。ぜひこの雰囲気を踏襲してもらいたいものです。
115系.JPG
 このあたりで撮影していると、どうしても頭に浮かぶのは国鉄(信越本線)時代のことです。これは189系の特急「あさま」(1985年8月21日撮影)ですが、こんな長い編成の列車が走っていたのが、今となっては夢のようです。
850821信越本線189系あさま/御代田~平原.jpg

懐かしの鷲ヶ峰 -52年ぶりの再訪-

 梅雨の晴れ間の貴重な一日をどう過ごすか。やはり気持ちの良いのは山歩きです。それでは、どこへ出かけたらよいか。ふと思いついたのは、そろそろニッコウキスゲのシーズンをむかえる霧ヶ峰です。霧ヶ峰はいくつもの峰からなる火山の総称ですが、今回はその北西端に位置する鷲ヶ峰(1798m)に登ることにしました。
 実は鷲ヶ峰は52年前に登ったことがあります。都立T高校を卒業し、そのころは「一浪=ヒトナミ」といわれた浪人生活に入った夏のことでした。クラスの大半が浪人しておりましたので、気晴らしに、いや運動不足解消のために、有志で山歩きに出かけようということになったわけです。
 下諏訪駅から和田峠を越える国鉄バスが運行されていたので、それを利用して和田峠から入山し、鷲ヶ峰に登り、八島ヶ原湿原の東側を経由して、上諏訪行の諏訪バスが発着していた強清水に至るというルートでした。今は和田峠を通るバスはなく、強清水発着のバスも土休日のみの運転ですので、当時と同じルートで山歩きをするのは大変です。この一帯の交通事情はビーナスラインという名の観光道路が建設されたことで大変貌を遂げたのですが、当時私たちが歩いたルートに近い、和田峠~八島ヶ原湿原付近~強清水間の道路が開通したのは2年後の1970(昭和45)年11月です。車が頻繁に行き交い、駐車場が大混雑をきたすような風景をみることなく、静かな山歩きを楽しめたのはラッキーだったかもしれません。
 さて今回はそのビーナスラインを利用して、「八島湿原駐車場」から鷲ヶ峰を往復し、その後、湿原を時計回りに一周するプランとしました。
 鷲ヶ峰がどんな山だったのか、何しろ52年前のことですから、鮮明に記憶しているとは言い難いのですが、ほとんど樹木のない草原状の尾根を歩いたという記憶とは一致していました。展望の良い山というのも昔のイメージ通りでした。全く記憶がなかったのが八島ヶ原湿原の鎌ヶ池です。その脇を通ったはずなのですが、湿原にはあまり興味がなかったのかもしれません。
 当時は植物にも関心が薄く、ニッコウキスゲ以外、花の名前などほとんど知らなかったといってよいでしょう。今回は、どこにどんな花が咲いているのか、珍しい高山植物はないか、それを探す楽しみが大きかったように思います。観光開発に伴う景観の変化もさることながら、自分自身の山や自然との向き合い方が、52年前とは大きく変化したことを感じた山歩きでした。


 初めて鷲ヶ峰に登ったころの霧ヶ峰付近の絵図です。『JNR(国鉄)ニュース』に掲載されていたものですが、和田峠へむかう国鉄バスが描かれています。
国鉄ニュース掲載の霧ヶ峰絵図.jpg
 ニッコウキスゲが咲き始めた現在の霧ヶ峰です。かつてはあたり一面ニッコウキスゲの原という感じでしたが、シカの食害により壊滅的な打撃を受けました。柵を設置するなどの対策を講じたことで、復活しつつあるということですが、まだその数は少ない印象です。
咲き始めたニッコウキスゲ.JPG 
 「八島湿原駐車場」に車を置いて、鷲ヶ峰への登山を開始しました。早速現れたのが、シカ除け柵のゲートです。鷲ヶ峰は前方の山を越えた先にあります。
シカ防護柵.JPG
 登山道脇や八島ヶ原湿原周辺でよくみかけたのがこのニシキウツギです。湿原入口の「八島湿原花ごよみ」という案内板でも紹介されていました。
ニシキウツギ (2).JPG
 近寄って見るとこんなに可愛い花でした。
ニシキウツギ.JPG
 尾根に出ると鷲ヶ峰の山頂部分(左端)が見えてきました。気持ちのよい山道です。
鷲が峰めざして.JPG
 振り返ると、湿原が一望できます。
八島が原湿原.JPG
 52年前に鷲ヶ峰から下った際の風景はこのようでした。眼下に広がる八島が原湿原の形は同じですが、全体に今よりも樹木が少ない印象です。
680721鷲が峰から八島湿原への下山路.jpg
 現在は八島湿原駐車場やビーナスラインの一部が視野に入ってきますが、昔はもちろんそのようなものはありません。
八島湿原駐車場.JPG
 ここを登りきれば鷲ヶ峰の頂上は間近です。
DSCF2902.JPG
 登山道の周辺ではいろいろな高山植物をみることができました。これはミヤマウツボグサです。
ウツボグサ.JPG
 こちらは、今咲き始めましたという感じのコウリンカです。
コウリンカ.JPG
 現在の鷲ヶ峰山頂です。昔はこんな立派な標識やベンチはなかったと思います。
現在の山頂.JPG
 52年前に山頂で撮影した写真です。当たり前ですが、みんな若いですね。されど、現在のハイティーンと比べると少し大人びているかも。
680721鷲が峰山頂にて.jpg
 記念写真を撮った場所はこの岩のあたりだと思われます。
山頂の岩.JPG
 山頂からの眺めは抜群で、諏訪湖も一望できます。
諏訪湖方面の眺め.JPG
 52年前も同じ眺めを楽しんだようです。
680721鷲が峰山腹から諏訪湖方面をみる.jpg
 山頂から和田峠側をみたところです。52年前はこちら側から登ってきました。
鷲ヶ峰山頂から和田峠方面をみる.JPG
 こんな写真が残っていました。背後にトンネルがみえますから、和田峠の登山道入口付近ではないでしょうか。
680721和田峠出発.jpg
 鷲ヶ峰から八島ヶ原湿原へと下るルートは今回も同様です。途中で、鎌ヶ池を見下ろすことができますが、このあたりの記憶はまったくありません。手前に写っているのはニシキウツギです。
ニシキウツギと鎌ヶ池.JPG
 八島が原湿原を一周する道は、こうした木道になっているところが多いのですが、その傍らにはコバイケイソウ(右)やレンゲツツジ、ヤマツツジなどが咲いていました。
遊歩道とコバイケイソウ.JPG
 鎌ヶ池付近の自然の造形のすばらしさには感動を覚えました。52年前もここを通っているはずなのに、記憶がないのが不思議です。
鎌ヶ池と八島ヶ原湿原.JPG
 レンゲツツジと小さな池塘のコラボも素敵です。
池塘とレンゲツツジ.JPG
 湿原のまわりにはアヤメやアカギキンポウゲ(黄色い花)が咲いていました。
アカギキンポウゲとアヤメ.JPG
 これはイブキトラノオでしょうか。
イブキトラノオ.JPG
 八島ヶ原湿原南側の遊歩道からみた鷲ヶ峰です。52年前にはここは通っていないので、この景観は新鮮でした。
八島が原湿原からみた鷲ヶ峰.JPG