忍び寄る秋

 いつもの夏ではない「特別な夏」が過ぎ去ろうとしています。遠出はできず、お祭りやイベントはほぼゼロ。テレビも新たな取材が難しいせいか、過去の映像を編集したような番組ばかりの夏でした。
 しかし、幸いなことに、ここ浅間山麓の暮らしでは、閉塞感やそれほど強いストレスを感じたりすることはなく、いつもの(普通の)生活を維持することができているといってよいでしょう。なんと言っても人間が「密」ではないので、マスクが必要なのは買い物等で店内に入る時ぐらい。近所のウォーキングや山歩きはもちろんマスクをつけなくても大丈夫ですし、野菜づくりやガーデニングには何の制約もありません。
 コロナ禍で現代社会の脆弱な部分がかなりあぶり出されたように思われます。その1つが一極集中、過密化です。人が集まれば集まるほど、感染リスクが高まるのは必定。また、緑の少ない都市部ではヒートアイランド現象が起きやすく、地球温暖化が更に進めば、不快感は増幅する一方でしょう。
 一極集中の最大の理由は「仕事の場」がそこにあったからです。しかし、テレワークが定着すれば、都市内に住む必然性はなくなります。これまで、地方移住(田舎暮らし)といえば、不便さを厭わない自給自足的な暮らしをその典型のように扱っていなかったでしょうか。それを「楽園」と思う人はいるでしょうが、それでは、ハードルが高すぎて移住に踏み切れる人は限られます。実際には、地方といっても、大都市郊外と大差のない生活ができるところの方が多いのです。浅間山麓ももちろんそうですが、スーパーやホームセンター、コンビニ、クリニックなどはどこにでもあります。インターネット環境があれば、情報収集も物品の購入も都会と変わりません。無いのは「紅灯の巷(夜の街)」だけ。それがないと一日も暮らせないという人は都会に残っていただく以外にありませんが、「娯楽を人に求めずして、自然に求めよ」(避暑地軽井沢を拓いた宣教師たちが唱え、今は町のスローガンになっている言葉)と思えるなら、地方ほど快適な場所はありません。
 「特別な夏」が特別ではなくなりそうな気配が漂っています。この先に待っているのは「特別な秋」かもしれません。これまで、「地方の時代」「地方分散」「地方分権」などといった言葉だけは叫ばれたものの実現することはありませんでした。しかし、コロナ禍がそれを実現する奇貨となる可能性大です。散歩中に、建築中の家をよく見かけますし、見知らぬ若夫婦やその子供たちに出会うことが多くなりました。それが地方分散の予兆であるかどうかはまだわかりませんが、期待はしてしまいます。もし、この絶好のチャンスを逃すようであれば、一極集中の是正、地方再生など永遠にありえないのではないか。散歩の帰り道、暮れなずむ浅間山を眺めながら、そんなことを考えてしまったポン太です。

 見た目にも秋らしい雰囲気が漂い始めた浅間山麓です。
DSCF4166.JPG
 道端ではススキが穂を出しています。
すすき.JPG
 オオバギボウシが夏の始まりを告げる花だとすれば、一月遅れで咲くこのコバギボウシは夏の終わりを告げる花です。
コバギボウシ.JPG
 現在のわが家の花壇の主はこの百日草。その名のとおり、盛夏から晩秋まで長期間にわたり花を楽しむことができ、これほどコスパのよい花はありません。
百日草.JPG
 庭のモミジの一部がはやくも紅葉し始めました。
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 だいぶ涼しくなったので、しばらく敬遠していた平尾山に登ってみました。頂上付近では、きれいなアゲハ蝶がたくさん舞っていましたが、これはキアゲハでしょうか。前回のブログに記したとおり、最近はとみに蝶が目につくようになりました。
キアゲハ.JPG
 山中に咲いていたのはキツネノカミソリ。名前が怖すぎるのですが、ヒガンバナ科のきれいな花です。昨年より群落が拡張したように思います。
キツネノカミソリ/平尾山.JPG
 散歩コースの水辺(御影用水)でも、樹木の一部が色づきはじめていました。
DSCF4167.JPG
 黄昏時の雰囲気はすっかり秋です。
黄昏の水辺.JPG
 なんとなく物悲しい、このトワイライトな風景がポン太は大好きです。
黄昏の水辺③.JPG
 こんな浅間の夕景を見ていますと、頭の中に様々な考えが浮かんできます。どうでもよいことが大半ですが、思索の時を与えてくれる自然に感謝です。
浅間山暮色.JPG
 

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