渋沢栄一ゆかりの佐久

 間もなく、NHKの大河ドラマ『青天を衝(つ)け』が始まります。その主人公は、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一です。日本史の教科書にも、太字で記載されている人物ですから、その名を知る人は多いと思います。入試対策としては、国立銀行条例の起草に尽力し、近代日本の金融界を指導した人物と覚えておけば十分かもしれませんが、渋沢の業績はそれだけではありません。生涯に、設立に関わった企業は500社を下らず、600余の教育機関、社会公共事業と関わりがあったといわれています。本当のところ、どのような考えの持ち主で、何を成した人物だったのか、知る人は少ないのではないでしょうか。ポン太もその一人ですから、大河ドラマで、この人物がどのように描かれるのか、大変楽しみです。
 渋沢栄一が生まれたのは、現在の埼玉県深谷市です。生家は藍を栽培する農家でしたが、藍の収穫が終わると、養蚕の盛んな信州へ藍玉を売りに出かけたそうです。富岡街道(現在の国道254号)で繋がる佐久地方へは頻繁に訪れていたということですが、藍玉の取引だけでなく、佐久には尊敬する木内芳軒という漢詩人が居り、教えを受けるのを楽しみにしていたようです。
 信州の風光を目にした栄一は、19歳の時に従兄の尾高惇忠(のちの富岡製糸場初代場長)と「巡信紀詩」という漢詩を合作しました。栄一の没後、そこに収められていた栄一の長詩「内山峡」に感激した地元有志により、現地内山峡の岩壁に詩碑が建立されました。漢文なので、すらすら読めるようなものではありませんが、その中に「勢衝青天」(勢いは青天を衝く)という文言があり、大河ドラマのタイトルは、そこからとられたものだそうです。内山峡には天を衝くような奇岩が林立しています。その風景を自身の志と重ね合わせたのかもしれません。
 佐久には渋沢栄一ゆかりの地がほかにもいろいろあるようなので、大河ドラマを楽しみつつ、探ってみようと思います。

 国道254沿いの内山峡の風景です。前方に進み、内山峠を越えれば上州です。
富岡街道と内山峡.JPG
 渋沢栄一の詩碑があるのは、旧内山村肬水という集落です。バス停にもなっているその地名を、「いぼみず」と正確に読める人は少ないでしょうね。
詩碑前の肬水(いぼみず)バス停.JPG
 青年時代の栄一が、その下を何度も行き来したであろうこの岩山の岩壁に、詩碑は設けられています。
渋沢詩碑のある岩山.JPG
 詩碑へ登る階段が狭くて危険なため、迂回路が設けられているのですが、いかにも急ごしらえの、手造り感あふれる標識が立っていました。
手造り感のある矢印.JPG
 これが、岩壁にはめ込まれた渋沢栄一の詩碑です。1940(昭和15)年に地元の有志により建立されました。
渋沢詩碑「内山峡」.JPG
 碑文の一部を拡大したものですが、中央に「勢衝青天」の文字を読み取ることができます。
「勢衝青天」の文字.JPG
 大河ドラマの放映を意識して、急遽設置されたと思われる漢詩の説明板です。
漢詩の説明.JPG
 このあたりには、確かに青天を衝くような岩峰がそびえています。
これぞ青天を衝く岩山.JPG
 詩碑の近くには、こんな可愛いらしい双体道祖神があり、癒されます。
可愛い双体道祖神.JPG

ここから先は、渋沢栄一の故郷、深谷の風景です。数年前に訪れた際に撮影した写真でご紹介します。
 まずは深谷駅前に立つ渋沢栄一の像から。新1万円札の肖像画のような洋装ではなく、着物姿です。
渋沢栄一像.JPG
 深谷駅の建物は、まるで東京駅のミニ版のようです。栄一がふるさとに創立した日本煉瓦製造株式会社で製造された煉瓦が、東京駅丸の内駅舎に用いられたことから、このようなデザインになっているのです。
深谷駅舎①.JPG
 煉瓦工場と深谷駅の間には専用鉄道が設けられましたが、廃線跡に残るこの備前渠鉄橋は、「ホフマン輪窯(わがま)6号窯」、「旧事務所」、「旧変電室」とともに、国の重要文化財に指定されています。
備前渠鉄橋(ポーナル).JPG
 これが、日本煉瓦製造の旧事務所(現在は資料館)です。深谷には渋沢栄一の生家が現存していますし、日本煉瓦関連の遺産にも見るべきものが多く、「青天を衝け」の放映を機に、訪れる人が増えるのではないでしょうか。
日本煉瓦旧事務所.JPG