守られた布引電気鉄道の橋台

 久しぶりに小諸市の布引観音まで行ってみました。小諸市の市街地から布引観音へ通じる道路(県道40号線)は、一昨年秋の台風19号により千曲川の護岸が崩れ、不通となりました。昨年5月29日に通行止めは解除されたそうですが、コロナ禍の中、なかなか様子を見に行く気になれませんでした。しかし、このところ、長野県内では新規感染者数がゼロか一桁の下の方というレベルまで好転しており、それが背中を押してくれたのです。
 小諸駅から布引観音を経て島川原駅まで、かつて布引電気鉄道という名の電車が走っていました。のたれ死に同然に営業を休止(事実上の廃止)したのが、1934(昭和9)年ですから、すでに86年余の長い年月が経過しています。若き日のポン太が、営業期間わずか8年というこの薄命の鉄道に興味をもち、調べてみようと思ったきっかけは、旧布引駅周辺に残る同電鉄の遺構群を目にしたことでした。千曲川を跨いでいた橋梁の橋台と橋脚はその代表例といえましょう。残念なことに、一昨年の台風19号により、布引側の橋台の背後(道路に接していた部分)がかなりえぐられてしまいました。道路の復旧工事の際に邪魔者扱いされて取り壊される可能性が大きいのではと危惧しておりましたが、橋台の遺構を残す形で道路は復旧しており、それを見た時には、何というすばらしい配慮なのだろうかと感激してしまいました。
 推測ですが、その背景には、小諸市が制定した「ふるさと遺産」認定制度があるように思います。後世に伝え残していきたいものとして、「旧布引鉄道布引橋脚」も認定されています。橋脚(現存しているのは1本)だけを残せばよいというわけではなく、両端の橋台も同様と解釈するのが自然でしょうから、市のふるさと遺産に認定されているものを、壊してしまうわけにはいかなかったのでしょう。
 布引まで出かけたついでに、近くの日帰り温泉施設「あぐりの湯」に寄ってみました。といっても入浴したわけではありません。高齢者の範疇に入っている身としては、まだそこまでの勇気はなく、併設されている農産物直売所での買い物に留めました。温泉施設の入口には、「緊急事態宣言が発令された地域からお越しの方の入館はご遠慮ください」とあり、入口では検温もおこなわれるなど、感染防止に相当気をつかっていることがわかります。県内で感染が拡大した際に、「首都圏との往来歴あり」「帰省者から家族に感染」といった情報をしばしば耳にしました。緊急事態宣言が解除され、人々が広域に動くようになれば、全国で感染の再拡大を招く恐れは十分にあります。島根県知事が、聖火リレーの中止という形で懸念を表明したのはよくわかりますし、これこそ率直な地方の声です。「コロナに打ち勝った証として五輪開催」などというS総理の言葉の方が、私には空しいものに聞こえます。

 台風19号による被災直後の県道40号線です。橋台遺構の背後が激しくえぐられ、道路の一部が破壊されている様子がわかります。
191103台風19号による被災直後の橋台.JPG
 このようにみごとに復旧していました。橋台の足元もしっかりコンクリートで補強されています。
復旧した道路と橋台.JPG
 橋台の後ろ側はこのようでした。欠けている部分もありますが、ここまで残せればたいしたものです。
橋台の裏側.JPG
 河底がえぐられたことで、だいぶ昔に倒れた橋脚(最も布引寄りの1本)が姿を現していました。
姿を現した4本目の橋脚.JPG
 布引側からみた橋脚の現状です。4本あった橋脚のうち、小諸寄りの1本だけが現存しており、その手前には失われた橋脚の基部だけが残っています。
現存する唯一の橋脚.JPG
 ポン太が、この鉄道に興味を抱いて調べ始めたころには、4本中3本の橋脚が残っていました。(1978年10月24日撮影)
781024布引電気鉄道跡千曲川橋梁.jpg
 小諸駅ホームに停車中の布引電気鉄道の電車です。こんな電車が、千曲川を渡っていた姿を想像するだけで楽しくなります。(1929年ごろの写真です)
781024布引電気鉄道小諸駅(昭和4年) (2).jpg
 布引電気鉄道が記載された鉄道線路図(1938年発行)です。この地図の発行時には、すでに営業を休止していました。
布引電気鉄道入線路図(昭和13年発行).jpg
 浅間山を望む高台にある温泉施設「あぐりの湯」です。コロナ禍になる前は、月に2~3度は、入浴に訪れていたのですが・・・。
あぐりの湯.JPG
 品揃えのよい農産物直売所は、それなりに賑わっていました。
DSCF7932.JPG
 温泉施設入口の注意書きです。
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