魚沼線西小千谷駅~忘れ難き終着駅(15)

第15回 魚沼線西小千谷駅(新潟県)
 雪の季節になると思い出すのは越後の鉄路です。雪と鉄道は相性がよい、などといえば、除雪に苦労されている方々に叱られてしまうでしょうが、情緒という観点からは、やはり雪の中を走る鉄道ほど魅力的なものはありません。
 今回とりあげた魚沼線とは、どんな鉄道なのか。一言でいえば、日陰者です。地元に縁のある方か、よほどの鉄道好きでなければ、そんな路線が存在したことすら知らないのではないでしょうか。
 しかし、最初から日陰者であったわけではありません。終着駅西小千谷駅があった小千谷市は、信濃川左岸の河岸段丘上に位置し、「小千谷ちぢみ」で全国的にもその名を知られている町です。信濃川の水運に恵まれていたこともあり、古くから商工業が盛んで、1889(明治22)年には、はやくも町制を施行しています。魚沼三郡の中心ともいえる小千谷と信越本線の来迎寺との間に鉄道を敷設し、水運に代わる輸送手段とする目的で、魚沼鉄道が設立され、1911(明治44)年9月14日、新来迎寺-小千谷間 13.1km 、軌間762mmの軽便鉄道が開業しました。この鉄道が魚沼線のルーツというわけです。当初は日陰者どころか、小千谷に至るメインルートとして、客貨の輸送は好調で、なんと1918(大正7)年には、「全国私鉄中第2位の高利潤」(『日本国有鉄道百年史』第6巻)をあげるほどでした。
 ところが、1920(大正9)年に国鉄上越北線(宮内~東小千谷)が開通し、信濃川の対岸に東小千谷駅(現、小千谷駅)が開設されると、そちらが小千谷の表玄関となりました。魚沼鉄道はその代償措置のような形で1922年に国有化され、魚沼軽便線の名称を経て、国鉄魚沼線となったのです。終着駅の駅名も1932年に西小千谷となり、戦時中の1949年には営業休止となりましたが、1954(昭和29)年に全線を1067mmに改軌した上で営業を再開。一定の役割は果たしたものの、赤字ローカル線として第一次特定地方交通線に指定され、1984(昭和59)年3月31日限りで廃止となりました。
 私が魚沼線を訪ねたのは、1973(昭和48)年11月26日です。当時の魚沼線のダイヤは、土曜日を除いて朝夕のみ。来迎寺発西小千谷行は、5時52分、7時25分、17時37分、18時57分の4本だけでしたので、通学時間帯の7時25分発(125D)を利用することにしました。乗車時間僅か25分で西小千谷に到着。それなりの人数の高校生たちが下車すると、5分後には126Dとなって折り返して行きました。もうその後は夕方まで列車はありません。当時はそんな終着駅でも駅員が配置されていて、入場券を買うことができました。
 まだ本格的な雪のシーズンではなかったものの、うっすらと雪化粧した小千谷の町は風情があり、しばらく中心市街地を散策しました。印象に残ったのは、雪国の町らしい雁木(雪よけのアーケード)と、明治座という名の立派な映画館でした。夕方まで列車を待つわけにはいかないので、帰路は、信濃川を渡り、上越線の小千谷駅を利用しましたが、こちらの方が圧倒的に本数が多く、市の中心部に位置しながら日中は列車の来ない西小千谷駅が、哀れに思えてなりませんでした。

 魚沼線が記載された鉄道路線図(昭和39年、国鉄旅客事務用)です。今は何の変哲もない中間駅の来迎寺ですが、かつては鉄道のジャンクションであったことがわかります。
魚沼線 /昭和39年の「国鉄旅客事務用鉄道路線図」より.jpg
 西小千谷駅の入場券です。
西小千谷駅入場券.jpg
 西小千谷駅のホームで出発を待つ7時55分発の列車(126D)です。この列車が出てしまうと、夕方まで列車はありません。(1973年11月26日撮影、以下同様)
731126小千谷線125D /西小千谷駅.jpg
 西小千谷駅の駅舎です。歩いているのは、私と同じ列車で着いた高校生たちです。
731126小千谷線西小千谷駅009.jpg
 雁木のある小千谷の市街地です。
731126小千谷市内の雁木のある通り.jpg 
 歩いているうちに、大正ロマンを感じさせるこんな立派な映画館を見つけました。魚沼線廃止翌年の1985年に閉館したそうで、建物も現存はしていないようです。
731126小千谷市内の映画館.jpg

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