テーマ:鉄道

北恵那鉄道下付知駅~忘れ難き終着駅(4)

第4回 北恵那鉄道下付知駅(岐阜県)  日本の鉄道に全部乗りたい、そんなことを考えはじめたころ、最初に目標としたのは国鉄線全線乗車でした。ベストセラーとなった『時刻表2万キロ』の著者である宮脇俊三氏も同じことを考えたようですが、その後の著作の中で、これは失敗であったという主旨のことを述べています。 ポン太も同感で、私鉄を優先す…
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勝田線筑前勝田駅~忘れ難き終着駅(3)

 第3回 勝田線筑前勝田駅(福岡県)  子供のころ(60年も前の話ですが)、小学校の社会科の教科書に必ず載っていたのが、石炭産地の分布図でした。当時、石炭はまだエネルギーの主役の地位にあり、教室のストーブにも石炭が用いられていましたから、その産地に関する知識は、小学生にとっても必須のものだったわけです。九州の北部に産出量の多さを示…
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日中線熱塩駅~忘れ難き終着駅(2)

第2回 日中線熱塩駅(福島県)  ラーメンと「蔵の町」で知られる福島県喜多方市。現在の喜多方駅は、磐越西線の途中駅に過ぎませんが、かつてはそこから分岐して北方の熱塩に至る11.6kmの盲腸線がありました。それが日中線です。  初めてこの線に乗車したのは、1971(昭和46)年正月の家族旅行の折です。終点の熱塩駅から徒歩数分のところに…
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白糠線北進駅~忘れ難き終着駅(1)

 浅間山麓の冬の夜、星空はプラネタリウムのようにきれいですが、底冷えのする寒さの中、出歩ける場所はほとんどありません。長く寒い夜をネガティブにとらえれば、「こんなところに住んでいられるか」となりますが、ポジティブにとらえれば、「暖房の効いた部屋の中で、落ち着いて読書や資料整理に取り組めるチャンス」ともいえます。  この冬こそなんとかせ…
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記憶を残す再開発~渋谷の新風景

 かつてはあたりまえのように眺めていた東京の風景が、久しぶりに出かけてみると、すっかり変わってしまっていて、浦島太郎のような心境になることがあります。その代表例ともいえるのが渋谷です。現在再開発の真っ最中で、馴染みのある風景が次々と失われ、全く別の町になりつつあると言ってよいでしょう。  先日、といってもひと月ほど前になりますが、東京…
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冬こそ碓氷峠へ~姿を現した第13橋梁ほか

 冬こそ訪ねたい鉄道遺産。今回は碓氷峠です。  アプト式鉄道時代の構造物の多くが、「旧碓氷峠鉄道施設」として国の重要文化財に指定され、廃線跡は「アプトの道」という名の遊歩道になっていることをご存知の方は多いと思います。しかし、遊歩道化されているのは、旧熊ノ平より東側(横川側)だけです。それより西側(軽井沢側)はどうなっているのかとえい…
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高原に眠る草軽電鉄の遺産~柳川橋梁

 日中でも気温が氷点下、もしくはせいぜい2~3度という、浅間山麓らしい正しい冬が到来しました。浅間山も中腹以上が雪化粧し、見た目も本格的な冬という感じです。  こんな時期にこそ出かけたい場所があります。それは、鉄道の廃線跡。草木が生い茂っている季節には見えなかったものが、葉がすっかり落ちた今なら見えるというメリットがありますし、そこが…
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横浜線開通110周年に因んで

 日本で最初の鉄道が新橋~横浜間に開通したのは、今から146年前の1872(明治5)年でした。それから30~40年で、全国の幹線鉄道網が概ねできあがりましたから、すでに開通から100年以上経過した路線が少なくありません。このような歴史の長さこそ、鉄道の魅力の1つではないかとポン太は考えます。鉄道の歴史は、近現代の社会のあゆみとリンクして…
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台鉄自強号塗色の電車、浅間山麓を快走

 しなの鉄道に、先月15日から、今まで見たことのない塗色の電車が走っています。初めて目にした人は、何だろうあの車両はと驚くのではないでしょうか。電車そのものはしなの鉄道が所有する115系電車ですが、1編成(3両)の塗色を台湾鉄路局(台鉄)の自強号(EMU100形交流電車、すでに定期営業運転は終了)をイメージしたものに変えて運行しているも…
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平原駅物語 ~浅間山麓の駅物語<その5>

 平原駅と聞いてピンとくる人は少ないのではないでしょうか。しなの鉄道で軽井沢から4つ目、御代田と小諸の間にある駅ですが、この駅で乗降する人の姿を見ることは稀です。何しろ駅前にある人家は1軒のみで、ホームから見えるのは田と畑ばかり。最近はやりの「秘境駅」といっても過言ではないかもしれません。  1日の乗降客数もしなの鉄道線内最少の181…
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信越線開業130周年記念列車、浅間山麓を走る

 直江津からのびてきた信越線(当初の名称は直江津線)が、軽井沢まで開業して今年で130年になります。正確な開業日は、関山~長野間が1888年5月1日、長野~上田間が同年8月15日、上田~軽井沢間が同年12月1日です。ポン太も、これに因んで、浅間山麓の駅物語と称するブログを何度かアップしました。  この区間の大部分を継承したしなの鉄道で…
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記録は活力の素

 記録にこだわったり、記録達成をめざしてがんばろうする行為、これはまさに人間である証ではないでしょうか。スピード記録を狙っているサルなどいませんし、何かのコレクションに夢中になっているサルも、もちろんいません。  世界一の記録を集めたギネスブックを面白がり、その記録に挑戦しようなどと考えるのは人間だけです。世界一かどうかは別にして、自…
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五島慶太の故郷

 大手私鉄の雄、東京急行電鉄(東急)を築きあげた人物して、五島慶太の名を知る人は多いと思います。多くの鉄道会社を合併統合した辣腕ぶりから、「強盗慶太」と呼ばれたこともありましたが、電鉄経営者の中で、ひときわ異彩を放つ人物であることは間違いないでしょう。その五島慶太が、信州の出身であることはあまり知られていないように思います。  五島(…
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中軽井沢駅物語 ~浅間山麓の駅物語<その4>

 おそらく、現在の避暑客や行楽客の多くは、中軽井沢駅の旧称が沓掛であることをご存知ないと思います。その沓掛駅が開業したのは1910(明治43)年7月15日。信越本線(当初は直江津線)上田~軽井沢間が開通してから22年後のことでした。沓掛の名は、中山道で日本橋から19番目の宿場であった沓掛宿に由来します。浅間三宿のひとつとして栄え、皇女和…
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野辺山SLランドの終焉

 野辺山高原の国道141号沿いに、「SLランド」と称するテーマパークがあります。その看板は国道からもよく見えますし、小さな蒸気機関車が動いている姿を目にした方も多いと思います。1986年の開園以来、32年の長きにわたり来場者を楽しませてきた同園が、なんと今月末で閉園することになりました。ポン太は、以前に1度訪ねたことはありますが、だいぶ…
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高原の駅よさようなら

 以前のブログで、信濃追分駅が映画「高原の駅よさようなら」のロケ地であったことや、常磐線の浪江駅前にその主題歌の碑(高原の駅よさようなら誕生の駅碑)があることを取りあげました。その映画自体はこれまで見たことがなかったのですが、昨夜、軽井沢の追分公民館で上映会があることを知り、この機会を逃してはならじと出かけてきました。  「高原の駅よ…
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「ショー祭」に行ってみた

 日本を代表する避暑地として、全国にその名を知られる軽井沢。この地が避暑地として優れていることを「発見」したのは、カナダの宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーでした。1885(明治18)年に、初めて軽井沢を訪れたショーは、風光のすばらしさと冷涼な気候に注目し、翌1886年、家族を伴ってひと夏を過ごしました。ショーは自ら別荘を建てただけ…
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佐渡紀行 その1-金山の遺産-

 信州には山は山ほどありますが、海はありません。信州人が海に出かける場合、第一の選択肢となるのは越後の海、すなわち日本海です。テレビの報道によれば、直江津の水族館を訪れる客の4割は信州からということですから、先方にとっては大のお得意様ということになります。その先の佐渡まで、足をのばしている人の数は定かではありませんが、冬季を除き、直江津…
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常磐線のフクシマ

 先日のブログで、三陸鉄道北リアス線を取りあげましたが、東北地方でもう1つ気になっていた路線があります。それは常磐線です。福島県の太平洋岸(浜通り)を縦貫する幹線ですが、いまだに全線復旧とはなっていません。北側の浪江~岩沼間と南側のいわき~富岡間はすでに運転が再開されていますが、残る富岡~浪江間20.3kmは、福島第一原発から近く、その…
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三陸鉄道は元気だった

 久しぶりに東北へ出かけてきました。東日本大震災以来、少々気になっていたところがあったからです。その1つが三陸鉄道です。実は、1984(昭和59)年4月1日の開業(全通)当日、北リアス線、南リアス線ともに全線乗車をしております。それ以前に、国鉄線として部分開通した際にも乗車しており、誕生前から大人になるまで、その成長を見続けてきた路線と…
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小諸で味わう鉄道ノスタルジア

 鉄道が好きな人は誰でもそうではないかと思いますが、鉄道に関わりのあるグッズを見ただけで嬉しくなったり、気分が高揚したりするものです。鉄道会社のフェスタなどで、用済みとなった鉄道用品、車両部品などを販売することがよくありますが、どこも大変な人気です。使い道のないようなもの(普通の感覚ではゴミ)を手に入れてどうするのだと思われるかもしれま…
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小諸駅物語~浅間山麓の駅物語<その3>

 小諸駅が開業したのは明治21(1888)年12月10日。信越本線(開通時は直江津線)軽井沢~上田間の開通と同時です。小諸は江戸時代から浅間山麓随一の商都でしたから、駅が設けられたのは当然のことだったでしょう。  小諸といえば、文豪島崎藤村が、小諸義塾の教師として若き日を過ごし、「千曲川のスケッチ」をはじめ数々の作品を残したことはよく…
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足尾には学びがいっぱい

 先週末の3日間、研究団体の見学会に参加し、栃木県の旧足尾町(現在は日光市足尾町)をめぐってきました。足尾には、かつて日本一、東洋一と呼ばれた銅山が存在しました。銅山の発見は1550年と古いのですが、飛躍的に発展したのは、1877(明治10)年に古河市兵衛が銅山を買収し経営に関わってからです。鉱山町として発展した足尾町の最盛期の人口は3…
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すべてはマネから始まる

 先週末、東京に滞在していたポン太は、2つのイベントに出かけてきました。1つは、国立博物館で開催中の「名作誕生」展、もう1つは、京急のファミリー鉄道フェスタです。 前者はポン子のお供で出かけたのですが、美術門外漢のポン太が見ても興味をそそられる内容でした。教科書に載っているような「名作」と呼ばれる作品が、何を手本にして出来上がったものな…
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板門店が無用になる日

 本日(4月27日)、歴史の大転換点になるかもしれない(そうなって欲しい)南北首脳会談が行われ、テレビの画面に釘付けになりました。  ポン太は今回の会談場となった板門店に行ったことがあります。今から40年も前のことですが、テレビの画面を見ていて思ったのは、あれから今日まで、現地の様子がほとんど変わっていないということです。休戦会談場も…
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信濃追分駅物語~浅間山麓の駅物語<その2>

 浅間山麓の駅の中で、今回は信濃追分駅をとりあげてみたいと思います。中山道と北国街道の分岐点として栄えた追分宿ですが、明治21(1888)年に鉄道(当初の名称は直江津線、のちの信越本線)が開通した際に、駅が設けられることはありませんでした。  寒村と化したこの地を救ったのは、避暑客の存在です。軽井沢の隣接地でありながら、湿気が少なくカ…
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オリンピックの陰で

  メダルラッシュに沸くピョンチャンオリンピック。選手たちの活躍はもちろん歓迎すべきことであり、それに水を差すわけではありませんが、オリンピックのような大きなイベントには、必ず陰の部分があるものです。新しいものをつくらなければならない、何もかも立派に整備しなければならないというベクトルが強く働き、それに便乗したものも含め、スクラップ&ビ…
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御代田駅物語

 今年は、しなの鉄道の路線(かつての信越本線←直江津線)が全通して、130周年をむかえます。そこで、浅間山麓の鉄道の歴史について熱く語りたいと思うポン太ですが、その第一弾として、御代田駅をとりあげることにします。  まず注目すべきはその古さです。御代田駅は、明治21(1888)年12月1日、直江津線(のちの信越本線)上田~軽井沢間開通…
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D51787物語

 しなの鉄道で軽井沢から3駅目の御代田駅。その旧駅(スイッチバック時代の駅)跡に保存されている機関車がD51787です。この機関車は、今にも走り出すのではないかと思えるほどきれいに整備されていて、初めて見た人は驚くのではないでしょうか。  D51形は、製造両数最多を誇る日本を代表する蒸気機関車で、「デコイチ(またはデゴイチ)」の愛称で…
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大変貌していた橋本駅とその周辺

 政令指定都市といえば大都市の代名詞のような印象ですが、いまや全国に20都市もあり、いささかインフレぎみ。神奈川県などは、同一県内に三都市も存在しています。横浜、川崎は誰でもわかりますが、もう一つはどこかといえば、それは相模原市です。人口こそ岡山や熊本に匹敵する70万都市ではあるのですが、中心市街地がどこにあるのかよくわからない都市の筆…
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