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浅間山麓のブラタヌキ
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浅間山麓に移り住んだタヌキのポン太のブログです。どんなタヌキかって?それはプロフィールをご覧下さい。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その17

2017/10/19 11:38
<19日目、10月7日> いよいよ木曽路へ、奈良井宿へ画像
 いよいよ中山道歩きのハイライトである木曽路へ。今日は、日出塩駅前をスタートし、木曽路の宿場の代名詞ともいえる奈良井宿をめざすという行程ですから、朝からもうわくわく気分でした。
 日出塩の集落をぬけたところで国道19号に合流。まもなく、初期中山道との合流点があり説明板が立っていました。大久保長安によって整備された初期中山道はここから小野を経て岡谷に至っていた由。長安の没後、現行ルートに変更されたということです。
 しばらくは、自動車道路わきの歩道歩きですが、眼下に奈良井川の清流を眺めることができ、まったく苦になりません。まもなく右手に「これより南、木曽路」の碑があらわれました。ついに木曽路に足を踏み入れたわけです。旧道はそのあたりから左手の山を高巻きします。頼りないような細道ですが、樹間から奈良井川の清流が見え、なんともいえないよい雰囲気。再び19号に合流したところが櫻澤という場所で、茶屋本陣があり、明治天皇巡幸がらみの石碑が立っていました。
 国道19号を歩いたかと思うと旧道に入り、また19号にもどるといったややこしいルートを進みました。贄川駅の手前まで、旧道は国道19号より高い位置にあり、国道と中央西線を見下ろせます。面白い風景ですが、もちろん江戸時代にはなかったもの。
 旧道を下り、国道19号に出たところに中央線の贄川(にえかわ)駅があり、待合室を借りて早めの昼食をとりました。贄川駅舎は明治42年の中央本線開業以来のもので風情があります。駅の少し南側に関所橋という橋があり、名前の通りそれを渡った先に贄川の関所跡がありました。中央線開業時につくられた橋を一新し平成元年に完成したと説明板には書いてありましたが、新しくなったのは上部のみで、下部は煉瓦アーチ橋の形態をとどめています。
 贄川の関所の建物は復元されたものです。贄川宿は、木曽11宿最初の宿ですが、昭和初期に大火にあったということで、重要文化財の深沢家住宅以外には、古い建物はあまり残っていません。贄川宿の南側の桝形らしき狭い路地のようなところをたどると、歩行者専用の跨線橋がありました。そこで線路を渡って19号線へもどり、しばらく歩いた先の諏訪坂という切通のところから左手の旧道へ入るはずでした。ところが19号はちょうど道路工事中でずっと先まで横断できそうもありません。そこで、そこにいた警備員に旧道への行き方を尋ねたところ、「トラックに引っかけられと他の車の迷惑になるから国道を歩かないでくれ」と言われて、唖然。人間よりクルマを心配する警備員がいるとは…。
 なんとか横断できそうなところを見つけて旧道に入りました。少し歩いた先には栗の木があり、大きな栗がたくさん落ちていて思わぬ大収穫。その先ものどかな道で、先ほどの不愉快な気分が癒されました。一旦19号と合流した後、長瀬というところから、左手の旧道に入りました。龍門堂という大きな漆器店(工場)があり、その裏を行くことになります。このあたり、19号と旧道がもつれ合うような感じで、旧道への入口を見落とさないようにかなりの気をつかいました。

「これより南木曽路」の碑。いよいよ木曽路に入りました。
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国道より高いところを行く旧道。樹間から奈良井川の清流が見えました。
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国道19号(左)ともつれ合うように存在する旧道(右)
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国道と中央線を見下ろすこんな細道が旧中山道でした。

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贄川駅舎は開業以来の古い駅舎で趣きがあります。
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贄川の関所前からみた中央線の線路
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 木曽平沢の集落へと続く旧道は風情があり、漆器店がずらりと並ぶ美しい街並みには感動しました。集落をぬけたところで、第三中仙道踏切を渡り、またまた19号へ。道路からみえる楢川中学校の立派なこと。木曽らしい二階建ての木造校舎でデザインもすばらしいものでした。
 奈良井宿の案内板のあるところを右折して奈良井川を渡ります。中央線の踏切を渡り少し進むと奈良井駅が見えてきました。その背後には、今日の終着点奈良井宿の家並みもみえています。奈良井千軒といわれていたように、とても大きな宿場で、ほぼ1キロにわたって家並みが続きます。電線が地中化されているため、上空がすっきりしていて、まさに江戸時代にタイムスリップした感じがします。どこをみてもすばらしいので、写真を撮りまくってしまいました。
 今日の宿は伊勢屋という古い旅館。かつては牛馬宿を兼ねた問屋であったということです。奈良井宿の中心部といってもよいところにあり、すぐ近くに本陣跡がありました。案内された部屋は中山道に面しており、窓から格子越しに見下ろす街道の風景は時代劇のセットのようです。風呂は温泉ではないものの、木の香漂う浴槽は気持ちよく、地元の山の幸を中心とした夕食もまたすばらしいものでした。宿場そのものに泊まるのはこれが初めてでしたが、やはり泊まるだけの価値があると、つくづく思ったポン太でした。

漆器の町、平沢の美しい街並み
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楢川中学校の木造校舎。さすがは木曽と思わせる立派なものです。
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どこをみても絵になる奈良井宿の街並み。
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今宵の宿、伊勢屋。よい雰囲気です。
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格子越しに見下ろした街並みは時代劇のセットのようでした。
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紅葉の森をぬけて幽玄な山頂へ

2017/10/17 13:21
 信州の紅葉は長く楽しめるのが特徴です。紅葉は、桜とは逆に山の上から麓にむかって下りて来ますが、その速度は1日50mといわれます。信州には3000m級の山々もあれば、500m前後の里もあり、その標高差はおよそ2500m。単純計算ですが、50日間は県内のどこかが紅葉の見頃になっているというわけです。
 テレビのローカルニュースでは、毎日、紅葉情報が報じられていますので、どこが見頃なのか把握することができます。また県の観光サイト「さわやか信州旅net」にも、「信州紅葉だより」というコーナーがあり、見頃情報が随時アップされています。
 そんな情報に接すれば、出かけたくなるのがあたりまえ。とういわけで、先週は、「見頃」と報じられた志賀高原に出かけてみました。山歩きの好きなポン太ですから、ただの紅葉見物ではちょっと物足りません。やはり1つは山に登ってみたいもの。ところが、志賀高原は開発されすぎていて、登山の対象となる山が少ないのです。そんな中で、今回選んだのは焼額山(やけびたいやま、2009m)。
 ここまでやるかというほど全山スキー場と化しており、山肌が痛々しいほどに露出し、スキーバブルのころの人間の傲慢さを見せつけられているような気さえする山です。スキーシーズンなら、ゴンドラで労せずして山頂に立つことできる山に、なんでわざわざ汗水垂らして登る必要があるのか。こんな山、絶対登ってやるものか、と思っていたのですが、あるブログに「秋晴れの日に訪れていただきたい静かな名勝です」という書き込みがあるのを見て、気が変わりました。
 登山ルートにはゲレンデの中を通る箇所もあるのですが、それ以外の森の中の道は、まさに紅葉のトンネル。どんなに傷つけられようとも、この山の自然力はすばらしいものなのです。頂上にある稚児池とそのまわりの湿原も、幽玄な感じがして登った甲斐がありました。紅葉シーズンにもかかわらず、ほかの登山者には一人も出会いませんでした。静かに、心ゆくまで紅葉を楽しむことができる山。お見それしました焼額山。

 志賀高原で定番の丸池。紅葉はちょうど見頃でした。
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 焼額山の登山道。いつまでも歩いていたいような気分になります。
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 白樺とモミジのコラボも素敵です。
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 焼額山の中腹から望む岩菅山
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 焼額山山頂の稚児池。山上にこんなに広い池があるのは意外な感じがします。
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 山田牧場(高山村)に下る道路から見上げた志賀高原のシンボル笠ヶ岳。
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山歩きの後はやはりこれ。七味温泉の少し白濁したエメラルド色の湯はポン太のお気に入りです。湯舟からみる紅葉も見事。
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 紅葉名所の松川渓谷は、色づきはじめたところで、見頃はもう少し先といった感じでした。
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乾燥いもづくりにチャレンジ

2017/10/14 10:26
 都会暮らしをしていたころは、美味しいものは、それを売っているお店を見つけて買ってくるのが基本でした。しかし、山暮らしになってからは、美味しいものや食べたいものは、自分でつくることが多くなったように思います。都会のようにお店の数が多いわけではなく、選択の余地が少ないというのもさることながら、美味しいものができそう、と思わせるような原材料が豊富にあり、かつ安価に(場合によってはタダで)手に入れることができるからです。ご近所の方からレシピを教わることもあり、モチベーションが自然に高まってしまうというわけです。
 秋が深まると食べたくなるのが乾燥いも。子供のころ、おやつによく食べていましたし、叔母の知り合いに茨城の乾燥いもづくりの名人がいて、極上の品を送ってもらっていたこともあり、ポン太にとっては思い出深い食べ物です。しかし、市販されているものは高価である上、ねっとり感に欠けるものが多く、買ってまで食べる気がしませんでした。
 1週間ほど前、丸々と太った「紅はるか」という種類のサツマイモが、スーパーの店頭に山積みになっているのを目にしました。地域の寄り合いで、「乾燥いもは自分でつくった方が美味しいわよ」といわれた言葉を思い出し、これはチャンスとばかり、乾燥いもづくりにチャレンジすることにしました。
 蒸かしてスライスし、乾燥用のカゴに入れて干すだけ。思ったより簡単です。3日目に食べてみると、ねっとり感があり、甘みもたっぷりで美味。3分の1ほどを冷凍保存することにしました。表面が乾いて粉が吹いたような状態になるにはもう少し時間が必要ではないかと考え、残りは干し続けました。6日目、だいぶ乾燥がすすみ、いい感じになってきました。森の木々も色づいてきて、干している様子は「絵になる」感じ。しめしめと思い、夕方、中を覗いてみると、なんとイモの表面に青い斑点が…。青カビです。ありゃぁ〜、トホホの全滅でした。異常気象で気温が上がりすぎたせいなのか、単なるタイミングの問題なのか、理由はよくわかりません。
 手づくりに失敗はつきもの。気を取り直し、次回を期するポン太でした。

丸々と太った「紅はるか」。おいしい乾燥いもができそう。
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スライスし、干し始めました。
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一日干して中を覗くと、なかなかいい感じ。
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3日目、少し食べてみたところ、ねっとりして甘味も凝縮されている感じです。
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6日目。紅葉が少し進み、雰囲気が良くなった森に干したのですが、トホホの結果でした。
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山岳写真展と天空の芸術祭

2017/10/10 11:48
 「芸術の秋」というわけで、連休最終日に、2つのアートイベントに出かけてきました。
 1つは地元の山岳写真家、丸山純一氏の写真展「天地−自然の光響詩」(今月14日まで開催)です。会場は小諸市の高原美術館。この美術館はおどろくほどロケ−ションの良いところにあり、遠目には教会のように見えます。「白鳥映雪館」と併記されているように、常設展示は白鳥映雪や伊東深水といった日本画がメインです。収蔵作品自体はすばらしいのですが、この美術館の佇まいとは合わないような感じがしていました。今回の企画展はまさにこの美術館にぴったり。ポン太も登ったことのある山々を、こんなにも美しく詩情豊かに表現することができるのかと、作者のセンスと技量、そして悪天候や極寒すら味方にする努力に脱帽しました。
 もう1つは、東御市の御牧ヶ原地域を舞台にした「天空の芸術祭」です。同市と東京芸大が連携した現代アートの一大イベントで、10月29日まで、およそ1ヶ月にわたり行われています。御牧ヶ原というのは広大な台地ですから、その野原や森に潜んでいる作品を探すだけでも大変。やっと見つけて眺めてみても、今度はそれが何を意味しているのか、何が言いたいのか、しばらく考えてもよくわからない。???という感じですから、正直疲れます。しかし、ただ見て美しいというのではなく、そうやって作品と格闘させるのが、現代アートなのかもしれません。ポン太のボケた頭には、ちょうどよい刺激となった一日でした。

 ロケーションがすばらしい小諸高原美術館
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 エントランスの階段には雑草がいっぱい。そこまで手が回らないのかもしれませんが、建物がすばらしいだけにちょっと残念です。
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 美術館からの展望も抜群。浅間山を背景とした棚田の風景も素敵です。
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 東御市の「天空の芸術祭」へ。まず見つけたのが、御牧ヶ原の「芸術むら公園」の一角にあったこの作品。なんだかバラックのようですが、中は迷路になっていて、作品名は「Spirit Gate」(作家名:豊福亮)です。中に入るとちょっと不気味な雰囲気。
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 その近くで見つけたのが、作品名「雨の音を聞く家」(作家名:保科豊巳)。ただの東屋のように見えますが、下に傘が置いてあり、「雨音の聞ける時間帯は下記のとおりです」という表示が。これはひょっとして・・・。
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 一番アート作品らしい感じがしたのがこれ。作品名「大地の翼」(作家名:李偉)。現地の子供たちとつくりあげたパブリックアートということです。青空にあがる凧を仏塔に見立てているようです。
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 浄水場の広場で見つけたのが、作品名「ダンパリウム」(作家名:岩井優)。インパクトのある球形の作品ですが、近づいてみると、不法投棄されたようなモノがいっぱい。「ある場所や状況からフレームアウトしたものを、新たにフレームインさせることで、<自然>との対峙のありかたを探ります」と記されていました。う〜ん、なるほど、現代アートだなぁ。
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 作品を探して移動中に、見事に紅葉している森を見つけました。凡人いや凡タヌキのポン太には、こちらの方が芸術作品に見えたりして・・・。
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いよいよ始まった紅葉ショー まずは白駒池から

2017/10/06 11:04
 山国の秋の楽しみといえば紅葉。ポン太の生活圏である東信エリアで、最もはやく紅葉が見頃をむかえるのが、北八ヶ岳の白駒池です。この紅葉を見ると、いよいよ本格的な秋がやってきたという気分になれるので、どうしても都合がつかなかった年を除き、ほぼ毎年訪れています。
 今年は例年より紅葉の進み具合が少し遅かったのですが、10月初めには見頃となりました。池畔を真っ赤に染める紅葉の主はドウダンツツジです。白駒池は海抜2115mという高地にあり、寒暖の差が大きいため、その鮮やかさは息を飲むほど。今年の色づき具合は、今まで見た中で一番といってもよいほどでした。あと数日が紅葉のピークと思われますので、7日からの三連休は大変な人出となるかもしれません。
 池のまわりは、コメツガやシラビソの原生林で、昼なお暗い苔の世界。幽玄な雰囲気が魅力です。また、背後にそびえる山の頂には、高見石という、巨岩が積み重なった展望スポットがあり、そこから見下ろす白駒池や周囲の山々の眺めは、まさに絶景です。
 このエリアの魅力の全てを短時間で味わえるのが、白駒池駐車場→白駒池(一周)→高見石→丸山→麦草峠→白駒池駐車場というハイキングコース。危険なところや迷いやすいところはなく、山歩きの基本的装備さえあれば、初心者でも安心して歩くことができます。今回も、このゴールデンルートを歩いて大満足のポン太でした。

駐車場から白駒池へ通じる遊歩道に入れば、早速あらわれるコケの森。最近はコケ人気が高まっているそうで、ガイドの説明に熱心に耳を傾けるツアー客を大勢見かけました。
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白駒池に着いた時は、少し霧が出ていましたが、それもまた幻想的ですばらしい眺めでした。
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みごとな紅葉とご対面。
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少し晴れ間がでてきて、いっそう鮮やかに。
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池を一周する遊歩道のまわりはコケの森です。
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どの位置から見てもすばらしい紅葉
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高見石に登り、霧が晴れるのを待つカメラマンたち。
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ほんの一時霧が晴れて、白駒池を見渡すことができました。
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不思議な世界に迷い込んだような丸山付近の登山道
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随所にコケの説明板が設置されていて、コケの種類の多さに驚かされます。
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これがチシマシッポゴケか?最近はコケがお目当ての「コケガール」が増えているとか。ポン太もコケ好きになったかって?う〜ん、それはどうでしょう。「コケダヌキ」でコケまくっていては、山は歩けませんから。
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「白駒の奥庭」は自然がつくった日本庭園。いろいろな景観が楽しめるのが、このエリアのすばらしさです。
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相撲といえば御嶽海

2017/10/04 22:32
 信州で相撲の話題といえば御嶽海。場所中には、御嶽海の勝敗が優勝争いをしている力士より大きく報道され、ポン太の家ですら、「今日の御嶽海はどうかな」といった会話が交わされているほどです。
 信州出身の関取は極めて数が少なく、1978年に大鷲(最高位西前頭三枚目)が引退して以来、37年間皆無という状態が続いていました。御嶽海(現在東関脇)のように三役まで昇進した力士となると、戦前の高登以来、実に84年ぶりだそうですから、信州の人々が熱烈に応援するのも無理からぬこと。
 先週末、佐久市の駒場公園で開催された「ぞっこん!さく市」に、その御嶽海がやってきました。「御嶽海杯わんぱく相撲」のゲストとして招かれたのです。ポン子はちゃっかり握手会に参加し、しっかり手を握って激励の言葉を述べたそうです。
 信州出身で強い力士といえば、江戸時代に活躍した大関雷電が有名です。当時の大関は事実上の最高位で、その強さは天下無双。在位は16年に及びました。ほとんど負け知らずで、勝率はなんと9割6分2厘。まさに伝説の力士です。雷電の故郷は浅間山麓の大石村(現・東御市)。今も地元の誇りであり、浅間サンライン沿いの道の駅は、「雷電くるみの里」という名称です。資料館が併設され、その入口付近に置かれている等身大の像には、197cmと記されていました。現代の角界でもそれだけの身長の力士は稀ですから、大変な大男だったようです。それに比べれば、御嶽海は178cmと小兵ですが、得意の突き押しで、雷電以来の大関昇進を実現して欲しいものです。

佐久市駒場公園に設けられたわんぱく相撲会場
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御嶽海と並んで緊張気味のわんぱく相撲の力士たち
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見合って見合って
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握手会にはポン子も参入
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子供たちに囲まれて質問に答える御嶽海
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天下無双の力士、雷電の像。今年は生誕250年ということで、市内では様々なイベントが行われています。
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資料館に展示されている雷電の化粧まわし
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道の駅「雷電くるみの里」。相撲やぐらのような看板が目印です。
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豊穣の里 荒涼たる政界

2017/10/01 12:42
 里を歩けば、「豊穣」の二文字を実感することの多いこのごろです。佐久平は、地形的には山に囲まれた盆地ですが、黄金色に輝く広々とした田園風景は平野に劣らず、閉塞感などみじんもありません。信州では、「盆地」ではなく「平」と呼び習わされてきたのもむべなるかなです。
 里山も実りの季節。ちょっとした山歩きにも、ビニール袋が必携です。なぜなら、思いがけないところにたくさんの栗の実が落ちていて、山歩きが栗拾いに転じる可能性が高いからです。たくさん拾えたら、栗ご飯が定番。ただし、栗とはいっても小粒の山栗ですから、味は良いものの、皮むきなどの下ごしらえは大変です。こちらはポン子の担当ですが、労苦をいとわず、よくがんばってくれます。当地のホームセンターでは、栗の皮むき専門の道具を売っていて、それを使うことで、幾分楽にはなったそうですが…。
 秋晴れと豊かな実りには心が弾みます。されど、最近の政治ニュースには心が沈みます。そこから思い浮かぶのは、荒涼とした風景のみ。「狡猾」「権謀術数」という湿気をたっぷり含んだ「緑の風」に翻弄され、右往左往する政界のタヌキさんたち。ポン太に言わせれば、タヌキ界の恥さらし。意地やプライドはないのでしょうかね。この風は、リベラルという防風林を立ち枯れにする毒をもっているようなので、「保守勢力ばかりが肥大化し、多元性を失う。政治はそんな終着駅に向かうのか」(『信濃毎日新聞』)といった懸念が、現実のものになるやもしれません。脳裏をよぎるのは戦前の大政翼賛会。その先にあるものは…。
 ニュースをみてあれこれ考えている間に、せっかくの栗ご飯が冷めてしまいました。

 まさに豊穣の佐久平。すべてが黄金色に染まる黄昏時はとりわけ絶景なり。
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 小海線の車窓も黄金色一色。
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 どこまでも続く一本道。誰にも会うことなく歩いていると、「まっすぐな道でさみしい」という山頭火の句を思い出してしまいました。
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 これを見たら、山歩きが栗拾いに転じるのも当然です。
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 栗ご飯には十分な量をゲットすることができました。
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 夢中で栗を拾い、目を上げると、野菊が微笑んでいました。「きれいな野菊うすむらさきよ−♪」だなぁ。
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待ち遠しい新蕎麦

2017/09/27 22:34
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 信州といえば蕎麦。蕎麦屋の数が全国一という蕎麦王国であることは周知のとおりです。ポン太も蕎麦は大好きで、外食の半分以上は蕎麦です。しかし、そうなったのはそれほど古い話ではなく、せいぜいここ10年ぐらいでしょうか。それ以前は、蕎麦は間に合わせに食べるようなものという意識でした。
 浅間山麓を生活拠点とするようになり、信州各地を歩いてみると、どこへ行っても蕎麦屋の看板が目につきます。人気店には行列もできているので、まずは食べてみようかということになりました。いろいろな店で食べてみてわかったことは、蕎麦の味や食感は、店によって相当な差異がある(それだけ奥が深い)ということです。「かえし」にも特色があり、この店ではどんな蕎麦が食べられるのか、店主の腕前はどうかと、暖簾をくぐるのが楽しみになりました。間に合わせどころか、たとえ山奥であっても、わざわざ食べに行くだけの価値があるものへと変化したわけです。。画像
 全部の店が美味しいというわけではなく、えっ、これでよくお金がとれるね、と思うような店もないわけではありません。個人の好みもあり、口コミ情報を信じて出かけてがっかりする場合や、逆に、ごく普通の町の蕎麦屋なのに、その味が気に入ってしまい、リピーターになったケースもあります。当たり外れはずれがあるからこそ、蕎麦の食べ歩きは面白いともいえますし、それができるのは、とにかく蕎麦屋の数が多い信州ならではです。
 旅行で浅間山麓へ来られて、いきなりハズレに当たってがっかりということにならないように、ポン太の知っている範囲で、ここなら満足できるのではないかと思われるお店をいくつかご紹介しましょう。
 旧軽井沢では、旧軽銀座入口のロータリー脇にある「川上庵」。値段はやや高めですが、万人に好まれる味です。中軽井沢駅前の「かぎもとや」は、明治三年創業という老舗で、店構えにも味にも昔ながらの良さを感じます。追分エリアでは、追分宿の中心部にある「ささくら」。料理が美味しいので、蕎麦定食もおすすめです。追分から浅間サンラインを4キロほど進んだ、御代田町「普賢山落」交差点近くの「地粉や」もなかなかのもの。食感が抜群で、昨年オープンしたばかりなのに、すでに人気店です。

中軽井沢駅のすぐ前にある老舗の「かぎもとや」
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追分宿の真ん中に位置する「ささくら」
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御代田町の浅間サンライン沿いにある「地粉や」。展望抜群のテラス席に置かれているのは、ポン太の好きな「おろしそば」です。
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                                                                                                             小諸は蕎麦屋の数が多く、好みが分かれそうですが、名物の「くるみ蕎麦」を食べるなら懐古園入口の「草笛」。トロ〜としたクルミだれはくせになる味です。「草笛」は佐久平駅の近くに支店(店名は「佐久の草笛」)をだしていますが、蕎麦そのものは「佐久の草笛」の方が小諸の本店よりもコシがあって美味しいと感じます。同じ粉を使っているはずなのに、店(打つ人?それとも水?)によって味が違うというのもまた、蕎麦の面白さかもしれませんね。
まもなく新蕎麦の季節。どこで食べようかと、よだれが出かけているポン太です。

 建物が新しくなった小諸の「草笛」本店。「くるみ蕎麦」が名物ですが、ほかに甘くて美味しい「くるみおはぎ」もあります。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その16

2017/09/24 23:15
<18日目、9月17日(水)> ブドウの香りに包まれて、木曽路の入口へ

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 前回の到達点である塩尻宿入口の仲町交差点を出発。ほどなく右手には重要文化財の旅籠「いてふ屋」(小野家住宅)が、その斜め前方には本陣跡の立派なモニュメントが見えてきました。塩尻宿には古い建物がかなり残っており、宿場町らしい街並みではあるのですが、旧中山道がそのまま国道153号になってしまっているため、自動車の通行量が多く、ゆっくりその風情を味わうことができないのが残念です。
 宿場の西側で旧道に入りました。阿礼神社の脇をぬけたところに、なんとも雰囲気のよい民家があり、庭に入って見学できるということなので、立ち寄ってみました。そこは、豪農の屋敷(堀内家住宅)で、18世紀後半ごろの「本棟づくり」とよばれる建物でした。
 一旦国道153号に合流した後、下大門交差点から再び旧道へと入りました。旧道沿いには立派なつくりの家が多く、中にはかつては郵便局ではなかったかと思われるような和洋折衷のモダン建築もありました。中央東線の下をくぐりぬけると、右側一帯は昭和電工の工場となり、その塀が延々と続きます。それが終わり、のどかな田園風景が広がったところに、平出の一里塚がありました。日本橋起点59番目の一里塚です。さらに進むと信州一のワインの産地として有名な桔梗が原です。
 レタス畑とブドウ畑が混在する独特の景観の中を進みます。甘いブドウの香りが漂い、ワイン工場の中を歩いているような気分になりました。中央西線の踏切を渡り、長野県野菜花き試験場の脇を通り、ブドウ園をいくつか過ぎると、国道19号に出ます。ブドウ園の直売所が並ぶ国道をしばらく歩き、右手の旧道へと入れば間もなく洗馬(せば)宿です。
 宿場の入口付近に、将軍秀忠が肘をかけて休んだと伝わる赤松の銘木「肘掛松」がありました。そこから道標に従って細い道を下りたところが、中山道と善光寺道との分岐点である追分(分去れ)です。鉄道では、中央東線・中央西線と篠ノ井線のジャンクションである塩尻が重要な駅ですが、鉄道以前の街道交通においては、ここ洗馬(せば)の方が重要な場所であったことを改めて認識させられました。

重要文化財に指定されている塩尻宿の旅籠「いてふ屋」(小野家住宅)と中山道(国道153)

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塩尻宿の旧道沿いにあった豪農の家(堀内家住宅)。すばらしい本棟づくりで、この地域の特色である「雀おどし」の立派な棟飾りがついています。
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日本橋から59番目となる平出の一里塚。塚の上の松はみごとな樹形をしていました。
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信州を代表するワイン用ブドウの産地、桔梗ヶ原を行く。中山道にもブドウの甘い香りが漂っていました。
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洗馬宿入口の銘木「肘掛松」。徳川秀忠が肘をかけて休んだとか。
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洗馬の追分(分去れ)。左が善光寺道、右が中山道(江戸方面)。
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 洗馬宿は、大火により江戸期の建物は失われてしまっていますが、宿場の面影は感じられますし、大火後に建てられたと思われる民家も1階はかつての旅籠風、2回のガラス戸は凝った意匠で趣があります。本陣、脇本陣の庭園は、「中山道に稀な」名園であったということですが、明治42年の中央線開通時に、駅用地とされてしまいました。洗馬駅には開業時以来の木造駅舎が健在で、それはそれで価値があります。
 洗馬宿を出ると間もなく、国道19号に合流します。国道19号には歩道があり、歩くのはそれほど苦にはなりませんが、自動車道路脇の風景はどこも同じようで単調さは否めません。
 次の本山宿は、国道19号から旧道に少し入ったところにありました。宿の入口付近にある石造群は江戸期のもののようです。このあたりには蕎麦畑が多いのですが、説明板によれば、本山宿がそば切り発祥の地だということです。古い建物が比較的よく残っており、屋号が掲げられた街並みも風情があります。非公開ですが、本陣も現存し、その前には登録文化財になっている川口屋、池田屋、若松屋という3軒の旅籠がありました。
 中央西線には本山宿に対応する駅は無く、中山道を少し進んだ先の日出塩に駅があります。今日の行程は日出塩駅までとし、電車で帰途につきました。本山宿は日本橋から32番目の宿場。次の贄川(にえかわ)宿は、木曽11宿の北端に位置する宿場です。あこがれの木曽路はもう目の前。元気がでてきました。

大火で古い建物が残っていない洗馬宿の脇本陣跡前。
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脇本陣の庭園の上につくられたという中央西線洗馬駅。この駅舎は開業時(明治42年)からのものです。
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一面に広がる蕎麦畑の中を行く中央西線の列車(中山道より撮影)。この先の本山宿はそば切り発祥の地ということです。
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本山宿の旅籠「川口屋」と中山道
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屋号を掲げた本山宿の民家。宿場町らしい、とても良い雰囲気でした。
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写真のメッカ、誕生か

2017/09/20 11:27
 浅間山麓にはたくさんの美術館・博物館があります。興味をひく企画展があれば見学にでかけることも多く、ポン太にとって有り難い存在です。しかし、すべての館の運営が順風満帆かといえばそうではありません。御代田町にあったメルシャン軽井沢美術館(御代田町なのに名前は軽井沢)は、運営していたメルシャンがキリンに吸収合併されてしまったことで、2011年に閉館となりました。元々、ウイスキーの蒸留所(ルーツは大黒葡萄酒→オーシャン軽井沢蒸留所)に併設された美術館で、大変雰囲気が良かっただけに、もったいないことだと思っておりました。
 蒸留所も同時に廃止されましたが、製造していたウィスキーの品質は高く、いまでは幻の軽井沢モルトとしてオークションでは世界のトップレベルの高値(10本セットでなんと50万香港ドル=778万円)がついているとか。やめなければ良かったのにと、ど素人のポン太は思ってしまいます。
 美術館と蒸留所の跡地は御代田町が買収し、現在、旧蒸留所エリアに新庁舎を建設中です。美術館エリアの利用方法については検討中でしたが、本年1月、写真・映像製作会社のアマナに委託することで基本合意し、写真美術館として再生されることになりました。浅間山麓には、写真専門の美術館はこれまで存在せず、全国的にも数少ないと思われますので、差別化という意味でも良い選択であるように思います。
町の公報には「日本で一番、写真が愉しめる町、御代田へ」と記されており、2019(もしくは2020)年の開館にむけて、様々なプレイベントが計画されているようです。すでに、龍神の杜公園には、何点かの写真作品が展示されていました。写真好きのポン太は、この動きを期待感をもって眺めているところです。

蒸留所時代の遺産である蒸留器(ポットスチル)の後ろで建設が進む御代田町新庁舎
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まだ整備に着手されていない美術館エリア
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閉鎖後も美しい姿を保っていた美術館周辺。これがどう活用されていくのか楽しみです。
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龍神の杜公園を飾る写真作品
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プルーンの日

2017/09/16 21:33
 ポン太がいつも徘徊している里山の麓に、突然テント村のようなものが出現したので驚きました。近づいてみると、それはプルーンの木にかぶせられたビニールシートでした。収穫期のプルーンの実は、雨にあたると実が割れてしまうそうで、それを防ぐための措置とのこと。リンゴやブドウなどもそうですが、美味しく形も立派な果実を育てるには、それ相当の手間と努力が必要です。その様子を間近に見る機会が増えたことで、フルーツを食べる際には、生産者に感謝と尊敬の念を抱かざるをえなくなりました。
 ところで、今日、9月16日が「佐久プルーンの日」であるということをご存知でしょうか。実は、日本でプルーンという果実の栽培を始めたのは佐久が最初ということです。長野県は生産量で全国シェアの7割を占めているそうですが、その先駆けであり主産地でもあるのが佐久というわけです。栽培開始40周年にあたる2005年に、出荷が最盛期をむかえる9月16日を「佐久プルーンの日」と定め、イベントなどを開催するようになった由。
 ポン太は今日初めて、そのような事実を知りました。ふだんプルーンにはそれほど関心はなく、食べた記憶すらないのですが、今日はとても食べたい気分になり、直売所に走ってしまいました。

あれっ、このテント村はいったい何だ?
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近づくとこのとおり
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ビニールシートの中を覗くと、プルーンがたわわに実っていました。
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買ってきたプルーンを早速ヨーグルトと一緒にいただきました。完熟した実は、想像した以上に甘く、ヨーグルトともよく合います。抗酸化作用がずば抜けて高い果物ということなので、アンチエイジングにも良さそうです。
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モーモー大行進

2017/09/14 09:08
 秋晴れに誘われて、上信国境エリア(妙義荒船国定公園)をめぐってきました。今回初めて訪れたのが神津牧場です。日本の酪農の草分けであり、その名はよく知っているにもかかわらず、これまで訪れたことがなかったのは、それが県境を越えた向こう側(群馬県)にあるせいでしょうか。地元(信州)のテレビや新聞は、県内の出来事については、詳しく伝えますが、ほんの僅かでも他県に入った場所に関しての情報はほぼゼロ。情報を耳にすることがなければ、出かけようという気持ちにはなりにくいのです。
 所在地が群馬県であるとはいえ、実は、神津牧場は信州と深いつながりがあります。創設者の神津邦太郎は佐久(旧志賀村)の人です。同じ神津一族の神津藤平は、長野電鉄を立ち上げ、志賀高原を開発した人物として知られています。藤平も鉄道に関わる前には、北佐久産牛馬組合長として馬産の改良に尽力し、国の馬政局種馬所(以前のブログで桜の名所として紹介した長野牧場)を誘致しており、村の人々は「牛の邦太郎、馬の藤平」と呼んだとか。
 可愛い羊たちを眺めながら弁当を食べていると、「牛が放牧場から戻ってきます」というアナウンスがありました。そこで、その様子を見ようと牛舎の近くへ移動。しばらくすると、それこそゾロゾロといった感じでたくさんの牛が山から下りてきました。引率されているわけでもないのに、あまりに整然とした「大行進」に、牧場を訪れていた人々は大人も子供もモー大興奮。まるでディズニーランドのパレードを見ているような気分でした。

おっ、来たぞ来たぞ
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隊列を組んで整然と下ってきた牛たち
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通い慣れているのか一目散に牧舎へとむかいます
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しんがりの牧童の姿も様になっていました
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山上の放牧場。こんなすばらしい環境で育てば、よいミルクがでるのも道理。
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牧場で食べるソフトの味は格別でした。
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上信国境の内山峠へむかう国道254号。これぞまさしく「コスモス街道」です。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その15

2017/09/11 21:19
<16日目、9月9日> ついに越えたぞ和田峠
 
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  前回の到達点である唐沢下を朝早く出発するためには、その前夜はどうしても長久保に宿泊する必要があります。以前キャンセルした民宿のお世話になり、そこの車で出発地点まで送ってもらうことにしました。
 峠の直下に位置する唐沢は、峠越えを前に人々が一息いれたところ。茶屋本陣の跡(表札に本陣と記された家)があります。新和田トンネルへむかう有料道路と分かれ、旧国道を少し進んだところが、和田峠へ至る旧中山道の入口です。
 その道に一歩踏み入ると、そこはまさに別世界。古道というよりも緑の絨毯の上を行く快適なハイキングロードといった感じです。木漏れ日が美しい道を40分ほど歩くと接待茶屋につきました。そこは、冬場の厳しい寒さの中で峠越えをする旅人の安全を確保するため、粥の接待をしたところだそうです。小屋の前には清水が湧き、のどを潤すことができます。この先東餅屋までずっと谷合を登って行くのですが、美しい渓流とからみあいながらの道は、ミニ奥入瀬のようでもあります。苔むした石畳の上を行く箇所もあり、このあたりは和田峠越えのまさにハイライト。原型をとどめている広原の一里塚を過ぎると高原状の明るい雰囲気となりました。一旦旧国道に出たところが東餅屋。かつては茶店が何軒も並んでいたそうですが、現代の茶店(食堂)もすでに廃墟となっており、営業している店はひとつもありません。しばらく旧国道を歩き、再び旧中山道に入りました。旧中山道は、旧国道やビーナスラインを串刺しにしながらどんどん登っていきます。総じてよく整備された道です。スタートから3時間余りで和田峠(古峠)に到着。そこは広々として見晴らしもよく、昼食をとるには最適の場所でした。

和田峠直下の唐沢集落。ここからスタートしました。
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和田峠へむかう旧中山道の入口。ここからいよいよ本格的な山道です。
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しばらくは緑の絨毯のような快適な道を登ります。
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旅人に粥の接待をしたという接待茶屋
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石畳が残っているところもあり、中山道を歩いているという実感がわきます。

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一里塚もしっかり残っていました。
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広々とした和田峠(古峠)の頂上に着きました。標高1600m、中山道の最高地点です。
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 峠から下諏訪宿へ下る道は細く、和田宿側と比べると急峻です。その入口に、「地図です、どうぞ」と書かれた箱があり、その中に和田峠〜下諏訪宿間の道筋を詳細に紹介した「下諏訪中山道を守る会」作成のパンフレットが入っていました。足下に気をつけながら、ジグザグの細道を下っていくと、まもなく柳原清水の水飲み場があらわれました。さらに進むと、苔むした石垣がありました。人馬の待避所として設けられた石小屋の跡ということで、冬場は除雪隊にあたる「雪割り人足」も出動したということです。その先の旧道は、細いだけでなく沢と一体化したような頼りない部分もありましたが、「下諏訪中山道を守る会」が立てたと思われる「中山道」の道標が随所にあるため、安心して進むことができました。それにしても、こんな道を皇女和宮一行が通ったというのは驚きです。
 二度旧国道を横切り、どんどん下っていくと西餅屋茶屋跡に着きました。いまは何も残っておらず単なる広場にすぎません。そこで国道142号を横断し、崖沿いのガレた悪路を下りました。薄暗い樹間に一里塚碑がひっそりと立っています。陰気な雰囲気の道であるだけでなく、国道から投げ捨てられたらしいペットボトルなどが林間の斜面に散乱しており、ちょっと興ざめです。
 峠から1時間半ほど歩いたところで国道142号に合流。ここから2キロ弱の間は、びゅんびゅん飛ばしてくるクルマに注意しながら歩道もない国道脇を歩かねばなりません。身の危険を感じるという意味では、和田峠最大の難所といえるかもしれません。
 「浪人塚」付近から、142号とからみあうようにして残されている旧道をたどり、峠からおよそ2時間で樋橋茶屋本陣跡に着きました。その先にも旧道が残されているところがありますが、草ぼうぼうで使われなくなった農道のような雰囲気。道標がなければルートを間違えそうです。しばらく歩いた先で再び142号にもどりましたが、ここから先は国道にも歩道が設置されているので安心です。
 雰囲気の良くない廃棄物処理場の横を抜けてひたすら下り、町屋敷バス停のところで旧道に入りました。住宅地の中を進み坂を上ると、御柱(おんばしら)祭で有名な「木落坂」の上に出ました。階段状の坂を下り注連掛(しめかけ)というところで142号に合流。そこからしばらくは、また国道142号を歩くことになります。だいぶ疲れが出てきて、足が悲鳴をあげはじめました。
 左手に導水管をみたところで右側の旧道へ。しばらくして142号にもどり、春宮の標識をみたところから、いよいよ下諏訪宿へ下る最後の旧道歩きです。やがて前方が開けて、眼下に諏訪湖と下諏訪の町を望むことができました。下諏訪にやってきた実感がわく瞬間です。昔の旅人もこの眺めをみてほっとしたことでしょう。古刹慈雲寺の脇の坂を下ると旧宿場町らしい雰囲気の町並みとなり、御休処の看板を掲げた旧家「伏見屋邸」があらわれました。疲れが頂点に達しつつあったので、そこで休ませてもらうことに。なんと、お茶と漬け物、お菓子の無料接待があり、有り難いかぎりです。少し元気をとりもどし、下諏訪宿の中心部へと進みました。唐沢を出てから8時間10分で、なんとか下諏訪宿本陣前に到着。この周辺には今も営業している古い旅籠が何軒かあり、実によい雰囲気です。西にL字に曲がる角は甲州街道との合流点で「甲州道中・中山道合流之地」碑が立っていました。
 下諏訪は中山道で唯一、温泉のある宿場です。ここに宿泊して温泉に浸かりたいと思ったのですが、当てにしていた宿はなんと満室。やむなくお隣の上諏訪に泊まることにしました。上諏訪の宿も幸いにして温泉付。たっぷり湯に浸かって疲れをとり、翌日の塩尻峠越えに備えたことはいうまでもありません。

和田峠から下諏訪宿へ下る道に入りました。
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沢と一体化したようなところもあり、「中山道」の標識がなければ、不安になります。
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西餅屋跡。昔はここに茶店があったので、峠越えの旅人も一息いれることができたはず。今は営業している茶店や食堂は皆無ですから、飲食物を持参していないと大変なことになります。
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国道を横断した先には、こんな歩きにくいところもありました。
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旧中山道が国道142号に吸収されてしまっている部分を歩くのは命がけです。歴史的価値のある道なのに、人が安全に歩ける歩道なしとは、ひどすぎないか国土交通省!大臣も一度ここを歩いてみて欲しいですね。
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中山道は右へという標識はあるものの、その先は草ボウボウ。本当に中山道なの?といった感じです。もちろんここを進みましたが・・・。
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踏み分け道のような中山道。歩く分には面白い道ですが、大名行列も通った昔の方がはるかに立派な道だったに違いありません。
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御柱祭のハイライトである木落しが行われる坂。思っていた以上の急斜面でした。
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ついに諏訪湖と下諏訪の町が見えてきました。ここまで来ればあと一息です。

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下諏訪宿の入口付近にあった御休処「伏見屋邸」。茶菓子の接待をしていただき感激しました。

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なんとかたどり着くことができた下諏訪宿。しっとりとした趣のある街並みです。甲州街道との合流地点であることを示す碑が立っていました。
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<17日目、9月10日> 塩尻峠を越えて塩尻宿へ

 前日の到達点である下諏訪宿にもどり、街道歩きをスタート。少し歩いたところで左手の旧道に入りました。旧道は砥川で分断されており、北側の富士見橋を迂回することになります。その先の旧道は、まるで民家裏の路地のような細い道です。地元の有志が案内板を掲げてくれているので、間違えることなくその道へ入ることができましたが、そういうものがなければたぶん通り抜けることはできないでしょう。
 県道と交差するところに、「右中山道、左いなみち」と記された大きな石の道標が立っていました。その先の道沿いにはきれいに刈り込まれた生け垣が続き、その後ろには旧家の建物が並んでいます。実によい雰囲気です。出早口交差点で国道20号を斜めに横切り、しばらく進んだあたりで、前方にこれから越えていく塩尻峠とその周辺の山々が見えてきました。横河川を渡るとまもなく今井という集落に入りました。塩尻峠の麓にあたるその場所には立派な茶屋本陣の建物が残っており、その向かい側の旧家の前には穀留番所の碑が立ち、旧街道らしい雰囲気が漂っていました。
 岡谷インターチェンジの北側から、塩尻峠への坂道が始まります。石船観音の階段下に、旅人ののどを潤したであろう水場がありました。金明水とよばれ、和宮もその水を飲んだということです。。旧道はクルマ一台がやっと通れるほどの道幅ですが、峠の上まで舗装されていました。追いはぎが隠れていたと伝わる大岩もあり、昔は人里離れた寂しい場所だったのでしょう。先ほどの今井から約1時間で塩尻峠に着きました。明治天皇が休んだ場所という碑はありますが、塩尻峠と表記されたものはありません。中山道の峠から北側に少し登ったところに展望台があります。せっかくなので、立ち寄ってみましたが、諏訪湖を見下ろす大展望はすばらしく、晴れていればその後ろに富士山も望めるとか。
 塩尻宿へ下る道は、諏訪側よりゆるやかです。下りはじめてすぐに茶屋本陣の建物があらわれました。今は誰も住んでいる人はいないようです。森の中に「伝説夜通道」という立て札があり、その隣にはペア?の地蔵が鎮座していました。南側のみ現存している東山一里塚を過ぎると開けた景色となり、見晴らしのよい山里の一角に、街道歩きの人のための私設?休憩所が設けられていました。ベンチもあったので、そこで昼食休憩としました。 その先も美しい山里の風景が続き、旧道沿いに広がる蕎麦畑には白い蕎麦の花が満開でした。国道20号の下を地下道で抜け、中央道を跨ぐと塩尻宿が近づいてきます。出発から5時間ほどで、塩尻宿入口の仲町交差点に着きました。今日はここまで。中山道を離れて中央線のみどり湖駅へとむかい、帰途につきました。

下諏訪の街中の中山道には、路地裏を行くような箇所もあり、間違えないように進むのが大変です。
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塩尻峠の麓に位置する今井という集落の茶屋本陣
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和宮も喉を潤したという金明水。
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塩尻峠への道。和田峠と比べればはるかに楽ちんな坂道です。
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塩尻峠からの大展望。
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峠から少し下ったところに「夜通道」なる表示がありました。村の美しい娘が親しくなった岡谷の男のもとへ、この峠道を毎夜通ったという伝説があるそうです。
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塩尻峠の塩尻宿側には蕎麦畑が広がっていました。心和む風景です。
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なにやら色っぽい感じの双体道祖神。様々な表情の双体道祖神を見ることができるのも、中山道歩きの楽しみの1つといえそうです。
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塩尻宿入口の仲町。のべ17日で、日本橋から30番目の宿場に到達しました。
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コスモス街道

2017/09/08 23:02
 初秋の花といえばコスモス。ポン太の好きな花のひとつです。コスモスで思い出すのが、兄弟デュオで人気のあった狩人の「コスモス街道」という歌。その歌詞には「右は越後へ行く北の道 左は木曽までいく中仙道 続いてるコスモスの道が」とあります。これは明らかに北国街道と中山道の分岐点である追分宿の「分去れ」を意味しています。ポン太の徘徊エリアの歌というわけですから、ちょっと嬉しくなります。
 ここ数日、どこを歩いても、コスモスの花が目につくようになりました。民家の庭はもちろんですが、中山道沿いにも、キャベツ畑の傍らにも、森の小径にも、ほぼ満開のコスモスが咲いています。そのどれもが美しく、立ち止まって眺めてしまうこともしばしばです。しかし、街道に沿ってコスモスが連続して咲いている場所はなく、「コスモス街道」とは言いがたいような気もします。もちろん、歌の方は表現の問題でしょうし、心象風景かもしれませんから、どうこういう話ではありませんが。
 現在の佐久で「コスモス街道」といえば、群馬県境の内山峠へむかう国道254号でしょう。沿道のおよそ9キロにわたり、ほとんど隙間なくコスモスが咲いていて圧巻です。また、内山牧場の「大コスモス園」は、「大」と名乗るにふさわしいスケールで、一見の価値があるとポン太は思います。ちなみに、佐久市の市花はコスモスだそうです。

中山道沿いのコスモス
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いつもの散歩道に咲くコスモス
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見慣れたキャベツ畑も、傍らにコスモスの花が加わると、とても美しく見えます。
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中山道69次資料館の「コスモス街道」の碑。同館は、中山道に惚れ込んで四国から移住してこられた岸本豊氏の私設資料館です。同氏の著書『中山道69次を歩く』(信濃毎日新聞社刊)は、ポン太の中山道歩きのバイブルとなりました。
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内山牧場の大コスモス園(昨年撮影したもの)。今年の見頃はこれからです。
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水ノ塔山から東籠ノ登山へ〜気持ちのよい縦走路を歩く

2017/09/05 21:24
 一昨日の日曜日は久しぶりに朝から晴天。そんな日は山へ出かけたくなります。今年のポン太の山歩きは低調を極めており、登山回数は里山を含めてもまだ20数回。年間100回を越えた年もあったことを思うと情けないぐらい歩いていません。体力維持のためにも登らねばと、馴染みの浅間連峰へ出かけました。選んだ山は、6月に勝手に山開きをした水ノ塔山。1山だけでは物足りないので、東籠ノ登山まで縦走し、同じ道を戻るという所要約4時間のコースにしました。
 登山道沿いには、夏の名残のタカネマツムシソウがまだ咲いており、一方では秋の到来を告げるリンドウも咲き始めていて、この季節らしい山の雰囲気を味わうことができました。この2山を結ぶ標高2200m前後の稜線は、眺めがすばらしく、またちょっとした岩場もあるので、山らしい山に登ったという満足感を得ることができます。危険なところはないので、シニアにもファミリーにもおすすめのコースです。

水ノ塔山(右端、2202m)と東籠ノ登山(左端、2228m)。この稜線を歩きました。
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アキノキリンソウ、ヤマハハコ、タカネマツムシソウがコラボしていた登山道
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秋は実りの季節です。山の植物も可愛い実をつけていました。これはゴゼンタチバナの実です。
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口に含むと甘酸っぱい味がするクロマメノキ(アサマブドウともいいます)の実。山のブルーベリーです。
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ソフトクリームやジェラートでお馴染みのコケモモの実も熟していました。
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東籠ノ登山(前方)への縦走路。ちょっとしたアルペン気分が味わえます。
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東籠ノ登山付近の登山道にはリンドウがたくさん咲いていました。
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東籠ノ登山山頂に着いて達成感を味わっていたファミリー。小さな子供たちもきっと山好きになることでしょう。
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東籠ノ登山の1等三角点。浅間連峰で1等三角点はここだけです。後方は水ノ塔山へ続く稜線。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その14

2017/09/04 11:20
 <15日目、8月28日> 和田峠越えの前哨戦、まずは和田宿の先まで
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 前回、長久保宿まで到達し、次はいよいよ和田峠越えにチャレンジと意気込んだのですが、ことはそう簡単ではありません。昔の旅であれば、麓の和田宿に泊まり、峠を越えて下諏訪宿に至るということになるわけですが、現在の和田宿には宿泊施設がないのです。長久保宿からスタートして下諏訪宿までとなると、その距離は30キロ余。平地でも大変なのに、長久保宿と和田峠(標高1600m)の標高差は900m、峠の頂上と下諏訪宿との標高差も800m強ありますから、ポン太の体力では厳しすぎます。思案の末に得た結論は、まずは和田宿の先の唐沢下というところまで歩き、コミュニティーバスで長久保にもどり1泊、翌朝、宿泊先の車で唐沢下まで送ってもらい、そこからスタートするというもの。それならなんとか下諏訪までたどり着けそうです。
 方針が決まり、前回の到達点である長久保宿を出発しました。国道とは別になっている旧道を歩き、国道142号に合流後、しばらく行くと、「国史跡、歴史の道、中山道」といった石碑が並んでいる小公園のようなところがありました。そこからは和田宿へと続く旧道をずっと進むことになります。車が頻繁に行き交う国道とは違って、のんびり歩くことができ、蕎麦畑が広がる沿道の風景もよく、街道歩きの醍醐味をたっぷり味わえる道でした。バス停の待合室も「歴史の道」にふさわしく凝ったものが多く、「ミミズ道祖神」や「三千僧接待碑」など興味深い石碑も存在していました。所々に、わき水を利用した水飲み場が設けられていましたが、なんと優しい配慮でしょうか。ポン太も飲んでみましたが、まろやかでとても美味しい水でした。

和田宿への旧道分岐地点に並ぶ石碑
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雰囲気のあるバス停。ネコバスが来てもおかしくないですね。
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旧中山道のまわりに広がる蕎麦畑。癒される風景です。
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面白いミミズ道祖神
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 まわりの風景がすばらしいので、ほとんど疲れを感じることなく気持ちよく歩いているうちに、和田宿の入口に着きました。大きな石に「是より和田宿」と刻まれています。屋根の上にさらに屋根をのせたような面白い形状の八幡宮の前を過ぎると、和田宿の核心部です。資料館になっている旅籠「かわちや」の周辺の街道風景は秀逸でした。その少し先にある本陣との共通入館券を買い、旅籠の内部を見学。和宮の下向に合わせて新築した建物ということで、旅籠の中では大規模なものだそうです。二階の道路際の部屋は板の間になっていて、畳の間に入れなかった旅人たちが、そこで雑魚寝をした様子を想像することができました。和田宿の本陣は、一旦は村役場として使用した後に、復原工事を施し、資料館的に整備したものです。石置き屋根の大きな建物で、奥行きもあり、さすがは本陣という感じがしました。
 雰囲気の良い和田宿を後にしばらく進むと、鍛冶足という面白い地名の場所があり、国道とクロスします。そこには江戸より五〇里の一里塚碑や「右諏訪街道、左松澤歩道」と刻まれた石標がありました。とにもかくにも50里を踏破したのかと思うと嬉しくなります。さらに500mほど進むと、旧中山道は国道142号に吸収され、その先は国道の脇を歩くことになります。歩道がないので、車に轢かれないように細心の注意を払う必要があり、その緊張感は疲れを増幅させました。現代の和田峠越えも、往時とは別の意味で大変です。
 なんとか目標とした唐沢下バス停に到達しましたが、空模様が怪しくなってきたので、天気予報を確かめると、明日は一日中雨になりそう。そんな日に峠越えはしたくないので、予定していた長久保での宿泊を一旦取り止め、出直すことにしました。

和田宿の中心部へ
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大きな旅籠だった「かわちや」
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「かわちや」の2階から見下ろした和田宿の街並み。なんという雰囲気の良さでしょうか。
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和田宿本陣の前にて
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レトロな商店の前を行く
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和田宿から和田峠へとむかう旧道
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つらい国道歩き。恐怖の国道142号を行く。
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それでいいのか軽井沢

2017/09/02 11:30
 浅間山麓の市町村の中で、特別な存在と思われているのが軽井沢です。物価が高い、ハイソ臭が鼻につく、地価が異常に高い等、ネガティブなつぶやきをしてしまうことの多いポン太ですが、軽井沢の自然環境の素晴らしさは文句のつけようがありません。避暑地としての長い歴史が育んだ品格のある別荘地の佇まいは、その所有者でなくても癒されます。また大賀ホールや教会、公民館など町内の各地で行われる音楽イベントは、レベルも高く心底楽しめます。伝統ある夏季大学では、気軽に碩学の話を聞くことができるなど、軽井沢は間違いなく魅力いっぱいの「国際観光文化都市」です。
 ところが、昨日の新聞で、軽井沢町がミサイル想定の住民避難訓練を10月に実施するという記事を読んだときは、「なんじゃこれは」と驚きました。そのような意向を示している自治体は県内で唯一。すでに8月には碓氷峠の旧信越本線のトンネルを避難場所として使うため、所有者である安中市と覚え書きを取り交しているそうです。
 北朝鮮の弾道ミサイルに備えるという話ですが、冷静に考えれば、森の中に別荘地が点在するだけで、基地も軍事施設も軍需工場もない軽井沢が標的とされる可能性は限りなく低いといってよいでしょう。太平洋戦争中には、戦火を避けて大勢の外国人が軽井沢に移り住んだ歴史があります。当時スイス公使館として使用された建物(深山荘)が現存しており、ポン太もその見学会に参加しました。そんな軽井沢でなぜ?と強烈な違和感を感じざるを得ません。
 空襲警報まがいのJアラートやミサイル避難訓練などを重ねることで、国民の危機感、恐怖心をあおり、まるで非常時(準戦時下)であるかのような気持ちにさせ、国民に根付いている平和主義の意識を払拭する、そんな政治的思惑がうごめいているのではないか。猜疑心の強い古ダヌキのポン太はそう感じます。「国際観光文化都市」の軽井沢がそのお先棒を担ぐとは・・・。血迷うな、頭を冷やせ、と言いたいですね。
 自然環境の良さに惹かれ、静かな生活に憧れて浅間山麓にやってきたポン太ですから、生臭い時事ネタをブログで取り上げたくはないのですが、このニュースには反応せざるを得ませんでした。率直な気持ちを記しただけですから、賛同は求めませんし、批判や反論もお受けいたしませんので念のため。

 旧スイス公使館(深山荘)とその内部(一昨年の見学会より)
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 避難場所に使用するという碓氷峠の旧信越本線のトンネル(熊ノ平駅跡から軽井沢側を見たところ)。横川〜軽井沢間の鉄道復活に望みを託してレールと架線がそのまま残されていたのですが、その架線の3分の1が何者かに盗まれていることが4年ほど前に判明しました。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その13

2017/09/01 10:04
<14日目、8月19日> 松並木が美しい笠取峠を越えて長久保宿へ
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 開始当初は、暑さと単調さにめげそうになった日もあった中山道歩きですが、信州に入ってからは、どちらを向いても美しい山が見え、風もさわやか、そして何よりも旧街道らしい雰囲気が残っているところが多いので、歩く気力が増してきたような気がします。
 この日の予定は、望月宿から芦田宿を経て長久保宿まで。望月には江戸中期の建築という大和屋をはじめ、旅籠の名残を留めた家がかなりあり、商店の佇まいもレトロで、街道歩きでなくても訪ねる価値のある町だと思います。望月宿を抜けたところで、旧道は自動車道路を離れ、左手の山の斜面へと登っていきます。細い道ですが、「中山道→」と記した道標が設置されていたので迷うことはありませんでした。
 「間の宿茂田井」の説明板が設置されている分岐を過ぎると、道は下り坂となり、茂田井宿へと入っていきます。「間の宿」ですから、中山道69次には数えられていませんが、その雰囲気の良さは特筆に値するものです。ほどよい狭さの道、傍らを流れる澄んだ用水、道沿いには格子のついた古い家屋がずらりと並んでいます。中心に位置する造り酒屋の白壁も趣があり、電柱がなければまさにタイムスリップしたような世界です。宿場の出口には石割坂という急坂がありますが、その途中で振り返ってみた茂田井の街並みもまたすばらしいものでした。

望月から茂田井へむかう旧道
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タイムスリップしたかのような茂田井宿の街並み。いつまでも歩いていたい気分になります。
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 茂田井宿を過ぎたところから一般道を歩くことになりますが、青々とした水田のむこうには浅間連峰の山々がくっきりと見え、車道歩きでも単調さを感じることはありません。
 芦田宿では、資料館を兼ねたお休み処「ふるさと交流館」で一休み。その少し先が本陣で、建物が現存しており、庭を自由に見学することができます。この本陣をはじめ芦田宿にも古い建物がかなり残っており、宿場町の雰囲気を十分感じることができますが、先ほどの茂田井宿のインパクトが強すぎて、有難味が感じられなかったのが残念です。
 芦田宿を出ると間もなく、笠取峠の松並木にさしかかります。数百メートルにわたり旧道が整備保存され、見た目にも美しく、歩きやすい道です。峠の入口と一里塚には何とも愛らしい双体道祖神が置かれていました。途中の東屋で昼食をとり、笠取峠の頂上をめざしました。青々と育った棚田の稲が、風が吹くたびに浪のように揺らぐ姿も美しく、疲れが癒されます。松並木が終わると、峠までは自動車道路の脇を歩くことになりますが、歩道が整備されているので安心です。
 標高910mの笠取峠のサミットから少し下ったところに峠の茶屋がありました。そのまた少し先、長和町に入ったところに笠取峠立場図が掲示されていましたが、大きな茶店が描かれたその図からは、往時のにぎわいが偲ばれます。さらに少し下ったところが、旧中山道の入口。歩行者のみが通れる細い道で、入口に「中山道原道」という表示がでていました。国道142号の旧道を串刺しにしたようなルートで、地形図には記載されていません。勾配は少しきついのですが、自動車道路と比べれば短い距離で長久保宿に至ることができます。踏み分け道のような感じで、倒木が道をふさいでいるところもありました。下りきると、松尾神社の境内に出ました。その前を流れる五十鈴川を渡ると、間もなく長久保宿です。

芦田宿の街並み(上)と現存する本陣(下)

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笠取峠入口の可愛らしい双体道祖神
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笠取峠の美しい松並木を行く。英人アーネスト・サトウは、中山道において最も美しい風景の1つと絶賛したそうです。
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サミットを少し過ぎたところにある現在の茶店
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笠取峠の長久保側の中山道原道。こういうところを歩くと、往時の厳しい旅が偲ばれます。

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長久保宿へと下る道です。このなんともいえない風情。街道歩きのわくわく感が増します。
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 長久保宿は坂道に沿ったL字形の宿場で風情があります。まず目についたのは一福処濱屋。明治初頭に旅籠として建築されながら、実際には使用されずに終わったものということで、今は長久保宿資料館になっています。館内の掲示によれば、長久保宿は、公式には長窪宿ということですが、「窪」ではイメージが悪いので、地元民は長久保と表記することを好んだ由。一福処濱屋の少し先に、真田幸村(信繁)の娘が嫁いだという本陣がありました。後日、大河ドラマ『真田丸』でその話がとりあげられた際は、あっ!あそこだと嬉しくなりました。
 長久保宿は、木造三階建てのレトロな旅館「濱田屋」の角をL字に曲がってさらに続いています。その前の道標に「↑京方」の文字をみて、何が何でも京都三条大橋へ到達してやるぞという気持ちが高ぶってきました。次回はいよいよ中山道最大の難所といわれる和田峠越えです。

坂に沿った長久保宿
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一福処濱屋前の中山道。この坂を登って行くと笠取峠に至ります。
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真田幸村(信繁)の娘が嫁いだ長久保宿本陣。現存している本陣建築としては、中山道最古ということです。
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今も営業している木造三階建ての旅館「濱田屋」。道標に「京方」の文字。京はまだはるか先ですが、ちょっと嬉しい気分になります。

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束の間の賑わいとはじけるパワー〜浅間山麓の夏祭り

2017/08/30 11:42
  この夏、ポン太が見た浅間山麓のお祭りの中から、印象に残ったシーンを集めてみました。大都市のイベントと比べれば、規模は小さいかもしれませんが、地域の人々の力が結集された祭りには、地域の底力とでもいうべきエネルギーが感じられ、見ているこちらも元気になります。
 今年初めて見たのが、小諸の祇園祭。ふだんは人通りも少なく、寂びれた印象がぬぐえない小諸市の中心市街地ですが、どこにこんなに人がいたのかと驚くほどの賑わいと活気がありました。祇園祭といっても京都の祇園祭のように山車を引き回すわけではなく、主役は神輿です。その形がちょっと雅で興味をひかれました。祇園祭という名の夏祭りは、佐久市の岩村田や野沢でも行われており、それぞれ伝統と特色があるようなので、来年はぜひ、そちらの方へも出かけてみたいと思ったポン太でした。
 以前のブログでご紹介した、御代田町の「龍神祭り」と「小田井宿祭り」についても、今年のハイライトシーンをアップすることにします。

 小諸市の「祇園祭」(7月15日)
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 御代田町の「龍神祭り」(7月29日)
真楽寺の石段を登る「昇り龍」
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龍神太鼓の響きにのって境内を駆け巡る「龍神の舞い」
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二匹の龍が仲良く並んで石段を降るシーンを演出したのが、今年の新趣向でした。
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小田井宿祭り(8月16日)
「和宮」行列出発
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問屋跡(安川家住宅)の前を進む「警護の侍」
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小田井宿本陣に到着した「和宮」。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その12

2017/08/28 16:13
<13日目、8月15日> 千曲川を渡り望月宿へ
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 前回の到達点である佐久平の浅間総合病院前をスタート。相生の松の脇をぬけ、国道141を横断すると、水田の中の道となります。浅間山の上半分は雲の中でしたが、左右ともに広々とした開放感あふれる風景で気分爽快。
 根々井塚原という、いかにも旧街道沿いらしい雰囲気を留めた集落を通り、駒形神社を過ぎると、道は下り坂となり、千曲川のほとりの塩名田宿へと下りて行きます。「塩名田」バス停のあたりが宿場の中心で、問屋本陣の建物が残っていました。道路の反対側の公民館前に、大きな観光案内板が設置されており、その説明を読むと、かつては相当な規模の「花街」も存在していたそうです。その名残か、いまも川魚料理を食べさせる大きな料亭が営業しています。千曲川畔に至る本来の中山道沿いには、木造三階建ての建物が並び、実に風情があります。江戸時代には千曲川には橋がなく、舟を横に並べてつなぎ、橋がわりとしていました。その舟をつないだ、「舟つなぎ石」が今も残っていました。
 橋を渡った対岸が御馬寄(みまよせ)という集落。そこもまた古い家屋が残り、旧街道らしい雰囲気です。次の八幡宿との間は中山道で最も宿場間の距離が短いところ。八幡宿の入口付近に、その名の由来と思われる八幡神社があります。驚くほど立派な門があり、本殿の装飾もみごとなので、境内で一休みすることにしました。八幡宿は小さな宿場で、塩名田と比べると、宿場町の名残が濃厚とはいいがたいですが、本陣跡のまわりには、古い建物もいくつか残っており、それなりの風情があります。

旧中山道からみた佐久平駅周辺のビル群。浅間山は雲の中。
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旧街道らしい雰囲気の根々井塚原の集落を行く
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宿場町であったことを感じさせる塩名田の街並み

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木造3階建ての料亭の建物などが残る塩名田宿。この先が千曲川。
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千曲川の川原に残る「舟つなぎ石」。綱を結んだ穴が空いている。
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                        現在の千曲川の橋梁。対岸が御馬寄。

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八幡宿の八幡神社
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 国道142号に合流したあたりから雲行きが怪しくなり、間もなくパラパラと雨が降り出しました。お昼時ですが、営業中の飲食店はなく、そのまま歩き続けました。百沢東交差点から、旧道の細道に入りましたが、その道の両側には古い建物が並び、まさに旧街道そのもの。坂の途中に、祝言道祖神という双体道祖神が鎮座していました。
 布施温泉入口付近の旧道はわかりにくく、狭い草むした道が続き、道標がなければ不安になります。国道を横断したところから、瓜生坂への道が始まりました。瓜生坂の途中には一里塚もあります。峠を越えて望月宿へと降りていくところには、舗装道路とは別に、歩行者のみ通行できる旧道が残されており、中山道を歩いているという実感がわきます。坂の途中には、可愛らしい双体道祖神ほかたくさんの石仏、石像があり、長坂石仏群とよばれているそうです。
 鹿曲川の橋を渡り、望月宿に入りました。望月は大きな町ですが、現在のメインルートである国道142号からはずれているため、古い街並みが残っていて、映画のロケにふさわしいようなところですが、ひときわ目立つ、木造3階建ての井出野屋旅館は、かつて「犬上家の一族」のロケに使われたそうです。その前の御宿山城屋も古くて味のある建物でした。
 遅い昼食をとった食堂の大女将から面白い話を聞きました。倉賀野の造り酒屋のお嬢さんだったというお姑さんの話です。お爺さん(舅)が芸者遊びに夢中になり、塩名田の花街へ入り浸って困った由。いましがた通ってきた塩名田で、花街の存在を知ったばかりでしたので、その話が妙に現実味を帯び、身近に感じられました。お姑さんは賢い人で、直接注意することなく人を動かしたという数々のエピソードの持ち主とのこと。例えば、舅が芸者遊びをしている当日、同じ料亭で派手な宴席を設けて大盤振る舞いをした後、「お代はむこうに景気のいいお大尽(舅)がいらっしゃるので、あの方が払います」と言い残して去ったということです。それ以降、芸者遊びがピタリとやんだとか。
 今日は望月町の奇祭、「榊祭り」の日。主役である「榊神輿」が、町を練り歩く様子も見ることができました。
 今日の街道歩きは、眺めも雰囲気もそして話も面白く、充実した一日でした。中山道歩きもいよいよ佳境に入ってきたようです。

布施温泉入口付近の趣のある旧道
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祝言道祖神。信州の街道沿いに多い双体道祖神は、どれをみても表情が豊かで癒されます。
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瓜生坂へと通じる旧道は草むしていてわかりにくく、道標が頼り。
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瓜生坂を下り望月へ
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眼下にひろがる望月の町
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望月の古い街並みを行く
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「犬神家の一族」のロケに使われたという井出野屋旅館
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「榊祭り」の準備をする子供たち
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※「中山道でブラタヌキ」は、冒頭(その1)に記した通り、一昨年に達成した中山道踏破の回想記です。実際に歩いた季節に合わせてブログにアップしております。リアルタイムで進行しているものではありませんのでご承知ください。
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夏は行く

2017/08/27 00:04
例年のことですが、お盆を過ぎると、吹く風の感触が変わってきます。涼しいというよりもひんやりした感じになり、朝晩は半袖では過ごせません。今年は夏らしい晴天に恵まれた日が少なく、このまま夏が終わってしまうのかと思うと、なんだか寂しい気分になります。
 先週末、1度は高原らしいサマーナイトを味わっておきたいと、中軽井沢の星野エリアにでかけました。無数のランタンが幻想的な景観をつくり出している軽井沢高原教会周辺の森を散策し、ハルニレテラスで開催された「水辺の音楽会」へ。夏のシーズンが盛りを過ぎたせいか、予想した混雑はまるでなく、用意された椅子にゆったりと腰を下ろし、コーヒーを片手に、バイオリンとギターの音色に耳を傾けることができました。屋外でのこうした催しに参加したのはこれが初めてです。楽器の調べと川のせせらぎとが、夜の闇の中にふんわりと吸い込まれていく雰囲気は大変心地よく、すばらしい時間を過ごすことができました。ちなみに、この音楽会は無料です。軽井沢の物価の高さを「軽井沢値段」と揶揄しているポン太ですが、無料で楽しめるイベントが多いのも軽井沢。利益が出るからサービスもできる、そう考えるべきかと、ほんの少し思ったポン太でした。
 今日の浅間山の上空はすっかり秋空です。ウォーキングの途中で出会う草花も、秋らしいものが増えました。気温が下がったせいか、いつもポン太が徘徊している水辺(御影用水)周辺では、大勢の人が散歩を楽しんでいました。その中には、なんと馬に乗って散歩している人もいて、一瞬目を疑いました。これはタヌキに化かされたに違いないと。いやいや化かすのはポン太の方ですから、そんななずはないとよくみると、騎乗していたのは外国人の少女でした。

無数のランタンが置かれた軽井沢高原教会周辺の森
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ハルニレテラスの「水辺の音楽会」
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今日の浅間山。上空は秋空です。
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道端に咲く秋の七草のひとつ、オミナエシ(女郎花)
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近所の農家が出荷用に栽培しているキキョウも咲き始めました。
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水辺を馬でお散歩。なんだか気持ちよさそう。
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「野菜生活」その2〜変わった野菜との出会い

2017/08/21 22:06
 以前のブログで、地元産の野菜が美味しく、また安価であるため、浅間山麓に移住してから野菜をたくさん食べるようになったことについて触れました。実は、野菜摂取量増加の理由がもうひとつあります。それは、今まで見たことのない変わった野菜と出会い、頻繁に食べるようになったということです。
 例えば、ロシア料理のボルシチに欠かせないビート(ビーツ)が、当地の直売所やスーパーではごく普通に売られています。ビートは甜菜(サトウダイコン)の仲間で、形はカブによく似ていますが、包丁を入れた瞬間、鮮血のような真っ赤な汁がほとばしります。「飲む輸血」とよばれるほど栄養価が高く、免疫力を高める効果や老化を防ぐ抗酸化作用があるそうです。それを聞いて、ポン太の家ではボルシチ(見よう見まねですが)をつくる機会が増えました。茎や葉も利用価値があります。豚肉、ジャガイモと一緒に炒め、塩、こしょう、マヨネーズで味を調えると美味しく食べられるのです。今では、ビートを使った料理は、ポン太の食卓にすっかり定着しているといってよいでしょう。
 先日、佐久平のショッピングモールに出かけた際、「血管年齢測定器」なるものが置かれていたので、試しに測ってみたところ、実年齢より10歳若いという数値が出てびっくり。もしや、ビートのおかげ?と、思わずにんまりしたポン太でした。

 買ってきたばかりのビートです。これはスモールサイズで、ソフトボールぐらいの大きさが普通です。
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茎と葉を炒めるために切った状態です。茎はかなり硬いので、しっかり火を通す必要があります。
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出来上がったビートの茎と葉の炒め物。ジャガイモはわが家で収穫した「キタアカリ」です。茎や葉にも赤い色素がたっぷり含まれているので、ジャガイモがピンク色に染まってしまいます。
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 このほかにも、浅間山麓の直売所で初めて目にした変わった(珍しい)野菜がたくさんありますので、いくつかご紹介しましょう。
 ラグビーボールのようなロロンかぼちゃ(右)とバターナッツかぼちゃ(左)。ロロンかぼちゃは甘みが強く、焼いても天ぷらにしても美味。一方のバターナッツかぼちゃはスープに最適です。
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白なす(右)と紅オクラ(左)です。何といっても見た目のインパクトが大きいですね。
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ハンサムグリーンという名前で売られているレタス。フリルレタスの一種のようですが、葉がゴワゴワしているのが特徴です。
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これは何でしょうか?ポン太はかぼちゃだと思って買い物カゴに入れたのですが、なんとズッキーニの一種でした。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その11

2017/08/18 22:25
 <12日目、8月11日> 浅間山麓の追分宿から佐久平の岩村田宿へ下る
 
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 ねぐらに近い追分宿まで到達したことで、気が緩んだのか、はたまた暑さにめげたのか、モチベーションが低下し、しばらくの間、中山道歩きから遠ざかっていたポン太でした。ところが、ある出来事をきっかけに、何が何でも京都三条大橋まで歩きたいと思うようになりました。
 その出来事というのは、散歩中に、追分宿付近の中山道を京都方向へ歩いている老夫婦に出会ったことです。年齢は70代半ばと思われます。御亭主が片足を引きずるようにしていましたので、声をおかけしたところ、脳梗塞の後遺症のリハビリを兼ねて中山道歩きをしているということでした。野宿覚悟でかなりの荷物を背負い、不自由な足を一生懸命動かして一歩でも前へと努力している姿に、頭をガツンとやられたような気がしました。
 一度決めたことは貫徹せねばタヌキが廃ると、8月11日、中山道歩きを再開。追分から岩村田にかけての中山道は、ポン太にとっては生活道路のようなものですが、「街道歩き」の気構えで眺めてみると、なんだか見るものすべてが新鮮にみえるから不思議です。
 御代田の一里塚も、これまでその存在を認識していたのは桜の巨木が生えている塚(西塚)のみでしたが、それと対をなす東塚の方もその姿をしっかり留めていることを知りました。
 しなの鉄道を地下道でくぐりぬけ、御代田町の荒町上宿あたりまですすむと、旧街道の雰囲気が一段と濃くなります。前方の蓼科山や、道端に咲く女郎花(オミナエシ)などを眺めながらの道中は、実によい気分です。
 下り一方の道なので、たいして汗をかくこともなく、小田井宿に到着。小田井宿は、本陣、脇本陣各1軒のほか旅籠が5軒という小さな宿場ですが、今も古い建物が残っており、往時の雰囲気をよく留めています。歓楽的な要素がなかったことから、姫君や女官の宿泊、休憩場所として用いられることが多く、「姫の宿」と呼ばれたそうです。

 御代田の一里塚。街道を挟んで左右1対の塚があるのが一里塚の基本形ですが、道路の拡幅などにより、消滅したり片方のみとなっているところが少なくありません。ここは、現在の道路が本来の街道からずれたところ通っているため、畑の中に取り残されたようにして両方の塚が現存しています。上が西塚、下が東塚です。

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小田井宿本陣前を行く
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小田井宿問屋跡(安川家住宅)。これはお祭りの日に撮影したものです。ふだんは雨戸が閉じられた状態で、内部を見ることはできません。
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 旧中山道が県道9号線に合流するあたりを皎月原(こうげつはら)といいます。いわくありげな地名です(実際に皎月という官女にまつわる伝説があるようです)が、道路沿いにはラーメン店などの飲食店が雑然と並び、特別な場所であるという雰囲気は感じられません。インターウェーブという大規模なショッピングセンターの手前に、一里塚が残っていました。上信越道を跨ぎ、佐久インターの入口を過ぎると間もなく岩村田宿です。左手の住吉神社境内には、かつては道路際にあった「善光寺道」の道標や道祖神などが置かれていました。
 1万5千石の城下町であった岩村田には、本陣も脇本陣も存在しなかったそうです。高度成長期に近代的な商店街に生まれ変わった街並みからは、かつての宿場町の面影は消え失せていました。それでも、酒蔵や味噌蔵の存在が、この町の古い歴史を伝えてくれます。商店街の南端が、中山道と佐久甲州街道の分岐点となっており、右折して西へむかうのが中山道。小海線の踏切を越えると間もなく、浅間総合病院が見えてきました。今日はここまで。ほとんど散歩の延長線上のような街道歩きながら、気分は新鮮。やはり街道歩きは楽しいと改めて思ったポン太でした。

皎月原(こうげつはら)を行く
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住吉神社境内の「善光寺道」道標。側面に享保二十年とあります。
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商店街となっている岩村田宿の現状。
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岩村田商店街の中に、「日本一小さな酒蔵」があります。寒竹というお酒をつくっている戸塚酒造です。佐久は酒どころとして有名で、数多くの造り酒屋が存在します。
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 「生活改善」のお盆

2017/08/15 06:58
  お盆のシーズンですが、その過ごし方や風習は地域によって様々です。今まで暮らしていた地域から他の地域に移住したような場合、その地域の風習がわからず、戸惑うことが多いと思われます。浅間山麓エリアも、首都圏とはかなり異なっており、ポン太も最初は戸惑いました。
 ポン太の住む町の8月の広報誌には、かなりのスペースを割いて「新盆見舞いは生活改善で」という記事が掲載されています。その内容は、「香典料は頂かない」「お返しはしない」「祭壇は家に上がらなくても良い場所に設置する」「飲食のもてなしはしない」「必要がある場合はご芳名を記帳していただく」「新盆見舞いについて(上記の趣旨)の張り紙を掲示する」といったもの。
 「生活改善運動」というのは戦後の経済的負担を軽減するために始まったということで、葬儀や新盆見舞いに関しては、今も多くの住民がそれに従っています。その事を知ったのは、ご近所の方が亡くなってこの地域の葬儀に初めて参列した時のことです。ちなみに、葬儀に関する申し合わせ事項は、「香典料は1000円以内」、「灰寄せは、近親者を中心にして簡素に行う」というもの。「灰寄せ」というのは耳慣れない言葉ですが、首都圏における「精進落とし」に該当するものです。告別式は火葬後に行われますが(これもポン太にとっては驚きでした)、前段(焼香のみ)と後段(僧侶の読経その他の儀式あり)に分かれており、近親者以外の一般参列者は、一律1000円の香典をもって前段の焼香に訪れます。その後、近親者のみで後段の本葬儀(という表現でよいのかどうかはわかりませんが)が行われ、終了後「灰寄せ」となるわけです。後段に参列する近親者の場合は一般的な概念の香典が必要です。
 「生活改善方式」の最大のメリットは、ご近所やちょっとした知り合いでも、経済的負担を気にすることなく、葬儀に参列したり、新盆見舞いに訪れたりできることでしょう。都会に住む高齢者で生活に不安のある方などは、親しい友人が亡くなっても葬儀に出席してお別れすることもできないという話を聞いたことがあります。「生活改善方式」であれば、そのようなことはなく、地域の幅広い人間関係(コミュニティ)を維持し続けることができるというわけです。まだまだ地域の深い事情まで理解できているとはいえないポン太ですが、「生活改善」に肯定的な気持ちになっていることは間違いありません。 
 
 お盆のころになると、蕎麦畑では蕎麦の白い花が咲き始めます。
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 近所の空き地には月見草の群落が出現しました。「売り地」の表示が出て久しいのですが、このまま売れずにいてくれた方が良いなどと勝手なことを考えているポン太でした。
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花の宝庫、高峰山にも秋の気配

2017/08/10 18:39
 この夏は天候不順で、カラッと晴れた日が少なく、とくに、ここ数日は台風がもたらした湿気でジメジメとした気分の悪い状態が続いていました。台風が去った昨日は、久しぶりの晴天。湿度も下がり、窓を開けると爽やかな風が吹き込んできて、ようやく浅間山麓の夏らしい気分を味わうことができました。もっとも暦の上ではすでに秋です。しばらく登っていない高い山の方はどうなっているのかと気になり、ポン子の洗濯がひとくぎりついた午後から高峰山(2106m)へ出かけてきました。高峰山はポン太のねぐらから車で35分、そこから約1時間で山頂という、山登りというよりは山稜散策といったイメージの山です。
 稜線にはクルマユリがたくさん咲いており、また晩夏を代表するタカネマツムシソウも咲き始めていました。ワレモコウが色づいていたり、赤トンボ(アキアカネ)が群れ飛んでいるのを見ると、秋がすぐそこまで来ているように感じます。
 高峰山は、田中澄江著『花の百名山』にリストアップされている山です。「数えると50近い種類が歩いて僅か1時間の稜線の左右の山腹を埋めていた」と記し、花の名を列記して、その数の多さを絶賛しています。薄弱な知識しかないポン太は、記載されている花の中で、認識できるのはせいぜい4分の1程度にすぎませんが、この山の花の種類がずば抜けて多いということについては全く同感です。もう1つ同感したのは、「80になっても90になっても登れるところ」であり、「花々の中をゆっくり歩けたらいいな」と記していること。齢を重ね、登山がままならなくなっても、この山だけは手放したくないという思い、それはポン太も同じです。

 登山者を歓迎してくれているようなクルマユリ
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 高峰山の稜線からみた黒斑山。こちらも『花の百名山』にリストアップされています。
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 夏の終わりを告げるタカネマツムシソウ。ポン太はなんとも表現しがたいこの花の色が大好きですが、写真に撮るとホンモノとはどこか違ってしまいます。
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 タカネマツムシソウとヒョウモンチョウ
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 ツリガネニンジン(ハクサンシャジンかもしれません)。この花を見ると、子供の頃に見たディズニーアニメの森のシーンを思い出します。
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 派手な色をしているので遠くからでもすぐわかるマルバダケブキ
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 ミネウスユキソウ(日本のエーデルワイス)。この花をみると「Edelweiss」の歌を口ずさみたくなりますね。
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 高山植物のシモツケソウです。平地でもみられるシモツケとは異なる植物です。
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 ワレモコウとツリガネニンジンのコラボ。秋の訪れを感じます。
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 残り少なくなったニッコウキスゲの花の蜜を吸うキアゲハ
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 高峰山頂の高峰神社。上空を赤トンボが舞っていました。
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 下界では見ることが少なくなった赤トンボ(アキアカネ)が、山頂の岩にとまっていました。
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 昆虫のことはよくわからないポン太ですが、ノアザミにとまっているこの蝶は、ミヤマシロチョウというかなり貴重な蝶(絶滅危惧種?)のようです。
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その迫力に大興奮の「上田大花火大会」

2017/08/07 01:00
 5日の土曜日、孫ダヌキを連れて、「上田大花火大会」に出かけてきました。信州ではトップクラスの花火大会(打ち上げ数約1万発)ということなので、一度は見ておきたいと思ったからです。
 会場(打ち上げ場所)は千曲川の河川敷。絶好の観覧場所である千曲川の土手まで、上田駅から歩いて5分ほどです。これほどアクセスのよい花火大会も珍しいのではないでしょうか。ポン太たちが現地に着いたのは、花火が始まる僅か15分前でしたが、かなり良いポジションを確保することができました。
 実はポン太は、これまで、本格的な花火大会というものを見たことがありません。もちろん、これほどの至近距離で見るというのも初めてです。他所の花火大会と比較することはできませんが、目の前で打ち上げられる花火の迫力は凄まじく、特に音楽に合わせて、次々と打ち上げられる多種類の花火のコラボは、文句なしの素晴らしさでした。「夏の夜の風物詩」といったのどかなイメージは一掃され、夜空を舞台にした壮大なパフォーマンスに大興奮、大満足のポン太でした。
 
 夜空に様々な花が咲き、蝶まで現れる演出はなかなかのものだと感心しました。
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 多種類の花火を、速射砲のように打ち上げる派手な演出にはびっくり。火の粉が頭上に降ってくるのではないかと恐怖心を抱いたほどの大迫力でした。
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恐るべし学校登山

2017/08/04 21:06
 山国の信州では伝統的に学校登山が盛んです。特に、中学校では大半の学校で実施されており、中には奥穂高岳のような3000mクラスの高峰をめざす学校もあります。ポン太も八ヶ岳の稜線で学校登山の集団と遭遇したことがあります。ポン太とポン子が道を譲ろうと待避していたら、「ラブラブだね!」と冷やかされ、古ダヌキにむかってなんだよと思いましたが、そんな軽口をたたけるのはバテていない証拠。全員元気に登頂できたとすれば慶賀の至りです。佐久地方の中学校では、小屋泊まりで八ヶ岳(硫黄岳2760m)に登る学校が多いと聞きました。
 小学校や幼稚園・保育園で山登りをしているところも少なくないようです。以前、黒斑山の登山道で、深い霧の中から突然大勢の「こびと」が現れたので驚きましたが、よく見ると色とりどりのレインウェアを着た保育園児でした。黒斑山は大人でも登頂に2時間はかかりますし、ガレ場もあります。園児の脚力はたいしたものだと感心しました。
 子供のころから山の世界に親しませることは悪いことではありません。子供たちにとっては、親がよほどの山好きでもない限り、本格的な登山を体験する機会は少ないでしょうから、学校や園の果たす役割は重要です。ポン太は東京(区立)の中学でしたが、希望者を募って行われた北八ヶ岳(天狗岳・北横岳)登山に参加し、下界とは全く異なる山の世界の素晴らしさを知りました。もしその体験がなければ、その後のファミリー登山やキャンプはもちろん、浅間山麓の森の中への移住など考えもしなかったかもしれません。

  浅間連峰の烏帽子岳に登山中の小学生たち。皆元気に山頂をめざして登っていました。
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  佐久地方の中学の学校登山では、定番のようになっているという八ヶ岳の硫黄岳(2742m)。山頂付近にはコマクサの群落もあり、達成感と同時に山の自然の美しさも味わえる良い山だと思います。
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 信州では中学生全員が高峰登山を体験をすると聞いた時には、なんとも羨ましい話だと思ったのですが、体験者に話を聞くと、「もう山はこりごり」と山嫌いになっている人が多いようなので、ちょっと考えさせられます。
 山登りという行為は決して楽なものではなく、苦しみも伴いますが、それをはるかに上回る素晴らしい世界が待っていてくれるのが魅力です。それに気づく(気づかされる)ことなく、ただただ苦しい思いをさせられたというのでは、山嫌いになるのも当然でしょう。登山を集団訓練の場や単なる体育行事ととらえると、そのようなことになってしまいます。登山はスポーツではなく、他人と体力を競うようなものではないとポン太は思っています。そうでなければ、運動が苦手で、体力も根性もまるでなしのポン太が好きになるはずはありません。
  山が好きになるのも嫌いにもなるのも学校登山。山の素晴らしさが十分伝わるような行事として、継続して欲しいと願っています。

  最近はこの山をめざす学校が多いと聞く北アルプスの唐松岳(2696m)。ポン太は二回登っていますが、途中の景観もすばらしく、三回目を計画してもよいのではと思うような山です。
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  中信地方では、爺ヶ岳(2670m)に登る学校もかなりあるようです。これは山頂付近から立山方面を見たところです。この雄大な景観に接すれば、きっと山が好きになると思うのですが・・・。
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  伊那谷では、圧倒的に木曽駒ヶ岳(2958m)に登る学校が多いようです。中央アルプスの最高峰であり、貫禄があります。
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 以上、学校登山と縁の深い山の写真をアップしてみました。いずれも魅力的な山ばかりですから、登ってみれば誰しもきっと気に入ると思います。ちょっと苦しいところがあるかもしれませんが、元気いっぱい登って欲しいですね。ポン太も応援しています。




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草軽電鉄の記憶は消えず

2017/07/30 17:59
 廃止から半世紀以上経っているにもかかわらず、これほど愛惜の念をもって語られている鉄道がほかにあるでしょうか。新軽井沢〜草津温泉間55.5 km。「かぶと虫」と呼ばれた特異な風貌の電気機関車に牽かれ、美しい高原風景の中をのどかに走っていた草軽電気鉄道。1959年の台風で吾妻川の橋梁が流され、嬬恋〜上州三原間をバス代行として営業を続けたものの、1960年に軽井沢〜嬬恋間を廃止。1962(昭和37)年の上州三原〜草津温泉間廃止により、完全にその姿を消しました。
 ポン太が初めて軽井沢に降り立ったのは1963年8月です。新軽井沢駅は廃止から3年が経っていたものの、まだホームは形を留めており、草軽電鉄の残り香が漂っていました。
あと何年か存続していれば、乗車できたかもしれないと思うと、いまでも悔やしい気持ちになります。そんなこともあって、草軽に関連したイベント情報には、敏感に反応してしまうのですが、今年は、嬬恋村郷土資料館で、『草軽電鉄と嬬恋村』という企画展が開催されていると聞き、出かけてきました。

 下の写真は、企画展のパンフレットの一部です。
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 ポン太が見た廃止から3年後の新軽井沢駅です。(1963年8月7日撮影)
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 嬬恋郷土資料館の展示の規模はそれほど大きなものではありませんでしたが、草軽電鉄への思い入れの深さは十分伝わってきました。企画展にあわせて販売していた『草軽電鉄全路線図<詳細版>』(\100)を購入しました。これは、草軽電鉄の廃線跡探訪にはなかなか便利な資料です。同館見学後、早速、嬬恋駅跡と小熊川橋梁跡を見てきました。

 嬬恋駅跡。説明板のみで、ホームや駅舎は現存していません。
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 小熊川橋梁の跡。石積みの橋台が片側のみ現存しています。
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 北軽井沢駅舎にも立ち寄ってみました。現存している貴重な駅舎(2005年に保存のため改修)で、登録有形文化財に指定されています。木製のレプリカながら機関車も置かれており、現役当時の同駅の雰囲気を感じることができます。隣の「北軽井沢ふるさと館」(観光案内所)には、模型や駅名板、時刻表、乗車券等、草軽電鉄関連資料の展示コーナーがあります。

 北軽井沢駅舎正面。欄間のHの飾りは、寄贈者である法政大学村に因んだもの。
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 北軽井沢駅舎ホーム側
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 知れば知るほど魅力いっぱいのこの鉄道を、一部の区間だけでも復活させることはできないものかと思ってしまいます。タヌキの妄想の世界では、すでに高原の風を浴びて走るその姿が浮かんでいますが・・・。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その10

2017/07/25 23:54
 
<11日目、7月23日> ルンルン気分で追分宿へ

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  碓氷峠越えの難所を乗り切ったことで、この日はもうほとんどお散歩気分です。夏休みのシーズンに入ったとはいえ、朝の軽井沢は人影もまばら。吹き渡る風は涼しく、絶好のウォーキング日和。旧軽銀座から離山の麓にかけての沿道は、ほぼすべて別荘地化しており、お洒落なレストランも点在しています。旧街道の雰囲気はまるでありませんが、緑のトンネルのような道で、とにかく涼しく快適です。
  離山交差点の先で、しなの鉄道の踏切を渡り線路の南側へ。そこからは先は細い旧道が生きていて、湯川の橋まで歩くことができました。しかし、その沿道も別荘地となっており、「旧中山道」の標識の類は一切ありません。別荘に来ている人たちも、家の前の道が、大名行列も通った旧道だということをご存知ないのではないでしょうか。
 湯川を渡り、国道18号に合流すれば、その先は、中軽井沢と改名されてしまったかつての沓掛宿です。大火にあったということで、古い建物などは残っておらず、宿場町の面影はほとんどありません。中山道の宿場でその名前まで失ってしまったのはここだけです。しかし、その名を惜しむ気持ちはあるようで、中軽井沢駅に併設されている地域交流センター(図書館や集会施設など)の名称は「くつかけテラス」です。

離山付近で唯一旧街道らしさを感じさせてくれた石仏
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ここが旧中山道だとは思えないような道です
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元は沓掛宿だった中軽井沢駅付近の街並み
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 しばらく進んだところで、国道18号と分かれ、左側の旧道へ。道端には可愛らしい双体道祖神があり、旧道らしい雰囲気になってきました。古宿という集落をぬけていくのですが、道路際をきれいな疎水が流れていて、気持ちの良い道です。一旦18号と合流しますが、18号バイパスとの合流点で再び左手へと分かれ、借宿という集落の中を進みます。そこは沓掛宿と追分宿の間の「間の宿」。碓氷の関所を避けて下仁田へと抜ける裏街道=「女街道」の入口があり、それを示す説明板が立っていました。杉玉を吊るした旧造り酒屋などの古い建物もあります。街道の右手には大きな馬頭観音があり、中馬稼ぎ(農民が馬を使って行った運送業)が盛んであったことをうかがわせます。借宿の集落をぬけると再び18号に合流します。18号線最高地点を過ぎると間もなく、右手に日本橋から39番目、すなわち江戸から39里、京へは91里14町という一里塚がみえてきました。道路の両側に一対の一里塚がしっかり残っています。その先のガソリンスタンドのところを右手に入れば追分宿です。
 追分宿は北国街道の分岐点であることから、浅間三宿の中で最も旅籠の数が多く、参勤交代の大名をはじめ、善光寺詣での人々などでたいそう賑わったそうです。中山道で最も標高の高い宿場でもあります。
 このあたりはポン太が日常的に徘徊しているところですが、軽井沢宿からずっと歩いてきたのはもちろん初めて。電線の地中化やタイル舗装がなされているため、いままでのどの宿場町よりもきれいに見えます。というよりむしろきれいすぎると言ったほうがよいかもしれません。浅間神社の裏に、追分宿郷土館があり、見学がてら、信州東部の中山道に関する資料を入手しました。本陣の建物は現存していませんが、旧本陣の門が堀辰雄記念館の入口に移設されています。脇本陣であった「油屋」や高札場の前を通り、北国街道との分岐点である「分去れ」に到着。本日はここまでです。これまでで一番気が楽で涼しい街道歩きでした。
 ところで、ポン太の古い記憶では、「分去れ」には、手水鉢風の石の小さな道標があり、「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」という素敵な文言が記されていました。ところが、それが見当たらなくなって久しいので、博物館にでも収納されたのかと思っていたところ、なんと盗まれたという話を耳にしました。手水鉢を盗むなんて、とんでもないバチあたりがいたものです。

18号(右)と分かれ旧道(左)へ
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可愛らしい双体道祖神
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借宿の古い街並み
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「女街道」の入口
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追分の一里塚
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追分宿中心部
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「分去れ」。手前が中山道、右が北国街道。
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ポン太が初めて追分宿を訪れた50年前の写真です。常夜燈の基部の前に確かに手水鉢のようなものが写っています。

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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その9

2017/07/23 12:32
  
<10日目、7月21日> 血染めの碓氷峠越え
 

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  さあ、今日はいよいよ、天下にその名が轟く碓氷峠越え。高揚感も緊張感もマックス状態です。不気味なタイトルをつけてしまいましたが、その訳はのちほど。
 この日の碓氷峠は霧に包まれ、時折雨がぱらつくといった、あいにくのお天気でした。それでもカンカン照りよりはましなので、予定どおり横川駅を出発。まずは碓氷の関所跡に立ち寄り、おじぎ石なるものに伏して通行許可を願い出ました。返ってきたのは山びこだけでしたが、通行OKと解釈して関所を通過。薬師坂を登ると、ほどなく国道18号(旧道)に出ます。自動車の通行量も少なく閑散とした道を進み、上信越自動車道の下をくぐり抜けると坂本宿です。「中山道坂本宿」と大書した下木戸跡が目に飛び込んできました。
 幕府の命により計画的につくられたという坂本宿は、碓氷峠直下に位置しており、峠越えに備えて多くの旅人がここに宿をとりました。大名行列も上り下りの二組を同時に泊めることができたというメガ宿場です。各家には今もかつての屋号が掲げられ、説明板も数多く設置されているので、街道歩きの気分は一層盛り上がります。
 坂本宿の出口となる上木戸跡を過ぎ、しばらく進むと、峠への入口(登山口)です。ここから先は本格的な山道になるので、ヒル対策の酢を塗ったり、手袋を着用するなどして身支度を整えました。

碓氷の関所の「おじぎ石」
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坂本宿下木戸跡
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坂本宿を行く。行く手の碓氷峠は霧の中。
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ここからいよいよ本格的な山道です。右手の休憩小屋で身支度を整えました。
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 山中に入ってまもなく、堂峰番所跡を通過。その少し先から刎石(はねいし)坂の急登が始まります。相変わらず天気は好転せず、薄暗く、じめっとした空気の中での山歩きです。気温はそれほど高くはないものの、急登の連続で大汗をかきました。古道だけに、沿道のいたるところに、いわれのあるモノやポイントがあり、説明板も設置されているので、歩いていて飽きるということありません。往時であれば、茶店も営業していたわけで、苦しい山道とはいえ、一息いれたり、気を紛らわしたりすることができたと想像されます。刎石坂の上部には多数の石仏があり、柱状節理の岩もみられました。一茶が「坂本や袂の下の夕ひばり」という句をよんだという「覗」からは、坂本宿を眼下に望むことができましたが、そこが碓氷峠越えで唯一の眺望の開けた場所でした。
 刎石坂を登り切り、刎石茶屋跡を過ぎると道は平坦となり、大昔の碓氷坂の関所跡に着きました。その裏にこぎれいな東屋が設置されていたので、横川からかついできた「峠の釜めし」で昼食。本物の峠道で食べるその味は格別です。
その先は比較的ゆるやかな登りで、テンポ良く歩くことができ、戦国時代の遺構である「堀り切り」を通過。しばらく進むと「座頭ころがし」という恐ろしげな名のついた坂道にさしかかりました。石がごろごろしていて歩きにくいところですが、危険というほどではありません。ゆるやかな登りが続いた後、少し開けたところが山中茶屋跡。最盛期には13軒もの茶店があり、明治に入ると学校もでき、明治天皇巡幸の際には25人の児童がそこで学んでいたということです。
 空腹では登れないのでその名がついたという「めし喰い坂」も、刎石坂に比べればたいしたことはなく、難なく登り切りました。その少し先が「一つ家跡」。そこには老婆がいて旅人を苦しめたということですが、はたしてどんな老婆だったのでしょうか。
 子持山のすぐ下の陣場ヶ原というところで、碓氷峠への道が二つに分かれていました。右は皇女和宮下向の際につくられた道、左はそれ以前からの中山道です。旧道にこだわって左の方の細道を進みましたが、これが意外に険しい道で、人馬施行所跡というところには徒渉箇所もありました。その先も急登が続き、峠を目前にかなりの体力を消耗。和宮の大行列を通過させるには、この道では困難と判断して新道をつくらせたのもうなずけます。和宮道と合流してしばらく進むと碓氷峠のサミットである熊野神社に着きました。横川駅からの所用時間は、昼食休憩を含み5時間10分でした。

刎石(はねいし)坂を登る
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「覗」から見た坂本宿。計画的につくられた宿場であることがよくわかります。
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大昔の碓氷坂の関所付近

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 両脇が切り取られて道が狭くなっている「掘り切り」の跡
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陣場ヶ原から峠へと続く和宮下向以前の旧道
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旧道を登り切った地点。峠のサミットはもうすぐです。
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碓氷峠の「峠町」を行く。文字通り峠の頂上にあり、「力餅」などを売る茶店が並んでいます。昔の旅人も、ここまで登ってきてほっとしたことでしょう。

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 峠の見晴台に立ち寄って小休止の後、軽井沢へと下りました。軽井沢宿の入口に位置する「つるや旅館」前あたりが、軽井沢で唯一宿場の雰囲気が感じられるところです。玄関先には「軽井沢宿」の石碑もあり、碓氷峠を越えて軽井沢宿に着いたことを実感しました。
 避暑客や行楽客で賑わう旧軽銀座を抜け、やれやれと帽子を脱いだところ、指先がぬるっとしたように感じたので、おかしいと思ってポン子に見てもらうと、帽子のすぐ下、耳の後ろから首にかけて、血糊がべっとり。気をつけていたはずのヒルに、思う存分吸われていたのです。ポン太ほどではありませんが、ポン子もやられていました。今日はどんよりとした曇り空の一日で、峠道は薄暗く、ミストの中を歩いているような感じでしたので、ヒルにとっては、絶好の活動日だったのでしょう。碓氷峠最強の敵は坂道ではなく、ヒルでした。
 何はともあれ、日本橋からのべ10日で軽井沢まで到達できたことは、この先の踏破へむけての大きな自信となったことは間違いありません。

軽井沢宿の入口にあたる「つるや旅館」の前。
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山の格好ではちょっと場違いな感じがする旧軽銀座を行く。ここが宿場町であったことなど、一般の行楽客で意識している人はほとんどいないでしょうね。
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夏だ、それいけお祭りだ!

2017/07/21 11:01
 ポン太はもともと派手なイベントを好まない「ひねダヌキ」ですから、お祭り好きとはいえません。しかし、お祭りには地域の歴史や風土が関係しており、地域を知るという意味で、見ておいて損はないと考えるようになりました。浅間山麓の夏を彩るお祭りの中で、ポン太を惹きつけ、ほぼ毎年見物しているものを3つご紹介します。

 <追分宿の「馬子唄道中」> 追分節発祥の地に因んだものです。侍や行商人、旅芸人、馬子などに扮した参加者が宿場内をパレードし、往時の宿場の様子を再現します。開催日は毎年7月の第4日曜(今年は7月23日)です。
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 <龍神まつり> 甲賀三郎の龍神伝説をモチーフにした御代田町のお祭りです。全長45mという日本一の龍をはじめ、女性の担ぐ「姫龍」や子供の龍などが、町内各所で「龍の舞」を披露します。開催日は毎年7月の最終土曜日(今年は7月29日)です。
スタート地点の古刹真楽寺の階段を下る「龍」
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 御代田駅前をいく「姫龍」
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<小田井宿まつり> 皇女和宮下向の際の空前絶後の大行列に因んだもので、和宮一行を模した行列が、往時の面影を留めている宿場内を進む姿は、一見の価値があります。惜しまれるのは見物客が少なすぎること。こんな素敵な行事を見に行かないのは損だとポン太は思います。開催日は毎年8月16日。小田井宿へは、御代田駅より中山道を歩いて30分です。
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収穫に一喜一憂

2017/07/20 09:06
 春先には花を愛で、実の収穫も楽しみにしていたアンズですが、残念なことに落果が相次ぎ、残ったのはたったの2粒。それだけではジャムにならないので、必要な個数をスーパーで調達することにしました。生のアンズは日持ちがしないので販売期間が短く、良い実をゲットするのは結構大変です。しかも、今年は本場の千曲市も不作ということで、市場に出回る量は少なめ。ポン子が奔走してくれたおかげで、なんとか完熟した良い実を手に入れ、手作りアンズジャムの味を楽しめることにはなりました。
 アンズの収穫の少なさにがっかりした一方では、嬉しいこともありました。ブルーベリーが今年はじめて実をつけてくれたのです。よく見ると、すでに紫色に熟した粒がいくつかあり、わずかな量とはいえこれからの収穫が楽しみです。
 収穫と言えば、家庭菜園で育てていたジャガイモを半分ほど収穫しましたが、まずまずの出来でした。キュウリは最初の1本を収穫することができ、トマトもそろそろかなといったところです。コストや労力を考えれば、直売所に買いに行った方が絶対お得です。それにもかかわらず、家庭菜園に手をかけるのは、育っていく過程を見るのが楽しいのと、自分でつくったものは、格別美味しいような気がする(本当はどうかわかりませんが)からです。これは家庭菜園で作物づくりをしている皆さん誰もが思っていることかもしれませんね。
 
 たった2つしか残らなかった貴重なアンズの実。
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 買ってきたアンズの実。プロがつくったものはさすがに立派です。
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 熟し始めたブルーベリー。
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 収穫したジャガイモ。いつもはノーザンルビーという果肉まで赤い種類を栽培しているのですが、今年は種芋を入手することができず、「キタアカリ」をつくりました。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その8

2017/07/18 09:38
  <9日目、7月15日> せまる山並み、益々良くなる街道の風情

 東京を離れれば離れるほど、街道歩きの面白さは増す。そう考えて間違いないでしょう。前にも書きましたが、京都から東京へむかった場合には、ゴールが近付くほど旧街道の雰囲気は希薄となります。その結果、上州には到達したものの、東京まで歩く気力がなくなり、中山道歩きをやめてしまったという外国人の方にも出会いました。やはり京の都をめざす「上洛」が正解ですね。
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 この日は安中市の原市小学校前からのスタートです。 歩き出してまもなく左手に立場茶屋の建物があらわれました。沿道には古い民家が多く、旧街道を歩いているという実感がわきます。しかし趣のある民家の多くが空き家になっており、いつまでこの景観が保てるだろうかと心配になります。そうした古民家の戸口には必ずといってよいほど「碓氷社組合員」の青い標識が張られていました。碓氷社というのは、1878年に設立された群馬を代表する組合製糸であり、蚕糸業がどれほど盛んであったのかよくわかります。
 国道18号に吸収されずに残っている旧道は、ほとんど人通りのない寂しい道でした。道路が舗装されていることを除けば昔とあまり変わらない風景ではないでしょうか。一旦、国道18号線に合流しますが、間もなく松井田市街地方面へ分れる道があり、それが旧中山道です。そこを少し進んだところで、右手の藪の中に「西南の役碑」をみつけました。日本史の教科書に必ずでてくる出来事ですが、このような遠く離れた土地でも石碑に記録されているのを見ると、それが、局地的事件ではなく、国を揺るがす大事件であったことがよく理解できます。このように日本史を身近なものとして感じることができるのも、街道歩きの醍醐味のひとつでしょう。

原市小学校を後に松井田宿をめざしました。旧街道らしい道です。
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道路脇の「西南の役碑」
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  松井田宿に入ると旧旅籠と思われる建物がかなり残っており、宿場町の雰囲気は十分感じられました。残念なのは、旧宿場町であることを活かして、町を積極的にアピールしていこうという姿勢が感じられなかったことです。
  松井田宿を抜け、西松井田駅入口の交差点を過ぎたところで、左手の細い道へ入ります。碓氷川沿いに開けた水田の中の農道のような道です。前方の妙義山から吹き下ろす風が心地よく、暑さにまいりそうな状態からしばし解放されたような気分になりました。
 窪宿という集落の先で18号線を横断。上信越道の下を通り抜けると間もなく、「茶屋本陣お西お東」の標識がありました。そこを右に入って信越線の踏切を渡ったところに、「五料の茶屋本陣」の建物があります。立派な建物なので、立ち寄って見学することにしました。「お西、お東」という表現が面白く、最初は何のことかわからなかったのですが、ほぼ同形の茶屋本陣が2軒あり、一年毎に交代で名主が勤めを果たしていたことからそのように呼ばれたということです。江戸時代の文化三年の建築ですが、保存状態は大変良く、見学した甲斐がありました。冷たい麦茶と梅漬けのサービスがあり、暑い中を歩いて来て、のどがカラカラに渇いていましたので、助かりました。

松井田宿脇本陣前にて
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松井田宿から2kmキロほど進んだあたりの旧中山道。歩いてきた松井田側を振り返ってみた風景です。
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五料の茶屋本陣
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 五料平というところで信越線の踏切を渡り、その北側の丘を越えます。現在の国道18号とはまったく異なるルートです。そこを丸山坂というようですが、坂を上り切ったところに、「茶釜石」という叩くと透明感のある音がでる不思議な石がありました。このあたりの中山道は、のどかな山里を行くといった雰囲気で、心が和みます。坂を下り、信越線の線路際にでました。すぐ近くの国道に設置されていた温度計の表示はなんと35度。この炎天下、我ながら良く歩いたものだと感心しました。ほどなく本日のゴールである横川駅に到着。次回はいよいよ中山道最大の難所といわれる碓氷峠越えです。

「茶釜石」。叩くと確かに良い音がしました。昔の旅人も、面白がって叩いたのでしょうか。
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丸山坂を越えたあたりののどかな中山道
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横川駅前の「峠の釜めし」で有名な荻野屋
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野菜生活

2017/07/16 11:24
   浅間山麓にねぐらを移してから、生活面で大きく変化したことのひとつが、野菜摂取量の増加です。統計によれば、長野県民は全国一たくさん野菜を食べているそうですが、その理由がよくわかります。地元産の夏野菜がとにかく美味しいのです。野菜は、霧にあたると葉の表面が潤い甘みが増すといわれ、霧がでやすい標高の高い地域で栽培される野菜を霧下野菜とよびますが、まさに今が旬。
 浅間山麓には、直売所や道の駅、無人販売所がいたるところにあり、温泉施設にも農産物コーナーがあるので、新鮮で美味しそうな野菜を目にしない日はありません。値段も信じられないほど安いので、つい手が出てしまうというわけです。そんなわけで、わが家の収蔵庫はいつも野菜でいっぱい。必然的に、日々食べまくることになります。
 外出先のレストランなどで、付け合わせの野菜が申し訳程度に盛られている料理が出てくると、「ケチやな〜」(なぜかここだけ関西弁)という愚痴がでてしまうほど、「野菜生活」にどっぷり浸かっているポン太です。

直売所や道の駅は、益々増えています。これは、昨年オープンした軽井沢の「発地市庭(ほっちいちば)」という直売所。軽井沢らしいお洒落な建物なので、ひょっとして「軽井沢値段」かもと思ったのですが、そんなことはなく、質の良い軽井沢産野菜がリーズナブルな価格で勢揃い。チーズや豆腐の名店も入っており、別荘族や行楽客の評判も良いようです。今夏は、佐久南インター付近にも「ヘルシーテラス佐久南」という道の駅がオープンし、どこへ買い物に行こうかと迷ってしまいます。
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生産者が採れたての野菜を持ち込んで販売する、こうした直売所を利用することが多いのですが、珍しい野菜の名前や食べ方を、店の方(といっても交代で店番している農家の方ですが)に教えてもらえるメリットがあります。御代田町塩野の直売所「ひだまり」にて。
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浅間サンライン沿いの小諸市域には、自分で収穫する究極の直売所もあります。
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ポン太の朝食です。レタス、キャベツ、トマト、キュウリのサラダ、ズッキーニとピーマン、サツマイモのソテー、それに目玉焼き。野菜の種類は日替わりですが、量はこれが標準です。浅間山麓で暮らすようになるまで、朝からこんなに野菜を食べていた記憶はありません。
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絶景とコマクサの黒斑山へ〜ここから始まる夏山

2017/07/11 00:35
  信州限定らしいのですが、テレビの気象情報に「夏山の明日のお天気」というコーナーが加わるようになると、本格的夏山シーズンの到来を実感します。「槍ヶ岳、曇りのち晴れ」「白馬岳、霧」などというフレーズに気分が高揚し、今夏はどの山に登ろうかと考えてしまうのです。されど、気持ちは高まっても、体力はすでに下降モードに入っており、登りたい山よりも登れる山を探すことになるのが現実です。
 いきなり標高差の大きな山にでかけるのは不安なので、まずは、近場の山で、身体を慣らす(試す)必要があります。ちょうど良いのが、2000m級の山が連なる浅間連峰。とりわけ、浅間山第一外輪山の最高峰である黒斑山(くろふやま2404m)は、登山口の車坂峠から2時間強で山頂に達することができるので最適です。
 黒斑山に登るのは、足慣らしのためだけではありません。浅間山の最高の展望台であり、外輪山や火口原の大景観を楽しむことができるからです。高山植物も豊富で、何度登っても飽きることはありません。
 先週末に登った際には、高山植物の女王、コマクサが咲いていました。下界では猛暑日となったところもあったようですが、黒斑山は、登山口の標高が2000m近いので、全コース暑さ知らず。吹き渡る天然クーラーの風を浴びた登山者たちは、口々に「持って帰りたいようだ」と言っていました。

登山口から1時間ほど登ると、可憐なコマクサが迎えてくれました。
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ゴゼンタチバナもたくさん咲いていました。その名は白山の最高峰である御前峰に由来するという高山植物です。
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ゴゼンタチバナに似ていますが、こちらはツマトリソウです
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最初のピークである槍ヶ鞘から見た「トーミの頭」。登山道がガレていて、黒斑山で一番の「難所」ですが、見た目ほど危険ではありません。本来なら右に浅間山を望める場所ですが、写真撮影時はガスで見えませんでした。
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切り立った岩峰の「トーミの頭(かしら)」。ここからの眺めはすばらしく、大勢の登山者で賑わっていました。
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トーミの頭からみた浅間山の外輪山と黒斑山山頂(左端)
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黒斑山の山頂に近づいたころ、ようやく姿をあらわした浅間山。下方に広がるのは火口原の湯ノ平です。
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黒斑山山頂の少し先には、ポン太とポン子お気に入りの、秘密のランチテラスがあります。この大展望を独占してのランチは格別。コーヒーをいれれば、標高2400mの極上カフェです。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その7

2017/07/08 23:27
<8日目、7月1日> 和宮さん 新島襄さんこんにちは画像
 
 都市化が著しい高崎市ですが、田町から本町(もとまち)へと進むに従い、絹市場の蔵など古い建物がいくつか目につくようになり、旧街道沿いの街らしい雰囲気になってきました。沿道には煉瓦煙突の立つ古い醤油醸造所があり、歴史を感じます。
 明治天皇の巡幸がその名の由来という「君が代橋」で烏川を渡り、下豊岡から旧道へ。その入口には江戸時代に立てられた2つの石の道しるべがあり、「くさつみち」などの文字が読みとれました。その先には大名の休憩場所である茶屋本陣も現存していました。
 上豊岡町で国道18号に合流すると、いかにも高崎らしい、ダルマの製造所があり、まだ色のついていない真っ白な達磨たちが通り過ぎる私たちを見送ってくれました。板鼻下町交差点からは、比較的交通量の少ない旧道歩きでほっとします。少し進んだ道端に「双体道祖神」が置かれているのが目にとまりました。男女一対の道祖神は、信州ではポピュラーなものであり、いよいよその文化圏に近づいたかと思うと、元気がでます。

 ダルマの製造所前を行く 
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 沿道の双体道祖神(左)。右の「御神」という石には享保と記されています。八代将軍吉宗の時代ですね。
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 次の宿場である板鼻宿ですが、それがどこにあるのか、実はこの街道歩きをするまではよく知りませんでした。なぜなら、信越線に同名の駅がないからです。しかし、気づかなかっただけで線路は通っており、群馬八幡駅と安中駅の中間にある「第九中仙道踏切」を越えた先が板鼻宿でした。出桁づくりの家が目につき、宿場町の雰囲気が濃厚に漂っています。本陣の建物は残っていませんが、皇女和宮が泊まった部屋だけは移築保存されていて、その内部を見せてもらうことができました。床の間に置かれていたのは、和宮が用いたとされる草履。その小ささに、ホンモノ感がみなぎっていました。その部屋で小一時間を過ごし、いろいろな資料を目にしたことで、もうすっかり和宮の下向が身内のご先祖の話のように思えてきたポン太でした。
 板鼻宿の裏を流れる板鼻堰用水路は風情があります。季節は違えど英泉が描いた「木曽街道六十九次」の「板鼻宿」そのままといった感じでした。板鼻宿を抜け、国道18号の鷹ノ巣橋を渡り、中宿というところから再び旧道に入りました。下野尻で国道18号を横切るとほどなく安中宿です。

 風情のある板鼻宿の街並み
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 皇女和宮が宿泊した部屋
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昔を偲ばせる板鼻堰用水
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 段丘上に位置する安中は城下町でもあり、上段が武家屋敷、下段が宿場町という構造になっています。伝馬町という交差点から、上段にあがり、旧碓氷郡役所、新島襄記念会堂を眺めつつ武家屋敷のある一角へと進みました。下段の中山道にもどり、少し歩くと右側に新島夫妻ゆかりの有田屋という味噌蔵があり、その前には日本最初の私設図書館という便覧社跡の碑も立っていました。何といっても新島襄は安中きっての偉人であり、その名を目にすることなく安中を通過することはできません。

 安中の伝馬町を行く
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 新島襄記念会堂(教会)
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 新島襄ゆかりの有田屋前の中山道
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  厳しい暑さで次第に足取りが重くなり、安中宿を抜けたところのコンビニで、「カルピスウォーター」というチューブ入りの氷菓を買って一休み。この氷菓は首にあてて身体を冷やすこともできるので、暑さ対策には大変有効で気に入り、コンビニを見つける度に買いまくることになってしまいました。
 再び旧道を進み、国の天然記念物に指定されていながら、僅かな本数しか残っていない原市の杉並木を過ぎると、「明治天皇原市御小休所」の碑がありました。これも国の史跡に指定されていますが、この種の碑は街道沿いのいたるところに設置されており、明治天皇の顔見世巡幸が、明治政府による天皇の権威づけ=「国体」づくりに必須の大事業だったことがよくわかります。本日の到達点は原市小学校というバス停です。暑さには閉口しましたが、街道歩きの面白さを十分味わえた一日でした。

 原市の杉並木
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その6

2017/07/08 12:34
<第7日目、6月26日> 一気呵成に高崎へ

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 上州へ到達したことで気分が乗ってきたポン太たちは、日を経ずして新町から先へと歩みを進めることにしました。
 新町の市街地を出て高速道路の下をくぐりぬけると烏川の堤防に出ます。堤防上の道はサイクリングロード化されていて歩きやすく、日差しは強いものの、時折吹いてくる風がさわやかです。スタートが遅かったので、歩き始めて間もなく、木陰をみつけて、昼食をとりました。弁当は、新町駅近くの「フレッセイ」というスーパーで調達しましたが、これがなかなかの美味。このスーパーは垢抜けた雰囲気で品揃えもよく、すっかり気に入りました。この先の街道沿いにも、こんなスーパーがあって欲しいなどと思ったのですが、旧中山道沿いには、スーパーはおろかコンビニすら存在しないエリアがあるということに、ポン太はまだ気づいていませんでした。
 烏川の渡河地点へいたる旧道は消滅していたため、少し上流の柳瀬橋を渡りました。烏川の河原は広く、水量も豊富。かつて倉賀野が、利根川水系最上流の河港としてにぎわったというのもうなずけます。橋を渡りきった岩鼻交差点から旧道に入り、倉賀野宿をめざしました。途中からは工業団地の中の産業道路と化していましたが、道路際には「旧中山道」の標識が立っており、とりあえずその道が中山道であることは認識できます。

烏川の土手を行く。利根川合流点まで7kmという標識がありました。
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岩鼻観測所付近の烏川。滔滔たる流れに、水運が盛んだった時代が偲ばれます。
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 倉賀野宿の入口は日光例幣使街道との分岐点にもなっており、常夜燈と道標、そして焔魔堂が残されていました。沿道には格子のついた古い家が残っており、宿場町らしい雰囲気が感じられます。脇本陣は昔のままの建物が残っていました。高崎線に倉賀野という駅があることは知っていたポン太ですが、実際に街道を歩いてみてはじめて、陸路と水路の結節点として栄えた、この地の歴史の重みのようなものを感じることができました。
 倉賀野宿から先は、道路の幅が広がり、ファミリーレストランなどのロードサイド店だらけ。どこにでもありそうな風景ですが、道路際を流れる水路に沿って松並木風の修景がなされていて、中山道であることをアピールしてはいるようです。その先、高崎宿までの間には、ほんの少しだけ路地のような旧道が残っていましたが、それ以外は、これといった特徴のない道でした。

倉賀野宿入口の日光例幣使街道(手前)と中山道の分岐点。
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旧街道の面影が残る倉賀野宿を行く。
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水路と松並木により修景された一角。
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 高崎市街地に入ると宿場の面影はおろか、その道が中山道であることを意識させるものはほとんどありません。日差しが一層強まり、大汗をかいて体力は急速に消耗。時間的余裕はあるものの、先へ進む気力がなくなり、本日は高崎宿でフィニッシュとしました。

上信電鉄の踏切を渡れば高崎宿の中心部です画像
                
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その5  

2017/07/04 17:40
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<第6日目、6月25日> さらば武州、ごめんなすって上州

 梅雨の季節の街道歩きでは、雨は避けようがありません。雨のち曇りという予報を信じて、雨の深谷宿をスタートしました。市街地を出て岡部にむかうころには雨が上がり、日差しももれるようになりました。しばらくは、自動車道路の脇を進む単調な道ではありますが、街道筋らしい古い建物も散見されます。
 岡部の中宿歴史公園入口を過ぎたところで、旧中山道の標識に従い、現在の道とは別の細道へと入りました。道は「くの字」に曲がっており、曲がった先の木陰に、石仏、石碑がたくさん並んでいる一角が目に入りました。これは百庚申といい、説明板によれば、万延元年庚申の年に地元の有志が計画し、その翌年に完成したものだということです。旧街道らしい好ましい雰囲気が漂っていました。
  国道17号を斜めに横断した後は、田んぼの中の道を行きます。みどり一面ののどかな風景が広がり、吹く風はさわやかでした。小山川という川を渡る箇所では昭和3年竣工という滝岡橋を渡りました。本来の中山道の橋ではありませんが、登録文化財にもなっている美しい橋でした。ポン太はもともと近代化遺産に興味があり、中山道を歩いていて、旧街道や宿場の遺構だけではなく、こうしたものを目にすると嬉しくなるのです。
 あまり特徴のない田舎道のようなところをひたすら歩き、再び小山川を渡って、本庄の市街地へと入って行きました。本庄宿には、本陣門以外、旧街道時代を偲ばせる建築物はほとんどありません。しかし、明治期の建築物には目を見張るものがありました。その1つは本陣門の裏にある旧本庄警察署です。明治16年の建築というモダンな木造洋風建築で、ギリシャ風の円柱を配したベランダが印象的です。そこから少し歩いた先には、すばらしい煉瓦建造物も存在していました。明治27年創立の本庄商業銀行だった建物です。煉瓦を用いたのは、深谷の日本煉瓦の影響でしょうか。
                         旧道らしい雰囲気が漂う百庚申付近
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登録文化財の滝岡橋。空が広い!
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お洒落なベランダ付きの旧本庄警察署
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赤煉瓦の旧本庄商業銀行
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宿場町の面影はあまり感じられない本庄の中心部ですが、カレー屋さんの看板には「中山道辛味処」とあります。
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 本庄を過ぎたあたりで、水田のすぐ後ろの黒雲からは雷鳴が轟くようになり、不安を抱えつつ新町への道を急ぎました。神保原駅入口付近を過ぎると、案の定、ぽつりぽつりと雨が落ちてきました。さして面白くもない道をひたすら歩き、上里町の一里塚碑を過ぎると、ようやく国道17号に合流。雨が激しくなる中、さらにひとがんばりして、なんとか神流川の橋のたもとに到着。欄干の端部には常夜燈があり、中山道に架かる橋らしい趣きです。長い橋を渡り終えたところに、「中山道、新町宿0.4km」の木製道標が立っていました。ついに武州エリアの中山道を踏破し、上州エリアに入ったわけです。新町宿の入口には大きな常夜燈があり、その前には、「右碓氷峠十一里、左江戸二十四里」と記された石の道標が置かれています。碓氷峠などという文字を目にすれば、ついにその難所がせまってきたかと、気分は高揚します。
 新町宿には古い建物はほとんど残っておらず、昔のままの姿を留めていたのは、明治天皇新町行在所ぐらいでしたので、そこを本日の到達点とすることにしました。

 神流川を渡れば群馬県。常夜燈に旧道の名残を感じます。
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明治天皇行在所
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 日本橋を出て11番目の宿場である新町宿まで到達しました。ここから上州(群馬県)です。画像
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たくさんのレンゲツツジ もうたくさんの五輪

2017/07/02 18:46
  貴重な梅雨の晴れ間を利用し、レンゲツツジで有名な湯ノ丸高原(東御市)へ出かけました。少し盛りを過ぎた感はありましたが、写真のとおりのすばらしい景観でした。ツツジの大群落を見た後は、湯ノ丸山、烏帽子岳に登り、頂上からの大展望を満喫して帰るというのが例年のパターンです。ところが、今回は雲行きが怪しかったので、ツツジ平の周辺を少しトレッキングしただけで地蔵峠の駐車場にもどりました。
 その駐車場の背後で、うなりをあげている複数の重機が目にとまりました。看板をみると「トラックレーン云々をつくっています」とあります。東京オリンピックにむけての選手の強化・育成をうたい文句に、トラックやプール、体育館、合宿所などのいわゆる「高地トレーニング施設」をつくろうとしているようなのです。
  山の自然はなるべくそのままの状態で楽しみたい、人工の建造物はできる限り少ない方が望ましいと考えるポン太にとっては、ちょっと気が重くなるような話です。湯ノ丸キャンプ場への通路(烏帽子岳への登山ルートでもある)にも、整備事業のため一時通行止めになるという掲示がでていました。同キャンプ場は、カラマツの自然林に囲まれ、鳥のさえずり以外は何も聞こえないという静かな環境が魅力でしたが、なんとクルマが直接乗り入れできるオートキャンプ場に「整備」するようです。山はいじればいじるほど通俗化し、その山がもつ本来の価値(魅力)は減衰する、ポン太はそう思うのですが…。

標高1800m前後に広がるレンゲツツジの大群落は見事です
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湯ノ丸キャンプ場周辺のカラマツの純林。浅間連峰随一の美しさだとポン太は思います。
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清々しい湯の丸キャンプ場。ここにクルマが入って来るなんて、杞憂であって欲しいです。
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地蔵峠の駐車場近くで作業中の重機
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 こんな「開発」のお題目にもなっている2020年の東京オリンピックですが、競技施設の場所や費用負担問題でもめ続け、開催意義などどこへやら。メダルの大盤振る舞い?なのか、競技種目もインフレ状態。「コンパクト五輪」とは笑止千万です。あまつさえ、「共謀罪」や「改憲」といった政治問題まで絡ませる動きを見せられては、もう何のためのオリンピックなのかポン太にはさっぱりわかりません。1964年の東京オリンピックには誇らしさを感じ、競技にも夢中で見入ったポン太でしたが、今回はすっかり白けており、密かに森の中でオリンピック「三ない運動」に取り組もうと決めました。「見ない」「聞かない」「関わらない」。賛同は求めませんので念のため。
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里山が最も輝く季節

2017/06/30 10:07
  梅雨の晴れ間は、里山歩きの絶好のチャンスでもあります。梅雨が明けてしまうと暑過ぎて敬遠したくなるような山でも、一汗かく程度で済み、むしろ一年中で一番と言って良いぐらいの、とびきり美味しい空気を味わうことができるのです。木や草の香りをたっぷり含んだしっとり感とでもいいましょうか。
 美味しいのは空気だけではありません。馴染みの平尾山にでかけてみましたら、いつのまにか木イチゴがたくさん実をつけていました。オレンジ色のモミジイチゴの実は特に甘みがあって美味しく、この季節ならではの山のスイーツです。
 山頂付近ではアザミがたくさん咲いていました。シモツケの花も咲き始めていて、山は夏の装いへ衣替えの真っ最中。そうかと思うと、谷筋には、まだ春の花であるクリンソウも咲いていました。
 まさに五感フル回転の世界。ポン太の徘徊は止まりません。

空気が美味しいので「忍耐の小径」も苦になりません
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アザミの群落
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咲き始めたシモツケの花
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山頂からの展望もまずまずです
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木イチゴの女王?モミジイチゴ
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谷間にひっそりと咲いていたクリンソウ
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広島ノスタルジー

2017/06/28 09:33
  広島は、ポン太のような「ノスタルジー派」にとって、とても良い町です。百万都市として大発展しながらも、路面電車網をそのまま残し活用しているので、電車通りの形状から過去の町の面影をたどることが比較的容易だからです。都市のゲートである広島駅も高架化などの改造を受けていないので、昔と同じ町を訪れたという気分にさせてくれます。
  先週、久しぶりに広島へ出かける機会がありましたので、今から半世紀前の1968(昭和43)年、初めて広島を訪れた際にカメラを構えた場所に立ち寄ってみました。
 まずは広島駅の構内(東側)です。新幹線の高架が追加されてはいますが、往時の面影を十分感じることができました。
 広島駅を発車した呉線経由の上り急行「安芸」です。(1968年3月7日撮影)
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 ほぼ同じ場所を行く227系電車です。
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 大形蒸気機関車が活躍していた呉線の沿線も忘れ難い思い出の地です。撮影時のことをよく覚えている小屋浦駅で下車してみました。現在は無人駅となり、ホームや駅舎、周辺の様子も変わっていましたが、背後の山のシルエットは同じで、間違いなく同じ場所であることがわかります。半世紀前、この場所にカメラを構えていた少年(自分)がいたわけで、嬉しいような懐かしいような不思議な気分になりました。
 小屋浦駅を発車するC59形蒸気機関車牽引の923列車(1968年3月6日撮影)
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 小屋浦駅を通過する広島行の快速電車です。
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 小屋浦駅ホームに進入してくるC62形蒸気機関車牽引の624列車です。ホームに隣接して駅舎があり、駅長さんの姿も見えます。(1968年3月6日撮影)
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 小屋浦駅を通過する227系快速電車です。無人駅となり、駅舎は下方に移されていました。
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 広島駅へむかって次々とやってくる広島電鉄の路面電車です。猿猴橋電停付近にて。
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 車両は変われど、雰囲気は変わっていません。
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 遠い昔に訪ねた場所を再び訪れ、同じポジションを探して写真を撮る。これからは、そんな旅も悪くないと感じたポン太でした。
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高原野菜は畑もビューティフル

2017/06/24 23:17
 レタスやキャベツといった高原野菜がすくすくと育ち、直売所が賑わうようになりました。地元産の新鮮な野菜の味は格別ですが、整然とした野菜畑の景観もみごとで、思わず足を止めて眺めてしまいます。
 ポン太の小さな家庭菜園でもレタスを育てていますが、有り難いのは、寒冷地ゆえに害虫が比較的少なく、農薬を使わなくてもなんとかなること。極寒の冬があればこそ、こうした良いこともあるわけで、自然というのは実にうまくできているものだと、いつも感心しているポン太です。

 これぞ浅間山麓といった感じのレタス畑。御代田町の「ココラデ」というパン屋さんの裏側の風景です。確かに「ここらで」一休みしたくなりますね。左手奥に見えるのはしなの鉄道の列車です。
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軽井沢町追分のサニーレタスの畑です。色が濃く、観葉植物のようにも見えます。
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ポン太の菜園のサニーレタスです。土が悪いのであまり大きくはなりませんが、市販のものよりも葉が柔らかくて食べやすいです。
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森が元気をくれる

2017/06/20 13:40
 梅雨は鬱陶しい季節。ただでさえ気持ちが沈みがちになるのに、人間どもの「セイジ」の世界を見ていると背筋まで寒くなります。この先、言いたいことも自由に言えないばかりか、考えたり誰かに相談したりしただけで捜査対象となるような、息苦しい監視社会がやってくるやも……。一方では、「ある」ものを「みつからなかった」といい、「ある」ことがわかっても、関係者の喚問すらしないという、タヌキも顔負けのドロン術オンパレード。おっとっと、こんな不安や不満をもらしただけで、このブログも監視対象にされてしまうかも。
 人間どもの薄気味の悪い動きとは無関係に、水分をたっぷり補給された森の植物たちは、元気に育っています。この季節らしい、ツユクサやキショウブも咲き始めました。数年前に、菜園から掘り出した石を積み、石垣イチゴ風に植えたイチゴが、半ば野生化しつつもたくさん実をつけています。植えたわけでもない桑の木が大きく育って、その実が黒く熟し始めました。
 森の木や花を眺め、森の恵みを口にして、少し元気を取り戻したポン太でした。

梅雨の季節にふさわしい、その名もツユクサ。ありふれた花ですが、心がなごみます。
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緑の森の中でひときわ目立つキショウブ(黄菖蒲)。実は繁殖力の強い外来種で、駆除対象になっているところもある由。
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何も手をかけていないのに、毎年恵みをもたらしてくれる有り難いイチゴ。
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見た目はちょっとグロテスクな桑の実。赤味が増して、黒くなると食べ頃です。
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森の恵みを利用したデザート。プレーンヨーグルトに、イチゴと桑の実をトッピングしただけですが、見た目よりずっと美味しいですよ。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その4

2017/06/17 11:09
<第5日目、6月18日> ちょっぴり昔の旅ガラス 荒川土手から熊谷、深谷へ

 梅雨の晴れ間を狙って中山道歩きを再開。前回は雨で気づかなかったのですが、「間の宿」であった吹上市街地も旧街道らしさが残っており、中山道関連の標柱もしっかり設置されていたので、本町から左に折れる旧道を迷わず進むことができました。
 高崎線を越えて荒川の土手に登ると、視界が一気に開けて、まさに気分爽快。「合羽からげて三度笠」の旅ガラスも、参勤交代の侍たちも、緑がどこまでも広がるこの風景に、さぞかし癒されたのではないでしょうか。荒川土手の快適な道を離れ、しばらく進むと熊谷の市街地です。ビルが建ち並ぶ中心部は、大宮同様、宿場町であったとはとうてい思えないような雰囲気でした。その先、国道17号とは別の旧道をたどる箇所は、中山道を歩いている気分になれましたが、国道に吸収されてしまっているところや、籠原付近のように新興住宅地の中に取り込まれてしまっているところは、ひたすら歩くだけといった感じで疲れました。熊谷宿は長谷川伸の代表作のひとつである『沓掛時次郎』の舞台ですが、歌の文句のような「追われガラスが流れて着いた、風の熊谷仮の宿・・」といった情景を思い浮かべるのはちょっと難しいですね。
 この日の到達点となった深谷はなかなか面白いところでした。宿場の手前の交差点には「見返りの松」、その先には宿の入口を示す常夜燈があり、宿場町に入っていくという気分になります。道沿いに見事な洋館をみつけましたが、何やらいわくありげでこれまた興味津々。深谷宿中心部の仲町に入り、本陣や脇本陣の跡を探して、「きん藤」という老舗旅館のご主人に話を伺うと、その旅館がかつての脇本陣で、その裏の路地に明治天皇御小休所の碑があることがわかりました。また、先ほど見た洋館は、昭和初期の不況時に職人救済のために地元の有力者が発注してつくらせたものであることも判明。
 深谷には東京駅の建設にも用いられた煉瓦の工場(日本煉瓦)があったことから、煉瓦造の建造物がたくさん残されています。宿場だった時代、近代化の時代、その両方を味わえるという点で、興味深い町だとポン太は思いました。

爽やかな風が吹き渡る荒川土手を行く。昔もこんな感じだったかなと思える風景です。
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熊谷宿本陣跡の碑。市街地のど真ん中で風情はまったくありませんが、バス停の上屋がちょっぴり歴史を感じさせてくれました。
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国道歩きの単調さにはうんざりですが、旧道に入るとそれなりの風情があり、元気がでてきます。
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深谷宿入口の常夜灯。クロスしている細い道は、日本煉瓦の工場に通じていた専用鉄道の廃線跡です。
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偶然みつけた謎の豪邸
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側壁が煉瓦の商店。深谷には煉瓦を使った建造物がたくさんあります。
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煉瓦の町深谷を象徴するのが、東京駅を模して建設された深谷駅。煉瓦はタイルですが、ほんものの煉瓦造のようにみえます。
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五無斎というすごい人がいた

2017/06/14 22:05
 直木賞作家の井出孫六氏の講演会があるというので、立科町へ出かけてきました。演題にある五無斎というのが何者であるのかも知らず、直木賞作家というネームバリューに惹かれて、ミーハー的に参加したというのが本当のところです。
 講演内容や会場のパネル展示から、五無斎(本名は保科百助)という人物が、明治元年生まれの教育者、地学(鉱物)研究者であり、亡くなってから百年以上も経つのに、いまも地元で慕われていることを知りました。これは、五無斎の先進性、ヒューマニズム、反骨精神、ユーモアのセンス、教育論等に、地域の人々が共感していることを意味します。
 五無斎は長野師範をビリで卒業したということですが、それは軍隊風の教育への反発心からのようですし、校長時代には差別的教育の除去に尽力し、その教育方針は徹底した実物主義であった由。本物に触れさせることで自発的な学習を促すという、いわゆる詰め込み教育とは正反対のものです。貧困故に中等教育を受けられない青少年のために塾を開設したり、小中高大学の授業料全廃を唱えたりもしたそうです。手取り足取り教育を非とする教育論は、あれもこれもと仕事を増やし、教員を過労死寸前に追い込んでいる教育界の現状に対する警鐘のようにも聞こえます。
 鉱物採集のために県内をくまなく歩いたそうですが、その風体は乞食同然。ある時、わらじがダメになり、買い求めようと店に寄ったところ、持ち合わせのお金がその代金に少し足りなかったそうです。そこで、おまけして欲しいと懇願したにもかかわらず、店主は拒否。そこでつくった狂歌が「おあしなし 草鞋なしには 歩けなし おまけなしとは お情けもなし」だったということです。五無斎という号の由来のようですが、皮肉まじりのユーモアのセンスはなかなかのもの。時代を超越したすごい人物を「発見」できた一日となりました。

講演会のチラシです。五無斎の写真が掲載されていますが、中央の教育者然とした姿は珍しいそうです。左側は鉱物採集の際のものだということですが、いろいろな話を聞いていると、こちらの方が五無斎のイメージにぴったりです。
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開会前の講演会場の様子。
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広々とした青田のむこうに浅間連峰の山並みを望む立科町。県歌『信濃の国』の歌詞に「古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い」とありますが、この風景を眺めていると、本当にそうかもしれないと思ってしまいます。
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立科町を通り笠取峠へとむかう中山道です。街道は文化の通路でもあり、五無斎に何らかの影響を与えたかもしれません。
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ジャムは手作りが一番

2017/06/13 10:13
  浅間山麓の森の中での暮らしを始めてから、手作りするものが増えました。とくにジャムは100%手作り。季節毎に高品質の旬の材料が入手できるというのがその大きな理由です。それだけでなく、すべての原材料が目に見える形で把握でき、無添加無着色ですから、安全、安心です。糖分も控えめにしているので、ヘルシーでもあり、素材のピュアな味を楽しむことができるなど、いいことずくめといってよいでしょう。
 今の季節はルバーブが旬。材料のルバーブは、ポン太の森で育ったものを使いますから、正真正銘の自家製ジャムということができます。好みもあるでしょうが、独特の酸味があり、クセになる味です。

大きく育ったルバーブ
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収穫した茎の部分。
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下ごしらえをして一晩寝かせた状態。この先の手順は、ポン子が企業秘密だと主張しておりますので、お見せできません。何卒ご容赦ください。
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出来上がった今年最初のルバーブジャム。美味しいです。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その3

2017/06/11 09:29
  <第4日目、6月6日> 雨ニモマケテ 風ニモマケテ やっと吹上

  箕田追分から中山道歩きを再開しました。沿道には一里塚跡や忍(おし)領境界石柱など、旧道らしいものがいくつか存在しており、それなりの面白さはあったのですが、何しろ朝から本降りの雨。歩いているうちに雨脚がいっそう強まり、風もでてきて、すっかり戦意を喪失。今日はもう吹上まででいいやということになりました。
 この日予約していた宿は碓氷峠の麓、横川駅近くの「東京屋」という旅館です。スタート当初、1日30km以上歩けるだろうと甘く考えていたことから、4日後には、碓氷峠の近くまで到達しているのではないかというのが、この宿を選んだ理由です。しかし、実際にはとんでもなく手前の吹上止まりとなってしまいました。キャンセルという選択肢もあったのですが、直前の連絡では申し訳ないと思い、結局、電車で横川へとむかいました。
 この判断は大正解でした。この宿の利用者の多くは、街道歩きや山歩きの人で、この日同宿した4人連れも街道歩きの大ベテラン。中山道はすでに踏破済みということで、貴重な体験談をいろいろ伺うことができたのです。特に印象に残ったのは、江戸時代からの旅籠で、今も営業しているという細久手宿(岐阜県)の大黒屋の話です。そこの女将のつくる食事がなんとも表現できないほど美味しいのだが、90歳近い高齢なので、はやく行かないと間に合わないかもしれないというのです。この話を聞き、これはもう遅くとも年内に細久手宿へ到達せねばなるまい。到達できた暁には、絶対そこに泊まろうと心に決めました。
 この翌日も激しい雨でしたので、中山道歩きの続行をあきらめ、一旦ねぐらに引き上げることにしたポン太とポン子でしたが、一日もはやい再開を念じたことはいうまでもありません。

箕田追分
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忍領境界石柱
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雨が激しくなったので先へ進むのをあきらめた吹上付近。電柱に掲げられていたこの小さな標識がなければ、本当に中山道なのか心配になるような道でした。
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ポン太とポン子の山開き

2017/06/09 09:44
 いよいよ登山シーズン到来。信州各地で、山開き(開山祭)の イベントが行われています。そんなニュースを聞いて、ポン太もポン子も高山の空気を吸いたくなりました。そこで出かけたのが、浅間連峰の一角にある標高2202mの水ノ塔(みずのと)山。岩場もありますので、それなりの足ごしらえは必要ですが、登山口の高峰温泉から僅か1時間余で山頂に立つことができるお手軽な山です。
 この水ノ塔山も含め、浅間連峰の山々は、展望の良さに加えて高山植物が豊富なので、何度登っても飽きません。他に登山者はおらず、すばらしい眺めを独占しつつ、持参したお茶で、プライベート開山祭を挙行したポン太とポン子でした。

芽吹いたばかりのカラマツの森は、まるで東山魁夷の絵のよう
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この日ポン太たちを待っていた高山植物は可愛いらしいイワカガミとツガザクラでした
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登山道から見上げた水ノ塔山山頂(右奥)と籠ノ登山へ続く稜線
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山頂からの眺めもよく、気分爽快。左の山は高峰山、正面奥に少し霞んで見えるのは蓼科・八ヶ岳です。
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そーらー大変だ

2017/06/08 09:53
  浅間山麓の夏は快適そのものです。下界が猛暑でも、森の中はひんやりしており、クーラーいらず。それが魅力でポン太もねぐらを移したようなものですが、このところちょっとした異変が起きています。樹木が広範囲に伐採され、何ができるのかと眺めていると、ソーラーパネルがずらりと並ぶケースが増えているのです。住民からは気温が上がりクーラーが必要になったという声も聞こえてきます。自然エネルギーの活用そのものには肯定的なポン太ですが、この現状をどう考えたらよいのでしょうか。
 涼風の供給源であり保水効果もある森をつぶし、そこでつくった電気でクーラー生活。ポン太のボケた頭でも、何かへんだと思わざるをえません。このような動きが野放図に拡大し、森の仲間たちが騒ぎだすようなことになれば、ポン太だって黙っているわけにはいかないでしょう。何?「共謀罪」法案とやらが成立したら、騒ぎを起こすような話にうなずいただけでも捕まる? タヌキがブタ箱へなんて、シャレにもなりません。そんな世の中になったら、もう森の中でフテ寝でもしているしかないか。あれっ、その森が危ないという話では・・。

 浅間サンライン沿いの大規模なソーラー発電所。
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 中山道脇のソーラー発電所。パネルが対峙している山は、蓼科・八ヶ岳連峰です。後ろを振り向けば、浅間山がちょっと困ったなという表情で噴煙をあげているように見えました。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その2

2017/06/06 10:54
<第2日目、6月4日>暑さと疲れで遠く感じた上尾宿
 前日打ち切った浦和宿からスタートし、市街地の中をひたすら歩きました。前日の疲れが残っており、足が重いだけでなく、ごく普通の街中の道を歩いているといった感じで、モチベーションを保つのがしんどい1日でした。中山道歩きを京都から始めた場合、ラストに近いところがこんな感じでは、どうやって気分を盛り上げたらよいのでしょうか。日本橋スタートにしてよかったと思うポン太でした。

浦和宿 「中山道浦和宿」の標識は並んでいるものの、旧街道の雰囲気は感じられません。
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大宮宿 宿場だったことを意識する人など誰もいないような感じのビルの町です。「大宮宿」の標識も説明板も見当たりませんでした。
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埼玉新都市交通の加茂宮駅付近 左方が中山道(国道17号)ですが、本当に中山道なの?という感じです。
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上尾宿 宿場の中心エリアの「仲町」は、こぎれいな近代的な街並みになっていました。この日は北上尾駅付近まで歩きました。
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<第3日目、6月5日> 中山道らしさが出てきた桶川宿、鴻巣宿
 北上尾駅付近から、本日の中山道歩きをスタート。都会的雰囲気が薄れるにつれ、旧街道を歩いているという気分が増してきました。中山道6番目の宿である桶川は比較的小さな宿場ですが、戦災にあっていないということで、旅籠であった武村旅館や小林家住宅など、古い建物もかなり残っていました。ここまで通過してきた中では、最もかつての宿場町の趣が感じられる町でした。
桶川宿
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鴻巣宿 農閑期の副業としてひな人形づくりが行われきたという由来のある人形の町。今も沿道には人形店が並び、そのものずばり人形町というところには、観光施設「ひなの里」がありました。景観に配慮して残された土蔵の中庭が休憩所になっていて、とてもよい雰囲気です。しばらく休憩し、鴻巣宿本陣跡へと歩みをすすめました。鴻巣宿には古い建物はあまり残っていませんでしたが、高層建築物がないので、宿場町起源の町という雰囲気は十分感じられます。街角に張られた住居表示にそれぞれ町名の由来が記載されていて、町の歴史を大切にしていることもうかがえました。これはぜひ他の地域でも見習って欲しいことだとポン太は思います。
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鴻神社 鴻巣宿総鎮守の鴻神社前を通過し、加美というところで国道17号と分かれ旧道を進みました。それほど特徴のある道とはいえませんが、道端の古い道標に旧街道であることが感じられます。降り出した雨が次第に激しくなってきたので、箕田追分という標識のところで、本日の行程を打ち切り、中山道を離れて、北鴻巣駅へとむかいました。スタートして3日で、7番目の宿場の先まで、距離にして60km弱歩いたことになります。まあまあの成果と言ったところでしょうか。
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