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浅間山麓のブラタヌキ
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浅間山麓に移り住んだタヌキのポン太のブログです。どんなタヌキかって?それはプロフィールをご覧下さい。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その11

2017/08/18 22:25
 <12日目、8月11日> 浅間山麓の追分宿から佐久平の岩村田宿へ下る
 
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 ねぐらに近い追分宿まで到達したことで、気が緩んだのか、はたまた暑さにめげたのか、モチベーションが低下し、しばらくの間、中山道歩きから遠ざかっていたポン太でした。ところが、ある出来事をきっかけに、何が何でも京都三条大橋まで歩きたいと思うようになりました。
 その出来事というのは、散歩中に、追分宿付近の中山道を京都方向へ歩いている老夫婦に出会ったことです。年齢は70代半ばと思われます。御亭主が片足を引きずるようにしていましたので、声をおかけしたところ、脳梗塞の後遺症のリハビリを兼ねて中山道歩きをしているということでした。野宿覚悟でかなりの荷物を背負い、不自由な足を一生懸命動かして一歩でも前へと努力している姿に、頭をガツンとやられたような気がしました。
 一度決めたことは貫徹せねばタヌキが廃ると、8月11日、中山道歩きを再開。追分から岩村田にかけての中山道は、ポン太にとっては生活道路のようなものですが、「街道歩き」の気構えで眺めてみると、なんだか見るものすべてが新鮮にみえるから不思議です。
 御代田の一里塚も、これまでその存在を認識していたのは桜の巨木が生えている塚(西塚)のみでしたが、それと対をなす東塚の方もその姿をしっかり留めていることを知りました。
 しなの鉄道を地下道でくぐりぬけ、御代田町の荒町上宿あたりまですすむと、旧街道の雰囲気が一段と濃くなります。前方の蓼科山や、道端に咲く女郎花(オミナエシ)などを眺めながらの道中は、実によい気分です。
 下り一方の道なので、たいして汗をかくこともなく、小田井宿に到着。小田井宿は、本陣、脇本陣各1軒のほか旅籠が5軒という小さな宿場ですが、今も古い建物が残っており、往時の雰囲気をよく留めています。歓楽的な要素がなかったことから、姫君や女官の宿泊、休憩場所として用いられることが多く、「姫の宿」と呼ばれたそうです。

 御代田の一里塚。街道を挟んで左右1対の塚があるのが一里塚の基本形ですが、道路の拡幅などにより、消滅したり片方のみとなっているところが少なくありません。ここは、現在の道路が本来の街道からずれたところ通っているため、畑の中に取り残されたようにして両方の塚が現存しています。上が西塚、下が東塚です。

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小田井宿本陣前を行く
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小田井宿問屋跡(安川家住宅)。これはお祭りの日に撮影したものです。ふだんは雨戸が閉じられた状態で、内部を見ることはできません。
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 旧中山道が県道9号線に合流するあたりを皎月原(こうげつはら)といいます。いわくありげな地名です(実際に皎月という官女にまつわる伝説があるようです)が、道路沿いにはラーメン店などの飲食店が雑然と並び、特別な場所であるという雰囲気は感じられません。インターウェーブという大規模なショッピングセンターの手前に、一里塚が残っていました。上信越道を跨ぎ、佐久インターの入口を過ぎると間もなく岩村田宿です。左手の住吉神社境内には、かつては道路際にあった「善光寺道」の道標や道祖神などが置かれていました。
 1万5千石の城下町であった岩村田には、本陣も脇本陣も存在しなかったそうです。高度成長期に近代的な商店街に生まれ変わった街並みからは、かつての宿場町の面影は消え失せていました。それでも、酒蔵や味噌蔵の存在が、この町の古い歴史を伝えてくれます。商店街の南端が、中山道と佐久甲州街道の分岐点となっており、右折して西へむかうのが中山道。小海線の踏切を越えると間もなく、浅間総合病院が見えてきました。今日はここまで。ほとんど散歩の延長線上のような街道歩きながら、気分は新鮮。やはり街道歩きは楽しいと改めて思ったポン太でした。

皎月原(こうげつはら)を行く
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住吉神社境内の「善光寺道」道標。側面に享保二十年とあります。
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商店街となっている岩村田宿の現状。
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岩村田商店街の中に、「日本一小さな酒蔵」があります。寒竹というお酒をつくっている戸塚酒造です。佐久は酒どころとして有名で、数多くの造り酒屋が存在します。
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 「生活改善」のお盆

2017/08/15 06:58
  お盆のシーズンですが、その過ごし方や風習は地域によって様々です。今まで暮らしていた地域から他の地域に移住したような場合、その地域の風習がわからず、戸惑うことが多いと思われます。浅間山麓エリアも、首都圏とはかなり異なっており、ポン太も最初は戸惑いました。
 ポン太の住む町の8月の広報誌には、かなりのスペースを割いて「新盆見舞いは生活改善で」という記事が掲載されています。その内容は、「香典料は頂かない」「お返しはしない」「祭壇は家に上がらなくても良い場所に設置する」「飲食のもてなしはしない」「必要がある場合はご芳名を記帳していただく」「新盆見舞いについて(上記の趣旨)の張り紙を掲示する」といったもの。
 「生活改善運動」というのは戦後の経済的負担を軽減するために始まったということで、葬儀や新盆見舞いに関しては、今も多くの住民がそれに従っています。その事を知ったのは、ご近所の方が亡くなってこの地域の葬儀に初めて参列した時のことです。ちなみに、葬儀に関する申し合わせ事項は、「香典料は1000円以内」、「灰寄せは、近親者を中心にして簡素に行う」というもの。「灰寄せ」というのは耳慣れない言葉ですが、首都圏における「精進落とし」に該当するものです。告別式は火葬後に行われますが(これもポン太にとっては驚きでした)、前段(焼香のみ)と後段(僧侶の読経その他の儀式あり)に分かれており、近親者以外の一般参列者は、一律1000円の香典をもって前段の焼香に訪れます。その後、近親者のみで後段の本葬儀(という表現でよいのかどうかはわかりませんが)が行われ、終了後「灰寄せ」となるわけです。後段に参列する近親者の場合は一般的な概念の香典が必要です。
 「生活改善方式」の最大のメリットは、ご近所やちょっとした知り合いでも、経済的負担を気にすることなく、葬儀に参列したり、新盆見舞いに訪れたりできることでしょう。都会に住む高齢者で生活に不安のある方などは、親しい友人が亡くなっても葬儀に出席してお別れすることもできないという話を聞いたことがあります。「生活改善方式」であれば、そのようなことはなく、地域の幅広い人間関係(コミュニティ)を維持し続けることができるというわけです。まだまだ地域の深い事情まで理解できているとはいえないポン太ですが、「生活改善」に肯定的な気持ちになっていることは間違いありません。 
 
 お盆のころになると、蕎麦畑では蕎麦の白い花が咲き始めます。
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 近所の空き地には月見草の群落が出現しました。「売り地」の表示が出て久しいのですが、このまま売れずにいてくれた方が良いなどと勝手なことを考えているポン太でした。
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花の宝庫、高峰山にも秋の気配

2017/08/10 18:39
 この夏は天候不順で、カラッと晴れた日が少なく、とくに、ここ数日は台風がもたらした湿気でジメジメとした気分の悪い状態が続いていました。台風が去った昨日は、久しぶりの晴天。湿度も下がり、窓を開けると爽やかな風が吹き込んできて、ようやく浅間山麓の夏らしい気分を味わうことができました。もっとも暦の上ではすでに秋です。しばらく登っていない高い山の方はどうなっているのかと気になり、ポン子の洗濯がひとくぎりついた午後から高峰山(2106m)へ出かけてきました。高峰山はポン太のねぐらから車で35分、そこから約1時間で山頂という、山登りというよりは山稜散策といったイメージの山です。
 稜線にはクルマユリがたくさん咲いており、また晩夏を代表するタカネマツムシソウも咲き始めていました。ワレモコウが色づいていたり、赤トンボ(アキアカネ)が群れ飛んでいるのを見ると、秋がすぐそこまで来ているように感じます。
 高峰山は、田中澄江著『花の百名山』にリストアップされている山です。「数えると50近い種類が歩いて僅か1時間の稜線の左右の山腹を埋めていた」と記し、花の名を列記して、その数の多さを絶賛しています。薄弱な知識しかないポン太は、記載されている花の中で、認識できるのはせいぜい4分の1程度にすぎませんが、この山の花の種類がずば抜けて多いということについては全く同感です。もう1つ同感したのは、「80になっても90になっても登れるところ」であり、「花々の中をゆっくり歩けたらいいな」と記していること。齢を重ね、登山がままならなくなっても、この山だけは手放したくないという思い、それはポン太も同じです。

 登山者を歓迎してくれているようなクルマユリ
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 高峰山の稜線からみた黒斑山。こちらも『花の百名山』にリストアップされています。
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 夏の終わりを告げるタカネマツムシソウ。ポン太はなんとも表現しがたいこの花の色が大好きですが、写真に撮るとホンモノとはどこか違ってしまいます。
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 タカネマツムシソウとヒョウモンチョウ
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 ツリガネニンジン(ハクサンシャジンかもしれません)。この花を見ると、子供の頃に見たディズニーアニメの森のシーンを思い出します。
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 派手な色をしているので遠くからでもすぐわかるマルバダケブキ
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 ミネウスユキソウ(日本のエーデルワイス)。この花をみると「Edelweiss」の歌を口ずさみたくなりますね。
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 高山植物のシモツケソウです。平地でもみられるシモツケとは異なる植物です。
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 ワレモコウとツリガネニンジンのコラボ。秋の訪れを感じます。
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 残り少なくなったニッコウキスゲの花の蜜を吸うキアゲハ
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 高峰山頂の高峰神社。上空を赤トンボが舞っていました。
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 下界では見ることが少なくなった赤トンボ(アキアカネ)が、山頂の岩にとまっていました。
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 昆虫のことはよくわからないポン太ですが、ノアザミにとまっているこの蝶は、ミヤマシロチョウというかなり貴重な蝶(絶滅危惧種?)のようです。
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その迫力に大興奮の「上田大花火大会」

2017/08/07 01:00
 5日の土曜日、孫ダヌキを連れて、「上田大花火大会」に出かけてきました。信州ではトップクラスの花火大会(打ち上げ数約1万発)ということなので、一度は見ておきたいと思ったからです。
 会場(打ち上げ場所)は千曲川の河川敷。絶好の観覧場所である千曲川の土手まで、上田駅から歩いて5分ほどです。これほどアクセスのよい花火大会も珍しいのではないでしょうか。ポン太たちが現地に着いたのは、花火が始まる僅か15分前でしたが、かなり良いポジションを確保することができました。
 実はポン太は、これまで、本格的な花火大会というものを見たことがありません。もちろん、これほどの至近距離で見るというのも初めてです。他所の花火大会と比較することはできませんが、目の前で打ち上げられる花火の迫力は凄まじく、特に音楽に合わせて、次々と打ち上げられる多種類の花火のコラボは、文句なしの素晴らしさでした。「夏の夜の風物詩」といったのどかなイメージは一掃され、夜空を舞台にした壮大なパフォーマンスに大興奮、大満足のポン太でした。
 
 夜空に様々な花が咲き、蝶まで現れる演出はなかなかのものだと感心しました。
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 多種類の花火を、速射砲のように打ち上げる派手な演出にはびっくり。火の粉が頭上に降ってくるのではないかと恐怖心を抱いたほどの大迫力でした。
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恐るべし学校登山

2017/08/04 21:06
 山国の信州では伝統的に学校登山が盛んです。特に、中学校では大半の学校で実施されており、中には奥穂高岳のような3000mクラスの高峰をめざす学校もあります。ポン太も八ヶ岳の稜線で学校登山の集団と遭遇したことがあります。ポン太とポン子が道を譲ろうと待避していたら、「ラブラブだね!」と冷やかされ、古ダヌキにむかってなんだよと思いましたが、そんな軽口をたたけるのはバテていない証拠。全員元気に登頂できたとすれば慶賀の至りです。佐久地方の中学校では、小屋泊まりで八ヶ岳(硫黄岳2760m)に登る学校が多いと聞きました。
 小学校や幼稚園・保育園で山登りをしているところも少なくないようです。以前、黒斑山の登山道で、深い霧の中から突然大勢の「こびと」が現れたので驚きましたが、よく見ると色とりどりのレインウェアを着た保育園児でした。黒斑山は大人でも登頂に2時間はかかりますし、ガレ場もあります。園児の脚力はたいしたものだと感心しました。
 子供のころから山の世界に親しませることは悪いことではありません。子供たちにとっては、親がよほどの山好きでもない限り、本格的な登山を体験する機会は少ないでしょうから、学校や園の果たす役割は重要です。ポン太は東京(区立)の中学でしたが、希望者を募って行われた北八ヶ岳(天狗岳・北横岳)登山に参加し、下界とは全く異なる山の世界の素晴らしさを知りました。もしその体験がなければ、その後のファミリー登山やキャンプはもちろん、浅間山麓の森の中への移住など考えもしなかったかもしれません。

  浅間連峰の烏帽子岳に登山中の小学生たち。皆元気に山頂をめざして登っていました。
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  佐久地方の中学の学校登山では、定番のようになっているという八ヶ岳の硫黄岳(2742m)。山頂付近にはコマクサの群落もあり、達成感と同時に山の自然の美しさも味わえる良い山だと思います。
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 信州では中学生全員が高峰登山を体験をすると聞いた時には、なんとも羨ましい話だと思ったのですが、体験者に話を聞くと、「もう山はこりごり」と山嫌いになっている人が多いようなので、ちょっと考えさせられます。
 山登りという行為は決して楽なものではなく、苦しみも伴いますが、それをはるかに上回る素晴らしい世界が待っていてくれるのが魅力です。それに気づく(気づかされる)ことなく、ただただ苦しい思いをさせられたというのでは、山嫌いになるのも当然でしょう。登山を集団訓練の場や単なる体育行事ととらえると、そのようなことになってしまいます。登山はスポーツではなく、他人と体力を競うようなものではないとポン太は思っています。そうでなければ、運動が苦手で、体力も根性もまるでなしのポン太が好きになるはずはありません。
  山が好きになるのも嫌いにもなるのも学校登山。山の素晴らしさが十分伝わるような行事として、継続して欲しいと願っています。

  最近はこの山をめざす学校が多いと聞く北アルプスの唐松岳(2696m)。ポン太は二回登っていますが、途中の景観もすばらしく、三回目を計画してもよいのではと思うような山です。
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  中信地方では、爺ヶ岳(2670m)に登る学校もかなりあるようです。これは山頂付近から立山方面を見たところです。この雄大な景観に接すれば、きっと山が好きになると思うのですが・・・。
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  伊那谷では、圧倒的に木曽駒ヶ岳(2958m)に登る学校が多いようです。中央アルプスの最高峰であり、貫禄があります。
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 以上、学校登山と縁の深い山の写真をアップしてみました。いずれも魅力的な山ばかりですから、登ってみれば誰しもきっと気に入ると思います。ちょっと苦しいところがあるかもしれませんが、元気いっぱい登って欲しいですね。ポン太も応援しています。




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草軽電鉄の記憶は消えず

2017/07/30 17:59
 廃止から半世紀以上経っているにもかかわらず、これほど愛惜の念をもって語られている鉄道がほかにあるでしょうか。新軽井沢〜草津温泉間55.5 km。「かぶと虫」と呼ばれた特異な風貌の電気機関車に牽かれ、美しい高原風景の中をのどかに走っていた草軽電気鉄道。1959年の台風で吾妻川の橋梁が流され、嬬恋〜上州三原間をバス代行として営業を続けたものの、1960年に軽井沢〜嬬恋間を廃止。1962(昭和37)年の上州三原〜草津温泉間廃止により、完全にその姿を消しました。
 ポン太が初めて軽井沢に降り立ったのは1963年8月です。新軽井沢駅は廃止から3年が経っていたものの、まだホームは形を留めており、草軽電鉄の残り香が漂っていました。
あと何年か存続していれば、乗車できたかもしれないと思うと、いまでも悔やしい気持ちになります。そんなこともあって、草軽に関連したイベント情報には、敏感に反応してしまうのですが、今年は、嬬恋村郷土資料館で、『草軽電鉄と嬬恋村』という企画展が開催されていると聞き、出かけてきました。

 下の写真は、企画展のパンフレットの一部です。
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 ポン太が見た廃止から3年後の新軽井沢駅です。(1963年8月7日撮影)
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 嬬恋郷土資料館の展示の規模はそれほど大きなものではありませんでしたが、草軽電鉄への思い入れの深さは十分伝わってきました。企画展にあわせて販売していた『草軽電鉄全路線図<詳細版>』(\100)を購入しました。これは、草軽電鉄の廃線跡探訪にはなかなか便利な資料です。同館見学後、早速、嬬恋駅跡と小熊川橋梁跡を見てきました。

 嬬恋駅跡。説明板のみで、ホームや駅舎は現存していません。
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 小熊川橋梁の跡。石積みの橋台が片側のみ現存しています。
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 北軽井沢駅舎にも立ち寄ってみました。現存している貴重な駅舎(2005年に保存のため改修)で、登録有形文化財に指定されています。木製のレプリカながら機関車も置かれており、現役当時の同駅の雰囲気を感じることができます。隣の「北軽井沢ふるさと館」(観光案内所)には、模型や駅名板、時刻表、乗車券等、草軽電鉄関連資料の展示コーナーがあります。

 北軽井沢駅舎正面。欄間のHの飾りは、寄贈者である法政大学村に因んだもの。
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 北軽井沢駅舎ホーム側
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 知れば知るほど魅力いっぱいのこの鉄道を、一部の区間だけでも復活させることはできないものかと思ってしまいます。タヌキの妄想の世界では、すでに高原の風を浴びて走るその姿が浮かんでいますが・・・。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その10

2017/07/25 23:54
 
<11日目、7月23日> ルンルン気分で追分宿へ

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  碓氷峠越えの難所を乗り切ったことで、この日はもうほとんどお散歩気分です。夏休みのシーズンに入ったとはいえ、朝の軽井沢は人影もまばら。吹き渡る風は涼しく、絶好のウォーキング日和。旧軽銀座から離山の麓にかけての沿道は、ほぼすべて別荘地化しており、お洒落なレストランも点在しています。旧街道の雰囲気はまるでありませんが、緑のトンネルのような道で、とにかく涼しく快適です。
  離山交差点の先で、しなの鉄道の踏切を渡り線路の南側へ。そこからは先は細い旧道が生きていて、湯川の橋まで歩くことができました。しかし、その沿道も別荘地となっており、「旧中山道」の標識の類は一切ありません。別荘に来ている人たちも、家の前の道が、大名行列も通った旧道だということをご存知ないのではないでしょうか。
 湯川を渡り、国道18号に合流すれば、その先は、中軽井沢と改名されてしまったかつての沓掛宿です。大火にあったということで、古い建物などは残っておらず、宿場町の面影はほとんどありません。中山道の宿場でその名前まで失ってしまったのはここだけです。しかし、その名を惜しむ気持ちはあるようで、中軽井沢駅に併設されている地域交流センター(図書館や集会施設など)の名称は「くつかけテラス」です。

離山付近で唯一旧街道らしさを感じさせてくれた石仏
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ここが旧中山道だとは思えないような道です
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元は沓掛宿だった中軽井沢駅付近の街並み
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 しばらく進んだところで、国道18号と分かれ、左側の旧道へ。道端には可愛らしい双体道祖神があり、旧道らしい雰囲気になってきました。古宿という集落をぬけていくのですが、道路際をきれいな疎水が流れていて、気持ちの良い道です。一旦18号と合流しますが、18号バイパスとの合流点で再び左手へと分かれ、借宿という集落の中を進みます。そこは沓掛宿と追分宿の間の「間の宿」。碓氷の関所を避けて下仁田へと抜ける裏街道=「女街道」の入口があり、それを示す説明板が立っていました。杉玉を吊るした旧造り酒屋などの古い建物もあります。街道の右手には大きな馬頭観音があり、中馬稼ぎ(農民が馬を使って行った運送業)が盛んであったことをうかがわせます。借宿の集落をぬけると再び18号に合流します。18号線最高地点を過ぎると間もなく、右手に日本橋から39番目、すなわち江戸から39里、京へは91里14町という一里塚がみえてきました。道路の両側に一対の一里塚がしっかり残っています。その先のガソリンスタンドのところを右手に入れば追分宿です。
 追分宿は北国街道の分岐点であることから、浅間三宿の中で最も旅籠の数が多く、参勤交代の大名をはじめ、善光寺詣での人々などでたいそう賑わったそうです。中山道で最も標高の高い宿場でもあります。
 このあたりはポン太が日常的に徘徊しているところですが、軽井沢宿からずっと歩いてきたのはもちろん初めて。電線の地中化やタイル舗装がなされているため、いままでのどの宿場町よりもきれいに見えます。というよりむしろきれいすぎると言ったほうがよいかもしれません。浅間神社の裏に、追分宿郷土館があり、見学がてら、信州東部の中山道に関する資料を入手しました。本陣の建物は現存していませんが、旧本陣の門が堀辰雄記念館の入口に移設されています。脇本陣であった「油屋」や高札場の前を通り、北国街道との分岐点である「分去れ」に到着。本日はここまでです。これまでで一番気が楽で涼しい街道歩きでした。
 ところで、ポン太の古い記憶では、「分去れ」には、手水鉢風の石の小さな道標があり、「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」という素敵な文言が記されていました。ところが、それが見当たらなくなって久しいので、博物館にでも収納されたのかと思っていたところ、なんと盗まれたという話を耳にしました。手水鉢を盗むなんて、とんでもないバチあたりがいたものです。

18号(右)と分かれ旧道(左)へ
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可愛らしい双体道祖神
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借宿の古い街並み
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「女街道」の入口
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追分の一里塚
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追分宿中心部
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「分去れ」。手前が中山道、右が北国街道。
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ポン太が初めて追分宿を訪れた50年前の写真です。常夜燈の基部の前に確かに手水鉢のようなものが写っています。

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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その9

2017/07/23 12:32
  
<10日目、7月21日> 血染めの碓氷峠越え
 

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  さあ、今日はいよいよ、天下にその名が轟く碓氷峠越え。高揚感も緊張感もマックス状態です。不気味なタイトルをつけてしまいましたが、その訳はのちほど。
 この日の碓氷峠は霧に包まれ、時折雨がぱらつくといった、あいにくのお天気でした。それでもカンカン照りよりはましなので、予定どおり横川駅を出発。まずは碓氷の関所跡に立ち寄り、おじぎ石なるものに伏して通行許可を願い出ました。返ってきたのは山びこだけでしたが、通行OKと解釈して関所を通過。薬師坂を登ると、ほどなく国道18号(旧道)に出ます。自動車の通行量も少なく閑散とした道を進み、上信越自動車道の下をくぐり抜けると坂本宿です。「中山道坂本宿」と大書した下木戸跡が目に飛び込んできました。
 幕府の命により計画的につくられたという坂本宿は、碓氷峠直下に位置しており、峠越えに備えて多くの旅人がここに宿をとりました。大名行列も上り下りの二組を同時に泊めることができたというメガ宿場です。各家には今もかつての屋号が掲げられ、説明板も数多く設置されているので、街道歩きの気分は一層盛り上がります。
 坂本宿の出口となる上木戸跡を過ぎ、しばらく進むと、峠への入口(登山口)です。ここから先は本格的な山道になるので、ヒル対策の酢を塗ったり、手袋を着用するなどして身支度を整えました。

碓氷の関所の「おじぎ石」
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坂本宿下木戸跡
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坂本宿を行く。行く手の碓氷峠は霧の中。
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ここからいよいよ本格的な山道です。右手の休憩小屋で身支度を整えました。
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 山中に入ってまもなく、堂峰番所跡を通過。その少し先から刎石(はねいし)坂の急登が始まります。相変わらず天気は好転せず、薄暗く、じめっとした空気の中での山歩きです。気温はそれほど高くはないものの、急登の連続で大汗をかきました。古道だけに、沿道のいたるところに、いわれのあるモノやポイントがあり、説明板も設置されているので、歩いていて飽きるということありません。往時であれば、茶店も営業していたわけで、苦しい山道とはいえ、一息いれたり、気を紛らわしたりすることができたと想像されます。刎石坂の上部には多数の石仏があり、柱状節理の岩もみられました。一茶が「坂本や袂の下の夕ひばり」という句をよんだという「覗」からは、坂本宿を眼下に望むことができましたが、そこが碓氷峠越えで唯一の眺望の開けた場所でした。
 刎石坂を登り切り、刎石茶屋跡を過ぎると道は平坦となり、大昔の碓氷坂の関所跡に着きました。その裏にこぎれいな東屋が設置されていたので、横川からかついできた「峠の釜めし」で昼食。本物の峠道で食べるその味は格別です。
その先は比較的ゆるやかな登りで、テンポ良く歩くことができ、戦国時代の遺構である「堀り切り」を通過。しばらく進むと「座頭ころがし」という恐ろしげな名のついた坂道にさしかかりました。石がごろごろしていて歩きにくいところですが、危険というほどではありません。ゆるやかな登りが続いた後、少し開けたところが山中茶屋跡。最盛期には13軒もの茶店があり、明治に入ると学校もでき、明治天皇巡幸の際には25人の児童がそこで学んでいたということです。
 空腹では登れないのでその名がついたという「めし喰い坂」も、刎石坂に比べればたいしたことはなく、難なく登り切りました。その少し先が「一つ家跡」。そこには老婆がいて旅人を苦しめたということですが、はたしてどんな老婆だったのでしょうか。
 子持山のすぐ下の陣場ヶ原というところで、碓氷峠への道が二つに分かれていました。右は皇女和宮下向の際につくられた道、左はそれ以前からの中山道です。旧道にこだわって左の方の細道を進みましたが、これが意外に険しい道で、人馬施行所跡というところには徒渉箇所もありました。その先も急登が続き、峠を目前にかなりの体力を消耗。和宮の大行列を通過させるには、この道では困難と判断して新道をつくらせたのもうなずけます。和宮道と合流してしばらく進むと碓氷峠のサミットである熊野神社に着きました。横川駅からの所用時間は、昼食休憩を含み5時間10分でした。

刎石(はねいし)坂を登る
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「覗」から見た坂本宿。計画的につくられた宿場であることがよくわかります。
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大昔の碓氷坂の関所付近

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 両脇が切り取られて道が狭くなっている「掘り切り」の跡
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陣場ヶ原から峠へと続く和宮下向以前の旧道
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旧道を登り切った地点。峠のサミットはもうすぐです。
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碓氷峠の「峠町」を行く。文字通り峠の頂上にあり、「力餅」などを売る茶店が並んでいます。昔の旅人も、ここまで登ってきてほっとしたことでしょう。

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 峠の見晴台に立ち寄って小休止の後、軽井沢へと下りました。軽井沢宿の入口に位置する「つるや旅館」前あたりが、軽井沢で唯一宿場の雰囲気が感じられるところです。玄関先には「軽井沢宿」の石碑もあり、碓氷峠を越えて軽井沢宿に着いたことを実感しました。
 避暑客や行楽客で賑わう旧軽銀座を抜け、やれやれと帽子を脱いだところ、指先がぬるっとしたように感じたので、おかしいと思ってポン子に見てもらうと、帽子のすぐ下、耳の後ろから首にかけて、血糊がべっとり。気をつけていたはずのヒルに、思う存分吸われていたのです。ポン太ほどではありませんが、ポン子もやられていました。今日はどんよりとした曇り空の一日で、峠道は薄暗く、ミストの中を歩いているような感じでしたので、ヒルにとっては、絶好の活動日だったのでしょう。碓氷峠最強の敵は坂道ではなく、ヒルでした。
 何はともあれ、日本橋からのべ10日で軽井沢まで到達できたことは、この先の踏破へむけての大きな自信となったことは間違いありません。

軽井沢宿の入口にあたる「つるや旅館」の前。
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山の格好ではちょっと場違いな感じがする旧軽銀座を行く。ここが宿場町であったことなど、一般の行楽客で意識している人はほとんどいないでしょうね。
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夏だ、それいけお祭りだ!

2017/07/21 11:01
 ポン太はもともと派手なイベントを好まない「ひねダヌキ」ですから、お祭り好きとはいえません。しかし、お祭りには地域の歴史や風土が関係しており、地域を知るという意味で、見ておいて損はないと考えるようになりました。浅間山麓の夏を彩るお祭りの中で、ポン太を惹きつけ、ほぼ毎年見物しているものを3つご紹介します。

 <追分宿の「馬子唄道中」> 追分節発祥の地に因んだものです。侍や行商人、旅芸人、馬子などに扮した参加者が宿場内をパレードし、往時の宿場の様子を再現します。開催日は毎年7月の第4日曜(今年は7月23日)です。
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 <龍神まつり> 甲賀三郎の龍神伝説をモチーフにした御代田町のお祭りです。全長45mという日本一の龍をはじめ、女性の担ぐ「姫龍」や子供の龍などが、町内各所で「龍の舞」を披露します。開催日は毎年7月の最終土曜日(今年は7月29日)です。
スタート地点の古刹真楽寺の階段を下る「龍」
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 御代田駅前をいく「姫龍」
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<小田井宿まつり> 皇女和宮下向の際の空前絶後の大行列に因んだもので、和宮一行を模した行列が、往時の面影を留めている宿場内を進む姿は、一見の価値があります。惜しまれるのは見物客が少なすぎること。こんな素敵な行事を見に行かないのは損だとポン太は思います。開催日は毎年8月16日。小田井宿へは、御代田駅より中山道を歩いて30分です。
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収穫に一喜一憂

2017/07/20 09:06
 春先には花を愛で、実の収穫も楽しみにしていたアンズですが、残念なことに落果が相次ぎ、残ったのはたったの2粒。それだけではジャムにならないので、必要な個数をスーパーで調達することにしました。生のアンズは日持ちがしないので販売期間が短く、良い実をゲットするのは結構大変です。しかも、今年は本場の千曲市も不作ということで、市場に出回る量は少なめ。ポン子が奔走してくれたおかげで、なんとか完熟した良い実を手に入れ、手作りアンズジャムの味を楽しめることにはなりました。
 アンズの収穫の少なさにがっかりした一方では、嬉しいこともありました。ブルーベリーが今年はじめて実をつけてくれたのです。よく見ると、すでに紫色に熟した粒がいくつかあり、わずかな量とはいえこれからの収穫が楽しみです。
 収穫と言えば、家庭菜園で育てていたジャガイモを半分ほど収穫しましたが、まずまずの出来でした。キュウリは最初の1本を収穫することができ、トマトもそろそろかなといったところです。コストや労力を考えれば、直売所に買いに行った方が絶対お得です。それにもかかわらず、家庭菜園に手をかけるのは、育っていく過程を見るのが楽しいのと、自分でつくったものは、格別美味しいような気がする(本当はどうかわかりませんが)からです。これは家庭菜園で作物づくりをしている皆さん誰もが思っていることかもしれませんね。
 
 たった2つしか残らなかった貴重なアンズの実。
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 買ってきたアンズの実。プロがつくったものはさすがに立派です。
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 熟し始めたブルーベリー。
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 収穫したジャガイモ。いつもはノーザンルビーという果肉まで赤い種類を栽培しているのですが、今年は種芋を入手することができず、「キタアカリ」をつくりました。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その8

2017/07/18 09:38
  <9日目、7月15日> せまる山並み、益々良くなる街道の風情

 東京を離れれば離れるほど、街道歩きの面白さは増す。そう考えて間違いないでしょう。前にも書きましたが、京都から東京へむかった場合には、ゴールが近付くほど旧街道の雰囲気は希薄となります。その結果、上州には到達したものの、東京まで歩く気力がなくなり、中山道歩きをやめてしまったという外国人の方にも出会いました。やはり京の都をめざす「上洛」が正解ですね。
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 この日は安中市の原市小学校前からのスタートです。 歩き出してまもなく左手に立場茶屋の建物があらわれました。沿道には古い民家が多く、旧街道を歩いているという実感がわきます。しかし趣のある民家の多くが空き家になっており、いつまでこの景観が保てるだろうかと心配になります。そうした古民家の戸口には必ずといってよいほど「碓氷社組合員」の青い標識が張られていました。碓氷社というのは、1878年に設立された群馬を代表する組合製糸であり、蚕糸業がどれほど盛んであったのかよくわかります。
 国道18号に吸収されずに残っている旧道は、ほとんど人通りのない寂しい道でした。道路が舗装されていることを除けば昔とあまり変わらない風景ではないでしょうか。一旦、国道18号線に合流しますが、間もなく松井田市街地方面へ分れる道があり、それが旧中山道です。そこを少し進んだところで、右手の藪の中に「西南の役碑」をみつけました。日本史の教科書に必ずでてくる出来事ですが、このような遠く離れた土地でも石碑に記録されているのを見ると、それが、局地的事件ではなく、国を揺るがす大事件であったことがよく理解できます。このように日本史を身近なものとして感じることができるのも、街道歩きの醍醐味のひとつでしょう。

原市小学校を後に松井田宿をめざしました。旧街道らしい道です。
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道路脇の「西南の役碑」
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  松井田宿に入ると旧旅籠と思われる建物がかなり残っており、宿場町の雰囲気は十分感じられました。残念なのは、旧宿場町であることを活かして、町を積極的にアピールしていこうという姿勢が感じられなかったことです。
  松井田宿を抜け、西松井田駅入口の交差点を過ぎたところで、左手の細い道へ入ります。碓氷川沿いに開けた水田の中の農道のような道です。前方の妙義山から吹き下ろす風が心地よく、暑さにまいりそうな状態からしばし解放されたような気分になりました。
 窪宿という集落の先で18号線を横断。上信越道の下を通り抜けると間もなく、「茶屋本陣お西お東」の標識がありました。そこを右に入って信越線の踏切を渡ったところに、「五料の茶屋本陣」の建物があります。立派な建物なので、立ち寄って見学することにしました。「お西、お東」という表現が面白く、最初は何のことかわからなかったのですが、ほぼ同形の茶屋本陣が2軒あり、一年毎に交代で名主が勤めを果たしていたことからそのように呼ばれたということです。江戸時代の文化三年の建築ですが、保存状態は大変良く、見学した甲斐がありました。冷たい麦茶と梅漬けのサービスがあり、暑い中を歩いて来て、のどがカラカラに渇いていましたので、助かりました。

松井田宿脇本陣前にて
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松井田宿から2kmキロほど進んだあたりの旧中山道。歩いてきた松井田側を振り返ってみた風景です。
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五料の茶屋本陣
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 五料平というところで信越線の踏切を渡り、その北側の丘を越えます。現在の国道18号とはまったく異なるルートです。そこを丸山坂というようですが、坂を上り切ったところに、「茶釜石」という叩くと透明感のある音がでる不思議な石がありました。このあたりの中山道は、のどかな山里を行くといった雰囲気で、心が和みます。坂を下り、信越線の線路際にでました。すぐ近くの国道に設置されていた温度計の表示はなんと35度。この炎天下、我ながら良く歩いたものだと感心しました。ほどなく本日のゴールである横川駅に到着。次回はいよいよ中山道最大の難所といわれる碓氷峠越えです。

「茶釜石」。叩くと確かに良い音がしました。昔の旅人も、面白がって叩いたのでしょうか。
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丸山坂を越えたあたりののどかな中山道
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横川駅前の「峠の釜めし」で有名な荻野屋
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野菜生活

2017/07/16 11:24
   浅間山麓にねぐらを移してから、生活面で大きく変化したことのひとつが、野菜摂取量の増加です。統計によれば、長野県民は全国一たくさん野菜を食べているそうですが、その理由がよくわかります。地元産の夏野菜がとにかく美味しいのです。野菜は、霧にあたると葉の表面が潤い甘みが増すといわれ、霧がでやすい標高の高い地域で栽培される野菜を霧下野菜とよびますが、まさに今が旬。
 浅間山麓には、直売所や道の駅、無人販売所がいたるところにあり、温泉施設にも農産物コーナーがあるので、新鮮で美味しそうな野菜を目にしない日はありません。値段も信じられないほど安いので、つい手が出てしまうというわけです。そんなわけで、わが家の収蔵庫はいつも野菜でいっぱい。必然的に、日々食べまくることになります。
 外出先のレストランなどで、付け合わせの野菜が申し訳程度に盛られている料理が出てくると、「ケチやな〜」(なぜかここだけ関西弁)という愚痴がでてしまうほど、「野菜生活」にどっぷり浸かっているポン太です。

直売所や道の駅は、益々増えています。これは、昨年オープンした軽井沢の「発地市庭(ほっちいちば)」という直売所。軽井沢らしいお洒落な建物なので、ひょっとして「軽井沢値段」かもと思ったのですが、そんなことはなく、質の良い軽井沢産野菜がリーズナブルな価格で勢揃い。チーズや豆腐の名店も入っており、別荘族や行楽客の評判も良いようです。今夏は、佐久南インター付近にも「ヘルシーテラス佐久南」という道の駅がオープンし、どこへ買い物に行こうかと迷ってしまいます。
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生産者が採れたての野菜を持ち込んで販売する、こうした直売所を利用することが多いのですが、珍しい野菜の名前や食べ方を、店の方(といっても交代で店番している農家の方ですが)に教えてもらえるメリットがあります。御代田町塩野の直売所「ひだまり」にて。
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浅間サンライン沿いの小諸市域には、自分で収穫する究極の直売所もあります。
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ポン太の朝食です。レタス、キャベツ、トマト、キュウリのサラダ、ズッキーニとピーマン、サツマイモのソテー、それに目玉焼き。野菜の種類は日替わりですが、量はこれが標準です。浅間山麓で暮らすようになるまで、朝からこんなに野菜を食べていた記憶はありません。
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絶景とコマクサの黒斑山へ〜ここから始まる夏山

2017/07/11 00:35
  信州限定らしいのですが、テレビの気象情報に「夏山の明日のお天気」というコーナーが加わるようになると、本格的夏山シーズンの到来を実感します。「槍ヶ岳、曇りのち晴れ」「白馬岳、霧」などというフレーズに気分が高揚し、今夏はどの山に登ろうかと考えてしまうのです。されど、気持ちは高まっても、体力はすでに下降モードに入っており、登りたい山よりも登れる山を探すことになるのが現実です。
 いきなり標高差の大きな山にでかけるのは不安なので、まずは、近場の山で、身体を慣らす(試す)必要があります。ちょうど良いのが、2000m級の山が連なる浅間連峰。とりわけ、浅間山第一外輪山の最高峰である黒斑山(くろふやま2404m)は、登山口の車坂峠から2時間強で山頂に達することができるので最適です。
 黒斑山に登るのは、足慣らしのためだけではありません。浅間山の最高の展望台であり、外輪山や火口原の大景観を楽しむことができるからです。高山植物も豊富で、何度登っても飽きることはありません。
 先週末に登った際には、高山植物の女王、コマクサが咲いていました。下界では猛暑日となったところもあったようですが、黒斑山は、登山口の標高が2000m近いので、全コース暑さ知らず。吹き渡る天然クーラーの風を浴びた登山者たちは、口々に「持って帰りたいようだ」と言っていました。

登山口から1時間ほど登ると、可憐なコマクサが迎えてくれました。
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ゴゼンタチバナもたくさん咲いていました。その名は白山の最高峰である御前峰に由来するという高山植物です。
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ゴゼンタチバナに似ていますが、こちらはツマトリソウです
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最初のピークである槍ヶ鞘から見た「トーミの頭」。登山道がガレていて、黒斑山で一番の「難所」ですが、見た目ほど危険ではありません。本来なら右に浅間山を望める場所ですが、写真撮影時はガスで見えませんでした。
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切り立った岩峰の「トーミの頭(かしら)」。ここからの眺めはすばらしく、大勢の登山者で賑わっていました。
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トーミの頭からみた浅間山の外輪山と黒斑山山頂(左端)
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黒斑山の山頂に近づいたころ、ようやく姿をあらわした浅間山。下方に広がるのは火口原の湯ノ平です。
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黒斑山山頂の少し先には、ポン太とポン子お気に入りの、秘密のランチテラスがあります。この大展望を独占してのランチは格別。コーヒーをいれれば、標高2400mの極上カフェです。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その7

2017/07/08 23:27
<8日目、7月1日> 和宮さん 新島襄さんこんにちは画像
 
 都市化が著しい高崎市ですが、田町から本町(もとまち)へと進むに従い、絹市場の蔵など古い建物がいくつか目につくようになり、旧街道沿いの街らしい雰囲気になってきました。沿道には煉瓦煙突の立つ古い醤油醸造所があり、歴史を感じます。
 明治天皇の巡幸がその名の由来という「君が代橋」で烏川を渡り、下豊岡から旧道へ。その入口には江戸時代に立てられた2つの石の道しるべがあり、「くさつみち」などの文字が読みとれました。その先には大名の休憩場所である茶屋本陣も現存していました。
 上豊岡町で国道18号に合流すると、いかにも高崎らしい、ダルマの製造所があり、まだ色のついていない真っ白な達磨たちが通り過ぎる私たちを見送ってくれました。板鼻下町交差点からは、比較的交通量の少ない旧道歩きでほっとします。少し進んだ道端に「双体道祖神」が置かれているのが目にとまりました。男女一対の道祖神は、信州ではポピュラーなものであり、いよいよその文化圏に近づいたかと思うと、元気がでます。

 ダルマの製造所前を行く 
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 沿道の双体道祖神(左)。右の「御神」という石には享保と記されています。八代将軍吉宗の時代ですね。
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 次の宿場である板鼻宿ですが、それがどこにあるのか、実はこの街道歩きをするまではよく知りませんでした。なぜなら、信越線に同名の駅がないからです。しかし、気づかなかっただけで線路は通っており、群馬八幡駅と安中駅の中間にある「第九中仙道踏切」を越えた先が板鼻宿でした。出桁づくりの家が目につき、宿場町の雰囲気が濃厚に漂っています。本陣の建物は残っていませんが、皇女和宮が泊まった部屋だけは移築保存されていて、その内部を見せてもらうことができました。床の間に置かれていたのは、和宮が用いたとされる草履。その小ささに、ホンモノ感がみなぎっていました。その部屋で小一時間を過ごし、いろいろな資料を目にしたことで、もうすっかり和宮の下向が身内のご先祖の話のように思えてきたポン太でした。
 板鼻宿の裏を流れる板鼻堰用水路は風情があります。季節は違えど英泉が描いた「木曽街道六十九次」の「板鼻宿」そのままといった感じでした。板鼻宿を抜け、国道18号の鷹ノ巣橋を渡り、中宿というところから再び旧道に入りました。下野尻で国道18号を横切るとほどなく安中宿です。

 風情のある板鼻宿の街並み
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 皇女和宮が宿泊した部屋
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昔を偲ばせる板鼻堰用水
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 段丘上に位置する安中は城下町でもあり、上段が武家屋敷、下段が宿場町という構造になっています。伝馬町という交差点から、上段にあがり、旧碓氷郡役所、新島襄記念会堂を眺めつつ武家屋敷のある一角へと進みました。下段の中山道にもどり、少し歩くと右側に新島夫妻ゆかりの有田屋という味噌蔵があり、その前には日本最初の私設図書館という便覧社跡の碑も立っていました。何といっても新島襄は安中きっての偉人であり、その名を目にすることなく安中を通過することはできません。

 安中の伝馬町を行く
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 新島襄記念会堂(教会)
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 新島襄ゆかりの有田屋前の中山道
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  厳しい暑さで次第に足取りが重くなり、安中宿を抜けたところのコンビニで、「カルピスウォーター」というチューブ入りの氷菓を買って一休み。この氷菓は首にあてて身体を冷やすこともできるので、暑さ対策には大変有効で気に入り、コンビニを見つける度に買いまくることになってしまいました。
 再び旧道を進み、国の天然記念物に指定されていながら、僅かな本数しか残っていない原市の杉並木を過ぎると、「明治天皇原市御小休所」の碑がありました。これも国の史跡に指定されていますが、この種の碑は街道沿いのいたるところに設置されており、明治天皇の顔見世巡幸が、明治政府による天皇の権威づけ=「国体」づくりに必須の大事業だったことがよくわかります。本日の到達点は原市小学校というバス停です。暑さには閉口しましたが、街道歩きの面白さを十分味わえた一日でした。

 原市の杉並木
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その6

2017/07/08 12:34
<第7日目、6月26日> 一気呵成に高崎へ

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 上州へ到達したことで気分が乗ってきたポン太たちは、日を経ずして新町から先へと歩みを進めることにしました。
 新町の市街地を出て高速道路の下をくぐりぬけると烏川の堤防に出ます。堤防上の道はサイクリングロード化されていて歩きやすく、日差しは強いものの、時折吹いてくる風がさわやかです。スタートが遅かったので、歩き始めて間もなく、木陰をみつけて、昼食をとりました。弁当は、新町駅近くの「フレッセイ」というスーパーで調達しましたが、これがなかなかの美味。このスーパーは垢抜けた雰囲気で品揃えもよく、すっかり気に入りました。この先の街道沿いにも、こんなスーパーがあって欲しいなどと思ったのですが、旧中山道沿いには、スーパーはおろかコンビニすら存在しないエリアがあるということに、ポン太はまだ気づいていませんでした。
 烏川の渡河地点へいたる旧道は消滅していたため、少し上流の柳瀬橋を渡りました。烏川の河原は広く、水量も豊富。かつて倉賀野が、利根川水系最上流の河港としてにぎわったというのもうなずけます。橋を渡りきった岩鼻交差点から旧道に入り、倉賀野宿をめざしました。途中からは工業団地の中の産業道路と化していましたが、道路際には「旧中山道」の標識が立っており、とりあえずその道が中山道であることは認識できます。

烏川の土手を行く。利根川合流点まで7kmという標識がありました。
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岩鼻観測所付近の烏川。滔滔たる流れに、水運が盛んだった時代が偲ばれます。
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 倉賀野宿の入口は日光例幣使街道との分岐点にもなっており、常夜燈と道標、そして焔魔堂が残されていました。沿道には格子のついた古い家が残っており、宿場町らしい雰囲気が感じられます。脇本陣は昔のままの建物が残っていました。高崎線に倉賀野という駅があることは知っていたポン太ですが、実際に街道を歩いてみてはじめて、陸路と水路の結節点として栄えた、この地の歴史の重みのようなものを感じることができました。
 倉賀野宿から先は、道路の幅が広がり、ファミリーレストランなどのロードサイド店だらけ。どこにでもありそうな風景ですが、道路際を流れる水路に沿って松並木風の修景がなされていて、中山道であることをアピールしてはいるようです。その先、高崎宿までの間には、ほんの少しだけ路地のような旧道が残っていましたが、それ以外は、これといった特徴のない道でした。

倉賀野宿入口の日光例幣使街道(手前)と中山道の分岐点。
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旧街道の面影が残る倉賀野宿を行く。
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水路と松並木により修景された一角。
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 高崎市街地に入ると宿場の面影はおろか、その道が中山道であることを意識させるものはほとんどありません。日差しが一層強まり、大汗をかいて体力は急速に消耗。時間的余裕はあるものの、先へ進む気力がなくなり、本日は高崎宿でフィニッシュとしました。

上信電鉄の踏切を渡れば高崎宿の中心部です画像
                
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その5  

2017/07/04 17:40
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<第6日目、6月25日> さらば武州、ごめんなすって上州

 梅雨の季節の街道歩きでは、雨は避けようがありません。雨のち曇りという予報を信じて、雨の深谷宿をスタートしました。市街地を出て岡部にむかうころには雨が上がり、日差しももれるようになりました。しばらくは、自動車道路の脇を進む単調な道ではありますが、街道筋らしい古い建物も散見されます。
 岡部の中宿歴史公園入口を過ぎたところで、旧中山道の標識に従い、現在の道とは別の細道へと入りました。道は「くの字」に曲がっており、曲がった先の木陰に、石仏、石碑がたくさん並んでいる一角が目に入りました。これは百庚申といい、説明板によれば、万延元年庚申の年に地元の有志が計画し、その翌年に完成したものだということです。旧街道らしい好ましい雰囲気が漂っていました。
  国道17号を斜めに横断した後は、田んぼの中の道を行きます。みどり一面ののどかな風景が広がり、吹く風はさわやかでした。小山川という川を渡る箇所では昭和3年竣工という滝岡橋を渡りました。本来の中山道の橋ではありませんが、登録文化財にもなっている美しい橋でした。ポン太はもともと近代化遺産に興味があり、中山道を歩いていて、旧街道や宿場の遺構だけではなく、こうしたものを目にすると嬉しくなるのです。
 あまり特徴のない田舎道のようなところをひたすら歩き、再び小山川を渡って、本庄の市街地へと入って行きました。本庄宿には、本陣門以外、旧街道時代を偲ばせる建築物はほとんどありません。しかし、明治期の建築物には目を見張るものがありました。その1つは本陣門の裏にある旧本庄警察署です。明治16年の建築というモダンな木造洋風建築で、ギリシャ風の円柱を配したベランダが印象的です。そこから少し歩いた先には、すばらしい煉瓦建造物も存在していました。明治27年創立の本庄商業銀行だった建物です。煉瓦を用いたのは、深谷の日本煉瓦の影響でしょうか。
                         旧道らしい雰囲気が漂う百庚申付近
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登録文化財の滝岡橋。空が広い!
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お洒落なベランダ付きの旧本庄警察署
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赤煉瓦の旧本庄商業銀行
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宿場町の面影はあまり感じられない本庄の中心部ですが、カレー屋さんの看板には「中山道辛味処」とあります。
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 本庄を過ぎたあたりで、水田のすぐ後ろの黒雲からは雷鳴が轟くようになり、不安を抱えつつ新町への道を急ぎました。神保原駅入口付近を過ぎると、案の定、ぽつりぽつりと雨が落ちてきました。さして面白くもない道をひたすら歩き、上里町の一里塚碑を過ぎると、ようやく国道17号に合流。雨が激しくなる中、さらにひとがんばりして、なんとか神流川の橋のたもとに到着。欄干の端部には常夜燈があり、中山道に架かる橋らしい趣きです。長い橋を渡り終えたところに、「中山道、新町宿0.4km」の木製道標が立っていました。ついに武州エリアの中山道を踏破し、上州エリアに入ったわけです。新町宿の入口には大きな常夜燈があり、その前には、「右碓氷峠十一里、左江戸二十四里」と記された石の道標が置かれています。碓氷峠などという文字を目にすれば、ついにその難所がせまってきたかと、気分は高揚します。
 新町宿には古い建物はほとんど残っておらず、昔のままの姿を留めていたのは、明治天皇新町行在所ぐらいでしたので、そこを本日の到達点とすることにしました。

 神流川を渡れば群馬県。常夜燈に旧道の名残を感じます。
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明治天皇行在所
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 日本橋を出て11番目の宿場である新町宿まで到達しました。ここから上州(群馬県)です。画像
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たくさんのレンゲツツジ もうたくさんの五輪

2017/07/02 18:46
  貴重な梅雨の晴れ間を利用し、レンゲツツジで有名な湯ノ丸高原(東御市)へ出かけました。少し盛りを過ぎた感はありましたが、写真のとおりのすばらしい景観でした。ツツジの大群落を見た後は、湯ノ丸山、烏帽子岳に登り、頂上からの大展望を満喫して帰るというのが例年のパターンです。ところが、今回は雲行きが怪しかったので、ツツジ平の周辺を少しトレッキングしただけで地蔵峠の駐車場にもどりました。
 その駐車場の背後で、うなりをあげている複数の重機が目にとまりました。看板をみると「トラックレーン云々をつくっています」とあります。東京オリンピックにむけての選手の強化・育成をうたい文句に、トラックやプール、体育館、合宿所などのいわゆる「高地トレーニング施設」をつくろうとしているようなのです。
  山の自然はなるべくそのままの状態で楽しみたい、人工の建造物はできる限り少ない方が望ましいと考えるポン太にとっては、ちょっと気が重くなるような話です。湯ノ丸キャンプ場への通路(烏帽子岳への登山ルートでもある)にも、整備事業のため一時通行止めになるという掲示がでていました。同キャンプ場は、カラマツの自然林に囲まれ、鳥のさえずり以外は何も聞こえないという静かな環境が魅力でしたが、なんとクルマが直接乗り入れできるオートキャンプ場に「整備」するようです。山はいじればいじるほど通俗化し、その山がもつ本来の価値(魅力)は減衰する、ポン太はそう思うのですが…。

標高1800m前後に広がるレンゲツツジの大群落は見事です
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湯ノ丸キャンプ場周辺のカラマツの純林。浅間連峰随一の美しさだとポン太は思います。
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清々しい湯の丸キャンプ場。ここにクルマが入って来るなんて、杞憂であって欲しいです。
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地蔵峠の駐車場近くで作業中の重機
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 こんな「開発」のお題目にもなっている2020年の東京オリンピックですが、競技施設の場所や費用負担問題でもめ続け、開催意義などどこへやら。メダルの大盤振る舞い?なのか、競技種目もインフレ状態。「コンパクト五輪」とは笑止千万です。あまつさえ、「共謀罪」や「改憲」といった政治問題まで絡ませる動きを見せられては、もう何のためのオリンピックなのかポン太にはさっぱりわかりません。1964年の東京オリンピックには誇らしさを感じ、競技にも夢中で見入ったポン太でしたが、今回はすっかり白けており、密かに森の中でオリンピック「三ない運動」に取り組もうと決めました。「見ない」「聞かない」「関わらない」。賛同は求めませんので念のため。
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里山が最も輝く季節

2017/06/30 10:07
  梅雨の晴れ間は、里山歩きの絶好のチャンスでもあります。梅雨が明けてしまうと暑過ぎて敬遠したくなるような山でも、一汗かく程度で済み、むしろ一年中で一番と言って良いぐらいの、とびきり美味しい空気を味わうことができるのです。木や草の香りをたっぷり含んだしっとり感とでもいいましょうか。
 美味しいのは空気だけではありません。馴染みの平尾山にでかけてみましたら、いつのまにか木イチゴがたくさん実をつけていました。オレンジ色のモミジイチゴの実は特に甘みがあって美味しく、この季節ならではの山のスイーツです。
 山頂付近ではアザミがたくさん咲いていました。シモツケの花も咲き始めていて、山は夏の装いへ衣替えの真っ最中。そうかと思うと、谷筋には、まだ春の花であるクリンソウも咲いていました。
 まさに五感フル回転の世界。ポン太の徘徊は止まりません。

空気が美味しいので「忍耐の小径」も苦になりません
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アザミの群落
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咲き始めたシモツケの花
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山頂からの展望もまずまずです
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木イチゴの女王?モミジイチゴ
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谷間にひっそりと咲いていたクリンソウ
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広島ノスタルジー

2017/06/28 09:33
  広島は、ポン太のような「ノスタルジー派」にとって、とても良い町です。百万都市として大発展しながらも、路面電車網をそのまま残し活用しているので、電車通りの形状から過去の町の面影をたどることが比較的容易だからです。都市のゲートである広島駅も高架化などの改造を受けていないので、昔と同じ町を訪れたという気分にさせてくれます。
  先週、久しぶりに広島へ出かける機会がありましたので、今から半世紀前の1968(昭和43)年、初めて広島を訪れた際にカメラを構えた場所に立ち寄ってみました。
 まずは広島駅の構内(東側)です。新幹線の高架が追加されてはいますが、往時の面影を十分感じることができました。
 広島駅を発車した呉線経由の上り急行「安芸」です。(1968年3月7日撮影)
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 ほぼ同じ場所を行く227系電車です。
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 大形蒸気機関車が活躍していた呉線の沿線も忘れ難い思い出の地です。撮影時のことをよく覚えている小屋浦駅で下車してみました。現在は無人駅となり、ホームや駅舎、周辺の様子も変わっていましたが、背後の山のシルエットは同じで、間違いなく同じ場所であることがわかります。半世紀前、この場所にカメラを構えていた少年(自分)がいたわけで、嬉しいような懐かしいような不思議な気分になりました。
 小屋浦駅を発車するC59形蒸気機関車牽引の923列車(1968年3月6日撮影)
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 小屋浦駅を通過する広島行の快速電車です。
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 小屋浦駅ホームに進入してくるC62形蒸気機関車牽引の624列車です。ホームに隣接して駅舎があり、駅長さんの姿も見えます。(1968年3月6日撮影)
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 小屋浦駅を通過する227系快速電車です。無人駅となり、駅舎は下方に移されていました。
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 広島駅へむかって次々とやってくる広島電鉄の路面電車です。猿猴橋電停付近にて。
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 車両は変われど、雰囲気は変わっていません。
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 遠い昔に訪ねた場所を再び訪れ、同じポジションを探して写真を撮る。これからは、そんな旅も悪くないと感じたポン太でした。
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高原野菜は畑もビューティフル

2017/06/24 23:17
 レタスやキャベツといった高原野菜がすくすくと育ち、直売所が賑わうようになりました。地元産の新鮮な野菜の味は格別ですが、整然とした野菜畑の景観もみごとで、思わず足を止めて眺めてしまいます。
 ポン太の小さな家庭菜園でもレタスを育てていますが、有り難いのは、寒冷地ゆえに害虫が比較的少なく、農薬を使わなくてもなんとかなること。極寒の冬があればこそ、こうした良いこともあるわけで、自然というのは実にうまくできているものだと、いつも感心しているポン太です。

 これぞ浅間山麓といった感じのレタス畑。御代田町の「ココラデ」というパン屋さんの裏側の風景です。確かに「ここらで」一休みしたくなりますね。左手奥に見えるのはしなの鉄道の列車です。
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軽井沢町追分のサニーレタスの畑です。色が濃く、観葉植物のようにも見えます。
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ポン太の菜園のサニーレタスです。土が悪いのであまり大きくはなりませんが、市販のものよりも葉が柔らかくて食べやすいです。
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森が元気をくれる

2017/06/20 13:40
 梅雨は鬱陶しい季節。ただでさえ気持ちが沈みがちになるのに、人間どもの「セイジ」の世界を見ていると背筋まで寒くなります。この先、言いたいことも自由に言えないばかりか、考えたり誰かに相談したりしただけで捜査対象となるような、息苦しい監視社会がやってくるやも……。一方では、「ある」ものを「みつからなかった」といい、「ある」ことがわかっても、関係者の喚問すらしないという、タヌキも顔負けのドロン術オンパレード。おっとっと、こんな不安や不満をもらしただけで、このブログも監視対象にされてしまうかも。
 人間どもの薄気味の悪い動きとは無関係に、水分をたっぷり補給された森の植物たちは、元気に育っています。この季節らしい、ツユクサやキショウブも咲き始めました。数年前に、菜園から掘り出した石を積み、石垣イチゴ風に植えたイチゴが、半ば野生化しつつもたくさん実をつけています。植えたわけでもない桑の木が大きく育って、その実が黒く熟し始めました。
 森の木や花を眺め、森の恵みを口にして、少し元気を取り戻したポン太でした。

梅雨の季節にふさわしい、その名もツユクサ。ありふれた花ですが、心がなごみます。
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緑の森の中でひときわ目立つキショウブ(黄菖蒲)。実は繁殖力の強い外来種で、駆除対象になっているところもある由。
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何も手をかけていないのに、毎年恵みをもたらしてくれる有り難いイチゴ。
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見た目はちょっとグロテスクな桑の実。赤味が増して、黒くなると食べ頃です。
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森の恵みを利用したデザート。プレーンヨーグルトに、イチゴと桑の実をトッピングしただけですが、見た目よりずっと美味しいですよ。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その4

2017/06/17 11:09
<第5日目、6月18日> ちょっぴり昔の旅ガラス 荒川土手から熊谷、深谷へ

 梅雨の晴れ間を狙って中山道歩きを再開。前回は雨で気づかなかったのですが、「間の宿」であった吹上市街地も旧街道らしさが残っており、中山道関連の標柱もしっかり設置されていたので、本町から左に折れる旧道を迷わず進むことができました。
 高崎線を越えて荒川の土手に登ると、視界が一気に開けて、まさに気分爽快。「合羽からげて三度笠」の旅ガラスも、参勤交代の侍たちも、緑がどこまでも広がるこの風景に、さぞかし癒されたのではないでしょうか。荒川土手の快適な道を離れ、しばらく進むと熊谷の市街地です。ビルが建ち並ぶ中心部は、大宮同様、宿場町であったとはとうてい思えないような雰囲気でした。その先、国道17号とは別の旧道をたどる箇所は、中山道を歩いている気分になれましたが、国道に吸収されてしまっているところや、籠原付近のように新興住宅地の中に取り込まれてしまっているところは、ひたすら歩くだけといった感じで疲れました。熊谷宿は長谷川伸の代表作のひとつである『沓掛時次郎』の舞台ですが、歌の文句のような「追われガラスが流れて着いた、風の熊谷仮の宿・・」といった情景を思い浮かべるのはちょっと難しいですね。
 この日の到達点となった深谷はなかなか面白いところでした。宿場の手前の交差点には「見返りの松」、その先には宿の入口を示す常夜燈があり、宿場町に入っていくという気分になります。道沿いに見事な洋館をみつけましたが、何やらいわくありげでこれまた興味津々。深谷宿中心部の仲町に入り、本陣や脇本陣の跡を探して、「きん藤」という老舗旅館のご主人に話を伺うと、その旅館がかつての脇本陣で、その裏の路地に明治天皇御小休所の碑があることがわかりました。また、先ほど見た洋館は、昭和初期の不況時に職人救済のために地元の有力者が発注してつくらせたものであることも判明。
 深谷には東京駅の建設にも用いられた煉瓦の工場(日本煉瓦)があったことから、煉瓦造の建造物がたくさん残されています。宿場だった時代、近代化の時代、その両方を味わえるという点で、興味深い町だとポン太は思いました。

爽やかな風が吹き渡る荒川土手を行く。昔もこんな感じだったかなと思える風景です。
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熊谷宿本陣跡の碑。市街地のど真ん中で風情はまったくありませんが、バス停の上屋がちょっぴり歴史を感じさせてくれました。
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国道歩きの単調さにはうんざりですが、旧道に入るとそれなりの風情があり、元気がでてきます。
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深谷宿入口の常夜灯。クロスしている細い道は、日本煉瓦の工場に通じていた専用鉄道の廃線跡です。
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偶然みつけた謎の豪邸
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側壁が煉瓦の商店。深谷には煉瓦を使った建造物がたくさんあります。
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煉瓦の町深谷を象徴するのが、東京駅を模して建設された深谷駅。煉瓦はタイルですが、ほんものの煉瓦造のようにみえます。
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五無斎というすごい人がいた

2017/06/14 22:05
 直木賞作家の井出孫六氏の講演会があるというので、立科町へ出かけてきました。演題にある五無斎というのが何者であるのかも知らず、直木賞作家というネームバリューに惹かれて、ミーハー的に参加したというのが本当のところです。
 講演内容や会場のパネル展示から、五無斎(本名は保科百助)という人物が、明治元年生まれの教育者、地学(鉱物)研究者であり、亡くなってから百年以上も経つのに、いまも地元で慕われていることを知りました。これは、五無斎の先進性、ヒューマニズム、反骨精神、ユーモアのセンス、教育論等に、地域の人々が共感していることを意味します。
 五無斎は長野師範をビリで卒業したということですが、それは軍隊風の教育への反発心からのようですし、校長時代には差別的教育の除去に尽力し、その教育方針は徹底した実物主義であった由。本物に触れさせることで自発的な学習を促すという、いわゆる詰め込み教育とは正反対のものです。貧困故に中等教育を受けられない青少年のために塾を開設したり、小中高大学の授業料全廃を唱えたりもしたそうです。手取り足取り教育を非とする教育論は、あれもこれもと仕事を増やし、教員を過労死寸前に追い込んでいる教育界の現状に対する警鐘のようにも聞こえます。
 鉱物採集のために県内をくまなく歩いたそうですが、その風体は乞食同然。ある時、わらじがダメになり、買い求めようと店に寄ったところ、持ち合わせのお金がその代金に少し足りなかったそうです。そこで、おまけして欲しいと懇願したにもかかわらず、店主は拒否。そこでつくった狂歌が「おあしなし 草鞋なしには 歩けなし おまけなしとは お情けもなし」だったということです。五無斎という号の由来のようですが、皮肉まじりのユーモアのセンスはなかなかのもの。時代を超越したすごい人物を「発見」できた一日となりました。

講演会のチラシです。五無斎の写真が掲載されていますが、中央の教育者然とした姿は珍しいそうです。左側は鉱物採集の際のものだということですが、いろいろな話を聞いていると、こちらの方が五無斎のイメージにぴったりです。
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開会前の講演会場の様子。
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広々とした青田のむこうに浅間連峰の山並みを望む立科町。県歌『信濃の国』の歌詞に「古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い」とありますが、この風景を眺めていると、本当にそうかもしれないと思ってしまいます。
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立科町を通り笠取峠へとむかう中山道です。街道は文化の通路でもあり、五無斎に何らかの影響を与えたかもしれません。
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ジャムは手作りが一番

2017/06/13 10:13
  浅間山麓の森の中での暮らしを始めてから、手作りするものが増えました。とくにジャムは100%手作り。季節毎に高品質の旬の材料が入手できるというのがその大きな理由です。それだけでなく、すべての原材料が目に見える形で把握でき、無添加無着色ですから、安全、安心です。糖分も控えめにしているので、ヘルシーでもあり、素材のピュアな味を楽しむことができるなど、いいことずくめといってよいでしょう。
 今の季節はルバーブが旬。材料のルバーブは、ポン太の森で育ったものを使いますから、正真正銘の自家製ジャムということができます。好みもあるでしょうが、独特の酸味があり、クセになる味です。

大きく育ったルバーブ
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収穫した茎の部分。
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下ごしらえをして一晩寝かせた状態。この先の手順は、ポン子が企業秘密だと主張しておりますので、お見せできません。何卒ご容赦ください。
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出来上がった今年最初のルバーブジャム。美味しいです。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その3

2017/06/11 09:29
  <第4日目、6月6日> 雨ニモマケテ 風ニモマケテ やっと吹上

  箕田追分から中山道歩きを再開しました。沿道には一里塚跡や忍(おし)領境界石柱など、旧道らしいものがいくつか存在しており、それなりの面白さはあったのですが、何しろ朝から本降りの雨。歩いているうちに雨脚がいっそう強まり、風もでてきて、すっかり戦意を喪失。今日はもう吹上まででいいやということになりました。
 この日予約していた宿は碓氷峠の麓、横川駅近くの「東京屋」という旅館です。スタート当初、1日30km以上歩けるだろうと甘く考えていたことから、4日後には、碓氷峠の近くまで到達しているのではないかというのが、この宿を選んだ理由です。しかし、実際にはとんでもなく手前の吹上止まりとなってしまいました。キャンセルという選択肢もあったのですが、直前の連絡では申し訳ないと思い、結局、電車で横川へとむかいました。
 この判断は大正解でした。この宿の利用者の多くは、街道歩きや山歩きの人で、この日同宿した4人連れも街道歩きの大ベテラン。中山道はすでに踏破済みということで、貴重な体験談をいろいろ伺うことができたのです。特に印象に残ったのは、江戸時代からの旅籠で、今も営業しているという細久手宿(岐阜県)の大黒屋の話です。そこの女将のつくる食事がなんとも表現できないほど美味しいのだが、90歳近い高齢なので、はやく行かないと間に合わないかもしれないというのです。この話を聞き、これはもう遅くとも年内に細久手宿へ到達せねばなるまい。到達できた暁には、絶対そこに泊まろうと心に決めました。
 この翌日も激しい雨でしたので、中山道歩きの続行をあきらめ、一旦ねぐらに引き上げることにしたポン太とポン子でしたが、一日もはやい再開を念じたことはいうまでもありません。

箕田追分
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忍領境界石柱
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雨が激しくなったので先へ進むのをあきらめた吹上付近。電柱に掲げられていたこの小さな標識がなければ、本当に中山道なのか心配になるような道でした。
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ポン太とポン子の山開き

2017/06/09 09:44
 いよいよ登山シーズン到来。信州各地で、山開き(開山祭)の イベントが行われています。そんなニュースを聞いて、ポン太もポン子も高山の空気を吸いたくなりました。そこで出かけたのが、浅間連峰の一角にある標高2202mの水ノ塔(みずのと)山。岩場もありますので、それなりの足ごしらえは必要ですが、登山口の高峰温泉から僅か1時間余で山頂に立つことができるお手軽な山です。
 この水ノ塔山も含め、浅間連峰の山々は、展望の良さに加えて高山植物が豊富なので、何度登っても飽きません。他に登山者はおらず、すばらしい眺めを独占しつつ、持参したお茶で、プライベート開山祭を挙行したポン太とポン子でした。

芽吹いたばかりのカラマツの森は、まるで東山魁夷の絵のよう
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この日ポン太たちを待っていた高山植物は可愛いらしいイワカガミとツガザクラでした
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登山道から見上げた水ノ塔山山頂(右奥)と籠ノ登山へ続く稜線
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山頂からの眺めもよく、気分爽快。左の山は高峰山、正面奥に少し霞んで見えるのは蓼科・八ヶ岳です。
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そーらー大変だ

2017/06/08 09:53
  浅間山麓の夏は快適そのものです。下界が猛暑でも、森の中はひんやりしており、クーラーいらず。それが魅力でポン太もねぐらを移したようなものですが、このところちょっとした異変が起きています。樹木が広範囲に伐採され、何ができるのかと眺めていると、ソーラーパネルがずらりと並ぶケースが増えているのです。住民からは気温が上がりクーラーが必要になったという声も聞こえてきます。自然エネルギーの活用そのものには肯定的なポン太ですが、この現状をどう考えたらよいのでしょうか。
 涼風の供給源であり保水効果もある森をつぶし、そこでつくった電気でクーラー生活。ポン太のボケた頭でも、何かへんだと思わざるをえません。このような動きが野放図に拡大し、森の仲間たちが騒ぎだすようなことになれば、ポン太だって黙っているわけにはいかないでしょう。何?「共謀罪」法案とやらが成立したら、騒ぎを起こすような話にうなずいただけでも捕まる? タヌキがブタ箱へなんて、シャレにもなりません。そんな世の中になったら、もう森の中でフテ寝でもしているしかないか。あれっ、その森が危ないという話では・・。

 浅間サンライン沿いの大規模なソーラー発電所。
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 中山道脇のソーラー発電所。パネルが対峙している山は、蓼科・八ヶ岳連峰です。後ろを振り向けば、浅間山がちょっと困ったなという表情で噴煙をあげているように見えました。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その2

2017/06/06 10:54
<第2日目、6月4日>暑さと疲れで遠く感じた上尾宿
 前日打ち切った浦和宿からスタートし、市街地の中をひたすら歩きました。前日の疲れが残っており、足が重いだけでなく、ごく普通の街中の道を歩いているといった感じで、モチベーションを保つのがしんどい1日でした。中山道歩きを京都から始めた場合、ラストに近いところがこんな感じでは、どうやって気分を盛り上げたらよいのでしょうか。日本橋スタートにしてよかったと思うポン太でした。

浦和宿 「中山道浦和宿」の標識は並んでいるものの、旧街道の雰囲気は感じられません。
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大宮宿 宿場だったことを意識する人など誰もいないような感じのビルの町です。「大宮宿」の標識も説明板も見当たりませんでした。
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埼玉新都市交通の加茂宮駅付近 左方が中山道(国道17号)ですが、本当に中山道なの?という感じです。
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上尾宿 宿場の中心エリアの「仲町」は、こぎれいな近代的な街並みになっていました。この日は北上尾駅付近まで歩きました。
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<第3日目、6月5日> 中山道らしさが出てきた桶川宿、鴻巣宿
 北上尾駅付近から、本日の中山道歩きをスタート。都会的雰囲気が薄れるにつれ、旧街道を歩いているという気分が増してきました。中山道6番目の宿である桶川は比較的小さな宿場ですが、戦災にあっていないということで、旅籠であった武村旅館や小林家住宅など、古い建物もかなり残っていました。ここまで通過してきた中では、最もかつての宿場町の趣が感じられる町でした。
桶川宿
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鴻巣宿 農閑期の副業としてひな人形づくりが行われきたという由来のある人形の町。今も沿道には人形店が並び、そのものずばり人形町というところには、観光施設「ひなの里」がありました。景観に配慮して残された土蔵の中庭が休憩所になっていて、とてもよい雰囲気です。しばらく休憩し、鴻巣宿本陣跡へと歩みをすすめました。鴻巣宿には古い建物はあまり残っていませんでしたが、高層建築物がないので、宿場町起源の町という雰囲気は十分感じられます。街角に張られた住居表示にそれぞれ町名の由来が記載されていて、町の歴史を大切にしていることもうかがえました。これはぜひ他の地域でも見習って欲しいことだとポン太は思います。
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鴻神社 鴻巣宿総鎮守の鴻神社前を通過し、加美というところで国道17号と分かれ旧道を進みました。それほど特徴のある道とはいえませんが、道端の古い道標に旧街道であることが感じられます。降り出した雨が次第に激しくなってきたので、箕田追分という標識のところで、本日の行程を打ち切り、中山道を離れて、北鴻巣駅へとむかいました。スタートして3日で、7番目の宿場の先まで、距離にして60km弱歩いたことになります。まあまあの成果と言ったところでしょうか。
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夏は来ぬ

2017/06/04 21:50
  浅間山麓の季節の変化はまさに疾風怒濤。1年のほぼ半分が冬、残りの半年に3つの季節があるようなものですから、変化のスピード感が違います。ついこの間まで桜を愛で、まばゆい新緑に酔っていたのに、あっという間に初夏となりました。

ポン太の森でもキスゲが咲き始め、夏が来たことを実感します。
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 野菊の一種のミヤコワスレが満開です。承久の乱に敗れて佐渡に流された順徳天皇が、この花に慰められて都恋しさを忘れたというのが、その名の由来とか。都会暮らしを忘れ、森の中でボケた生活を送っているポン太も癒されています。
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 いつも徘徊している御影用水の水辺にはアヤメが咲き、すっかり初夏の雰囲気です。
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中山道でブラタヌキ〜ポン太とポン子のずくなし道中記 その1

2017/06/03 21:48
  二年前のことになりますが、ポン太とポン子は、日本橋から京都三条大橋まで、中山道を踏破するという夢を実現しました。その記憶が薄れないうちに、この旅の様子をブログにアップしようと思います。
 中山道歩きを計画されている方や、中山道の今を知りたいという方の参考になれば幸いです。実際に歩いた季節に合わせる形ですすめてまいりたいと思いますので、長丁場になりますがぜひお付き合いください。
 当初は、昔の旅人と同じように、日本橋から三条大橋まで、一気に歩き通すことを考えました。しかし、現在でも宿泊が可能な宿場は少なく、何より体力が続かないのではという不安の方が大きかったので、区間を区切って何回かに分けて歩く方式をとることにしました。四国遍路でいうところの「区切り打ち」です。
 できるかぎり江戸時代の中山道(いわゆる旧道)を忠実にたどりたいと考え、事前にガイド類を熟読し地図で確認するなどしましたので、完璧かどうかはわかりませんが、往時の旅人と同じルートをたどることができたと思います。タヌキといえども、途中でドロンして乗り物を利用するなどというズルは、決していたしておりませんので御心配なく。

<第1日目、6月3日>日本橋から浦和宿へ
 
  めざせ京都三条大橋! 勇躍、日本橋を出立したポン太とポン子。この旅姿、都心のビル街ではかなり目立ったでしょうね。
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巣鴨地蔵通り商店街を行く。おりゃ、これが有名な赤パンツ屋か。見るだけでも元気が出そう。
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  中山道最初の宿場、板橋宿入口。宿場内に本陣などの古い建物はなく、細長い商店街に宿場の面影をわずかに感じるといったところ。
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板橋という名の由来となった石神井川の橋。なるほどと納得。
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  志村一里塚付近。自動車が激しく行き交う国道17号に合流してからは、中山道を歩いているという実感に乏しかったので、この一里塚は貴重。
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 戸田橋を渡り埼玉へ。昔は橋はなく、この少し下流側に渡船場がありました。今は新幹線が疾駆しており、百数十年でこの様変わりは、すごいことです。
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 日本橋から2番目の宿場、蕨宿。宿場であったことを意識した街づくりがなされていていい感じです。本陣跡には資料館があり、歩道には中山道69次の浮世絵のタイルが設置されていました。
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 浦和宿手前の調神社付近でなんと日没。ポン太もポン子も疲労度マックスで、予定した大宮まで歩くことを断念し、浦和から電車で予約済みの大宮のホテルへとむかうはめになりました。
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 正直甘くみていました。人の歩く速度は時速4kmといわれていますから、8時間で32km、そのぐらいは楽勝と思ったのですが……。休憩も必要ですし、面白そうなものがあれば見学する時間も必要です。短時間なら問題なく歩けますが、4〜5時間を越えると疲労度がどんどん増してきて、とても時速4kmをキープすることなどできません。平均すれば3kmがやっとといったところでしょうか。
 アスリートでもなく、特別身体を鍛えているわけでもない、普通のジイとバアが、何とか歩き通せる距離は1日25km(ちょうど日本橋から浦和宿までの距離)あたりが限界。1日目にしてそう悟ったポン太とポン子でした。
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アカシアの花に浮かれて

2017/06/01 23:33
 ポン太の森に甘い香りが漂いはじめました。その正体はアカシア(正確にはニセアカシア=ハリエンジュ)の花。この木は繁殖力旺盛なので、ほっておくと森全体を席巻してしまいます。それを食い止めようと大ナタを振るっているポン太ですが、鋭いトゲがあるため、何度も痛い目にあっています。森の厄介者といってもよいくらいです。ただし、花だけは別で、蜜がたくさんとれるので養蜂家には有り難い存在ですし、天ぷらにすればおいしく食べることもできます。ほの甘く香りが良いので、口の中で初夏の季節感を味わうことができるのです。
 「アカシアの雨にうたれて」しょぼくれている日もありますが、このところ「アカシアの花に浮かれて」天ぷらづくりに精をだしているポン太です。

アカシアの花に埋め尽くされてしまった集落(小諸市にて)
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食べ頃のアカシアの花  軸がついたまま天ぷらにします
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 出来上がったアカシアの花の天ぷら 蕎麦との相性も抜群
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「クラフトの聖地」松本

2017/05/30 16:02
  セイジオザワ(旧サイトウキネン)まつもとフェスティバルをはじめ、文化芸術系の催しが多く、文化都市の誉れ高い松本市。毎年5月に「あがたの森」で開催されるクラフトフェアは、全国の工芸作家にとって憧れの存在であり、「クラフトの聖地」とまで呼ばれているそうです。
 ポン太のかつての同僚であるO氏は、退職後に工芸作家に転身。ヤマブドウの蔓を用いた「松本奈川山葡萄籠工房 千三郎」を立ち上げました。今年は、「あがたの森」ではなく枡形広場(旧大手門跡)のミニクラフト展に出展というお話を伺い、久しぶりに松本へ出かけました。
 初めて拝見した山葡萄籠は、大変手の込んだもので、門外漢のポン太にも、熟練した技術とデザイン力を要するハイレベルな作品であることがわかりました。材料となる山葡萄のツルの確保自体が大変だということですので、希少価値もあります。
 退職後、以前の仕事とは全く異なる創作活動に取り組み、技術とセンスを磨き、高い評価を得るというのは、大変なことです。退職後の人生のすばらしいモデルを見たようで、元気をもらって帰ってきたポン太でした。

 「山葡萄籠工房 千三郎」の出展作品と作家御夫妻
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 歩きたくなるレトロな街並み(中町)
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定番ながら、いつ見ても美しい松本城
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浅間山麓スーパー大戦争

2017/05/28 22:53
 ポン太の買い物圏である御代田町、軽井沢町および佐久市北部エリアを舞台に、スーパー大戦争が勃発し、ポン太の家でもちょっとした話題になっています。
 この地域で最もブランド力があるスーパーは、何といっても小諸を創業の地とするツルヤです。高品質と品揃えの良さ、プライベートブランドが多いことで知られ、軽井沢店、御代田店は、別荘族や行楽客にも人気があります。そのツルヤに対して、御代田町には24時間営業のSEIYUがあり、軽井沢町では、つい先日、アルピコグループのデリシア(以前はマツヤでした)が開店。信州産のオリジナル商品を武器に攻勢をかけています。佐久市北部の佐久インター近くには、「毎日がお買い得」を標榜して全国展開しているイオン系列のザ・ビッグがあり、平尾山の麓には、昨年、レタス産地として知られる川上村生まれのスーパー、ナナーズが開店しました。新鮮野菜をウリに、これまた攻勢をかけています。
 人口密度が高いとはいえない浅間山麓に、大きなスーパーがこれだけ勢揃いすれば、激戦は必至。新聞の折り込み広告の頻度と内容がその激しさを物語っています。
 ホンモノの戦争やそれを招き寄せるような動きには大反対のポン太ですが、良い物が安く手に入るのであれば、この「戦争」の継続には大賛成。敗者がでない程度にがんばってもらえれば、などと虫のいいことを考えてしまうポン太でした。

ツルヤ御代田店 軽井沢店ほど混雑しておらず、買い物がしやすいので、いつもお世話になっています。
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ナナーズ安原店 田んぼの中にあり、夕焼けが美しかったので思わずカメラをむけてしまいました。
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いきつけの山

2017/05/26 00:11
  いきつけの店ならぬいきつけの山というのがポン太にはあります。かつて、多摩をねぐらにしていたころは、裏高尾の景信山によく出かけました。少なくとも300回以上登っていると思います。浅間山麓にねぐらを移してからは、佐久市の北端に位置する平尾山(1155m)がいきつけの山となりました。
 登山口までのアクセスが容易な上に、わずか1時間程歩を進めるだけで、実に眺望の良い山頂に到達します。急坂が連続する「忍耐の小径」と称するルートもあり、高山に登る前のトレーニングにも役立つので、出かける回数が増えるというわけです。四季を通じて気持ちよく歩ける山ですが、とりわけ素晴らしいのが今の季節。実はこの山、ヤマツツジの隠れた名所といっても良いのではとポン太は思っています。公園のツツジのように密集しているわけではなく、新緑の大海に赤い絵の具を少しふりまいたような自然な感じが好ましく、二日連続で徘徊してしまいました。

ヤマツツジに彩られた登山道
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咲き始めたヤマツツジを見ながら
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クマに注意することはもちろんですが、この看板のクマはちょっと怖すぎて、入山意欲を失う人がでそう。されど、ポン太は一度もクマに遭遇したことはありませんので、あまり臆病にならずにどうぞ。
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森は生きている

2017/05/23 10:26
  昔、学校の芸術鑑賞会で、「森は生きている」という劇をみた記憶があります。演劇など全く興味が無く、ダルい行事だと思いつつ会場のホールに足を運んだのですが、始まってしばらくするとすっかり舞台にひき込まれてしまい、こんなに面白いものをそれまで知らずにいたのが惜しいような気がしました。
 ポン太の森も劇場と同じで、日々変化するその様子を見ているだけでワクワクするようなところがあります。浅間山麓にやってくるまで、山野草や森の樹木に興味をもつことがなかったのがウソのようで、植物図鑑を手にする日が多くなりました。人間、いやタヌキといえども、何事も体験が大事だと、いまさらながら悟ったポン太でした。
 今、ポン太の森に咲いている花の中で、最近まで知らなかったものや、あまり一般的ではなさそうなものをとりあげてみます。

 フデリンドウ いつのまにか群落をつくり、森の斜面が紫の絵の具を散らしたようになっていました。
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ホタルカズラ 瑠璃色をした小さな星形の花ですが、トワイライトの森の中でみると、蛍光色のようでもあり、ホタルを連想してこの名がついたのもうなずけます。昔、染料に用いられたムラサキの仲間とか。
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 クマガイソウ これは伊那に住むポン子の友人から株をわけてもらったものですが、自然条件があうのか、見事に定着し、どんどんその数を増やしています。調べてみたら、なんと絶滅危惧種とか。ポン太の森の最高級の「お宝」かもしれません。
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 ツリバナ 最後は樹木の花です。あまりに小さいので見過ごしてしまいがちですが、よくみるとなかなか可愛い花です。ポン太の森にはたくさん自生しており、下の写真のように赤い実がくす玉のようにはじけるところも面白いですし、秋の紅葉もきれいです。
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野性の王国

2017/05/22 10:48
 ポン太の森やその周辺には、野生動物が多数生息しており、遭遇することも稀ではありません。ただし、相手は野性ですから、ふいに現れるという感じで、カメラを取り出している間に姿を消してしまいます。それでも、なんとか間に合ってカメラに収まった森の仲間たちをご紹介しましょう。このほか、キツネやリス、ヤマネ、ニホンジカ、ハクビシンなどと出会ったことがあり、そんな時はちょっとラッキーという気分になります。
 アンラッキーなのはクマとの遭遇。ポン太は幸いにして1度もありませんが、ある知人夫妻は、浅間山南麓の石尊山の登山道で、「クマにやられた」と血だらけになって下りてくる人に出会い、登山の続行を断念したとのこと。万一の際は、決して逃げる姿勢をみせず、大きく手を振りながら後ずさりするのが一番、ということですが、慌てずにそんなことができるのでしょうか。突然、タヌキの姿に変身し、クマが驚いて腰を抜かしている間に逃げ去る。タヌキ得意のドロン術。それこそできるわけないか。

 高い山でも里山でもよく見かけるのがニホンカモシカ。天然記念物ですが、ポン太にとっては遭遇率の最も高い野性動物です。あるとき、誰かに見られているような気がして振り向くと、10mほど高い位置からずっとこちらの動きを目で追っていたのはカモシカでした。ポン子もカモシカとの遭遇を喜んでおり、「カモちゃん今日は出てこないわね」などとすっかり友達気分です。
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 樹木がざわざわしているので見上げるとサルの群れが遊んでいました。
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 山からドタドタ下りてきたイノシシ。このときは子連れではありませんでしたが、何匹もの子(うり坊)を引き連れたイノシシが目の前を通過した際には、さすがにドキッとしました。
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 ポン太の森にあらわれたお仲間です。むこうは仲間とは思っていないでしょうが、日当たりのよい草地で、しばらくくつろいでいました。
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 鳥類で最も親しいのがキジ。散歩中にもよくその姿をみかけますし、「ケンケン」と鳴く声を聞かない日はないほどです。ちなみにキジは日本の国鳥。桃太郎でもおなじみですが、昔はおそらく日本中に当たり前のようにいた鳥なのでしょうね。
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ズミ

2017/05/20 22:48
 標高の高いエリアでも、さすがに桜の話題は少なくなりましたが、新緑の森の中で桜に似た花を咲かせている樹木があります。ポン太は以前、温泉の露天風呂に浸かっていたとき、裏山に咲くその花がみごとだったので、従業員の方に「まだ桜が咲いていているのですね」と言いましたら、「あれはズミですよ」と笑われてしまいました。遠目には桜にみえるズミ。それ以来気をつけてみていると、あちらこちらにその木があります。リンゴの花に似て、咲き始めはとても可愛らしいので調べてみたところ、バラ科リンゴ属の1種であることがわかりました。小梨とも呼ぶそうで、上高地には小梨平というキャンプ地があります。すっかりズミのファンになり、今ではズミが咲いているのをみつけると、ズミだズミだと騒いで、ひんしゅくを買っているポン太です。
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ズミのつぼみ
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注文の多い湯屋

2017/05/17 20:53
 浅間山麓の御代田町には、肌に卓効ありとされ、ポン子が化粧水のようだと絶賛している大谷地鉱泉があります。川端康成も訪れたことがあるという歴史の古い入浴施設ですが、冷鉱泉を沸かしているため、湯舟は小さく、数人でいっぱいになってしまいます。
 脱衣場の張り紙に、「石けんなどで身体を洗ってから入る。湯が熱いので、2、3度お湯をかけてから入る、湯舟の中で身体をこすらない・・云々」といったことが書いてありました。身体の汚れを落としてから湯舟に入るのは常識ですが、「石けんなどで」とまで細かな指示があるのは珍しいですね。身体にお湯をかけただけで湯舟に入ろうとした人が、常連さんに叱られていました。
 湯温は確かに高く、5分と入っていられません。されど、泉質はすばらしく、湯上がりの肌はサラサラ状態。「注文の多い湯屋」だけに、このあと食べられてしまうのではと、恐る恐るまわりを見回したポン太でしたが、襲ってきそうな獣はおらず、爽やかな山の風が、火照った身体をやさしく包んでくれました。

入口の看板。見落とさないように注意が必要。
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浅間山を背にした大谷地鉱泉。左が浴室のある新館。
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大谷地鉱泉付近の畑です。浅間山の雪はほとんど消え、整然と植えられたキャベツの苗が育ち始めています。
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94歳のコンサート

2017/05/15 21:17
 長野は全国1の長寿県ということもあり、ポン太より一世代ぐらい上の高齢者が、各方面で元気に活躍されている姿を見ることは、稀ではありません。されど、偶然目にしたチラシに、「94歳の終末期高齢者の朗読とピアノ弾き語りのコラボ」と記されていたのにはさすがに驚きました。どんなコンサートなのかと興味が湧き、ポン子と一緒にその会場である軽井沢の大賀ホールへ出かけました。
 入口でいただいたパンフレットには、「ズブの素人の懲りない爺さんの、原始人の音楽会」とあります。演奏者の村岡清一氏は、奥様に先立たれ、一人暮らしとなった後もチャレンジ精神を失わず、81歳からピアノを習い始め、朗読サークルにも参加された由。それで、音楽と朗読のコラボというコンサートとなったわけですが、実際には後者の方がメインの構成でした。
 背筋をピンと伸ばして大きな声で語る姿はとても94歳には見えません。「怒りの葡萄」を朗読した後、それを取り上げた理由として、この小説が描いた「難民の苦難」は、昔話ではなく、正に現在の世界の問題であるからだ、と述べていたのが印象に残りました。老いてなお世界に目をむけ、考え、厳しい状況にある人々に思いをいたす。その姿勢はポン太も見習わねばと思いました。
 ピアノ演奏(全部弾き語りという形でしたが)の方は、上手下手という範疇では語れないものでした。挑戦し続ける気迫。ポン太が同じ年齢に到達できたとして、果たしてそのような精神を持ち続けられるのか。せめてスタミナだけでもつけておかねばと、帰路、スーパーで少し多めに肉を買い求めたポン太でした。

演奏会のチラシ
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会場の大賀ホール。こんな素敵なホールで、いつかポン太も演奏してみたいもの。何を演奏するのかって?それはもちろん「証城寺の狸囃子」です。
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演奏中の村岡氏
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童謡・唱歌の風景

2017/05/14 09:05
 信州は広く標高差も大きいので、出かける場所によっては、季節がいったりきたりする感じがします。
 水芭蕉が見頃になったという情報を得て、2年ぶりに斑尾高原にでかけました。豪雪地帯だけに、5月半ばでもまだ雪がかなり残っており、木々の芽吹きもようやく始まったばかり。雪解け水の中にたくさんの水芭蕉が顔をだしており、その可憐な姿に、古ダヌキのポン太ですら、胸がキュンとなってしまいました。場所は違いますが、「水芭蕉の花が咲いている、夢みて咲いている水のほとり・・」と歌いたくなりますね。
 山を下ると飯山です。千曲川沿いの一帯では菜の花が満開。遠くの山が少し霞んだこの風景をみれば、今度は「菜の花畑に入り日薄れ・・・」と口ずさみたくなります。山裾の集落の佇まいは、これぞ「ザ・日本のふるさと」。頭の中を「うさぎ追いしかの山・・・」のメロディーが駆け巡り、すっかり童謡・唱歌の世界にはまってしまったポン太でした。

木道沿いに咲くリュウキンカ(手前の黄色い花)と水芭蕉
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沼ノ原湿原の水芭蕉
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桜とコラボ
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飯山の菜の花畑と千曲川
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「故郷」の風景
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開拓が育んだ美景

2017/05/13 10:03
 火山灰地である浅間山麓一帯は、かつては原野の広がる不毛の土地でした。江戸時代の初期に小諸藩の柏木小右衛門という人物が、千ヶ滝(軽井沢町)から御影新田(小諸市)に至る用水路を切り開いたということですが、それを改修し発展させた施設が軽井沢町の追分にあります。県営の事業として1971年に竣工した千ヶ滝湯川用水温水路です。水温を上昇させるために、大きく幅を広げた水路の周辺は、まるでヨーロッパの田舎を思わせる景観で、ポン太も頻繁に徘徊しています。
 用水路の南側は御代田町になりますが、そこには、戦後間もないころに開拓に入った人々が形成した集落があります。冬は氷点下20度にもなる酷寒の地。重機もない時代の開墾作業の困難さは、筆舌に尽くしがたいものであったに違いありません。ポン太の小さな家庭菜園ですら、焼け石だらけで閉口するほどですから。
 この集落の道沿いには桜をはじめ様々な花木が植えられていて、今の季節は花回廊のような美しさです。厳しい開拓の最中にも、このような配慮を忘れなかった人々の心根の優しさを思うと、だまって通り抜けてしまうのが、申し訳ないような気がするポン太でした。

温水路周辺の景観はまるで外国のよう
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開拓村の「花回廊」。今は八重桜が満開ですが、2週間前はソメイヨシノや枝垂れ桜がみごとでした。
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軽井沢の魅力はウォーキングにあり

2017/05/11 20:56
  軽井沢は言わずと知れた日本を代表する避暑地・保養地。上品なイメージがある一方、「軽井沢値段」という言葉もあるくらいで、内容に比して割高なお店も少なくありません。それでもこの町が魅力を失わないのは、すべてを包み込んでしまう圧倒的な緑のパワーが存在するからでしょう。街なのに森の中。ただの散歩が、これほど心地よく感じられる町は他にはありません。
 体力づくりも兼ねて、ポン太とポン子が、時折徘徊しているのは、碓氷峠に通じる遊歩道です。吊り橋を渡り、緑のトンネルの中を登ることおよそ1時間。そこには、関東平野一望の絶景見晴台が待っています。
 快適な遊歩道ですが、クマさんにだけは出会いたくないもの。ポン子は以前、この道で小熊に遭遇したことがあり、当地のウォーキングには、鈴が必携です。

 遊歩道入口のクマ注意の看板。無視してはいけません。
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 遊歩道の吊り橋
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 樹間を縫うように登っていく快適な遊歩道
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 開放感あふれる見晴台。手前に見えるのは妙義山です。
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大和ごころ

2017/05/07 09:30
 浅間山麓一帯の芽吹きは一気に進み、森全体が淡い緑のベールをかけたようになりました。人里のソメイヨシノと入れ替わるように、新緑の森の中ではヤマザクラが満開です。花の密度が低く、葉も同時にでてしまうので、いわゆるお花見といった浮かれた気分にはなりませんが、森の中で人知れず楚々と咲くこのヤマザクラこそ、日本古来の桜の風情かもしれません。宣長が「大和ごころ」と詠んだのも、むべなるかなと思うポン太でした。
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 山桜を見て思い出したのが陸郷(池田町)です。そこは、長野から松本へむかう国道19号沿いの生坂村下生野から2キロほど西方に入った山里。鳥がついばんで種を運んだといわれる山桜が散在し、パッチワークのような眺望を楽しむことができるのです。浅間山麓からは少し遠いのですが、ポン太おすすめの場所なので、一昨年の写真ですが、アップしておくことにします。
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リンゴの花ほころび

2017/05/04 21:00
 いま、浅間山の周辺では、果樹の花が盛りをむかえています。春は目で味わい、秋には口で味わう。果物を二度味わうことができるのは、産地ならではです。ポン太がしばしば徘徊している平尾山の山麓(上信越道佐久平PA付近)は、「平尾桃源郷」とも呼ばれる桃の里。ピンクの花の海に浮かぶ浅間山の眺めは、なかなかの絶景です。
 ポン太の森でも、数年前に植えたリンゴの花が咲き始めました。花の色は白ですが、ほころび始めのころは薄いピンク色でなんとも可愛らしく、思わず「リンゴの花ほころび川面に霞み立ち・・」と口ずさんでしまいました。やっぱりオイラは古ダヌキかな。
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芽吹きラッシュ

2017/05/03 11:10
  ゴールデンウィークに入り浅間山麓も賑やかになりました。軽井沢などは車の渋滞で、町内へ入ることすら大変ですし、有名スポットは人また人。
 ポン太の森やその周辺も賑やかになりましたが、こちらは人ではなく、芽吹きラッシュの賑やかさです。その主役といってもよいのがカラマツ。まことに可愛らしい芽吹きで、いつも癒されます。満開の桜とのコラボも高原ならではの美景。
 森の中には、おいしい芽吹きもあります。山菜の王様といわれるタラの芽。うっかり手をだすと、鋭いトゲで痛い目にあいますが、分厚いゴム手袋を用意すれば大丈夫。しっかりゲットし、舌鼓も腹鼓も打ったポン太でした。  
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街道を登る桜

2017/04/30 10:03
  旧街道には、なんともいえぬ風情があります。そんじょそこらのただの道とは異なり、そこを行き来した無数の旅人たちの思いが染み込んでいるような気がするからです。
 浅間山麓の旧街道といえば中山道です。軽井沢、沓掛(現在の中軽井沢)、追分は、かつては浅間三宿とよばれて賑わっていました。追分宿はその名のとおり、北国街道との分岐点で、標高約1000mと中山道の宿場の中で最高所に位置しています。その先は、小田井宿を経て佐久平の岩村田宿へと下っていくのですが、岩村田宿の標高は約700mですから、この間の高低差はおよそ300m。江戸をめざす旅人たちが、汗をふきふき登ったであろうこの高低差を、桜の花はゆっくり時間をかけて登ってきます。先週末には、ついに追分宿でも桜が開花し、桜の街道登りも完結。なぜか、お疲れ様と言いたくなってしまったポン太でした。

小田井宿本陣の桜 旅籠がたった5軒しかなかったという小さな宿場ですが、往時の雰囲気をよく留めています。
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蓼科山を背に 小田井宿の少し追分宿寄りには、こんな風景が広がります。
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御代田の一里塚 江戸から40番目の一里塚です。道筋が少し変わったことで、今は畑の中に東西一対の塚があります。
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追分宿でも桜が開花 道の曲がり具合も風情があります
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森の目覚め

2017/04/28 08:14
 このところ桜に浮かれてあちこち徘徊していたポン太でしたが、ねぐらにしている森をよく眺めてみると、様々な嬉しい変化が起きていました。岩の隙間には可憐なスミレが背をいっぱいに伸ばして咲いており、枯れ葉の下からはヒトリシズカが顔をだしています。名前どおりの形をしたイカリソウのピンクの花はすでに盛り。いずれも目を凝らさないと見過ごしてしまいそうな小さな植物ですが、森の力強い目覚めを感じます。
 樹木の花で、ダンコウバイ、コブシに次いで咲いたのはアンズ。まだ若い木なので、花の数はそう多くはないのですが、実を結んでくれれば、ポン太の口にも入るはず。今年はいくつ食べられるかなと、捕らぬ狸の皮算用。おっと、これはタヌキが口にしてはならぬ禁句でした。
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さくら協奏曲第3楽章 長野牧場

2017/04/26 22:05
 ポン太の森のような標高の高いところを除き、信州の桜もいよいよフィナーレ。数あるお花見スポットの中で、ここだけは外せないというポン太お気に入りの場所があります。それは佐久市内にある長野牧場(正式名称は、独立行政法人・家畜改良センター茨城牧場長野支場)です。元々は、日露戦争後、軍馬の改良を目的として設置された国立の種馬所でしたが、今は山羊の育種改良に力を入れています。可愛い子山羊をたくさん見ることができるので、子連れファミリーに大人気。
 ポン太にとって嬉しいのは、青草にごろんと寝転んで、誰にも邪魔されずに心ゆくまで花を眺めていられることです。周辺に広がる牧草地は広大で、北海道に来ているのではないかと錯覚してしまうほど。ランチをたらふく食べ、ごろごろしていると、あまりの心地よさにウトウト。これはタヌキ寝入りではありません。
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桜色の車窓

2017/04/25 22:13
 桜ネタばかりでなんだと思われるかもしれませんが、この季節、もっともインパクトがあるのはやはり桜。桜が咲くと、それまでのくすんだ景色が一変し、まるで魔法をみているような気さえします。とりわけ、長い冬を耐えてきた山国では、一気に気分が解放され、もう舞い上がってしまいそう。ポン太もドローン状態といいたいところですが、やっぱり得意ワザはドローンではなくドロンかな。
 さて、桜といえば、列車の車窓から眺める桜というのも、なかなか良いものです。瞬時に過ぎ去ってしまうことで、わーきれい、ここはどこ、とかえって印象に残ったりもします。高原列車として知られる小海線の車窓を彩る桜を追ってみました。

乙女駅付近 しなの鉄道が並走していますが、駅があるのは小海線だけ。
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三岡駅 
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美里駅付近 後方の山は八ヶ岳です。
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八千穂(やちほ)駅 
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さくら協奏曲第2楽章 懐古園(小諸城址)の夜桜

2017/04/24 08:53
 小諸の懐古園(小諸城址)は、東信地方でも1、2を争う桜の名所です。夜桜も見応えありということで、ポン太も徘徊に及びました。桜はライトアップされていましたが、足元を照らす照明はほとんど無く、黒々とした大地に浮かび上がるピンクの海のような情景はまさに幻想的。とりわけ、花の色合いと枝振りの良さに見とれてしまったのが、コモロヤエベニシダレ(小諸八重紅枝垂)です。あまりに長い名前なので、ポン太の脳みそでは覚えていられそうもないのですが、当地の固有種とのこと。
 かつての馬場にあたるところが園内で一番広い桜の園になっていて、花見の宴を催しているグループもいました。しかし、歌舞音曲はもちろん話し声さえ聞こえてきません。黙々と食べ、飲みといった感じです。懐古園に向かう道路上の表示では、5度という気温でしたから、それから少し時間がたってもっと下がっているかもしれません。山国の夜桜の宴は耐寒訓練と心得よ、ですかね。温かな汁物が欲しくなると思いますが、タヌキ汁だけはご勘弁を。 
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照明に浮かび上がったコモロヤエベニシダレ
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