畑もアートだ

 山も野も里も緑一色。植物の生長の早さ、その勢いには圧倒されるばかりです。草や木の芳香をたっぷり含んだ美味しい空気。思わず立ち止まって深呼吸したくなります。畑では高原野菜の植え付けが盛んにおこなわれており、田には水がはられ、田植えが始まったところもあります。
 田舎の風景といえば、全国的には「田んぼ」が主役ですが、ここ浅間山麓では、レタスやキャベツといった高原野菜を栽培する畑の面積が圧倒的に広く、それがつくり出す景観は、アートと呼んでもおかしくない美しさです。広い畑に整然と植えられた苗をみただけでも、爽やかな気分になりますが、それがレタスであった場合、いろいろな種類があり、葉の色も異なっているため、遠目にはパッチワークのように見えます。一斉に田植えをして一斉に収穫する水田とは異なり、時期をずらして植え、何度も収穫できるようにしておく必要性から、生長具合の異なる苗が、それぞれ畑の一定の面積を占め、異なる色彩になっていることも、アートのように見える理由の1つかもしれません。
 森の中の道をたどり、畑の広がるところへ出ると、開放的な気分になるだけでなく、その思いがけない美しさに驚くことがしばしばです。春の花が一段落したこの時季、「畑アート」探索はちょっとした楽しみといえましょう。「畑アート」の良いところは、その図柄が日々変化すること。育ち具合によって、同じ畑とは思えないぐらい変わってしまい、又収穫されると、何も描かれていないキャンバスにもどってしまう。今日見た「畑アート」は、明日は存在しないかもしれませんから、一期一会といってもよい作品鑑賞です。畑で作業している人は、アート作品をつくっている意識はないでしょうから、立ち止まって眺めていると、いぶかしく思われるかもしれません。それでも立ち止まって眺める価値がある。たかが散歩と侮ることなかれ。歩いてさえいれば、いろいろな楽しみが見つかるものです。

 樹木が成長する勢いは恐ろしいほどです。ポン太の小さな菜園も、背後に迫る緑の波に飲み込まれそう。
ポン太の菜園.JPG
 道路も緑のトンネル状態です。
新緑の道.JPG
 畑の中に出ると景色が一変。ごく普通のキャベツ畑ですが、眺めているとスカッとした気分になります。
爽やかなキャベツ畑.JPG
 浅間山麓で栽培されている野菜は「霧下野菜」とよばれています。早朝の霧が乾燥をふせぎ、瑞々しく柔らかい、味も食感も良い野菜にしてくれるそうです。こういう景色を眺めていると、そうかもしれないという気になります。
霧下野菜.JPG
 住宅地化がすすみ、レタス畑と隣あわせになっているところも多いのですが、畑が整然としていて美しいので違和感はありません。
住宅街と畑.JPG
 こちらはなんとレタス畑を含む街区全体が住民協定により景観形成されていました。
きれいな畑.JPG
 ここまでくれば正しく「畑アート」ではないでしょうか。
畑アートその1.JPG
 こちらも見事です。
まさにアート.JPG
 レタス苗の植え付け作業風景、いや「畑アート」の造形作業風景といってもよいでしょう。それにしても1株ずつ手作業で植えていくわけですから大変な労力です。
DSCF1413.JPG
 植え付ける苗がセットされていた台の上がすでにパッチワークです。
苗からパッチワーク.JPG
 シートが張られ植え付け準備が整った畑と、植え付け用の機材です。
植え付け機材.JPG 
 植え付けが終わったばかりの畑です。スケールの大きさに驚くとともに、苗が育ったたらどんな景観になるのか楽しみです。
広いレタス畑.JPG
 スケールは小さいものの、地形を上手に利用したこの畑にも造形美を感じます。後ろに見えるのは新幹線のコンクリート橋です。
DSCF1399.JPG
 この時季の長野牧場がどうなっているのか、ちょっと覗いてみましたが、「おお牧場はみどり~」と歌いたくなりました。
牧場は緑.JPG
 牧草を栽培する畑はさすがに広いですね。緑の草の中に吸い込まれそうです。
DSCF1641.JPG
 牧場のカラマツ並木です。散歩するにはぜいたくすぎる雰囲気でした。
新緑の落葉松林.JPG
 「畑アート」を楽しんだ後は、わが菜園のレタスを使ったサラダをつくってみました。柔らかくて美味しいこと。これはもう「霧下野菜」と称してもおかしくないと、大満足のポン太でした。
レタスの朝食 .JPG






 

コシアブラをかえせ

 そろそろヤマツツジが咲いているのではと、平尾山へ出かけてみました。期待に違わず、登山口に近いところでは満開。中腹でも日当たりのよいところでは次々と咲き始めていて、新緑の森に赤い絵の具を散らしたような美しさでした。栽培種と比べると花は小さく、数も少ないので、豪華絢爛という感じにはなりませんが、新緑を邪魔しない程度に自己主張しているところが、山に咲く花らしい感じがして、ポン太は気に入っています。平尾山が1年中で最も美しく輝くのが、このツツジの咲く時季といって間違いないと思います。
 山歩きで汗をかいた後は、冷たい蕎麦を食べたくなるもの。蕎麦のお供といえば天ぷらです。特に山菜の天ぷらは、微妙なえぐみがあり、季節感をたっぷり味わえるので、大好きです。ベスト3を選ぶとすれば、タラ、ハリギリ、コシアブラの若芽になるのではないでしょうか。中でもコシアブラは、一度食べたら忘れられないほど美味です。あまりに美味しいので、ポン太の森でも育つのではないかと苗木を植えてみました。今はまだようやく根付いた段階で、食べられる状態になる日はだいぶ先です。
 夕方、菜園の除草をしていたところ、町の防災無線放送から、コシアブラという名が聞こえてきました。耳を澄ますと「町内産のコシアブラから基準値を超える放射性セシウムが検出されたので、採取、出荷、摂取を自粛するように」という内容でした。正直びっくり仰天です。新聞で確認すると、浅間山麓の御代田町、軽井沢町以外にも長野市、中野市、野沢温泉村、木島平村についても県は同様の自粛要請をしている由。これは福島の原発事故で拡散した放射性物質が、今もあちらこちらで放射線を発していることを意味します。
 ポン太の森や周辺の山で採ってきた他の山菜は大丈夫なのか。ポン太が「開墾」した菜園の作物はどうなる? 安全を確かめるすべがないだけに、いやな気持ちになります。そもそも放射性物質は放射線を出す能力が減衰するまでに長時間を要し、セシウム137の半減期(半分になる期間)は30年です。中には1万年以上かかるものもあるというのですからやっかいです。
 「コロナ」に気をとられていましたが、「フクシマ」も終息してはいないのです。「除染」といっても、濃度の高い土をはぎ取って別の場所へ移した(保管した)だけで、放射能を無害にできたわけではありません。人間の手で処理(無害化)できないようなものを出し続ける産業などあってよいものか。いまだに原発再稼働を唱えている御仁がいますが、官邸にフクシマの除染土を運び入れてからモノを言えと、可哀想なコシアブラの木を眺めているうちに、熱くなってしまいました。

 麓のレタス畑から見上げた新緑の平尾山です。里山とはいえ堂々たる山容です。
平尾山.JPG
 いつもは怖そうに見えるクマ注意看板ですが、その先の登山道沿いにツツジが咲いていると、気分が明るくなります。
DSCF1262.JPG
 登山道に覆い被さるように咲くヤマツツジです。
DSCF1334.JPG
 岩の間や山の斜面に咲くヤマツツジも見応えがあります。
DSCF1272.JPG
 新緑の海に赤い絵の具を散らしたように見えるヤマツツジの花。これこそヤマツツジの醍醐味といえましょう。
DSCF1279.JPG
 登山道に沿ってヤマツツジがずっと続いているところもあり、気分良く登ることができます。
DSCF1309.JPG
 近くで見ても美しいヤマツツジの花です。
ヤマツツジの花.JPG
 ヤマツツジのほかにガマズミも咲いていました。ちょっと箸休めといったところでしょうか。
ガマズミ.JPG
 中腹から上はまだ蕾のところも多かったのですが、それでも赤い蕾が新緑とよくマッチしてきれいです。
DSCF1284.JPG
 芽吹いたばかりの白樺とヤマツツジのコラボも素敵です。
白樺の森とツツジ.JPG
 山頂から佐久平を見下ろすと、水のはられた田が目立つようになり、だいぶ雰囲気が変わりました。
佐久平.JPG
 山頂の草むらには、キンポウゲウ科のウマノアシガタが咲いていました。
ウマノアシガタ.JPG
 シロバナエンレイソウもまだ咲いていましたが、花の色がシロではなくなっていました。
シロバナエンレイソウ.JPG
 こちらはラショウモンカズラ。面白い形をした花ですが、渡辺綱が羅生門で切り落とした鬼女のウデがその名の由来だと知ると、不気味な花に見えてきます。
ラショウモンカズラ.JPG
 これが、美味しい山菜ベスト3の1つ、ハリギリです。名前のとおり枝には鋭いトゲがあります。
ハリギリ.JPG
 ポン太が植えたコシアブラの木です。大きく育って食べられるようになる日を楽しみにしていたのですが・・・。
コシアブラ.JPG

新緑の森に咲く花々

 北海道や東京、大阪など8都道府県を除く39県で、緊急事態宣言が解除されました。長野県も解除された県の1つですが、巷では「嬉しいが怖い」という声が多く聞かれます。新型コロナウイルスが消滅したわけではなく、特効薬やワクチンの開発がまだできていないのですから当然でしょう。市民の真面目な努力(外出自粛、人との距離をとる、手洗い励行、マスク着用等)によって、なんとか爆発的感染拡大をしのいでいる状況に変わりはなく、危機感(緊張感)が緩めば巨大な第二波がやってくる。それは多くの識者が指摘しているところです。気がかりなのは解除にあたっての政権のトーンが、「のり越えた」というニュアンスに傾いているように思われることです。これが「緩み」を生むことに繋がらないか。都知事が、全てクリアされたような雰囲気が漂う出口戦略という言葉を使いたくない、と言っているのは一理ある、心配性の森のタヌキはそう思います。 
 先月、緊急事態宣言が発せられたころは、桜はおろか、咲いている花など皆無で、冬枯れのままの風景でした。季節の変化は恐ろしいほどの勢いで進み、今、わが家は新緑の海の中にあります。リンゴの花はだいぶ散りましたが、それに替わってヤマツツジやレンゲツツジが開花し、緑の森の中で存在感を発揮しています。何本もあるウワミズザクラは満開状態が続いており、たぶんそのせいでしょうが、森は甘い香りにつつまれています。樹木の下では、ホタルカズラの小さな花が青紫の独特の色を見せており、貴重種のクマガイソウも例年以上にたくさん咲いています。日当たりのよい道路際ではアマドコロを見かけるようになりました。スズランに似た感じの植物ですが、毒はなく食用にもなる由。調べてみるとアマドコロの花言葉は「元気をだして」「心の痛みがわかる人」だそうですから、コロナ禍にさいなまれているすべての人に贈りたい花ですね。
 散歩に出て、目に入ってくるのは満開の八重桜です。ポン太の散歩エリアには特に八重桜が多いのですが、戦後間もなく、この浅間山麓の原野に開拓に入った人々が植えた名残ではないかと推測しています。火山の噴石だらけの不毛の土地を、なんとか豊かな土地に変えたい、そんな願いがこもっているように思えてなりません。ちなみに、おめでたい席で出される桜茶には八重桜が使われており、八は末広がりで縁起の良い数字とされます。
 いま咲き誇る八重桜をよくみると、そのほとんどが老木です。このままではいずれ朽ちてしまい、見事な花を楽しむことができなくなってしまうかもしれません。景観と開拓精神を継承するためにも、要所要所に八重桜の若木を植えるべきではないか、散歩をしながらそんな勝手なことを考えてしまったポン太でした。

 ポン太の森に甘い香りをふりまいているウワミズザクラです。サクラといっても、花は一般のサクラとは全く形状が異なっています。
DSCF1128.JPG
 ヤマツツジは、栽培種のツツジと比べると成長が遅く、昨年初めて数輪の花をつけたのですが、今年はこんなにたくさんの花が咲き、森が一気に華やかになりました。平尾山でもそろそろ咲き始めていると思われるので、次の山行が楽しみです。
DSCF1240.JPG
 こちらは、いつの間にか自生していたレンゲツツジです。鳥がタネを運んでくれたのかもしれません。ヤマツツジより花は大きく、色は朱にちかいのでよく目立ちます。
DSCF1233.JPG
 シャクナゲも開花しました。深山のシャクナゲと比べると色が濃い感じがします。
DSCF1238.JPG
 環境省の絶滅危惧種に指定されているクマガイソウです。グロテスクにも見える花ですが、武士が矢を避けるために背負った母衣(ほろ)に形が似ているところから、一ノ谷の合戦で名をはせた熊谷次郎直実の名をとってクマガイソウとなった由。一方、討ち取られた平家の平敦盛になぞらえたアツモリソウもありますが、クマガイソウはラン科アツモリソウ属に含まれるということなので、討ち取られた方が上位になっているというのも面白いですね。
DSCF1127.JPG
 単純な青紫色といえない、摩訶不思議な色合いが面白いホタルカズラです。草むらの中でみるとホタルの光のようだというのがその名の由来とか。こちらも地域によっては絶滅危惧種の扱いを受けているそうですから、ポン太の森もたいしたものといえるかもしれません。
DSCF1053.JPG
 花言葉がすばらしいアマドコロです。
DSCF1130.JPG
 ポン太の家から数分の道沿いに咲く八重桜です。今は住宅地化してしまい開拓地の雰囲気はありません。昔と変わらないのは、後方の浅間山とこの八重桜だけかもしれません。
DSCF1191 (2).JPG
 中山道沿いにも八重桜が並木のようになっているところがあります。「中山道歩き」の人にとっては癒やしの風景ではないかと思いますが、今は誰も通りません。
DSCF1152.JPG
 御影用水の端にも、八重桜が数本まとまって咲いているところがあります。
DSCF1169.JPG
 その近くの旧開拓集落では、道路に沿って、たくさんの八重桜が植えられています。
DSCF1185 (2).JPG
 腰の曲がった老木が、これだけ立派に花を咲かせている姿に感動してしまいました。
DSCF1145.JPG
 浅間山の雪もこんなに少なくなり、山麓一帯は春から初夏へと一気に移りつつある感じがします。畑では、高原野菜の植え付け作業がたけなわです。
DSCF1111 (2).JPG
 ポン太の菜園はどうなっているかといえば、4月の初めに植えたレタスがこんなに大きくなりました。収穫まであと少しです。試しに大きめの葉をとって食べてみましたら、柔らかくて美味しいこと。やはり自家製は最高なり。
DSCF1047.JPG
 ジャガイモ(ノーザンルビー)の芽もぐんぐんのびて、ここまで大きくなりました。ここはジャガイモのために新たに開墾した「畑」ですが、うまくいきそうで嬉しいですね。
DSCF1074.JPG



街角の芝桜アートを堪能

 散歩とウォーキングはイコールでしょうか。今までこのブログでは、両者を同じことのように取り扱っていたのですが、よくよく考えると、だいぶニュアンスが異なっているように思います。
 辞書をひいてみると、散歩とは、気晴らしや健康のために家の周辺などをぶらぶら歩くことであり、ウォーキングは健康維持のための歩行運動というような説明がなされています。どちらも健康によい行為であることに違いはないのですが、前者は、ぶらぶら歩きながら、見たり聞いたり匂いを感じたり、あるいは思索したりということに力点が置かれているようです。後者は身体を動かすことそれ自体を目的としており、スポーツの一種といえましょう。
 ポン太がやっているのは、どちらなのか。冬場はおそらくウォーキングですが、それ以外の季節は散歩です。春夏秋のスリーシーズンが短期間に凝縮された形でやってくるここ浅間山麓。樹木や草花に象徴される季節の移り変わりを何としても漏らさず味わいたいと思うのです。それには、スピード感のあるウォーキングではなくぶらぶら歩きの散歩が最適というわけです。
 家屋が接近しておらず、どの家にも大なり小なり庭がある当地では、程度の差はあれ、大半の家がガーデニングに力を入れている様子がうかがえます。そうしたお庭を眺めて庭造りのヒントを得たり、今何が咲いているのか確かめて歩くのは、散歩の楽しみの1つといえましょう。ここ二週間ほどの間、特に目を奪われたのは、芝桜の造形です。中には芝桜アートと呼びたいものまでありましたので、そのいくつかをご紹介することにします。

 まずこちらは、畑と道路との境に、農家の方がつくった芝桜アート。道を歩く人を楽しませるためにこれだけ手をかけてくれていることに感謝です。
芝桜アート.JPG
 こちらはまだガーデニングを始めたばかりのようですが、芝桜と枝垂れ桜のバランスがよく、この先の変化が楽しみです。
芝桜アート?.JPG
 芝桜と鯉のぼりののどかな風景。これもまた良きかなです。
DSCF0648.JPG
 隣地との段差を利用したみごとな造形ではないでしょうか。
DSCF0652.JPG
 こちらも庭と駐車場の間の斜面を利用したものですが、なかなかの迫力です。
DSCF0656.JPG
 家の回りを囲む芝桜。段差があるときれいに見えます。
DSCF0650.JPG
 駐車場と建物の間の比較的狭いスペースを芝桜で埋めたたくみなガーデニングに驚きました。
DSCF0668.JPG
 今咲いているのは芝桜だけですが、相当ガーデニングに力を入れていそうなお庭で、これから先が楽しみです、
DSCF0667.JPG
 地域の老人倶楽部が手入れをしている花壇の芝桜です。
DSCF0676.JPG
 こちらの石積みと芝桜の組み合わせは見事です。
DSCF0679.JPG
 まだまだいろいろな花が咲いてきそうなお庭です。
DSCF0677.JPG
 こちらは公共施設(エコールみよた)ですが、浅間の焼け石と芝桜がよくマッチしています。
DSCF0309.JPG
 これはアート作品として植えられた芝桜のようで、手前に「Secret Garden Project」という立て札がありました。
DSCF0738.JPG

眩い新緑と山麓を彩る花々

 ゴールデンウィークならぬステイホームウィークが終わりました。浅間山麓では、ヤマザクラや八重ザクラを除いてほとんどの桜は散ってしまい、山も森も野もすべてが眩いばかりの新緑に包まれています。毎日のように新しい花が咲き、わが家の話題も「今日は○○が咲いたよ」「○○には○○も咲いている」といった類が多くなりました。
 ポン太の庭では、リンゴが満開、ズミも見頃です。ウワミズザクラも咲きかけています。朝起きて、窓のカーテンを開けたとたんに目に飛び込んでくる新緑の鮮やかさは、この時季ならでは。特に、ツリバナ、ニシキギ、ヤマツツジ、マユミ、ミズキ、白樺といった木々の若葉は、「きみどり」という絵の具の色そのものです。
 「カッコーが鳴いたら作物の植え付けや種まきをする」というのが、この高冷地における古くからの言い伝えということですが、今年はまだカッコーの声は聞こえてきません。しかし、気温は十分高くなってきていますので、ポン太は待ちきれずに、菜園にキュウリとトマトの苗を植え、山東菜のタネを播いてしまいました。この先寒い日があると困るのですが、天気予報を信じればたぶん大丈夫です。
 いつもの平尾山もあっという間に緑のベールに包まれました。頂上の桜はほとんど葉桜となりましたが、1本だけあるオオヤマザクラは、まだ満開。ピンク色の花束のように咲くその姿は、背後に控えている雪解けが進んだ浅間山とよくマッチして、見応えがあります。森の中では、今年もシロバナエンレイソウが可憐な花を咲かせており、登山道脇には可愛らしいワダソウがたくさん咲いていました。麓に近いところではニリンソウも咲き始め、ヤマツツジの蕾も開花まであと一歩というところまでふくらんでいます。平尾山のベストシーズンが始まったといってよいでしょう。


 窓の外は眩いばかりの新緑です。
DSCF0936.JPG
 わが家の庭のリンゴも満開。背後の木々の若葉は文字通りの「きみどり」です。チューリップは終わりかけていますが、新緑の中で見るとまだ鮮やかです。
DSCF0997.JPG
 これがリンゴ(アルプス乙女)の花です。近寄ると甘い香りが漂ってきます。
DSCF0953.JPG
 ポン太推奨のズミの花です。
DSCF0944.JPG
 近くで見ると、本当に可愛らしい花です。
DSCF0945.JPG
 家庭菜園ではイチゴの花盛り。今年は豊作の予感?
DSCF0815.JPG
 ブルーベリーも例年より花が多いように感じます。このまま実って欲しいですね。
DSCF0819.JPG
 森の中には美味しいものも。今年はタラの芽の当たり年のようで、たくさん収穫できました。
DSCF0814.JPG
 クマガイソウも花芽が出てきました。
DSCF0816.JPG
 ポン太の森にも少しだけヤマザクラがあるのですが、こんなに色の濃いものは珍しいのでは。
DSCF0823.JPG
 平尾山もすっかり新緑に包まれました。
DSCF0903.JPG
 登山道のまわりも緑が増してきて、気持ちよく登れます。
DSCF0842.JPG
 つい数日前まで、頂上は桜の花盛りでした。
DSCF0857.JPG
 桜の花と遠くの雪山(北アルプス)。絶景です。
DSCF0867.JPG
 今も咲いているオオヤマザクラと浅間山です。
DSCF0978.JPG
 平尾山では貴重なシロバナエンレイソウです。
DSCF0880.JPG
 こちらは可憐なのに、名前はちょっと平凡なワダソウ。
DSCF0883.JPG
 ニリンソウも咲いていました。
DSCF0897.JPG
 ポン太の森にも咲いているイカリソウですが、平尾山の方がより端正で美しいように見えました。
DSCF0909.JPG
 とりわけ珍しいわけではないのですが、きれいなスミレもたくさん咲いています。
DSCF0901.JPG
 登山道脇で咲きだした山吹の花です。これも珍しいわけではないのですが、新緑の森とよくマッチしてきれいです。
DSCF0904.JPG

歌声喫茶オープン

 この「コロナ自粛」の最中に、歌声喫茶がオープンするなどあり得ないと思われるでしょうね。いえいえあり得るのです。お店ではなく「おうち歌声喫茶」ですから。
 今は、コンサートや○○の集いといったあらゆるイベントが中止となっており、ナマで楽しめるものがありません。それではいささか味気ないので、一計を案じたというわけです。用意したものは、歌詞カードとケーキとコーヒーのみ。お客は、ポン太とポン子の二人だけですから、「三密」の心配はありませんが、緑のさわやかな風が入ってくるように窓は全開にしました。たとえ音程の狂った声が漏れたとしても、腰を抜かすのは森のリスかタヌキぐらいで、ご近所迷惑にならなくて済むのは田舎暮らしならではです。
 口を大きく開いてお腹の底から声を出して歌いたくなるのは、やはり流行歌やポップスの類ではなく、季節感溢れた童謡・唱歌・叙情歌曲。この季節にふさわしい「こいのぼり」「背くらべ」「朧月夜」「夏は来ぬ」「茶摘み」「夏の思い出」「カチューシャ」等をリストアップし、歌詞カードをつくりました。
 「おうち歌声喫茶」では伴奏はなく完全なアカペラです。歌ってみて思ったのは、昔の歌の歌詞のすばらしさ。文語調で格調高いだけでなく情感に溢れていて、自然にメロディーがついてくる感じがします。
 いま浅間山麓では、新緑の森や残雪の山を背景に、無数の鯉のぼりが空を泳いでいます。見ているだけでも気持ちが良いものですが、「こいのぼり」の歌を声に出して歌うと、体中に元気がみなぎってくるような気がしました。ちなみに「こいのぼり」の歌は二つありますが、ポン太の好みは「屋根より高い~♪」の方ではなく、「いらかの波と雲の波~♪」ではじまる弘田龍太郎作曲の勇壮な曲です。「たちばな薫るあさかぜに、高く泳ぐや鯉のぼり」と歌っていくと、自分も鯉のぼりとともに空に舞い上がっていくような高揚感が味わえ、気持ちがすっきりします。ロックダウンされたイタリアの都市住民が、気持ちを奮い立たせるようにマンションのベランダに出て大声で歌い合っているシーンがテレビで流れましたが、あの気持ち、わかりますね。
 「リンゴの花ほころび~♪」と「カチューシャ」を歌い終わって、外に出てみると、昨日まで蕾だったリンゴの花が咲き始めていました。「コロナ」の渦中とはいえ、麗らかな春です。

 歌声喫茶の準備OKなり。ポン太とポン子の二人だけでは寂しいので、「ポンちゃん」にも参加してもらいました。
歌声喫茶オープン.JPG
 リンゴ(アルプス乙女)の花が咲きました。リンゴの花は満開時よりも、咲き始めのころが一番可愛らしくてきれいです。
リンゴ開花.JPG
 ささやかな菜園のまわりの木々が一斉に芽吹いて、薄緑のベールがかかったように見えます。頭上ではヤマザクラが咲き始めました。
芽吹きの庭.JPG
 森の中ではイカリソウが咲いていました。
イカリソウ.JPG
 ヒトリシズカもお目覚めです。
ヒトリシズカ.JPG
 日当たりのよいところは、フデリンドウのお花畑になっていました。
フデリンドウ咲く.JPG
 樹形が悪くヤブのようになってしまうので、ポン太はあまり好きではないのですが、花とその名前だけは素敵なウグイスカグラです。
ウグイスカグラ/わが家.JPG
 それとは逆に、名前から受けるイメージはよくなくても、森の中で咲いていると存在感があり、ポン太が大好きなのがズミ。蕾が赤くふくらんできました。
ズミの蕾.JPG
 花壇のチューリップが咲きそろい、華やかな雰囲気になりました。
DSCF0613.JPG
 チューリップは大好きなので、自分でもどこに植えたか忘れてしまうほど、あちらこちらに植えてあるのですが、クマザサの中でこんな咲き方をしているものもありました。
ささとチューリップ.JPG
 岩とコラボしているこちらもきれいです。
岩陰のチューリップ.JPG
 植えたのではなく、抜いた雑草と一緒に土に埋めてしまったと思われる球根が育って、いつのまにか花を咲かせていました。
捨てチューリップ.JPG
 気候が良くなるとやたらに庭いじりがしたくなるもの。今年新設した「タヌキ花壇」にアスターを植え、コスモスのタネをまいてみました。秋にはどんな風景になるか楽しみです。
タヌキの花壇賑わう.JPG

アカル山を経てモンブランに登頂!?

 先月はモンブランに登頂しました。「コロナ」が猛威をふるっているこの時期に、ヨーロッパアルプスの最高峰であるモンブランに登頂? ウソに決まっているだろうと思われるかもしれません。そのとおり、ウソといえばウソですが、まったくのデタラメというわけではありません。
 生活エリアである浅間山麓から一歩も出ないという「自粛」生活を送る中で、健康維持のためのウォーキングと地元の里山歩きの回数だけは着実に増えました。先月は山歩きに出かけた回数が合計16回となり、なんと月間の最多記録を更新してしまいました。出かけた先は平尾山が大半ですが、少し気分を変えようとアカル山にも登りました。いずれも登山口から山頂までの高度差は300m程度ですので、300m×16回で4800m、それがこの1ヶ月間に実際に登った高さの累計です。1ヶ月かけて、標高4800mの山に(海岸線から)登ったのと同じではないかと考え、その高さに該当する名山を探したところ、ほぼ一致したのが、標高4810mのモンブランというわけです。
 単なるこじつけに過ぎないと言われるかもしれませんが、佐久の里山が世界的名峰のモンブランに大化けし、大きな満足感を得ることができたのですから、タヌキらしくていいじゃありませんか。ポン太はタヌキ界において、間違いなくモンブランの登頂に成功したのです。
 さて、平尾山についてはこのブログで何度も取り上げていますが、アカル山についてはこれまで触れたことがありません。アカル山を漢字で書くと閼伽流山です。難読山名の典型といえそうですが、サンスクリット語で、聖なる(清らかな)水を意味するそうで、山麓には、慈覚大師により天長3年(826年)に建立されたと伝わる天台宗の古刹明泉寺があります。山全体が宗教的雰囲気に満ち、佐久のパワースポットだと言う人もいます。岩峰の1つに仙人ヶ岳とよばれるところがあり、昭和天皇が摂政宮であった時代に登頂し、そこで野点をしたというのですから、かつては地域を代表するような名所だったのでしょう。海抜1028mの山頂は、仙人ヶ岳から尾根を10分ほどたどったところにありますが、展望はまったくなし。山登りとして面白いかどうかは別として、昔の文人墨客に好まれた雰囲気とはどういうものか、それを実感できるという意味では、大変面白い里山です。

 月間16回目の山歩きを達成すべく平尾山へ。平尾山を愛するどなたかが植えてくれたのでしょう。登山道脇に水仙が咲いていました。
登山道脇の水仙.JPG
 先月初回の登山の際には冬枯れ状態だった平尾山も、いまは芽吹き始めた木々の緑が目立つようになりました。
芽吹き始めた平尾山.JPG
 月間16回の記録達成と「モンブラン」登頂を祝って万歳!
月間16回登山達成.JPG
 この「快挙」を祝うかのように、森の中では早春の精ともいわれるアズマイチゲ(東一華)が見事に花開いていました。
アズマイチゲの花.JPG
 ポン太も「モンブラン」登頂の記念と、いつもお世話になっている平尾山への感謝の気持ちをこめて、わが家から持参したモミジを一株植えました。大きく育って、秋の平尾山を真っ赤に染めてくれると嬉しいのですが・・・。 
記念植樹.JPG

 さてこちらは閼伽流山の麓にある天台宗の古刹明泉寺です。
名泉寺の石段.JPG
 明泉寺の参道から閼伽流山への登山道が分岐していますが、この字をみて「あかるさん」と読める人は少ないのでは。
登山口.JPG
 山里のすばらしい風景に心が躍ります。
山里の桜みち.JPG
 登山道の脇にこんな注意看板が立っていました。クライミング禁止というのが面白いですが、その理由は登ってみればわかります。
諸注意.JPG
 この山全体が寺域といってもよく、沿道の桜にも宗教的雰囲気を感じました。
DSCF0383.JPG
 登山道の脇に丁目石(1~12丁目まで)が設置されていて、そこには、願主(おそらく檀家の方)が詠まれた歌(短歌ではありません)が刻まれていました。声に出して読んでみるとリズミカルな傑作ぞろいです。これは6丁目の丁目石ですが、「日本アルプス雲間にみえて、花の浄土の閼伽流山」と刻まれています。これはもう「閼伽流山小唄」。手拍子を打ちたくなります。
六丁目石.JPG
 12丁目が近づくと、鐘楼が見えてきました。山寺らしい風情のある鐘楼です。
鐘楼.JPG
 大岩壁を背にした観音堂です。こんな岩壁をみればロッククライマーは登りたくなるでしょうね。前述の禁止表示の意味がわかります。この岩壁の上が仙人ヶ岳です。
観音堂と仙人ヶ岳.JPG
 観音堂から仙人ヶ岳にいたる道は急峻で、この山一番の難所です。
急峻な仙人ヶ岳への道.JPG
 ここが仙人ヶ岳の頂上です。摂政宮時代の昭和天皇が大正12年に訪れたことを示す石碑が立っていました。
野点の碑.JPG
 仙人ヶ岳からの眺めはすばらしく、佐久平と蓼科八ヶ岳連峰が一望できます。ただし、かなりの高度感があり、ここで野点をしたらおしりがむずむずしそうですが・・。
仙人ヶ岳からの絶景.JPG
 美しい松と岩の織りなす風景。文人墨客が好む要素がここにはあります。
松が美しい景観.JPG
 こちらが閼伽流山の本当の頂上ですが、展望もなく面白みはありません。
山頂.JPG
 麓から見上げた閼伽流山の稜線です。右手の尖った岩峰が仙人ヶ岳です。水墨画に描かれている山のようで、昔の人はこういう景観に憧れたのではないでしょうか。
アカル山の稜線.JPG

ご近所の桜でお花見

 ゴールデンウィークならぬ「ステイホームウィーク」が始まりました。「(県外へ)出るな、(県内へ)来るな」という自粛要請、そして「信州の観光はお休み中です」という 知事のアピールが功を奏したのか、浅間山麓の人出は予想していたよりもずっと少なく、軽井沢駅前では8割減となったそうです。老舗の万平ホテルやプリンスホテルなど休業している宿泊施設も多く、目玉の集客施設であるアウトレットも休業中ですから、人出が少ないのは当然かもしれません。
 最寄りのスーパーであるツルヤ御代田店も、新装開店した日を除けば混雑はみられず、「三密」にならずに買い物することができています。駐車場も空きスペースが多く、県外ナンバーのクルマが特に目立つということもありません。
 ポン太の生活エリアである海抜800~900m前後の浅間山麓では、いま桜が満開です。公園はもちろんですが、学校や公共施設の前、個人の庭や畑の脇などいたるところに桜が咲いています。ウォーキング=お花見といった感じですから、ご近所を一回りしてくるだけでも、気分は爽快です。部屋に閉じこもらざるを得ない都会の「自粛」と比べて、人と出会わずに歩き回れるところがいくらでもある田舎の「自粛」は、ストレスの度合いが低いことは間違いないでしょう。
 「コロナ」前と「コロナ」後では、社会の有り様が全く違ったものなるのではという予測があります。そのひとつがテレワークの普及、常態化ではないでしょうか。毎日出社する必要がなければ、どこにいても仕事はできるわけですから、人が密集する都会を離れて、田舎暮らしを選択する人が増えそうな気がします。これは旧来型の田舎暮らしとは別物で、都会と田舎を融合させるような新たな文化が生まれる可能性を感じます。今までかけ声倒れに終わっていた東京一極集中の是正が実現するとすれば、まさに「禍を転じて・・・」です。
 ウォーキングをしていて、最近、「売地」「売家」の看板が取り外されたところが多いような気がします。はやくもポスト「コロナ」を見据えた動きが始まったのかも・・・。

 ご近所の庭の枝垂れ桜です。色も形もすばらしく、散歩の度に眺めては楽しませてもらっています。
DSCF0463.JPG
 こちらも個人の庭の桜とは思えないほど立派で、見とれてしまいます。
DSCF0465.JPG
 ご近所の裏庭に楚々と咲く桜です。
DSCF0503.JPG
 リゾートマンション前の桜です。まるで桜通りのようになっていて、ここを通り抜けるのが最近の散歩の楽しみの1つです。
DSCF0464.JPG
 木陰からキジが飛び出してきました。春になるとキジも浮かれるようです。
DSCF0467.JPG
 水辺(御影用水)の周辺には桜は少ないのですが、芝桜が彩りを添え、景色が一変しました。
DSCF0473.JPG
 水辺の南側の旧開拓集落内には枝垂れ桜の古木があります。その花が咲くのを毎年楽しみにしていたのですが、隣地に新築の家が建ち、だいぶ雰囲気が変わりました。工事が始まったころ、その木が伐採されてしまうのではと心配しましたが、そのようなことはなく、今年も見事に咲いてくれました。
DSCF0478.JPG
 公民館には開拓の碑があり、この地域の歴史を伝えてくれます。桜は満開ですが、例年ここで行われていた「お花見会」は中止となりました。
DSCF0487.JPG
 中山道も桜が満開です。いつもの年なら、GW中は中山道歩きの人と出合うことが多いのですが、今年は皆無といってよいでしょう。
DSCF0506.JPG
 御代田駅の旧駅跡に保存されているD51形蒸気機関車も桜に包まれていました。このD51787をめぐる数奇な物語については、以前のブログでご紹介したとおりです。
DSCF0178.JPG
 駅からほど近い御代田町役場前の桜は色が美しくよく目立ちます。
DSCF0303.JPG
 そのまた近くにあるこのみごとな桜の大樹、意外な場所に咲いているのです。奥に和風の建物があるので、料亭か和食処と思われるかもしれませんが、実はパチンコ店の駐車場だった場所です。パチンコ店はすでに閉店しており、ここには軽井沢の地ビールで有名な「ヤッホーブルーイング」の進出が予定されています。「コロナ」が終息すれば、できたての地ビールを飲みながらこのみごとな桜を眺めることができるのではと期待してしまいます。
DSCF0311.JPG
 こちらは御代田町立南小学校入口の桜です。本来なら子供たちが元気にその下をくぐり抜けて登下校するところですが、休校が続いている今年はひっそりとしています。
DSCF0422.JPG
 小学校の前にある雪窓公園の桜も満開。公園への通路が桜の回廊のようになっていました。
DSCF0424.JPG
 野球場兼用のグランドです。町民の野球大会等はすべて中止となっているため、親子連れがボール遊びなどを楽しんでいました。
DSCF0413.JPG
 公園の遊具も花に囲まれていました。昨年のGWには孫がやってきて、ここで楽しく遊んだのですが、今年は呼び寄せることもできません。
DSCF0430.JPG
 こちらは「雪窓湖」という溜池からみた桜と浅間山です。このあたりは絶好の散歩コースといえましょう。
DSCF0433.JPG
 夏は龍神まつりのメイン会場となり、大勢の人でにぎわう龍神の杜公園です。残念ながら、今年の龍神まつりは中止が決定しています。
DSCF0326.JPG
 大きな龍の滑り台のまわりも桜また桜。孫がもし来れたならきっと大喜びするに違いないと、むなしく見上げるしかありませんでした。
DSCF0324.JPG
 農作業の準備が始まった畑の後ろでは桜が満開。それを見下ろすようにそびえ立つ大きな浅間山。ポン太の散歩コースの中で、一押しの景観だと思います。
DSCF0498.JPG


開花ラッシュに癒される春

 ここ1週間ほどの間に、ポン太の森や庭の景色は大きく変わりました。アンズが咲いたと喜んでいるうちに、森に何本もあるコブシの花が次々と咲き、レンギョウ、ボケ、プラム、チューリップ、水仙、スミレなど、色とりどりの花が開花。木々の芽吹きも始まり、色彩が日に日に豊かになっていくのを感じます。わが家の近くの中山道沿いでは、すでに桜が咲き始めていて、御代田町の標高の高いエリアや軽井沢町周辺の桜は、今週末あたりが見頃になりそうです。
 佐久平一帯の桜はまだ満開の状態が続いていますが、それに加えて、平尾山の麓のいわゆる平尾桃源郷では桃の花も咲き始めました。例年ですと、桜が終わるころに桃が咲くという流れですが、今年は桜と桃がほぼ同時ですから、ピンクの海が広がった感じがします。
 佐久平のクリニックに出かけたついでに、満開の桜を眺め、帰途、平尾山麓の桃の開花状況を見てきましたので、わが家のまわりの様子と併せてご紹介することにします。
 「コロナ」のニュースを聞く度に気が重くなりますが、次々と咲く花を眺めていると、少しばかり心が穏やかになります。毎年、この時期には、こうした花々の開花を楽しみにしているのですが、今年は楽しみというよりも、癒しを感じます。このすばらしい信州の春を見に来て、ぜひ癒されて欲しいと言いたいところですが、残念ながら、真逆のことを言わざるを得ません。ご承知のとおり、県境を越えての移動には自粛要請が出されており、「信州の観光はお休み」(県知事)ですから、今は我慢していだく以外にありません。
 今日は、ポン太とポン子にとって待ちに待ったできごとがありました。それはスーパーツルヤ御代田店が新装オープンしたことです。開店と同時にでかけてみましたが、あまりの混雑に恐れをなして、買い物をせずに帰ってきてしまいました。「三密」は絶対に避けねばなりませんので、改めて空いていそうな時間帯に出かけてみました。入口では、係の方が来店客の手に消毒液をかけていましたし、カートの握り棒を丁寧に拭いている様子もみられました。必ずマスクを付けて来店するようにとの張り紙もありました。各レジにはビニールの遮蔽幕が下がり、床には、客同士が接近しないように、ソーシャルディスタンス(社会的距離)を示すオレンジ色の線がひかれ、コロナ対策に気を配っている様子がうかがえました。
 以前と比べると、奥行きがだいぶ広がり、店舗が大きくなった感じはしましたが、品物の配置は、以前とほぼ同じでしたので、どこに何があるかすぐにわかり、短時間でスムーズに買い物をすることができました。総じて利用しやすく、家の近くにこのようなスーパーがもどってきてくれたことは、本当に心強い限りです。

 アンズが咲くと窓辺が一気に明るくなります。
アンズ咲く窓辺.JPG
 コブシは咲き始めが趣があります。
咲き始めのコブシ.JPG
 花が開いた状態のコブシです。屋根の上を飾っています。
DSCF0168.JPG
 レンギョウが咲きました。鮮やかな黄色が森を彩ります。
レンギョウ.JPG
 ボケの花です。あまりに地味なので見過ごしていました。
ボケ.JPG
 プラムも咲きました。満開になると窓辺を真っ白に染めてくれてとてもきれいなのですが、実を結ぶことは少なく、口にすることができたのはほんの僅かです。
プラム.JPG
 なんと桃の花も開花しました。いつもよりだいぶ早いような気がします。
桃が咲いた.JPG
 日当たりのよい道沿いに植えておいたチューリップが咲きました。な~らんだ、な~らんだ、赤白黄色~♪と口ずさみたくなります。
並んだチューリップ.JPG
 水仙も可愛らしく咲いています。
水仙.JPG
 こちらはスミレです。スミレは種類が多いので何というスミレかわかりませんが、近寄ってみるとなかなかきれいな花です。
スミレ.JPG
 ポン太が新設した「タヌキ花壇」のまわりも華やかになりました。
タヌキ花壇.JPG
 石垣イチゴを栽培しているところに一株だけ植えておいたチューリップが咲きました。チューリップは大好きなので、庭と言わず森の中といわずいたるところに植えてあるのですが、咲くタイミングにはかなりの時差があるので、長い間楽しめます。
石垣イチゴとチューリップ.JPG
 植えるのが早すぎたかと心配していたサニーレタスですが、順調に育っているようでひと安心です。
レタス元気.JPG
 これはご近所のお庭ですが、こちらのコブシは樹形がよいので、毎年咲くのを楽しみにしています。
コブシと芝桜.JPG
 さて、佐久平ではいま桜が満開。ここは定番のお花見スポットの「長野牧場」です。例年同様みごとな咲きっぷりですが、その下でお弁当を広げている人はおらず、散策する皆さんすべてマスク姿です。
DSCF0201.JPG
 去年はこのあたりにシートを敷いて、孫を囲んでささやかな花見の宴をしたのに・・・。
DSCF0205.JPG
 これは佐久総合病院佐久医療センター内の桜です。病院の敷地内とは思えないボリュームです。
DSCF0215.JPG
 車椅子を押す姿があるので、病院内だとわかりますが、ここも佐久平の桜名所といってよいでしょう。
DSCF0210.JPG
 こちらは千曲川沿いの「さくラさく小径」です。
DSCF0224.JPG
 その桜並木の間からみた浅間山です。
DSCF0220.JPG
 千曲川のほとりの枝垂れ桜もきれいに咲いていました。
DSCF0231.JPG
 桜と浅間山はよく似合います。
DSCF0232.JPG
 こちらは初午祭の際に大勢の人で賑わった鼻顔稲荷神社です。今は桜の花だけが賑わいをみせていました。
DSCF0255.JPG
 平尾山の桜もまだ満開の状態を維持していました。
DSCF0262.JPG
 そのすぐ下の「平尾桃源郷」では桃の花が咲き、山裾がピンクに染まっています。
DSCF0292.JPG
 桃の花の後ろに浅間山が顔を出していました。
DSCF0271.JPG
 本日新装オープンしたツルヤ御代田店です。開店時には駐車場がクルマで埋まっていました。
ツルヤ御代田店新装オープン.JPG
 入口まで行ってみたところ、入場規制が行われていて、店の外に大勢の人が並んでいました。あきらめて昼過ぎに出直したところ、スムーズに入店できました。平日の昼間ならゆったりと買い物ができそうで安心しました。今日は県外車は少なかったのですが、GWにはどうなるのか、それはまったくわかりません。
入場規制.JPG

桜でたどる中山道

 国内の「コロナ」感染者が1万人を超えたという大変な事態の最中に、桜だ花だ山歩きだと、何を能天気なことを言っているのだとお叱りを受けるかもしれません。緊急事態宣言対象地域が全国に拡大し、その中にはわが信州(長野県)も当然含まれておりますし、阿部県知事は、県民に対して、外出の自粛と県外への移動をやめるように要請しております。
 ムムッ、これはいよいよ、巣ごもりに入る以外にないかと思ったのですが、新聞記事をよく読むと、食料品の買い物や通院など、生活の維持に必要な外出は対象外としているほか、健康維持のための散歩等はむしろ必要で、中山間地では家を出ても人と会わないことがあり、外出を過度に自粛する必要はないとのこと。そうであれば、桜や花を愛でながら、誰もいない小径や野山を逍遙するのは、健康維持の為に必要な散歩の範疇と考えてよさそうです。徘徊好きのブラタヌキとしてはだいぶ気が楽になりました。
 考えてみれば、浅間山麓の森の中での暮らしでは、これまでも外出時に人と出会うことはほとんどなく、連れ合い以外の誰とも話すことなく一日が終わるようなことが、むしろ普通でした。人との接触を避けるという意味での「自粛」は、すでに日常的に実行していたわけで、それにプラスして実践すべきは、県外へ出ず、人の集まる場所へは行かないということぐらいでしょうか。
 佐久平一帯はいよいよ本格的な桜のシーズンをむかえました。身近な中山道をたどりつつ桜の様子を眺めてみるのもよかろうとでかけてみました。旧道を歩いている人は皆無と言ってよく、「人との接触」などまったく心配なし。芭蕉も新選組も皇女和宮もたどったこの歴史の道は、いつ歩いても興味深いものですが、桜が咲いているとより一層気分が盛り上がります。江戸から21番目の小田井宿から26番目の芦田宿の手前まで、中山道とその周辺の桜を探って歩いてみました。
 なお、これはあくまで、健康維持に必要な散歩の余滴としての花見です。タヌキが悪知恵を働かせているわけではありませんので、ご理解ください。散歩もままならず、ストレスを蓄積されている都市部の皆様には申し訳ないことではありますが、ポン太の拙い写真が些かでも癒しの足しになれば幸いです。

 浅間山麓の追分宿で北国街道と分かれた中山道が、佐久平の岩村田宿へむかって下っていく途中にあるのが小田井宿です。小さな宿場ですが、出桁造りの問屋の建物などが残っており、往時の面影をかなり留めています。桜前線はここまで這い上がっていました。
DSCF9935.JPG
 小田井宿本陣跡の桜です。皇女和宮はここで休憩した御礼に、人形を手渡したといわれています。
小田井宿本陣の桜.JPG
 小田井宿の宝珠院というお寺のみごとな枝垂れ桜です。樹齢はおよそ300年と推定されているそうですから、江戸時代の旅人もこの桜を眺めたかもしれません。
小田井宿宝珠院の枝垂れ桜.JPG
 千曲川の渡河地点に設けられたのが塩名田宿です。このあたりの千曲川は急流で、しばしば橋が流され、船を繋いで板を渡した「船橋」が用いられた時代もあったそうです。現在の橋(中津橋)は1931年に架けられた鉄橋で、日本百名橋の1つに選ばれています。この写真は、橋を渡った対岸から塩名田宿側を見たところです。橋のたもとの桜が満開でした。
塩名田の桜.JPG
 次の八幡宿へむかう道沿いの桜です。ここには御馬寄という、いかにも旧街道らしい地名がついています。
御馬寄の中山道と桜.JPG
 望月宿へ至る途中には、旧道がそのまま残っているところがあります。
中山道旧道(布施の湯入口付近)の桜.JPG
 旧道が国道に合流する箇所の桜もきれいでした。
DSCF0036.JPG
 望月宿の手前に瓜生坂というところがあり、そこを下って望月宿に入っていくのですが、そのあたりの雰囲気がポン太は大好きです。桜の下に見えている細い道が旧中山道です。
望月宿入口の桜.JPG
 望月宿へは鹿曲川を渡って入ります。川岸の絶壁を穿って弁財天が祭られていますが、往時の旅人たちもこの風景を眺めたのではないでしょうか。弁財天の入口に「駒曳の木曽や出るらん三日の月」という去来の句碑がありました。
鹿曲川と弁天窟.JPG
 望月宿の近くにある望月城址に登ってみました。桜は五分咲きぐらいで、花の間から望月宿を見下ろすことができました。
望月城址からみた望月の街並み.JPG
 望月宿を出て芦田宿方面へむかう中山道です。特別何があるというわけでもなく、歩いている人もいませんが、桜が咲いているだけで嬉しくなります。
旧中山道 茂田井宿手前.JPG
 望月宿と次の芦田宿との中間にあるのが、茂田井(もたい)宿という間の宿(あいのしゅく)です。その街並みはこれぞ中山道というすばらしさ。歩いて絶対損はありません。
茂田井宿.JPG
 茂田井宿の中を歩いて行くと、屋根のむこうに満開の桜の山が見えてきて、気分が高揚します。
DSCF0032.JPG
 茂田井宿の西側の入口にあるバス停です。ここに座ってお花見ができそうですね。
茂田井バス停留所.JPG
 茂田井宿付近を南側から眺めたところです。浅間山を背景にしたのどかな風景が広がり、癒されます。
茂田井宿遠望.JPG
 茂田井宿からすこし山の中へ入ったところに、大同2年(807年)の開基と伝わる真言宗の古刹、福王寺があります。初めて立ち寄ってみたのですが、宝永年間に植えられたという樹齢およそ300年の枝垂れ桜が満開で、ごらんのとおりのすばらしい景観でした。。
DSCF9997.JPG
 少し違う角度から見ても、見事としか言いようがありません。
福王寺の樹齢300年の枝垂れ桜.JPG
 山里に位置するこのお寺のロケーションもまたすばらしいものがあります。こんな鄙びたところまでやってくる著名人はいないだろうと思ったのですが、山門前の石碑をみると、なんと皇太子時代の今上天皇が訪れていました。
ロケーションもすばらしい福王寺.JPG
 中山道からは少しはずれますが、前回のブログで2~3分咲きとお伝えした平尾山山麓の桜があっというまに満開となりました。
DSCF0097.JPG
 桜のむこうに浮かぶ浅間連峰の黒斑山が、まるでマッターホルンのようです。
DSCF0089.JPG
 こちらは蓼科山です。いつもの風景が桜に彩られると別物になります。桜の種類は違いますが、高遠に匹敵する風景ではないでしょうか。
DSCF0090.JPG
 桜の花に包まれる幸せ。やはり花があってこその春です。
DSCF0082.JPG


交錯する春と冬

  高冷地の住人にとって春の訪れほど嬉しいものはありません。桜のシーズンが首都圏よりほぼ1ヶ月遅い浅間山麓では、桜より前に咲く花に春の訪れを感じます。梢の先の蕾がほころんで2~3輪の花が咲いているのを見つけると、おっ、○○が咲いたぞ、と嬉しくなって、そこら中を駆け回りたい気持ちになるといっても過言ではないでしょう。「コロナ」の暗雲が垂れ込めている今年はなおさらです。
 わが家の庭で、待ちに待ったアンズが開花しました。この可愛らしい花が咲くと、本当に春が来た気分になります。頭上ではコブシも開花し、白い蝶が空を舞っているよう。レンギョウの花も咲きかけており、リンゴの芽吹きも始まりました。まだ一輪だけですが、イチゴの花も咲き、道路際ではタンポポが黄色い顔を並べています。
 こうなると、無性に庭いじりがしたくなるもの。拾い集めた浅間の噴石で、新しい花壇をつくってしまいました。名付けてタヌキ花壇です。何を植えるか考える楽しみが1つ増えました。
 新花壇の完成から間もなく、またまた降雪があり、朝方の一時、わが家の庭も真っ白になりました。気温が上がり雪はすぐに消えてしまったので、これなら山歩きも可能だろうと平尾山へでかけてみました。しかし、里山とはいえ、標高1155mの山ですから、中腹から上はかなりの積雪があり、ほぼ冬山状態。滑落を心配しつつも、季節外れの雪景色を楽しむことができました。
 その平尾山も麓はまったく別世界で、竜神池の畔では水仙が満開。登山道脇ではアヅマイチゲが咲いているのを見つけました。佐久平パーキングエリア周辺では桜も咲き始めていて、すでに2~3分咲きになっている木も。また、守芳院という禅寺の参道では、枝垂れ桜が満開でした。
 春と冬を同時に味わえるという、こんな贅沢な一日を演出してくれた自然に感謝、と言いたいところですが、やっかいな新型コロナウイルスとて自然界の中で変異して生まれたもの。自然は人間のいいとこ取りを許さないようにできているのかもしれません。

 アンズが開花しました。
DSCF9835.JPG
 コブシも咲き始めました。白い蝶が舞っているような風情があります。
DSCF9827.JPG
 レンギョウは開花まであと一歩といったところです。
DSCF9913.JPG
 こちらはイチゴです。まだ1輪だけですが、どんどん咲いてたくさん実ってくれると嬉しいですね。
DSCF9836.JPG
 リンゴの芽吹きが始まりました。花が咲くのは葉が出た後です。
DSCF9914.JPG
 道端ではタンポポを見かけるようになりました。
DSCF9911.JPG
 アンズの開花に浮かれて新設した「タヌキ花壇」です。
DSCF9828.JPG
 さてこちらは平尾山。登山道は途中から雪道となりました。
DSCF9848.JPG
 雪に覆われた頂上付近です。
DSCF9853.JPG
 「忍耐の小径」の道標にも雪がこびりついていました。こんな日でもかなりの登山者がいてびっくり。
DSCF9856.JPG
 厳冬期を思わせる景色です。
DSCF9861.JPG
 登山道の脇にアズマイチゲが咲いていました。
DSCF9838.JPG
 麓の竜神池のまわりでは水仙が満開。
DSCF9842.JPG
 佐久平パーキングエリア付近の桜は2分~3分咲き。あと数日で満開の桜を楽しむことができそうです。
DSCF9873.JPG
 菜の花が咲いているところもあり、平尾山の麓はすっかり春です。
DSCF9876.JPG
 守芳院というお寺の参道のまわりでは、枝垂れ桜がすでに満開。左側のソメイヨシノは三分咲きといったところでしょうか。
DSCF9884.JPG
 梅(右)と枝垂れ桜(左)がコラボしていました。
DSCF9893.JPG
 ここは桜の名所として知られているようなところではなく、見に来ている人はいませんでしたが、この山寺の素朴な雰囲気、自然体で咲いている桜には魅力を感じました。
DSCF9887.JPG
 守芳院の前から見た佐久平です。この景色もなかなかのものです。
DSCF9894.JPG
 浅間山麓の御代田町でも佐久平に近いところでは桜が咲いていました。
DSCF9906.JPG
 家の近くで鯉のぼりを発見。こちらのお宅では男の子が生まれたようです。雪の浅間を背景に元気に泳ぐ鯉のぼりをみていると、子供の成長を願うすばらしい風習だと改めて思います。
DSCF9844.JPG

ノスタルジーという名の妙薬

 単純に「昔は良かった」とか、「古き良き時代」などとはいえません。例えば、ポン太やその少し上の世代では、高度成長時代を懐かしむ人が多いと思います。右肩上がりで希望に満ちた良き時代であったと。しかし、その陰には悲惨な公害や出稼ぎ労働者・日雇い労働者の過酷な労働があったのであり、そのことを忘れてはならないでしょう。どんな時代にも光と陰があるのです。それを前提としつつも、先人の営みの結晶やその時代の賜といえる文化に目をむけ、味わい、ノスタルジーに浸るという行為は決して悪いことではないと思います。
 未来は(現在も)不確実で不安がいっぱいです。しかし、過去はすでに確定したものですから安心感があります。つまり結末のわかっているお芝居を見るようなもので、安心して名場面の所作を楽しめるというものではないでしょうか。
 ポン太もそうですが、鉄道好きにはノスタルジー志向が強いように思います。古びた駅舎や車両を見ただけでいろいろなことが想像され、感動で涙ぐむこともあります。そんな心情を、今から半世紀以上前に実行した旅の記録を基に綴った本があります。古くからの知人である小川功さんの著『昭和四十一年日本一周最果て鉄道旅』(笠間書院、2019年刊)です。小川さんは経営学的視点からの鉄道史研究者で、これまでたくさんの研究書を著していますが、情感をたっぷり込めたこのようなエッセイは初めてとのこと。
 そうそうと頷いたり、こんなシーンを見ることができたのかと羨ましく思ったり、鉄道愛が宗教の領域にまで到達しているのではないかと思わせる記述にニンマリしてしまったりと、とにかく楽しめます。
 本書は三部構成になっていて、一部が日本一周大旅行の顛末、二部はそれから五十年後の鉄路や周辺地域の変貌について、三部は日本一周大旅行に当初賛同しながら諸般の事情で参加しなかった仲間の「懺悔録」となっています。
 第一部で最も力が入っていると思われるのは、冬の北海道をたどる部分です。日本三大車窓の1つと謳われた狩勝峠の旧線をはじめ、北海道拓殖鉄道、湧別鉄道、手塩炭礦鉄道、定山渓鉄道等々、著者が眺めた数々の鉄道シーンを、ほんの僅かな年の差ゆえに見ることができなかった(間に合わなかった)ポン太としては、読み進むにつれ、郷愁を通り越して、夢の世界に遊ぶ心地がしました。
 第二部では、筆者ならではの観察眼を感じました。「私鉄帝国主義」と表現された電鉄資本による地域争奪戦をはじめ、駅前の風景から資本の盛衰を読み解くところなど、後に経営学者となられたのは、むべなるかなと思います。この50年の間に、地域がすっかり変わってしまい、懐かしい昭和の情景全体が喪失したことを改めて認識させられます。
 本書のタイトルにも使われている「最果て」という言葉。今は死語のようになってしまいましたが、その魔力に吸い寄せられたという点では、私も著者と同じです。新型コロナウイルスが猛威を振るい、外出自粛を余儀なくされる中、半世紀前の「最果て」の旅を追体験し、ノスタルジーという名の妙薬で癒されてみてはいかがでしょうか。

 この表紙を見ただけでノスタルジーを感じます。
昭和41年鉄道旅001.jpg
 これは口絵の一部ですが、ポン太が「間に合わなかった」垂涎のシーンばかりです。
昭和41年鉄道旅002.jpg

 海外旅行など夢のまた夢だった当時、北海道は憧れの地でした。ポン太が初めて北海道を訪れたのは、小川さんが「日本一周最果て鉄道旅」をされた4年後の1970(昭和45)年夏です。この間に残念ながらかなりの数の私鉄が失われましたが、初めて見た北海道の鉄道シーンは感動の連続でした。青函連絡船を降り、函館駅ホームでまず目にした風景がこれです。右はこれから乗車する函館本線(山線)経由の札幌行急行「ニセコ3号」、左は室蘭本線・千歳線経由の旭川行特急「北斗2号」です。いやが上にも気分は高揚しました。(1970年7月10日撮影)
700710函館本線急行「ニセコ3号」と「北斗」/函館005.jpg
 薄暮の倶知安駅で乗ってきた「ニセコ3号」を見送りましたが、このC62重連の勇姿を見て、北海道に来たことを実感しました。(同上)
700710函館本線急行「ニセコ」発車/倶知安002.jpg
「最果て」の鉄道景観を求めて道東へ。珍しくカラーで撮影した釧網本線です。原生花園や線路自体は今も健在ですが、こんな貨物列車の走る姿を見ることはできません。(692列車、北浜~浜小清水にて1970年7月17日撮影)
700717釧網線692列車(DE10)北浜~浜小清水.jpg
 日本海側の羽幌線も最果てムードの漂う路線でしたが、沿線にあった私鉄ともどもすべて消え失せてしまいました。(6884列車、番屋ノ沢乗降場~力昼間にて1970年7月14日撮影)
700714羽幌線6884レD5186+D51/番屋ノ沢乗降場~力昼003.jpg
 名寄本線も最果てという言葉にふさわしい路線でしたが、一族郎党すべて消え失せました。(名寄本線691列車、一ノ橋~上興部間にて1970年7月15日撮影)
700715名寄本線691レ(49672+補機)/一ノ橋~上興部007.jpg
 路線自体が姿を消したわけではありませんが、ルート変更により今は見られなくなったシーンもあります。これは室蘭本線礼文~大岸間を行く上り特急「北斗1号」です。当時は噴火湾沿いを走っていました。(1970年7月21日撮影)
700721室蘭本線8D北斗礼文~大岸 .jpg
 石北本線の常紋信号場で、貨物列車同士が交換する印象深いシーンです。(1970年7月16日撮影)
700716石北本線592レと595レ/常紋信号場付近002.jpg
 宗谷本線和寒駅でのスナップです。夏なのに寒々とした雰囲気の中、C5547牽引の330列車が勢いよく煙を噴き上げ、発車して行きました。(1970年7月15日撮影)
700715宗谷本線330レC5547/和寒 (2).jpg
 南稚内駅を発車するC5530牽引の322列車です。北の果てまで来たという実感がわきました。(1970年7月13日撮影)
700713宗谷本線322レ(C5530)/南稚内付近003.jpg
 私鉄の多くが姿を消していた中、なんとか間に合ったのがこの美唄鉄道です。運炭鉄道の雰囲気をかろうじて味わうことができました。(常盤台にて1970年7月20日撮影)
700720美唄鉄道7号機/常盤台の転車台.jpg

「三密」なき花見

 信州は桜のシーズンを迎えました。標高の高いポン太の家のまわりではまだ開花していませんが、長野市あたりでは平年より11日もはやく開花し、すでに見頃を過ぎたという話です。例年ですと、桜の開花状況や、見頃状況が、テレビのローカルニュースで連日報道され、それを見ているだけで気分が明るくなります。そして、その情報を基に、花見に出かけることが多いのですが、今年は「コロナ」の影響で、報じられることが極端に少なくなりました。
 信州の桜の名所の代名詞でもある高遠城址公園では、園内への入場自体が禁止され、それ以外の多くの桜名所では、花を眺めること自体はOKでも花見の宴は禁止、桜祭り等のイベントやライトアップは中止という措置がとられています。そもそも人が集まることを避けるというのが、コロナ対策の基本ですから、桜の見頃を宣伝して大勢の人が集まってしまってはよくないわけです。
 そんな中で、小諸の懐古園が見頃になりつつあるという情報が耳に入ってきました。大勢の人が集まっているようなら避けなければならないし、どうしたものかと思案した結果、とりあえず行って見ることにしました。混雑しているようなら入らずに引き返せばよいだけです。
 現地に着いて驚きました。混雑どころかほとんど人影はありません。城内にいた人数は全部合わせても20人足らず。いつもの年なら、数多くの敷物が並び花の宴で盛り上がる旧馬場の一帯などは、誰一人歩いていませんでした。これほど人のいない懐古園は、桜の季節はもちろん、それ以外の時季でも目にしたことはありません。
 長野県知事は、県民に対して緊急事態宣言の出ている7都府県への行き来を基本的に行わず、7都府県に住む人には長野県との行き来を自粛するようにと呼びかけています。一方の7都府県では外出の徹底した自粛が要請されていますので、小諸へ花見に来る人が少ないのはあたりまえかもしれません。
 肝心の桜ですが、枝垂れは満開、ソメイヨシノは5分咲きといったところでした。誰とも接触することなく、本年初の信州の花見を存分に楽しむことができたので、満足はしましたが、ちょっと後ろめたさの残る「三密」なき花見でした。

 人影はなく閑散としている小諸駅前です。
DSCF9735.JPG
 駅前の「停車場ガーデン」では、コブシが満開でした。
DSCF9736.JPG
 懐古園の城門脇では枝垂れ桜が満開。城内はさぞかしと期待が高まります。
DSCF9741.JPG
 ソメイヨシノは五分咲きでも十分見応えがあります。
DSCF9743.JPG
 藤村記念館前の枝垂れ桜がみごとでした。
DSCF9748.JPG
 石垣の上から「よく来たな」という感じで、桜が見下ろしていました。
DSCF9752.JPG
 いつもの年なら、観光客を乗せた人力車が颯爽と駆け抜けていく道ですが、歩いている人は誰もいません。
DSCF9767.JPG
 桜の花園となった馬場です。宴が禁止されているので、無人の園と化していました。
DSCF9756.JPG
 小諸の固有種といわれる「小諸八重紅枝垂れ桜」です。植樹に力を入れたようで、だいぶ本数が増えた印象ですが、桜より見る人の数が少ないのが残念。
DSCF9765.JPG
 いろいろな色の桜を楽しめるのが懐古園のよいところ。
DSCF9768.JPG
 天守台の主のように咲き誇る桜です。
DSCF9779.JPG
 五分咲きの桜の梢の先に見えるのは浅間山と小諸の市街地です。
DSCF9792.JPG
 石垣の上の枝垂れ桜はまるで盆栽のよう。
DSCF9789.JPG
 桜の後方に見える建物は、若き日の藤村が教鞭を執った小諸義塾です。
DSCF9799.JPG
 いつもなら観光バスなどでいっぱいになる駐車場もごらんの通りです。
DSCF9795.JPG
 小諸の桜の見どころは懐古園だけではありません。これはポン太が気に入っている布引電気鉄道廃線跡の桜並木です。
DSCF9812.JPG
 浅間連峰の方へとむかうこの桜並木の下が廃線跡です。小諸市の「ふるさと遺産」に認定されています。
布引電気鉄道の桜.JPG

家庭菜園で「コロナ」に対抗

 春らしい陽気に包まれた一日、家庭菜園で汗を流しました。人間ではなく専ら土と対話する作業ですから、「コロナ」に邪魔される心配はなく、もちろん自粛の必要もありません。
 新型コロナウイルスの感染は拡大の一途で、終息の見通しはまったく立っていません。長期戦になると見ている専門家も多いようですから、年の初めに思い描いていた旅の計画や、会合、イベントへの参加も、当分の間棚上げとせざるを得ません。身体を動かすことができ、家の庭で一人で楽しめるものとなれば、ポン太の頭では家庭菜園以外に思いつくものはなく、今年は例年以上に力を注ぐことになりそうです。
 ちょっと大げさですが、冷涼で火山の噴出物だらけの痩せ地における家庭菜園の可能性を最大限試す。それを今年の目標のひとつとすることにしました。まずは土づくりですが、ホームセンターで少し高価な有機石灰入り堆肥を買ってきて、たっぷりすき込みました。土の養分が流れ出さないように菜園の縁にはゴム製の仕切りを設置しました。肥料には魚粉入りの有機配合肥料がよかろうと、それも準備しました。
 最初に植え付けたのはジャガイモです。一般的なものでは面白くないので、昨年同様、皮も中身も赤い「ノーザンルビー」を選択しました。次に、少し早いとは思ったのですが、サニーレタスの苗を植えてみました。まだ氷点下に気温が下がる日もあるので、ビニールの覆いをつけたのですが、この結果がどうなるかはわかりません。
 土作りの手を休めて、頭上を見上げると、アンズの蕾が赤く膨らんでいました。コブシも開花の一歩手前といった感じです。森の中ではギョウジャニンニクが、菜園の片隅ではルーバーブが芽を出し、すくすくと成長しています。「コロナ」さえなければ、この季節の変化が無条件に嬉しく感じられるところですが・・・。

 ジャガイモを植え付けるために新たに整備した「畑」です。一坪菜園どころか半坪あるかないかという規模ですが、土を掘り返し耕すという作業は結構な重労働です。
DSCF9674.JPG
 これがノーザンルビーの種いもです。ピンク色の可愛らしい芽がでています。
DSCF9675.JPG
 一般的なジャガイモと比べると値段は倍以上です。箱には北海道の大樹町で生産されたことを示すこんな検査合格証がついていました。
DSCF9676.JPG
 どちらにも芽の部分が残るように半分に切ったところです。鮮やかな赤色をしています。
DSCF9679.JPG
 植えつける前に、切り口に草木灰をまぶします。この草木灰は、昨年、枯れ葉を燃やしてつくっておいたもの。
DSCF9680.JPG
 20センチほどの穴を掘って植え付けました。植え付けた個数は全部で18個です。
DSCF9682.JPG
 植え付けを終えた後、動物除けにきれいな風車(100円ショップで調達)を挿してみました。家庭菜園ですから、遊び心も必要です。
DSCF9683.JPG
 菜園の脇のアンズの蕾がここまで膨らんでいました。開花まであと数日といったところでしょうか。
アンズの蕾.JPG
 サニーレタスの苗も植えました。レタスは寒さには比較的強いので、どの程度の寒さ対策をしたらよいのかよくわからないのですが、とりあえずこんなスタイルにしてみました。
DSCF9684.JPG
 今年もしっかり芽をだしてくれたルバーブです。この10倍ぐらいに成長したら、茎の部分を収穫しジャムにします。
DSCF9685.JPG
 森の中のギョウジャニンニクです。毒草のコバイケイソウに似ていますが、ニンニク臭がするので間違うことはありません。
ギョウジャニンニク.JPG
 引き続き土づくりに励むポン太です。苗屋さんでプレゼントされた帽子を着用してみたのですが、なんだか農協のおじさんみたいですね。
DSCF9694.JPG
 浅間山の雪が縮緬のようにみえます。春の山といった感じになりました。
DSCF9700.JPG

雪解(ゆきげ)の風情

 前回のブログをアップして間もなく、30センチ強の積雪に見舞われました。まったくもって春は行きつ戻りつです。この時季の雪はすぐに解けてしまうのが普通ですが、今回は積雪量が多かったので、それから数日経った今でも日陰にはまだ少し雪が残っています。
 不思議なことに、雪が無い状態よりも、雪解けが進んでいく様を眺めている方が、より一層春の訪れを感じます。藤村の千曲川旅情の歌に、「しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)日に溶けて淡雪流る あたゝかき光はあれど野に満つる香(かをり)も知らず 浅くのみ春は霞みて麦の色わづかに青し」というくだりがありますが、そんな情感に通じるものかもしれません。雪の中から少しだけ顔を出している花や緑色の葉を見ると、待ち遠しかった春がいよいよやって来たのだという嬉しい思いが、心の底からこみ上げてくるのです。
 雪解の水とともに、新型コロナウィルスも流れ去ってしまうと良いのですが、そうはいきません。浅間山麓では幸いなことに、現時点では感染者は確認されていませんが、今後どうなるのかはまったくわかりません。先週末以来、スーパーの駐車場等では首都圏ナンバーの車が目立つようになりました。軽井沢のスーパーでは、食料品などを一度に4~5万円もまとめ買いする人がいて、棚が空になってしまった由。首都封鎖が現実味を帯びる中で、「コロナ疎開が進んでいるのでは」という声も聞かれます。
 安心を求めて大勢の人がやって来ることで、安全ではなくなることが懸念される中、「首都圏の皆さんもできれば自宅で過ごしてもらいたい」と書き込んだ佐久市長のツイッターが物議をかもしています。地元では、よくぞ言ってくれたという意見も多いのですが、孫や子供たちが東京で暮らしているポン太の立ち位置は微妙です。しばらくこちらへ来て森の中でゆったりと過ごして欲しいと思いながらも、スーパーや飲食店が人で溢れ、「濃厚接触」の可能性が高まってしまっては・・・。ゴールデンウィーク直前の4月23日には、待望のスーパーツルヤ御代田店が新装開店します。雪解の風情に浸りつつも、ちょっと心配なポン太です。


 ポン太の庭も森も雪で埋まりました。
DSCF9621.JPG
 生活道路にもこれだけの雪が積もり、通路を確保するための除雪に大汗をかきました。
DSCF9625.JPG
 翌々日にはだいぶ雪が解けたので、ウォーキングに出かけました。道端の雪の中から顔を出していたのは咲き始めたばかりの水仙です。
DSCF9651.JPG
 雪と緑の葉がコラボしているところはまさに春です。
DSCF9656.JPG
 雪の残る民家の庭先では梅が咲き始めていました。満開よりもこのぐらいの方が風情があります。
DSCF9662.JPG
 雪はあっても、暖かさを感じる水辺の風景です。
DSCF9659.JPG
 日当たりの良い石垣では、芝桜が咲き始めていました。
DSCF9650.JPG
 寒さや雪にはめっぽう強いポン太の庭のビオラです。雪の中でもしっかり咲いていました。
DSCF9668.JPG
 森の中を流れる沢にも春を感じます。
DSCF9654.JPG
 これは紅梅でしょうか。雪の庭に咲いていると、より一層華やかにみえます。
DSCF9655.JPG
 「4月23日開業」の幕が掲げられたツルヤ御代田店です。GWにはどれほどの賑わいとなるのか、期待半分、不安半分といったところです。
DSCF9631.JPG 

行きつ戻りつの春

 テレビのニュースは「コロナ」一色。世界の状況をみれば極東の島国だけが無事に済むとは思えません。
 その島国の某首相の対応は大丈夫でしょうか。唐突過ぎたという問題はあるものの、学校の一斉休校については、「注意喚起」という点で一定の評価はできます。しかし、その後の対応はまったくちぐはぐ。感染拡大への懸念を示しながら、原則として学校の再開に踏み切る指示を出したことで、人々の緊張感が一気に緩んだように見えます。誰だって、学校が再開される見通しならもう安心と思ってしまいます。気が緩んだ人々の行動が何をもたらすことになるのか大変心配です。
 某首相の、M問題やK問題、「桜・・・会」等への処し方から判断しますと、ご自身に責任が及ばぬように周囲には十分な配慮をさせ、自殺者がでても、すべては現場の判断によるものであり、トップとは無関係という信念を貫いておられるように見えます。今後予想される事態に、全責任を負って果断かつ適切な対処ができるのか、タヌキの分際で恐縮ですが、不安でなりません。
 巨大都市の某知事さんが、首都封鎖を口にするなど、警鐘を鳴らし始めました。今まで前面に出ず控えめにしていたのは、この方の持ち味である自分ファースト(再選ファースト、五輪ファースト)のせいであるという声を耳にします。遅きに失した感はありますが、ここはコロナ対策ファーストに徹してもらいたいもの。
 浮き世の先行きは不透明ですが、自然の営みは行きつ戻りつはあるものの、着実に春本番にむかいつつあるようです。浅間山麓のポン太の森では、春の訪れを告げるダンコウバイ(檀香梅)が咲き始めました。平尾山一帯でもその黄色い花が目をひきます。
 里では梅が満開。遠くの雪山とコラボしている梅には、信州の春らしさを感じます。アンズの産地として知られる千曲市では、例年より2週間もはやくアンズが開花し、千曲川の河川敷などはすでにピンクの海。あちらこちらで「春」を感じるこのごろです。

 暖かくなったかと思うとまた急に寒くなり、うっすらと雪が積もる日もあります。
DSCF9528.JPG
 そんな日にポン太の森ではダンコウバイ(檀香梅)が開花しました。森の中で最初に咲く花ですが、去年より1週間ほどはやいような気がします。
DSCF9531.JPG
 こちらは平尾山のダンコウバイ。冬枯れた森が一気に明るくなります。
DSCF9520.JPG
 花びらに透明感があり、ツヤツヤしているところは、ロウバイ(蝋梅)と似ています。どちらも漢字では梅の字が入っていますが、クスノキの仲間ということです。
DSCF9526.JPG
 遠目には何の花かわからなかったのですが、これもダンコウバイです。
DSCF9586.JPG
 暖かな日差しに誘われたのか、はたまた「コロナ」の及ばない世界に逃れたいという心理か、そこはわかりませんが、平尾山には今まで見たことがないほど大勢の登山者が押し寄せていました。
DSCF9591.JPG
 山座同定(山名の確認作業)に余念の無い登山者たち。この日の展望は抜群で、満足度は高かったのではないでしょうか。
DSCF9598.JPG
 登山口には水仙が咲いていました。ポン太の庭ではまだ蕾ですから、よほど日当たりがよいのでしょう。
DSCF9506.JPG
 里では満開の梅が雪山と対峙していました。
DSCF9585.JPG
 桜の名所として知られる佐久市臼田の稲荷神社(稲荷山公園)ですが、今咲いているのは桜ではなく梅です。
DSCF9609.JPG
 どうということもない畑の片隅に咲く梅ですが、凛とした美しさを感じます。
DSCF9603.JPG
 こちらは千曲川の河川敷をピンク色に染めて咲くアンズです。遠くに見える雪山は、戸隠連峰の最高峰である高妻山です。
DSCF9572.JPG
 鏡台山をバックにして咲くアンズです。鏡台山は月の名所として知られる姨捨(田毎の月)の対岸に位置し、月がそこから出る姿が美しいとされる山です。
DSCF9573.JPG

なつかしき多摩丘陵の春

 孫の風邪が長引いて登園もままならないという連絡を受け、ここはジイバアの出番と、多摩丘陵の古巣へ助っ人に出かけてきました。
 家の中にばかりいては、運動不足になってしまうので、孫の世話の合間に、近くの丘陵を歩いてみました。すでに桜が咲いているところもあり、浅間山麓と比べると、ひと月はやく季節が進んでいる感じです。これからやってくる浅間山麓の春はもちろんすばらしいのですが、多摩丘陵の春も味わい深いものがあります。
 昔よく散策した絹の道(浜街道)を下り、いくつかの谷戸(やと)を巡りました。谷戸というのは、丘陵地が浸食されてできた谷のことで、多摩地域では一般的にそう呼ばれています。そこは多摩丘陵が住宅地化される以前からの人々の生活の舞台であり、水田、畑、雑木林と古民家が織りなす景観は、東京とは思えないのどかさです。
 嬉しいことに、この地と出会った40年前と変わらぬ風景が保たれているところが多く、浦島太郎にならずにすみます。もちろんまったく変化がないわけではなく、谷戸の入口に近いところは、新築の家が増えた印象です。また、代替わりがその理由なのかもしれませんが、耕作放棄地のようになってしまったところや、手入れが行き届いていないようにみえる庭などがあり、ちょっと荒れた感じがして残念に思いました。それでも、谷戸の中は、街中とは異なるまったりした空気が流れていて、歩くほどに癒されます。
 「絹の道」近くの谷戸は「嫁入谷戸」とよばれていますが、それは「弓射谷戸」が転化したものだという説があります。夜な夜な現れては村の若者たちをたぶらかす妖艶な巫女がおり、魔性のものに違いないと弓で射たところ、たちまちその姿は消え失せ、翌朝になって田に射貫かれた狐が横たわっていたという伝説がその由来です。
 丘陵上に開発されたニュータウンと隣あわせのところに、こうした伝説の残るのどかな谷戸があり、きれいな空気と緑が溢れている。こんな恵まれた環境の下で長年暮らすことができ、子育てをし、仕事にもそれなりに精を出せた幸せを、改めて感じたポン太でした。

 多摩丘陵の傾斜地に植えられた菜の花が満開でした。
DSCF9452.JPG
 一見、高原のお花畑のようです。
DSCF9455.JPG
 幕末から明治初期にかけて、生糸の集散地八王子から貿易港横浜へ、当時最重要な輸出品であった生糸が運ばれた「絹の道」です。竹林が大きくなった以外は昔と変わりません。
DSCF9458.JPG
 このあたりの「絹の道」の雰囲気は幕末からほとんど変わっていないのではないでしょうか。今、生糸を積んだ荷車がやってきても違和感はありません。むかって左手側が嫁入谷戸です。
DSCF9460.JPG
 谷戸の片隅に、フキノトウがでていました。
DSCF9461.JPG
 かつて散歩をしていて、桃源郷に迷いこんだような気分になった嫁入谷戸です。
DSCF9465.JPG
 谷戸の最奥には美しい水田があったのですが、どうやら耕作放棄地と化したようです。
DSCF9462.JPG
 花に囲まれた民家をみると、桃源郷のように感じたころを思い出します。
DSCF9470.JPG
 よい香りに誘われて歩みを進めると、沈丁花が満開でした。
DSCF9474.JPG
 こちらは別の谷戸ですが、緑が一面に広がり、これぞ谷戸の春といった感じがしました。
DSCF9480.JPG
 谷戸のむこうには、多摩ニュータウンがせまっています。家がだいぶ増えたような気がします。
DSCF9483.JPG
 日当たりのよいところには、花がたくさん咲いていて、目を楽しませてくれました。
DSCF9481.JPG
 ニュータウン内の桜は、二分から三分咲きになっているところもありました。
DSCF9396.JPG
 ソメイヨシノではなさそうですが、やはり桜はいいですね。ウキウキした気分になります。
桜ほころぶ.JPG
 植えた時期は定かでは無く、おそらく十数年は経っていると思いますが、ポン太が古巣の裏庭に植えた八朔が大きく育ち、たくさんの実をつけていました。孫が喜んで食べているということなので、植えた甲斐がありました。
DSCF9489.JPG




春の「冬景色」

 先週末から寒気が強まり、まとまった雪が降りました。東京で桜の開花が報じられたこの時季に、まさかの雪景色です。暖冬で、「雪景色欠乏症」に陥っていたポン太ですから、ちょっと得をしたような気分になりました。雪はまさに白い魔術師です。森や街があっという間に白一色に染め上げられ、風景が一変してしまいます。
 雪は一日中降り続きましたので、雪見を兼ねて、買い物に出かけることにしました。こんな日に出歩く人は少ないでしょうから、スーパーはガラガラで、コロナウイルス感染を心配することなく、ゆったり買い物ができるに違いない。そう思ったのですが、おっとどっこい、軽井沢のツルヤはかなりの混雑で、レジには列ができていました。同じことを考えた人が多かったのかもしれませんし、外食を敬遠し食品・食材を購入しようという人が増えている証なのかもしれません。
 行き帰りに目にした沿道の風景は、やはりいつもとは別物でした。とくに追分宿あたりは、広重・英泉の「木曽街道六十九次」の絵のようで、風情がありました。本物の「木曽街道六十九次」の中で雪景色が描かれているのは、板鼻、和田、大井の3箇所ですが、もし雪の追分宿を描けば、こうなるのではと想像されます。
 雪景色を堪能した後、ドラッグストアに立ち寄りました。今まで使用していた体温計の誤差が少々気になっていたので新調しようと考えたからです。ところがなんと、最初に立ち寄った店だけでなく、近隣の数軒の店がすべて在庫ゼロ、入荷予定もなしというのには驚きました。マスク、消毒液のみならず体温計まで消え失せてしまうとは。これまた買い占めている輩でもいるのでしょうか。
 必要なものが手にはいらず、お花見のイベントやコンサートは軒並み中止。春の雪景色はあっという間に消えてしまいましたが、春になっても世の中の「冬景色」は居座ったままです。

 雪に霞む国道18号バイパスです。
DSCF9406.JPG
 その下を流れる墨絵のような湯川です。
DSCF9405.JPG
 ツルヤの駐車場はかなり埋まっていました。
DSCF9408.JPG
 買い物中のご主人様を待つワンちゃん。時折降りかかる雪をものともせず、両足をそろえた不動の姿勢で待っている姿は、現代のハチ公のよう。
DSCF9411.JPG
 木々も野原も白一色となりました。
DSCF9414.JPG
 信濃追分駅付近の雪景色です。
DSCF9416.JPG
 別荘地帯の森も雪化粧して、より一層きれいに見えます。
DSCF9419.JPG
 追分宿に入っていく坂道も風情があります。
DSCF9421.JPG
 追分宿の雪景色を描くなら、この場所がよいのでは。
DSCF9430.JPG
 一夜明けたポン太の森です。見慣れた風景も輝いて見えます。
DSCF9440.JPG
 裾野まで雪化粧した浅間山です。このスカッとした風景を見れば気分も明るくなります。 
DSCF9447.JPG

アウトドアなら大丈夫 - 麓も楽しい平尾山

 不要不急の外出は避けよというニュースを耳にする毎日です。確かに人混みや密閉空間へ出かけることは控えるとしても、人の少ない屋外で身体を動かすことは、むしろ奨励すべきではないかと思います。家の中に閉じこもってばかりいると、免疫力低下が心配になってしまいます。ダメダメばかりの報道ではなく、比較的安全にできることは何か、こんな楽しみ方もある、といった情報も流して欲しいものです。ただし、マスコミの影響力は大きいので、特定の場所を紹介したりすると、そこに人が集まりすぎてしまい、かえって危険が増すということも考えられます。要は、人の動きに惑わされず、自分で考えて行動することが大切だということでしょう。
 誰でも簡単にできる運動といえばウォーキングです。人の少ないところを選んで歩けばマスクも必要なし。晴天に恵まれれば気分も爽快です。同じところばかりでは飽きてしまいますが、そこは工夫の余地ありで、たとえ道ひとつでもふだんと違うところを歩けば、景色が変わり楽しみも増します。
 このブログで何度もとりあげ、その魅力を熱く語っている平尾山ですが、その麓はあまり歩いていないことに気づきました。そこで、いつもは山頂を目指して登って行く道の反対側のエリアに足を運び、歩き回ってみることにしました。今まで知らなかった数多くの遊歩道が整備されていて、ルート選びも自由自在。森の中には、フィールドアスレチック(もちろん無料です)の施設もあり、多様な運動が可能です。桜の木も多いので、お花見シーズンなどは、弁当持参で来てもよさそうです。体力づくりにはもってこいの場所ですから、一斉休校中の生徒たちが大勢来ているのでは思ったのですが、人影はゼロ。森の中のウォーキングなどというものには、若年層は興味がないのかもしれませんね。

パラダスキー場の南側ゲレンデから見上げた平尾山の稜線です。暖冬の影響で、このゲレンデは、今季は一度もオープンできませんでした。この周辺が公園として整備されていて、恰好のウォーキングコースになっています。
DSCF9309.JPG
 ゲレンデの近くにこんなものがあるのを「発見」しました。説明板よれば、一本松古墳群の第三号墳で、横穴式石室になっている由。古墳時代末期(7世紀後半~8世紀初頭)につくられたもので、平尾山南麓の下平尾集落付近に住んでいた有力者の家族墓ではないかということです。そんな時代からきっと豊かな土地だったのでしょうね。
DSCF9312.JPG
 歩いているうちに「見晴らしの湯」の裏に出ました。桜の木が多いので、開花が楽しみです。
DSCF9313.JPG
 森の中のアスレチック施設です。アップダウンがあるので、全部の施設をめぐると相当な運動量になりそうです。
DSCF9317.JPG
 アスレチック広場の入口にこんな看板が出ていました。左端の「クマ注意」にどうしても目がいってしまい、入るのを躊躇する人が多いかもしれません。とてもよい施設なので、もう少し丁寧な説明が欲しいような気がします。
DSCF9314.JPG
 こちらの看板には「冒険家と忍が暮らす霧隠れの里、平尾山」とあり、見ているだけで楽しくなります。孫がもう少し大きくなれば、忍者気分で森の中を飛び回ることでしょう。ジイジがついていくのは大変かもしれませんが・・・。
DSCF9319.JPG
 オープンできなかったゲレンデのリフトの下に、何やら動物の影を発見。えっ、この時季にクマ?、しかもシカと一緒?と驚いたのですが、余興の置物でした。
DSCF9320.JPG
 いつも山頂から眺めて感激している北アルプスですが、里から見ても絵になります。集落の後ろに見えているのは、穂高連峰(右端は槍ヶ岳)です。
DSCF9365.JPG
 こちらは鹿島槍ヶ岳(左端)から白馬岳(右端)へと連なる後立山連峰です。
DSCF9361.JPG

 

リスクだらけの日々なれど

 日本中どこで生活していてもリスクがゼロということはありえません。ここ浅間山麓で最大のリスクとされているのは浅間山の噴火です。特に、積雪期に噴火した場合には、融雪型泥流が発生し、大きな被害をもたらすと考えられています。しかし、今年は暖冬で雪が少なく、火山活動が活性化しているわけでもないので、その心配はなさそうです。
 最近、しばしば目にするのが火災です。わが家から徒歩圏内の中山道沿いにある金属加工工場が全焼したのには驚きました。そこで働く外国人労働者の姿をよく見かけましたので、彼等の生活がどうなってしまうのかも気がかりです。小諸の日帰り温泉施設へ行く途中の北国街道沿いでも民家が焼け落ちている姿を見ましたし、上田の太郎山に登った際には、市内の住宅地から火の手が上がっているのが見え、煙の匂いが山中にまで漂ってきました。翌日の新聞によれば、火元に隣接した数軒が焼けるという大火だったようです。春先は、空気が乾燥しているだけでなく、風の強い日が多いので、火の元には十分注意する必要があります。鍋を火にかけたことを忘れ、黒焦げにした前科のあるポン太ですから、他人事ではありません。
 今、全国的に広がっているリスクといえば、もちろん新型コロナウイルスの感染です。当地でも、感染の心配がないわけではありませんが、現状では、その余波の方が大きいように思います。マスクが入手困難になっているほか、イベントの中止も相次ぎ、町立の図書館、博物館も休館となりました。保健所を名乗り、家族構成や資産などを聞きだそうとする怪しげな電話(アポ電?)もあるというのですから、とんでもない話です。
 テレビで、トイレットペーパーやティッシュの買い溜めが横行している様子をみて、都会の連中はすぐそんなデマ情報にまどわされて買いに走るんだからと、あきれていたポン太ですが、翌日、ドラッグストアに行ってみると、なんとそれらの棚は空っぽ。出所がデマであれ、無くなっては困るのでとりあえず買っておこうという心理は、都会も地方も同じでした。
 新聞の折り込み広告を見ていたポン子が、「あらすごいわよ」というのでそのチラシをみると、貴重な紙面の半分を割いて、消費者に冷静な対応を求める文言が書かれていました。家から少し遠いので、たまにしか行くことのないナナーズというスーパーですが、ポン子が、この姿勢はすばらしい、今日はここに買い物に行きましょう、というので出かけました。店内に入ったところに、「マスクが入手できず大変お困りの方は、サービスカウンターへどうぞ」という張り紙がありました。このような姿勢は確かに評価できます。いつもより少し高価な食材を購入してしまったポン太でした。

 浅間山山頂付近の雪は、ご覧のとおり少なく状況です。
DSCF9350.JPG
 里から見てもこのとおりです。右手の建築中の建物は、4月23日のオープンをめざしているツルヤ御代田店です。
ツルヤ御代田店建設現場.JPG
 以前の御代田店と比べるとかなり規模が大きいように見えます。
turuya.JPG
 中山道沿いの全焼した工場です。火災が起きたのは夜間ということで、翌朝その前を通って驚きました。
焼けた工場.JPG
 上田の太郎山に登り、山頂付近の神社から市街地を見下ろすと、住宅密集地から煙があがっていました。この季節は火の元要注意ですね。
太郎山から見た火災.JPG
 新型コロナウイルスの余波は、小さな地方の町にも様々な影響を及ぼしており、よく利用している図書館もご覧のとおりです。
図書館も休館.JPG
 博物館も休館です。
縄文ミュージアムも閉館.JPG
 コンサートも中止のお知らせが掲示されていました。
コンサートも中止.JPG
 マスクはまったく手に入らず、近くのドラッグストアには、こんな掲示が出されたままです。
マスクなし.JPG
 こちらには、除菌・消毒関連商品も在庫なしと掲示されていました。中国語も併記されており、地方でも外国人居住者の存在が普通になっていることがわかります。
ドラッグの店頭.JPG
 ポン子がおどろいた新聞折り込みチラシがこれです。真摯な取り組みが功を奏したのか、棚には隙間が目立つものの、トイレットペーパーもティッシュも品切れにはなっていませんでした。
チラシ.JPG


東京都電福神橋停留場~忘れ難き終着駅(12)

第12回 都電24系統福神橋停留場(東京)
 廃線跡と聞けば、過疎地を思い浮かべる人が多いと思いますが、実は東京ほど廃線跡だらけの場所はありません。かつては、山手線の内側から東側にかけてのエリアを中心に、稠密な都電の路線網が形成されていました。高度成長下でモータリゼーションが進行し、道路渋滞が常態化すると、都電は邪魔者扱いされるようになり、1972(昭和47)年までに、荒川線(32系統と27系統の一部を合体)を除くすべての路線が姿を消してしまったのです。したがって、都区内のちょっとした大通りはどこもかしこも廃線跡というわけです。
 都電には、運行系統を示す番号が付されており、どこかへ出かけるにはまずその番号を把握する必要がありました。たくさんあった系統の中で、特に印象深いのが24系統です。神田駅に近い須田町(ここはたくさんの系統が集まる都電の大ジャンクションでした)を起点に、上野広小路から上野駅前を経て浅草の雷門に至り、吾妻橋で隅田川を渡り、京成の押上駅前から柳島を経て福神橋に至るという系統でした。経由地の地名を聞いただけでおわかりになると思いますが、典型的な下町路線で、みどころがいっぱい。もしも存続していて、お洒落な観光電車でも運行していたら、インバウンド客に大人気となったことでしょう。東京に行ったら絶対に乗るべき「三つ星」の乗り物にランクインしたかもしれません。
 柳島から終点の福神橋にかけては、北十間川に沿って走り、柳島の名のとおり美しい柳の並木が続いていました。下町情緒たっぷりで、乗っていてつくづく「都電っていいなぁ」と思いました。そして、これほど魅力的な路線があっさり廃止されてしまうことへの憤りも感じました。
 路面電車(軌道)の場合、乗降する場所は駅(停車場)ではなく停留場ですから、終着駅というのはおかしいな表現ではあります。されど、数ある都電の終点の中で最も強い印象を受けたのが福神橋であり、そこへ至る柳島界隈の雰囲気が何よりすばらしく、「忘れ難き終着駅」の1つとして取り上げないわけにはいきません。
 新型コロナウィルスの感染拡大で、世の中殺伐とした雰囲気ですが、昔の都電の写真を眺めていると、少しばかりのどかな気分になれます。こんな時こそノスタルジーに浸って癒されたいもの。その一助となれば幸いです。

  1968年(昭和43)年の都電路線図の一部です。左上の須田町と右下の福神橋を結ぶ赤線で示されたルートが24系統です。
都電系統図/昭和43年.jpg
 都電24系統の起点だった須田町の風景です。停留場に福神橋行の電車が停車しています。(1971年5月3日撮影)
710503都電/須田町076.jpg
 上野公園の下を行く24系統の電車です。この日は祝日でしたので、公園入口の階段が大勢の人で溢れています。(1971年5月3日撮影)
710503都電/上野公園下060.jpg
 今は無き仁丹塔を背に浅草へとむかいます。(1971年5月3日撮影)
710503都電/浅草仁丹塔を背に.jpg
 雷門前を行く都電と都バスです。沿線は観光名所だらけでした。(1971年5月3日撮影)
710503都電/浅草雷門 (2).jpg
 浅草電停です。左手の地下鉄出入口上屋と電車の後方の神谷バーは今も健在です。(1971年2月3日撮影)
710203都電浅草7電停.jpg
 東武浅草駅前を行く都電です。この時代の浅草駅ビルは、ほぼ創建当時のままの姿でした。(1971年2月3日撮影)
710203都電24系統/浅草駅前.jpg
 柳島橋を渡る都電です。この少し手前に柳島の電停があり、その横が柳島車庫(柳島電車営業所)でした。(1971年5月3日撮影)
710503都電/柳島057.jpg
 北十間川に沿う柳島付近の風景は都電とお似合いで、風情がありました。(1971年5月3日撮影)
710503都電/柳島056.jpg
 これが柳島電車営業所です。
710503都電/柳島072.jpg
 ずらりと並んだ都電は壮観でした。(1971年5月3日撮影)
710503都電/柳島車庫.jpg
 柳島の1つ先が終点の福神橋。のどかで雰囲気のよい停留所でした。電車に乗ろうとしている女児の姿が時代を感じさせます。(1971年5月3日撮影)
710503都電/福神橋.jpg

やっと出会えた平尾山の霧氷

 明日から3月です。いつもの年なら、桜の開花時期を予想するなどして、心が浮き立つところですが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大に関する話題一色。高齢者は重症化リスクが高いといわれており、あちらこちらの「古希を祝う会」に出没していたポン太も気にせずにはいられません。
 自分でできる予防対策は、マスクと手洗いぐらいですが、マスク不足は浅間山麓でも深刻で、家の近くのドラッグストアはどこも在庫ゼロ。昨年暮れに買っておいたマスクでなんとかしのいでいる状態です。
 もう1つのウィルス対策とされるのが、免疫力の向上です。若い人と比べると、高齢者の免疫力は1~2割程度だそうですから、少しでも向上させる必要があります。専門家の話では、ウォーキングが効果的で、さらにその上を行くのが山歩きである由。山歩きは大好きですし、山中ではジムや体育館のような「濃厚接触」の恐れもないので、このところせっせと里山(大半は平尾山)に足を運んでいます。その結果、なんと山歩きに出かけた回数が2月としては最多の10回に達しました。2月は日数が(閏年でも29日と)少なく、雪の心配もあることから、いつもの年なら数回がせいぜいでしたから、これは「快挙」といえましょう。ポン子などはポン太より1回多い11回と、一年を通じての月間最多回数を更新しました。
 平尾山の神様がこの快挙を喜んでくれたのかもしれません。2月としては最後に平尾山に登った日に、思いがけないご褒美がありました。それは、今冬はもう無理かとあきらめていた霧氷を見ることができたことです。少し強い寒気(といっても例年並みだそうです)が流れ込んだことで、いつもの風景が一変し、まるでガラスの宮殿に迷いこんだような美しさでした。しかし、昼過ぎに気温が上昇すると、あっという間に霧氷は消え、元の冬枯れた山にもどってしまいました。ちょっと切ないところは、シンデレラの魔法のようです。
 どこかに魔法使いがいて、新型ウイルスを一瞬にして消してくれると有り難いのですが、そうはいかないでしょうね。


 尾根まで登ると、松葉がガラス細工のように光っていました。
DSCF9244.JPG
 その先の尾根道はまるでガラスの宮殿です。
DSCF9261.JPG
 風が強い場所では霧氷が羽のようになっていました。
DSCF9264.JPG
 いつもの尾根がこの美しさです。霧氷は、冬の里山の最大の楽しみといってよいでしょう。
DSCF9275.JPG
DSCF9272.JPG
 頂上付近の木々にも、ご覧のとおり、霧氷の花が咲いていました。
DSCF9278.JPG
 霧氷がつくと、松の木でさえ花が咲いたように見えます。
DSCF9277.JPG
 上信国境の山々も上部が白くなっていました。おそらく霧氷になっているのでしょう。
DSCF9286.JPG
 いつもより風情を感じる山頂です。このまま下りてしまうのがもったいないような気がしました。
DSCF9284.JPG

浅間山麓のスケート事情

 ポン太がスケートに親しむようになったのは、新宿歌舞伎町のスケートリンクにおいてでした。高校生のころに歌舞伎町に出入りしていたなどというと、相当な悪ガキのように思われるかもしれませんが、実は、当時通っていた都立T高校では、ミラノ座の上階にあったリンクを貸切にしてスケート教室を開催していたのです。毎日通ったのでそれなりに滑れるようになりました。そうなるともっと大きな本格的リンクで滑ってみたくなるのが人情。友人と連れだって出かけた先は、軽井沢スケートセンターでした。
 当時の浅間山麓は、スーケートのメッカと目されていました。寒冷ではあっても雪の少ない地域ですから、冬のスポーツあるいはレジャーとしてスケートが重視されたのはもっともなことです。西武資本により1956年に千ヶ滝に開設された軽井沢スケートセンターはとりわけ有名で、最盛期には首都圏から夜行バスで訪れる若者たちでたいそう賑わっていました。実はポン太も夜行バス組の一人でした。  
 浅間山麓のスケート場は、軽井沢スケートセンターのほかにもたくさんありました。冬の寒さは今よりもずっと厳しく、厚い氷が張った池はどこもかしこも恰好のスケートリンクになっていたからです。今では信じられないことですが、軽井沢町の塩沢湖や現在の大賀ホール横の池(東急のリンクだったような気がします)、レイクニュータウンの「レマン湖」、御代田町の雪窓湖などでも、スケートを楽しむことができたのです。
 現在、ポン太の散歩コースになっている、軽井沢町と御代田町の境に、かつては西軽井沢温泉・ホテル浅間(開業時はヘルスセンター浅間)という宿泊施設がありました。開拓民が水田の開墾中に温泉水を発見したことがきっかけだったそうですが、1966(昭和41)年にホテルを開業。敷地内にはかなり大きな池があり、たまたま冬に訪れた際に、結氷したその池でスケートに興じたことがあります。ホテル内には外来入浴可能な温泉もあり、そこには何度もお世話になりました。鉄分の濃い温泉でタオルが真っ赤に染まったことを覚えています。経営的にはうまくいかなかったようで、開業から僅か数年で廃業してしまいました。その跡地はしばらく更地になっていましたが、2007年にヴァンデュール西軽井沢という温泉付きリゾートマンションが建ち現在に至っています。
 思い出深い軽井沢スケートセンターは、老朽化等の理由により、2009年に閉鎖されてしまいました。現在、浅間山麓でスケートができるところは、軽井沢町が塩沢湖の南側の風越公園に開設したスケート場(屋外)とアイスアリーナ(屋内)、それに、天然リンクの伝統を絶やさぬようにと2012年に星野エリアに復活したケラ池スケート場の三箇所ぐらいです。
 もはやスケートのメッカとはいえませんが、カーリング場という新たな施設が加わり、プリンスやパラダといった人工雪のスキー場もできましたので、ウィンタースポーツの総合エリアに昇華したということができるのかもしれません。
 こんなことを書いているうちに、久しぶりにスケート靴を履いてみたくなりました。えっ、年寄りの冷や水だと、そうかもしれませんね。

最盛期の軽井沢スケートセンターです。このリンクの他に屋内リンクもありました。周辺には西武百貨店や宿泊施設、売店、飲食店、テニスコートなど様々な施設がありましたが、いまは日帰り温泉施設(千ヶ滝温泉)を除いてすべて消滅しました。(1965年12月撮影)
651200軽井沢スケートセンターにて001.jpg
長野オリンピックが開催されていた時期の塩沢湖です。完全結氷していて、湖上でカーリング体験もできました。暖冬の今年の様子からは想像もできません。(1998年2月撮影)
長野五輪カーリング019.jpg
御代田町にあった西軽井沢温泉「ホテル浅間」です。カラーフィルムが劣化して、こんな画像になってしまったのは残念ですが、だいたいの様子はおわかりいただけると思います。この写真では隠れてしまっていますが、建物の手前にかなり大きな池があり、冬季はスケートができました。(1966年8月撮影)
660800ヘルスセンター浅間(3).jpg
これが上の写真と同じ場所の現況です。後方の大きな建物が、リゾートマンションのヴァンデュール西軽井沢ですが、そこがかつてホテル浅間のあった場所です。手前の草地や畑はゴルフ練習場となり、池も埋め立てられてその一部になってしまったようです。
DSCF9229.JPG
これがその池の冬季の様子です。颯爽と滑っているこの青年、何を隠そう若き日のポン太です。(1970年1月撮影)
700103スケート/御代田⑤.jpg
結構な広さがあり、大勢の人がスケートを楽しんでいました。(1970年1月撮影)
700103スケート/御代田③.jpg
背後に写っている山のシルエットからみて、上の写真を撮影した場所は、現在のゴルフ練習場の奥のフェンスあたりではないでしょうか。
DSCF9231.JPG
かつての軽井沢スケートセンターの代わりなっているのが、風越公園に町が整備したアイスパークです。この入口の奥(裏側)に屋外リンクが、右手にカーリング場があります。
DSCF4380.JPG
二階のロビーのガラス越しに屋外リンクとカーリング場を見ることができます。
DSCF4382.JPG
国際大会も可能なカーリング場です。町民チームが練習していました。
DSCF4383.JPG
屋外リンクは400mの本格的なもの。利用料は1日800円(町民は半額)ですから、かなりリーズナブルといってよいでしょう。
軽井沢アイスパークスケートリンク.JPG
現在、唯一の天然リンクとして営業しているケラ池ですが、一部は人工的に凍らせているので、正しくは半天然リンクです。
ケラ池でスケート.JPG
とにかく今年は異常な暖冬ですから、ポン太の散歩コースにある池(七口池)もご覧のとおり、氷の「こ」の字もありません。今後も温暖化はとまりそうもなく、昔のように天然リンクでスケートを楽しむなどということは、夢のまた夢といったところでしょうか。
DSCF8656.JPG


懐かしき景信山

 古希記念の同期会、古い友人や知人との再会、御茶ノ水橋都電レール保存会の方々との会合、そして最もハードな孫の世話等、この一週間、都内を忙しく動き回ってきたポン太ですが、それらの間隙を縫って、昔なじみの景信山に登ってきました。
 多摩地域をねぐらにしていたころ、数えきれないほど足を運んだのが、高尾山・陣馬山周辺の山域です。おそらく登山地図に記載されているルートはすべて踏破しています。どんなルートを辿っても経由する可能性が高いのが高尾山と陣馬山の中間に位置する景信山です。縦走の途中で立ち寄るだけではなく、この山だけを目的に登ることもあり、回数としては一番多く登ったのが景信山ではないでしょうか。
 いつも人が溢れている高尾山と比べて、静かな山歩きが楽しめ、展望も良いので、この山はポン太の大のお気に入りでした。景信山頂小屋の名物は、ナメコ汁と野草のてんぷら。それらを注文し、持参したおにぎりと一緒に食べるのが楽しみで、天ぷらにすればいろいろな草や葉を食べることができるということも学びました。そのおかげで、今も、蕎麦のお供に、わが家では山野草の天ぷらをよくつくります。
 久しぶりに登ってみて、あらためて、登りやすく気持ちのよい山だと思いました。少々残念だったのは、昨秋の台風19号の爪痕がまだ残っていて、小仏峠を経て小仏バス停へ下るルートが通れず、中央道脇からのルートで往復せざるをえなかったことです。
 この日は絶好の登山日和。山頂からの眺めもよく、スカイツリーや都内の高層ビル群がよく見えました。信州の里山なら盆地の先に屏風を立てたような北アルプスを望むことができるのですが、平野の先に見えるのが「ビル連山」というのは東京ならでは。これもまた良きかなです。西方には少し雪のついた丹沢の山々、さらに真っ白な富士の姿を望むことができました。
 こんなすばらしい山を手軽に楽しむことができるのですから、東京も捨てた物ではありません。仕事や人間関係でちょっと疲れた時にこの山に登ると、悩ましいと思っていた事が取るに足らないことのように思えてリフレッシュできる。そんな経験を何度もしましたので、今思えば、本当に有り難い山ということができます。守護神ならぬ守護山です。現在の守護山は佐久の平尾山ですが、ポン太にとって元祖守護山にあたる存在が景信山であることは間違いありません。
 東京在住のみなさん、このすばらしい山にぜひお出かけください。心身ともにリフレッシュすること間違いなしですよ。

 信州の山と違って暖地系の常緑樹がかなりあり、冬場でも緑の中を歩いている気分になれます。
DSCF9060.JPG
 浅間山麓では4月に咲くダンコウバイがもう咲いていました。
DSCF9064.JPG
 尾根に出て高尾山から城山へと続く山並みを目にすれば気分は爽快。登ってきた甲斐があります。
DSCF9061.JPG
 目の前の景信山は杉また杉。たっぷり花粉を放出しそうな雰囲気ですから、花粉症の方はマスクが必要かもしれません。
DSCF9065.JPG
 一休みするのにちょうどよい鞍部があります。そこは小下沢(こげざわ)へ下るルートの分岐点なのですが、その入口にはロープが張られて通行止めになっていました。ここも台風19号にやられたようです。まだ復旧していない登山ルートも多く、プランを立てる際には注意が必要です。
DSCF9068.JPG
 最後の急登をのぼりきれば、大展望の待つ山頂(標高727m)です。2月の平日でもかなりの登山者がいました。
DSCF9078.JPG
 東方を眺めると、ビルの山とスカイツリーが見えます。
DSCF9071.JPG
 この日は営業していませんでしたが、これが野草の天ぷらを食べさせてくれる頂上小屋です。昔と変わらぬこの素朴な佇まい。それもまた魅力の1つだと思います。
DSCF9074.JPG
 西方に目をやると、相模湖と丹沢の山々が一望できます。
DSCF9083.JPG
 そして霊峰富士の姿も。
DSCF9084.JPG
 景信山の麓、裏高尾エリアは梅の名所です。いつもの年より早いのではないかと思いますが、満開の梅を楽しむことができました。
DSCF9106.JPG

鼻顔稲荷(はなづらいなり)の初午祭

 佐久市岩村田にある、鼻顔(はなづら)稲荷神社の初午(はつうま)祭にでかけてきました。昨年は都合がつかなかったので二年ぶりです。参道にはたくさんの露店が並び、普段は人影も稀な通りが、人また人で埋め尽くされる、当地最大と言ってもよい祭です。どうしてこんなに人が集まるのか、そもそも初午とは何なのでしょうか。
 初午は2月最初の午の日のことで、旧暦の2月は新暦では3月にあたりますから、ちょうど農作業の準備を始めるころです。そこで農耕の神様を祭る盛大な行事を行う必要があるというわけです。なぜ稲荷神社なのかといえば、稲荷は「稲生り」に由来するということで、稲荷神=農耕の神だからです。
 稲荷といえばキツネがつきもの。キツネは稲荷神のお使いという扱いですが、キツネは農作物を荒らす小動物を食べてくれる有り難い動物なのでという説があり、なるほどと納得してしまいます。そこでお供え物となるのが、キツネの大好物(本当かどうかはわかりませんが)とされる油揚げです。それを煮てご飯とドッキングすれば稲荷寿司となるわけですが、そちらをキツネにお供えしてはダメでしょうね。キツネが米を好んで食べるようになったら、益獣ではなくなってしまいますから。ポン太は稲荷寿司が大好きですが、誰からも有り難く思われていないタヌキが食べる分には問題はないでしょう。
  鼻顔(はなづら)稲荷神社の初午祭では、ダルマが大量に売られ、それを目当てに大勢の人がやってきます。稲荷神と中国禅宗の開祖とされるダルマの関係性はよくわかりませんが、まあとにかく賑やかです。一年に一度だけやってくる、魔法にかかったような1日といって良いでしょう。ちなみに、鼻顔稲荷の初午祭は、毎年2月11日に行われています。カレンダー上の初午ですと平日になってしまう可能性があるので、祝日の11日に行うようにしたものと思われます。


 ふだんの鼻顔稲荷神社はこんな感じで閑散としています。
DSCF8931.JPG
 ところが初午の日はご覧のとおり。
DSCF8974.JPG
 鼻顔稲荷神社に通じる道も、いつもは歩いている人すら見かけません。
DSCF8938.JPG
 それが露天商通りに大変身です。
DSCF8979.JPG
 どこからこんなに人が出てくるのかと思えるほどの賑わいです。
DSCF8984.JPG
 震災復興支援でしょうか、青年団のような組織が大船渡のホタテを焼いて売っていました。よく見ると「ブラタモリで放映されました」の掲示が。「ブラタヌキのブログに載りました」とはならないでしょうね。
DSCF8988.JPG
 神社の境内にはダルマを売る露店がいっぱい。
DSCF8951.JPG
 「旦那、思い切ってこちらの大きいのはいかが。縁起物だよ!」 値段を見たら12000円でした。さあどうする。
DSCF8959.JPG
 大勢の人が買い求める標準的なサイズはこちら。この値段、高いのか安いのか。相場を知らないポン太にはわかりませんが、縁起物と考えればまあリーズナブルかなぁ。
DSCF8966.JPG
 おっとでましたキツネさん。なかなかの美形です。子ギツネが可愛いですね。
DSCF8955.JPG
 本殿の前には、お参りを待つ長い列が。
DSCF8949.JPG
 神社の脇を流れる湯川の水面には、鳥たちがのどかに群れていて、春の訪れを感じさせます。後方は八ヶ岳連峰です。
DSCF8976.JPG
 河原には古いダルマや飾り物が積み上げられていますが、夕闇が迫るころ、これらを燃やす「おたきあげ」が行われます。後方に聳えているのが懸崖づくりの社殿です。
DSCF8991.JPG
 これは、二年前の「おたきあげ」の様子です。
御炊きあげ.JPG

 いつもこのブログをご覧いただき有り難うございます。諸般の事情により、次のブログ更新まで1週間ほど間隔が開いてしまう可能性大ですが、ご容赦ください。

同級生のイベントと渋谷の変貌

 古希をむかえ、同期会、クラス会など旧交を温める機会が増えました。何十年も前に同じ学校で僅かな期間を共にしたというだけのことなのに、どうしてこれほど懐かしく思えるのか不思議な気がします。これはやはり時代と場所の共有ということが大きいのではないでしょうか。「こんなことがあったね」に対して、「そうそう、そうだよね」という答えがかえってくるのと、「ふーん、そうなの、何それ」の違い。前者だと安心感が得られ、一瞬にして気持ちが通じたような気になるのです。それぞれに違う人生を歩んできたわけですし、考え方も異なると思いますが、この安心感があればこそ、いつまでも繋がっていられる、そんな気がします。
 先日、高校時代のクラスメイトであるK君が、「たそがれアート展&コンサート」を開催するというので、出かけてきました。美術館を貸し切りにして、ご自身が趣味で描いてきた絵画を展示するとともに、定年後に習い始めて練習を重ねてきたフルートの演奏を披露しようというもの。作品展示には、同級生4名が友情出品しており、コンサートでは奥様がピアノ伴奏、娘さんやお孫さんもピアノや歌で「ゲスト」出演しました。お洒落でなんとも素敵な雰囲気。このイベントにつきましては、クラスメイトのI君が、ご自身のブログ「ギャラリー静河」で詳しく紹介していますので、このページ右側の「マイリンク」から「ギャラリー静河」をクリックしてご覧ください。
 家に帰った後もしばらく余韻に浸っていたポン太ですが、これほどのレベルではなくても、いつか作品展示とコンサートをやってみたいものだと思い始めました。旧交を温めることで、過去ではなくこれからの夢も生まれたのです。

 美術館を会場にしたコンサートの様子です。
DSCF8769.JPG
 作品展はこのような感じでした。   
DSCF8777.JPG
 会場にむかう途中で、渋谷に寄り道しました。地下鉄銀座線の渋谷駅が移転し、オープンしたというのでその様子を見たかったからです。東口広場の上に設けられた新駅です。
DSCF8713.JPG
 かつては、地下鉄なのに駅前広場の上空を横断し、ビルの三階に発着するという面白みがあったのですが、地下線を出るとすぐに駅に到着してしまうので、地上に出た感じすらしません。この写真は新駅から表参道側を見たところです。
DSCF8711.JPG
 新駅から旧駅側を見たところです。反対側に車庫があるので、単線の線路が残されています。
DSCF8716.JPG
 新駅になる前はこんな感じでした。わずか7年前の写真ですが、はるか昔のような気がしてしまいます。
東横百貨店東館と銀座線.JPG
 渋谷は町全体が大改造中で、昔のイメージが全部消えてしまいそう。ハチ公前のこの風景も見納めです。ちなみに初代ハチ公像が設置されたのは、東横百貨店(東館)開業と同じ1934年でした。当時はまだ西館はなく、その基になる玉電ビルが完成したのは1939年です。
DSCF8726.JPG
 地下の通路で、東横デパートの懐古写真展をやっていました。
DSCF8742.JPG
 あまり関心を示す人はいません。「明治は遠くなりにけり」どころか「昭和は遠くなりにけり」ですね。
DSCF8748.JPG
 西館の店内には、こんな横断幕が掲げられていました。大規模開発に伴い、3月末で営業終了となる由。
DSCF8750.JPG

やっと来た冬将軍

 なにしろ今年は異常な暖冬で、気温は下がってもせいぜい零下3~4度。こんなものは浅間山麓の冬ではありません。このまま春になってしまったら、気の抜けたビールを飲み、サビ抜きの寿司だけを食べたような物足りなさを感じるところでした。ところが今朝起きて外に出てみると、吐く息は真っ白で、頬や指先がピリピリします。これこれ、これだよ浅間山麓の冬は。
 立春をすぎた今頃になってやってきた冬将軍。大歓迎とばかり、防寒服に着替えてウォーキングに出かけました。国道18号に出ると、道端に表示されていた気温は-14度。こんな数字をみたのは今季初めてなのでちょっと興奮してしまいました。残念だったのは、木々が霧氷になっていないことです。このところ乾燥状態が続いていたので、空気中の水分が足りないのでしょうか。
 いつもの水辺(御影用水)に行ってみると、水面から蒸発した水蒸気が霧となって立ちこめ、そこに朝日が差し込んでなんとも幻想的な風景になっていました。この現象を「けあらし」と呼ぶようです。思わず見とれていると、霧の中から犬を連れた散歩者が次々と現れました。寒そうにしている人はおらず、氷点下14度の世界を楽しんでいるように見えました。
 こんな日に外を歩き回っていて、本当に寒くないのかって?そりゃぁ寒いですよ。要は気の持ちようです。浅間山麓で何年か暮らしていると、冬とはこういうものだという覚悟ができてきます。そして、その凛とした寒さを心地よいものと感じるようになるのです。
 雪があれば、もっと気持ちよくなれるのですが、先月末に降った雪はその後の暖かさでほとんど解けてしまい、今は積雪ゼロ。先月の雪の日に歩き回って撮影した写真もアップしますので、雪の有無でどれだけ雰囲気が変わるのか、ご覧下さい。

 今朝の国道18号です。気温-14度と表示されていました。
DSCF8883.JPG
 「けあらし」の水辺です。なんとも幻想的。
DSCF8897.JPG
 これぞ冬というこんな景色を見ると、背筋がピンとのびる気がします。
DSCF8898.JPG
 犬と散歩する人たちです。氷点下14度をものともせず気持ち良さそうに歩いていました。ワンちゃんも元気です。
DSCF8894.JPG
 浅間山も凛とした感じに見えましたが、地面に雪がまったくないのが残念です。
DSCF8903.JPG
 空気が澄み渡たり、住宅地からも北アルプスがはっきり見えます。中央部の突起は槍ヶ岳です。
DSCF8904.JPG

 さてここからは、先月の雪景色です。まずはわが家の近くの道路ですが、雪が積もるといつもの道とは思えません。
わが家の近くも雪景色.JPG
 中山道では、凍結防止剤を散布する車がせわしく動きまわっていました。
雪の中山道.JPG
 水辺に降る雪は風情があります。
雪に霞む水辺 .JPG
 北海道か北欧にでもやってきたような感じになります。
ここはどこ.JPG
 この橋のむこうにはすばらしい世界が待っていそう。
夢の橋?.JPG
 雪の造形美はみごとです。
別世界となった水辺.JPG
 ほとんど車の通らない雪道を、灯油配達の車がやってきました。
灯油を届けに.JPG
 まだ誰も人が歩いていないこんな雪道を見ると歩きたくなります。
だれも歩いていない道.JPG
 おっと、これは雪に浮かれて飛び出してきたロートルダヌキかな。
うかれダヌキ.JPG
 雪が積もると絵本の世界のようです。月遅れの間抜けなサンタのソリがやってきてもおかしくないですね。
雪の並木.JPG
 

道祖神祭りのわら馬引き-御代田町塩野

 昨年の2月に、このブログで、上田市真田町戸沢という集落に伝わる「ねじ行事」をご紹介しました。小さな子供たちがわら馬を曳いて道祖神に詣でる姿が実に可愛らしく、すばらしい伝統行事だと感激したのですが、「わら馬引き」スタイルの道祖神祭りは、なんと浅間山麓の御代田町でも行われていたのです。それも町内2箇所で行われ、1つは中山道の小田井宿、もう1つは浅間山に近い塩野という集落ですから、まさに灯台下暗しです。しかし、それが行われる日時や正確な場所が、町の広報にもホームページにも記載されておらず、よくわかりません。そこで、町役場に電話で問い合わせたのですが、なんとその時点で前者はすでに終了(1月26日だったそうです)していました。後者は2月2日に実施されることがわかりましたので、そこへ出かけてみることにしました。
 それにしても、町の中の小さな集落の行事だということで、外部へのPRがほとんどなされないというのはもったいない話です。小田井の道祖神まつりは御代田町の文化財(民俗資料)に指定されているというのですから、町民だけでなく、ホームページや観光サイトなどで全国に発信すれば、町のイメージアップにもなると思うのですが・・・。
 さて、塩野の道祖神祭りですが、上田で見たものとは全く異なっていました。わら馬自体がかなり大きく、それを参加者みんなで曳いて集落内を歩き、道祖神にお参りするというもの。先頭を行く軽トラの荷台に乗った子供たちが、「道祖神という人は・・・」で始まる歌に合わせて太鼓をたたきます。歌詞は無病息災を祈る内容であるように聞こえました。極めて素朴な行事ですが、旧街道のような雰囲気を宿した塩野の街並みとマッチして、ポン太には大変興味深いものでした。
 出かける前から予想はつきましたが、沿道の観客はほぼゼロ。何もPRしておらず、道を尋ねた地元の人ですら、わら馬の出発時刻やそれが通る正確なルートを知らなかったぐらいですから当然です。これは氷山の一角で、おそらく全国には知られざる地域行事がたくさんあるのでしょうね。

 わら馬引きが行われた塩野は、北国街道の別ルートにあたる旧道沿いの集落です。少し奥に入ると、こんなレトロな風景に出会うことができます。
DSCF8781.JPG
 わら馬引きの起点となる道祖神です。
出発地の道祖神.JPG
 いよいよ出発。
わら馬出発.JPG
 まるで本物の馬のような扱いです。
本当の馬のよう.JPG
 きれいに晴れわたった浅間山の麓を進みます。
浅間の麓を行く.JPG
 民家のあるエリアに入ってきました。
民間前を行く.JPG
 大きなわら馬の後にもう一頭、ちび馬も続きます。
チビ馬も続く.JPG
 先頭を行く軽トラの荷台には、太鼓係の子供が二人。
太鼓係.JPG
 古い集落の中を進みます。このあたりの雰囲気は最高です。
火の見櫓の下.JPG
 集落のメインストリートですが、見物客はほとんどいません。
すすむ行列 .JPG
 宅老所に立ち寄ったわら馬です。お年寄りとの記念撮影もありました。
宅老所で.JPG
 塩野公民館近くの道祖神前に到着しました。
大きいわら馬.JPG
 わら馬と一緒に道祖神にお参りです。とくに何かをお供えするということはありませんでした。
道祖神にお参り.JPG
 これが塩野の案内図です。現在地とあるところの近くが、わら馬引きの出発地でした。
DSCF8865.JPG


 


 

住宅ラッシュとクリニックラッシュ

 異常な暖冬です。先日、待望の本格的な降雪がありましたが、きれいな雪景色(その写真は後日アップすることにします)を眺めることができたのはたった1日だけ。その後の雨とぽかぽか陽気であっという間に解けてしまいました。
 スノーリゾートは困っているでしょうし、冬物衣料や耐寒耐雪グッズは売れず、除雪作業による収益を見込んでいた業者もがっかりしていることでしょう。害虫が死なずに冬を越してしまうことや水不足も心配です。散歩の途中で出会う人の多くが、「寒い季節はやっぱり寒くなければね」と言います。
 雪のない暖冬を歓迎しているのは、作業に支障が生じない建築現場ではないでしょうか。あちらこちらから、ダンダン、コンコンという音が聞こえ、わが家のまわりにも、目下建築中の家が三軒あります。浅間山麓一帯が建築ラッシュの様相を呈しているといっても過言ではないかもしれません。佐久市の北部から御代田町にかけては人口増加も顕著なようです。5年前に佐久平駅前に誕生し、県内で21年ぶりの新設小学校と話題になった佐久平浅間小学校の児童数が急増し、遠からず教室不足となるため、増築工事に着手すると報じられています。
 人口が増えればビジネスチャンスも増える、ということでしょうか。現在、ツルヤ御代田店が規模拡大を目的に改築中ですが、ちらし広告によれば4月23日にオープン予定とのこと。別棟の百円ショップ「セリア」は一足早く本日(1月31日)オープンしました。国道18号沿いに昨年オープンした花屋(GATEフラワーフィールド)は、現在の店の奥に新たな大型店舗を建築中です。
 新たな動きとして少々驚いているのは、クリニックの建設ラッシュです。御代田町から佐久市に入ったところに、まだ開院してそれほど経っていない内科のクリニックがありますが、昨年はその近くに整形外科のクリニックが開院しました。それから間もなく、御代田町内のココラデというパン屋の前に内科のクリニックが開院。その隣地では新たな整形外科クリニックが建設中です。また、ポン太がよく散歩している御影用水沿いでは、「かるいざわ御影用水クリニック」の基礎工事が始まりました。近隣のエリアには既存のクリニックがかなりありますので、素人考えでは大丈夫なのかと思ってしまいますが、しっかり「需要」を把握してのことなのでしょう。
 買い物もクリニックも便利になることに異存はありません。しかし、森の古ダヌキとしては、あまりに都会化(住宅地化)してしまうのはどうかなという思いもないわけではなく、高原らしい自然環境が保たれた、節度ある開発を願うばかりです。


 半世紀前の浅間山麓(ポン太が現在住んでいるあたり)はこんなところでした。ここに家がたくさん建ち、アパートまでできるとは思いませんでした。
原野のようだった予定地.jpg
 御代田町には、まだこのような浅間山麓の原形のような風景が残っているところがありますが、住宅地化してしまう可能性がないとはいえません。
DSCF8663.JPG
 上の写真のすぐ近くです。少し前までこの道沿いは畑でしたが、今は住宅が建ち並び、その隙間に畑があるという感じです。
DSCF8661.JPG
 わが家の近くで建設中の家です。こちらは完成の域に達したようです。
DSCF8493.JPG
 ここも、基礎工事が終わったと思ったら、あっという間に家が建っていました。
DSCF8653.JPG
 こちらの家もだいぶできあがったようです。
DSCF8495.JPG
 昨年、御代田町から佐久市に入ったところに開業した整形外科クリニックです。新しいクリニックがこのエリアにできるなんてと、その時は驚いたのですが・・・。
ながうら整形外科.JPG
 御代田町に開院したばかりの内科のクリニックです。
こまつクリニック.JPG
 クリニックができれば薬局もできます。
DSCF8497.JPG
 その隣では整形外科のクリニックが今春の開院をめざして建設中です。
建築中の整形外科.JPG
 御影用水沿いにこんな看板が建ち、重機が動き出していました。
軽井沢御影用水クリニック.JPG
 新聞にこんな折り込み広告が入っていましたので、早速出かけてみました。
セリアのちらし.JPG
 本日開店した百円ショップ「セリア」です。半世紀前は、原野の中だったところで、百円ショップの恩恵に預かれるとは。
本日オープンしたセリア.JPG
 全国展開している百円ショップということですが、デザイン性に優れていて、可愛いらしい小物が多いとか。こんなに便利になってしまっては、浅間山麓の森の中での田舎暮らしなどと言っていられなくなるかもしれませんね。
DSCF8670.JPG

やっぱりすごいぞ小諸の風穴

 これまでこのブログで何度か取り上げてきた小諸の風穴(ふうけつ)。世界遺産に認定されている荒船風穴と同じ類のものが小諸市域に存在し、しかも一部は現役で使用されているのですから、それだけでも驚きです。実際に現地を見学し、予想以上のスケールに目を見張りましたが、その本当の価値や歴史的位置づけについての理解が十分とはいえませんでした。もう少し詳しく知りたい思っていたところ、そのものずばり「蚕種貯蔵風穴の歴史と制度-上信地域の風穴の歴史的位置づけ」と題した講演会が開催されることを知り、参加することにしました。
 会場となった安藤百福記念センターのホールは、120人ほどの参加者で満席。「○○で遊ぶ会」よりも「○○を学ぶ会」の方が人が集まるといわれる、カルチャー好きの県民性をここでも再確認です。
 この講演を聞いて印象に残ったことを簡単にご紹介しましょう。
 風穴というのは岩石の隙間から吹き出す冷気を利用した天然の冷蔵庫です。機械式冷蔵庫などなかった時代に重宝されたわけですが、その役割で最も重要だったのは、蚕種(蚕の卵)を貯蔵することでした。自然状態で蚕が繭をつくるのは一年に一回ですが、蚕種を風穴で貯蔵し孵化を抑制することで、年に複数回蚕を育てて繭を生産することが可能になるのです。これにより、当時最大の輸出産業であった生糸の大増産を行うことができたわけですから、日本の近代化を担った蚕糸業を源流の部分で支えた、とんでもなく重要な産業遺産ということができます。
 長野県は蚕種の風穴貯蔵で全国をリードする存在であったそうです。先鞭をつけたのは旧南安曇郡稲核(いねこき)村で、その後県内各地に広がりました。しかし需要増加とともに風穴も急増(粗製乱造で経営も分散)し、蚕種の品質低下が問題となりました。
 貯蔵レベルが一定でない群小の風穴に対して、一箇所で大量に貯蔵ができる最新設備を備えた風穴が必要だとして設けられたのが荒船風穴だということです。その収蔵量110万枚(蚕の蛾の卵が産みつけられた蚕卵紙の枚数)は全国一、営業展開も全国規模であった由。これに影響されて、長野県内でも風穴の改良と大規模化が進められました。長野県内の風穴集中地域トップ3のうちのさらにナンバー1であったのが北佐久郡です。風穴毎の貯蔵枚数を合計すると、荒船に匹敵する計107万枚余(明治43年)となり、その中心をなしていたのが、小諸風穴と氷風穴(両者は隣接エリア)ということですから、たいしたものです。もっともっと注目されてよい産業遺産だと改めて思いました。

 講演会の前に氷風穴を見学しました。氷というのは集落の地名ですから、「こおりふうけつ」と読みます。小諸地区には氷風穴と小諸風穴がありました。規模としては後者の方が大きかったようですが、その跡がよく残っているのは前者です。これはその1つ、5号風穴の入口です。説明板や各種表示が整備されつつあり、見学者にとっては有り難いことです。
DSCF8524.JPG
 風穴の遺構がこのようにしっかりした形で残っています。使用時にはもちろん上屋がありました。
DSCF8521.JPG
表示といえば、こんなユーモアのセンスが光る注意書きもありました。
DSCF8520.JPG
 冷風穴に隣接して、温風が吹き出す温風穴も存在していました。温風穴があったとされる場所で、その説明を聞きました。
DSCF8537.JPG
 温風の吹き出し口に蕾のついた梅の枝を挿しておいたところ、あっという間に開花した由。まわりのコケやシダが青々しています。
DSCF8514.JPG
 手をかざすと生暖かい空気が出ているのがわかりました。温度は16度もあり、冷え込んだ朝などは、湯気が立ち上るそうです。
DSCF8539.JPG
 駐車場の表示は、講演会ではなく「学習会」となっていました。みなさんしっかり学習するつもりで来ているのですね。
DSCF8541.JPG
 ここが会場の安藤百福センターです。自然体験活動指導者の養成を目的とした施設ですから、この塔はボルダリング体験用かもしれません。
DSCF8543.JPG
散策路も整備されていて、こんな角度で浅間山を望むことができます。
DSCF8546.JPG
 これはツリーハウスでしょうか。面白そうなものがいろいろ目につきました。
DSCF8549.JPG
 ロビーからの眺めもすばらしく、まるで絵のようでした。
DSCF8553.JPG
 安藤百福の像もありました。ご承知のとおり、インスタントラーメンの発明者にして日清食品の創業者、朝ドラ「まんぷく」のモデルになった人物です。
DSCF8552.JPG
 講演会が始まりました。右手の方が群馬県から来られた講師の飯塚聡先生です。
DSCF8564.JPG
 会場内に展示されていた小諸風穴の宣伝です。いささか大げさなように見えますが、広範囲に顧客を集めるためには必要だったのでしょう。
DSCF8556.JPG
 お土産にこんなすばらしいものをいただきました。風穴に貯蔵して熟成させたというその名も「風穴そば」。風穴はいまも役に立っているのです。
DSCF8568.JPG

少し残念なイルミネーション事情

 浅間山麓の冬は寒くて長い、そして暗い。今年は暖冬で、気温だけはいつもより高いのですが、夜の闇の深さは例年同様で、都会とは比べようがありません。午後7時を過ぎれば開いている店はほとんどなく、街の灯りが乏しくなる中で、ひときわ目立つのがイルミネーションです。ポン太にとって、冬の楽しみの1つと言ってもよいものですが、ここにきて少し異変が起きています。
 東信地方で最大級、県内人気度第3位といわれた佐久平駅前のイルミネーション「SAKU BLOOM」が、今季(1月5日)限りで点灯を終了してしまいました。設備が老朽化し、更新の費用が捻出できないというのがその理由のようです。軽井沢や御代田駅前にもイルミネーションが飾られていますが、以前と比べると地味になっているという印象は否めません。軽井沢では、クリスマスに合わせたイルミネーションやイベントが名物だったのですが、「恵みシャレー」のように、昨年のクリスマスからイベントそのものを止めてしまったところもあります。
 LED電球の普及とともに盛んになったイルミネーションですが、いまや全国各地どこにでもある平凡な装置と化し、その分インパクトが小さくなり、人寄せ効果も薄れてしまい、派手な飾り付けをしようという意欲が失せつつあるのではないでしょうか。
 しかし、ちょっと待って欲しい。イルミネーションが無くても十分明るい都会ならまだしも、漆黒の闇に包まれる当地で、イルミネーションの灯が消えてしまうと、寂しいだけでなく、外に出る気力が失せてしまいます。なんとか復活してもらいたいのは佐久平駅前「SAKU BLOOM」。資金が足りないのであれば、資金集めの有料イベントを開催するとか、クラウドファンディングを試みるとか、工夫はないものでしょうか。
 少し残念な浅間山麓のイルミネーション事情ですが、もちろんがんばって点灯しているところもあります。エールを送る意味で、今季楽しませてもらった(もらっている)浅間山麓のイルミネーションをいくつかご紹介しましょう。

 御代田駅前のイルミネーションです。簡素な飾り付けですが、もしこれがなかったら、冬の駅前広場は実に寂しいものになってしまうでしょう。御代田駅前.JPG
 こちらは軽井沢駅前。木々はライトアップされていますが、イルミネーション自体は小規模。
DSCF8138.JPG
よくみれば可愛いのですが、これが軽井沢駅前なの?とちょっと寂しい印象はぬぐえません。
DSCF8164.JPG
 軽井沢のアウトレット(プリンスショッピングモール)では、例年同様のイルミネーションがみられました。
DSCF8149.JPG
 ブランド商品のショッピング(ポン太には縁がありませんが)も、この飾り付けがあってこそ気分がもりあがるというもの。
プリンスショッピングモール.JPG
池に映ったイルミネーションもきれいです。
DSCF8144.JPG
こちらは佐久平の名物となっている企業イルミネーション。国道141号沿いにある「樫山」の敷地内です。
DSCF8438.JPG
 メルヘン調の飾り付けで見応えがあります。
DSCF8430.JPG
 水辺に水を飲みに集まってきた森の動物たち、というコンセプトでしょうか。
DSCF8436.JPG
 企業の敷地内ですから、イルミネーションの中を散策することはできませんが、見学者専用の駐車場が用意されていて、道路沿いを歩いて眺めることはできます。
DSCF8431.JPG
 企業イルミネーションといえば、御代田町の大井建設工業社屋のイルミネーションもなかなかのもの。漆黒の闇に浮かぶこの姿を初めて見た時は、突然テーマパークが出現したのかと驚きました。
DSCF8452.JPG
 とても建設会社の社屋とは思えません。
大井建設.JPG
 時々色が変わるのが面白く、しばらく見入ってしまいました。国道18号沿いですから、行き交う車には要注意です。
DSCF8449.JPG
 イルミネーションの中を散策できる唯一の存在であった「SAKU BLOOM」が、今季限りで終了してしまったのは本当に残念です。
佐久のイルミネーション.JPG
 

渚滑線北見滝ノ上駅~忘れ難き終着駅(11)

第11回 渚滑(しょこつ)線北見滝ノ上駅(北海道)

 最近気に入っているテレビ番組の一つがNHKの「日本人のおなまえっ!」。人名だけでなく、地名など様々な名前の由来を掘り下げていく内容が面白く、なるほどと納得することが多いからです。
 鉄道路線の「おなまえ」も興味深いものがあります。国鉄時代には、地域ごとに「○○線の部」と称するグループに分けられ、そのグループの中心をなす路線に本線の名を与えるというルールがありました。例えば「東北線の部」の盟主は東北本線で、その下に両毛線や日光線などがあるというスタイルです。江戸時代の藩に例えれば、本線=殿様、支線=家臣のような感じでしょうか。
 国鉄の分割民営化という時代の流れの中で、不採算と見なされた多くの支線が姿を消して行きましたが、本線まですべて消滅というケースは稀です。その稀なケースに該当したのが北海道のオホーツク沿岸に路線網を広げていた「名寄線の部」でした。そこには盟主の名寄本線以下、興浜南線、渚滑線、湧網線、そして名寄本線の支線扱いだった中湧別~湧別間が属していましたがすべて消滅。まさに一族郎党根絶やしとなったのです。
 このエリアの鉄道に乗りに出かけた際、特に注目したのが、渚滑線の北見滝ノ上駅と名寄本線の僅か一駅だけ(ただし途中に四号線という乗降場あり)の支線の終点であった湧別駅です。今回のタイトルは前者ですが、後者も一緒に取り上げることにします。
 渚滑線はオホーツク沿岸の渚滑駅で名寄本線から分岐し、内陸の山間部へと分け入る路線でした。何のために敷設され、どのように利用されている路線なのか、終点の北見滝ノ上とはどんなところなのか。興味津々で乗車しました。列車はディーゼルカー1両だけで乗客は数えるほど。沿線風景にさほど特色があるわけではなく、平凡な閑散線区のように見えました。ところが、滝ノ下駅で交換した貨物列車を見てびっくり。数多くの貨車を連ねた堂々たるものだったからです。終点の北見滝ノ上駅も、ホームは片面1線のみとはいえ構内は結構な広さでおどろきました。滝上町は豊富な森林資源を有し、馬鈴薯やハッカ、テンサイといった農産物の産地でもあり、渚滑線は農林産物の輸送ルートとして重要な役割を果たしていたわけです。当時の旅行メモには「切り出された木材が山をなし、予想していたよりもずっと開けた感じ」とあります。町の人口も1万人を超えていたようです。
 実はこの渚滑線の歴史は意外に古いのです。名寄線の全通(1921年)の僅か2年後の1923(大正12)年11月5日に、渚滑~北見滝ノ上間が開通しています。同じ日に名寄線は名寄本線と改称しており、渚滑線という「家臣」ができて「本線」になれたわけです。
 一方の湧別駅ですが、開業時は下湧別(1954年に湧別と改称)と称していました。湧別軽便線として社名淵(のちの開盛)~下湧別間が開業したのは1916(大正5)年11月21日です。なぜ軽便線だったのかといえば、後に石北本線や名寄本線を形成することになる路線を促成する方便として、手続きが簡単な軽便線という形をとったからです。湧別軽便線(1922年、湧別線と改称)の終着駅として開業した同駅ですが、1932(昭和7)年に、湧別線が名寄本線に統合されたことで、旧名寄本線よりも歴史の古い湧別駅も名寄本線の一員となりました。1956(昭和31)年12月の時刻表によれば、湧別駅に発着する列車は一日7往復(うち5往復は網走に直通)もあり、かなりの賑わいだったようです。しかし、私が乗車した1972(昭和47)年には、1日2往復という国鉄全路線の中で二番目に本数の少ない、超閑散路線となっていました。
 「名寄線の部」の鉄道網形成史に大きな足跡を残した両線でしたが、渚滑線は1985年4月1日に、湧別支線は名寄本線の廃止時(1989年5月1日)に本体部分と一緒に廃止されました。取りつぶされた藩と家臣の悲哀のようなものを感じてしまう、忘れ難き終着駅なのです。

 渚滑線というのはこのような場所にありました。これは1972(昭和47)年の鉄道路線図(時刻表の索引地図から抜粋)ですが、赤丸を付した駅が今回取り上げた北見滝ノ上駅と湧別駅です。
名寄線の部地図/JTB時刻表2のコピー.jpg
 渚滑線が分岐していた渚滑駅付近を行く名寄本線の貨物列車(691列車)です。渚滑自体は小さな集落ですが、名寄本線の貨物列車は堂々たるものでした。(1970年7月15日撮影)
700715渚滑駅を出る名寄本線691レ.jpg
 滝ノ下駅で交換した渚滑線の貨物列車です。ローカル線らしからぬ長大な編成で驚きました。(1972年3月8日撮影)
720308渚滑線の貨物列車49648牽引/滝ノ下.jpg
 渚滑線の終点、北見滝ノ上駅に到着した渚滑発8:22の723D列車です。キハ2219の単行で乗客はまばらでしたが、駅舎は立派で構内も広々としていました。(1972年3月8日撮影)
720308渚滑線723Dキハ2219/北見滝ノ上.jpg
 一日の列車本数は、下りが9本(1本は区間列車で休日運休)上りが7本と、北海道のローカル線としては多い方で、5往復は紋別まで直通していましたから、利便性という点ではそう悪い路線ではありませんでした。北見滝ノ上駅には、駅員が配置されており、入場券も売っていました。
北見滝ノ上駅入場券002.jpg
 こちらは、名寄本線の支線、湧別駅に着いたキハ22303単行の940D列車です。この列車の始発駅は湧網線の佐呂間駅で、私もそこから乗車したのですが、中湧別から湧別へむかった乗客は私一人だけでした。途中の四号線という乗降場で一人乗ってきましたが、この日この列車で湧別駅に降り立った乗客は僅か二人。車内に載せられていた新聞の束を輸送するのが目的のような列車でした。(1972年3月5日撮影)
720305湧別駅ホームの923D.jpg
 湧別の駅舎です。雪の中を自転車でやってきたのは、新聞を受け取りに来た人でしょうか。(1972年3月5日撮影)
720305湧別駅舎.jpg
 この時点では無人駅ではなく、入場券を買うことができました。因みに、中湧別~湧別間の列車は、中湧別発が7:09(940D)と16:23(928D)、湧別発が7:22(923D)と16:37(943D)の1日2往復のみ。
湧別駅入場券001.jpg
 私が乗車した列車(940D)の始発駅、湧網線佐呂間駅の風景です。右側は網走行の921D、左側が乗車した940Dです。この湧網線も消えてしまい、今はオホーツク沿岸を鉄道でたどることはできません。(1972年3月5日撮影)
720305湧網線921D(右)と940D(湧別行)/佐呂間駅.jpg


陳腐だが心強い消防出初め式

 地域のイベントは何でも見てやろうという野次馬根性だけは旺盛なポン太です。「回覧板」で目にとまったのが「御代田消防出初め式」。ご近所の方が、長年消防団で活動され、表彰されたという話は聞いていましたが、「出初め式」というものは、まだ一度も見たことがありません。新年最初に見るべきものはこれかなと、会場に足を運んでみました。
 詳しい内容までは公表されていなかったので、まずは式典が行われるというエコールみよた「あつもりホール」へ。入口まで行くと、「一般の方ですか」と聞かれ、係の者が案内しますと連れて行かれたのが、二階の立ち見席。見下ろすと、下の客席は全てはっぴ姿の消防団員で埋まっていました。立ち見席にいたのはほんの数人。どうやら「式典」は消防団員のためのもので、「一般」はおよびでなかったようです。それでも、どんなことが行われるか興味が湧き、しばらく眺めておりました。町長や消防関係の幹部が登壇する度に、ラッパが鳴り響き、全員が直立不動で敬礼。すべてが軍隊式といってよいでしょう。規律や機敏な集団行動が要求される組織ですから、やむを得ないことかとは思いますが、そこまでやる必要があるのだろうかと、ちょっと陳腐さを感じてしまいました。
 消防団はなぜ現代でも「はっぴ姿」なのでしょうか。壇上にまといが飾ってあるところをみると、江戸時代以来の火消しの伝統を受け継ぎたいということなのかもしれませんが、作業着として適切なものなのかどうか私にはわかりません。式典のための「晴れ着」ということであれば納得です。近年、地方の山村では、高齢化で消防団員のなり手がなく困っているという話をよく聞きます。会場を眺めてみると、若者がたくさんいて、これには、心強さを感じました。
 式典の後、御代田駅前でパレードがあるということでしたので、そちらへ向かうことにしました。警備の人に、放水などのパフォーマンスもあるのですかと尋ねると、「この時季にそんなことをしたら、凍結して大変なことになりますよ」との返事。間抜けな質問でした。
 駅前では大勢の人がパレードを待っているのではと思いきや、ギャラリーは全部合わせても50名いたかどうか。警備の人数の方が明らかに上回っていました。パレードは堂々としたものでしたので、消防団の存在を示し、PRするよい機会となるはずなのですが・・・。ローカルなイベントを見ていつも思うことは、発信力の弱さ。残念なことです。

 「エコールみよた」で行われた式典の様子です。はっぴ姿がこれだけそろうと壮観。いや、ちょっと陳腐な感じもしますが・・・。
出初め式典/エコー^ル御代田.JPG
 子供たちは会場の外に並んだ消防車に興味津々。
消防車に興味津々.JPG
 団長を先頭に分列行進がはじまりました。ここから御代田駅前へとむかいます。
分裂行進開始.JPG
 御代田町消防団ご自慢のラッパ隊の演奏です。北佐久代表として県大会に出場し、6位になったということで、音がきれいにそろっていました。
自慢の喇叭隊.JPG
 駅前には町長、副町長のほか、消防委員会幹部や近隣エリアの消防団長等が整列し、その前をパレードが進むという、ミニ観閲式のような感じ。
町長以下居並ぶ来賓.JPG
 パレードが御代田駅前にさしかかりました。緊張からか、ちょっとぎこちないようにも見えましたが、みなさん一所懸命です。
御代田駅前を通過.JPG
 お父さん、お兄ちゃんがんばって!
お父さんがんばって.JPG
 ラッパ隊に敬礼!
喇叭隊の前を通過.JPG
 駅前なのにギャラリーはこれだけ。ちょっと寂しいですね。
ギャラリーが少ない.JPG
 団員の分列行進に続いて、車両部隊のパレードです。
車両部隊の行進.JPG
 しんがりは救急車。お世話にはなりたくないですが、いつも近くで待機してくれていると思うと心強いですね。
しんがりは救急車.JPG
 路地を引き上げていく車列の中には、こんな可愛らしい軽の消防自動車もありました。
可愛い消防車も参加.JPG
 この日、どんと焼きが行われた地区もありました。火が燃え広がらないように見守るのも消防団員の役割。ご苦労様です。
どんと焼き②.JPG
 




歓迎オリンピック難民

 年の初めにどうしても考えてしまうのは、今年はどんな年になるのかということ。
 オリンピックイヤーで盛り上がるとマスコミは騒いでいますが、本当にそうでしょうか。少なくともポン太の気持ちは冷え込んだままで、前回(1964年)の時とはまったく違います。何のための開催なのか、どんな意義や意味があるのか、さっぱりわからないからです。
 1964年の東京オリンピックは、アジア(非欧米文化圏、有色人種の国)で初の開催であり、高度成長の成果を示すとともに、更なる成長を促すという、希望に満ちたものでした。顧みれば、その陰に、地方出身労働者の酷使や公害に目をつむるといった負の側面もあり、手放しで賞賛とはいきません。しかし、ポン太を含む国民の多くが誇らしさを感じ、希望や勇気を得たことは間違いなく、開催の意義や意味はあったと思うのです。
 今回はどうでしょうか。「復興五輪」という看板は掲げられたものの、どこにその実体があるのかわかりません。「コンパクト五輪」とも喧伝されていましたので、既存の施設を活用し、費用を最小限におさえるのかと思いきや、国立競技場をはじめ新設の施設が目白押し。こんなものまでという新競技新種目もてんこ盛りです。これほど規模を大きくしてしまうと、今でさえ、開催可能な都市(国)が限定されている状況がさらに悪化し、特定の大国間での持ち回り五輪になってしまうでしょう。
 強欲なスポンサーであるアメリカ大手メディアの意向が最優先され、真夏の開催となったのも納得できる話ではありません。誘致文書には東京の7~8月は快適な気候というような文言があった由。欺瞞としか言いようがありません。オリンピック精神(そんなものがまだ生きているとしての話ですが)からどんどん遠ざかり、商業イベント化した現状に白けているのはポン太だけではないはず。
 酷暑と喧噪の東京から避難したいという方は、ぜひ、静かで涼しい信州の山や高原へお出かけください。信州だけではなく、全国の山間地もオリンピック難民受け入れに動き、それで潤うことがあれば、それこそが今回のオリンピックの意義といえるかもしれません。
 気の毒なのは利権や商売とは無縁なアスリートたち。自分の力を試したいと真摯に取り組んでいる姿まで否定するつもりはありません。「見ない、聞かない、関わらない」を標榜しているポン太ですが、タヌキ寝入りをしながら、真剣勝負の競技だけは見てしまうかも・・・ペロ! 

 1964年の東京オリンピック開催中の国立競技場です。この中にポン太も身を置いておりましたが、暑くもなく寒くもなく快適でした。
Pim0008.jpg
 オリンピックに合わせて様々なインフラが整備されました。特に交通関係は目を見張るばかりで、それも高揚感につながっていたような気がします。これは、開業の2ヶ月前に東京駅で行われた、新幹線の車両展示会の様子です。(1964年7月30日、東京駅で撮影) 
640730展示公開された新幹線車両/東京駅.jpg
 新幹線の開業当日(1964年10月1日)、現場には行くことができませんでしたが、世紀の出発式の様子を見逃してはならじと、テレビを食い入るように眺めていました。石田禮助国鉄総裁のテープカットの後、くす玉が割られ、6時00分発の「ひかり1号」が発車して行きました。そのテレビ画面を撮影したのがこの1枚です。
新幹線開業の瞬間.jpg 
 東京ではオリンピックを前に、地下鉄日比谷線が全通。これは開業日(1964年8月29日)の日比谷線銀座駅です。
640829日比谷線全通/銀座.jpg
 今からみればずいぶん単純な路線網ですが、ポン太が子供の頃は、地下鉄といえば銀座線と丸の内線しかなかったのですから、東京の地下もずいぶんにぎやかになったものだと驚いたわけです。新幹線開業日と同じ10月1日には、都営地下鉄(浅草線)新橋~大門間も開通しています。
日比谷駅の全通看板.jpg
 オリンピックが終了して間もなく、今度は東西線(高田馬場~九段下間)が開通。あれよあれよという間に地下鉄のネットワークが拡大して行きました。これは開業日(12月23日)の飯田橋駅です。
開業日の飯田橋駅.jpg
 日比谷線と東西線の開通記念乗車券です。どちらも初日に乗り行ったので、入手することができました。
日比谷線全通記念乗車券001.jpg
 新たな交通手段であるモノレールの開業(1964年9月17日)も話題になりました。モノレールが、空港連絡の都市交通機関として採用された、世界で最初のケースでしたが、その運賃は、なんと片道250円、往復450円という高さで驚きました。国鉄の最低運賃が10円 という時代です。250円払えば、東京から小田原の先の根府川まで行くことができました。
東京モノレール初期の乗車Kね001.jpg 
 ポン太が住んでいた杉並では、9月20日に中央線の高架化が完成し、開かずの踏切が解消されました。これは高架線開業当日の阿佐ヶ谷付近です。とにかくオリンピックを機に東京は大きく変貌し、この先どこまで成長するのかという期待を抱かせたことは間違いありません。思い出話はこのくらいにしておきましょう。
640920高架化なった阿佐ヶ谷付近.jpg
 さあ、この夏の酷暑と喧噪から避難したいという方へ。五輪開催時季の浅間連峰はこんな感じです。これは東籠ノ登山(手前)と水ノ塔山(奥)。 ここまで来れば暑さとは無縁なり。
水ノ塔~籠ノ登の稜線.JPG
 北八ヶ岳へ行けば、幽玄な苔の森と静寂な池が待っています。定番の白駒池以外にも、雰囲気のよい池がたくさんあります。これもそのひとつ、神秘的な感じのする双子池です。
双子池.JPG
 湯ノ丸高原もよいところですが、少し気になるのが、東御市が建設した高地トレーニング施設。山はできるだけ自然のままにと考えるポン太にとっては、山中にこのような大きな人工施設をつくること自体が好ましいものではありません。市は、建設費は寄付金で賄うので市民の負担はないと説明していたようですが、寄付金が思うように集まらず、起債せざるを得なくなった由。この先どうなるのでしょうね。
DSCF5058.JPG
 昨年の秋に、建設中のこの施設の近くを通りましたら、台風で少し崩れたところがありました。五輪のような大きなイベントがあると、大義名分(選手の強化に役立つ等)が立ちやすく、ハコ物づくりに走って後始末が大変になるというケースをよく耳にします。ここは大丈夫でしょうか。
DSCF6603.JPG

くたくたヨレヨレの松の内

 暮れから昨日(6日)まで、孫台風が猛威を振るっておりました。この台風は、避けるには可愛すぎ、立ち向かうには手強すぎるという、まことにやっかいな存在です。わが家だけではなく、世の多くのジイバアを悩ませていることと思います。
 この台風が停滞している間は、一時も気を許すことはできませんから、精神的にも肉体的にも疲労は蓄積する一方です。3歳半となった孫は成長著しく、いきなり戸棚を開けて中のものを全部出してしまうようなことはしなくなりましたが、知識が増え、口が達者になったことから、具体的なリクエストを矢継ぎ早に発するようになりました。
 「ジイジ、青い橋と龍の滑り台のある公園に行きたい」「ジイジ、温泉がいい」「ジイジ、○○を読んで」「ジイジ、○○が食べたい」「ジイジ、雪遊びをしよう」等々。その度に対応を迫られるわけですが、孫に嫌われてはならじと、動き回ってしまうのが、これまたジイバアの性であるため、くたくたヨレヨレになるのは必定。自分のことに取り組む余裕はまったくなく、ブログ更新も今日まで不可能でした。
 今年は暖かな正月でしたので、公園で遊ばせるという点では問題はありませんでした。しかし、足が速くなっているので、後についていくのが大変で、しばらく遊ばせるともうくたくたです。そり遊びがしたいというので、近くのスキー場にも連れて行きましたが、意外にも少し滑っただけで「もういい」。どうやら、そりのスピードが速すぎて、怖くなってしまったようです。絶叫マシンに何度も乗せられたような気分だったのかもしれません。
 家の中で遊ばせるときには、またそれなりに知恵を絞らなければなりません。この正月の大ヒットアイデアは紙飛行機でした。チラシを折ってつくっただけのお手軽なものですが、これが結構よく飛ぶので、孫は大喜び。おかげで、毎日、朝から晩まで家の中を紙飛行機が飛び交うこととなりました。孫を遊ばせるネタにお困りの方はぜひお試しあれ。


 公園で遊んでいる姿は可愛いものですが・・・
DSCF8232.JPG
 走り出したら追いつくのが大変です。今日の浅間山はきれいだと眺めているヒマなどありません。
浅間山麓を走る.JPG
 こちらは佐久パーキングエリアに隣接したパラダスキー場。人工雪なので雪が降らなくても営業可能です。アクセスがよいせいか、かなりの賑わいでした。
パラダ.JPG
 子供むけのそり遊びコーナーがあり、そこで孫を遊ばせました。見た目よりも傾斜があります。
キッズコーナー.JPG
 かなりのスピードが出るので、孫は目を開けていられなかったようです。
そり.JPG
 ほんの僅かですが、雪が降った日があり、うっすらと白くなった庭で、ちょっとだけ雪遊びをさせることができました。
うっすら積もった雪DSCF8310.JPG
 雪の量が少ないので、本格的な雪だるまをつくることはできず、ミニミニ雪だるまを並べて遊びました。
雪だるま?.JPG
 1月3日の朝、ほんの僅かな時間だけでしたが、今季初の霧氷を見ることができました。
中山道の霧氷.JPG
 これがこの正月の大ヒット作、紙飛行機です。新聞の折り込みチラシでつくりましたが、ぺらぺらの薄い紙のものが一番よく飛ぶようです。
紙飛行機.JPG
 それいけ、えい! いつの間にかジイジも夢中になって飛ばしていました。
飛べ.JPG
 この年末年始、ストレスを感じたのは買い物です。スーパーツルヤ御代田店が改築により休業中のため、「アレが足りない、どうしても欲しい」といった場合、遠方の店舗まで時間をかけて出かけなければならなかったからです。4月の開業が待ち遠しい御代田店ですが、本体の鉄骨が組み上がり全体像が見えてきました。以前の店舗よりかなり大きなものになりそうです。
DSCF8299.JPG
 薬局やクリーニング店、花屋、100円ショップなどが入る別棟はほぼ完成し、今月中にオープンする由。いままでわが家の近くには存在していなかった100円ショップができるのは朗報といえましょう。
DSCF8300.JPG
 早起きした孫が、「お空が真っ赤だよ」と騒いでいたので、窓の外を見るとみごとな朝焼けでした。ふだん経験できないことをいろいろ経験した孫は満足したに相違ない。そう信じつつ、新幹線で帰っていく孫を見送った、くたくたヨレヨレのジイとバアでした。
朝焼け.JPG
 

ちょっともやもや、気の抜けた年明け

 明けましておめでとうございます。本年も「浅間山麓のブラタヌキ」をよろしくお願いいたします。
 浅間山麓では、暮れの22日から23日にかけて、珍しくまとまった雪が降り、ホワイトクリスマスとなりました。しかし、その後は気温の高い日が続いたため、雪はほとんど溶けてしまい、孫が喜ぶのではと、大汗をかいてつくった雪ダルマも完全消滅。結局、まったく雪の無い正月と相成りました。当地としては気温の高い状態が続いていて、ポン太にいわせれば、気の抜けたビールのような年明けです。
 初日の出を期待して、水辺(御影用水)を散策してみました。寒さが厳しくないせいか、夜明け前から犬と散歩している人がたくさんいて驚きました。ただ、景観という点では、雪も霧氷もないので、いまひとつです。日の出の時刻を過ぎても、東の空は雲に覆われたまま。雲の一部が少しだけオレンジ色に染まったものの、太陽そのものは姿を現さないうちに明るくなってしまいました。
 昨年は、孫を遊ばせる場所の確保に腐心し、「遊び場難民化」したポン太でしたが、今年は、手足が凍えるような寒さではないため、元旦から近くの公園でたっぷり遊ばせることができ、その点では大助かり。ついでに、初詣の様子をみようと、追分宿の寺社を覗いてみたところ、例年より人出が多い(といっても時折参拝者がやってくるというレベルですが)ように思いました。
 暖かな正月であること自体はありがたいことです。しかし、地球温暖化の問題とリンクして考えてしまうと、素直に喜ぶわけにもいきません。社会の劣化が懸念されるようなニュースも多く、ひねダヌキのポン太としては、オリンピックイヤーといった高揚感はまるでなく、もやもや感のぬぐえない年明けでした。

 大晦日の夜の国道18号です。帰省のクルマでかなりの通行量でした。温度計の表示は-3度。当地としては暖かな夜です。
DSCF8189.JPG
 水辺の樹木の後ろがオレンジ色に変わり、すばらしい初日の出が見られるのではないかと期待感は高まったものの・・・。
DSCF8194.JPG
DSCF8196.JPG
 太陽が顔をみせないうちに明るくなってきました。これが今年の初日の出でした。
DSCF8214.JPG
 まだ薄暗いうちから犬と散歩する人が次々とやってきます。犬同士も「明けましておめでとう」といった雰囲気。
DSCF8205.JPG
 しばらくすると浅間山が姿を現しました。浅間山あっての当地ですから、今年もよろしくという感じです。
DSCF8221.JPG
 反対側には蓼科と八ヶ岳連峰。こちらも山歩きでお世話になることが多いので、やはり、今年もよろしくと挨拶したい気分になります。
DSCF8217.JPG
 昼前には孫を連れて御代田町の龍神の杜公園へ。遊具を独占状態で利用できるので大喜び。
DSCF8187.JPG
 氷点下の気温であれば手が出ない長い滑り台も今日はOK。
DSCF8170.JPG
 雪窓公園にも行ってみましたが、人はほとんどおらず、やはり独占状態でした。
DSCF8231.JPG
 ちょっと複雑なこの遊具が気に入ったようで、何度も遊んでいました。
DSCF8233.JPG
 午後にはすっかり晴れ渡り、背後に浅間山がくっきり。浅間山麓らしい風景となりました。
DSCF8225.JPG
 追分宿の古刹、浅間山泉洞寺の初詣風景です。
DSCF8244.JPG
 このお寺の境内には、カーリング地蔵ほかユニークな地蔵がたくさんありますが、これは「おーい元気だそうね地蔵尊」です。
おーい元気だそうね地蔵尊.JPG
 すぐ近くには諏訪神社があります。創建年や由来は定かでないそうですが、古くからの追分集落の氏神である由。寄進された灯籠には「天保六年」とありました。
DSCF8248.JPG
 境内に一茶の句碑があり、「有明や浅間の霧が膳をはふ」と刻まれています。一茶は故郷信州と江戸とを何度も行き来していますから、追分宿は馴染みの場所であり、この神社も訪れたことがあったのではないでしょうか。反骨精神旺盛で皮肉屋でもある一茶なら、今の世相をどう切り取って句に詠むだろうかと考えてしまいます。
DSCF8247.JPG  

鉄道納め 山納め

 ポン太が関心を寄せている「鉄道」と「山歩き」。今年の成果はどうであったのか、総括してみました。
 まずは鉄道です。今年は講演会等で大勢の方にお話する機会が比較的多く、それなりの準備が必要でした。今まで調べたことを再確認したり、筋立てに知恵を絞ったりする中で、認識を新たにしたことが多々あり、有意義な一年だったように思います。また、今年新たに開業(延伸を含む)した鉄道路線にはすべて乗車して、鉄道全線乗車記録を維持できましたので、総じて成果ありと判断できそうです。
 次に山歩きですが、年間の山歩き回数が、昨年の60回を大きく上回る74回に達しました。登った山は里山が大半で、3000mクラスの高山には1つも登れませんでしたから、質的な意味ではいまひとつです。しかしものは考えようで、山の標高ではなく実際に登った高さ(登山口から到達点までの高度差)の1回平均を300mとしますと、300m×74回で22200mとなります。富士山の標高が3776mですから、計算上は富士山に海抜0mの海岸線から6回登ったのとほぼ同じです。もし一般的な登山口である5合目(2305m)からスタートしたと仮定すると、富士山に15回も登ったことになり、結構な運動量ではないでしょうか。よくがんばったと褒めたくなってしまいました。自己満足が過ぎると思われるかもしれません。そこはまあ古稀をむかえようという老いぼれタヌキのことゆえ、ご容赦のほど。
 本年最後の山もお馴染みの里山、平尾山でした。いつも登っている山とはいえ、先日降った雪が残っていて、ちょっとした雪山気分を味わうことができました。雪化粧した佐久平と、より一層純白の度を増した北アルプスの大展望は今年一番の絶景といってもよく、本年の山納めにふさわしい山行となりました。
 ブログをご覧いただいている皆様。拙文にお付き合いいただき本当に有り難うございます。これにて本年のブログ納めとさせていただきます。それでは皆様、よいお年をお迎えください。

 今年は5つの鉄道路線が開業しました。開業といっても、ほんの僅か延伸されただけというものもあります。この横浜シーサイドラインがそうですが、金沢八景駅を京急線の金沢八景駅の隣に移設したことで150m路線が延びました。これは新しい金沢八景駅に進入する電車です。
(新)金沢八景駅を出る横浜シーサイドライン.JPG
 JR西日本のおおさか東線は、新大阪~放出間の開業により、新大阪~久宝寺間が全通しました。元が貨物線でしたから、沿線風景は殺風景ですが、接続する路線が多く、利便性は高いように思います。この写真は新大阪駅近くの分岐部です。
おおさか東線新大阪付近.JPG
 東日本大震災で被災したJR山田線を復旧した上で、三陸鉄道リアス線として新たに開業した釜石~宮古間。残念なことに今秋の台風19号により被災し再び不通となってしまいました。この写真は7月に乗車した際に、岩手船越駅で撮影したもの。
岩手船越駅.JPG
 日本最南端の鉄道である沖縄都市モノレール(ゆいレール)が延伸され、新たな終着駅となったてだこ浦西駅です。
DSCF7453.JPG
 今年最後に開通したのが、相鉄ーJRの連絡線です。相鉄線内を新宿行の電車が走ったり、新宿駅のJRホームに相鉄の電車が停車していることなど、ひとむかし前なら想像すらできませんでした。これは連絡線内に設けられた唯一の駅、羽沢横浜国大駅のホームの様子です。JRの羽沢貨物駅に隣接していますが、この駅は相鉄に属しています。
羽沢横浜国大駅ホーム.JPG
 羽沢横浜国大駅の外観です。裏側にJRの貨物駅があります。
羽沢横浜国大駅外観.JPG

 今年最後の山歩きとなった平尾山です。登山道の入口から雪道でした。相変わらず怖そうなクマ看板ですが、さすがにもうクマはでないと思います。
DSCF8077.JPG
 里山とはいえ、雪のついた斜面は滑りやすいので要注意です。
DSCF8086.JPG
 この季節は樹間から佐久平を望むことができ、気分は爽快です。
DSCF8089.JPG
 雪の上に動物の足跡が。これは歩幅からみてカモシカではないでしょうか。雪の中でも山の動物たちは元気に歩き回っているようです。
DSCF8082.JPG
 頂上まであとひと息。最後に急登(階段)が連続するので、このコースは「忍耐の小径」と名付けられています。
DSCF8093.JPG
 雪に覆われた頂上です。下界(佐久平)も雪景色ですから、いつもの山とは思えません。
DSCF8116.JPG
 この一年、無事に山歩きができたことに感謝し、来年もがんばるぞという気持ちを込めて、浅間山を背に万歳三唱して山納めとしました。
DSCF8110.JPG
 山納めの日にふさわしいこの大展望。ありがとう北アルプス。ありがとう佐久平。
DSCF8096.JPG


ホワイトクリスマス

 浅間山麓の森の中に閉じこもっていては、クリスマスを実感することはできません。特別な宗教心があるわけではないポン太ですが、季節の風物詩的意味合いもあるクリスマスをパスして、いきなり正月を迎えてしまっては、いささか寂しい気がします。そこで、少しはクリスマス気分を味わいたいと、軽井沢で行われるクリスマスコンサートに出かけるのが、ここ数年の恒例行事のようになっています。昨年は、予想外の交通渋滞に巻き込まれて会場にたどり着くことさえできなかったので、今年は1時間ほどはやく家を出て、無事に席を確保することができました。
 そのクリスマスコンサートは、新島学園というミッションスクールが毎年開催しているもの。吹奏楽、弦楽も楽しめますが、特にすばらしいのが、聖歌隊の奏でるハンドベルの演奏です。ハンドベルというと、主旋律をたどるだけの単調な演奏(一般的にはその類が多いので)と思いがちですが、この聖歌隊の演奏は、見事なアンサンブルになっていて、ハンドベルでこれだけ複雑な表現ができるのかと、驚かされます。その澄んだ音色を聴いていると、心が洗われたような気がして、まさにクリスマスにふさわしい音楽と言えましょう。
 終演後、会場(大賀ホール)の外に出ると、雪が舞っていました。帰路、スーパーに寄って買い物をしているうちにその降り方が激しくなってきましたので、これはもしかするとホワイトクリスマスになるのではと期待が高まりました。翌朝起きてみると、期待通り家の回りは一面の白銀の世界。前回のブログで、「物寂しい師走」と述べましたが、雪が積もるとそれが一変し、気分も高揚します。家の前の雪掻きをしながら、雪だるまをつくって遊んでしまいました。「犬は喜び庭駆け回る~♪」ならぬ、「タヌキも喜び跳びはねまくる~♪」です。やはり雪があってこその冬ですね.

恒例行事となった新島学園のクリスマスコンサートです。(今年のパンフレットより)
新島学園のコンサート.JPG
コンサートが終わった後の大賀ホール前です。すでに薄暗くなってきており、雪がちらついていました。皆さん寒そうです。
クリスマスコンサート終演後.JPG
大賀ホール前の池も寒々としています。
大賀ホール前の池.JPG
雪の舞う量がだんだん多くなってきて、スキー場が霞んでいました。
大賀ホール駐車場.JPG
スーパーに着くころには、本格的な雪となりました。
ツルヤ軽井沢店.JPG
雪が積もりはじめた信濃追分駅前です。
雪の信濃追分駅.JPG
ささやかなイルミネーションですが、雪があるとより華やかにみえます。
雪の信濃追分駅3.JPG
一夜明けたポン太の森はごらんのとおりの銀世界。
雪の庭.JPG
近くの道もこのとおり。予想以上の積雪量でした。
雪の道2.JPG
雪掻きの後、こんな雪だるまをつくってみました。
雪だるま.JPG
帽子のないバージョンはこちらです。
雪だるま帽子なしバージョン.JPG
いつものパン屋さんにでかけてみましたが、まわりに雪があると、より一層お洒落にみえます。
パントゥルーベ.JPG
森の中の道沿いには、自然にできた「クリスマスツリー」がいっぱい。
クリスマスツリーがいっぱい.JPG
何も飾りつけなくても、十分きれいです。
クリスマスツリーがいっぱい2.JPG
午後になってから浅間山が姿を現しました。今季初めて本格的雪化粧をした浅間山です。やはり雪がある方が迫力があります。
雪化粧した浅間.JPG

物寂しい師走

 殺風景で物寂しい。師走の浅間山麓はまさにそのようなところです。美しかった紅葉は消え、山も裾野も枯れ木ばかり。咲いている花などなく、色彩を失ったモノトーンの世界と化します。さらに気を重くさせるのは日没のはやさ。午後4時を過ぎれば、森の中はもう真っ暗です。気温も低下して、あっという間に底冷えのする氷点下に。雪が降ってくれれば、木々は雪化粧し、少しは風情もあるのですが、師走にそれは期待できません。都会のような歳末の賑わいとも無縁です。楽しみは、クリスマスイベントとささやかなイルミネーションぐらいでしょうか。
 もし、浅間山麓への移住を検討されるのであれば、師走に何日か過ごしてみるとよいと思います。この物寂しさを受け入れることができるならゴーサイン、無理だとなれば、移住はあきらめ、夏場だけの利用にとどめるべきでしょう。ポン太はどうかって? それはもちろん前者であるからこそ浅間山麓の住民になっているわけです。空気が澄んで、白銀に輝く北アルプスの峰々がくっきりと見えたり、プラネタリウムのような星空を眺めることができるのもこの時季ならでは。物寂しさだけでなく、そんなメリットもあることを、アピールしておきたいと思います。

 冬枯れの佐久平です。上信越自動車道も背景の八ヶ岳も、どこか寂しげに見えます。
DSCF7871.JPG
 この季節ならではといえるのが、白い屏風を立てたような北アルプスの眺めです。
DSCF7866.JPG
 いつもの平尾山も枯れ木の山と化しています。
DSCF7872.JPG
 この時季としては珍しく浅間山にまったく雪がありません。
DSCF7877.JPG
 平尾山頂上から八ヶ岳方面を望んだところです。陽光が斜めになったこの風景には、物寂しさを感じてしまいました。
DSCF7886.JPG
 山頂から見た北アルプスです。雄大なこの景色をみると、師走だって悪くはないと思います。
DSCF7880.JPG
 いまごろ何の花かと近づいてみると、天蚕の繭でした。美しい緑色をしています。
DSCF7893.JPG
 行楽地軽井沢といえども、師走は寂しく、ついこの間までおどろくほど鮮やかな紅葉に彩られていた雲場池も、今はこのとおり。
DSCF7932.JPG
 旧軽銀座も、ひっそりしていました。
DSCF7897.JPG
 遊歩道を歩いて碓氷峠(見晴台)まで行こうとしたところ、なんと途中の吊り橋が架け替え工事中で通行できませんでした。
DSCF7902.JPG
 やむなく自動車道路を歩いて碓氷峠へむかったのですが、ごらんのとおりの殺風景な雰囲気でした。
DSCF7927.JPG
 見晴台には誰もおらず深閑としていました。
DSCF7909.JPG
 妙義山のすばらしい展望は変わりません。
DSCF7914.JPG
 麓は枯れ木ばかりですが、青い空と飛行機雲が、浅間山を引き立てていました。
DSCF7911.JPG
 碓氷峠のサミットに位置する神社です。この階段の真ん中が長野(左側)と群馬(右側)の県境になっています。社殿はひとつですが、長野側は熊野皇大神社、群馬側は熊野神社と称し、宗教法人が2つあるという珍しい存在です。賽銭箱も宮司も別々です。大晦日から新年にかけては大勢の人で賑わいますが、今はひっそりしています。
DSCF7918.JPG
 県境は神社の前にある茶店も貫いています。店の前のこの赤い線が県境です。葉が落ちているこの時季だからこそ、こういうものが目立つといえなくもありません。
DSCF7923.JPG
 星野温泉「トンボの湯」前の巨大なクリスマスツリーです。今まさにクリスマスシーズンであることを思い出させてくれました。
DSCF7936.JPG
 「トンボの湯」近くのケラ池には、スケートを楽しむ人々の姿がありました。物寂しい師走をどう過ごすか、それはまあ、各人の考え方ひとつであることは間違いありません。
DSCF7940.JPG

血染めのジャングルトレッキング

 那覇でモノレール(ゆいレール)に完乗した後、石垣まで足を伸ばしました。有人島としては日本最南端に位置する波照間島へ行ってみたかったからです。
 石垣市内のホテルに着いて、テレビで天気予報を確認すると、残念なことに滞在予定の期間中はほぼ雨。風も強く連日波浪注意報が出ていることもわかりました。翌朝、離島ターミナルへ行ってみると、心配したとおり、すでに欠航の表示が出ている便もあります。波照間行はどうかと、チケット売り場で聞いてみると、出航はしますが、帰りの便の運航は保障できず、条件付きでの出航になるという返事。帰れなくなるかもしれない島へ行く勇気は無く、急遽行き先を、西表島に変更することにしました。運航状況を確かめると、北部の上原港へ行く便は終日欠航、南部の大原港行きは終日運航の見込みとのこと。大原港からは連絡バスがあるということもわかりましたので、これならなんとか行けそうです。
 さて、雨の西表島で何ができるのか。ガイドブックを睨んで得た結論は、浦内川のジャングルクルーズ&トレッキングです。沖縄県最長の川である浦内川を船で遡り、上流船着き場から、徒歩でマリュドゥの滝とカンピレーの滝をめぐるというものです。
 浦内川バス停から少し歩いたところにある船着き場に着くと、ちょうど船が出るところでした。雨で道がぬかるんでいるからと、船着き場の係員が長靴を貸してくれました。これは有り難いサービスです。雨具は持参していましたので、それに長靴が加われば装備は万全です。
 船は、30分かけて浦内川を8キロほど遡り、軍艦岩の船着き場に到着。次の船が迎えにくるまでの2時間がトレッキングタイムというわけです。雨が降ると、より一層、ジャングルムードが高まるという話でしたが、まったくそのとおりでした。シャワーが降り注ぐ巨大な熱帯植物園の中を歩いているような気分で、ふだん信州でやっている里山歩きとは全然雰囲気が違います。起伏は思ったより少なく、ウォーキングに近い感じでした。しかし、そう楽ちんというわけでもありません。西表島としては異例の低さという19度という気温でしたが、雨具を着ていると蒸し暑さが身体にこたえます。コース最奥のカンピレーの滝まで1時間弱で到達できましたが、帰りの船のことがあるので、昼食休憩もとらずに折り返さざるを得ず、往復2時間という時間設定は、ポン太たちのようなロートルには、ちょっときついというのが実感です。
 帰路の船の中でおにぎりを頬張り、一息ついて眺めた風景のすばらしさ。西表という島の大自然を実感することができ、このコースを選んで大正解と満足しました。
 大原港へもどるバスの時間に余裕があったので、浦内川河口が一望できる展望台とその周辺も散策しました。ところが、バス停にもどる際に、後ろを歩いていたポン子が、「あら、その足どうしたの?」と言うので、ズボンの裾を見ると、ワインでもこぼしたかのような大きなシミができていました。不思議に思って、裾をめくってみると、なんとふくらはぎから下が血の海。それがズボンの表面に滲み出ていたのです。痛くも痒くもなく、キツネに鼻をつままれたようでした。バス停のベンチに座り、ティッシュで血を拭き取ると、ふくらはぎの上部に3~5ミリほどの丸い傷があり、そこから血が噴き出していることがわかりました。どうやらヒルの仕業のようです。手持ちのバンドエイドを貼って止血を試みたのですが、よほど強く噛まれた(吸われた)ようで、すぐに血が滲んできます。これ以上どうしようもないので、そのまま自然に血が止まるのを待つことにしたのですが、バスに乗って港に着くまで出血していたようで、靴下まで赤く染まっていました。
 恐ろしや西表のヒル。ハブでなくてまだよかったのかもしれませんが、いろいろな意味で西表の自然のパワーの凄さを「満喫」したポン太でした。

石垣島の離島ターミナルです。晴れていれば水の色がもっと鮮やかに見えるはずですが、これでもさすがは石垣島の海といった感じがします。
DSCF7770.JPG
石垣のヒーローといえばこの人。離島ターミナルに立派な像が立っていました。
具志堅像.JPG
西表島(大原港)までこの「ぱいじま」号が運んでくれました。波が高く、かなり揺れましたが、船酔いするほどではありませんでした。
西表(大原港)行の高速船ぱいじま.JPG
雨の大原港桟橋に着いた「ぱいじま」号です。
大原港桟橋.JPG
連絡バスで北部の浦内川へとむかいました。沿道には「イリオモテヤマネコとびだし注意」の標識がいたるところにあり、西表島に来たことを実感しました。
ヤマネコ注意.JPG
バス停から少し歩いたところにある浦内川の船着き場です。
浦内川船着き場.JPG
ジャングルクルーズに出発です。
DSCF7612.JPG
浦内川にはいくつかの支流がありますが、そうしたところをカヌーで見てまわるのも面白そうです。ただ、この季節、南国とはいえ水に落ちた時のことを考えると、ロートルは躊躇せざるをえません。
DSCF7603.JPG
船から見たひるぎ林は迫力がありました。
DSCF7730.JPG
上流へむかうにつれて沿岸の植生も変化します。亜熱帯の島らしい雰囲気が感じられます。
DSCF7633.JPG
上流の船着き場「軍艦岩」に着きました。我々を下ろした後、船は下流へともどっていきました。
DSCF7640.JPG
軍艦岩より上流側の浦内川です。岩がゴロゴロしていて、確かにこれ以上船で進むことはできません。
DSCF7637.JPG
ここから先がジャングルトレッキング。こんな道を進みます。
DSCF7646.JPG
これはオキナワウラジロガシでしょうか。熱帯植物園の中を行く感じです。
DSCF7644.JPG
30分ほど歩くと「展望台」があり、日本百名瀑の1つであるマリュドゥの滝を望むことができました。落差は16mとさほどではありませんが、鬱蒼たる亜熱帯林に取り囲まれていて、神秘的な感じがします。マリュドゥの滝からカンピレーの滝にかけての一帯は、かつては聖域であった由。
DSCF7651.JPG
10分ほど歩いた先に、マリュドゥの滝に降りていける道がありましたが、木製の階段が台風で壊れ、残念ながら滝に近づくことはできませんでした。
DSCF7663.JPG
ジャングルトレッキングのルート上には徒渉箇所もあり、長靴でなければ、足がびしょ濡れになるところでした。
DSCF7679.JPG
1時間弱でカンピレーの滝に着きました。滝とは言っても高低差はあまりなく、長さ200mほどの岩の上を浦内川が数段にわたって流れ下っていました。ここは聖域の中でも特別な場所で、カンピレーには「神々が交際する」といった意味があるようです。ここで神々と昼食をとる?予定でしたが、時間のゆとりがなく、すぐに引き返しました。
DSCF7672.JPG
ジャングルトレッキングの途中には小さな滝がいくつもありました。熱帯植物園のつくりもののように見えますが、もちろん本物です。こういった景観が造園のモデルになっているのでしょうね。
DSCF7689.JPG
 上流船着き場から再び船に乗って、浦内川のバス停に戻りましたが、その近くの浦内橋からのマングローブの眺めもすばらしいものでした。
DSCF7741.JPG
 浦内橋を渡った先にある「浦内川展望台」からの雄大な眺めです。まだ、自分の足がとんでもないことになっていることに気づいておらず、この展望を堪能しました。
DSCF7752.JPG
 西表島からもどった翌日は終日ひどい雨。島めぐりはあきらめて、石垣市内を散策しましたが、八重山地方のさまざまな文化に触れることができて、それはそれで充実した一日でした。これは重要文化財の宮良殿内(みやらどぅんち)。首里士族層の屋敷構えを伝えてくれる建造物です。
DSCF7793.JPG
 夜は「ゆにば」という三線ライブの店にでかけました。店主の奏でる三線の音色にも、ソフトな歌声にも島の「情」のようなものが感じられて、何ともすばらしい時間を過ごすことができました。
DSCF7830.JPG
 ポン太も三線を弾かせてもらいました。弾けるのかって? それはまあ・・・。前日のヒルの恐怖などすっかり忘れて、石垣島最後の夜を堪能したポン太でした。
DSCF7827.JPG







延伸された「ゆいレール」に乗って

 沖縄を初めて訪れたのは、今から38年前の1981年です。47都道府県の中で、最後の訪問県となってしまったのですが、その理由は、戦後長い間沖縄には鉄道が存在せず、鉄道全線乗車を目指していたポン太にとって、旅先を選ぶ際の優先度が低かったからです。 1980年に全線乗車を達成したことで、沖縄に行ってみたいと思うようになり、その翌年に、新婚旅行で初めて訪れることができました。正規の鉄道は無くても、沖縄のどこかに「鉄道」が存在していないか探したところ、南大東島にサトウキビ運搬用の軌道があることを知りました。これはもう行くしかないと、那覇から南大東島まで足をのばしたのですが、もしかすると、同島初の新婚旅行客だったかもしれません。
 実は、戦前の沖縄には県営鉄道をはじめ、複数の鉄道が存在しました。しかし、鉄の暴風雨と形容される米軍の猛攻により壊滅し、復活することはありませんでした。モノレールという別の形で鉄道が甦ったのは、敗戦から58年も経ってからです。2003年8月10、沖縄都市モノレール(ゆいレール)那覇空港~首里間12.9kmが開業。その直後に乗車し、全線乗車記録を更新したことはいうまでもありません。それから16年後の本年、延伸工事が完成し、10月1日に首里~てだこ浦西間4.1kmが開業しました。当然乗車する必要があり、出かけてきたというわけです。
 ゆいレールからの展望は実にすばらしく、那覇市の全貌が把握できるといっても過言ではありません。那覇に来て移動にモノレールを利用しないのは、姫路に行って姫路城を見ずに帰るようなものです。久しぶりに眺めた那覇市の印象は、高層ビルが増えて都会的色彩が濃くなっていたこと。那覇市の人口は32万人で、全国的にみれば中堅クラスの県庁所在地ですが、南国的明るさがあり、町歩きをしている観光客(とくに外国人)の数が多いせいか、人口では勝っている長野市(37万)などより、数段活気があるように感じました。
 終点のてだこ浦西まで乗車したことはいうまでもありませんが、1日乗車券を利用して、途中駅でも乗り降りし、新たに「発見」した「お宝」もありました。ポン太が興味を覚えた場所やモノをいくつかご紹介したいと思います。

 那覇空港に隣接したゆいレールの那覇空港駅です。
DSCF7557.JPG
 那覇空港駅は日本最西端の駅であり、改札口の脇にこんな表示があります。ちなみにお隣の赤峰駅は日本最南端の駅です。
DSCF7403.JPG
 市の中心部、旭橋駅と県庁前駅間を行くゆいレールです。高層ビルが増え、ちょっとした大都市にやってきたような気分になりました。
DSCF7413.JPG
旭橋駅近くの那覇バスターミナルが戦前の県営鉄道那覇駅跡です。近年、再開発中に転車台跡が発掘されたということで、移転修復作業を経て、本年6月から一般公開されています。
DSCF7417.JPG
 真上からみるとこんな感じです。直径は約6.8mだそうです。国鉄で最小の転車台は40フィート(約12.6m)でしたから、その約半分というスモールサイズです。しかし、沖縄県営鉄道は軌間762mmで車両も小さく、これでも十分な大きさだったのでしょう。
DSCF7433.JPG
 掲示してあった写真をみると、那覇駅構内はかなり広かったようです。
DSCF7424.JPG
 今回使用した一日乗車券です。2つの特色がありました。1つは磁気式ではなく、バーコード(QRコード)式であったこと。交通機関ではめずらしいですが、○○ペイといった決済サービスでそのまま乗車が可能になるため、そうした方式でのキャッシュレス化が一般化している中国からの観光客など、インバウンド対策として有効である由。JRも検討中とのことなので、いずれはこれが主流になるのかもしれません。もう1つは、一日乗車券の有効期限が購入から24時間となっていたこと。1日=当日であれば、午後からの購入をためらう場合もありますが、24時間有効であれば翌日にまたがって使用できるので、大変便利です。これは全国の交通事業者も見習って欲しいですね。
ゆいレール一日乗車券QRコード式.jpg
 これがバーコード式の自動改札機です。
DSCF7437.JPG
 延伸された首里から先の区間には、石嶺、経塚、浦添前田、てだこ浦西の4駅がありますが、経塚から先は那覇市ではなく浦添市となります。ゆいレールが初めて那覇市外にでたわけです。これは経塚付近を走行中の車内からみた風景ですが、並んでいるのは家ではなく、沖縄独特のお墓です。
DSCF7465.JPG
 新たな終点となったてだこ浦西駅に到着しました。
DSCF7451.JPG
 「てだこ」という駅名が気になって調べてみたところ、太陽の子という意味だそうで、「太陽のように輝く町」という願いがこめられているようです。琉球第二の王統、英租王の敬称でもある由。
DSCF7454.JPG
 てだこ浦西駅の先は、このようになっていました。将来の延長に備えた構造にしてあるということですが、3km余り先の西原町には琉球大学のキャンパスがあり、さらにその先には宜野湾市がありますから、実現する可能性はかなりありそうです。しかし、今回の延伸までに16年を要していることを考えると、はたして自分自身が元気なうちに乗ることができるかどうか・・・。
DSCF7449.JPG
 てだこ浦西駅の外観です。駅前に高速バスターミナルを整備するということですが、すぐ近くを高速道路が通っていますので、ここで乗り継げば名護など本島の北部エリアに短時間で行けるようになるようです。
DSCF7462.JPG
 首里付近を行くゆいレールです。先日の火災で正殿などが焼けてしまった首里城のことが気になり、首里駅で下車してお城の周囲をめぐってきました。
DSCF7497.JPG
 世界遺産の城壁は健在で、美しい姿を保っていましたし、観光客もそれなりに来ていましたので、少し安心しました。
DSCF7478.JPG
 城壁の後ろに見える焼け落ちた建物の姿には心が痛みます。一刻もはやい再建を願うばかりです。
DSCF7486.JPG
 モノレールの車窓からも首里城がよく見えます。那覇のシンボルであるこの城が燃えている様子を見た市民のショックがどれほど大きなものであったか、容易に想像できます。
DSCF7503.JPG
 那覇市のメインストリート、国際通りの入口には大きなシーサーが立っています。その上をゆいレールが走る姿は、いかにも現代の那覇という感じがして、ポン太には好ましい景観に見えました。
DSCF7519.JPG
 その国際通りですが、最初に訪ねたころと比べると、ずいぶんあか抜けた感じがしました。
国際通り.JPG
 今回訪ねてみたかった場所の1つが、ゆいレール展示館です。那覇空港駅から徒歩数分の本社敷地内にある施設です。行き方を駅員さんにたずねたところ、用意してあった地図を渡してくれました。同じ質問をする人が少なくないということでしょうか。
DSCF7531.JPG
 1階が、ゆいレールの展示コーナーになっていて、建設の経緯や工法などを知ることができます。
DSCF7533.JPG
 2階には沖縄の鉄道全般の展示コーナーがあり、貴重な沖縄県営鉄道のレール(手前側)や沖縄電気軌道(那覇の市内電車)のレール(奥側)も展示されていました。
DSCF7540.JPG
 沖縄以外の鉄道グッズも多数展示されていますが、それらは、鉄道愛好家のゆたかはじめ氏(本名石田穣一、元東京高裁長官、退官後沖縄に移住)が寄贈した、ご自身のコレクションです。あまりにも膨大な量で圧倒されました。
DSCF7546.JPG
 ポン太が新婚旅行で訪れた、南大東島のサトウキビ運搬用軌道のレールや犬釘まで展示されていて、懐かしさを覚えました。
DSCF7547.JPG
 南大東島のサトウキビ運搬用軌道は、今は存在していませんが、1981年に訪れた当時は、このような姿でした。
810118南大東島サトウキビ軌道の「列車」.jpg

住めばふるさと

 故郷(ふるさと)とは、一般的には生まれ育った場所を指す言葉ですが、必ずしもそれだけではないと思います。現在住んでいるところやかつて住んだことがあるところも、その土地に関心を持ち愛着を感じていれば、故郷といえるのではないでしょうか。
 ポン太には故郷とよべる場所が4つあるように思います。1つは生誕地である栃木県宇都宮市。小学校4年までしか住んでいませんでしたが、学校の副教材の地図に興味を抱き、それを頼りに、町の隅々まで自転車を走らせたので、記憶は鮮明です。大谷石の建物を見ると懐かしさを感じてしまいますから、間違いなく故郷です。
 2つめは、宇都宮から移り住み、青春時代を過ごした東京の杉並です。学校の友人とは今も親交があり、高度成長に伴う地域の変貌ぶりもしっかり眺めてきましたので、ポン太にとって「三丁目の夕陽」に相当する場所といえましょう。
 3つ目は東京西部の多摩地域(都県境を越えた神奈川エリアも含む)です。最も長い時間をそこで過ごしただけでなく、積極的に歩き回って見聞したことは、一生の宝になっているといっても過言ではありません。高尾山をはじめ周辺の山々もくまなくと言ってよいほど登り、愛着もありますので、これまた間違いなく故郷です。
 4つ目は、退職後に移り住んだこの浅間山麓です。住民としては新参者ではありますが、自然環境のすばらしさに感動し、地域の歴史や文化にも興味を感じておりますので、故郷と呼んでもおかしくないと自分では思っています。
 最近、小諸市が面白い取り組みを始めたことを知りました。それは公募による「ふるさと遺産」認定制度で、大切に守り伝えられてきた文化や地域のシンボルを「小諸ふるさと遺産」として認定するものです。その土地のことをよく知り、またその土地にあるものの良さ(意義)を評価できれば、よりいっそう愛着を感じるようになるのは必定。そう考えると小諸市の取り組みは大いに評価できるのではないでしょうか。
 これまで、どんなものが選ばれているのか、ポン太が訪れたことのある場所をいくつか取り上げてみることにします。小諸市民でなくても興味をそそられるものが多いと思いますがどうでしょうか。

 まずは大杭橋です。市内の千曲川に架かる橋としては唯一の吊り橋ということで、周囲の景観も含め見応えがありますが、先月の台風19号でその一部(左岸側)が流されてしまったのが残念です。
大串橋.JPG
 次も千曲川がらみですが、かつて小諸~島川原間を走っていた布引電気鉄道の橋脚です。当初は4本あった橋脚のうち、この1本だけが残っています。先月の台風による大増水にも耐えました。
DSCF6407.JPG
DSCF6441.JPG
 布引電気鉄道廃線跡である押出しの桜並木も、「新町の三大桜名所」として登録されています。同電鉄は、大正15(1926)年12月1日に開業していますが、そのころに植えられたものということです。
布引電気鉄道跡の桜.JPG
 この道が布引電気鉄道の廃線跡です。
DSCF0233.JPG
 近代化遺産として重要な氷風穴群も登録されました。かつては蚕種を保管する天然の冷蔵庫として、蚕糸業の発展に大きな役割を果たしました。
見事な風穴の跡.JPG
北国街道沿いの小諸の旧市街である本町。その北側の入口にあたる場所で存在感を発揮しているのが光岳寺の楼門(山門)です。1716年に建築された小諸藩内唯一の二階建ての門ということです。
光岳寺楼門.JPG
 「虚子庵」も選ばれています。近代俳句の巨匠、高濱虚子が1944年から4年間小諸に疎開した際に過ごした家です。 
虚子旧居.JPG
 「虚子庵」の近くで見かけた「風花に山家住ひも早や三年」と刻まれた句碑です。やはり疎開暮らしは侘しかったのでしょうか。多くの文人が訪れた小諸には、句碑や歌碑が多いのですが、認定の有無にかかわらずそれらも「ふるさと遺産」のような気がします。
句碑.JPG
 今年新たに認定されたものの中には、小諸駅の油庫(危険品庫)もありました。財産票に明治41年と記された、小諸駅で最も古い建造物です。
DSCF1789.JPG
 11月30日には、「小諸ふるさと遺産」に関するシンポジウムが開かれました。昨年と今年で合計61件が認定されたということです。来年も引き続き公募が行われ、最終的には100件を認定したいという話でした。
小諸ふるさと遺産シンポジウム.JPG
 ポン太は明日からしばらく、遠方を徘徊してまいります。そのため、次のブログ更新まで間隔が開いてしまうと思いますがご容赦ください。

落葉松(からまつ)渾身の輝き

 浅間山麓を象徴する樹木といえば落葉松です。可愛らしい芽吹き、黄金色の紅葉、すっかり葉を落とした後の樹形のすばらしさ。一年を通して見応えがあり、もしこの木がなければ、当地の景観はまったく異なるものになっていたと思われます。
 北原白秋の詩にも「からまつの林を出でて、からまつの林に入りぬ」とあるとおり、浅間山麓のどこを歩いても落葉松林の中に入ってしまうほど、ごくあたりまえの存在です。しかし、白秋は落葉松を爽やかな高原風景の象徴としてとらえていたわけではないようです。「からまつをしみじみと見き。からまつはさびしかりけり」とあるように、哀愁漂う存在として描いています。たしかに、葉がたくさん茂っている季節の樹下は薄暗く、陰鬱な印象を受けてもおかしくありません。一方、晩秋に、はらはらと葉が舞い散る様子を眺めていると、いよいよ厳しい冬が来るのだという、物悲しい気分にさせられます。
 それでも、全身を黄金色に染めて散る落葉松の美しさには目を見張るものがあり、ポン太は大好きです。落葉松の紅(黄)葉は浅間山麓のどこでも見ることができますが、とりわけすばらしい景観の1つといえるのが、「長野牧場」の落葉松並木です。今秋の最後を締めくくる黄金色の輝きをカメラに収めてきましたのでご覧下さい。 

 牧場の中を貫く黄金の道。家の近くであれば、ウォーキングコースにしたいところです。
DSCF7309.JPG
 整備された圃場と落葉松林。みごとなコントラストです。
DSCF7311.JPG
 落葉松の後ろに噴煙をあげる浅間山。これも「長野牧場」ならではの景観です。
DSCF7301.JPG
 圃場の土の手入れでしょうか。落葉松並木の脇をトラクターが忙しく動き回っていました。
DSCF7318.JPG
DSCF7323.JPG
 背景の山は平尾山です。中央部に見えているパラダスキー場は、オープンまであとひと月足らずとなりました。秋から冬へ、せわしいバトンタッチです。
DSCF7303.JPG
 こんなちび助も黄金色に輝いていました。
DSCF7372.JPG

忙しい秋

 田舎暮らしはのんびりしたもの、というイメージをお持ちの方が多いかと思いますが、それは誤りで、年中忙しいというのが実感です。季節の変化に合わせてしなければならないことが実に多いからです。
 とりわけ晩秋は忙しい季節といえましょう。例えば、クルマのタイヤを冬用に代えたり、降り積もる落ち葉を始末するといったことは必ずやらねばなりませんし、収穫が終わった後の家庭菜園の土の手入れも必要です。来春に備えて球根を埋めたり、花の苗を入れ換えたりといった花壇の手入れもあります。
 自家製の食べ物づくりにも取り組まねばなりません。定番は、干し柿、リンゴジャム、乾燥芋、甘酒、野沢菜漬けといったところです。そんなものをつくるから忙しくなってしまうのでは、と思われるかもしれませんが、一旦自家製を口にしてしまうと、もう市販のものには戻れません。それぐらい違いがありますし、材料から製造過程まですべて自分で把握できるので、安心感もあります。
 そろそろ野沢菜漬けに取り組まねばと、近くの農産物直売所へでかけました。新鮮で大きさもちょうど良さそうな野沢菜の束をみつけ、手に取ろうとした瞬間、「それ、私が買いましたよ」というおばさんの声。それではと、その束の下の方に手をのばすと、「それも全部私のです!」。なんと棚の野沢菜すべてが売却済みで、おばさんが去った後には一束も残っていませんでした。えっえっ!という感じですが、ポン太のように一束だけ買うケースは稀で、少なくとも数束は買う(それだけたくさん漬ける)のが普通なので、店頭に山のように積み上げられた状態でも、あっという間に無くなってしまうのです。負けてはならじとその翌日、少しはやい時間にでかけてなんとか入手しました。
 次はリンゴです。直売所よりさらに安いのが、農協の共撰場などで行われる「○○祭り」。チラシをみて佐久浅間農協の「サンふじ祭り」にでかけ、美味しそうなリンゴを大量にゲットしました。こうした果実争奪戦への参戦も忙しいですし、入手したらしたで、ジャムづくりにも結構な時間と労力が必要です。というわけで益々忙しくなってしまう秋なのです。

 浅間山麓の野沢菜の畑です。他の野菜の収穫がほとんど終わってしまったので、野沢菜の緑が際立ちます。
DSCF7364.JPG
 野沢菜の収穫風景です。一株ずつ丁寧に収穫し、束にしていく様子がうかがえました。
DSCF7367.JPG
 ポン太がゲットした野沢菜の束です。およそ4キロあり、わが家の需要からすれば、多すぎるほどの量ですが、この束を数束、多い人は10束以上買っていきます。それだけの量を樽に漬ける手間は大変だと思いますが、年中行事になっているのでしょうね。
DSCF7330.JPG
 よく洗って、適当な大きさに刻んだ状態がこれです。これを樽に入れ、醤油、酢、みりん、砂糖、昆布、鷹の爪を入れて漬け込めば、野沢菜の美味しい醤油漬けができあがります。昨年は塩漬けもつくったのですが、こちらの方が美味しい(これは好みの問題でしょうが)ので、今年つくるのはこれだけです。
DSCF7360.JPG
 リンゴは今が旬。こんなチラシを見てしまったら出かけないわけにはいきません。
DSCF7333.JPG
「サンふじ祭り」の開始時間である8時に会場に着きましたが、駐車場はすでにこの状態。人気ぶりがうかがえます。
DSCF7334.JPG
 美味しそうなリンゴが目に飛び込んできました。これは贈答用コーナーなので値段はやや高め。ねらうは「家庭用」のリンゴです。
DSCF7338.JPG
 なんだなんだこの列は。最後尾に並んでみると、千円でリンゴ詰め放題のコーナーでした。これはフィーバーしますね。
DSCF7345.JPG
 中を覗いて見ると、皆さん奮闘中。
DSCF7351.JPG
 おっ、おっ、奮闘の甲斐あってたくさんゲットしたようですね。
DSCF7352.JPG
 リンゴ祭りなのに、なぜか「わかめ」の詰め放題コーナーがあり、そちらでもフィーバーしている人がいました。
DSCF7355.JPG
 来場者には「きのこ汁」と牛乳のサービスがありました。試食用のリンゴをたくさん食べ、かなりの量の「きのこ汁」と牛乳でお腹がいっぱいになってしまい、この日の朝食は不要に。お得感いっぱいの「サンふじ祭り」でした。 
DSCF7353.JPG


残っていた紅葉

 ブログを始めてから2年半になりますが、こんなに更新間隔が開いてしまったのは初めてです。その理由は、1週間ほど家を離れ、古巣の多摩地域に滞在していたこと。昔の職場の同僚との集いや学校の同期会等、様々な行事が目白押しで、そうせざるを得なかったからです。
 浅間山麓の紅葉が盛りを過ぎたころに家を出ましたので、もどってくるころには、モノトーンの冬枯れた景色に変わっているのではと覚悟しておりました。いつもの年であれば、間違いなくそうなります。しかし、今年はちょっと違いました。季節の変化が異常に遅いのです。
 家のまわりの樹木の半分以上が葉を落としてはいたものの、まだ色づいた葉を残している木々も多く、それなりにきれいです。テレビのローカルニュースを見ましたら、なんと小諸の懐古園の紅葉は今週いっぱい楽しめそうだということですし、軽井沢ですらスケートをしながら紅葉を楽しむ人々の様子が映し出されていました。
 なんだか得をしたような気分になり、早速、家の周辺を歩き回ってしまいました。名残の紅葉と忍び寄る冬の気配。華やかさと寂しさが交錯する晩秋風景をこんなに遅くまで楽しむことができるとは、盗人ならぬ「温暖化」にも三分の理かもしれません。


 水辺(御影用水)の木々はすっかり落を葉したとおもいきや、まだこれだけの「色」が残っていました。
水辺の紅葉も最後.JPG
 葉の量が少し寂しくはなりましたが、最後の輝きをみせる落葉松です。
水辺も晩秋.JPG
 わが家の近くの散歩道も、まだ赤い色がちらほら残っていました。
散歩道の晩秋.JPG
 この時季は、落ち葉掃きが日課ですが、これはまだ序の口。
落ち葉掃き.JPG
 中山道から見た浅間山です。先週初冠雪が観測されたそうですが、すぐに溶けてしまったようで、雪はまったく残っていません。
中山道からみた浅間.JPG
 中山道も場所によっては紅葉がまだ残っていました。
中山道最後の紅葉.JPG
 レタスやキャベツの畑はすっかり収穫が終わり、晩秋の風景になりました。シルエットになっているのは蓼科山です。
収穫の終わった畑と蓼科.JPG
 このブロッコリー、収穫し忘れたのか、それとも何か意図があって残したのでしょうか。浅間山麓の農産物といえば、レタスやキャベツといった高原野菜が有名ですが、ポン太の一押しはブロッコリーです。少し寒さが増したころに収穫されたものは特に味が濃く、美味しいこと比類無しといっても過言ではありません。
ブロッコリーと浅間.JPG
 こちらは御代田町の「かりん通り」。見上げるとかりんの実がたくさんついていました。右手の柵の後ろでは、ツルヤ御代田店の改築工事が進行中です。
カリン通りの秋.JPG
 道路に落ちている実も多いのですが、クルマに轢かれてはもったいないですね。かりんのはちみつ漬けは、ノドによいと言われているので、わが家でも毎年つくることにしています。
落ちたカリン.JPG
 国道18号から浅間サンラインに通じる道を進むと、前方から浅間連峰の紅葉が波のように迫ってきますが、その波もいよいよ最後です。
普賢山落付近の道路と紅葉.JPG
 こちらは御代田町と佐久市の境をなす「ふるさと大橋」です。ここからの浅間山も見応えがあります。
ふるさと大橋からみた浅間.JPG
 今年も柿すだれをつくりました。出かける前に吊していったのですが、よい感じにしぼんできました。
柿すだれ.JPG
 わが家の裏庭のモミジです。これだけみごとに紅葉するモミジはわが家でも稀。しかもこの時期まで鮮やかな色を保っていてくれたとは、モミジさん待っていてくれて本当に有り難う、という気分になりました。
裏庭の紅葉.JPG

里に降りてきた紅葉

 標高の高い山から始まった紅葉が、いよいよ里に降りてきました。佐久平や小諸あたりの紅葉が見頃になり、軽井沢やその周辺では、錦秋のフィナーレを飾る落葉松の紅(黄)葉が始まりました。足元の落ち葉の量も多くなり、足を踏み出す度にかさこそと鳴る音に、秋の深まりを感じるこのごろです。
 朝晩の冷え込みが一段と厳しくなり、ポン太の散歩エリアでは、ほぼすべての木々が色づきました。ドラえもん風にいえば、「どこでも紅葉」です。家の近くを歩くだけでも満足度は高いのですが、佐久平の長野牧場や駒場公園、小諸の懐古園の様子も見たくなり、ひとまわりしてきました。やはり、寒暖の差が大きくなればなるほど色づきは良くなるということがよくわかります。あっという間に鮮やかな色彩となった里の紅葉をカメラでスケッチしてきましたので、アップすることにします。

 紅葉、山から里に降臨す。まさにそんな感じで、どの家の庭も赤や黄色に彩られています。
紅葉、山から里に降臨す.JPG
 いつもの水辺(御影用水)周辺も、落葉松が色づくとだいぶ雰囲気が変わります。
DSCF6706.JPG
 紅(黄)葉する樹木としない樹木が重なりあって夕陽を浴びている姿も風情があります。
DSCF6724.JPG
 こちらでは、ほとんどの樹木が紅葉していました。
DSCF6722.JPG
 犬の散歩も気持ちよさそうです。
DSCF6717.JPG
 紅葉した木々の後ろに見えるのは平尾山です。
DSCF6746.JPG
 浅間の紅葉が里に押し寄せてきている、そんな感じです。
DSCF6742.JPG
 モミジの紅葉も最終盤。散るモミジも散ったモミジもきれいです。
DSCF6731.JPG
 こちらは佐久平の通称長野牧場です。紅葉した白樺のむこうに噴煙をあげる浅間山。これぞザ・佐久といった風景ではないでしょうか。
DSCF6777.JPG
 去年、あれっ、桜が咲いていると驚いたカンザクラが、今年も咲いていました。
カンザクラ.JPG
 たくさんの山羊のおでましです。天気がよいので気持ちよさそう。
DSCF6765.JPG
 長野牧場の隣には、佐久のカルチャーゾーンである駒場公園があります。こちらの紅葉もみごとでした。
DSCF6785.JPG
 このモミジ回廊の先にあるのが、佐久市近代美術館です。
DSCF6786.JPG
 中央図書館も紅葉に包まれていました。ここには、講演会、展示会、サークル活動等に使用される佐久創造館や体育館、温水プール、テニスコート、野外劇場など、ひととおりのものが揃っています。さまざまなイベントが行われ、一昨年、御嶽海の握手会があったのもここでした。がんばれ御嶽海!
DSCF6789.JPG
 小諸の懐古園にやってきました。駐車場の脇に保存されているC56形蒸気機関車(かつて小海線で使用)が紅葉に囲まれていました。園内はさぞかしと期待感が高まります。
もみじの中のC56.JPG
 やはり古城の石垣と紅葉はよく似合います。
DSCF6814.JPG
 紅葉名所だけあって、どこを見ても色が鮮やかです。いつもは静かな園内ですが、この季節ばかりは大勢の人で賑わっていました。
DSCF6839.JPG
 紅葉に包まれた茶店に掲げられた「ひやしあめ」の赤い布。一瞬、京都あたりに来てしまったような気になりました。
DSCF6845.JPG
 紅葉もいろいろな楽しみ方があるようで、フィギュアを飾って写真を撮る人や、コスプレでポーズを決めている人もいました。
DSCF6830.JPG
 この日は「草笛教室」が開かれていて、模範演奏でしょうか、見事な音色が園内に響いていました。
DSCF6842.JPG 
 天守台からは浅間連峰がよく見えます。園内も園外も紅葉に包まれた懐古園。見頃の時季に足を運ぶことができて満足しました。
DSCF6864.JPG

台風の爪痕その後―布引電気鉄道の橋脚は健在

 大きな爪痕を残した台風19号が去ってからおよそひと月が経過し、鉄道関係の復旧はかなり進捗しました。飯山線と小海線はすでに全線での運転を再開しており、長野県内の鉄道路線で不通区間が残っているのは、しなの鉄道しなの鉄道線と上田電鉄別所線の2線のみとなりました。
 しなの鉄道線は、その上を跨いでいた(市道の)海野宿橋の一部が崩落したことにより、安全確保が難しいということで、田中~上田間の運転を見合わせているわけですが、千曲川護岸の応急工事が14日ごろには完了の見通しとなり、安全が確認できれば、来週中にも運転が再開されるということです。
 上田電鉄別所線は、千曲川橋梁の橋桁の一部が落下したため、現在、下之郷~別所温泉間のみ本数を減らして運転しています。報道によれば、16日には千曲川対岸の城下まで運転を再開できる見通しとなり、残る不通区間は城下~上田間0.8キロのみとなります。同区間には代行バスが運転されるようですし、上田から城下へは徒歩で行くことも可能ですから、沿線地域への足の便はとりあえず確保されることになります。しかし、橋桁の一部が落下した千曲川橋梁の復旧には、浸食された千曲川左岸の堤防の復旧工事が前提となるため、全線の運転再開までには相当な時間を要するものと思われます。
 現役の鉄道だけでなく、産業遺産としての価値を有する廃線跡の橋脚や橋台が流されてしまったのではないかとポン太は心配しておりました。小諸市の「ふるさと遺産」に認定されている布引電気鉄道の橋脚(1本だけ残存)もその1つですが、現地に出かけて確認したところ、幸いなことに、以前のままの姿で、河原に立ち続けていました。しかし、布引観音側の橋台は後方の護岸が崩れており、道路の復旧工事とのからみで、残置されるかどうかは不透明です。

 しなの鉄道線を跨いでいた海野宿橋(市道)の崩落箇所です。線路の真上の部分は崩落していませんが、全体が不安定となり、安全面で問題があるため、列車が通過することはできません。
海野宿橋崩落箇所.JPG
 千曲川右岸の護岸が失われ、海野宿(右手の森の裏側)入口の公共駐車場も流されてしまいました。伝統的建造物群保存地区に指定されている海野宿の街並みは無傷ですが、アクセス道路が崩落(反対側から到達することは可能ですが道がわかりにくい)したことで、観光客が激減し大打撃を受けています。
海野宿入口付近の被災状況.JPG
 上田電鉄別所線千曲川橋梁の落下した橋桁です。橋台があった堤防が崩れてしまったため、復旧は簡単ではありません。
落下した千曲川橋梁の橋桁.JPG
 上田側からみた鉄橋の全景です。落下した1箇所以外の橋桁(橋脚も)は無傷のようにみえます。
上田電鉄千曲川橋梁.JPG
千曲川橋梁.JPG
 千曲川橋梁から上田側の線路を見たところです。架線は失われていますが、それ以外は特に損傷はないように見えます。橋梁さえ復旧できれば、運転再開に支障はないような気がします。
千曲川橋梁付近から上田側をみる.JPG
 かつて小諸~島川原間(7.6km)を走っていた布引電気鉄道。廃線から80年以上が経過し、当初は4本あった橋脚のうちすでに3本が失われ、1本だけが残っていました。地元の有志が「歴史的遺産を守る会」を立ち上げ、このような標識を設置したようなのですが、その先は流木が散乱していて、果たして到達できるのか心配になりました。
橋脚入口の標識.JPG
 なんとか河原に降りてみると、おぉ、ありました。あの濁流に耐えてよくぞまあと、ほめてやりたい気分になったポン太でした。
布引電気鉄道の橋脚.JPG
 小諸側の橋台も健在でしたが、ひっかかっている木の枝の様子から想像しますと、橋台の上あたりまで水が来たようです。
小諸側の橋台.JPG
 対岸を見て驚きました。布引観音側の橋台の後ろがえぐられ、道路のガードレールが折れ曲がって落下しています。水の勢いがいかにもの凄いものであったのかわかります。この道路の先の千曲川左岸はかなり浸水したようです。一部が残っていた布引駅ホームがどうなっているのかはわかりませんが、無事を祈るのみです。
背後が崩れた布引観音側の橋台.JPG
 布引電気鉄道の押出駅跡にこのような説明板が設置してありました。今回の台風被害にめげずに、ぜひこの活動を継続して欲しいものです。
布引電気鉄道説明板.JPG

今年の紅葉は細く長く

 四季の移ろいを身近に感じられること、それこそ田舎暮らしの醍醐味の最たるものではないでしょうか。とりわけ、木々が最後の輝きをみせる紅葉は、それをたっぷり味わうことなしに冬をむかえるわけにはいかない、そんな思いにさせられます。
 今年の紅葉の進み方はいつもよりずいぶん遅い、そんな声をあちらこちらで耳にします。これは全国的な傾向のようですが、秋になっても気温が下がらず、あれだけ雨が降れば、木々が反応してしまうのはやむをえないことでしょう。
 ここ浅間山麓でも、1週間から10日ほど紅葉の進み具合は遅いように感じます。すでに「紅葉まつり」が終わってしまった軽井沢でも、まだ見頃状態が続いていますし、小諸の懐古園はようやく見頃になったばかりという状況です。
 一部の木々の紅葉が始まったのは例年とそれほど変わりはなく、それ以降、五月雨式に紅葉が進んできたような感じで、地域全体が一気に極彩色に染まるというようなことにはなっていません。そのため、華麗な綾錦とは言い難いのですが、その分長く楽しめるというのが今年の紅葉の特色でしょうか。
 現時点では、モミジやカエデは標高700~1000m前後の地域が見頃です。浅間山麓で人の住んでいるエリアにほぼ該当しますから、まち中のどこを歩いても赤や黄色の綺麗な紅葉を楽しむことができます。一方、黄金色に染まる落葉松の紅(黄)葉は、いまのところ標高1300~1500m前後の山中が中心です。残念なことに、山岳道路の一部は、台風19号による土砂崩れ等で通行止めになったままのところがあり、例年同様の眺めを楽しむことができない場所もあります。
 定番のスポットからご近所の紅葉まで、ポン太の見たここ数日の浅間山麓の紅葉状況をご紹介することにしましょう。

 まずは軽井沢から定番の雲場池です。池の両岸とも綺麗に色づいた、まさに見頃な状態が続いています。
雲場池紅葉真っ盛り.JPG
 池の北側からも見事な紅葉が楽しめます。
雲場池の奥.JPG
 池の畔から少し離れたところのモミジも美しく紅葉していました。
雲場池近くの紅葉.JPG
 こちらは星野エリア。紅葉に包まれた「トンボの湯」です。
トンボの湯前の紅葉.JPG
 台風で増水し、濁っていた湯川も元の清流にもどりました。
湯川のほとり.JPG
 星野温泉のまわりの森も色鮮やか。
星野温泉付近の紅葉.JPG
 追分宿とその周辺も紅葉が見頃になっています。おどろくほど人が少なく、静かな散策を楽しみたい人には、一押しです。
追分宿中心部.JPG
 中山道20番目の宿場にして、中山道最高所の宿場でもある追分宿。風情があります。
宿場の秋.JPG
追分宿の秋.JPG
 中山道(左)と北国街道(右)が分岐する「分去れ」も紅葉真っ盛り。
分去れの紅葉.JPG 
 宿場内の古刹、泉洞寺の山門です。山号はその名も浅間山。モミジの似合うお寺です。堀辰雄はこの周囲を好んで散策した由。
泉洞寺山門のモミジ.JPG
 鐘楼も趣きがあります。
鐘楼のモミジ.JPG
 境内にこんな地蔵尊があるのを見つけました。京都や鎌倉なら、「カワイイ~」と大評判になるかも。こちらは訪れる人も少なく、もちろん騒いでいる人などいません。
縁結び地蔵.JPG
 翻訳者の縁で、追分宿にはこんな像もあります。ホームズ先生も日本の紅葉を堪能されているようですね。おや、何か見つけましたかな。
ホームズと紅葉.JPG
 手前側が江戸、向こう側が京へと通じる中山道です。参勤交代で江戸へとむかう大名行列が現れてもおかしくない雰囲気。旧街道には歴史が染み込んでおり、ふつうの道とはひと味違う気分を味わうことができるのです。
追分宿の紅葉①.JPG
 信濃追分駅も秋色に包まれていました。しなの鉄道の田中~上田間は、市道の橋梁に崩落の恐れがあるため、今も不通です。軽井沢~小諸間は多少の間引きはあるもののほぼ通常ダイヤ通りに運転されています。
信濃追分駅の秋.JPG
 次はポン太の家のご近所や、散歩でよく通る身近なエリアの紅葉です。路地をちょっと曲がったところにも、こんな見事な紅葉シーンがありました。
道路際の紅葉.JPG
 近くの家の庭のモミジがあまりに綺麗なので、足をとめて眺めてしまいました。
ご近所のモミジ.JPG
 ポン太の庭だって負けてはいません。大木はありませんが、色づきのよいモミジはたくさんあります。
わが家の紅葉.JPG
 御代田町の龍神の杜公園です。紅葉を眺めながらランチを楽しんでいる人をよく見かけます。
龍神の杜公園の紅葉.JPG
 龍神の杜公園からは浅間山がよく見えます。中腹あたりの色が暖色系に変化してきており、紅葉が山を下っている様子がわかります。
龍神の杜からみた浅間山.JPG
 御代田町の雪窓公園も秋色に染まっていました。
雪窓公園の紅葉.JPG
 雪窓公園前の街路も秋たけなわといった感じです。
御代田の街路の紅葉.JPG
 少し標高の高いところへ落葉松の紅(黄)葉を見にでかけてみましたら、高峰高原へ通じる通称チェリーパークラインが通行止めになっていました。不通になったという話は人づてに聞いていたのですが、通行止め状態が今も続いているとは思いませんでした。市道のせいか、道路情報を検索しても、この道路の現状や復旧見通しなどはほとんど出てきません。高峰高原へ出かけようとやってきてがっかりした人も多いはずです。著名な行楽地なのですから、情報伝達をもっとしっかりやって欲しいですね。
高峰高原チェリーパークライン通行止め.JPG
 湯ノ丸高原はどうかと、東御市から地蔵峠をめざしました。こちらは通行可能ですが、地蔵峠から先の群馬県側は全面通行止めで、鹿沢温泉方面に通りぬけることはできません。これも知らずにやってきて困っている人がいました。観光地にむかう道路がどうなっているのか、各県の観光サイトなどで、もっと積極的に情報を流して欲しいものです。不通情報を流すと行楽客が来てくれなくなると思っているのかもしれませんが、それは不親切というもの。正しい情報が伝われば、それなりに道を選んで来てくれるはずです。
群馬側通行止め/地蔵峠.JPG
 長野県側から湯ノ丸高原へ行くことはできます。これぞ秋山といった感じの、黄金色に染まった落葉松林が続きます。
地蔵峠への道.JPG
 日の光を浴びた山の斜面は黄金色一色です。
湯ノ丸高原の落葉松の紅葉.JPG
 地蔵峠より標高の高いところでは落葉松はすでに葉を落としていました。池ノ平湿原の鏡池のまわりには草紅葉が残っていましたが、散策している人はほとんどおらず、静かに冬を待つだけ、といった風情でした。
静寂な鏡池.JPG
 池ノ平から見晴岳に登ると、すでに雪がつきはじめた北アルプスの大展望が待っていました。足元の黄金色の落葉松と遠方の雪山、秋と冬とがコラボしている景観を楽しむことができるのは、この時季ならではです。
落葉松の紅葉と雪の北アルプス.JPG
 
 

別所線を復興のシンボルに

上田電鉄別所線(上田~別所温泉)は、国鉄信越本線由来のしなの鉄道を別にすれば、東信(東信州)地方に現存する唯一の私鉄路線です。1921(大正10)年の開業時は、別所温泉電軌という名前で、千曲川対岸の三好町(現・城下)が起点でした。1924(大正13)年に千曲川橋梁が完成したことにより上田までの全線が開通したのです。
 モータリゼーションの進行等により乗客が減少し、廃線の危機に陥ったことが何度もありましたが、地元の支えと会社自身の努力により、今日まで営業を続けてきました。ところが、先般の台風19号により千曲川橋梁の橋桁の一部が落下し、いまもこの橋梁を含む上田~下之郷間が不通のままです。1年後をめどに全線復旧をめざしているということですが、経営事情の厳しい上田電鉄にとって、多額の復旧費用が極めて重いものであることは間違いありません。
しかし、別所線の復旧は単なる復旧以上の価値があるように思います。三陸鉄道が東日本大震災からの復興のシンボルであったように、台風19号で甚大な被害を受けた千曲川流域にとって、まさにその台風によって落下した千曲川橋梁を架け直し、再び電車を走らせることは、復興のシンボルとして大きな意味をもつのではないでしょうか。あらゆる手立てを尽くして、運転再開を果たして欲しい。そう思います。
 幸いなことに、地元住民や別所温泉組合等、この電車の復旧を支援しようという輪が広がりつつあるようですし、上田市も積極支援に前向きということです。各方面の努力が実を結び、一日もはやく全線復旧が成就して欲しい。そんな願いを込めて、別所線の新旧の写真をここにアップすることにします。ご覧いただければ、これほど魅力的な路線を無くすわけにはいかない、きっとそう思うはずです。がんばれ別所線! 負けるな別所線!

 まずは地上線時代の別所線上田駅の風景から。国鉄線の南側に隣接してホームがありました。モハ5372(モハ5370形)が停車しています。(1986年3月27日撮影)
830107上田交通/モハ5372?上田駅004.jpg
 元東急5000系の中間車を先頭車(制御車)に改造した車両(クハ290形)が用いられていた時代もありました。(1984年8月4日撮影)
840804上田交通別所線の元東急5000系/上田駅.jpg
 高架化された現在の上田駅です。1986(昭和61)年10月1日、架線電圧が750vから1500vに昇圧され、「丸窓電車」などの旧形車両が一掃されました。現在使用中の車両はすべて東急からやってきたステンレス車両ですから、一見したところ、東急の支線のように見えます。
171015上田電鉄上田駅.JPG
 発車すると間もなく千曲川の橋梁を渡ります。台風19号により、この鉄橋の一番奥(別所温泉側)の橋桁が落下してしまいました。
101226別所線千曲川橋梁.JPG
 上田市民の山として親しまれている太郎山をバックに快走する別所温泉行電車です。車両は長野電鉄から譲り受けたモハ5260形のようです。(赤坂上~三好町間、1986年3月27日撮影)
860327太郎山を背に快走/赤坂上~三好町002.jpg
 車両基地があったころの上田原の風景です。かつては青木線が分岐していました。(1986年3月27日撮影)
860327上田交通別所線上田原 (3).jpg
 別所線といえば、かつては大正ロマン(製造されたのは昭和になってからですが)の香りを漂わせた「丸窓電車」が有名でした。大学前~下之郷間を行く丸窓電車モハ5252(モハ5250形)です。(1983年1月7日撮影)
830107丸窓電車モハ5252上田交通/大学前~下之郷003.jpg
 丸窓電車の車内はこんな感じでした。(1986年3月27日撮影)
860327上田交通丸窓電車車内.jpg
 下之郷付近の秋の夕暮れ時の風景は、レトロな電車にぴったりでした。(1983年1月7日撮影)
830107上田交通/下之郷002.jpg
 下之郷には有名な生島足島神社があります。これは7年に1度の「御柱(おんばしら)祭」で賑わう下之郷駅の風景です。(2010年4月18日撮影)
IMGP4365.JPG
 これがその「御柱祭」の様子です。御柱といえば諏訪地方が有名ですが、こちらの御柱祭も見応えがあります。次回は2022年に開催されます。
IMGP4399.JPG
 別所線にはレトロで雰囲気のよい駅舎がいくつも現存しています。これは大正10年の開業時に建設されたという、実にモダンな中塩田駅(開業時の駅名は五加)です。(2011年10月26日撮影)
中塩田駅②.JPG
 今は使われていない木製の改札口がそのまま残されています。(同上)
111026中塩田駅⑧.JPG
 都会風のステンレス車両(元東急の1000系)と周囲ののどかな風景が、ミスマッチのようにも見えますが、これが今の上田電鉄風景です。(同上、中野~舞田間)
111026中野~舞田間.JPG
 舞田駅も風情がありました。ホームの上屋は建て直され、現在はこの姿ではありません。(1986年3月27日撮影)
860327上田交通モハ5271舞田駅にて003.jpg
 舞田~八木沢間を行く元東急7200系の丸窓風電車(まるまどりーむ号)です。(2011年10月26日撮影)
111026舞田~八木沢間.JPG
 八木沢駅は昔と変わらない姿を留めています。(2017年10月15日撮影)  
レトロな矢木沢駅舎.JPG
 駅舎内の待合室もレトロなよい雰囲気です。(同上) 
171015八木沢駅待合室.JPG
 緑一色の田園風景の中を、丸窓電車(モハ5250形)と元東急5000系(クハ290形)がペアを組んで走って行く姿は絵になりました。(1985年8月22日撮影、八木沢~別所温泉間)
850822上田交通/別所温泉付近016.jpg
 40‰の急勾配を登りきって、別所温泉駅に到着する直前の風景です。車両は変わりましたが、この風景はいまも同じです。(1984年8月4日撮影)
840804別所温泉に到着する上田交通5261.jpg
 往時の別所温泉駅風景です。基本的には今も同じ姿です。(1975年7月20日撮影)
750720上田交通別所温泉駅にて004.jpg
 今は着物に袴姿の観光駅長さんがむかえてくれます。
DSCF4943.JPG
 別所温泉の駅舎も昔のまま。レトロなその姿には、何度訪れても親しみを感じます。桜の季節はご覧のとおりのすばらしさです。
090416桜咲く別所温泉駅.JPG
 駅舎内もこの雰囲気。降りてみたくなりませんか。
171015別所温泉駅舎内部.JPG

とまれかくまれ紅葉

 浅間山麓の紅葉は着実に進んでおり、軽井沢やその周辺では、すでに見頃になったところもあります。あと数日でピークをむかえ、11月の初めまで紅葉を愛でることができそうです。
 台風の爪痕が残る中で、紅葉狩りなんてと思われる方も多いと思いますが、自然は時に粗暴で猛威をふるうこともあれば、豊かな恵みや美しい景観を与えてくれるものでもあります。紅葉は後者の典型です。信州の場合、秋の行楽の目玉商品のようなものですから、誰も見に来てくれないと、地域経済には大打撃です。多くの旅館やホテル、温泉施設等は平常通り営業していますし、山の紅葉の鮮やかさはいつもと変わりません。行楽に訪れ、泊まったり食べたり温泉に入ったりすることこそが、復興支援になるわけです。ぜひ訪れて欲しい、観光業者でもなんでもない、森のポンコツタヌキもそう思います。
 幸いなことに、上信越道の不通箇所は10月23日に解消されました。また、25日には北陸新幹線が全通し、多少の減量ダイヤではあるものの、北陸方面とも行き来ができるようになります。
 以下は浅間山麓の紅葉の今です。お出かけの参考にしていただければ幸いです。

軽井沢駅前の紅葉です。街路樹の紅葉はまだこれからです。
DSCF6110.JPG
旧軽井沢ロータリー近くの木々もみごとに色づいています。
DSCF6108.JPG
紅葉を眺めながら食事をしたり、カフェでくつろいだりできるのはこの季節ならでは。
DSCF6109.JPG
旧軽井沢銀座通りの紅葉です。あまりに鮮やかなので、つくりものではないかと思ってしまいました。
DSCF6094.JPG
紅葉名所の雲場池周辺も色づいています。例年と比べると紅葉の進み具合が遅いような感じなので、11月上旬まで楽しめそうです。
DSCF6086.JPG
雲場池の奥の方はこんな感じです。台風の影響か池畔の西側の遊歩道が通行不可になっていますが、そこを通らなくても池の端まで行くことができます。
DSCF6093.JPG
9月にオープンしたころは、緑一色だった御代田町の浅間国際フォトフェスティバル(PHOTO MIYOTA)の会場ですが、背景となる木々が色づいて作品の印象も変わってきました。
DSCF6073.JPG
これは昔の家族写真を利用して、撮影者本人の昔と今をコラボさせた作品ですが、色づいた木々の中で眺めると、時の流れや懐かしさをより一層感じます。
DSCF6077.JPG
こちらは「黄河」をテーマにした淡いトーンの作品で、ポン太が気に入ったものの1つです。背景に夕陽を浴びた黄葉があることで、訴えるものが強調されたような気がします。
DSCF6078.JPG
建物を覆う蔦が、真っ赤に色づいて、まるで作品の一部であるかのよう。
DSCF6072.JPG
わが家のまわりでも紅葉が進行中。春は花を楽しんだウワミズザクラが見事に紅葉しました。
DSCF6117.JPG
すべて収穫し終わったポン太の菜園も紅葉に包まれつつあります。
DSCF6120.JPG