タヌキの雛祭り

 スーパーのチラシで知りぬ雛祭り 
 昨日は、桃の節句=雛祭りでしたが、川柳風に表現すれば、このようでした。子供たちが小さかったころは、わが家でも雛人形を飾り、それなりのご馳走を食べるなど、一大行事でしたが、今は昔です。それでも、例年ですと、浅間山麓では「北国街道小諸宿のお人形さんめぐり」といったイベントが開催され、雛祭りの季節がやってきたことを意識することはできました。今年は、コロナ禍で中止となり、雛祭りの文字やイラストを見るのは、スーパーのチラシの中だけというわけです。
 何もしないという選択肢もあったのですが、そのチラシに誘われて、「桜餅」と「ひなあられ」を購入し、ティータイムに食しました。桜餅には、小麦粉の薄い生地で餡を挟んだ関東風と、もちもち感のある「道明寺粉」で餡を包んだ関西風があります。当地のスーパーでは、両者がほぼ同じ比率で売られていますから、桜餅に関しては、東西折衷の文化圏といえそうです。生まれも育ちも関東のポン太ですが、桜餅は関西風の方が好みです。塩気のある桜の葉と、道明寺粉に包まれた餡の甘さとが、実に良く調和し、口の中に春がやって来たような気になりました。
 家のまわりで咲いている花はまだありませんが、春の雰囲気は随所に感じられます。花壇でははやくもチューリップが芽を出しています。ダンコウバイの花芽もかなり膨らんできました。例年よりはやくレタスの植え付け準備に入った畑も目につきます。
 春を迎えたこと自体はうれしいのですが、厳しい冬を乗り越えたという実感がないまま暖かくなってしまって良いのだろうかと、不安にもなります。温暖化が蝕む地球。このまま経済成長を追い求めていけば、地球環境が人類の生存を脅かす危機的状況に陥るのではないか。そんな論考を読んだばかりなので、ポンコツダヌキといえども、少々考え込んでしまいました。

 タヌキだって雛祭りじゃ。
タヌキの雛祭り.JPG
 ダンコウバイの花芽がこんなに膨らんでいます。
ダンコウバイの花芽.JPG
 落ち葉の下から顔をだしたチューリップの芽です。例年より2週間以上はやいように思います。
チューリップの芽.JPG
 レタス畑では、植え付け用のマルチシート張りが始まりました。後方の山は、いつも登っている平尾山です。
畑始動.JPG
 畝づくりもシート張りも機械でやっているので、あっという間に景色が変わります。
マルチシート敷マシーン.JPG
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 浅間の雪も少なくなり、暖かさを感じる風景です。
春めいた風景.JPG
 背後の北アルプスの山々は真っ白ですが、集落のまわりには、すでに春が来ているように見えます。
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 例年ですと、小諸では「お人形さんめぐり」のイベントが行われるのですが、今年はありません。これは3年前に撮影した写真です。(以下同様)
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 店内に飾られた雛人形です。
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 骨董品店もご覧のとおりです。展示品なのか販売品なのかわかりませんね。
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 こちらは江戸時代(享保)の雛人形ですが、これだけのボリュームがあると圧倒されます。
ほんまち町屋館の享保のお雛様.JPG
 昔懐かしい「昭和の雛人形」です。実際に見に行った時には、珍しくもない雛人形を並べただけの、月並みのイベントのように思ったのですが、この季節にはやはりこういうイベントが必要なのです。
昭和のお雛様.JPG

ヤマノマスク

 山火事が多発しています。栃木の山火事はいまだ鎮火のメドが立たない状態ですから、地域住民の不安はいかばかりでしょうか。発端はどうやらハイカーによるタバコのポイ捨てらしいのですが、わが家の目の前の草むらでも、ポイ捨てされた吸い殻を見かけることがあり、ひやりとさせられます。大都市圏では、市区が独自に定める「ポイ捨て禁止条例」や「歩きたばこ禁止条例」などがあり、それなりの規制がなされています。ところが、山火事の危険性が最も高い田舎の方が、野放し状態というのはいかがなものでしょうか。枯れ草だらけの山中や、建築現場でも、平気でタバコを吸っている人がいます。吸い殻をどう処理したかまで見届けるわけにもいかず、ハラハラするばかりです。
 ハラハラするといえば、コロナの感染防止対策として、大半の方がマスクを着用していると思いますが、その性能(効果)には、素材によって大差があると報じられています。飛沫防止効果が最も高いのは不織布製で、布製はそれよりかなり劣り、ウレタン製にいたっては、「吐き出し飛沫量」が不織布の2~3倍に達するというのですから、気休めかアリバイレベルです。それを着用している方が近寄って来て、くしゃみなどされるとハラハラします。
 一時、アベノマスクなるものが話題になりました。サイズが小さい上に布製ですから、感染防止効果に疑問がもたれ、税金の使い途としていかがなものかと、問題視されたのは周知のとおりです。あのマスク、皆さんはどうされたでしょうか。家に届いたころにはマスク不足が解消しており、使い途がないまま、引き出しの奥に眠っているという方も多いのではないでしょうか。ポン太もそうでした。しかし、税金(自分が払ったお金)が投入されているものを、無駄にするのもどうかという思いがあり、気温が氷点下まで下がった日に、山歩きで着用してみました。冷たい空気をいきなり肺に吸い込むのは健康に良くないからです。これが予想以上に快適でした。不織布ですと息苦しくなるのですが、布製で通気性がよいことに加えて、サイズが小さいので空気が適度に漏れ、ふつうに登り続けることができました。買い物等の外出時には使えませんが、山にはむいています。これ以降、わが家では、ヤマノマスクと呼ぶことにしました。
 この話とは無関係ですが、2月とは思えない陽気に誘われて、1年ぶりに上田の太郎山を訪れましたので、写真で現況をお伝えすることにします。

 ヤマノマスクを着用して登頂した平尾山です。この日の気温は氷点下2度でしたが、ヤマノマスクのおかげで肺や喉への影響は少なく、楽に登ることができました。
ヤマノマスクで登頂.JPG
 平尾山から見た太郎山です。北アルプスの唐松岳を背にして凛と立つ姿を見ているうちに、登りたくなりました。
太郎山.JPG
 調べてみると、太郎山は昨年の2月以来1年ぶりでした。今回は、表参道ルートの脇道にあたる「四十八曲がり」コースをとりましたが、こちらにもこの山の特色の1つである「丁石」が設置されています。登山口付近が「3丁」で、山頂に近い太郎山神社手前の鳥居が「23丁」です。
48曲がりコースの丁石.JPG
 表参道コースで「14丁」に位置する鳥居です。数字の上では半分以上登ったことになりますが、実際には、4合目ぐらいでしょうか。
中間の鳥居.JPG
 こういった鳥居や石碑を見ると、つくられた時代が気になります。裏側にまわってみると、紀元2537年と刻まれていました。これっていったい何時代? 皇紀2537年という意味ですから、西暦では1877年(明治10年)となります。それにしても、明治初期に皇紀表記というのは珍しいのではないでしょうか。ちなみに、戦時体制の下、国威高揚のために紀元2600年奉祝行事が執り行われたのは1940年(昭和15年)でした。
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 一方、上田周辺の商人が、丁石を寄進したことを示すこの記念碑には、明治6年とありますから、鳥居より丁石の方が少し古いということになります。丁石の多くが、長い年月の間に、破損したり失われたりしましたが、平成の復元事業により蘇り、現在は、3~23丁のすべての丁石が揃っています。
丁石寄進の碑.JPG
 丁石の数字を確認しながら登るのが、太郎山登山の楽しみでもあります。ここは16丁。半分を少し超えたあたりでしょうか。
16丁.JPG
 20丁までくればあと一息。元気がでます。
20丁.JPG
 この赤い鳥居のあるところが23丁で、丁石があるのはここまで。ここまで到達すればすでに登頂した気分ですが、神社=山頂というわけではなく、本当の山頂はもう少し先です。
太郎山神社の鳥居元日23丁.JPG
 太郎山神社の社務所の縁側でくつろいでいる人が大勢います。ここからの眺めも悪くないので、ここを山頂と勘違いして下山する人も少なくないようです。
社務所.JPG
 神社の奥のもう一山登ったところが山頂です。広々としており、この日は暖かな陽光が降り注ぐ中、草むらで昼寝をしている人が大勢いました。
太郎山山頂.JPG
 気温が上がると景色は霞みます。山頂からの展望はいまひとつでしたが、春の雰囲気を感じました。
山頂より.JPG
 山頂でむかえてくれるこのお地蔵さん。表情が良いので気に入っています。次に来る時は、新しい帽子をプレゼントしたいといつも思うのですが、家にもどるとすっかり忘れてしまい、実現したためしがありません。ゴメンナサイ、お地蔵さん。
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 山頂でいつも襟を正して見入るのが、この反核詩碑です。「人間を取り戻せの叫び声が、地の底から聞こえてはこないか」。庶民には確かに聞こえてきますよ。聞こえない、いや聞く耳をもたないのは、どこやらの政府です。
反核詩碑.JPG
 太郎山には石切場の跡とされるところがあります。青みがかった石は緑色凝灰岩で、上田城にも用いられているそうです。徳川の大軍を二度も撃退し、武勇と知謀を天下に轟かせた真田父子。強さの秘密は太郎山と緑色凝灰岩にありと、タモリ氏なら、そう言うかもしれませんね。
緑色凝灰岩.JPG 

守られた布引電気鉄道の橋台

 久しぶりに小諸市の布引観音まで行ってみました。小諸市の市街地から布引観音へ通じる道路(県道40号線)は、一昨年秋の台風19号により千曲川の護岸が崩れ、不通となりました。昨年5月29日に通行止めは解除されたそうですが、コロナ禍の中、なかなか様子を見に行く気になれませんでした。しかし、このところ、長野県内では新規感染者数がゼロか一桁の下の方というレベルまで好転しており、それが背中を押してくれたのです。
 小諸駅から布引観音を経て島川原駅まで、かつて布引電気鉄道という名の電車が走っていました。のたれ死に同然に営業を休止(事実上の廃止)したのが、1934(昭和9)年ですから、すでに86年余の長い年月が経過しています。若き日のポン太が、営業期間わずか8年というこの薄命の鉄道に興味をもち、調べてみようと思ったきっかけは、旧布引駅周辺に残る同電鉄の遺構群を目にしたことでした。千曲川を跨いでいた橋梁の橋台と橋脚はその代表例といえましょう。残念なことに、一昨年の台風19号により、布引側の橋台の背後(道路に接していた部分)がかなりえぐられてしまいました。道路の復旧工事の際に邪魔者扱いされて取り壊される可能性が大きいのではと危惧しておりましたが、橋台の遺構を残す形で道路は復旧しており、それを見た時には、何というすばらしい配慮なのだろうかと感激してしまいました。
 推測ですが、その背景には、小諸市が制定した「ふるさと遺産」認定制度があるように思います。後世に伝え残していきたいものとして、「旧布引鉄道布引橋脚」も認定されています。橋脚(現存しているのは1本)だけを残せばよいというわけではなく、両端の橋台も同様と解釈するのが自然でしょうから、市のふるさと遺産に認定されているものを、壊してしまうわけにはいかなかったのでしょう。
 布引まで出かけたついでに、近くの日帰り温泉施設「あぐりの湯」に寄ってみました。といっても入浴したわけではありません。高齢者の範疇に入っている身としては、まだそこまでの勇気はなく、併設されている農産物直売所での買い物に留めました。温泉施設の入口には、「緊急事態宣言が発令された地域からお越しの方の入館はご遠慮ください」とあり、入口では検温もおこなわれるなど、感染防止に相当気をつかっていることがわかります。県内で感染が拡大した際に、「首都圏との往来歴あり」「帰省者から家族に感染」といった情報をしばしば耳にしました。緊急事態宣言が解除され、人々が広域に動くようになれば、全国で感染の再拡大を招く恐れは十分にあります。島根県知事が、聖火リレーの中止という形で懸念を表明したのはよくわかりますし、これこそ率直な地方の声です。「コロナに打ち勝った証として五輪開催」などというS総理の言葉の方が、私には空しいものに聞こえます。

 台風19号による被災直後の県道40号線です。橋台遺構の背後が激しくえぐられ、道路の一部が破壊されている様子がわかります。
191103台風19号による被災直後の橋台.JPG
 このようにみごとに復旧していました。橋台の足元もしっかりコンクリートで補強されています。
復旧した道路と橋台.JPG
 橋台の後ろ側はこのようでした。欠けている部分もありますが、ここまで残せればたいしたものです。
橋台の裏側.JPG
 河底がえぐられたことで、だいぶ昔に倒れた橋脚(最も布引寄りの1本)が姿を現していました。
姿を現した4本目の橋脚.JPG
 布引側からみた橋脚の現状です。4本あった橋脚のうち、小諸寄りの1本だけが現存しており、その手前には失われた橋脚の基部だけが残っています。
現存する唯一の橋脚.JPG
 ポン太が、この鉄道に興味を抱いて調べ始めたころには、4本中3本の橋脚が残っていました。(1978年10月24日撮影)
781024布引電気鉄道跡千曲川橋梁.jpg
 小諸駅ホームに停車中の布引電気鉄道の電車です。こんな電車が、千曲川を渡っていた姿を想像するだけで楽しくなります。(1929年ごろの写真です)
781024布引電気鉄道小諸駅(昭和4年) (2).jpg
 布引電気鉄道が記載された鉄道線路図(1938年発行)です。この地図の発行時には、すでに営業を休止していました。
布引電気鉄道入線路図(昭和13年発行).jpg
 浅間山を望む高台にある温泉施設「あぐりの湯」です。コロナ禍になる前は、月に2~3度は、入浴に訪れていたのですが・・・。
あぐりの湯.JPG
 品揃えのよい農産物直売所は、それなりに賑わっていました。
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 温泉施設入口の注意書きです。
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平尾山の「新ルート」

 浅間山麓では、2月とは思えないような穏やかな日々が続いています。寒さが和らいでいるだけでなく、一番の不安材料であったコロナの感染拡大がなんとか収まり、信州全体でも、先週末には、4日連続新規感染者がゼロという状態になりました。浅間山の火山活動も沈静化しており、このまま本格的な春がやって来そうな気配です。といった文章を書いておりましたら、突然、船に乗っているような長い揺れを感じました。東日本大震災の時と同じような揺れ方でしたので、これはどこかで大きな地震が起きたのではないか、もしや首都直下型?と恐怖を覚えました。あわててテレビをつけると、震源は福島沖で津波の心配はないとのこと。土砂崩れや家屋の損傷はあったものの、人命が失われるような事態にならなかったのは幸いでした。
 さて、年初からポン太を悩ませていたのが、腰から足にかけての痛みです。山歩きを躊躇させる要因になっていたのですが、薬が効いたのか、今月に入るころからほとんど痛みを感じることがなくなりました。そうなると、体力の維持には運動が不可欠ですから、「マイ・マウンテン」の平尾山へと自然に足がむくことになります。
 同じ事のくり返しでは飽きてしまうので、従来の登山パターンを少し変えて、距離と高低差を増やしてみることにしました。すなわち、スタート地点を少し下げ、佐久平パーキングエリア近くの「みはらしの湯」駐車場から登り始めることにしたのです。すると、高低差が60mほどプラスされ、登頂に要する時間も10~15分ほど増すことになったのですが、それに比例して、山登りの達成感も増したような気がしました。
 途中のルートも少し変えてみました。暖かくなったとはいえ、登山道の一部には踏み固められた雪が氷盤と化しているところがあります。足を滑らせて転倒したら大変です。安全策としてアイゼンを装着した日もありました。そんな折り、山中で顔見知りになった方から、そのような箇所をパスできる尾根の上を歩いたらどうかとすすめられました。そこは整備された登山道ではなく、けもの道のようなルートですが、凍結箇所は全くなく、その点では安全です。急斜面をよじ登ったり、展望のよいやせ尾根をたどったりと、山歩きの面白さが味わえるようなところもあり、すっかりはまってしまいました。よく知っているつもりの山でも、まだまだ「開拓」の余地はあるものです。

 新たな出発点に選んだ、「みはらしの湯」駐車場から少し歩くと、パラダスキー場南ゲレンデの末端部に出ます。気の毒なぐらいスキー客は少なく、暖かな日が多いせいか、雪もやせ細っていました。
パラダ南ゲレンデ.JPG
 新たなルートの道端に、こんな標識を見つけました。浅間町というのは、佐久市が発足する前の、このエリアの町名です。1961年に、浅間町と東村、野沢町、中込町が合併して佐久市は誕生しました。歴史の痕跡を留めるこうした標識が残っているのを見ると、嬉しくなってしまいます。
浅間町の標識/平尾山公園.JPG
 尾根ルートその1。大きな石がごろごろしている急斜面を登ります。
DSCF7910.JPG
 やせ尾根を通過するところもあり、山歩きらしい気分を味わうことができます。
やせ尾根.JPG
 通常のルートには、このようなアイスバーンと化した箇所があります。見た目よりもずっと滑りやすく危険です。
凍った尾根道をアイゼンで下る.JPG
 アイゼンをつければ安全に通過することはできますが、着脱はいささか面倒です。
アイゼン装着.JPG
 尾根ルートその2への分岐点です。左が通常のルート、右手の山に直登するのが尾根ルートです。
尾根への分岐.JPG
 このような急登です。
急登.JPG
 すべりやすところもありますが、凍結路よりはましです。
尾根へのみち.JPG
 暖かくなったせいか、登山者も増えました。
賑わう頂上.JPG
 遠くの山が少し霞んでみえるのは、春になった証です。
春霞と北アルプス.JPG

渋沢栄一ゆかりの佐久

 間もなく、NHKの大河ドラマ『青天を衝(つ)け』が始まります。その主人公は、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一です。日本史の教科書にも、太字で記載されている人物ですから、その名を知る人は多いと思います。入試対策としては、国立銀行条例の起草に尽力し、近代日本の金融界を指導した人物と覚えておけば十分かもしれませんが、渋沢の業績はそれだけではありません。生涯に、設立に関わった企業は500社を下らず、600余の教育機関、社会公共事業と関わりがあったといわれています。本当のところ、どのような考えの持ち主で、何を成した人物だったのか、知る人は少ないのではないでしょうか。ポン太もその一人ですから、大河ドラマで、この人物がどのように描かれるのか、大変楽しみです。
 渋沢栄一が生まれたのは、現在の埼玉県深谷市です。生家は藍を栽培する農家でしたが、藍の収穫が終わると、養蚕の盛んな信州へ藍玉を売りに出かけたそうです。富岡街道(現在の国道254号)で繋がる佐久地方へは頻繁に訪れていたということですが、藍玉の取引だけでなく、佐久には尊敬する木内芳軒という漢詩人が居り、教えを受けるのを楽しみにしていたようです。
 信州の風光を目にした栄一は、19歳の時に従兄の尾高惇忠(のちの富岡製糸場初代場長)と「巡信紀詩」という漢詩を合作しました。栄一の没後、そこに収められていた栄一の長詩「内山峡」に感激した地元有志により、現地内山峡の岩壁に詩碑が建立されました。漢文なので、すらすら読めるようなものではありませんが、その中に「勢衝青天」(勢いは青天を衝く)という文言があり、大河ドラマのタイトルは、そこからとられたものだそうです。内山峡には天を衝くような奇岩が林立しています。その風景を自身の志と重ね合わせたのかもしれません。
 佐久には渋沢栄一ゆかりの地がほかにもいろいろあるようなので、大河ドラマを楽しみつつ、探ってみようと思います。

 国道254沿いの内山峡の風景です。前方に進み、内山峠を越えれば上州です。
富岡街道と内山峡.JPG
 渋沢栄一の詩碑があるのは、旧内山村肬水という集落です。バス停にもなっているその地名を、「いぼみず」と正確に読める人は少ないでしょうね。
詩碑前の肬水(いぼみず)バス停.JPG
 青年時代の栄一が、その下を何度も行き来したであろうこの岩山の岩壁に、詩碑は設けられています。
渋沢詩碑のある岩山.JPG
 詩碑へ登る階段が狭くて危険なため、迂回路が設けられているのですが、いかにも急ごしらえの、手造り感あふれる標識が立っていました。
手造り感のある矢印.JPG
 これが、岩壁にはめ込まれた渋沢栄一の詩碑です。1940(昭和15)年に地元の有志により建立されました。
渋沢詩碑「内山峡」.JPG
 碑文の一部を拡大したものですが、中央に「勢衝青天」の文字を読み取ることができます。
「勢衝青天」の文字.JPG
 大河ドラマの放映を意識して、急遽設置されたと思われる漢詩の説明板です。
漢詩の説明.JPG
 このあたりには、確かに青天を衝くような岩峰がそびえています。
これぞ青天を衝く岩山.JPG
 詩碑の近くには、こんな可愛いらしい双体道祖神があり、癒されます。
可愛い双体道祖神.JPG

ここから先は、渋沢栄一の故郷、深谷の風景です。数年前に訪れた際に撮影した写真でご紹介します。
 まずは深谷駅前に立つ渋沢栄一の像から。新1万円札の肖像画のような洋装ではなく、着物姿です。
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 深谷駅の建物は、まるで東京駅のミニ版のようです。栄一がふるさとに創立した日本煉瓦製造株式会社で製造された煉瓦が、東京駅丸の内駅舎に用いられたことから、このようなデザインになっているのです。
深谷駅舎①.JPG
 煉瓦工場と深谷駅の間には専用鉄道が設けられましたが、廃線跡に残るこの備前渠鉄橋は、「ホフマン輪窯(わがま)6号窯」、「旧事務所」、「旧変電室」とともに、国の重要文化財に指定されています。
備前渠鉄橋(ポーナル).JPG
 これが、日本煉瓦製造の旧事務所(現在は資料館)です。深谷には渋沢栄一の生家が現存していますし、日本煉瓦関連の遺産にも見るべきものが多く、「青天を衝け」の放映を機に、訪れる人が増えるのではないでしょうか。
日本煉瓦旧事務所.JPG

浅間山はどこの山?

 立春を過ぎ、暦の上では春になりました。首都圏ではすでに「春一番」が吹き、春を実感している人が多いと聞きます。ここ浅間山麓でも、日差しが強まり、日中は一桁の上の方まで気温が上がるようになりました。しかし、夜間は氷点下5~6度といった日が多く、まだまだ「春は名のみの風の寒さや・・」(早春賦)といったところです。
 そんな中、ちょっと嬉しい情報がありました。浅間山の噴火警戒レベルが「2」から「1」に下がったのです。これにより、ごく小規模な噴火が発生した場合にその影響を受ける、火口から500mの範囲を除き、入山が可能となりました。具体的には、第二外輪山の前掛山まで行けることになったわけで、登山者にとっては朗報です。
 テレビのニュース等では、「長野と群馬の県境に位置する浅間山」と表現されることが多いのですが、浅間山のどの部分がどちらの県のどの市町村に属しているか、認識している方は少ないのではないでしょうか。
 浅間山の火口に接しているのは、群馬県嬬恋村、長野県軽井沢町、同御代田町の三町村です。最高地点(標高2568m)は、中央火口丘(釜山)東側の部分にあり、そこは嬬恋村と軽井沢町の境界付近ですが、地形図からは嬬恋村の村域内と判断されます。しかし、最高地点は火口に近すぎて立ち入ることができませんから、登山者が目指すのは、火口から南西に600m余り離れた第二外輪山のピーク、前掛山ということになります。その標高は2524mで、上述の最高地点より44m低いのですが、前掛山に登ることができれば、浅間山に登頂したとみなしても納得できるように思います。ちなみに前掛山は長野県御代田町に属しており、同町の最高地点でもあります。
 警戒レベルが「2」の間は、火口から2km以内には入ることができず、実際に登山可能な最高地点は、第一外輪山のピークである黒斑山(2404m)でした。黒斑山は長野県小諸市と嬬恋村の境界線上に位置しており、小諸市の最高地点となります。小諸市は浅間山の山頂部分とは接していませんが、浅間山への登山道はすべて小諸市から通じており、浅間山とは極めて関わりの深い自治体ということができます。要するに、浅間山は、小諸市を含む長野県の3市町と群馬県嬬恋村のいずれにとっても、かけがえのない地元の山であり、噴火を警戒しつつ、その恵みを分かち合っているといってよいでしょう。
 火山活動が沈静化した状態がこのまま続くようであれば、今夏は、浅間山(前掛山)に登ることができる絶好のチャンスかもしれません。チャレンジしてみてはいかがでしょうか。


浅間山の山頂部はこうなっています。
浅間山中心部のコピーのコピー.jpg
 南麓から見た秋の浅間山です。最高地点のある中央火口丘は、噴煙の右手に僅かに頭を出しているだけですから、おそらく大半の方は、第二外輪山(前掛山)を浅間山の山頂と思って眺めているのではないでしょうか。
里からみた秋浅間のコピー.jpg
 視点が高くなる平尾山の山頂からは、前掛山の右手奥に中央火口丘があることがよくわかります。
平尾山からみた浅間のコピー.jpg
 平尾山の東側にある森泉山から見た浅間山です。眺める場所によって浅間山の山容はずいぶん違って見えます。しかし、どこから見てもその雄大さと美しさに変わりはなく、山麓に住む誰しも浅間山Loveではないでしょうか。
雪がきた浅間.JPG
 西側の黒斑山からは、このような姿に見えます。
DSCF1905のコピー.jpg
 これが前掛山をピークとする第二外輪山です。
第二外輪山の前掛山.JPG
 前掛山山頂には「浅間山」の標識があり、その脇に(前掛山2524m)と記されています。
前掛山山頂.JPG
 前掛山からみた中央火口丘です。奥の一番高いところが、2568mの浅間山最高地点です。
前掛山からみた中央火口丘.JPG 
 中央火口丘へ通じる道は閉鎖されており、立ち入り禁止の掲示があります。
入山禁止看板.JPG
 かつては、軽井沢側の峰の茶屋から中央火口丘へ登るルートがあり、火口の脇を半周して小諸側へ降りること(その逆も)ができました。これは1970年の夏に登った際に撮影した写真です。
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 前掛山への登山道からみた第一外輪山の黒斑山です。
浅間山登山道からみた黒斑.JPG
 南麓から見上げた雪の黒斑山です。黒斑山も見る場所によって、まったく違った山容になります。
雪の黒斑.JPG

楽しい山座同定(さんざどうてい)ー平尾山ー

 山国の信州では、山の見えない場所はありません。ちょっとした高台に登れば、おびただしい数の山が目に入ってきます。重畳たる山並みの美しさに見とれてしまうことが多いのですが、「あの尖っているところは○○岳」「台形に見えるのは○○山」と、具体的な山の名前がわかると、より一層、山岳展望の楽しみは増すように思います。
展望地点から見える山の名前を、地形図や方位磁針を使って明らかにすることを山座同定といいます。実際に、山頂で広範囲の地図を広げてそれを行うのは難しいのですが、名前のわかる特徴的な山をまず見つけて、その山との位置関係から他の山の名を推定するといったスタイルの山座同定なら、どこでもできますので、ポン太はいつもそのようにして楽しんでいます。家に帰ってから、撮影した写真と地図を照合し、その推定が正しかったかどうかを検証するというのも楽しい作業です。
 ポン太がよく登っている平尾山の山頂からどれだけの山が見えるのか、山座同定をしてみました。その結果、日本百名山だけでも、金峰山、八ヶ岳(赤岳)、蓼科山、霧ヶ峰、美ヶ原山、穂高岳、槍ヶ岳、常念岳、立山、剱岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、白馬岳、浅間山、日光白根山の15座を確認することができました。そのほか、日本二百名山に数えられる山や、地域でよく知られている山など、数多くの山の名前を確認することができましたが、まだまだ山名が不明な山はたくさんあり、山座同定の楽しみはエンドレスといってよいでしょう。
 平尾山山頂から撮影した写真に、確認できた主要な山の名前を記入してみました。平尾山あるいはその周辺から山を眺める際の参考にしていただければ幸いです。なお、誤認している場合があるかもしれませんので、その場合はぜひコメント欄でご指摘ください。

 さて、平尾山の山頂に着いて、まず目に飛び込んでくるのが、この八ヶ岳・蓼科連峰の景観です。方位でいうと、南南西から南西の方角になります。
蓼科八ヶ岳連峰(南南西~南西).jpg
 蓼科より西方、南西の方角には、霧ヶ峰から美ケ原山に連なる山並みが見えます。この山並みを貫いている山岳道路が「ビーナスライン」です。
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 さらに西方に見えるのが美ケ原山です。最高地点の王ヶ頭には、放送用アンテナが林立しています。肉眼ではちょっと厳しいですが、双眼鏡があれば、確認することは可能です。
美ヶ原山(西南西).jpg
 美ヶ原山の右側の肩あたりから、北アルプスが顔を出します。穂高岳や槍ヶ岳といった雄峰を目にすると、一気に気分が高揚します。その方角はほぼ西です。
穂高・槍(西).jpg
 西北西の方角には北アルプスが白い屏風を立てたように連なっています。一番目につきやすいのは双耳峰の鹿島槍ヶ岳です。目を凝らすと、立山や剱岳も確認することができます。
立山・鹿島槍(西北西).jpg
 北西の方角には鹿島槍ヶ岳から白馬岳に連なる、北アルプス北部の山々を見ることができます。
鹿島槍~白馬(北西).jpg
 北北西には、浅間連峰の山々が位置していますが、平尾山の尾根と重なってしまい、この程度しか見えません。
浅間連峰(北北西).jpg
 平尾山の北側にはわれらが浅間山が鎮座しています。黒斑山より西側の浅間連峰の山々は、平尾山の尾根が邪魔して見ることができません。
浅間山(北).jpg
 浅間山の東側、北東の方角には、鼻曲山や浅間隠山など、軽井沢エリアの山々が連なっています。
鼻曲山ほか(東北).jpg
 東北東の方角には、別荘地として開発されている森泉山があり、その後方に見えるのが榛名山です。榛名山の左側に、雪山が見えますが、関東地方の最高峰、日光白根山ではないでしょうか。さらに、うっすらと見えている、※1、※2の山ですが、前者は皇海山、後者は赤城山ではないかと推測しています。もしそうだとすれば、平尾山からから見える日本百名山は17座となります。
白根・榛名(東北東).jpg
 平尾山の東側は尾根が続いているため展望は良くないのですが、尾根の少し南側には、荒船山とその周辺の山が顔を出しています。
荒船山(東南東)のコピー.jpg
 さらに南側、南南東から南の方角には、上信国境から奥秩父方面に至る重畳たる山並みを望むことができます。以前のブログで、瑞籬山を見ることできると記しましたが、それは男山を誤認したものでしたので、訂正いたします。
金峰山(南南東~南).jpg
 平尾山からの山岳展望を時計回りにご紹介してきました。その最後がこの景観です。右側から裾野をひいているのは八ヶ岳ですから、この右手に続くのが、最初にご紹介した八ヶ岳・蓼科連峰の景観ということになります。
飯盛山(南南西).jpg
 ポン太の山座同定、いかがでしたか。平尾山は、標高わずか1155mの里山ですが、これだけの山々を望むことができるのです。 

嬉しいパン事情

 ポン太は若い頃から、朝食はパンという生活です。ご飯も大好きなのですが、朝からご飯をたくさん食べてしまうと、お腹が重くなって活動しにくくなるので、やはり朝食にはパンがむいてます。毎日食べていると、こだわりも強くなるもので、ポン太の好みは、噛めば噛むほど味がでるようなハード系のパンです。
 一般的にはフワフワの柔らかいパンが好まれるようで、カンパーニュやライ麦パン、バケットといったハード系の美味しいパンを扱う店は、都会でもそう多くはないと思います。しかし、ここ浅間山麓にはそうしたパン屋さんがいくつもあり、人口比ではパン屋激戦区といえますから、パン好きにとっては恵まれた環境といえましょう。
 そんな中で、ポン太がよく利用しているお気に入りのパン屋さんは、御代田町の「パントゥルーベ」と小諸市の「香色(こういろ)」です。前者のカンパーニュは香りも味も抜群ですし、後者のライ麦食パンは、酵母の香りとライ麦らしい酸味が口中に広がる感じで、わが家の朝食に欠かせない存在になっています。
 時々お世話になっているのが「halutaハルタ」です。長い間、中軽井沢の美味しいパン屋さんと思いこんでいたのですが、実は、本社は上田で、北欧家具の輸入販売や住宅設計を本業とする会社でした。拠点とするデンマークの食文化を発信したいという思いからパンの製造に取り組んだということです。同社のパンは、デンマークの国民食として親しまれている「黒パン」を中心に全粒紛や種、雑穀、乳酸発酵を取り入れたこだわりのパンばかり。まさにポン太の好きなハード系パンです。
 新聞によれば、上田のハルタ本社が、今春、軽井沢町の追分に移転してくるそうです。移転先の建物は、十数年前から休業中の「ドライブイン軽井沢」で、ポン太の家からは徒歩圏内という近さ。家具の展示場や設計事務所等のほかに、パンの製造場も備えるということですから、楽しみがひとつ増えそうです。

 今日は久しぶりに寒さがもどってきて、日中でも氷点下の気温でした。浅間山も見るからに寒そうな感じではありますが、しばらく休業していた「パントゥルーベ」が、昨日から営業を再開しており、また「香色」がライ麦食パンを焼く曜日でもありますから、美味しいパンを確保しに出かけないわけにはいきません。
浅間.JPG
 こちらが大のお気に入りのパン屋さん、「パントゥルーベ」です。
パントゥルーベ.JPG
 ポン太が大好きな「パントゥルーベ」のカンパーニュです。焼き上がってから20分足らずで完売してしまう日もありますが、今日は無事ゲットできました。
パントゥルーベのカンパーニュ.JPG
 カンパーニュと一緒に購入することが多いパン・ドゥ・ノア(くるみパン)です。これまた美味です。
パントゥルーベのパン・ドゥ・ノア.JPG
 小諸の「香色(こういろ)」は、表通りに面しておらず、しかもこのような古民家風の佇まいですから、えっ、これがパン屋さんという感じです。しかし、焼かれているパンは強いこだわりを感じる個性的なものばかり。知る人ぞ知る名店といえるのではないでしょうか。
香色の店舗.jpg
 しばしば購入している「香色」のライ麦食パンです。酵母のせいか香りが強く、その匂いを嗅いだだけで食欲が湧きます。
 香色のライ麦食パン2.JPG
 ある日の朝食です。サラダにカニカマ入り玉子焼き、リンゴジャム、ヨーグルト、コーヒーという、わが家では定番の内容ですが、少し酸味のあるライ麦食パンはそのどれにもよく合います。
わが家の朝食と香色のライ麦パン.JPG
 ハルタのパンが、中軽井沢のお店まで行かなくても、ツルヤ御代田店でも入手できるようになりました。これはハルタのカンパーニュです。見た目からもわかりますが、ハードさはかなりのもので、色は濃く酸味も強く、噛めば噛むほど味がでるタイプです。
ハルタのカンパーニュ全体.JPG
 ハルタが本社の移転先に予定しているのは、国道18号に面しているこの旧「ドライブイン軽井沢」の白い建物です。御代田町から軽井沢町に入ってすぐの場所です。
ハルタの本社となる建物.JPG
 ドライブインが休業してから十数年が経過し、建物はかなり傷んでいるように見えますが、改修は住宅設計も手がけるハルタ自身が行うということですので、どのような姿に変貌するのか楽しみです。
軽井沢ドライブインの現状.JPG
 さて、パンの話のついでにもう1つ。ポン太とって「おふくろの味」とも言える懐かしいパンの食べ方といえば、フレンチトーストです。クリスチャンであった母が、懇意にしていたアメリカ人宣教師から教わったものらしいのですが、朝食によくつくってくれました。その当時のパンは食パンでしたが、その後、フランスパンの方が美味しいということがわかり、現在のわが家のフレンチトーストは、バタールを用いたこのスタイルです。
フレンチトースト.JPG

雪は降れども

 一昨日から昨日にかけて、今季はじめて本格的な雪が降り、10cmほど積もりました。目覚めて、窓の外が真っ白になっているのを見ると、子供のようにウキウキしてしまいます。大雪でなければ、雪掻きもたいした作業ではなく、雪景色を楽しめて嬉しいという気分です。
 ところが、今回の雪はいつもと様子が違っていました。24時間稼働しているはずのストーブがいつのまにか止まっていて、「地震による停止」を示すエラー表示が出ていました。どうやら、屋根に積もった雪が、一気に滑り落ちた際の震動を、センサーが地震と認識したようです。落ちたのが重く湿った雪だったからではないでしょうか。
 外に出てみると、道路の雪はどんどん溶けてシャーベット状になっていました。まるで春を感じさせるような雪です。本来は雪の少ない東信や中南信地域に降る雪を、信州では上雪(かみゆき)と呼んでいます。上雪は、冬型の気圧配置が弱まる春先に降ることが多く、水分を多く含んだ重いべったりした感じの雪になりがちですが、今回の雪はまさにそんな感じでした。しかし、今はまだ1月、「寒」の最中です。いつもなら、この時季に降る雪は、さらさらの粉雪で、雪だるまをつくるに苦労するのですが、今回は道路際の雪をちょっと積み上げただけで、あっという間に大きな雪だるまができあがりました。
 今朝の新聞に、信州でも温暖化が進んでおり、今世紀末の長野市は今の鹿児島市と同程度になる可能性があるという記事が載っていました。今回の雪は温暖化の証なのかもしれません。そう考えると、ウキウキした気分になっているわけにもいきませんが、せっかくの雪景色ですから、楽しまないのは損と、散歩に出かけてみました。きゅっきゅっと雪を踏みしめながら歩くのは実に気分のよいものです。ところが今回は、べちゃべちゃした箇所が多く、防寒靴の中がびしょ濡れになってしまいました。
 やはり冬は寒い方がよい。寒冷地は寒冷地らしくありたい。ストップ温暖化。つくづくそう思ったポン太でした。

 朝起きて、ベランダのカーテンを開けると、景色が一変していて、気分が高揚します。
ベランダの雪.JPG
 作業スペースの前も、純白の森に変身しており、しばし見とれてしまいます。
窓の雪.JPG
 昼過ぎに外にでてみると、家の近くの道はこんな状態で、雪はかなり溶けていました。
近くの道.JPG
 中山道もご覧のとおりで、道路際に残る雪は、間もなく溶けてしまう春の淡雪といった感じです。
中山道の雪.JPG
 裏道にはさすがにまだ雪がたくさん残っており、こうしたところは気分良く歩くことができます。
雪道.JPG
 水辺(御影用水)も、雪があると良い雰囲気です。
雪の水辺.JPG
 遅れてきたクリスマスのような景色です。
クリスマスのような雪景色.JPG
 以前のブログで触れたとおり、浅間山麓はいま大変な建築ラッシュ。散歩中にも、いたるところで、建築中の家を見かけます。
新築中1.JPG
 雪の中でも、コンコンと作業する音が響いていました。ここは最近まで売り地の看板がでていた森の一角です。
新築2.JPG
 ここはレタス畑だったところですが、次々と家が建てられ、住宅地化しつつあります。
新築3.JPG
 こちらは著名な音楽家O氏の別荘とされる建物ですが、足場がとれて完成の域に達しつつあるようです。この時季の散歩は、まるで建築中の建物見学会のようでもありますが、他人様の家とはいえ、どんなデザインの建物になるのか、建築主のこだわりは何か、まわりの景観と調和しているか、といったことを考えながら眺めてみると、それなりに楽しいものです。
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 家にもどって、雪だるまをつくってみました。雪をみると、こういうものをつくりたくなってしまうのですが、湿った雪は固めるのが簡単で、わずか10分で完成です。誰に見せるのかって?コロナ禍で孫も来ることができませんから、まったくの自己満足です。
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魚沼線西小千谷駅~忘れ難き終着駅(15)

第15回 魚沼線西小千谷駅(新潟県)
 雪の季節になると思い出すのは越後の鉄路です。雪と鉄道は相性がよい、などといえば、除雪に苦労されている方々に叱られてしまうでしょうが、情緒という観点からは、やはり雪の中を走る鉄道ほど魅力的なものはありません。
 今回とりあげた魚沼線とは、どんな鉄道なのか。一言でいえば、日陰者です。地元に縁のある方か、よほどの鉄道好きでなければ、そんな路線が存在したことすら知らないのではないでしょうか。
 しかし、最初から日陰者であったわけではありません。終着駅西小千谷駅があった小千谷市は、信濃川左岸の河岸段丘上に位置し、「小千谷ちぢみ」で全国的にもその名を知られている町です。信濃川の水運に恵まれていたこともあり、古くから商工業が盛んで、1889(明治22)年には、はやくも町制を施行しています。魚沼三郡の中心ともいえる小千谷と信越本線の来迎寺との間に鉄道を敷設し、水運に代わる輸送手段とする目的で、魚沼鉄道が設立され、1911(明治44)年9月14日、新来迎寺-小千谷間 13.1km 、軌間762mmの軽便鉄道が開業しました。この鉄道が魚沼線のルーツというわけです。当初は日陰者どころか、小千谷に至るメインルートとして、客貨の輸送は好調で、なんと1918(大正7)年には、「全国私鉄中第2位の高利潤」(『日本国有鉄道百年史』第6巻)をあげるほどでした。
 ところが、1920(大正9)年に国鉄上越北線(宮内~東小千谷)が開通し、信濃川の対岸に東小千谷駅(現、小千谷駅)が開設されると、そちらが小千谷の表玄関となりました。魚沼鉄道はその代償措置のような形で1922年に国有化され、魚沼軽便線の名称を経て、国鉄魚沼線となったのです。終着駅の駅名も1932年に西小千谷となり、戦時中の1949年には営業休止となりましたが、1954(昭和29)年に全線を1067mmに改軌した上で営業を再開。一定の役割は果たしたものの、赤字ローカル線として第一次特定地方交通線に指定され、1984(昭和59)年3月31日限りで廃止となりました。
 私が魚沼線を訪ねたのは、1973(昭和48)年11月26日です。当時の魚沼線のダイヤは、土曜日を除いて朝夕のみ。来迎寺発西小千谷行は、5時52分、7時25分、17時37分、18時57分の4本だけでしたので、通学時間帯の7時25分発(125D)を利用することにしました。乗車時間僅か25分で西小千谷に到着。それなりの人数の高校生たちが下車すると、5分後には126Dとなって折り返して行きました。もうその後は夕方まで列車はありません。当時はそんな終着駅でも駅員が配置されていて、入場券を買うことができました。
 まだ本格的な雪のシーズンではなかったものの、うっすらと雪化粧した小千谷の町は風情があり、しばらく中心市街地を散策しました。印象に残ったのは、雪国の町らしい雁木(雪よけのアーケード)と、明治座という名の立派な映画館でした。夕方まで列車を待つわけにはいかないので、帰路は、信濃川を渡り、上越線の小千谷駅を利用しましたが、こちらの方が圧倒的に本数が多く、市の中心部に位置しながら日中は列車の来ない西小千谷駅が、哀れに思えてなりませんでした。

 魚沼線が記載された鉄道路線図(昭和39年、国鉄旅客事務用)です。今は何の変哲もない中間駅の来迎寺ですが、かつては鉄道のジャンクションであったことがわかります。
魚沼線 /昭和39年の「国鉄旅客事務用鉄道路線図」より.jpg
 西小千谷駅の入場券です。
西小千谷駅入場券.jpg
 西小千谷駅のホームで出発を待つ7時55分発の列車(126D)です。この列車が出てしまうと、夕方まで列車はありません。(1973年11月26日撮影、以下同様)
731126小千谷線125D /西小千谷駅.jpg
 西小千谷駅の駅舎です。歩いているのは、私と同じ列車で着いた高校生たちです。
731126小千谷線西小千谷駅009.jpg
 雁木のある小千谷の市街地です。
731126小千谷市内の雁木のある通り.jpg 
 歩いているうちに、大正ロマンを感じさせるこんな立派な映画館を見つけました。魚沼線廃止翌年の1985年に閉館したそうで、建物も現存はしていないようです。
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やるせない「寒」の風景

 今年の小寒は1月5日。この日が「寒の入り」で、2月3日の立春までが「寒」ということになります。一年中で一番寒い季節ですから、空気が冷たいのはあたりまえですが、今年はコロナ禍で、心まで冷えてしまいそうです。ここ浅間山麓の市や町でも新規感染者が増加しており、県独自の感染警戒レベルで、上から2番目の「5」(感染が顕著に拡大している状態)に引き上げられました。その上の「6」は「緊急事態宣言」ですから、大変厳しい状況と言わざるをえません。ちなみに1月11日の感染者数は、小諸市16人、御代田町6人、佐久市7人、軽井沢町1人でした。一見、少ないようにみえますが、例えば、御代田町の人口は東京の900分の1にすぎませんから、東京なら5400人に相当する数字です。人が少ないエリアだから安心とは言っていられない状況になりつつあるのです。
 消防出初め式は軒並み中止、成人式も御代田町は中止、軽井沢町や佐久市、小諸市は延期となりました。大寒の日に行われる御代田町の伝統行事「寒の水」は早々と中止が決定されています。寒い中にもホットな話題のあった例年の「寒」とは様変わりです。
 そんな中、せめてもの癒しとなるのが山歩きですが、今年は「山初め」に出かけることがずっとできずにおりました。というのは、暮れに、腰から足にかけて強い痛みを感じたからです。受診した医師の話では、坐骨神経痛ではないかということでした。昨年は年間の山歩き回数が111回(110回と思っていましたが、精査したところ1回増えました)と最多記録を更新し、まだまだ元気に山歩きができると喜んだばかりでしたので、好事魔多しとはこのことです。 
 山中で痛みが出て下山できなくなると大変なので、出かけるのを躊躇していたのですが、気分がすっきりせず、思い切って平尾山に登ってみました。12日ぶりです。幸い痛みは出ず、なんとか山頂にたどり着き、「山初め」とすることができました。いつもはトレーニングレベルと思っている山なのに、登ることができてこれほど嬉しいと感じたことはありません。今年の山歩きは、身体の様子をみながら慎重にということになりそうです。
 平尾山ほか、浅間山麓の「寒」の風景をご紹介します。心まで冷えている時に、より一層寒い風景を見せられて、なんだよとおっしゃるかもしれませんが、寒中に冷水を浴びると少しだけ暖かさを感じるとも言います。タヌキに化かされたと思ってご容赦を。

 わが家のまわりも冷え冷えとした風景ばかりです。すぐ裏の沢も氷瀑もどきの光景になりました。
 氷瀑モドキ.JPG
 染み出た地下水が凍って、沢の両岸には氷の壁ができました。
凍った沢.JPG
 近くの池(七口池)も完全結氷しています。
凍った七口池.JPG
 浅間山も裾野の方まで雪化粧しました。
雪浅間.JPG
 水辺(御影用水)も見るからに寒々とした光景です。慣れているとはいえ、氷点下の散歩に出かけるには、それなりの気合いが必要です。
寒々とした水辺.JPG
 ようやく登ることができた平尾山です。この日は、まだ誰も登っていないらしく、登山道に人の足跡がありません。
DSCF7631.JPG
 おっと、先客がいました。この小さな足跡、ノネズミでしょうか。
ノネズミ?.JPG
 これは誰だ?この足跡はタヌキのように見えるのですが、それにしては歩幅が大きいような。
DSCF7638.JPG
 これは間違いなくタヌキでしょうね。こんな詮索ができるのも冬の山ならでは。
 タヌキ?.JPG
 足の痛みがでませんようにと、ひやひやしながらの登山でしたが、頂上に凛として立つ白樺の木を見ると、元気がでます。
白樺.JPG
 ようやく成った今年の「山初め」です。もっともポン子はすでに一人で何度も登っていますので、「山初め」はポン太のみ。トホホ・・。
本年「山初め」.JPG
 頂上からの眺めがいつもにも増してすばらしものに思えました。佐久平と御牧ヶ原台地、その背後に屹立する北アルプス。絶景です。
佐久平、御牧ヶ原台地、北アルプス.JPG
 信州から上州、さらには甲州にまたがる山並みは、まるで水彩画をみるようです。
佐久の山々.JPG
 昨シーズンは暖冬でオープンできなかったパラダスキー場の南ゲレンデですが、今シーズンは無事にオープンできたようです。ただし、1都3県に緊急事態宣言が出ていることもあり、スキー客はまばらでした。
ゲレンデ上部.JPG
 こちらの登山道にも登山者の足跡はなく、静寂そのもの。
登山道.JPG
 竜神池も結氷していました。ここまで無事に降りてくることができ、安堵しました。
結氷した竜神池.JPG
 今年は、伝統行事もことごとく中止となり、なんとも淋しい「寒」です。いつもの年であれば、この時季に行われるはずの行事を3つご紹介しましょう。まずは、大寒の日に行われる御代田町草越の「寒の水」です。極寒の中に熱気を感じる行事です。
「寒の水」開始 s.jpg
 暗闇の中で山車をぶつけ合う、勇壮な「道祖神祭」(小諸市御影)です。
道祖神まつり.JPG
 御代田町塩野の「わら馬引き」(道祖神祭)です。子供たちが大勢参加する可愛らしい行事です。
わら馬をひく道祖神まつり.JPG
 道祖神祭は、形は変われどこの時季に信州各地で行われている行事ですが、今年はそのほとんどが中止になってしまいました。
 

学校登山の灯を消さないで

 ポン太が山好きになったきっかけは、杉並区立S中学の2年次に、希望者を募って実施された林間学校に参加したことでした。3泊4日の日程で、北八ヶ岳(天狗岳・北横岳)に登るという内容で、参加者は30名ほどだったと思います。
 手元に残っているメモによれば、1963(昭和37)年7月27日、午前7時発の「急行第1アルプス」で新宿駅を出発し、茅野駅で下車。バスで宿泊先の辰野旅館(渋温泉)にむかっています。
 二日目の28日の日程は、7時に宿を出発し、八方台経由で天狗岳(2645m)に登り、中山、高見石付近を経て辰野旅館にもどるというものでした。実際に宿に帰着したのは、17時30分でしたから、かなりのハードスケジュールです。
 三日目の29日の日程は更にハードで、宿を6時に出発し、冷山歩道、茶臼山歩道を経由して坪庭へ。そこから北横岳(2472m)に登り、帰路は雨池峠を越え、雨池、麦草峠経由で辰野旅館へ下るというロングコース。宿にもどったのは、あたりが暗くなっていた19時15分でした。
 山初体験の中学生がよく歩いたものだと我ながら感心してしまいます。相当しんどい思いをしたはずですが、それよりも下界とは全く異なる山の世界の魅力の方が大きかったのでしょう。この山行で山の世界がすっかり気に入り、いろいろな山に登ってみたいという気持ちが芽生えたことは間違いありません。
 信州では、ほとんどの中学で、1泊2日の「学校登山」を実施していると聞いた時は、これはすごいことだと驚きました。それも、北アルプスや中央アルプスの高峰に登るというのです。数年前のことですが、八ヶ岳の硫黄岳山頂付近で、大勢の中学生が声を掛け合いながら元気に登ってくる様子を目の当たりにし、「学校登山」は本当なのだと納得しました。
 その信州伝統の学校登山が、今、窮地に立たされているというのです。新聞記事によれば、2010年度には90%の学校で実施していたのに、来年度は4割を下回る可能性があるとか。その背景には、日常的に過酷な勤務を強いられている教員の負担が大きいことや、万一を心配する保護者の姿勢があるといいます。そこに追い打ちをかけたのがコロナ禍で、『密』になる山小屋利用が問題視されたことも影響しているようです。
 親がよほどの山好きでない限り、子供がハイキングレベル以上の本格的な山に連れて行ってもらえる機会はないと考えてよいでしょう。ポン太もあの「林間学校」がなければ、山とは無縁の人生を歩んだかもしれません。学校登山の果たす役割は極めて大きいのです。
 県歌『信濃の国』にも、「聳ゆる山のいや高く」とあるとおり、秀麗な高山は信州の誇りです。郷土の至宝である高山に1度も登ることなく、その魅力を知る機会のないままに大人になってしまうのは、なんとも残念な話ではないでしょうか。知恵と工夫の限りを尽くして、学校登山を継続して欲しい。心の底からそう願うポン太です。

 山が好きになるきっかけをつくってくれた「林間学校」。登山のベースとなったのは、この辰野旅館でした。
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 天狗岳へ続く尾根道で小休止。笑顔が見えているところをみると、皆へばってはいないようです。 
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 頂上が近づくにつれてガスが濃くなり、眺望はいまひとつでしたが、高山の世界にたっぷり浸ることができました。
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 その翌日は、山歩きに慣れたせいか、北横岳山頂ではこの余裕の表情。林間学校に出発する前よりも、少したくましくなったような気がしました。
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 数年前、硫黄岳から夏沢峠へと下るこの道の先で、元気に登ってくる地元の中学生たちとすれ違いました。
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 佐久地域の中学では、この硫黄岳に登ることが多いと聞きましたが、森林限界を越えたこの高山の景観をみれば、何か感じるものがあるはず。
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 こうしたハイマツ帯の稜線歩きも、高山の魅力の1つです。
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 硫黄岳山頂からの眺望もすばらしく、雲海に浮かぶ美しい郷土の山々をみれば、故郷への愛着も増すのではないでしょうか。
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 山に入れば、こうした美しい渓谷の存在を知ることもできるのです。
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 硫黄岳への登山道の途中にあるオーレン小屋です。途中で出会った中学生たちが泊まる山小屋が、ここかどうかはわかりませんが、こうした山小屋への宿泊も貴重な体験です。
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 大町あたりの中学では、北アルプスの爺ヶ岳に登ることもあるとか。
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 爺ヶ岳山頂からの眺望は息を飲むほどすばらしく、一生忘れられない思い出になると思います。
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初詣と鉄道

 テレビで東京の正月風景を見ていて驚いたのは、結構な数の人が著名な社寺に初詣に出かけていたことです。数字の上では例年と比べてかなり少なかったということですが、あの人の群れを見てしまうと、これでは感染拡大は止まるまいと恐怖を覚えました。それにしても、どうして感染リスクを冒してまで、そうした「密」になるようなところへ出かけるのでしょうか。伝統的行事であり、初詣に出かけないと御利益がないと考えてのことであれば、それはとんでもない勘違いです。
 「初詣」は、日本古来の伝統行事でも何でもなく、鉄道の発達と鉄道会社の経営戦略によって定着したものなのです。「初詣」が始まったのは明治時代になってからで、川崎大師が最初とされます。すぐ近くを日本で最初の鉄道(新橋~横浜間の官設鉄道)が通り、東京から行楽気分で気軽に出かけられるようになったからです。鉄道の側からみれば、正月休みに家でじっとされるよりも、列車に乗って出歩いてくれる方が有り難いわけで、経営戦略として積極的に取り組むところが増えていったのは当然です。成田山などは、国鉄と京成電気軌道(現、京成電鉄)の熾烈なサービス競争により、初詣客が激増しました。「二年参り」というスタイルが広まったのも、鉄道が終夜運転を実施したことがきっかけだそうです。
 元々、社寺毎に特別な参拝日(縁日等)が決まっていて、正月三が日に一斉に参拝するような習慣はなかったのです。そう考えると、初詣は必ず行かなければならないものではなく、別の日に参拝しても、それぞれの社寺の御利益に変わりはないわけです。初詣と鉄道の深い関わりについては、『初詣の社会史』(平山昇著、東京大学出版会)といった研究書も出ていますので、興味のある方は調べてみてはいかがでしょうか。
 初詣に限らず、社寺への参詣客は、鉄道にとって有り難いお客さんです。そのため、神社仏閣を観光の目玉とし、その印象を強めるために、所在地の駅舎自体を、社寺風の凝った意匠にして雰囲気を盛り上げるといった工夫もなされました。とくに、大正後期から昭和初期にかけて、その傾向が顕著でした。どんな駅舎があるのか(あったのか)、過去に撮影した写真の中から、いくつかご紹介することにしましょう。

 仏閣型駅舎の代表的存在であった長野駅(三代目)駅舎です。善光寺の玄関にふさわしい社寺様式にするようにという、鉄道省本省からの指示により、1936(昭和11年)に建てられました。その年は7年に一度の善光寺御開帳が行われた年でもありました。(1970年11月30日撮影)
701130雪の長野駅前(仏閣形駅舎).jpg
 駅舎の正面はこのようなスタイルで、実に風格のある建物でしたが、残念ながら北陸新幹線の開業にあわせて改築されてしまい、現存していません。因みに今年(2021年)はご開帳の年にあたっていますが、コロナ禍のため来年に延期されました。(1976年8月24日撮影)
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 仏閣型駅舎の西の代表格といえるのが国鉄奈良駅(二代目)駅舎です。長野駅の2年先輩にあたる建物で、1934(昭和9)年に竣工しています。2003年に駅舎としての役割を終えた後も建物は保存されて、奈良市総合観光案内所として再利用されています。(2014年4月10日撮影)
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 東京の社寺風駅舎といえば、その代表格は高尾駅(旧、浅川駅)でしょう。大正天皇大喪の際に、出棺用に設けられた新宿御苑仮停車場の部材を利用し、1972(昭和2)年に建築されたものです。(2009年11月13日撮影)
高尾駅舎.JPG
 青梅線にも社寺風駅舎があります。御嶽山(御嶽神社)の玄関口となる御嶽駅です。御嶽駅は、1929(昭和4)年に青梅電気鉄道が二俣尾から御嶽まで路線を延ばした際に開業した駅です。行楽客誘致の意気込みが感じられます。(2009年10月16日撮影)
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 エントランスはまるで神社のようです。奥の方に掲げられている、右書きの「御嶽駅」は、戦前の右翼の巨頭で中国革命の支援者でもあった頭山満が揮毫したものだそうです。(同上)
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 社寺の多い京都で、印象に残る社寺風駅舎の1つが、この叡山電鉄(←京福電鉄←鞍馬電気鉄道)鞍馬駅です。1929(昭和4)年に鞍馬電気鉄道の終点として開業した駅で、今も開業時の姿を留めています。この写真は京福電鉄当時のものですが、現在でも車両を除けば大きな変化はなさそうです。(1977年8月29日撮影)
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 鞍馬駅の正面です。鞍馬山(鞍馬寺)へ行くための駅ですから、お寺をイメージさせる意匠にしたのは当然かもしれません。
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 こちらは京福電鉄北野線の御室仁和寺(おむろにんなじ)駅(2007年まで御室駅)。桜の名所として知られる仁和寺の山門前に位置する駅です。路面電車の駅なので小ぶりではありますが、なかなかの風格です。嵐山電鉄の駅として1925(大正14)年に開業しています。(2006年3月26日撮影)
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駅名改称後も、この右書きの渋い駅名板はそのままだそうです。 (同上)
京福電鉄御室駅3.JPG
 こちらは伏見稲荷の玄関口、JR奈良線の稲荷駅です。伏見稲荷は外国人観光客に大人気で、コロナの問題が起きる前は、このように活況を呈していました。有名観光地の割には小さな駅舎ですが、屋根を反らせるなど、社殿風の意匠でつくられた、1935(昭和10)年の建造物です。(2019年4月23日撮影)
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 この稲荷駅の歴史は古く、開業はなんと1879(明治12)年。1921年にルート変更されるまで、東海道本線の駅でした。開業の翌年に建設された煉瓦造の危険品庫(ランプ小屋)が残っており、現存する国鉄最古の建造物であることから、準鉄道記念物に指定されています。「鉄道教徒」のポン太としては、ここは伏見稲荷以上に巡礼する価値のある場所です。(同上)
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 私鉄の社寺風駅舎としては大きな部類にはいるのが、近鉄(建設当時は大阪電気軌道)の橿原神宮前駅。「橿原神宮」の紀元2600年(1940年=昭和15年)式典に合わせてつくられた駅舎です。国策に沿ったというだけでなく、戦時体制下で観光旅行の自粛が呼びかけられる中、皇室関連の神社であれば、大手を振って出かけられることから、大勢の利用者があると見込んだのかもしれません。(1979年3月30日撮影)
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 縁結びの神として知られる出雲大社。その玄関口であったのが国鉄大社線大社駅です。参拝者が全国からやってくることから、1924(大正13)年に、木造神社様式のみごとな駅舎(二代目)が建設されたのです。残念ながら、大社線は1990(平成2)年に全線廃止となり、大社駅も廃止となったのですが、駅舎は保存され、2004年に国の重要文化財に指定されました。(1974年2月21 日撮影)
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 まだ現役として使用中であった時代の写真ですが、この出札窓口があまりに立派で感激してしまいました。(同上)
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 寺社風駅舎というよりも、神社そのものと言ってもよいのが、JR弥彦線弥彦駅。越後の国の一の宮である弥彦神社への入口となる駅です。1916(大正5)年に、越後鉄道の駅として開業して以来の駅舎で、弥彦神社の本殿を模したものだそうです。ここでもう参拝した気分になってしまいそうですね。
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浅間山麓の静かな元旦

 明けましておめでとうございます。
 元旦の浅間山麓は曇り空で、時折雪がちらついていました。雪は積もるというほどではなく、地面がうっすらと白くなった程度でした。
 全国的な天気予報では、長野に雪マークがつくことが多いので、浅間山麓も相当降っているのではと思われる方が多いようですが、まったく違います。天気予報の「長野」は、北信地域に属する長野市のことであり、東信地域に含まれる浅間山麓とは気象条件が異なるのです。寒さは厳しいものの、晴天率が高く、雪はほとんど降らないというのが浅間山麓なのです。
 ちらついていた雪も昼前には止み、午後からは晴れ間もでてきました。外に出てみると、雪化粧した浅間山がとてもきれいでしたので、カメラを手に中山道から御代田駅周辺をひとめぐりしてみました。開いているお店はなく、歩いている人もほとんど見かけません。松飾りのある家は少なく、正月であることを忘れてしまいそうでした。唯一、中山道沿いの小さな神社に、しめ縄とぼんぼりが取り付けられていましたので、いつもと違う雰囲気ではありました。しかし、初詣に訪れていた人は誰もおらず、「密」が心配される都市部の有名寺社とは大違いです。
 畑の中から見上げた浅間山は雄大で、惚れ惚れするほどの美しさでした。これこそ、当地で最も元日らしい風景です。その浅間をバックに、しなの鉄道の電車も撮影することができましたので、期せずして本年の「鉄道初め」となりました。鉄道といえば、昨年はこのジャンルの活動はまったく低調で、全線乗車記録を更新することも叶いませんでした。「コロナ」の行方次第ということは否めませんが、今年はなんとか盛り返したいものです。また、自然や歴史、文化といった地域の話題の深掘りなど、活動の幅を少しでも広げてみたいと考えておりますので、今年も「浅間山麓のブラタヌキ」を、どうぞよろしくお願いいたします。

 元日の浅間山です。
元旦の浅間山.JPG
 雪化粧した黒斑山です。しばしば登っている山なのに、別物に見えます。
元旦の黒斑山.JPG
 浅間をバックに、しなの鉄道の電車が駆け抜けて行きます。(御代田~平原間にて)
しなの鉄道765M.JPG
 中山道の脇に見えたぼんぼりは、山神大山神社のものでした。
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 神社の参道脇には、中山道(右下)を見下ろすように道祖神が立っていました。
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 これが、山神大山神社の社殿です。こうした名前の神社の祭神は、オオヤマツミ(大山津見神)であることが多いそうですが、オオヤマツミとは「大いなる山の神」の意味とか。意図したかどうかはわかりませんが、社殿の後方に浅間山が鎮座しています。
山神大山神社本殿.JPG
 厳しい寒さの中でも、木々はしっかり春の準備をしています。コブシの花芽もこんなに大きくなっていました。
コブシの花芽.JPG
 松飾りの代わりに、わが家では手造りのリースを飾っているのですが、疫病退散を願って、アマビエの札もつけておきました。
疫病退散.JPG
 本年もブラタヌキをよろしくお願いいたします。
ブラタヌキをよろしく.JPG 

感謝感謝の「山納め」ー平尾山ー

 今年は、年初に予定したことの大半が幻と消え、達成感を得られぬままに、時間だけが過ぎ去ったような一年でした。遠出を控えなければならない状況が続く中、最大の癒やしとなったのは、近場の山歩きです。一歩山の中に入ってしまえば、めったに人と出会うことはなく、感染リスクはほぼゼロ。フィトンチッドに満ちた空気は美味しく、木々の緑や季節毎に異なる花々が目を楽しませてくれます。山歩きのような有酸素運動は、免疫力アップにもつながるということですから、良いことずくめといってよいでしょう。
 今年は、コンサートや講演会、お祭りといったイベントが軒並み中止となり、その分、山へでかける回数は多くなりました。思い立ったらいつでも登れる里山が中心ですが、数えてみるとなんと110回に達していました。これは、昨年の74回を大きく上回り、ポン太の山登り史上最多となる数字です。
 1回の山歩きで登る高さ(高低差)は、平均すると300m程度ですので、300m×110回で33000m。世界最高峰のエベレスト(8448m)に、海抜0mのインド洋から4回弱登ったことになります。これはあくまで計算上の話ですが、そう考えると嬉しく、励みになります。
 今年最後の山歩き、すなわち「山納め」を、一番お世話になった平尾山で行いました。山への感謝の気持ちを表す方法はいろいろあるでしょうが、ポン太は以下のように考えました。
 たいていの山の頂にあって登山者をむかえてくれる存在、それは三角点です。どこの山に登るにも一番頼りになるのは地形図ですが、それをつくるために不可欠な測量の基準となるのが三角点です。そういう意味では、登山者の安全を見守っている、山で一番有り難いものです。有り難いものは人でもモノでも何でも祀って神様にしてしまうのが日本ですから、三角点を神様に見立てたっていいじゃないか。
 というわけで、平尾山山頂の三角点に花束を捧げ、110回も山に登らせていただいた感謝の意を示すことにしました。同時に、来年も元気に山歩きができますようにと祈念したことはいうまでもありません。
 今年のブログはこれにて閉じさせていだきますが、来年もよろしくお願いいたします。それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

 平尾山山頂の三角点に捧げたバラ(この季節ですから造花ですが)です。
三角点に捧ぐ.JPG
 110回も山歩きができたことを感謝し、来年も元気に山歩きができるようにと祈りました。
三角点に感謝.JPG
 いつも見守ってくれている浅間山も忘れるわけにはいきません。感謝を込めて、乾杯!
浅間山にも献杯.JPG

 本当にお世話になった平尾山ですが、この一年を振り返り、四季それぞれの表情をまとめてみました。
 まずは、平尾山に春を告げるダンコウバイから。3月の平尾山では貴重な花です。
3月ダンコウバイ.JPG
 4月に入ると、竜神池のまわりでは水仙が咲き始めます。
4月龍神池と水仙.JPG
 4月の中旬、山麓では菜の花が咲き、桜もほころびはじめます。浅間連峰の山々にはまだ雪がかなり残っています。
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4月中旬咲き始めた桜.JPG
 4月下旬には、堰を切ったように様々な花が開花し、山麓も山中も賑やかになります。これは満開の桜に包まれた山麓からみた蓼科山です。
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 山中ではアズマイチゲを見ることができます。
4月末アズマイチゲの花.JPG
 4月下旬の山麓一帯では桃が開花します。これを見ると、春が来たという明るい気分になります。
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 山中の森ではウグイスカズラの花をよく見かけます。
4月末ウグイスカグラ/平尾.JPG
 5月の上旬、GWのころの山中では、可憐な花が足元を飾ってくれます。これはワダソウです。
GWごろワダソウ.JPG
 こちらはイカリソウです。
イカリソウ.JPG
 GWの山頂では桜が満開です。
山頂のみごとな桜.JPG
 5月中旬にはヤマツツジが開花し、平尾山の一番美しい季節がやってきます。
5月咲き始めのヤマツツジ.JPG
 どの登山道を歩いてもまばゆいばかりの新緑です。
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 梅雨が明ける7月下旬の山頂ではユウスゲの花がむかえてくれます。
ユウスゲ.JPG
 森の中ではウバユリも咲いています。
ウバユリ/平尾山.JPG
 数は少ないですが、ウツボグサも見られます。
7月ウツボグサ.JPG
 8月になると花の種類も数も減ってきますが、森の中で目立つのはキツネノカミソリです。
キツネノカミソリ/平尾山.JPG
 10月下旬には木々が色づきはじめ、11月上旬には全山紅葉となります。
11月上旬色づいた平尾.JPG
 竜神池の畔の紅葉です。
龍神池と赤紅葉.JPG
 12月は完全に冬枯れの風景となりますが、時には霧氷が出現し目を楽しませてくれます。
霧氷.JPG
 花も緑もない冬の楽しみは、北アルプスのすばらしい展望です。
みごとな北アルプス.JPG
 改めて眺めてみますと、四季を通じて楽しませてもらうことができた、すばらしい山です。有り難う平尾山!

寂しいクリスマス

 皆さんは、このクリスマスシーズンをどうお過ごしでしょうか。コロナの感染が益々拡大していることから、「ステイホーム」に徹している方も多いと思います。重症化リスクの高い世代に属しているポン太も、基本的には「ステイホーム」です。
 いつもの年ですと、軽井沢では、様々な場所で様々なクリスマスイベントが開催され、寒い中にも多くの楽しみがあるのですが、今年はそうはいきません。毎年、そこに参加することで、クリスマスの雰囲気を味わうことができた、新島学園のコンサートもなくなり、その他のイベントも中止されたり、入場制限付きとなったものが多いのです。例年通り開催されたとしても、感染リスクを考えると、そのような人の集まる場所に出かける勇気はなく、選択肢は「ステイホーム」以外にありません。
 特別な信仰をもたないポン太ですから、クリスマスが無くても困ることはありませんが、年の瀬の年中行事の1つと考えると、少しはその気分を味わいたいもの。人と接触せずにイルミネーションを眺める程度なら問題はなかろうと、日没を待って軽井沢へ出かけてみることにしました。
 軽井沢駅前も、旧軽ロータリーも、星野エリアも出歩いている人はほとんどおらず、例年と比べると寂しい雰囲気でした。クリスマスの飾り付けをしているお店も少ないように感じました。それでも、闇の中に浮かび上がるイルミネーションを眺めていると、今まさにクリスマスシーズンなのだということは実感できます。
 見上げれば満天の星。その中にひときわ大きく輝く星を2つ見つけました。木星と土星です。ニュースで木星と土星の「超大接近」が伝えられていましたが、肉眼でこれほど大きく見えるとは・・。宇宙からの思いがけぬクリスマスプレゼントでした。

 軽井沢駅前のイルミネーションです。
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 駅のまわりは閑散としていました。
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 時間はまだ午後6時ですが、軽井沢本通りに人影はなく、まるで深夜のよう。
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 旧軽井沢ロータリーのイルミネーションです。
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 別の角度からみるとこんな感じでした。
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 こちらは星野温泉トンボの湯に隣接した広場です。軽井沢のクリスマスを象徴するような、大きな樅の木のイルミネーションは例年と同じでしたが、芝生にランタンを散りばめるといった演出はなく、やはり寂しさは禁じえません。
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 軽井沢高原教会前の森です。さすがは星野といった感じで、木々のライトアップもお洒落です。
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 どうやら結婚式のようです。厳しい寒さにも関わらず、華やいだ気分が伝わってきました。
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 新郎新婦が通る道が、素敵にライトアップされていました。これなら寒さなど感じないかもしれませんね。
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 ランタンの灯りが良い雰囲気を醸し出しています。
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 ライトアップされた石の教会です。
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 手持ちのカメラではこれが精一杯ですが、ひときわ明るく見えた土星です。
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モノクロ写真館

 高校時代の友人で、写真を趣味とするI君から、『写楽人21』というカレンダーが届きました。学生時代からの写真仲間と作成しているカレンダーで、今回が41号とのこと。カレンダーですから発行は1年に1回です。41号ということは、41年もの長きにわたり、同様のカレンダーを作成し、発行し続けているわけで、趣味の仲間の結びつきの強さと、並々ならぬ活動意欲を感じます。
 撮影そのものはカラーであっても、すべてモノクロ仕上げとしているのが、このカレンダーの特徴です。最近の世の中ではカラーが当たり前で、新聞の写真までカラーが主ですから、モノクロづくしの世界は、かえって新鮮にみえます。色が無いからこそ、想像力が働き、その分だけインパクトも大きくなるような気がしました。やはり写真の原点はモノクロだなぁ、としみじみ思ったポン太です。どんなカレンダーなのか、その一部をご紹介させていただくことにします。
 ちなみに、I君はポン太にとってはブログの師でもあり、彼が背中を押してくれなければ、ブログを始めていなかったかもしれません。マイリンクの「ギャラリー静河」がI君のブログですので、是非そちらもご覧ください。

これは『写楽人21』カレンダーの2月の写真です。カラーであれば、ごく平凡な家族の記念写真のように見えるかもしれませんが、この作品を眺めていると、この家族には特別な物語がありそうな気がしてきます。
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 この5月の写真が、I君の作品、「調律師」です。色が無いだけに、耳を澄ませて音を確かめている、調律師の緊張感がストレートに伝わってくるように感じました。
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 『写楽人21』カレンダーの写真に刺激されたポン太は、自分で撮影した写真のいくつかを、試しにモノクロ化してみましたのでご笑覧ください。
 これは、わが家の近くで昨日撮影したものです。モノクロ化により、青い空や赤い屋根の色が消え、寒々とした雰囲気になりました。
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 いつも散歩している水辺も同様です。とんでもなく寂しい場所に変化したような感じがします。  
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 このワンちゃんの散歩には何か訳があるのかも、そんな想像すらしてしまいます。
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 すでに別荘地化された一帯ですが、モノクロ写真にすると、開拓地の名残を感じます。
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 長野牧場のヤギさんたちですが、昭和30年代の牧場風景といっても、信じてもらえそうです。
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落葉松並木も、より一層寂寥感が漂います。
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紅葉に彩られていた海野宿ですが、モノクロにすると季節感は薄れ、レトロ感が強まります。
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 「モノクロ写真館」お楽しみいただけたでしょうか。

新たなカフェと「ビーガン」

 コロナ禍にもかかわらず、いやコロナ禍だからこそなのかもしれませんが、浅間山麓の人口がどんどん増えています。散歩で少し歩いただけで、新築中の家がいくつも目につきます。人が増えれば新たなお店や施設が増えるのは道理でしょう。
 今月、わが家の近くに「Gaflo Cafe」と言う名の新たなカフェがオープンしました。昨年、国道18号沿いに開業した花屋さん(GATE Flower Field)が、同じ敷地内の川沿いに開設したもので、アンティークな雰囲気のカフェです。これは若い女性に好まれそうだと睨んだのですが、案の定、冬枯れの時季にもかかわらず、連日かなりのお客さんが入っているようです。物見高いポン太のことですから、これは一度出かけてみなければと、平日の一番人が少なそうな時間帯を見計らって訪ねてみました。
 入口からして非日常の世界に入っていくようなつくりで、ちょっと古びた木製の家具やテーブルを配した店内は、童話に出てくる西洋の古民家のようなイメージです。屋外には、渓流を見下ろすテラス席もあり、夏場は相当賑わう予感がします。
 さて、注文したコーヒーは、スープ用と見まごうような大きなカップで出てきました。チョコレートクッキーが二枚ついています。コーヒーの上部がクリーミーな感じでしたので、最初からミルクが入っているのかと思ったのですが、そうではなくブラックでした。ミルクを入れたらどんな味になるだろうかと、まわりを見渡したのですが、それらしきものがどこにも見当たりません。飲みやすく美味しいコーヒーでしたので、最後までそのままいただきました。
 しばらく雰囲気を楽しんだ後、店から出たところで、店長さんらしき方に声をかけられました。「ウチはビーガンなので、コクがうまく出せたか心配なのですが、いかがでしたか」と。「美味しいコーヒーでしたよ」と答えると、安心したような様子でした。
 ムムッ、「ビーガン」って何だ?知らない言葉だぞ。家に帰って調べてみると、菜食主義の一種で、バターやチーズといった乳製品ですら一切摂取しない、最も厳格なタイプのことでした。ミルクが出なかったのはあたりまえです。「カフェラテ」を注文していたら間抜けですね。
 「ビーガン」をネットで検索していると、御代田町に菜食レストラン「パザパ」というお店があることがわかりました。テイクアウトできるランチボックスもあるということなので、いかなる料理なのか興味が湧いて注文してみました。肉や魚はもちろん乳製品もダメとなると、相当淡泊な料理ではないかと想像したのですが、全くそうではありませんでした。雑穀米と7種類のおかずが入ったランチボックスは、見た目がすばらしいだけでなく、深みのある複雑な味で楽しめました。 
 ビーガンのカフェや料理店があるなんて、浅間山麓も都会になったものだねと、東京にいる子供たちに言われてしまいましたが、人口増加の影響がこんな形になって表れるとは・・・。

 右は花屋さんの建物で奥の方に見えるのが新たにオープンした「Gaflo Cafe」です。どういうネーミングか最初はわからなかったのですが、おそらく花屋さんの店名である「GATE Flower Field」からGAとFloをとって合成したもののようです。
カフェ入口.JPG
 カフェへの通路におかれた開店祝の花飾りに、華道家の假屋崎省吾氏の名がありました。カフェの母体が花屋さんですから、つながりが深いのでしょうね。
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 こちらがカフェの入口です。意図的に無造作にしてあるところがお洒落です。
カフェの扉.JPG
 川岸に沿って横にのびた想像以上に大きな建物でした。
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 こちらは屋外のテラス席です。夏はおそらく大人気でしょうね。
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 屋内はまさに、アンティークな空間です。
アンティークなカフェ内部.JPG
 カウンター席もよい雰囲気です。
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 この怪しいコーナーは何?魔法使いが出てきそう。
魔法の部屋?.JPG
 大きなカップで出てきたコーヒーです。窓辺の席からは下のせせらぎが良く見えます。
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 さて、こちらは菜食料理のお店「パザパ」。一見したところ普通の住宅ようにしか見えませんから、初めて訪れた際には見つけるのに苦労するかもしれません。
菜食料理パザパ.JPG
 パザパの入口はこちらです。
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 これが今回食べてみた、おまかせランチボックスです。動物性の食材を一切使用していない料理には見えません。
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 このところ、冷え込みが厳しくなり、ランチボックスを受け取りに行く際に通った、国道18号の温度計はマイナス1度を示していました。いよいよ日中でも氷点下という浅間山麓らしい冬の到来です。されど、ランチボックスがあまりに美味しかったので、そんな寒さを忘れてしまいました。
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佐久の知られざる1等三角点

 年の瀬に何を馬鹿なことをやっているのだと思われるかもしれませんが、佐久の1等三角点を探しに出かけてきました。ご承知のとおり、三角点というのは地形図を作成する際の三角測量の基となるもので、1等から4等まであります。三角点網を形づくる三角形の頂点にあたるのが三角点です。最初に大きな三角形を設定し、次第に細かくしていくのですが、最初の大きな三角形の頂点に位置するのが1等三角点というわけです。およそ45キロ間隔に設けられる「本点」とそれを補う「補点」がありますが、いずれにせよ間隔が広いので数は限られ、埋め込まれている標石も、2等以下のものと比べると重量があり立派です。
 前回のブログで上田の虚空蔵山をとりあげましたが、佐久にも同名の虚空蔵山があり、そこから蓼科山方面へつながる尾根上に、1等三角点が存在していることがわかりました。これは行ってみる価値ありと出かけてみたわけです。
 1等三角点探索の起点となるのは、道の駅「ヘルシーテラス佐久南」。中部横断自動車道佐久南ICを出てすぐのわかりやすい場所です。駐車場の脇に「虚空蔵山自然のみち」と称するルートマップ付きの案内板があり、虚空蔵山とその周辺の歩き方がよくわかります。ただし、そこには1等三角点は記載されていません。大半の人は興味がないと考えてのことでしょう。記載されているコースの末端(馬頭観世音)から500mほどのところに1等三角点はあるのです。
 道の駅から、多福寺を経由して虚空蔵山までおよそ40分で到達しました。山上からの眺めを堪能した後、尾根伝いに勾配の緩やかな道を35分ほど登ったところで、「1等三角点まで60m」と記された標識を発見。右手に少し入った樹林の中に、1等三角点(補点)「根岸」が鎮座しておりました。明瞭なピークとは言い難い場所ですので、案内標識がなければ見過ごしてしまったかもしれません。どなたかが書かれた古いブログを読みますと、この三角点を見つけるのに苦労し、山中を何時間もさまようはめになったとか。今は、「虚空蔵山自然のみち」が整備され、随所に道標がありますので、そうした心配はいりません。
 帰路は同じ道を、馬頭観世音のところまでもどり、そこから右手に下る道をたどって、道の駅にもどりました。1周およそ2時間半(含休憩)、標高差218mの山歩きでした。1等三角点もさることながら、気軽に気持ちよく歩ける、良質のトレッキングコースを見つけた思いがしました。

 「ヘルシーテラス佐久南」に立つ案内板です。ショートとロングの2コースが紹介されていますが、ここに記されている所要時間よりも多少は長くかかると考えておいた方が無難です。
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 「ヘルシーテラス佐久南」付近からみた虚空蔵山です。右端の櫓のあるところが虚空蔵山の山頂で、左手に続く尾根をたどった先に1等三角点があります。
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 随所にこのような道標が設置されているので道に迷う心配はありません。
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 風情のある山寺、多福寺の境内から山中に入ります。
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 佐久平が一望できる虚空蔵山山頂です。櫓の上からは、北側以外の三方向の山々の眺めが楽しめます。
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 北アルプスもこのように望むことができます。
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 その先の尾根歩きも快適そのもの。勾配が緩いので、1等三角点までの標高差100mを難なく登ることができます。
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 頭上が騒がしいので見上げると、おおきな鷹が翼を広げて飛び立つところでした。獲物を狙っていたのでしょうか。こんな出会いも山歩きの楽しみの1つです。
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 虚空蔵山からおよそ35分歩いたところでみつけたこの標識。これだけしっかりした表示があれば、だれでも迷わず三角点に到達できます。
標識.JPG
 1等三角点があったのは、まわりより僅かばかり高くなったこんな森の奥でした。
1等三角点のある場所.JPG
 これだこれだ、見つけたぞ1等三角点。
みつけた三角点.JPG
 標石には、横書きで「一等」、縦書きで「三角点」(点の字は土に埋まっていますが)と刻まれていました。
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 同じ道を10分ほどもどると馬頭観世音の石碑があります。
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 その先が分岐点になっていて、左側は虚空蔵山から歩いてきた尾根道、右側が「ヘルシーテラス佐久南」へ下る道です。
分岐.JPG
 どんどん下っていくと中部横断自動車道をくぐり抜ける箇所がありました。
中部横断道の下をくぐる.JPG
 その先は、前方に浅間山を望む、里山らしいのどかな道でした。
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手強い里山 -虚空蔵山(上田)-

 今年は山歩きに出かけた回数は多いものの、そのほとんどは今まで登ったことのある近場の山ばかりです。いつもの年なら、少なくとも5~6座は過去一度も登ったことのない山に登り、未踏峰初登頂の喜びを味わっていたのですが・・・。
 今年も残り1ヶ月を切り、このままでは終われないという気になりました。ふと頭に浮かんだのが、上田の虚空蔵(こくぞう)山。何度も登っている太郎山と同じ山域にあり、一度は登ってみたいと思っていた山です。しかし、太郎山から縦走した場合、コースタイム(地元の道標)で2時間10分、ポン太の足では3時間はみておく必要があります。2時間ちかくかけて太郎山に登り、そこから更にとなると躊躇せざるを得ませんでした。
 直登ルートはないかと調べてみましたら、上田市街地の西部、塩尻小学校の裏から登るコースがあることがわかりました。ただし、地形図を見ると、大変な急登です。登山口の標高が440m、山頂は1077mですから、高度差が637mあります。それに対して、水平距離は1.4km足らずですから、100m進む間に45mも登らなければならないわけです。
 歩き出してみると、確かに急登の連続で、なだらかな区間はほとんどありません。登山道には落ち葉が積もっていて滑べりやすく、とくに帰路は制動が効かず、ひやりとする場面が何度もありました。兎峰という岩峰の下部には、ロープが設置された急峻な岩場もあるなど、全行程、気を緩めることのできない山でした。
 登山口の道標には、頂上まで125分とありましたが、ポン太の足ではとてもそんな時間では無理で、2時間45分かかりました。市街地のすぐ裏にある里山でありながら、これほど手強い山は初めてです。それだけに、登頂達成の喜びは大きく、我ながらよくやったと思います。
 驚いたのは、山頂や途中の尾根上に、山城の跡があったこと。戦国時代の人々のなんとタフなことか。ポン太なら登るだけで戦意喪失間違いなしです。

 塩尻小学校の裏、市街地に接したこの場所が登山口です。まずは座摩神社をめざします。
登山口.JPG
 座摩神社までの標高差は100mあり、最初から結構な登りです。
座摩神社へ.JPG
 座摩神社は養蚕の神様を祀っているそうですが、ここまで参詣に登ってくるのは大変です。ちなみに座摩神社は「ざますりじんじゃ」と読むのが正しいようです。ふりがなが小さかったので、間違えて「ごますりじんじゃ」と読んでしまいましたが、それでは、政権の取り巻きや高級官僚の守護神になってしまいますね。(笑)
座摩(ざますり)神社.JPG
境内から見下ろすと、これだけの高度感があります。すぐ下の線路は新幹線です。
神社からみた市街地.JPG
神社の左手から登山道に入ります。
神社左手から登る.JPG
座摩神社から30分ほど登った尾根上に、持越城という山城の跡がありました。村上義清が武田信玄の侵攻に備えて張り巡らせた山城群(村上連珠砦というそうです)の1つだということです。樹木が無ければ、千曲川の上流方向(その先は信玄の本拠地甲斐)が見渡せますから、武田軍の動きを見張っていたのでしょうね。
持越城跡.JPG
こんな説明板が立っていました。虚空蔵山へ70分と記されていますが、とんでもない話で、ポン太はここから山頂まで2時間近くかかりました。
持越城跡の説明.JPG
石積みの遺構も残っていました。
持越城の遺構.JPG
持越城跡から先は急登の連続です。落ち葉が積もっていて歩きにくく、体力を消耗します。
急登が続く.JPG
高度が上がると、眼前に天をつくような大岩峰が現れました。この岩峰の上が虚空蔵山の頂上というわけではないのですが、虚空蔵山という名にふさわしいみごとな岩峰です。
眼前の大岩.JPG
ルート上に兎峰とよばれる岩峰があり、その直下は岩場の連続です。
岩場も現れる.JPG
このようにロープがつけられた場所もあります。
岩場を登る.JPG
ここを通過する際にはちょっと緊張しました。
ロープのある岩場.JPG
岩場を乗り切ると兎峰との分岐点です。立派な案内板が設置されていました。
兎峰分岐.JPG
兎峰と上田盆地の眺めです。兎峰の上にも登ることができるようですが、今回はパスしました。
兎峰付近からの眺望.JPG
更に登ると太郎山からの縦走路に出ました。頂上まであと一息です。
太郎山からの縦走路と合流.JPG
頂上直下にもこのような岩場があり、気を緩めることはできません。
山頂直下のロープ.JPG
やっとの思いで虚空蔵山の山頂に到着しました。
虚空蔵山頂.JPG
山頂の道標によれば、太郎山まで2時間10分とありますから、縦走するのは大変です。一方、坂城町方面の和合城跡に下るにしてもかなりの道程です。
山頂の道標.JPG
太郎山方面の眺めです。後方には烏帽子岳も見えます。
太郎山、烏帽子岳を望む.JPG
山頂付近に虚空蔵山城の遺構が残っていました。こんな高いところによく城をつくったものだと感心してしまいました。
虚空蔵山城にて.JPG
城跡には、こんな立派な説明板が立っていました。城めぐりが趣味という方でも、ここまで登ってきてこれを読むには、相当な覚悟が必要です。
立派な説明板.JPG
城跡からは上田方面だけでなく、坂城町方面も見渡せます。中央に見える尾根に、村上義清の居城、葛尾城がありましたから、そこを守るためにも、ここは絶対に押さえておかなければならない場所だったのでしょう。後方には北アルプスも見え、絶景です。
葛尾城遠望.JPG
 城跡の一角に虚空蔵菩薩を祀った祠がありました。これが山名の由来です。虚空蔵菩薩は山伏が信仰の対象としたことから、虚空蔵山という名の山は全国に数多く存在しています。以前のブログで、佐久の虚空蔵山をとりあげましたが、登山の難易度は大違いです。
祠.JPG
落ち葉で足元が見にくく、下りはより一層緊張感を強いられました。
怖い下り.JPG
これは、上田城付近からみた虚空蔵山です。市街地のすぐそばにある里山でありながらこれほど手強い山はないというのが、登ってみての実感です。
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山のご褒美 -今季初の霧氷-

 コロナ禍の「ステイホーム」に耐えかねて、ふだん山に出かけることのない人が、山(低山が多いそうですが)へ出かけて遭難するケースが増えているとか。出かけたい気持ちはよくわかります。誰だって、美味しい空気を吸いながら気持ちよく身体を動かしたいもの。されど山を甘く見てはいけません。売店などありませんし、救急車も来てはくれません。里山といえども、それなりの装備が必要ですし、時間のゆとりをもった行動を心がける必要があります。それさえしっかりしていれば、これほどリフレッシュできる世界はありません。
 幸いなことに、信州は山だらけですし、コロナ禍の下でも、安全に歩けるところがたくさんあります。遠出ができないので、今年は近場の山歩きに専念しました。その結果、出かける回数が増え、数えてみましたら、先月末までに100回を超えました。おそらく今年は年間最多記録を更新するものと思われます。山歩きといっても一番多いのは平尾山です。同じ山では飽きてしまうのではと思われるかもしれませんが、何度も登っていると、山からご褒美をもらえることも多く、飽きるどころか、今日はどうかなといつも楽しみです。
 先月の最終回、山頂に近づくと、晴天にもかかわらず、森に雨だれのような音が響いていました。最初は浅間山の雪が風で飛んできたのかと思ったのですが、なんとそれは、霧氷が溶けた水滴の仕業でした。山頂に着くと、頭上の松は、まだ霧氷がついたままで真っ白。さらに、その先のゲレンデ方面に続く尾根道は、純白の宮殿状態で、今季初の霧氷を堪能することができました。

平尾山山頂の松に霧氷がついて、このような姿になっていました。
松の霧氷.JPG
 松の枝の先に見える浅間山も、きれいに雪化粧していました。
松の霧氷と浅間.JPG
 霧氷だけでなく、この日は眺望も抜群。登った人誰もが満足したのではないでしょうか。
大展望の平尾山.JPG
 雪を纏った槍ヶ岳や穂高連峰などは、まるでヒマラヤの山々を見ているような感じでした。
槍穂高のコピー.jpg
 蓼科山や八ヶ岳も、シルエット状態ではなく、はっきり見渡せました。
蓼科八ヶ岳もはっきりのコピー.jpg
 墨絵のように見えるのは、佐久の名山である茂来山。遠くに秩父多摩甲斐国立公園の山々も見えます。
茂来山方面のコピー.jpg
 ゲレンデ方面へとつながる尾根道のみごとな霧氷です。
霧氷咲く尾根.JPG
 少し溶けて飴細工のようになっていたところもあります。
飴細工のような霧氷.JPG
 このような景色を見ると、寒さを忘れて、やはり冬は寒くなければだめだ、などと思ってしまいます。
岩と霧氷.JPG
 霧氷の森の木の枝に、天蚕の繭を見つけました。美しい緑色です。
霧氷と天蚕.JPG
 こちらは下に落ちていた天蚕の繭と蜂の巣です。芸術作品のように見えなくもありません。冬も楽しめる平尾山です。
天蚕と蜂の巣/平尾山で採取.JPG

リンゴの唄

 山も野も冬枯れの風景となる中、ひときわ目立つ存在がリンゴです。この時季らしい澄み切った青空を背景に、真っ赤なリンゴがたわわに実っている光景を目にしますと、元気が出ます。
 敗戦後の混乱期、人々に生き抜く力を与えたといわれる「リンゴの唄」。懐メロ番組などでくり返しとり上げられていましたので、その時代を生きたわけではないポン太でも、「赤いリンゴに唇よせて・・・」と口ずさむことができます。たくさんある果物の中でなぜリンゴだったのでしょうか。瑞々しさを感じさせるということだけでなく、リンゴの育つ環境の厳しさも関係しているかもしれません。厳しい冬があればこそ豊かな実りがある。それは希望につながります。子供のころに歌った童謡にも「わたしはまっかなリンゴです お国は寒い北の国」とあり、リンゴ=寒さの厳しい土地の産物、というイメージです。
 リンゴの中でも横綱格の「サンふじ」が、出荷の最盛期をむかえました。いつもの年ですと、あちらこちらで収穫祭や即売会のようなイベントが開かれ、簡単にリンゴを入手することができるのですが、今年はコロナの影響で、大半が中止となってしまいました。生産者にとっても大打撃でしょう。 せっかく実ったリンゴを、食べないわけにはいかないと、なんとか開催にこぎつけた収穫祭を探しだし、買いに出かけました。蜜がたっぷり入った旬のリンゴはやはり味が全然違います。「リンゴはなんにも言わないけれど、リンゴの気持ちはよくわかる」というのが、リンゴの唄の歌詞ですが、「気持ち」はともかく、食べてみれば、リンゴの実力はよくわかります。産地の近くに住むようになって、本当に美味しいリンゴの味がわかるようになった気がするポン太とポン子です。

 立派に実っているリンゴを見ると嬉しくなります。
たわわに実ったリンゴ.JPG
 こちらも収穫間近の美味しそうなリンゴです。
実ったリンゴ.JPG
 実ったリンゴを鳥や獣に盗られてはならじと、お姉さんの案山子がしっかり見張っています。
立派な案山子.JPG
 こちらの農園には、凝った案山子やたくさんの吹き流しが設置されていて、遊園地のような楽しい雰囲気。
リンゴと案山子.JPG
 産地ならではと思うのは、「家庭用」の名で売られている、比較的廉価なリンゴを買うことができることです。このように大きさも色も形もちょっと不揃いではありますが、味は「贈答用」に劣りません。
不揃いだが美味のリンゴ.JPG
 切ってみるとご覧のとおり。蜜がたっぷりで、甘味と酸味がほどよく調和した、これぞリンゴという味でした。
蜜がたっぷりのリンゴ.JPG

行く秋を惜しむ -上田城と海野宿-

 わが家のまわりの木々はすっかり葉を落とし、冬枯れの風景となりました。あとは冬将軍の訪れを待つだけというわけですが、まだそこまで気持ちを切り換える準備ができたとはいえません。未練がましいといえばそれまでですが、いましばらく信州の「秋」を感じていたいというのが本音です。
 まだ残っていそうな「秋」を求めて、わが家より400mほど標高の低い上田城まで出かけてみました。そこには「秋」が残っていたどころか、なんと本丸の紅葉は真っ盛り。「真田の赤備え」よろしく、真っ赤に燃え上がる木々の迫力はたいしたものです。城壁や櫓の周囲も赤や黄色に色づいており、秋の名城の風情をたっぷり味わうことができました。
 帰路、海野宿に立ち寄ってみました。昨年の台風で千曲川が氾濫し、国道18号から海野宿にいたるメインルートの橋梁が落下。いまだ復旧されていないという気の毒な状態が続いています。幸いなことに宿場町本体にはまったく被害はなく、時代劇のセットのような美しい街並みがそのまま維持されていて安堵しました。宿場内にも紅葉した木々がたくさんあり、今までに何度か訪れた中で、一番といってもよい雰囲気と景観でした。
 お城や宿場町といった古い建造物と紅葉の取り合わせは、なぜかくも人の情感をくすぐるのか。先人の営みを想起させるそのような場所に立つと、「栄枯はめぐる世の姿」といった思いが自然に湧いてきます。そこへ、散り際に渾身の力を振り絞って最高の美を表現しているような紅葉が加わることで、そうした思いが増幅され、感情を高ぶらせる。そんなところがあるのではないかと思ったりします。
 信州最後の「秋」を堪能し、もういつでも来い冬将軍、といった気分になったポン太でした。


 これぞ秋といった空気感に包まれた上田城です。
上田城の秋.JPG
 西櫓を彩るモミジと真っ青な空。徳川の大軍を二度も撃退した天下の名城らしい、凛とした雰囲気を感じます。
西櫓と空とモミジと.JPG
 人気のある観光スポットだけに、それなりの数の人が訪れていましたが、「密」になるような場面はまったくなく、安心して散策することができました。
南櫓.JPG
 本丸の中に入ると、燃えるようなこのモミジ。
本丸のモミジ.JPG
 モミジの葉のあまりの鮮やかさに圧倒されました。
いろあざやかなモミジ葉.JPG
 櫓門外側のお堀のまわりは、すっかり晩秋といった感じでした。葉を落としている木々の大半は桜ですから、花の季節にはみごとな景観となるはず。
晩秋の風情.JPG
 城内のそこかしこに、まだ紅葉した木々がのこっていました。
いりとりどりの城内.JPG
 こちらは、真田を象徴する赤い大兜。「真田の赤備え」は史実とは異なるという指摘もありますが、実戦を経ている上田城には、人を奮い立たせるような赤が良く似合います。
真田の赤、東虎口櫓門.JPG
 上田城には天守閣はありませんが、この南櫓と北櫓には、名城の風格を感じます。
崇高な感じの上田城.JPG
 さて、こちらは上田市のお隣、東御市の海野宿です。一歩足を踏み入れただけで、タイムスリップしたような気分になります。
風情ある海野宿.JPG
 北国街道の宿場町であった海野宿。東信地方でこれだけの規模の宿場町が残っているのはここだけです。
伝建保存地区.JPG
 どの季節に訪れても、この街並みのすばらしさに魅了されますが、紅葉の時季は絵になりすぎるといっても過言ではないでしょう。
紅葉の海野宿.JPG
 保存地区といっても、観光客相手の商売をしている家は少なく、普通の暮らしが営まれています。こちらの家の前には、丹精を込めた菊が飾られていました。
聞くが飾られた古民家.JPG
 うだつが上がった風景。澄み渡った青空によく映えます。
卯建の上がった街並み.JPG
 おっと、これはコロナ退散を願ったアマビエ。サンドアートだそうです。
サンドアートのアマビエ.JPG
 まだ復旧していない、国道18号から海野宿へ通じる道と橋です。手前の広いところには観光客用の第1駐車場がありましたが、そこも昨秋の台風で被災し、復旧工事中です。
落ちた橋.JPG
 いつまでも眺めていたい運野宿の秋です。
これぞ宿場の開き.JPG

晩秋の平尾山-ガイドも兼ねて-

 平尾山ほどお世話になっている山はありません。信州では珍しく、四季を通じて登山が可能であり、毎年50回以上登っています。ポンコツだぬきの足腰がなんとか維持できているのは、まったくもってこの山のおかげと言ってよいでしょう。体調や天候にもよりますが、どのコースをとっても50分から1時間程度で山頂に到達できますから、疲れも残らず、ちょうどよい運動量です。30分では物足りないですし、2時間となれば、今日はちょっと疲れているからやめておくか、などとマイナス思考になるかもしれません。
 気軽に登れる里山でありながら、山頂からの景観はすばらしく、またいろいろな植物を楽しむことができますから、本当に有り難い山です。この山の魅力にとりつかれてリピーター化する人は増加傾向にあり、顔馴染みになった方も少なくありません。皆さん口々におっしゃるのは、「こんなにすばらしい山が近くにあって良かった」ということ。
 されど、里山の悲しさで、国土地理院の地形図には登山道が明記されていません。そこで、登山案内図を自分でつくってみることにしました。登山口からA地点、B地点を経由して山頂に至るのが最短ルートですが、「忍耐の小径」と名付けられているように、急登の連続です。ポン太の足で山頂まで50分前後かかります。A地点から一旦竜神池まで下り、C地点からゲレンデ最上部のD地点を経由して山頂に至るルート(ポン太は「ゲレンデコース」と呼んでいます)は、距離は長いのですが道は一番ゆるやかです。このコースですと1時間前後で山頂に到達します。
 その日の体調や気分、天候、季節によって、様々なコースを使い分けて楽しむことができるのが平尾山の良いところでしょう。この山とのお付き合いは、益々深くなりそうです。

 これが自作の平尾山案内図です。平尾山の最高地点(平尾富士、標高1155.8m)に至る、もっともポピュラーなコースを表示してみました。
平尾山案内図文字入り.jpg
 ゲレンデの下をトンネルで抜けた先にある駐車場です。佐久平PAや平尾山公園の駐車場を利用することも可能ですが、平尾山登山にはここが一番便利です。
駐車場.JPG
 その駐車場の少し先が登山口で、入り口にこんな案内板があります。平尾山全体を「市民の森」と見立てたもので、登山道が公園の遊歩道のように描かれており、実際とは異なる内容(そのように整備する予定であったのかもしれませんが)も含んでいますので、登山の案内図にはなっていません。
登山口の案内板.JPG
 登山口から10分弱でA地点の分岐に到達します。直進すれば「忍耐の小径」、左に下れば竜神池に至ります。
DSCF6684.JPG
 「忍耐の小径」をたどった場合、傾斜のきつい尾根道を20分ほど登ると東屋があります。ここで一息いれて、頂上を目指します。
東屋.JPG
 東屋のすぐ先から左に分岐し、E地点に下る道もあります。その道沿いには白樺の木が多く「白樺の小径」と名付けられています。葉を落としても美しい白樺林は「忍耐の小径」からも眺めることができます。
白樺の小径.JPG
 東屋からは、なだらかな尾根道となりますが、それが終わると頂上に至る最後の急登が待っています。夏場なら鬱蒼たる森の中を行く感じですが、木々の葉がすっかり落ちて雰囲気が変わりました。
忍耐の小径最後の急登.JPG
 いよいよ頂上です。松以外の木々の葉が落ち、花も無く、すっかり冬姿になりました。
寂しくなった山頂.JPG
 枯れ木の先に白銀の北アルプスが姿を現しました。これから先の寒い季節は、この北アルプスの展望が一番の楽しみです。
枯れ木の先の北アルプス.JPG
 佐久平の大展望もみごとです。先月登った美ヶ原もよく見えます。
佐久平一望.JPG
 軽井沢方面の野山も色づいて、晩秋らしい風景になりました。後方に見えるのは鼻曲山など群馬県境の山々です。
軽井沢の山々.JPG
 ちょっと物寂しさを感じる山頂です。左下にあるのが三角点標柱。奥の小屋の中に、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を祀った富士浅間神社があります。
DSCF7041.JPG
 帰路は、D地点経由の「ゲレンデコース」をたどります。山頂からD地点までは快適な尾根歩きです。途中の道沿いには、しめ縄のついた大岩(由来や名前はわかりません)があります。
「神の岩」.JPG
 D地点の前が、パラダスキー場のゲレンデ最上部にあたります。今は一面のススキの原になっているゲレンデの先には蓼科山が見えます。あとひと月もすれば、この斜面をスキーヤーたちが滑り降りていくことでしょう。
ゲレンデ上部.JPG
 D地点からC地点まで100m余の高低差がありますが、「忍耐の小径」と比べると、はるかになだらかな道です。「あかまつの小径」と名付けられているように、赤松の森を下ります。
ゲレンデコース.JPG
 C地点です。ここは、E地点を経由して山頂へむかう「中コース」(と勝手に呼んでいるのですが)との分岐点。「中コース」も味わい深いコースで、特に初夏のヤマツツジは見応えがあります。
C地点の分岐.JPG
 C地点からなだらかな道を少し下ると竜神池に出ます。竜神池周辺も晩秋の雰囲気が漂っています。
竜神池の秋.JPG
 竜神池の畔には、平尾山では珍しい、真っ赤に紅葉するモミジがあります。竜神池からA地点まで少し登り、登山口へ下れば、平尾山一周ということになります。
平尾には珍しい赤紅葉.JPG
 佐久市と御代田町の境界付近に位置する平尾山ですが、全体としてどのような姿をした山なのか、山麓から眺めてみることにしましょう。これは御代田町側からみた姿です。晩秋のこの時季は、山腹のからまつが紅葉し、いつも以上の迫力を感じます。
みごとに色づいた平尾山.JPG
 こちらは佐久市の長野牧場付近からみた平尾山ですが、平尾山脈とでも呼びたいほどの大きさを感じます。この山並み全体が平尾山で、最高地点が平尾富士というわけです。
長野牧場付近からみた平尾山.JPG
 平尾山の麓には、山号がそのものずばり平尾山という曹洞宗の古刹、平尾山守芳院があります。以前に、隠れた桜の名所としてとりあげたことがありますが、晩秋の風情もなかなかのものです。
守芳院の山門.JPG
 裏側(北側)の墓地からみた守芳院の紅葉です。平尾山は、山だけではなくその周辺も魅力たっぷりの里山といえましょう。
守芳院の紅葉亜.JPG
 
 

これが甘酒だ

 「買う」から「つくる」へ。浅間山麓へ移住してから、生活の中で起きた最大の変化といえましょう。もちろん、家の近くには品揃えのよいスーパーがあり、レストラン等もそれなりの数がありますので、必要なモノは買う、食べに行くという、都会生活と同じような生活をしようと思えば十分可能です。しかし、それでは面白くないような気がしますし、何のために自然環境に恵まれた場所に移住したのかわからなくなってしまいます。自給自足などはとうてい無理な話としても、少しぐらいは手造りしたいもの。
 そんなわけで、少量ですが、果樹や野菜を育ててもいますし、干し柿を吊したり、野沢菜を漬けたり、珍しい野菜を使った料理にチャレンジしたりと、年中何かしらつくるものがあるといっても過言ではありません。結果的に自給率100%になっているものもあります。それはジャムと甘酒です。どちらも自家製の味に慣れてしまうと、市販品を買う気にはなれません。
 とくに、甘酒づくりは簡単ですし、つくった甘酒を冷蔵庫で保管しておけば、デザートから料理まで応用範囲も広いので、いまやわが家の常備品のようになっています。湯たんぽを利用した、ポン太流の簡単で美味しい甘酒造りをご紹介することにします。
 用意する原材料は、ご飯と麹だけ。いつも利用している麹はこれです。
こうじ.JPG
 袋の中にはこんな麹が入っています。これを用いただけで、ご飯が甘酒に変身するのですからたいしたものです。
こうじ (2).JPG

 ①ホーロー鍋に、ふつうに炊いたご飯1合を投入します。
1合の米.JPG
 ②その鍋にご飯がたっぷり浸かる程度の水を入れ、かき混ぜながら数分煮込み、五分粥をつくります。
五分がゆに.JPG
 ③ ②の鍋を数分間放置し、五分粥の温度が70~80度ぐらいまで下がったところで、麹を200g程度投入し、しゃもじでよく混ぜます。そうすると鍋の中は60度前後の発酵に適した温度になります。
こうじ20g投入.JPG
④ 沸騰したお湯を入れた湯たんぽの上に、フタをした③の鍋をのせます。湯たんぽと鍋底が直接ふれずにすむタイプの湯たんぽを使用していますが、ふつうの湯たんぽでも、タオルを間にはさめば大丈夫でしょう。
湯たんぽにセット.JPG
⑤ショールやウールのセーターなど、保温力のある布(3枚ぐらい)ですっぽり覆い、最後はタオルケットを二重にして被せます。このまま部屋の中に14時間程度放置しておけば、発酵が進み、甘酒になります。
グルグル巻きに.JPG
⑥これで出来上がりです。かき混ぜながら加熱し、発酵を止めます。火を止めてからしばらく放置し、冷えたら冷蔵庫で保管します。
できあがり.JPG
⑦このようにヨーグルトや果物にトッピングして食べるのが、ポン太の定番です。甘くて美味しいヘルシー・スイーツです。
ヨーグルトにトッピング.JPG

 ベランダでは、干し柿づくりが進行中。今年も柿すだれができました。
柿すだれ.JPG

三つの浅間山をめぐる

 コロナ禍は収まるどころか、またまた感染拡大の様相を呈しており、困ったことです。感染すれば重症化リスクの高い世代に属しているポン太ですから、密になるような場所を避け、遠出もあきらめ、専ら近場の山野を徘徊する日々です。そんな中で新たに気づいたことも多々あります。その1つが、浅間山麓には、そのものズバリ浅間山を山号とする寺院が3つもあることでした。
 寺名の前に○○山という山号をつけるのは中国由来だそうで、同名の寺院を区別するために、所在地の山名をつけるようになったのがその始まりとか。平地のお寺でも、例えば、金龍山浅草寺というように山号をつけるのは、山を聖なるものとみる意識が根底にあるように思います。
 浅間山という、地域の象徴であり誰もが知る山を山号にしている三つのお寺というのは、軽井沢町の泉洞寺、御代田町の普賢寺と真楽寺です。
 まずは追分宿の浅間山泉洞寺から。1598年(慶長3年)の開創という曹洞宗の古刹ですが、境内にカーリング地蔵や縁結び地蔵といったユニークな地蔵が並ぶ、親しみやすいお寺でもあります。晩年を追分宿で過ごしていた作家の堀辰雄氏が、毎日の散歩コースにしていた場所としても知られています。参道の紅葉が美しく、ポン太も毎年楽しませてもらっています。
 次は、浅間サンライン沿いにある浅間山普賢寺。ちょっと珍しい黄檗宗のお寺で、1677年(延宝5年)に、浅間山の噴火を鎮めるために開かれたそうです。黄檗宗の本山は、江戸時代に中国から招かれた隠元禅師が開いた京都(宇治)の萬福寺で、ポン太も修学旅行で訪れたことがあります。すべてが中国式のお寺で、解説者から、ここの僧は昔から食事をする際にも机と椅子のモダンな生活をしており、皆さんのように2DKの団地に住むようになって、ようやくそうなったのとは違うのです、といった趣旨の話を聞いた記憶があります。たしかに、そのころの多くの日本人は、まだタタミとちゃぶ台の生活でした。浅間山普賢寺は、スケールこそ小さいものの、京都の萬福寺と同じ雰囲気が漂っていて、黄檗宗のお寺であることを実感します。普賢寺の後方には、「普賢山落」という別荘地があります。文化芸術系の方々の別荘が多く、故武満徹氏もそこを作曲活動の拠点にしていた由。
 最後は浅間山真楽寺です。浅間山麓の古刹中の古刹といってもよいお寺で、創建はなんと1400年以上前の用明天皇(聖徳太子の父)の時代(585~587年?)とされます。浅間山の噴火の鎮静を祈願する為に勅願により開かれたと伝わる「祈願寺」で、現在は真言宗智山派の寺院です。御代田町の夏の風物詩「龍神まつり」は、甲賀三郎伝説の残る境内の大沼の池からスタートするのですが、今年は、コロナ禍のために中止となってしまいました。仁王門や三重塔など、見どころも多く、四季を通じて散策にはもってこいの場所といえましょう。
 浅間山を山号とする三寺院のどれもに、浅間山に負けない風格を感じたポン太でした。

 泉洞寺参道入口の門柱には、浅間山の文字がしっかり刻まれています。
浅間山の文字付石柱.JPG
 泉洞寺の山門です。門の奥に見えている本堂にも「浅間山」の額が掲げられています。
浅間山泉洞寺山門.JPG
 鐘楼も風情があります。
泉洞寺鐘楼.JPG
 参道を彩る紅葉はみごとです。
参道.JPG
 山門の内側から見ても風情があります。
泉洞寺の門.JPG

 こちらは浅間山普賢寺の山門です。すでに異国情緒が漂っています。
普賢寺山門.JPG
 この文字、「浅間山」には見えないのですが、異字体を用いているのでしょうか。
普賢寺の扁額.JPG
 モミジ葉の絨毯を敷き詰めたような境内に建つ普賢寺の本堂です。丸窓や桃のマーク(そう呼んでよいのかどうかわかりませんが)に、黄檗宗らしさを感じます。
普賢寺、紅葉の絨毯.JPG
 別の角度からみた本堂ですが、意外な大きさに驚かされました。
普賢寺本堂.JPG
 参道に菱形の石が並ぶのも黄檗宗らしいところで、京都の萬福寺もそうなっていたと思います。これは龍の背を意味しているとか。
普賢寺の参道の石.JPG
 この道具、正式な呼び名はわかりませんが、中国的雰囲気が漂っています。
山門の木魚.JPG
 
 浅間山真楽寺にやって来ました。風情のある山門(仁王門)ですが、ここに記されている「浅間山」の文字も異字体のようです。
真楽寺山門.JPG
 真楽寺のシンボルの1つといえるこの石段。龍神まつりの際に、ここを上り下りする龍の姿は圧巻です。
真楽寺石段.JPG
 龍神伝説の残る大沼の池です。
真楽寺の龍神池.JPG
 龍神まつりの際には、この立派な本堂前が龍の休憩場所となります。 
真楽寺本堂.JPG
 真楽寺といえばこの三重塔。1751年(寛延4年)頃の建造物ということですが、優美で見応えがあります。
三重の塔/真楽寺.JPG
 石段の表参道の隣に脇参道もあり、その周辺の紅葉はみごとです。
真楽寺脇参道の紅葉.JPG
 真楽寺の境内には、高さ20mという子育て地蔵尊もあります。同種の中では日本一の高さだそうで、八ヶ岳・蓼科連峰と対峙し、佐久平一帯の子育てをすべて見守っているような姿に見えます。
子育て観音.JPG
 真楽寺の北側には、御代田町が整備した「シャクナゲ公園」があります。シャクナゲはまだ大きく育っておらず、名前負けしているようなところがありますが、紅葉はきれいでした。
シャクナゲ公園.JPG

懐古園は錦秋なり

 浅間山麓の紅葉もいよいよ最終盤。今も「見頃」が続いているところは少なくなりましたが、その1つ、小諸の懐古園を訪ねてみました。ご承知のとおり、懐古園は日本百名城の1つにも選ばれている小諸城の跡です。今も残る石垣とその周囲を彩る紅葉の取り合わせは抜群で、毎年見ているにもかかわらず、園内に入った瞬間、「おお!いいね」という言葉が口をついて出てしまいます。今年は、とりわけ赤系の紅葉の色が鮮やかであるように感じました。
 懐古園の標高は660m前後ですから、ポン太の家より240mほど低く、紅葉の進み具合には、少なくとも一週間程度の時差があります。ちょうどわが家のまわりの紅葉が終わりかけたところで出かけましたので、まさにベストタイミングでした。
 小諸と言えば、文豪島崎藤村ゆかりの地です。されど、懐古園の紅葉のすばらしさに言及した文章や詩を、寡聞にして知りません。今は、信州屈指の紅葉名所となっている懐古園ですが、藤村が暮らしていた明治のころはそれほどでもなかったのか、あるいは紅葉など当たり前すぎてあえて取り上げるようなものではなかったのか。
 それはさておき、現代の懐古園の紅葉が「紅葉名所」の名に恥じぬ美しさであることは間違いありません。まだ間に合いますので、近くまで来られた方は、ぜひ足をむけられてはいかがでしょうか。

 入口の料金所付近から後方を振り返ってみた風景です。奥に見えるのが懐古園の象徴でもある三の門で、1765年(明和2年)に再建されたものということです。
期待高まる入口.JPG
 北丸跡と南丸跡の間を抜け、空堀の紅葉谷に架かる黒門橋へとむかいました。
黒門橋へ.JPG
 北丸跡には弓道場がありますが、紅葉越しに響く弓音には、城跡らしい風情を感じます。
紅葉の射場 (2).JPG
 黒門橋を渡った先の、石垣と紅葉です。ここから先は、紅葉尽くしと言ってもよいでしょう。
ワンちゃんも紅葉散歩.JPG
 ボリューム感のあるみごとな紅葉です。
ボリュームのある紅葉.JPG
 天守台の石垣と紅葉です。城跡ならではの景観に思わず見とれてしまいます。
石垣vs紅葉.JPG
 さらに進めばこの紅葉。まさに古城燃ゆといった感じがします。
古城燃える.JPG
 馬場跡の端にある東屋の紅葉は、まるでつくりもののようです。
東屋と紅葉.JPG
 最奥の水の手展望台からは千曲川を見下ろすことができます。懐古園の外の風景も見応えがあります。
千曲川.JPG
 空堀の役割を果たしている田切地形ですが、そこに架かる酔月橋付近の紅葉もなかなかのもの。
空堀の紅葉.JPG
 富士見展望台付近には、四海浪という茶店がありますが、そのまわりのモミジは、これ以上はないと思えるほどの赤紅葉です。
冷やしあめ/四海浪.JPG
 天守台の石垣の上はこのようでした。
天守の紅葉.JPG
 天守台から遊歩道を見下ろしたところです。
天守からみた紅葉.JPG
 こちらは本丸跡の紅葉。色彩の豊かさに魅了されます。
本丸の紅葉.JPG
 紅葉に囲まれた懐古神社脇の池です。
本丸の噴水.JPG
 園内のどこを見てもきれいな紅葉が目に入ってきます。こちらは絶妙なグラデーション状態の紅葉です。
見事なグラデーション.JPG
 十分満足して懐古園を後にしました。小諸駅前の「停車場ガーデン」の木々も紅葉しており、ポン太が注目している明治期の煉瓦造油庫(危険品庫・ランプ小屋)も、いつもより存在感が高まったように見えました。
紅葉の危険品庫.JPG

ご近所の紅葉めぐり

 浅間山麓の御代田町にちょっとした新しい動きがありました。その1つは、町のふるさと大使にNGT48の安藤千伽奈さんが任命されたこと。芸能界に疎いポン太は、AKB、NGT、○○坂などと聞いてもピンと来ないのですが、自治体にとってはインパクトがあると判断しての起用なのでしょう。
 さらに、VチューバーとしてCGアニメのキャラクター「浅間路(あさまじ)ユリ」をつくったという話を聞き、ポン太には、当初、何のことやらよくわからなかったのですが、ユーチューブの町公式チャンネル「みよた動画」で、このキャラクターを活用し、町の紹介などを行っていくそうです。試しにYouTubeで「浅間路ユリ」を検索しましたら、その動画がすぐに出てきました。ポンコツタヌキとしては、浅間山麓の小さな自治体もそういう動き方をする時代になったのかと驚いた次第です。
 閑話休題。このところ、寒気が強まり、家のまわりの紅葉が一気に進みました。今年の紅葉は、始まるのが遅かった分、色づくのもはやく、あっという間に見頃になったかと思うと、数日で「落葉しきり」状態になってしまいます。見逃してはならじと、ウォーキングに精をだす日々です。
 葉が美しく色づくには、寒暖差が不可欠で、日中の気温が8℃を前後し、大きな寒暖差のある日が続くと美しい紅葉を見ることができるとされます。現在の浅間山麓はまさにその条件に合致していますから、紅葉がどんどん進むのは当然かもしれません。モミジやカエデ、カラマツといった、最初から美しく色づくことが期待される樹木だけでなく、コナラやクヌギといった、平地ではくすんだこげ茶色になって散っていくようなものですら、遠目にはオレンジ色に見えるほど鮮やかに色づいています。それも寒暖差のなせるわざといえましょう。以下は、散歩道のあちらこちらに出現している「ミニ紅葉名所」のレポートです。

 まずはわが家の紅葉から。木々が色づくと見慣れたはずの庭がまったく別物となり、山奥の「ポツンと一軒家」にでも来たような気分です。
紅葉のわが家.JPG
 収穫の終わった家庭菜園の後ろのモミジがきれいに色づきました。
菜園の紅葉.JPG
 いつも通っている道も、生け垣や庭木が色づいて、明るくなりました。
散歩道の紅葉 (2).JPG
 生活道路を散歩しているだけで、これだけの紅葉が楽しめるのは有り難いことです。
散歩道の紅葉.JPG
 道沿いにはこんな立派なモミジもあります。
散歩道の紅葉 (3).JPG
 家の柵を利用して大根を干している家をみつけました。グッドアイデアかもしれません。
大根干し.JPG 
 御影用水のほとりにあるカフェです。カラマツが色づいています。
水辺のカフェ.JPG
 水辺の色彩が豊かになりました。
水辺も色濃く.JPG
 秋の深まりを感じる風景です。
水辺も色濃く (3).JPG
 こちらのお宅の紅葉は、まさに燃えるがごときといえるのでは。
見事な紅葉の庭.JPG
 こういった未舗装の道の方が、気分良く歩くことができます。 
紅葉の散歩道.JPG 住宅エリアも紅葉に染まっています。
住宅地も紅葉.JPG
 こちらのお庭の紅葉もきれいです。
こちらもすばらしい紅葉.JPG
 ここは、いつもの散歩コースの中で一番展望の開けた場所で、蓼科山がきれいに見えます。
蓼科遠望.JPG
 黄金色に紅葉しているように見える木々の大半はコナラです。
紅葉トンネル.JPG
 こちらは追分宿の中山道です。風情があります。
追分宿の紅葉.JPG
 こういった歴史を感じさせる道を歩くには、なんといっても秋が一番です。
追分宿の秋2.JPG
 旧油屋旅館の庭の紅葉もみごとです。
油屋の紅葉.JPG
 散歩の途中で立ち寄った泉洞寺境内の「縁結び地蔵」です。真っ赤な紅葉が、燃え上がる恋の炎のようでもあり、この時季にお参りすれば御利益があるかも。
縁結び地蔵尊.JPG
 浅間山も裾の方まで色づいています。
山腹も色づいた浅間.JPG
 麓の集落も紅葉に包まれました。防災無線放送拡声器の後方の山は高峯山です。
せまる紅葉.JPG
 

紅葉の軽井沢をひたすら歩く

 軽井沢周辺の紅葉が見頃をむかえました。ドラえもん風にいえば、「どこでも紅葉」というのが、軽井沢の紅葉の特徴ではないでしょうか。紅葉名所といわれるスポットはいくつかありますが、そこだけが美しいというわけではなく、街路、別荘の庭、レストランやカフェの周囲、教会、小公園など、町中いたるところで、味わい深い見事な紅葉に出会うことができます。すなわち、散歩やウォーキングがそのまま紅葉狩りになるわけです。周囲の山々の紅葉もすばらしく、高低差のあるコースを選べば、トレッキング気分も味わえます。
 コロナ禍が続く中、「密」を避けたいという思いがあり、たくさんの人出が予想される軽井沢(とくに旧軽井沢周辺)にはなかなか足が向きませんでした。されど、紅葉だけは見逃すわけにはいきません。明らかに他の町とはその表情が異なる、軽井沢の紅葉を見ずして秋は終われません。そこで、商業施設等には一切立ち寄らず、ほぼ半日、ひたすら歩くことだけを目的に出かけてみました。
 スタート地点としたのは大賀ホール前。旧軽井沢周辺の別荘地帯を抜け、遊歩道(山道)経由で碓氷峠の見晴台へ。帰路は旧軽銀座を通り抜け、六本辻から雲場池周辺をめぐり、大賀ホール前にもどるというコースをたどりました。旧軽銀座など部分的には「密」を感じるところもありましたが、大半は、東京の都市公園などと比べれば人がいないに等しく、軽井沢の紅葉を存分に味わうには、メインストリートでないところを歩き回ること、それにつきると実感したポン太でした。

 スタート地点とした大賀ホール周辺の木々も、みごとに紅葉していました。
大賀ホール.JPG
 大賀ホール前から北へむかう大きな通りは、街路樹全体が紅葉の見頃になっていました。
大賀ホール前の道路と紅葉.JPG
 一歩裏通りに入れば、どこも軽井沢らしい散歩道です。
軽井沢らしい散歩道.JPG
 道沿いの別荘の庭の紅葉があまりにきれいなので、ついつい見入ってしまいます。
きれいなお庭.JPG
 こんな浅間の焼石の塀にも軽井沢らしさを感じます。
軽井沢らしい別荘.JPG
 川沿いのエリアの雰囲気も良く、歩いていて飽きることはありません。
精進場川.JPG
 テニスコート脇の紅葉もきれいです。
テニスコート脇の紅葉.JPG
 ショー記念教会のまわりの木々は、色づきはじめという感じでしたが、これはこれで味わいがあります。
ショーハウス.JPG
 歴史の古い旧軽井沢周辺の別荘地には、面積が広大な(それだけ高価な)物件が多く、個人では所持しきれなくなるケースもあるようです。ここはリゾートマンションの建設予定地のようですが、かつての別荘の門だけが残っていました。
再開発される別荘地.JPG
 碓氷峠へむかう道沿いのトイレも紅葉に囲まれていて、一見トイレには見えません。
トイレも紅葉.JPG
 遊歩道に入るとこんな感じで、気分良く歩くことができます。
遊歩道を進む.JPG
 遊歩道のシンボルのような吊り橋のまわりもかなり色づいていました。
吊り橋の紅葉.JPG
 吊り橋から先はほぼ山道です。
どこもきれいな遊歩道.JPG
 標高が高くなるにつれて紅葉の色が濃くなり、これぞ山の紅葉という感じになってきました。
遊歩道の紅葉2.JPG
 碓氷峠の見晴台は紅葉真っ盛り。みごとな色彩です。
見晴台の紅葉.JPG
 見晴台から妙義山方面をみたところです。目の前の山も紅葉しています。
妙義方面の見事な紅葉.JPG
 碓氷峠を下り、旧軽銀座へと入って行くこの一角だけは、かつての軽井沢宿の雰囲気を留めていて、ポン太は大好きです。
つるや旅館.JPG
 旧軽銀座中心部は、平日にもかかわらずこの人出。ほうほうの体で退散しました。
旧軽銀座は密.JPG 
 旧軽ロータリー近くの街路樹も見事に紅葉していました。
旧軽ロータリーも美しい紅葉.JPG
 軽井沢きっての紅葉名所とされる雲場池です。今年は例年と比べて見頃になるのが一週間遅かったということですが、その分、鮮やかさは増したような感じがしました。
雲倍池.JPG
雲場池2.JPG
雲場池4.JPG
 レストランのまわりも良い感じになっていましたが、今回は外食は最初から考えておらず、目の保養のみ。 
レストラン.JPG

横谷渓谷で「紅葉浴」

 緑一色だった世界が、僅かな時間の経過で極彩色に一変する。自然界のマジックのような紅葉シーンに心を動かされるのは当然です。カメラを手にすれば、もうシャッターを押したくて仕方が無い気分になってしまいます。それでも、目の前にある圧倒的な色彩美を写真で伝えきれるかといえば、なかなかそうはいきません。逆に写真だけ見て満足できるかといえば、それは間違いなくノーです。やはり、現地に行って生で見るのが一番。
 紅葉名所といわれているところは、大勢の人がその価値を認めているだけに、見頃の時季さえはずさなければ、満足度はかなり高いといえましょう。ポン太の住む浅間山麓から比較的近いところにあって、渓谷の紅葉名所といわれているのが蓼科の横谷渓谷です。下流の乙女滝から最奥のおしどり隠しの滝まで、渓谷沿いに3キロ弱の遊歩道が続いています。その間の標高差が300mほどありますから、場所によって紅葉が見頃になる時季が異なり、出かけた日によって、違った眺めが楽しめるというのもこの渓谷の魅力です。
 2年ぶりに訪れた横谷渓谷は、ちょうど中間部あたりが見頃でしたから、一番よいタイミングだったかもしれません。この秋は天候が安定せず、雨が多かったせいか、渓谷を流れる渋川の水量が増していました。岩に砕け散る真っ白な水しぶきと、渓谷を彩る紅葉との絶妙なコントラスト。遊歩道には赤や黄色の光のシャワーが降り注いでおり、森林浴ならぬ「紅葉浴」を楽しむことができた一日でした。

 横谷渓谷へむかう途中の八千穂高原の白樺林です。紅葉は終わりかけていましたが、高原らしい爽快さを感じる景観です。
白樺林の紅葉/八千穂高原.JPG
 横谷観音駐車場から渓谷歩きをスタートしました。駐車場前からの眺めがすでにすばらしく、ここだけ見て帰ってしまう人も多いのですが、渓谷まで降りて歩かないのはもったいない話です。一番遠くに見えている山は木曽の御嶽山のようです。
横谷観音展望台より.JPG
 横谷観音前からは横谷渓谷の全体を眺めることができます。
展望台からみた横谷渓谷.JPG
 山の斜面の紅葉はまさに色とりどりの美しさ。
横谷渓谷斜面の紅葉.JPG
 紅葉のシャワーを浴びながら歩いているような遊歩道です。
紅葉のシャワー.JPG
 遊歩道から見上げた景色はまるで庭園のよう。
見上げた森の美しさ.JPG
 まずむかったのは最奥のおしどり隠しの滝です。遊歩道といってもこのようにアップダウンの激しいところもあり、足ごしらえは必要です。
危ない遊歩道.JPG
 標高の高いこのあたりでは、紅葉のピークは過ぎた感じでしたが、水量が増したおしどり隠しの滝は、いままでで一番の迫力を感じました。
おしどり隠しの滝.JPG
 増水した水が遊歩道の階段下部にまで達していて、通過する際にちょっと緊張しました。
水量多く少し怖い.JPG
 人気スポットだけに、大勢のハイカーが訪れていました。
大勢のハイカーたち.JPG
 おしどり隠しの滝とそのすぐ上にある明治旅館(赤い屋根の建物)を、高い位置から見下ろすとこんな感じです。
明治旅館とおしどり隠しの滝.JPG
 同じ場所から視線を上げると、紅葉したカラマツ林と蓼科山が見えました。
蓼科山とカラマツの紅葉.JPG
 対岸の紅葉も見事です。
渓谷斜面の紅葉.JPG
 遊歩道を途中までもどり、次にむかったのは王滝展望台です。そこからは横谷渓谷のシンボルである王滝を真正面からみることができます。落差はそれほど大きくありませんが、その名にふさわしい風格を感じます。
王滝の偉容 (2).JPG
 王滝から下流に進むにつれ、しぶきを上げて流れ下る「ナメ」状の箇所がいくつも現れます。
紅葉と渓流 (2).JPG
 急流が自分に向かって押し寄せてくるようで、一番迫力を感じたのはここでした。
紅葉下の瀬 (2).JPG
 渓谷の探勝を終えて横谷観音までもどると、これ以上に赤いモミジはないだろうと思えるほどの赤紅葉が、日を浴びて輝いていました。
横谷観音前の真っ赤な紅葉.JPG 
 


里に降りてきた紅葉と「芸術の秋」

 季節の移ろいは足早です。高山から始まった紅葉前線が、いま海抜1000m前後の山麓へと到達しつつあります。ポン太の家のまわりの木々もだいぶ色づいてきました。場所によってはすでに紅葉が見頃になったところもあります。地域全体が紅葉一色となり、それらが全部消え失せて枯れ木の原と化すまでの時間は、これからおよそ三週間ほどでしょうか。
 人間界の動きとは無関係に、色づき散っていく見事な紅葉。日々刻々と変化するその様を眺めることができるこの時季だけは、家を留守にしたくないと思います。いつもの年であれば、会合等で東京方面へでかけることも多いのですが、コロナ禍の今年は、すべての予定が白紙となりました。皮肉なことですが、腰を落ち着けて、地域の紅葉シーンをしっかり味わうことができそうです。
 秋は芸術の季節でもありますが、大きなイベントはほとんど中止になってしまいました。浅間山麓最大の秋のイベントに成長しつつあった、「浅間国際フォトフェスティバル( PHOTO MIYOTA)」もその1つです。紅葉の森の中で、世界の一流写真家の作品を鑑賞することができなくなってしまったのは、とても残念です。
 このフェスに限らず、レベルの高い作品や演奏、演技などに接することで、モチベーションが高まったり、様々なヒントを得たりすることは間違いなく、それが全くないのは寂しいもの。何か興味深い催しの1つぐらいはないだろうかと思っていたところ、出展者の方から『第26回全日本写真連盟東信支部写真展』の案内状が届き、会場の佐久創造館に出かけてみました。アマチュアとはいうものの、なかなかのハイレベル。しかも馴染みのある場所を題材にしているものが多く、なるほど、こういう切り口もあるのかと、大変刺激になりました。ポン太のカメラを持つ手にも、より一層力が入りそうです。

 今朝の浅間山です。今季二度目の冠雪になります。当地では、浅間山に三度雪をみると、里でも雪が降るといわれていますので、今年の初雪は案外はやいかもしれません。紅葉が山裾まで進んでいる様子がうかがえます。
二回目の雪浅間.JPG
 ポン太の森の紅葉もここまで進みました。
わが家のまわりの紅葉.JPG
 紅葉に目を奪われていましたが、樹木の下では、ヤマジノホトトギスが咲いていました。
ホトトギス.JPG
 生活道路も豊かな色彩になりました。
ご近所風景.JPG
 紅葉した葉があると森も明るくなります。
森の紅葉.JPG
 すばらしいグラデーションになったご近所のモミジです。
紅葉グラデーション.JPG
 水辺(御影用水)一帯もこのように色づいています。
水辺の紅葉2.JPG
水辺の紅葉1.JPG
 一見山小屋のようなこの建物、今年開業したばかりのクリニックです。
御影クリニック.JPG
 公園の木々も色づき始めました。ここは御代田町の龍神の杜公園。毎夏盛大に行われる「龍神まつり」のメイン会場です。祭は中止となりましたが、紅葉は例年同様の美しさです。
龍神の杜公園.JPG
 御代田町のスポーツゾーンである雪窓公園前の道もきれいに色づいています。後方の山は八ヶ岳連峰です。
雪窓公園前の道路.JPG
 サッカー場脇の紅葉です。左手奥に平尾山が見えます。
サッカー場前.JPG
 さて、その平尾山ですが、山頂部からみた現状はこのとおりです。色づき始めといったところでしょうか。
平尾山頂も色づく.JPG
 しかし、ポン太が山中に移植したモミジの中には、このように立派に紅葉していたものもありました。大きく育て、がんばれポン太モミジ!
ポン太の紅葉.JPG
 平尾山の麓を流れる湯川の露切峡です。最近この近くの住宅地にクマが出て騒ぎになりました。そのクマはまだ見つかっていません。
露切峡.JPG
 「浅間国際フォトフェスティバル」が開催されればエントランスになった建物です。看板が真っ白なのを見ると、寂しさを感じます。
美術館エントランス.JPG
 ここに展示予定の作品もあったはずです。
作品展示予定だった場.JPG
 フェスが開催されていないのに、次々と人や車がやってきます。その理由はカフェの存在でした。
美術館エントランス (2).JPG
 軽井沢(追分)の人気カフェ、キャボットコーヴが出店していたのです。
美術館の看板.JPG
 キャボットコーヴの「本店」はこちらです。「11月3日まで、お隣り御代田町の旧メルシャン美術館跡地で営業しています」という掲示が出ていました。フェスの中止は残念ですが、美術館跡の素敵な場所が活用されてよかったと思います。
キャボットコーブ.JPG
 こちらの写真展を見に行ってきました。
写真展案内状001.jpg
 会場の佐久創造館はこの駒場公園の中にあります。木々の紅葉が始まっていました。
駒場公園.JPG
 これが、佐久の様々な文化活動の拠点になっている佐久創造館です。
佐久創造館前.JPG
 駒場公園は、東京でいえば上野公園にあたる存在。美術館や図書館、野外ステージなどがあり、佐久市のカルチャーゾーンになっています。園内はきれいに整備されていて、紅葉を眺めながらの散策も楽しめます。
駒場公園の紅葉.JPG
 公園内にはマレットゴルフ場もあります。他県ではあまり見かけないものですが、信州では中高年を中心に大人気の県民スポーツです。
マレットゴルフ.JPG

 
 


 

浅間連峰秋便り<その3> カラマツの紅葉と絶景の黒斑山

 山の紅葉のフィナーレを飾るのがカラマツです。山腹全体が黄金色に染まる様は圧巻で、浅間連峰では高峰高原がいま見頃になっています。これを見逃すわけにはいかないと出かけてみることにしたのですが、先日、初冠雪した浅間山の現状も見たいと考え、その両者の眺めが楽しめる黒斑山に登ることにしました。
 登山口の車坂峠は、期待通りの黄金色の世界でした。眼下の佐久平には雲海が広がり、その上に蓼科・八ヶ岳連峰が浮かんでいます。最初からこんなにすばらしい景色を堪能してよいのかと思えるほどでした。登り始めてしばらくの間は黄金色に染まった森の中を進みます。標高が高くなるにしたがって植生が変わり、常緑樹が多くなりますが、立ち止まってふりかえると、高峯山とその周辺には、カラマツの紅葉と雲海とが織りなす絶景が広がっていました。毎夏、コマクサを鑑賞しているガレ場付近からの眺めは絵のような美しさで、しばしば登っている水ノ塔山や籠ノ登山が、とてつもなく崇高な山に見えました。
 最初のピークである槍ヶ鞘まで登ると、巧妙にデザインされた、まるで錦絵のような浅間山が眼前に現れました。これは北斎でも描けないのでは、と思わず口走ってしまったほどの美しさです。山頂部の山肌に残る筋状の雪と山腹を彩るカラマツの紅葉とが相俟って、この時季ならではの稀有な景観をつくりだしていたのです。何度も訪れている黒斑山ですが、これまででナンバーワンの眺めと言ってもよく、「浅間連峰秋便り」の最終章にふさわしい山歩きとなりました。

 車坂峠からみた雲海と蓼科・八ヶ岳連峰です。スタート時からこの景色ですから、いやがうえにも気分は盛り上がります。
雲海に浮かぶ蓼科八ヶ岳.JPG
 黒斑山は登山届けの提出が必要な山なので、まずは作成しておいた書類をポストへ。
登山届.JPG
 カラマツの紅葉を眺めながら歩き始めました。ご覧のとおり、高峰高原一帯は黄金色の世界です。
 カラマツの紅葉と登山道.JPG
 少し登ったところで振り返ると、水ノ塔山(右)と東籠ノ登山が見えました。黄金色のカラマツの森を従えて堂々と立つ姿に、いつもとはだいぶ違った雰囲気を感じました。
紅葉の高峯高原と水ノ塔山.JPG
 こちらは雲海に浮かぶ四阿山。雲海があるのとないのとでは、まったく景色が違います。
雲海に浮かぶ四阿山.JPG
 カラマツ林のむこうに目指す黒斑山が見えてきました。黒斑山自体には紅葉する樹木はありません。
カラマツの紅葉と黒斑山.JPG
 夏場はコマクサが楽しみなガレ場です。カラマツの紅葉に埋め尽くされた大展望が待っていました。
ガレ場からの大景観.JPG
 同じガレ場から見た蓼科・八ヶ岳連峰も絵のような美しさです。
ガレ場から見た他蓼科八ヶ岳.JPG
 そこから少し登って、目を凝らすと、雲海のかなたに北アルプスの穂高岳と槍ヶ岳を確認することができました。
槍穂高.JPG
 こちらは同じ場所から三方が峰(池の平湿原)や烏帽子岳方面を見たところですが、後方には、鹿島槍ヶ岳など後立山連峰の山々が姿をみせています。
雲海のかなたには北アルプスが.JPG
 標高が高くなると、登山道脇には雪が残っていました。
雪の残る登山道.JPG
 槍が鞘のピークまであと少しというところで振り返ると、水ノ塔山と東籠ノ登山が本当に神々しい姿になって雲海に浮かんでいました。左端の東籠ノ登山の真後ろに見えているのは、白馬岳のようです。
雲海と水ノ塔籠ノ登.JPG
 前方の視界が開け、浅間山のこの姿が目に飛び込んできました。息をのむほどの大迫力です。
息を飲む浅間の景観.JPG
 槍が鞘のピークから眺めると、まるで錦絵のようでした。
槍が鞘からみた浅間.JPG
 谷底を覗くと吸い込まれそうになりますが、紅葉は見事です。
吸い込まれそうな谷底の紅葉.JPG
 この日は天気が良かったこともあり、驚くほど大勢の登山者が訪れていました。ここを登り切れば、大展望の待つ「トーミの頭」です。
登山者多数.JPG
 「トーミの頭」では、次々とやってくる登山者が、見事な眺めに見入っていました。
見事な眺めに見とれる登山者.JPG
 これが「トーミの頭」からみた浅間山です。こちらの方が、より錦絵に近いかもしれません。
トーミの頭からみた浅間.JPG
 黒斑山のピークを踏んでから、その少し先の稜線上にある、お気に入りの「ランチテラス」へ。そこからの眺めもまたすばらしく、極上のランチタイムを楽しむことができました。
いつものランチ場所にて.JPG
 「ランチテラス」からみた外輪山斜面の紅葉は迫力満点です。
外輪山斜面の紅葉もみごと.JPG
 少し視点が違うだけで、浅間山山頂部がこんな姿に見えます。今は浅間山本体に登山することはできませんが、山頂に通じる登山道がくっきりと見えています。
ランチ場所からの浅間.JPG
 帰路は、展望のない森の中を行く「中コース」をとりましたが、かなり下ったところに、一箇所だけ開けた場所があります。そこには、雲海とカラマツの紅葉という、この日のみどころを凝縮したようなすばらしい景観が広がっていました。 
中コースからの大景観.JPG

信州のスカイツリー、美ヶ原山へ

 このところ冷え込む日が多くなり、昨日は浅間山が初冠雪。例年より10日はやいということで、山麓の紅葉も一気にすすむものと思われます。
 その話題はまた後日ということにして、今回とりあげるのは、先日トレッキングをしてきた美ヶ原山についてです。どうしてタイトルで東京スカイツリーを引き合いに出したかといえば、どちらも地上デジタル放送の送信という重要な役割を担っているからです。
 東京スカイツリーの高さ634mに対して、美ヶ原山の最高点、王ヶ頭の標高は2034mもあり、3倍を優に超えます。これだけの高さがあれば、よほど遠くまで電波がしっかり届くのではないかと思いきや、必ずしもそうではありません。わが家では、テレビの画像が乱れて、視聴不能に陥る事態がしばしば起こります。荒天時が顕著で、画像が乱れる度に、「おっ、今日は美ヶ原が荒れているぞ」とか、「雷雲に覆われているのかも」などとつぶやいています。やはり、2000m級の山の気象条件はかなり厳しいといわざるを得ないでしょう。
 その美ヶ原山ですが、新婚間もないころ、扉峠から茶臼山経由で登ったのが最初で、その後も何度か訪れています。ご承知のとおり、山頂部は平坦で、2000mの高さにあるとは思えないような広さをもつ大草原(大部分は牧場として利用)になっています。その一角まで車で行くことができ、美ヶ原高原美術館といった施設もありますから、ただ訪れただけでは「山歩き」とは言えません。紅葉が期待できるこの時季に「訪問」ではなく、「山歩き」をしてみたいと考えました。下から登れば間違いなく「山歩き」ですが、それでは少々しんどいので、次のように考えました。まず、山本小屋ふるさと館の駐車場に車を置きます。そこから、美ヶ原山の最東端に位置し、まだ一度も頂を踏んだことのない物見石山に登って折り返し、牛伏山のピークを踏んでから、西端近くに位置する最高点の王ヶ頭まで往復(片道はアルプス展望コース経由)する。それなら相当な距離を歩くことになり、累積標高も稼げるので、「山歩き」とみなせそうです。
 天気予報に反して、すっきり晴れてはくれませんでしたが、ガスの切れ目に現れる山肌の紅葉は、ゾクッとするような美しさでした。どこまでも続く平坦な牧草地と、溶岩台地の縁にあたる部分の荒々しく切り立った岩壁のコントラストも面白く、さらには、ガスの晴れ間に突然姿を現した王ヶ頭の電波塔群が天空の宮殿のように神々しく見え、「いつも電波を届けてくれて有り難う」と感謝の気持ちを抱いてしまったポン太でした。

 上田から美ヶ原へむかう道が、災害復旧工事のために通行止めとなっており、やむなく長和町側からビーナスラインを経由したのですが、その途中の紅葉が見事で、まさに結果オーライでした。
ビーナスラインの紅葉.JPG
 山本小屋ふるさと館駐車場に車を置いて、まずむかったのは物見石山。美ヶ原山のピークの中では最もマイナーな存在のようで、入口付近の登山道はほぼ踏み分け道。ただし、草もみじはきれいでした。
踏み分け道のような登山道.JPG
 途中にはレンゲツツジの群生地もあり、シーズンにはすばらしい景観になりそうです。
レンゲツツジ群生地.JPG
 気持ちのよい道が続きます。
よい雰囲気の山道.JPG
 ガスが少し薄くなり、物見石山の頂上付近が見えてきました。
物見石山山頂付近.JPG
 物見石山山頂の三角点です。
物見石山三角点.JPG
 少しガスが晴れてまわりが見えてきましたが、山頂からの眺めはなかなかのもの。簡単に登ることができるので、ファミリーハイカーにはおすすめです。
物見石山山頂からの紅葉風景.JPG
 物見石山の次に目指した牛伏山への道は木道になっていました。右手のオブジェは美ヶ原高原美術館の展示物です。要するに、美術館の裏山のような感じで、ここだけ登ったのではとても「山歩き」とは言えません。
牛伏山へ.JPG
 しかしそう馬鹿にしてはいけません。山頂からの眺めは広大で、登るだけの価値は十分あります。
牛伏山山頂からの眺め.JPG
 牛伏山から山本小屋へと下り、台上の平坦な道を王ヶ頭方面へむかいました。道の両側は牧場で、美ヶ原といえばこの風景が頭に浮かぶようなところです。
台上の道.JPG
 たくさんの牛たちが草を食んでいて癒されます。
美ヶ原牧場の牛たち.JPG
 美ヶ原のシンボルである「美しの塔」を右に見てさらに進むと「塩くれ場」です。
美しの塔.JPG
 「塩くれ場」から「アルプス展望コース」に入ると、山歩きらしい雰囲気になってきました。ここは茶臼山への道を分ける百曲り園地です。
百曲り園地分岐.JPG
 その少し先から振り返ると、見事な景観でした。
百曲がり園地付近から.JPG
 しばらくするとガスがまた濃くなって何も見えなくなってしまいました。展望がないのは残念ですが、こんな山道をたどるだけでも楽しいもの。
霧の道.JPG
 足元をみると、なんと夏の名残のフウロが1輪、健気に咲いていました。
フウロか.JPG
 ガスが薄くなるとこんな紅葉が現れました。これもまた良きかなです。
DSCF5399.JPG
 このコースのハイライト、烏帽子岩が見えてきました。
烏帽子岩が見えた.JPG
 近づいて反対側に回るとこの美しさ。
烏帽子岩.JPG
 足元の景観はこのとおりで、ガスがなければ本当にすばらしい眺めになりそうです。
烏帽子岩付近からの眺め.JPG
 王ヶ頭が近づくと突然ガスが晴れて、電波塔群が姿を現しました。まるで異空間に入り込んだようです。
電波塔群.JPG
 今まで見えなかった景色も見えてきました。山頂部が平坦で広い台地状の山であることがよくわかります。
平坦な山頂と台地に崖.JPG
 眼下にこんなに美しい紅葉が広がっていたとは。最高地点である王ヶ頭に達したところで、この景色を見ることができて、もう大満足です。
すばらしい紅葉.JPG
みごとな紅葉.JPG
 帰りは台上の平坦な道を戻りました。前方からやって来たのは、王ヶ頭ホテルの送迎バス。王ヶ頭に到達するだけなら歩く必要すらありません。複数のピークを巡り、「アルプス展望コース」をたどることで、なんとか「山歩き」の形をつくることができました。
台上を行く送迎バス.JPG
 山の天気は変わりやすく、振り返ると、すでに王ヶ頭はガスに霞んでいます。ほんの一時でしたが、陽を浴びた美しい紅葉を見ることができたのは幸運でした。
霞む電波塔と牛たち.JPG

 さて、こちらは昨日初冠雪した浅間山です。浅間山麓の紅葉事情についてはまた後日お伝えしたいと思います。
浅間山初冠雪.JPG

 

日本一の白樺林から、紅さす池畔へ

 このタイトルをみて、すぐにその場所が頭に浮ばない方は、失礼ながら、佐久地域にまったく縁がないか、一度も足を運ばれたことがない方でしょう。当地で、日本一の白樺の群生地といえば、北八ヶ岳の東側山腹に広がる八千穂高原であり、水辺に紅をさしたような鮮やかな紅葉といえば白駒池をおいてほかにはありません。
 浅間山麓在住のポン太にとっても、紅葉シーズンに必ず1度は訪れたい場所になっています。今年は出かけるのが少し遅くなってしまい、見頃を過ぎたのではと不安になりましたが、例年より紅葉の進み方が遅かったようで、なんとか間に合いました。
 コロナに配慮して、池畔が「密」になりやすい時間帯は避け、夕方、それも日没にぎりぎり間に合う遅い時間にしました。その結果、駐車場はガラガラ、池を一周する遊歩道の人影もまばら、夕陽を浴びた池畔の紅葉は今まで見たことがないほど鮮やかでしたから、この選択は大正解でした。
 白駒池へ行く前に、八千穂高原の「八千穂レイク」周辺を散策したのですが、広大な白樺林の紅葉もちょうど見頃になっており、白駒池と甲乙つけがたい美景を堪能することができました。ところで、八千穂高原は「恋人の聖地」ということになっているそうです。ところが、まわりを見渡してみれば、散策しているのは中高年ばかり。「明るい青空白樺林、山越え谷越えはるばると・・」などという歌詞に反応し、白樺に高原のロマンを感じるのは、ある年代以上なのかもしれません。

 八千穂高原へむかう途中の景観です。
八千穂高原の秋.JPG
 渓流沿いの木々もきれいに色づいています。
大石川の紅葉.JPG
 標高が上がると道路沿いでもこの美しさです。
道沿いの紅葉.JPG
 白樺群生地の紅葉です。まさに「ザ・高原」といった感じ。
白樺の黄葉.JPG
 八千穂レイクは1973年に農業用としてつくられた溜池ですが、今はすっかりまわりの風景に溶け込んでいて、池畔の紅葉もご覧のとおりの見事さです。この池の標高は1505mあります。
八千穂レイク湖畔の紅葉.JPG
 ここは「恋人の聖地」ということですが、この日は「釣り人の聖地」になっていました。
釣り人の聖地?八千穂レイク.JPG
 今年もすばらしい紅葉を見せてくれた白駒池です。こちらの標高は2115mもあり、天然の池としては日本最高所に位置しています。
いつも美しい白駒池.JPG
 このあたりの岸辺の紅葉はすでに盛りを過ぎていましたが、それでも十分綺麗です。
紅葉とボート.JPG
 まばゆいばかりの池畔の紅葉です。 
白駒池池畔の紅葉.JPG
 今年はコロナの影響で小屋泊まりの人が減った分、キャンプが大人気で、土日は予約もとれないほどだったそうです。この日は平日だったせいか、数張レベルでした。
テント場.JPG
 周回路の樹間からみる紅葉は風情があります。
夕陽を浴びた紅葉.JPG
 水辺に赤い葉がちらほらと見えるこんな感じも悪くありません。
水辺の紅葉.JPG
 この写真どのように見えますか?実はこれは水面に映っている紅葉なのです。浮遊する落ち葉とコラボして、水の中にも紅葉した樹木があるように見えます。
水紅葉.JPG
 斜光を浴びて、輝きを増した紅葉です。水面に映る色も素敵でした。
夕陽の照る紅葉.JPG
 あたりが少し薄暗くなると、池畔の小屋が温もりのある特別な場所に見えてきます。「水にたそがれ迫るころ、岸の林をしずかにゆけば、雲は流れて・・」という、はるか上の世代の歌がなぜか思い浮かびます。ただし、「湖畔の宿」は榛名湖が舞台だそうですから、ここではありません。
湖畔の小屋.JPG
 白駒池の周囲は「苔の森」として知られています。夕陽が差し込むと、より一層神秘的な感じになり、本日のフィナーレにふさわしいものでした。
苔の森の夕陽.JPG



浅間連峰秋便り<その2> 彩り豊かな烏帽子岳

 登りやすく展望抜群で、高山植物も豊富。貴重な蝶やカモシカにも出会える。登山道の途中には美しいカラマツの自然林もある。そんな良いことづくめのような山が烏帽子岳です。何度登っても期待を裏切ることのない山ですが、秋もまた文句なしと言ってよいでしょう。紅葉する木々が適度に存在し、多様な色彩を楽しむことができます。公園のモミジような派手さはないものの、山の紅葉はかくあるべしと言いたいような眺めを楽しむことができるのです。
 烏帽子という名のとおりの山容で、山頂部には二つのピークがあります。最初に到達するのが小烏帽子というピークで、いったん下って登り返した次のピークが標高2066mの烏帽子岳山頂となります。小烏帽子から烏帽子岳山頂に至る稜線歩きが、なんといってもこの山のハイライトです。周囲の山々の眺めがすばらしいのはもちろんですが、登山道のまわりには紅葉する低木が多く、天気さえよければこれほど気持ちの良い稜線歩きはありません。
 途中でなんと80代の登山者に出会いました。いくつになっても、体力の続く限り登りたいと思わせるだけの魅力がある山なのです。見頃をむかえた烏帽子岳や湯ノ丸山一帯の紅葉。この先、カラマツが紅葉する今月下旬まで、楽しむことができそうです。

 登山口の地蔵峠を出発して15分ほどで湯の丸キャンプ場です。白樺がよい感じに色づいていました。背後の山は湯ノ丸山です。
湯の丸キャンプ場より望む湯ノ丸山.JPG
 まずは湯ノ丸山の麓を半周してその裏側まで進みます。傾斜はゆるやかで、山歩きというよりもウォーキング。美しいカラマツの自然林を眺めながらの道中は快適そのものです。
色づき始めたカラマツ林.JPG
 まさに秋色の遊歩道といった感じです。行く手に烏帽子岳の稜線が見えてきました。
秋色の歩道.JPG
 地蔵峠から一時間強で、湯ノ丸山裏登山道との分岐に到着です。前方の山肌が色づいているのがわかり、期待感が高まります。ここからが本格的な山登りです。
湯の丸分岐.JPG
 烏帽子岳山腹の朱を散らしたような紅葉が目に飛び込んできました。
山腹の紅葉.JPG
 登るにしたがって赤い色が増えてきました。
彩り増す登山道.JPG
 足元のハクサンフウロの葉もきれいに紅葉していました。
フウロの紅葉.JPG
 これぞ山の紅葉という感じです。
これぞ山の紅葉.JPG
 めざす小烏帽子の山頂付近も色づいています。
小烏帽子の紅葉.JPG
 小烏帽子の山頂からみた烏帽子岳です。左側斜面の紅葉がみごとです。
烏帽子山頂付近の紅葉.JPG
 小烏帽子から烏帽子岳山頂へと続く稜線は、まさに雲上のパラダイス。道沿いの低木がきれいに紅葉していました。
紅葉の稜線.JPG
 紅葉した木々の真っ只中を進むところもあります。
紅葉の中をいく.JPG
 振り返ってみた稜線です。小烏帽子の山腹がみごとに色づいていました。
稜線はパラダイス.JPG
 地蔵峠から2時間20分ほど(含休憩)で烏帽子岳山頂に到着しました。目の前の湯ノ丸山も紅葉が進んでいるように見えます。
烏帽子から見た湯の丸.JPG
 登頂後は、同じ道をたどり地蔵峠にもどりましたが、日が傾くに従って山腹の紅葉がより一層輝きを増し、山歩きのフィナーレを飾ってくれました。
色とりどり.JPG

浅間連峰秋便り<その1> 「草もみじ」の池の平とその周辺

 高い山から始まった紅葉が、駆け足で里に降りてくる。そんな季節となりました。モノトーンに支配される冬を前に、山や森が、驚くほど多様な色彩に彩られ、いつもとは全く違った姿を見せてくれるのですから、これほど楽しみなことはありません。これから11月中旬までの1ヶ月余、いつどこでその美しさを味わったらよいか、いつも悩むところです。
 現時点で木々が色づいているのは、標高2000m前後のエリアですから、近場で対象となるのは浅間連峰の山々。まずは湯の丸高原の一角にある池の平湿原へでかけてみることにしました。池の平湿原は、三方ヶ峰火山の火口原に広がる高層湿原で、その周辺は「花の宝庫」として知られています。高山植物の女王コマクサをはじめ、夏季の花々のすばらしさについては、以前のブログでとり上げたとおりです。
 この時季になると、咲いている花はほとんどありません。しかし、湿原の鏡池のまわりの「草もみじ」は風情がありますし、適度に色づいた木々を縫っての山歩きは、それだけでも気分の良いものです。夏季に可憐な花を咲かせていた草花の中には、その葉が真っ赤になるものもあり、樹木の紅葉だけではなく、足元の紅葉にも目を奪われます。秋山の風情を味わいつつのんびりと逍遙するには、気温がまだそれほどは下がっていない今が一番ではないでしょうか。

 このあたりは、いわゆる紅葉名所ではありません。赤や黄色の極彩色の紅葉を期待するとがっかりしますが、寂寥感を伴った秋山らしい風情を楽しむことができます。夏季にはお花畑になっていた斜面も今はごらんのとおりです。
お花畑の今.JPG
 色づいた木々の先に見えるのは東籠ノ登山です・
籠ノ登山.JPG
 湿原を取り巻く尾根から見た黒斑山(その上に浅間山が少し顔をだしています)です。カラマツの本格的な紅(黄)葉はまだこれからです。
池の平湿原からみた浅間山黒斑山.JPG
 夏季にはコマクサが可憐な花を咲かせていた三方が峰のガレ場です。先日登ったばかりの蓼科山が優美な姿を見せています。
三方が峰から見た蓼科山.JPG
 こちらは美ヶ原方面を見たところです。真っ赤に紅葉しているのはクロマメノキでしょうか。
コマクサ園から見た美ヶ原.JPG
 足元で紅葉していたのは、ハクサンフウロの葉です。
ハクサンフウロの葉.JPG
 森陰ではイワインチンがまだがんばって咲いていました。
まだ咲いていたイワインチン.JPG
 こちらも僅かに残っていたタカネマツムシソウの花です。足元のオンタデはすっかり色づいて最終段階といったところ。
マツムシソウとオンタデ.JPG
 見事に紅葉しているのは、ナガバモミジイチゴの葉でしょうか。
イチゴの葉の紅葉.JPG
 池の平湿原の鏡池と草もみじです。
草紅葉.JPG
 池の背後に見えるのは東籠ノ登山です。
鏡池と籠ノ登山.JPG
 湿原は一面の枯れ野原です。平日のせいか、時間帯のせいか、歩いている人はほとんどいません。
誰もいない湿原.JPG
 秋ならではの風情を感じます。
草もみじの湿原.JPG
 開放口とよばれる火口原の端には、こんな日本庭園のような場所があるのですが、秋色に染まった景観は格別です。
開放口.JPG

秋晴れの蓼科山へ

 散歩の折、不動産業者の看板に、「二つの山に見守られた町」と記されているのを見て、これはすばらしいキャッチコピーだと見入ってしまいました。浅間山あっての当地というような言い方をすることが多いポン太ですが、もう1つ忘れてはならないのが蓼科山です。北に浅間山、南に蓼科山を望む雄大な景観こそが当地の最大の魅力であり、お互いに相手を引き立てるような役割を果たしているからです。
 浅間山の標高が2568mであるのに対して、蓼科山のそれは2530mと同レベル。どちらも円錐形で風格があり、シンボル的要素は十分です。深田久弥氏は『日本百名山』の中で、「古い本によると、浅間山を北岳、蓼科山を南岳と呼んで、この二山を東信州の名山としている」と述べています。そのような呼び方を実際にしている方に出会ったことはありませんが、この二山が東信州を代表する名山であることは間違いありません。
 目の前にでんと構えて時に畏怖の念を抱かせる浅間山に対して、少し距離のある蓼科山には、絵画的な美しさを感じます。ほぼ毎日眺めてはいるのですが、しばらくその山頂に立っていないことが気になり、調べてみたところ、直近の登頂はなんと10年前でした。こんなにご無沙汰していては申し訳ないと、天気の良さそうな日を見計らって出かけてみることにしました。
 蓼科登山のイメージは、登山というよりハイキングです。「日本百名山」の中でも、登頂の容易な山の1つだと認識しておりました。前回登った際にも苦労したという記憶はありません。しかし、今回はちょっと違いました。コースタイムを大幅にオーバーしただけではなく、将軍平から山頂に至る最後の登りが、こんなにも大変だったのかと思い知らされました。同区間は急登というだけでなく、大きな岩が幾重にも積み重なっており、湿った岩は滑りやすく、滑落したら大変なことになります。息はあがっても足は上がらず、やっとの思いで山頂に到達しました。
 蓼科山に初登頂したのは35年も前ですが、なんと三歳の娘を背負っての登山でした。上述の岩場の急登を難なく突破したようで、記憶の片隅にも残っていないことが信じられません。我ながら、三十代の体力はたいしたものだと思います。
 それはさておき、時間はかかっても、しんどい思いをしても、山頂に立った喜びは何ものにも代えがたいものです。大展望というご褒美も待っていますから、山歩きをやめたいとは思いません。標高2530mの蓼科山山頂は、今年の山歩きの(現時点での)最高地点となりました。

 大河原峠をスタートした時には、霧が立ちこめていました。現在、大河原峠には佐久市側からしか行けません。蓼科高原側からの道は昨年の台風による土砂崩れで、不通となったままだからです。そのせいか、同峠からの登山者は少なく、静かな山歩きが楽しめました。
大河原峠.JPG
 このコースの面白さは、登るにつれて植生が変わることです。最初のうちは笹原の中をゆるやかに登ります。
笹原を登る.JPG
 登るにしたがって、樹木の下は苔だらけとなり、幽玄な感じがしてきます。
苔の森に変貌.JPG
 苔の色が鮮やかで、自然がつくった庭園のよう。
苔の森.JPG
 しばらく急登が続きますが、登り切ったあたりに、佐久市最高地点(2380m)の標識がありました。蓼科山本体の手前に位置するこのピークは、前掛山と呼ばれているようですが、地形図には山名の表記はありません。
前掛山の尾根に立つ佐久市最高地点標.JPG
 間もなく枯れ木(縞枯れ現象)の森が現れます。立ち枯れた木々の間から、蓼科山の山頂部が姿を現しました。
立ち枯れの樹木の先に蓼科が.JPG
 水が溜まって、小さな池塘のようになったところもあります。こんな変化を楽しめるのもこのコースならではです。
ぬかるみと木道.JPG
 前掛山からゆるやかに下ったところが将軍平。蓼科山荘という山小屋があり、ここで、蓼科高原側の七合目登山口からの道と合流です。登山者の数が増えてきました。ここまで来れば、目の前に見える蓼科山頂まであっという間に到達できそうな気がしたのですが・・・。
将軍平からみた蓼科山頂.JPG
 将軍平から山頂まで、このような岩だらけの急登が続きます。鎖があるのはここ一箇所だけで、あとは手と足の三点支持でよじ登るといった感じです。濡れていた岩に日が当たり、水蒸気が立ちのぼっていました。
鎖場.JPG
 次第に視界が開けてきました。あと一息です。後方に見える山は、その尾根をたどってきた前掛山です。
滑りやすい岩場.JPG
 登り切ったところに建っているのが蓼科山頂ヒュッテ。眼下に雲海が広がり、高山らしい雰囲気です。
山頂ヒュッテ到着.JPG
 山頂部には、大きな石がこれでもかというぐらいごろごろしています。
浅間連峰を望む.JPG
 ここが一等三角点を戴く蓼科山の山頂です。
一等三角点.JPG
 雲の上に姿をみせているのは北アルプスの槍・穂高連峰です。
岩ゴロの山頂からみた槍ヶ岳.JPG
 北八ヶ岳の雄峰、北横岳は指呼の間です。
北横岳.JPG
 こちらは荒船山。その名のとおり、大海を行くタンカーの姿のように見えます。
荒船山.JPG
 すばらしい眺めを楽しんだ後は、下山しなければなりません。あの岩場を下るのかと思うと気が重くなりましたが、登ってきたときよりもガスが晴れて、展望は抜群でした。山小屋に届ける大荷物を背負った歩荷(ボッカ)さんとすれ違いましたが、本当にご苦労様です。
歩荷.JPG
 この日のフィナーレを飾ってくれたのは、この景観でした。いつもとは逆に、蓼科山側からみた浅間山のなんという美しさ。神々しいといっても過言ではありません。
神々しい浅間山 (2).JPG

家庭菜園は店じまいへ

 このところ、気温の低下が著しく、長袖の上に何か1枚羽織らないと過ごせなくなりました。夜間は10度近くまで下がる日もあり、すでに暖房を入れています。
 以前に記したように、当地は1年の半分弱が冬で、残りの半年余りに三季が凝縮されているといっても過言ではありません。したがって、家庭菜園は、4月から9月までの半年間が勝負ということになります。現時点でわが菜園に残っている作物は、トマトが1個と若干のインゲン、オクラが数個、それに雑草のように繁茂しているシソだけ。もう終わったも同然の状態です。
 コロナ禍で遠出ができないという状況の下、「家庭菜園」ぐらいは気合いを入れてと臨んだ今年でしたが、結果はといえば、どうひいき目にみても、上出来とは言い難いレベルでした。6月までは順風満帆といった感じで、すくすくと育った美味しいレタスを味わい、毎日のように収穫できたイチゴでデザートも充実。ブルーベリーは今まで見たことのないほどたくさんの実をつけるなど、コロナ禍を吹き飛ばす勢いでした。しかし、長雨とその後の猛暑で、トマトやキューリの育ちが悪く、葉物もヘロヘロ状態に。口に入ったのはほんの僅かでした。なんとか例年並みに収穫できたのは、ジャガイモ(ノーザンルビー)ぐらいでしょうか。
 プロの農家でさえこの夏の異常気象には四苦八苦し、野菜の価格が高騰したことを思えば、ど素人の菜園がうまくいかなかったのは仕方のないことかもしれません。わが菜園は店じまいですが、プロの畑ではこれから旬をむかえるものがいろいろ育っています。その筆頭にあげたいのがブロッコリー。寒さが増した頃に収穫されるブロッコリーは旨味が凝縮し、とにかく美味。進む紅葉を眺めながら、ブロッコリーたっぷりのサラダを頬張るのが、ポン太流の浅間山麓の秋の過ごし方です。

 夏場に不振を極めたわが菜園。ようやく実った数少ないトマトの最後の1つがこれです。気温がだいぶ下がってきたので、このまま赤くならない可能性もあり心配です。がんばれトマト!
最後のトマト.JPG
 夏の盛りに播いたインゲンが、なんとか実ってくれました。少量ですが、煮物1回分ぐらいにはなりそうです。
インゲン.JPG
 花も楽しめるので1株だけ植えておいたオクラです。猛暑で背が伸びず、ダメになるかと思っていたのですが、なんとか持ちこたえて、数個の実をつけてくれました。
オクラ.JPG
 タネも蒔かず世話をしているわけでもないのに、勝手に繁茂してくれるのがシソです。これだけは長雨も猛暑も関係なし。花が咲き実が付いていますので、来年も大丈夫でしょう。
シソ.JPG
 収穫したノーザンルビーです。土づくりにかなりの労力を費やした割には、ちょっと少ない気もしましたが・・・。
今年のジャガイモの収穫はこれだけ.JPG
 ルバーブも初夏に1回収穫しただけで終わりました。盛夏には、茎も葉も枯れ、地上にはほとんど何も残っていない状態となりました。絶えてしまうのではと心配しましたが、気温の低下とともに復活し、ここまで元気になりました。
ルバーブ復活.JPG
 リンゴ(アルプス乙女)も例年の半分ぐらいしか実りませんでした。この量ではジャムにするのはちょっと難しいかもしれません。
アルプス乙女.JPG
 庭の花もだいぶ寂しくなりましたが、百日草はまだ元気です。
百日草ほか.JPG
 花の色の変化を楽しんでいたアジサイが、こんなピンク色になりました。
ピンク色になったアジサイ.JPG
 今、わが家の周辺の(プロの)畑で目立つのはブロッコリーです。浅間山麓でこれから収穫されるブロッコリーの美味しさは格別です。
ブロッコリー畑.JPG
 黄金色の稲穂とブロッコリーがコラボしているのはこの季節ならでは。意図してはいないでしょうが、これも「畑アート」では・・・。
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 もうひとつ目立つ畑といえばこれ。そば畑は、花から実へと変化の真っ最中です。
蕎麦畑.JPG
 よくみると可愛らしいそばの花です。たくさんの実がつきそうで、「新そば」が楽しみです。
蕎麦の花.JPG
 そば畑の上に広がる秋の空。一句浮かびそうですが・・・。
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 里山にはキノコがいっぱいです。見分けがつかないので、ポン太は手を出しませんが、わかる人にとっては最高の季節でしょう。森の中で、ディズニーアニメにでも出てきそうなこんなキノコを見つけました。
きのこ.JPG
 その近くに咲いていたのはギンリョウソウモドキ(アキノギンリョウソウ)です。葉緑体をもたない腐生植物で、ちょっと気味が悪いのですが、花の少ないこの時季、貴重な存在ではあります。
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 平尾山からみた黄金色の佐久平です。
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「日本遺産」になった上田・塩田平

 上田市の塩田平を中心とした一帯が、文化庁により「日本遺産」に認定されました。同じ東信エリアに属し、山歩きや温泉、催し物等で何かとお世話になっている地域が、そのような栄誉を得たことは大変喜ばしく、ポン太にとっても嬉しいことです。しかし、そのニュースに初めて接した際には、何が評価されてそうなったのか、理解できませんでした。確かに見どころも多く、歩きがいのある素晴らしいエリアではありますが、認定理由(ストーリー)は、「レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』~龍と生きるまち信州上田・塩田平」だそうです。これを聞いて、何を言っているのかすぐにわかる人はほとんどいないのではないでしょうか。「レイライン」て何?「太陽と大地の聖地」って何のこと?「龍と生きるまち」とは?
 調べてみると、「レイライン」とは、古代の遺跡が一列に並ぶように建設されたのではないかという仮説だそうで、学術的に確立した概念ではないということです。確かに神社仏閣が多いエリアではあり、「聖地」と言われて違和感はありませんが、それらが意図的に一直線に並ぶようにつくられたと断定できる根拠はなく、創作ロマン(悪くいえばこじつけ)のように感じてしまいます。信州で最初に「日本遺産」に認定されたのは木曽エリアですが、そのストーリーは「木曽路はすべて山の中~山を守り山に生きる~」でした。これなら、誰が聞いてもわかりやすいですね。
 とまあ、少し非難がましいことを書いてしまいましたが、この地が「日本遺産」にふさわしくないというわけではまったくなく、有形・無形の文化財も豊富ですし、山々を背景とした景色も良く、訪ねる価値のある場所であることは間違いありません。わかりやすいストーリー、表現になっていないことが惜しまれるというのが、ポン太の率直な気持ちです。  
 塩田平の風景をいくつかご紹介し、この「日本遺産」にエールを送りたいと思います。

 まずは上田電鉄の下之郷駅ちかくにある、生島足島神社の御柱(おんばしら)風景です。御柱といえば諏訪が有名ですが、こちらもなかなかのもの。諏訪同様、7年に1度開催され、次回は来年(2021年)です。同神社の創建年は不詳ですが、1000年をはるかに超える歴史があります。祭神は、生島大神と足島大神で、前者は万物を生み育て生命力を与える神、後者は国中を満ち足らしめる神とか。どうやら「太陽と大地の聖地」というフレーズの一端はそこからきているようです。(下の写真は、いずれも2010年の御柱の風景です)
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 こちらは塩田平の南方に位置する真言宗の古刹、前山寺です。実に雰囲気の良いお寺で、茅葺きの本堂は趣があり、重要文化財の美しい三重の塔も見どころの1つです。
前山寺の春.JPG
前山寺三重の塔.JPG
 このお寺の名物である「胡桃おはぎ」です。どろっとした食感は独特です。
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前山寺の裏手にある弘法山に登ると、塩田平が一望できます。山頂の岩は弘法大師を意味しているように見えますが・・・。
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信州最古の温泉といわれる別所温泉。温泉施設だけでなく、常楽寺、北向観音堂、安楽寺といった著名な寺院があり、散策するのにふさわしい場所です。これは安楽寺の八角三重の塔(国宝)です。
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 この地は、信州の鎌倉と呼ばれており、寺院周辺の雰囲気も鎌倉に良く似ているような気がします。
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 聖地=祈りの地であるとすれば、戦没画学生の絵を収集展示している「無言館」も、この「日本遺産」に含まれているのではないでしょうか。
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 レイラインはわかりにくくても、レイルラインならよくわかります。来年、開業百周年をむかえる上田電鉄別所線。「聖地」たる塩田平を貫いて別所温泉に至る路線ですから、これまた当然、「日本遺産」でしょう。桜に囲まれた別所温泉駅は、そこに行くだけでも価値があります。
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 沿線風景も風情があります。左手の円錐形の山が、雨乞いの儀式として有名な「岳の幟(たけののぼり)」に関わる夫神(おがみ)岳です。(2011年10月26日撮影)

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興趣尽きない1000m林道

 道はどこかへ行くために通るものですが、そこを通ること自体に面白さを感じる道もあります。その1つが「1000m林道」です。地名ではなく「1000m」と名乗る理由は、軽井沢町の千ヶ滝地区から小諸市の菱野温泉付近まで、浅間山麓の標高およそ1000mの地点を結んでいるからです。等高線に沿っているので、起伏はほとんどありませんが屈曲は多く、道幅の狭い箇所も随所にあり、決して走りやすい道路とはいえません。元々森林の整備・保全を目的として設けられた「林道」なのですから、当然といえば当然です。
 近年、軽井沢町から御代田町にかけての沿道は、別荘地や住宅地として開発が進み、カフェやお店も増えています。不動産広告にも「1000m林道至近」などとあるように、緑のトンネルの中を行く素敵な高原ロードというイメージが定着してきているようです。
 沿道一帯は浅間山麓に暮らす人々の水源地であり、水道関連施設も目につきます。当地の水道水はすべて湧水か地下水ですが、以前のブログで触れたように、浅間水系の水は、日本では珍しい高レベルの硬水(カルシウム、マグネシウム含有量が多い水)です。コーヒーには最適で、香りが立ちキレのよい味になります。カフェで飲むその美味しさの原点を確認できるのも、この道ならではでしょう。
 御代田町西部や小諸市のエリアに入ると、林道本来の姿となり、森林地帯にふさわしい、農林業関連の研究機関やその試験場が現れます。薄暗い森の中を行く箇所も多く、道端の「クマ注意」看板が現実味を帯びてきます。小諸市域では、農地として拓かれている土地も多く、その北海道を思わせる雄大な景観には目を見張ります。
 このように変化する風景を眺めながらの移動は楽しく、さわやかな森の風を直接感じるサイクリングならもっと気分が盛り上がることは間違いないでしょう。ただし、クマとの遭遇がなければの話ですが・・・。

 軽井沢町内の1000m林道周辺は開発が進み、こんな住宅地になっているところもあります。とてもこの道が林道とは思えません。
住宅地化した1000m林道.JPG
 追分方面に進むと、森の中にカフェやお店が目立つようになり、1000m林道の標識が、ミスマッチのようにも見えます。
別荘地内の林道.JPG
 緑のトンネルの中を行く道は雰囲気がよく、この周辺で別荘開発が進むのも頷けます。ただし、この道より浅間山側には深い森(かつての原野)が広がっていますから、野生動物が姿を見せる可能性が高く、その点は要注意です。
緑のトンネル.JPG
 追分地区には、こんな新しいカフェもオープンしています。
新しいカフェ.JPG
 軽井沢、御代田、小諸、佐久エリアに水道水を供給する浅麓水道企業団の追分調整池です。ポン太の家の水道水もここから来ているのではないかと思うのですが、その硬度は何と204。全国の水道水の平均が50.9だそうですから、いかに高い数値かわかります。因みに市販の「南アルプスの天然水」は30、「あずみの湧水」は25です。硬水で知られるエビアンの304には及びませんが、水道水でこの硬度ですから・・・。
浅間水道企業団追分調整池.JPG
 御代田町域でも別荘地開発が進んでいます。
進む別荘開発.JPG
 沿道で見かけたヤギさんです。のどかな雰囲気です。
ヤギのいる家.JPG
 御代田町の西部に入ると、一気に本来の林道らしい雰囲気となり、一人でここを歩いたり自転車で通行するには、ちょっとした勇気が必要かもしれません。熊鈴は必携です。
やはり熊注意.JPG
 やはりここは水源の森です。こんな「水神」の碑もあります。
水神碑.JPG
 舗装はしてあるものの林道そのものといった感じになってきます。
熊の出そうな森.JPG
 森の中の少し開けたところには、こんな施設もあります。
山地放牧研究拠点.JPG
 小諸市域に入ると展望の開ける場所がでてきます。
好展望.JPG
 まるで北海道のような大景観です。
雄大な景観.JPG
 こんな山奥の畑に若い女性の姿があり驚きましたが、どうやら外国人実習生のようです。  
山奥の畑.JPG
 畑のエリアの間には薄暗い森もあります。この標識、どう理解すればよいのでしょうか。自転車の人は通行に注意してという意味なのか、自転車が通るのでクルマの人は自転車に注意せよという意味なのか。それとも、すぐ下に「クマ注意」とありますから、クマが出るので自転車の人はクマに注意して通行せよということなのか。???です。
自転車クマ注意.JPG
 美しい蕎麦畑の脇を通過すると、林道もそろそろ終わりです。
広い蕎麦畑.JPG
 ここが、小諸側の林道の入口です。
小諸側1000m林道入口.JPG
 道端の標識には「1000米併用林道」とありますから、それがこの道路の正式名称なのかもしれません。
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日に日に濃くなる秋色

 朝夕は肌寒さを感じる日が多くなりました。そろそろ半袖から長袖へ衣替えをしなければなりません。コロナ禍で身動きがとれず、これといったこともできないうちに、季節だけは足早に過ぎ去っていく。どうしてこんなに時間の経つのがはやいのだろうかと思ってしまいます。しかし、嘆いていても仕方がありません。身近なところで季節の移ろいを精一杯感じ、それを楽しむべし。ウォーキングと近場の山歩きに勝るものなしと信じて行動すべし。これまでもそうでしたが、これからもそうする以外にありません。
 ウォーキングで見る景色も、里山の雰囲気も、日に日に秋色が濃くなっているように感じます。2000m級の山では、カラマツの紅葉がはじまっており、すでに秋そのものといった感じのところもあります。
 ここ1週間ほどの間に撮影した写真の中から、「秋」を感じたシーンを選んでみました。これまでに何度も取り上げた場所ばかりですので、マンネリと言われてしまうかもしれませんが、季節の変化を一緒に味わっていただくことができれば幸いです。

 秋の使者といえば赤トンボ。平尾山でも赤トンボ(アキアカネ)をよく見かけるようになりました。
赤トンボ.JPG
 見上げると空には鰯雲。もう間違いなく秋です。
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 わが家のコスモスはすでに散ってしまいましたが、いつもの散歩道沿いでは、コスモスが真っ盛り。初秋の風景といえばやはりコスモスです。
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 こちらはプロのキキョウ畑ですが、一面に咲くキキョウは見事です。キキョウの旗印といえば明智光秀。しばらく中断していた大河ドラマが再開し、楽しみが増えました。
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水辺の木々も紅葉しつつあります。
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 日没がだいぶ早くなりました。薄暗くなった水辺では月見草が際立ちます。
水辺の月見草.JPG
 水ノ塔山にも出かけてみましたが、登山道はすっかり秋色です。
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 色づいたカラマツの下には、まだ夏は終わっていないとばかり、懸命に咲いているヤマハハコの姿がありました。
ヤマハハコ.JPG
 その一方では、典型的な秋の花、オヤマリンドウが咲き始めていました。 
オヤマリンドウ.JPG
 ハナイカリも咲いていました。花冠の形が船のイカリに似ているところからその名がついたそうですが、これもリンドウ科の植物で、晩夏から初秋の山でよく見かけます。
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秋は実りの季節。山のブルーベリーといわれるクロマメノキ(アサマブドウ)も熟したようです。
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こちらは不味くて食べられないシラタマノキですが、秋の風情は感じます。
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この大岩の下を抜ければ水ノ塔山の頂上は間近です。
大岩くぐり.JPG
 頂上直下には大きな岩石がゴロゴロしています。
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その岩の下のあちらこちらにイワインチンが咲いていました。初秋のこの時季が一番きれいに見えます。
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こちらは登山口付近のゴマナの群落です。夏山に比べれば花の数も種類も多くはありませんが、秋の風情はまた格別で、やはり山歩きに出かけないわけにはいきません。
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佐久(含浅間山麓)のナニコレ珍八景

 「ナニコレ珍百景」というテレビ番組があります。毎回というわけではないのですが、よく見ている番組のひとつです。地元の人にとっては見慣れた風景であったり、あたりまえのように思えることでも、他地域の人から見れば「珍風景」にみえる場合がかなりあります。ポン太の住む佐久地域にも、そのようなものがありはしないか。コロナ巣ごもりの徒然に、該当しそうなものを8つ選んでみました。題して「佐久のナニコレ珍八景」。そんなに驚くほどのものではないと一蹴されてしまうかもしれませんが、コロナの閉塞感を打ち破る、ちょっとした話のタネにいかがでしょうか。ポン太の選んだ「珍八景」は下記のとおりです。
①日本一の石棒
 佐久穂町北沢川沿いの田んぼの中に突っ立つ、日本最大(全長223cm、直径25cm)の石棒です。およそ5000年前の縄文人が、豊穣と人間の甦りを祈念してつくったものということですが、これほどの大きさのものは全国に例がないそうです。まさに「珍」風景ではないでしょうか。
大石棒入口.JPG北澤大石棒.JPG
②美人の多い集落
 以前にもご紹介したことがあったかもしれませんが、佐久穂町の入口に立っている看板です。ここをクルマで通る度にドキっとしますが、失礼ながらまだ美人どころか人が歩いている姿を見たことがありません。
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③世界一小さなテレビ局
 しなの鉄道御代田駅内に、局員が二人だけという、世界一小さなテレビ局「テレビ西軽」があります。ケーブルテレビですが、毎日自主制作番組を放映しています。開局は1984年で、メジャーのabn(長野朝日放送)より7年も古いというのですから驚きです。
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④地味すぎるコンビニ
 国際保健休養地を標榜している軽井沢町では、ケバケバしい看板や深夜営業は御法度。コンビニもその趣旨に対応して、ごくごく地味な装いです。これは追分の国道18号沿いにあるセブンイレブンの例ですが、あのオレンジ、グリーン、レッドのお馴染みのカラーはどこにもなく、事情を知らない人はあれっと思うかもしれません。
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⑤海から一番遠い地点
 日本で一番海から遠い地点が佐久市にあります。臼田地区から群馬県の南牧(なんもく)村に通じる県道93号を進み、田口峠の手前、南側の山中に入ったところにその地点はあります。どこにでもありそうな山の風景ですが、立派な標柱が立っていて、その前に立つと、すごいところまで来てしまったと思わざるをえません。因みに、日本海(直江津付近)からも太平洋(駿河湾、相模湾)からも、114.8km離れています。
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 ここから先は徒歩でしかいけません。山道をおよそ30~40分。冬季以外はクマに要注意です。
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海から遠い地点.JPG
⑥最高地点だらけの南佐久
 南佐久郡の村には、「日本最高所」を名乗るものがたくさんあります。例えば南牧(みなみまき)村の小海線野辺山駅は日本最高駅(海抜1345.67m)ですし、その少し先には、JR鉄道最高地点(海抜1375m)があり、南牧村立南小学校(海抜1318.9m)は日本一標高の高い学校です。川上村役場は海抜1185mに位置しており、日本一高いところにある役場です。さらに南相木村にある南相木ダムの堤頂部の標高は1532mで、日本最高所のダムというわけです。高さ自慢はこのほかにもたくさんあり、数えきれません。
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特別な標識はありませんが、ここが日本で一番高いところにある川上村役場です。川上村は日本一のレタス産地でもあります。
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⑦山里に突如出現するテント村
 初秋のこの時季だけ、山の斜面のあちらこちらに突如テント村のようなものが出現して、遠目には何が起きたのかと不思議に思えます。その正体はプルーンの果樹園です。雨にあたると果実が傷んでしまうので、樹木全体をビニールで覆うのです。日本一のプルーンの産地ならではの風景です。
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⑧焼石だらけの石垣
 浅間山に近いエリアほど該当しますが、石垣に用いられている石のほとんどが、浅間の焼石(噴石)です。掘ればどこでも大量に出てくる焼石は一番身近な石材であり、見た目もよいので、石垣のほか門柱や花壇の囲いなど、様々な用途でこの石が用いられています。もしこの石がなければ、このあたりの街の景観は相当違った(平凡な)ものになったのではないでしょうか。まさに浅間山あっての当地なのです。
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軽井沢の「秘峰」風越山とレンゲショウマ

 信州でも新型コロナ感染者が増えており、古ダヌキの一員であるポン太としては、感染防止に気を配らないわけにはいきません。人混みを避けるということを、イロハのイと心得て行動しておりますが、ここ浅間山麓で、人出が多い場所はといえば、まず頭に浮かぶのは軽井沢です。そんなわけで、ここ半年ほど、軽井沢方面(散歩コースにもなっている追分地区は別)に足を運ぶことは1度もありませんでした。
 あまりにご無沙汰していると、様子を見に出かけたくなるのが人情、いやタヌキの野次馬根性です。夏のシーズンが終わった今なら、人も少なくなっているので大丈夫ではないかと考え、塩沢エリアの植物園に出かけてみることにしました。
 その近くでほかに散策できる場所はないかと、地形図を眺めると、植物園の西側、アイスパークの裏に小さな山があります。山名の記載はなく、三角点のマークと1014.7(m)いう数字が記されているだけ。山頂までの標高差が約80mという里山です。手元にあった軽井沢町の古いパンフレットで確かめると、そこには、風越山という立派な山名が記載されていました。今まで気に留めたことのない山でしたが、もしかしたら、今時登る人などめったにいない、軽井沢の「秘峰」かもしれません。これは登ってみる価値ありです。
 アイスパークのカーリング場裏が登山口になっていて、しっかりした標識もありました。しかし、その入口は草ボウボウ。果たして登れる状態なのかと心配になりましたが、山に入るとそれなりにしっかりした道がついていて、急登の部分はあるものの、約15分で山頂に達しました。展望はまったく期待していなかったのですが、樹間から三方向を望むことができ、里山としてはかなり良好です。山頂の石に埋め込まれていた四等三角点の標識も確認することができました。往復30分足らずの山歩きでしたが、軽井沢の「秘峰」初登頂はやはり嬉しいものです。
 次いで訪れた植物園では、可憐なレンゲショウマをはじめ、ミナヅキやヒゴタイ、オミナエシといった初秋の花を楽しむことができ、危険を冒して(?)軽井沢に出かけた甲斐がありました。

 地形図(上)と20年前のパンフレット(下)です。パンフレットには風越山の記載があります。すぐ隣に国際射撃場と記されていますが、その跡地が現在のアイスパークです。
風越山.jpg風越山地図001.jpg
 これが植物園の駐車場付近からみた風越山です。
植物園前から見た風越山.JPG
 風越山の麓にはオミナエシとススキの原が広がっていました。
風越山山麓のオミナエシ.JPG
 登山道の入口は草ボウボウで、本当に登れるのかと心配になりましたが・・・。
草ボウボウの登山口.JPG
 登り始めるとすぐ下に、アイスパークの400mリンクが見えました。
リンク.JPG
 山中の登山道は、思ったよりしっかりついていました。
登山道.JPG
 道端に、少しくたびれてはいましたが、フシグロセンノウが咲いていました。
フシグロセンノウ.JPG
 これはシラヤマギクでしょうか。あちらこちらに咲いていました。
シラヤマギク/風越山軽井沢.JPG
 ここが風越山の山頂です。石の祠が置かれていましたから、地域の人々の信仰の対象とされた山だったのでしょう。
風越山山頂.JPG
 山頂の石に三角点の標識が埋め込まれていました。
4等三角点標識.JPG
 山頂からは、プリンススキー場のある矢ヶ崎山がよく見えます。
山頂からみた矢ヶ崎山.JPG
 中軽井沢方面の眺めも良好です。
中軽井沢方面.JPG
 西側にはこのような農村風景が広がっていました。軽井沢と言えば避暑地・別荘地のイメージですが、農地も広く美味しい野菜の産地でもあるのです。
西側の眺望.JPG
 軽井沢町植物園で、いま一番の見ものは、このレンゲショウマ。花が蓮に、葉がサラシナショウマに似ているのでその名がついたそうですが、いつまでも眺めていたいような美しい花です。日本特産の1属1種。東京では御岳山に咲く花として有名ですが、御岳山の標高は929m、軽井沢町植物園はおよそ930mですから、同じような生育環境といえるかもしれません。
綺麗なレンゲショウマの花.JPG
 森の中でこんな見事な花が咲いているのを見たら、誰でも驚くのではないでしょうか。
レンゲショウマ.JPG
 白色のレンゲショウマもありました。
白花のレンゲショウマ.JPG
 まん丸のブルーの花が印象的なヒゴタイもたくさん咲いていました。西日本の山野に多く分布し、阿蘇山周辺の草原では元々自生していたそうですから、「ヒゴ」という名がついているのも頷けます。
ヒゴタイ.JPG
 園内の樹木の花で一番多く咲いていたのがこのミナヅキです。
ミナヅキ.JPG
 夏の名残のアサマキスゲもまだ少し咲いていました。
アサマキスゲ.JPG
 園内にもたくさんのオミナエシが咲いていて、秋の風情を感じます。
オミナエシ.JPG
 こちらは風越山西側エリアのそば畑。待望の新そばシーズンが間もなくやってきます。
そば畑.JPG

雰囲気にも酔える佐久の酒蔵

 「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」 牧水の代表歌ですから、ご存知の方が多いと思います。そんな季節が近づいてきました。居酒屋でワイワイがやがや飲むのではなく、一人静かに杯を傾け、来し方行く末に思いをめぐらす。withコロナの時代にふさわしい、時代を先取りしたような歌かもしれません。
 老舗の酒蔵が、ギャラリーでポスター展を開催しているという新聞記事を読み、久しぶりに酒蔵のある町を散策してみたくなりました。向かった先は佐久穂町、小海線八千穂駅近くにある黒澤酒造です。長野県は全国で2番目に酒蔵の多い県ですが、そのなかでも佐久地域は群を抜いており、とくに千曲川の流域(小海線の沿線)は酒蔵が目白押しといっても過言ではありません。その理由は酒造りにふさわしい水と気候です。
 「千曲川最上流の酒蔵」を標榜する黒澤酒造付近の街並みは風情があり、一見宿場町のようにも見えますが、家の表札は「黒澤」ばかり。すなわち黒澤一族によって形成された街並みなのです。黒澤家は信州を代表する金融機関である八十二銀行の源流を為す存在であり、また小海線の前身である佐久鉄道の最後の社長も黒澤家から出ています。要するに地方経済のリーダー役を務めた一族というわけです。
 直売所の裏がギャラリーになっていて、歴代の同社のポスターが展示されていました。時代を感じさせるカラー写真や、レトロなデザインには惹かれるものがあります。残部のあるものは販売もしており、売り上げは昨年の台風19号で被災した町に寄付するということでした。また販促品としてつくられたロゴ入りのおちょこやグラスも同様に販売しており、3個100円(ポスターも1枚100円)と聞いて、つい手がでてしまいました。
 左党ではないポン太は、酒の味にあまりこだわりはないのですが、直売所に並ぶ個性豊かなラベルの酒瓶を見てしまうと、やはり、1本ぐらいは購入せねばという気になります。杜氏一押し、この季節に最適という「礎」というラベルのものを持ち帰りましたが、それは、自家栽培米「ひとごこち」100%使用、伝統的な生酛(きもと)造り(酒母を手作業で造る製法)によるものでした。
 帰路、同じ佐久穂町の大日向地区に立ち寄ってみました。かつての大日向村です。国策として推進された満州への分村移民。そのモデルケースとして喧伝され、同名の映画も制作されました。その末路が悲惨なものであったことは周知のとおりです。明治期に起きた秩父事件では、政府軍に追われた秩父困民党軍が、十石峠を越えてやってきました。その200名余を宿泊させたのが大日向の龍興寺。彼等は寺に宿代を置いて立ち去ったということです。その後、東馬流(小海線馬流駅付近)で政府軍と警察部隊の攻撃を受け、壊滅しました。
 のどかな大日向の山村風景ですが、歴史を頭において眺めてみると、様々な感慨が湧いてきます。家にもどって先ほどの「礎」を口に含むと、波打つ稲穂が目に浮かび、牧水の歌を反芻してしまいました。

 ここが黒澤酒造です。看板商品は「井筒長」ですが、屋号の「マルト」を冠したものなどいろいろあり、酒粕も美味です。
黒澤酒造.JPG
 まわりの街並みもすばらしく、散策したい気分になります。
黒澤酒造付近の街並み.JPG
 酒の資料館もあり見学することができます。入口の杉玉は酒屋のシンボルです。
黒澤酒造酒の資料館.JPG
 こちらが直売所とギャラリーの入口です。
小売り部とギャラリ-入口.JPG
 ギャラリー内部はこのようになっていて、壁面にポスターが展示されていました。
ギャラリ-内部.JPG
 販促品のおちょこ類ですが、見れば欲しくなるものばかりです。
促販グッズ.JPG
 購入した「礎」がこれです。ラベルの文言によれば、先代杜氏で、酒造りの道一筋に五十余年、当蔵醸造の礎を築いた中沢礎氏の伝統を引き継ぐ思いを込めたネーミングだということです。手前のおちょことグラスは販促品ですが、なかなか洒落ています。
黒澤酒造「礎」.JPG
 大日向への入口でもある小海線羽黒下駅です。駅舎は佐久鉄道として開業して以来のものですが、最近、少し手を入れたようで、雰囲気が変わりました。
改装された羽黒下駅.JPG
 ここが旧大日向村です。山村ではありますが、農地も広く、赤貧洗うが如き寒村というイメージではありません。国策にうまく利用されてしまったということでしょうか。
大日向全景.JPG
 大日向の龍興寺です。天正18年の開山という曹洞宗の古刹です。
大日向の龍興寺.JPG
 龍興寺の池の畔には、村出身の満州移民で命を落とした373名の供養塔が建てられています。
龍興寺の池と満州移民慰霊塔.JPG
 人口減少で廃校となった佐久東小学校(旧大日向小学校)の跡地に、近年、日本で初めてというイエナプラン教育に基づく私立の大日向小学校が開校しました。ここからまた新たな時代が切り開かれて行くのかもしれません。
新しい大日向小学校.JPG
 佐久は酒所ですから、少し車を走らせただけで、いくつもの酒蔵に出会います。これは佐久穂町から佐久市へ入った臼田駅近くにある「佐久の花」酒造です。「佐久乃花」は信州を代表する銘柄として人気があります。
佐久の花蔵元.JPG
 同じ臼田地区には、井出一太郎、井出孫六、丸岡秀子といった著名人を輩出している井出家の酒蔵、橘倉酒造(ブランド名は「菊秀」)もあります。元禄以来三百余年の歴史をもつという老舗です。
橘倉酒造正面.JPG
 佐久市大沢地区には木内酒造(ブランド名「初鶯」)があります。こちらも江戸時代創業の老舗です。
木内酒造.JPG
 佐久市野沢地区にある伴野酒造(ブランド名「澤乃花」)は小さな酒蔵ですが、コンセプトは「世界に笑顔を」だそうで、既成概念にとらわれない「Beau Michelle ボー・ミッシェル」という横文字ラベルのお酒もあり、酒-1グランプリ2015 で総合優勝したそうです。
伴野酒造.JPG
 佐久市平賀にあるこちらの芙蓉酒造は、会社ではなく協同組合だそうです。
芙蓉.JPG
 ここでは一部しかご紹介できませんが、佐久地域には全部で14の酒蔵があるそうですから、左党の方は味を試してみてはいかがでしょうか。
 

忍び寄る秋

 いつもの夏ではない「特別な夏」が過ぎ去ろうとしています。遠出はできず、お祭りやイベントはほぼゼロ。テレビも新たな取材が難しいせいか、過去の映像を編集したような番組ばかりの夏でした。
 しかし、幸いなことに、ここ浅間山麓の暮らしでは、閉塞感やそれほど強いストレスを感じたりすることはなく、いつもの(普通の)生活を維持することができているといってよいでしょう。なんと言っても人間が「密」ではないので、マスクが必要なのは買い物等で店内に入る時ぐらい。近所のウォーキングや山歩きはもちろんマスクをつけなくても大丈夫ですし、野菜づくりやガーデニングには何の制約もありません。
 コロナ禍で現代社会の脆弱な部分がかなりあぶり出されたように思われます。その1つが一極集中、過密化です。人が集まれば集まるほど、感染リスクが高まるのは必定。また、緑の少ない都市部ではヒートアイランド現象が起きやすく、地球温暖化が更に進めば、不快感は増幅する一方でしょう。
 一極集中の最大の理由は「仕事の場」がそこにあったからです。しかし、テレワークが定着すれば、都市内に住む必然性はなくなります。これまで、地方移住(田舎暮らし)といえば、不便さを厭わない自給自足的な暮らしをその典型のように扱っていなかったでしょうか。それを「楽園」と思う人はいるでしょうが、それでは、ハードルが高すぎて移住に踏み切れる人は限られます。実際には、地方といっても、大都市郊外と大差のない生活ができるところの方が多いのです。浅間山麓ももちろんそうですが、スーパーやホームセンター、コンビニ、クリニックなどはどこにでもあります。インターネット環境があれば、情報収集も物品の購入も都会と変わりません。無いのは「紅灯の巷(夜の街)」だけ。それがないと一日も暮らせないという人は都会に残っていただく以外にありませんが、「娯楽を人に求めずして、自然に求めよ」(避暑地軽井沢を拓いた宣教師たちが唱え、今は町のスローガンになっている言葉)と思えるなら、地方ほど快適な場所はありません。
 「特別な夏」が特別ではなくなりそうな気配が漂っています。この先に待っているのは「特別な秋」かもしれません。これまで、「地方の時代」「地方分散」「地方分権」などといった言葉だけは叫ばれたものの実現することはありませんでした。しかし、コロナ禍がそれを実現する奇貨となる可能性大です。散歩中に、建築中の家をよく見かけますし、見知らぬ若夫婦やその子供たちに出会うことが多くなりました。それが地方分散の予兆であるかどうかはまだわかりませんが、期待はしてしまいます。もし、この絶好のチャンスを逃すようであれば、一極集中の是正、地方再生など永遠にありえないのではないか。散歩の帰り道、暮れなずむ浅間山を眺めながら、そんなことを考えてしまったポン太です。

 見た目にも秋らしい雰囲気が漂い始めた浅間山麓です。
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 道端ではススキが穂を出しています。
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 オオバギボウシが夏の始まりを告げる花だとすれば、一月遅れで咲くこのコバギボウシは夏の終わりを告げる花です。
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 現在のわが家の花壇の主はこの百日草。その名のとおり、盛夏から晩秋まで長期間にわたり花を楽しむことができ、これほどコスパのよい花はありません。
百日草.JPG
 庭のモミジの一部がはやくも紅葉し始めました。
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 だいぶ涼しくなったので、しばらく敬遠していた平尾山に登ってみました。頂上付近では、きれいなアゲハ蝶がたくさん舞っていましたが、これはキアゲハでしょうか。前回のブログに記したとおり、最近はとみに蝶が目につくようになりました。
キアゲハ.JPG
 山中に咲いていたのはキツネノカミソリ。名前が怖すぎるのですが、ヒガンバナ科のきれいな花です。昨年より群落が拡張したように思います。
キツネノカミソリ/平尾山.JPG
 散歩コースの水辺(御影用水)でも、樹木の一部が色づきはじめていました。
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 黄昏時の雰囲気はすっかり秋です。
黄昏の水辺.JPG
 なんとなく物悲しい、このトワイライトな風景がポン太は大好きです。
黄昏の水辺③.JPG
 こんな浅間の夕景を見ていますと、頭の中に様々な考えが浮かんできます。どうでもよいことが大半ですが、思索の時を与えてくれる自然に感謝です。
浅間山暮色.JPG
 

ウェルカム バタフライ

 家の庭でも森や山の中でも蝶を見かけることが多くなりました。蝶が突然増えたわけではありません。こちらが関心をもって見るようになったので、こんなにたくさんの蝶がいるのだと認識するようになったのです。
 元々、蝶だの昆虫だのに興味があったわけではなく、ウォーキングをしていても、山歩きをしていても、頭上を何か飛んでいるなぁというレベルでした。しかし、今年は少し違いました。
 コロナ禍が終息するどころか再燃し、「いつもとは違う特別な夏」になってしまったことが影響しています。遠方へ出かけたり、イベントに参加したりということがなくなり、その分、近場の山へ出かける回数が多くなったのです。同じ山域を何度も歩いていますと、今まで知らなかった植物を見つけたり、例年とは異なる現象に気づいたりと、細かなところまで目が届くようになりました。既知の花に、蝶がとまっていたりすると、どうしても、花よりも蝶の方に目が行きます。その色や模様は様々で、当たり前といえば当たり前ですが、蝶にもいろいろな種類があることに気づきました。中にははっとするほど美しい蝶もいて、それはいったい何という蝶なのか知りたくなります。図鑑で調べたりするうちに、少しずつ名前がわかるようになりました。そうなると、わが家の庭でも公園でも、蝶が舞っていれば、今まで見たことのない種類の蝶かもしれないと興味がわき、目を凝らしてよく見るようになったというわけです。
 もちろん、門外漢どころか、まったくの素人ですから、正確な分類や生態、貴重な蝶か否かといったようなことはよくわかりません。それでも、きれいな蝶を見つけると、ちょっと嬉しくなったりしますから、バタフライ・ウォッチングという新たな楽しみが1つ増えたことは間違いないでしょう。コロナ禍も、何かに気づかせてくれるという点では、多少の利点はあるのかもしれません。

 ポン太のバタフライ・ウォッチングより、いくつかご紹介します。まずは、浅間連峰の山や山麓でよく見かけるミドリヒョウモンから。名前のとおりのヒョウ柄で目につきやすい蝶です。高峯山頂のオンタデにとまっていました。
オンタデとヒョウモンチョウ(ミドリヒョウモン?).JPG
 こちらは湯ノ丸キャンプ場近くの森の中、ヨツバヒヨドリにとまっていたミドリヒョウモンです。
ヨツバヒヨドリとヒョウモンチョウ.JPG
 烏帽子岳の稜線に咲くノアザミにとまっていたミドリヒョウモンです。とにかく、いたるところで目にするので、ポン太にとっては山のお友達のような感じのする蝶です。
ノアザミとコヒョウモン.JPG
 美しい蝶といえばこれ。マルバダケブキにとまっていたアサギマダラです。烏帽子岳へ続く登山道の脇でみかけました。
マルバダケブキとアサギマダラ.JPG
 極彩色といった感じで、一度見たら忘れられないクジャクチョウです。東籠ノ登山でも見かけましたが、これは湯ノ丸山のタカネマツムシソウにとまっているところを撮影したものです。
マツムシソウとクジャクチョウ2.jpg
 ノアザミにとまっているのは、貴重な高山蝶といわれるミヤマシロチョウです。長野県の天然記念物に指定されているそうですが、烏帽子岳や湯ノ丸山周辺では、見かけることが多い蝶です。
DSCF4015.JPG
 最初に見た時は蝶とは思えず、蛾の一種かと思ったのですが、山では頻繁に見かけるので調べてみましたら、立派な蝶の一種で、セセリ蝶という種類の中のチャバネセセリのようです。花の種類をあまり選ばないようで、どんな花の上にもとまっています。これは、高峯山のタカネマツムシソウにとまっていたもの。
マツムシソウとチャバネセセリ.JPG
 烏帽子岳のクガイソウにもチャバネセセリがいました。
 クガイソウとオオチャバネセセリ蝶.JPG
 こちらは湯ノ丸キャンプ場ちかくで見つけたヒメジャノメです。羽を広げてくれないので、確信はもてないのですが、たぶんそうです。
ヒメジャノメ?クロヒカゲ?.JPG
 さて次は、毎度お馴染みの平尾山で見かけることの多いアゲハ蝶です。山頂のアザミにとまっていたのはナミアゲハです。きれいな蝶ですが、なかなか静止してくれないので、写真のタイミングがつかみにくいのが難点です。
アザミとキアゲハ.JPG
 家のまわりでよく見かけるのがこのコミスジチョウ。干していた布団の上にとまったところを写してみました。名前の通り白い筋が3本あるように見えます。
コミスジ.JPG
 こちらはサンショにとまっていたコミスジチョウです。
コミスジ蝶とサンショ.JPG
 モンシロチョウの仲間もよくやってきます。
サンショとモンシロチョウ.JPG
 わが家の菜園で1度だけみたウスバシロチョウです。こういう珍しいチョウにはどんどん来てもらいたいもの。
DSCF2063.JPG
 いくら調べても名前のわからない蝶もいます。これは烏帽子岳のイブキジャコウソウにとまっていた蝶です。
ジャコウソウと蝶.JPG
 こちらの真っ黒な蝶、東籠ノ登山頂の岩にとまっていましたが、これも名前がわかりません。まだまだ知らないことだらけのバタフライ・ウォッチングです。
籠ノ登のクロチョウ.JPG


 

ヤナギラン やぁ~い!

 いつもとは違う夏。とはいえ、お盆前後の浅間山麓はそれなりの賑わいを見せました。野菜の直売所も朝からクルマでいっぱい。県外車も目立ちました。買い物に出かける際は、「密」にならないように、より一層気をつけるようにしたことはいうまでもありません。暑さも一段と厳しさを増し、避暑地軽井沢ですら、最高気温が30度を上回る日が続出。そんな中、山の天気はだいぶ安定し、ガスに隠れていた浅間山も雄大な夏姿を見せてくれるようになりました。
 こうなると、涼と展望を求めて高い山へでかけたくなります。今回は、浅間連峰の中央部に位置する東籠ノ登山に登り、そこから水ノ塔山に続く稜線を歩いてみることにしました。前々回のブログで、視界不良でも山は楽しいと書きましたが、やはり天気が良い方が楽しみは増えます。岩陰に腰を下ろして、遠くの山々を心ゆくまで眺め、心地よい涼風を浴びながら食するランチは格別です。
 1週間前に登った烏帽子岳と同じように、登山道脇にはハクサンオミナエシやアキノキリンソウ、イブキジャコウソウ、タカネマツムシソウといった花々がたくさん咲いていました。この東籠ノ登山~水ノ塔山界隈ならではという花としては、イワインチンをあげることができます。以前は、岩場であまりにもたくさん見かけるので、有難味を感じなかったのですが、れっきとした高山植物です。本州の中部以北の高山に分布する日本固有種ということを知り、見る目が変わりました。
 新型コロナウイルスの感染防止に気を配りながらも、夏山気分を味わい高山植物ウォッチングを楽しむことができているのですから、有り難い話ですが、ひとつ気になることがあります。それはヤナギランを見かけなくなったことです。夏山の日当たりの良い草地であれば、どこにでも咲いていて当然というイメージだったのですが、今年はまだ一度も咲いているのを見た記憶がありません。今回の山行中、目を懲らして探してみましたところ、高峰スキー場の一角に僅かばかり咲いているのを見つけました。これは異常事態ではないでしょうか。他の植物に駆逐されてしまったのか、それとも気候変動の影響なのか。あの、夏山を象徴するようなピンク色の花が絶滅危惧種になってしまわないか心配です。

 これぞ夏姿の浅間山です。真っ青な空に立ちのぼる煙。こうでなくてはいけません。
夏だ浅間だ.JPG
 野菜の直売所も朝から大賑わいでした。
賑わう直売所.JPG
 続々と登山者がやってくる東籠ノ登山の頂上付近です。良く晴れて、佐久平も蓼科山も一望の下。池ノ平湿原もきれいに見渡せます。
山頂付近.JPG
 この日は北アルプスも望むことができました。中央に屹立しているのは槍ヶ岳です。
槍ヶ岳遠望.JPG
 もちろん黒斑山や浅間山も見渡せます。今日は黒斑山に登っている人も多いに違いないと思いながら眺めました。
黒斑山と浅間山.JPG
 東籠ノ登山(標高2228m)は浅間連峰で唯一、一等三角点を戴く山で、いつもこの標石を見ると感激してしまいます。
一等三角点.JPG
 山頂にはたくさんのトンボが舞っていましたが、その中に今年初めて赤トンボ(アキアカネ)を見つけました。
赤トンボ.JPG
 タカネマツムシソウも今が盛りといった感じに咲いていました。
盛りのマツムシソウ.JPG
 これからたどる水ノ塔山へと続く尾根です。
水ノ塔山へ続く尾根.JPG
 この尾根は展望抜群で、浅間連峰のゴールデンコースの1つと言っても過言ではありません。
大展望の尾根道.JPG
 少し歩いて振り返ると、東籠ノ登山の美しい山容が望めます。
稜線からみた東籠ノ登.JPG
 赤くなったオンタデと高峯山です。どちらを見てもよい景色です。
オンタデと高峰山.JPG
 稜線に咲いていたハクサンオミナエシです。
ハクサンオミナエシ.JPG
 これがこの山域に多い高山植物のイワインチンです。
イワインチン/籠ノ登.JPG
 きれいな蝶が舞い降りてきて、石の上でしばらく休んでいました。みごとな色合いのクジャクチョウです。
クジャクチョウ.JPG
 この尾根最大の「赤ゾレ」と呼ばれるガレ場です。少し緊張しますが、危険ではありません。
赤ゾレ.JPG
 そんなガレ場にもイブキジャコウソウが咲いていました。近年、その勢力が増しているように感じます。
ガレ場のイブキジャコウソウ.JPG
 その反対に、ほとんど見かけなくなったのが、ヤナギランです。高峰スキー場の一角で、やっと出会えたヤナギランです。この花を見ないと夏山に来た気がしません。
やっと出会えたヤナギラン/高峰スキー場.JPG
 去年は烏帽子岳の登山道沿いでもこのように咲いていたのですが、今年はまったく目にすることがありませんでした。
咲き始めたヤナギラン.JPG

五島慶太と青木村

 信州にたくさんある「村」の中で、青木村ほど興味をそそられる村はありません。この村には独特の空気が流れているからです。一言でいえば「反骨精神」でしょうか。村の入口には誇らしげに「義民の村」という標柱が立っていますし、青木村歴史文化資料館の目玉は義民関係の展示室と反戦反権力の俳人栗林一石路の展示室です。人口4300人余の小さな村ですが、国が強力に押し進めた平成の大合併を拒否し、今も独立を守っています。寄らば大樹の陰といった発想とは真逆、自分たちのことは自分たちでという、独立自尊を貫いているところが、この村の魅力といえましょう。「日本一住みたい村」を標榜しているのも、自分たちの郷土を誇りに思う気持ちの現れです。
 その青木村に、今春新たな展示館がオープンしました。五島慶太未来創造館です。五島慶太といえば大手私鉄の雄、東急を率いて辣腕を振るった鉄道界の巨人です。この村の出身者であることは知られていましたが、公営の本格的な展示施設がつくられたのは初めてです。実業家として成功を収めた人物ですから、義民や一石路のように権力に抗ったわけではありません。しかし「強盗慶太」と揶揄されながらも、自身のコンセプトに基づき、電車、バス等の交通機関の統合に邁進した背景には、この村に流れる「反骨精神」があるように思えてなりません。
 好悪様々な評価はあるものの、電鉄と一体化した地域開発、都市づくりにおいて、大きな成果をあげた人物であることは間違いなく、五島慶太なくして副都心渋谷や東京西南部の発展は語れません。青木村の新名所となった同館を訪れ、どんな人物であったのか、改めてその足跡をたどってみる価値は十分あるように思います。
 生家のあった殿戸地区の入口に「五島慶太翁記念公園」があり、そこからほど近い国道143号沿いには「道の駅あおき」があります。昼食時に立ち寄り、味処「こまゆみ」でメニューのトップにあった「タチアカネそば」を食べてみました。今まで食べたことのないような個性的なそばです。パンフレットによれば、唯一青木村が産地化したものだそうで、その名の由来は、茎が丈夫で倒れにくいことと、白い花が実になると茜色になること。こうした地域独自のブランドづくりに励んでいるところにも青木村らしさを感じました。
 五島慶太が亡くなったのは1959(昭和34)年8月14日です。その前年、東横線に銀色に輝く見慣れぬ電車が登場しました。日本初のステンレス電車、5200系です。1986年に3両(デハ5201、デハ5202、デハ5211)が上田交通(現、上田電鉄)に譲渡され、部品取り用のデハ5211を除く2両が、別所線を走りました。1993年の営業運転終了後、トップナンバーのデハ5201(上田交通時代はモハ5201)は東急に返還され、その後、製造元の東急車輌(現、総合車両製作所)で記念物として保存されています。デハ5202(上田交通時代は電装を解除しクハ5251として運用)は下之郷車庫で保管後、2006年にイベント用に東急時代の姿に復原されました。デハ5211は解体されて現存しません。
 ふだんは車庫の中で眠っている元東急デハ5202ですが、現在、城下駅ホームで展示中(9月27日まで)です。五島慶太も眺めたであろう当時の東急の最新車両と、現在の上田電鉄の電車(こちらも東急由来)が並ぶ姿を眺めて見るのも一興ではないでしょうか。

 青木村に入ると、国道143号脇にこんな大きな看板が設置されていました。この道路上を、かつては上田温泉電軌青木線の電車が走っていましたが、五島慶太の少年時代にはまだ開通しておらず、自宅から長野県尋常中学校上田支校(現、上田高校)まで12キロの道程を徒歩で通ったそうです。
青木村入口の看板.JPG
 青木村歴史文化資料館と図書館の間に開設された、五島慶太未来創造館です。
五島慶太未来創造館.JPG
 エントランスに置かれているのは、東急の電車の車輪(手前は軌間1372mmの玉川線80形、奥は軌間1067mmの東急線3000系のスポーク車輪)です。
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 入口のドアが開くと、五島慶太が満面の笑みでむかえてくれます。
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 展示室内の様子です。
展示室内.JPG
 五島慶太が生まれたのは旧殿戸村(現在の青木村殿戸)です。ここが生家のあった場所ですが、2018年に落雷による火災で焼失してしまいました。奇しくも慶太の命日にあたる8月14日の出来事でした。
五島慶太生家跡.JPG
 ありし日の生家です。中学時代の慶太は英語が好きで、発音の練習をする声があたりに響き渡っていたそうです。(1983年5月撮影)
830529五島慶太生家.jpg
 功成り名遂げた慶太は故郷へ公民館を寄贈し、「五島公民館」と呼ばれていました。現在は建て直されて、往時の建物はありません。
現在の公民館.JPG 
 これが往時の五島公民館です。(1983年5月撮影)
830529五島慶太が寄贈した公民館.jpg
 現在も「五島公民館」と刻まれた石碑は残っています。
五島公民館の石碑.JPG
 国道143号に近い場所に設けられた五島慶太翁記念公園です。奥に見えるのが顕彰碑です。
五島慶太記念公園.JPG
 記念公園の近くにある「道の駅あおき」で食べた「タチアカネそば」がこれです。
DSCF3671.JPG
 上田電鉄城下駅に展示中の日本最初のステンレス電車5200系です。この車両は元東急のデハ5202ですが、上田交通時代はクハ5251として使用していましたので、東急時代の姿に復原されても、ナンバーは5251のままです。
城下駅に展示中の5200系.JPG
 上田電鉄の現役車両と並ぶとこんな感じです。
DSCF3733.JPG
 ちなみに、東急に返還されたデハ5201は、その後、東急車輌(現、総合車両製作所)の工場内に保存され、産業考古学会の推薦産業遺産、日本機械学会の機会遺産に認定されています。日本最初のステンレス電車としての歴史的価値を認められてのことですが、車体全部がステンレスというわけではなく、ステンレスは外板のみ。オールステンレス電車の嚆矢は、1962年に誕生した東急7000系です。(2010年撮影)
デハ5201.JPG
 昨秋の台風19号により千曲川橋梁の橋桁1つが落下し、不通となっている上田~城下間は代行バスが運転されています。これは代行バスから電車に乗り換える人々です。
DSCF3725.JPG
 落下した千曲川橋梁の現状です。崩壊した左岸の護岸工事が終わり橋台も完成しています。ここに新しい桁が架けられ、来春には完全復旧する見通しとのことです。
千曲川橋梁の現状.JPG

視界不良の夏なれど -浅間連峰花だより-

 梅雨明け後、少しばかり蒸し暑さを感じる日が増えました。それでも、エアコンが必要になるようなレベルではなく、海抜900mの高地に住むメリットを享受しております。残念なのは、わが家のまわりは晴れていても、浅間連峰や蓼科・八ヶ岳方面の山々にはいつもガスがかかっていて、すっきり晴れ渡るという日がないこと。当地のシンボルである浅間山もなかなか姿を見せてくれません。
 この状態で山に登っても展望は期待できそうもなく、山中で雨に濡れる可能性もあります。それでも、山へ出かけないとなんとなく気分がすっきりしません。ぐずぐずしていると、高山植物の盛りを見逃してまう恐れもあります。そこで登りやすくアクセスが容易な高峯山と、今季まだ1度も登っていなかった烏帽子岳へでかけてみることにしました。
 高峯山は7月初めの梅雨の最中に1度出かけており、その時はゴゼンタチバナやマイヅルソウ、ツマトリソウ、ウラジロヨウラク、カラマツソウ、アヤメといった花をたくさん見ることができました。今回はそれらの花々はすっかり陰を潜め、ニッコウキスゲ、ツリガネニンジン、ヒメシャジン、イブキジャコウソウ、クルマユリ、ウスユキソウなど夏山そのものといった花々のオンパレード。ガスが濃くなったり薄くなったりで、時折雨がちらつくという状態でしたが、登山道イコール高山植物園散策路といっても過言ではなく、高揚感に浸りっぱなしでした。それに何と言っても2000mの山は涼しく、熱中症の心配もなく、歩いていて気持ちの良いことこの上なしです。。
 烏帽子岳もやはりガスが濃淡をくりかえす状態でしたが、高峯山と同じように夏山らしい花がたくさん咲いていただけではなく、その花を目当てに集まるたくさんの蝶を見ることができました。とくに旅する蝶として知られるアサギマダラの数の多さに驚かされました。高峯山ではみられなかったコウリンカやウメバチソウ、クガイソウが咲いており、岩陰にはまだコマクサの姿もありました。初秋の花であるタカネマツムシソウもすでに咲いていて、紅葉し始めた木々も散見されます。「暦の上では立秋」という言葉を耳にすることが多いのですが、山は暦通りの秋なのです。
 ガスに覆われて展望のない山頂には、他に登山者はおらず静寂そのもの。ランチの場所を探して岩の上から周囲を見渡すと、こちらをじっと眺めている二頭の動物の存在に気がつきました。ニホンカモシカの親子です。山頂で子連れのカモシカに遭遇するとはなんという幸運でしょうか。
 山は視界不良でも楽しいことがいっぱいあります。しかし、世の中はそうはいきません。視界不良では不安は増すばかりです。政府は新型コロナの感染拡大に対して明確な対処方針を示さず、お盆休みに帰省すべきか否かの判断も個人に丸投げ。感染対策が十分とれるなら帰省してもよいといわれて、その自信ありと言い切れる人などいるのでしょうか。帰省しても密になるな、ジイバアと孫のスキンシップはダメ、友人や親類との会食や飲み会も控えよ等々。それって帰省する意味があるのかしら、と思ってしまうポン太です。

 高峰高原ではニッコウキスゲが盛りをむかえていました。
高峯高原のニッコウキスゲ.JPG
 ニッコウキスゲに混じってハクサンフウロも咲いていました。
キスゲとフウロ.JPG
 ワレモコウを見ると秋が近いことを感じます。
ワレモコウ.JPG
 こちらはシモツケソウの群落です。シモツケソウとシモツケは間違いやすいのですが、こちらはシモツケソウとみて良さそうです。
シモツケソウ群落/高峰高原.JPG
 高峰山の登山道脇に、こんな豪勢なクルマユリが咲いていました。
豪華クルマユリ/高峯山.JPG
 これはオミナエシの高山種、ハクサンオミナエシです。
ハクサンオミナエシ.JPG
 マルバダケブキの花も咲き始めていました。
マルバダケブキが咲いた/高峰山.JPG
 森の妖精が現れても不思議ではないようなヒメシャジンです。前にも書きましたが、この花をみるとディズニーアニメを思い出します。
ヒメシャジン.JPG
 日本のエーデルワイス、ウスユキソウです。花のように見えるのは苞葉だそうですが、気品があります。みるからに涼しげで、このまま花束にして、猛暑に悩まされている方々へお贈りしたいような気持ちになります。
エーデルワイス群落.JPG
 オンタデがこんなに赤くなっていました。
色づいたオンタデ.JPG
 頂上の岩陰ではイブキジャコウソウが芳香を漂わせており、隣のツリガネニンジンとのコラボも素敵でした。
山頂のジャコウソウ群落.JPG
 ガスが晴れることはなく、高峰山頂からの眺めはこれが精一杯。それでもたくさんの花を見ることできたので大満足でした。
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 頂上付近ではたくさんのトンボが舞っていて、そこにも秋を感じました。
あざみとトンボ.JPG
 次は烏帽子岳の様子です。長い間工事のため通行止となっていた地蔵峠~湯の丸キャンプ場間が通行できるようになりました。これは湯の丸キャンプ場から見た湯の丸山ですが、すっきりしない空模様です。
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 キャンプ場から続く草原にはコオニユリが咲いていました。クルマユリと似ていますが葉が違います。
コオニユリとフウロ.JPG
 登山道脇のカラマツ林は、いつもながらの美しさです。爽やかな空気感がたまりません。
カラマツの純林.JPG
 こんなに美しい色のウツボグサが咲いていました。
ウツボグサ (2).JPG
 クガイソウ咲く稜線です。
稜線のクガイソウ.JPG
 ガスに覆われて展望はいまひとつでしたが、稜線に咲く花の多さに癒されました。
ガスの湧く稜線をいく.JPG
 今年初めてウメバチソウを見ました。
ウメバチソウ.JPG
 オトギリソウも咲いていました。
オトギリソウ.JPG
 可愛いハクサンフウロの花にこの美しい蝶。ルリシジミ蝶の類ではないかと思うのですが、まるでメルヘンのようです。
ルリシジミ?.JPG
 まだ蕾の状態のものが多かったのですが、タカネマツムシソウも咲いていて、はやくも夏が盛りを過ぎたことを実感しました。
タカネマツムシソウ.JPG
 かと思うと岩陰にはまだコマクサの姿も。
コマクサ/烏帽子.JPG
 この山では初めて見たコウリンカです。
コウリンカ.JPG
 夏と秋が交錯するのがこの時季らしいところで、アキノキリンソウの後ろではクロマメノキが紅葉し始めていました。
アキノキリンソウ (2).JPG
 同じウスユキソウでも稜線の岩場で見る方がより一層気高さを感じます。
ウスユキソウ(エーデルワイス).JPG
 イブキジャコウソウも同様です。今年はこの花の当たり年なのか、いたるところで見ることできました。
イブキジャコウソウ群落.JPG
 小烏帽子から烏帽子岳の頂上付近を見るとこの状態でした。これでは展望は望めないので、とりあえずピークを踏んで昼食をと考えましたが、その頂上で思いがけぬご褒美が待っていようとは。
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 なんだなんだ、何か動いているぞ、とそちらを見るとカモシカの親子でした。
かもしかの親子.JPG
 子供のカモシカを見たのは初めてです。どんな動物でも子供は可愛いですね。
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 そして、この日最後のご褒美がこれ。この美しい私をよく見て!といわんばかりに、目の前で大きく羽を広げてくれたアサギマダラです。
アサギマダラ.JPG

やっと来た梅雨明け

 8月に入り、長かった梅雨がようやく明けました。コロナの暗雲は低く垂れ込めたままですから、心の底から嬉しいというわけには行きません。しかし、燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びると、やはり元気が出ることは間違いありません。
 早速、平尾山に出かけてみました。樹木の葉を太陽光線が透過し、山全体が新緑のころに戻ったように見えます。青い空、白い雲、その下に広がる緑の佐久平。山頂からの明るく開放感溢れる眺めは、コロナ禍の陰鬱な気分を、多少なりとも払拭してくれます。
 登山道の脇に、赤い色をしたキスゲが咲いていました。山でこんな色のキスゲを見たのは初めてです。家で調べてみると、ユウスゲやカンゾウ類をもとに、品種改良によって生まれた、ヘメロカリスという洒落た名前で呼ばれている花であることがわかりました。自然に生えたものではなく、誰かが植えたものでしょう。「平尾山愛」のあらわれかもしれません。頂上では、ユウスゲ(アサマキスゲ)が咲いていました。これも今まで見たことがありませんから、どなたかが植えたものです。かつては浅間山麓のいたるところで見られた花ですが、いまはめっきり少なくなりましたので、このまま平尾山に定着して、毎年花を咲かせて欲しいものです。
 雨に降られる心配が無くなり、家の回りのウォーキングにも出かけやすくなりました。いつもの水辺(御影用水)の景観も、梅雨空の下で眺めるのとは大違いで、足取りも軽くなります。道端にクルマユリが咲いているのを見つけました。夏山で見かけることが多い花ですから、本格的な夏の訪れを実感します。しかし、その一方、秋の七草のひとつであるオミナエシも咲き始めていて、自然界はすでに秋の準備を始めたようです。
 当地では、例年、お盆を過ぎれば風が冷たく感じられるようになります。夏は本当に短いのですが、梅雨明けの遅れた今年はなおさらです。コロナ禍の最中とはいえ、貴重な短い夏を精一杯楽しみたいもの。近場で未踏の地や山はないか、「密」にならずに見学できるところはないか、地図を眺めながら思案しているポン太です。

 ようやく夏が来た。そう思わせる平尾山山頂からの眺めです。
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 登山道脇に咲いていたへメロカリスです。形はキスゲとそっくりなのに花は真っ赤、最初に見た時は、なんだこれはと驚きました。
へメロかリス?.JPG 
 山頂に咲いていたユウスゲ(アサマキスゲ)です。ニッコウキスゲと比べると色が薄く、はかない感じがするところが魅力ではないでしょうか。
ユウスゲ.JPG
 平尾山でもわが家と同じようにウバユリが咲いていました。
ウバユリ/平尾山.JPG
 御影用水のほとりではキバナコスモスが満開。青い空の下で見るとより一層鮮やかです。
御影用水と黄花コスモス.JPG
 青い空が見えていると気分がちがいます。
梅雨明けの水辺.JPG
 野原にクルマユリが咲いていました。
クルマユリ咲く.JPG
 旧開拓集落ではオミナエシも咲き始め
ていました。
オミナエシ.JPG
 梅雨明けを待っていたのかもしれませんが、畑には新しい苗が植えられていました。太陽の光をたっぷり浴びて、ぐんぐん育つのではないでしょうか。
梅雨明けの畑.JPG
 わが家の菜園の「ジャガイモ畑」です。あれほど茂っていた葉も茎もすっかり枯れてしまい、この状態になりました。梅雨が明けたのでいよいよ収穫です。
ジャガイモ畑の今.JPG
 掘ってみると、ノーザンルビーが姿を現しました。出来は悪くなさそうです。
ノーザンルビーの収穫.JPG
 アルミ分を補給した庭のアジサイの色がここまで変わりました。ブルーが濃くなって、かなりきれいです。
色が濃くなったアジサイ.JPG 
 夏に食べたいものといえばこれ。信州では松本市波田地区のスイカが有名です。直売所で見かけたので買ってみましたが、スイカ本来の自然な甘さで満足しました。
波田のスイカ.JPG