やっと来た梅雨明け

 8月に入り、長かった梅雨がようやく明けました。コロナの暗雲は低く垂れ込めたままですから、心の底から嬉しいというわけには行きません。しかし、燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びると、やはり元気が出ることは間違いありません。
 早速、平尾山に出かけてみました。樹木の葉を太陽光線が透過し、山全体が新緑のころに戻ったように見えます。青い空、白い雲、その下に広がる緑の佐久平。山頂からの明るく開放感溢れる眺めは、コロナ禍の陰鬱な気分を、多少なりとも払拭してくれます。
 登山道の脇に、赤い色をしたキスゲが咲いていました。山でこんな色のキスゲを見たのは初めてです。家で調べてみると、ユウスゲやカンゾウ類をもとに、品種改良によって生まれた、ヘメロカリスという洒落た名前で呼ばれている花であることがわかりました。自然に生えたものではなく、誰かが植えたものでしょう。「平尾山愛」のあらわれかもしれません。頂上では、ユウスゲ(アサマキスゲ)が咲いていました。これも今まで見たことがありませんから、どなたかが植えたものです。かつては浅間山麓のいたるところで見られた花ですが、いまはめっきり少なくなりましたので、このまま平尾山に定着して、毎年花を咲かせて欲しいものです。
 雨に降られる心配が無くなり、家の回りのウォーキングにも出かけやすくなりました。いつもの水辺(御影用水)の景観も、梅雨空の下で眺めるのとは大違いで、足取りも軽くなります。道端にクルマユリが咲いているのを見つけました。夏山で見かけることが多い花ですから、本格的な夏の訪れを実感します。しかし、その一方、秋の七草のひとつであるオミナエシも咲き始めていて、自然界はすでに秋の準備を始めたようです。
 当地では、例年、お盆を過ぎれば風が冷たく感じられるようになります。夏は本当に短いのですが、梅雨明けの遅れた今年はなおさらです。コロナ禍の最中とはいえ、貴重な短い夏を精一杯楽しみたいもの。近場で未踏の地や山はないか、「密」にならずに見学できるところはないか、地図を眺めながら思案しているポン太です。

 ようやく夏が来た。そう思わせる平尾山山頂からの眺めです。
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 登山道脇に咲いていたへメロカリスです。形はキスゲとそっくりなのに花は真っ赤、最初に見た時は、なんだこれはと驚きました。
へメロかリス?.JPG 
 山頂に咲いていたユウスゲ(アサマキスゲ)です。ニッコウキスゲと比べると色が薄く、はかない感じがするところが魅力ではないでしょうか。
ユウスゲ.JPG
 平尾山でもわが家と同じようにウバユリが咲いていました。
ウバユリ/平尾山.JPG
 御影用水のほとりではキバナコスモスが満開。青い空の下で見るとより一層鮮やかです。
御影用水と黄花コスモス.JPG
 青い空が見えていると気分がちがいます。
梅雨明けの水辺.JPG
 野原にクルマユリが咲いていました。
クルマユリ咲く.JPG
 旧開拓集落ではオミナエシも咲き始め
ていました。
オミナエシ.JPG
 梅雨明けを待っていたのかもしれませんが、畑には新しい苗が植えられていました。太陽の光をたっぷり浴びて、ぐんぐん育つのではないでしょうか。
梅雨明けの畑.JPG
 わが家の菜園の「ジャガイモ畑」です。あれほど茂っていた葉も茎もすっかり枯れてしまい、この状態になりました。梅雨が明けたのでいよいよ収穫です。
ジャガイモ畑の今.JPG
 掘ってみると、ノーザンルビーが姿を現しました。出来は悪くなさそうです。
ノーザンルビーの収穫.JPG
 アルミ分を補給した庭のアジサイの色がここまで変わりました。ブルーが濃くなって、かなりきれいです。
色が濃くなったアジサイ.JPG 
 夏に食べたいものといえばこれ。信州では松本市波田地区のスイカが有名です。直売所で見かけたので買ってみましたが、スイカ本来の自然な甘さで満足しました。
波田のスイカ.JPG

 

咲き競う森の女王

 相変わらずの梅雨空です。それでも今日は日中の降水確率がほぼゼロという天気予報を見て、半月ぶりに平尾山へ出かけてみました。登山口に赤いコーンが置かれていたので、これはもしや登山道が崩れて登れなくなってしまったのではと心配になりました。どうしようかと思案していたところへ、年配の女性が山から降りてきたので話を聞くと、問題なく登れたとのこと。その方は佐久市の住民で、まわりには「平尾山愛」に溢れた人がたくさんいて、毎日山を眺めては「今日は登れるかな」などと話しているそうです。ご本人は雨が降っていてもポンチョを被って登るそうですから、「平尾山愛」は半端ではなさそう。
 この時季の平尾山には咲いている花はほとんど無く、山頂からの眺めも期待できません。それでも、緑のトンネルのような登山道を大汗をかいて登るだけで気分は爽快。山頂に立てばちょっとした達成感もあり、満足度は、平地のウォーキングとは比べものになりません。「平尾山愛」に染まる人が増殖しているのは、むべなるかなです。
 家に戻って、周囲を眺めると、いつの間にか山百合がたくさん開花していました。前回のブログで百合の王者と書きましたが、花束のように咲いている姿は森に舞い降りた女王のようです。その山百合の傍らには、ウバユリも咲いています。地味ながら、それなりの品があり、例えていえば女王の侍女といったところでしょうか。わが家の森が宮殿の花園と化したわけです。
 梅雨明けはまだ先のようですが、山歩きの心地よさと相俟って、晴れ晴れとした気分になれた一日でした。

 久しぶりに登った平尾山頂からの眺めです。低く垂れ込めた雲に覆われて、蓼科・八ヶ岳連峰はまったく見えません。それでも登れただけで嬉しくなりました。
平尾山から1.JPG
 浅間山も姿を見せません。こんな状態がずっと続いているのです。
平尾山から2.JPG
 森に舞い降りた女王のような山百合です。あまりの見事さに見とれてしまいました。
森の女王 山百合.JPG
 雨に濡れた山百合も風情があります。
雨の中の山百合.JPG
 森の中だけでなく、花壇でも山百合が咲き、あたり一面芳香を漂わせています。
花壇の山百合.JPG
 これでもかというぐらい、たくさんの花をつけている山百合です。
花がこんなについた山百合.JPG
 ウバユリも咲きました。山百合を「陽」とすればこちらは「陰」という感じでしょうか。ウバユリがあることで、より一層山百合が輝いて見えます。
ウバユリ.JPG
 葉がない百合→歯が無いのは姥、よってウバユリという気の毒な名前がつけられているのですが、葉がないわけではありません。茎が長いのでそう見えるだけで、下部にはしっかりした葉がついています。花もなかなかのものだと思うのですが・・・。
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 異常な長梅雨のおかげで、菜園の作物は育ちが悪く、やっと実ったキュウリもこのレベル。トマトは期待できそうもありません。
キュウリ.JPG
 インゲンだけは何故か元気に花を咲かせていて、少し期待がもてそうです。
インゲンの花.JPG
 夏の花壇の主役の1つと考えている百日草も育ちが悪く、ようやく花が咲き始めたところです。
百日草.JPG
 もう一つの夏の主役と位置づけているのがマリーゴールド(万寿菊)です。こちらはまずまずといったところで、花の上をよく見ると、まるで保護色のようなベニシジミ蝶が来ていました。
マリーゴールドとベニシジミ蝶.JPG

待ち遠しい梅雨明け

 天気予報を見る度に、傘と雲のマークばかりが並んでいてうんざり。もうそろそろ梅雨明けして欲しいと願う日々です。
 これだけ雨が続いていても、すこぶる元気で、いままで見たことがないほどの大輪の花をつけているのがアジサイです。以前のブログで、花の色がすべて真っ白になってしまったと書きましたが、実はそうではありませんでした。よく見ると花の一部が少し青みがかっています。もしかすると、ちょっとした手当が効いたのかもしれません。アジサイの花は、酸性土壌にアルミ分が含まれていると青くなるという話を聞き、半月ほど前ですが、株元にアルミ箔を埋めてみました。まだはっきり識別できるほどのブルーになっているわけではないので、本当にその効果がでているのかどうかはわかりませんが、この先どう変化していくのか楽しみです。
 コスモスも大きく育って、次々と花を咲かせています。梅雨時を象徴するアジサイと秋の訪れを告げるコスモス。その両者のコラボは意外性があるだけではなく、とてもきれいで、アジサイの隣にコスモスのタネを蒔いておいて大正解でした。
 この時季らしい花の1つであるオオバギボウシも咲き始めました。日本中の山地に自生しているということで、ここ浅間山麓でもいたるところで目にします。ありふれてはいるのですが、岩のまわりなどに寄せ植えにすると見栄えがよいので、ポン太も庭の植栽に利用しています。蕾が橋の欄干の擬宝珠に似ているというのが名の由来で、漢字で書くと「大葉擬宝珠」です。
 これが咲いてくれないと、本格的な夏が来た気がしないというのがヤマユリです。ヤマユリは、近畿以北の山地に自生する日本特産の百合で、花弁が大きくて目立つだけでなく、その香りも強烈で、庭中がその芳香で満たされてしまいます。花言葉は「荘厳」だそうですが、まったくそのとおりの花で、間違いなく百合の王者です。そのヤマユリが本日開花しました。まだ1輪だけですが、これを見た瞬間、気分は一気に夏モードになりました。あとは本物の梅雨明けを待つばかりです。

 挿し木で増やしたアジサイですが、こんなに見事に咲いたのは初めてです。ほんのり青みがかっている部分があるのは、アルミを「供給」した成果でしょうか。
少し青みがかってきたアジサイ.JPG
 アジサイとコスモスのコラボです。季節変化の激しい当地にふさわしい景観だと思います。
アジサイとコスモスのコラボ.JPG
 こちらはガクアジサイです。ご近所の方からいただいたもので、この土地にあっているのか、移植初年度からきれいな花を楽しんでいます。
ガクアジサイ.JPG
 オオバギボウシの花です。若い葉は山菜として食することができ、山菜として売られている際の名は「ウルイ」です。
オオバギボウシ.JPG
 庭で蝶を見る機会が増えました。これはサンショの花に来ていた蝶で、図鑑で調べたところでは、コミスジチョウのようです。
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 こちらはモンシロチョウだと思いますが、サンショの花の蜜は多くの蝶を呼び寄せるほど美味しいものなのでしょうか。
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 雨の中でもしっかり熟してくれたブルーベリーです。わが家としては初めての大豊作で、このところ毎日、ヨーグルトのトッピングにして食べています。
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 これぞ夏の野草の真打ち、ユリの王者、ヤマユリです。咲いたのはまだ一輪だけですが、森が一気に華やかになりました。
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 今年はヤマユリの当たり年かもしれません。1つの株にこれだけ多くの蕾がありますので、これが全部咲けば、豪華絢爛な花束になること間違いなしです。
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 雨で山歩きもウォーキングもままなりません。そこで、久しぶりに美術館に出かけてみました。佐久市立近代美術館では、「収蔵品展」の観覧料を無料にする取り組みが行われており、気軽に鑑賞することができるからです。無料とはいえ、平山郁夫や東山魁夷といった有名画家の作品をはじめ、かなりのボリュームがあります。入口で、検温があり、氏名、連絡先を記入するなどのコロナ対策がとられていますが、館内はまったく「密」ではなく、安心です。
 疫病退散の妖怪として知られるアマビエを版画にした美術館特製の「おみくじ」があり、このような札をゲットしました。コロナ退散の御利益を期待したいものです。
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消える「きっぷ」

 今月(7月)に入ってからは、梅雨前線の影響で連日の雨。必然的に家の中で過ごす時間が長くなりました。
 この機会にと取り組んだのが、古い「紙資料」(他人から見ればただのゴミ)の整理です。こんなものまで、と思えるようなものが、段ボール箱の中から続々と姿を現しました。学生時代に通っていた自動車教習所の教習者証まであり、そこには、路上試験に2度落ちた証拠がしっかり残されていました。
 「資料」の中で、最も数が多かったのは鉄道の乗車券等のきっぷ類です。旅の記念、記録として大切なものという意識から、捨てることができずに残しておいたものが大半ですが、時を経て眺めてみると、個人の記念や記録を越えて、それぞれの時代の交通事情や旅のスタイルを物語る資料として、それなりの価値がありそうな気がします。しかし、驚いたのは、券面の表示が消え失せているものがかなりあったことです。
 自動券売機が一般化する以前は、鉄道の切符は、出札口で行き先を告げて購入するのがあたりまえでした。切符は、厚紙に印刷された「硬券」が主で、それらの切符は、相当古いものであっても、券面の文字が読めなくなっているものはありません。問題は薄い紙を用いた切符、いわゆる「軟券」で、多能式(多種類の発券ができる)自動券売機が普及してからのものです。1960年代中期に登場した初期のものはインクを用いていたため、手が汚れるなどの問題があり、60年代末から感光紙を利用して画像を焼き付ける方式に移行。70年代には塗布した薬剤を化学変化させることで発色させる方式が主流となりました。こうした化学的方法で印字した切符は経年劣化が著しく、日付や番号も含め何一つ読めないただの紙切れと化してしまっているものがかなりあります。これでは資料としての価値はなく、何のために保存していたのか、むなしさが募ります。現在の発券機は感熱紙を利用しているそうですが、半世紀後にはどのような状態になっているのかわからず、はたして保存する意味があるのか考えずにはいられません。
 もっとも、今の世の中はチケットレス時代に突入しており、IT化がさらに進めば、切符そのものが消えてしまうかもしれません。IT化が日本よりはるかに進んでいるといわれる中国では、すでに紙の時刻表が発行されなくなっています。自分が利用したい列車を検索するだけならスマホで用が足りるのでしょうが、どこをどのような列車が走っている(いた)のかを全国的レベルで把握(一覧)することができなくなりました。
 便利さの追求=当面の役に立ちさえすればよい(そうでないものは消えて結構)、ということであれば、自分たちが歩んだ社会の足跡を後世に伝えることが難しくなります。IT化社会の負の側面として、「記録」という意識の希薄化がありはしないか。議事録をつくらず、公文書は平気で破棄という某政権の手法は、ひょっとしたら時代の先取りかもしれません。不安と危惧を感じないわけにはいかないアナログタヌキのポン太です。

 下の4枚の切符は、いずれも1974(昭和49)年に自動券売機で購入した、当時の最低運賃区間(30円)の乗車券です。消え具合に差があるのは印刷方式の違いでしょうか。これは想像ですが、左上のものは従来のインクを使用していた、右上と左下は年月日と番号だけインクで、右下はすべてが化学変化を利用した印字であったのかもしれません。
感熱式乗車券.jpg
 次の2枚は、ポン太が子供のころの地図式の硬券乗車券です。上は1958(昭和33)年7月24日に発券されたものですが、当時の国鉄は3等級制の時代で3等の表記があります。下は、1962(昭和37)年7月4日発券の乗車券です。1960(昭和35)年から2等級制に移行しており、2等と表記されています。
硬券電車切符003.jpg
 以下の2枚は1960年代後半に、自動券売機で購入した軟券の乗車券です。上は、発券日が1968(昭和43)年7月4日となっていますが、その2年前、1966(昭和41)年3月5日の運賃改定により最低運賃が20円になりました。まだ2等級制が続いており2等の表記があります。汎用インクを用いていたようで、きれいな印刷とは言えませんが、消えることはなさそうです。下は、モノクラス制に移行した1969(昭和44)年の乗車券で、最低運賃が30円となりました。券面の表示がしっかり消えずに残っているところをみると、感光式ではなさそうです。
渋谷から初乗り20円、30円時代007.jpg
 これは戦前の1937(昭和12)年の省線電車の乗車券です。83年の時を経た今でも券面の印刷は鮮明で、当時の最低運賃が5銭であったことや、5銭でこれだけ乗ることができたという情報を得ることができます。こうであってこそ、保存価値のある「資料」といえるのではないでしょうか。ちなみに当時の映画館の入場料は50銭、ハガキが2銭、コーヒー1杯が15銭ほどであった由。現在の山手線の最低運賃は140円ですから、電車の運賃は、感覚的には昔も今もそれほど変わらないレベルといえるかもしれません。
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 かつてはごく一般的であった硬券の乗車券です。出札所にはこうした乗車券が常備されていて、窓口で「○○まで1枚」と告げれば、さっと出てきました。東京電環というのは東京電車環状線の略で、ちょっと懐かしい言い方です。現在の「東京山手線内」と同じ意味です。
硬券切符005.jpg
 常備券がない場合には、このような補充券に、行先、経由等の必要事項を記入して発券してくれました。これは高校1年の秋に、初めて東北地方へ出かけた際に用いた思い出深い乗車券です。東京→新津→郡山→平(現在のいわき)→東京と一周するルートですが、運賃が僅か890円というのは驚きです。運賃レベルが今よりずっと安かったというだけでなく、学割の割引率が高かった(100キロを越えた部分は5割引)ことが大きな理由です。この翌年3月の運賃改定から割引率が現行と同じ2割となってしまい、ポン太が5割引の恩恵にあずかれたのは僅かな期間でした。 
手書き切符006.jpg
 この乗車券で旅した際に撮影した写真の1枚がこれです。磐越東線の川前~江田信号場間を行く D6068牽引の727列車です。SLは消えても風景は今も同じかも知れません。
727レD6068/川前~江田 (2).jpg
 切符の話のついでに、これはどうでしょうか。今も存続しており、ポン太も利用することの多い「青春18きっぷ」ですが、1982(昭和57)年の発売当初は「青春18のびのびきっぷ」という長い名前でした。国鉄全線乗り放題という画期的な切符の登場に、すでに「青春」とは言い難い年齢となっていたポン太も飛びつきました。1枚ずつ切り離して使用できるこの形式は、JR移行後もしばらく継承されていました。
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 「青春18のびのびきっぷ」にはワッペンが添付されていました。されど、このワッペンを付けて乗車している人を見たことはなく、定着せずに終わったようです。
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 自動券売機で発券される現在の「青春18きっぷ」はこの形式ですが、いずれ券面の表示が消えてしまいそうで不安です。
渋谷から初乗り20円、30円時代008.jpg
 自動券売機が主流の時代になってからも、地方では紙に印刷されたこんな「青春18きっぷ」を買うことができました。これなら絶対に券面の表示が消えることはなく、100年後も「青春18きっぷ」なるものが存在したことを伝えてくれそうです。
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士幌線十勝三股駅~忘れ難き終着駅(14)

第14回士幌線十勝三股駅(北海道)

 北海道十勝地方の中心都市といえば帯広です。現在の帯広駅に発着するのは、根室本線の列車のみですが、かつては、南へ広尾線、北へ士幌線が分岐する、鉄道交通の要衝でした。北へむかう士幌線の終点は東大雪の山懐に位置していた十勝三股。途中の糠平にはダム湖(糠平湖)があり、糠平温泉という観光地もありましたので、そこまでは士幌線を利用することがあっても、終点の十勝三股まで足を伸ばした人は少ないのではないでしょう。十勝三股には、これといった観光スポットはなく、その先どこかへ抜けられるというわけでもなかったからです。
 私が乗車した1972(昭和47)年3月の時点で、十勝三股まで行く列車は1日4本でした。帯広発の始発が6時10分、その次の列車は糠平止まりで、十勝三股行は13時00分までありません。その後の行動を考えると、始発に乗るのがベストというわけで、帯広駅に早朝の5時44分に到着する根室本線の夜行列車(423列車)を利用することにしました。そんな鈍行の夜行列車があったことも、今となっては夢のような話ですが、列車で十勝三股まで行けたことも実は大変幸運なことだったのです。なぜなら、その後、十勝三股エリアの居住者がどんどんいなくなってしまい、1978年12月25日以降、糠平~十勝三股間はバス(実際はタクシー)代行となったからです。士幌線が全線廃止となる1987(昭和62)年3月23日まで、十勝三股は名目上の終点という状態でした。
 国鉄末期の1980年、国鉄旅客営業路線の完乗を目的としたキャンペーン、「チャレンジ2万キロ」が始まりましたが、その時には、すでに士幌線を列車で完乗することはできなくなっていたわけです。列車の終点である糠平まで乗れば、士幌線完乗とみなすという決まりになっていたかと思うのですが、線路があるのに乗れないというのは、チャレンジャーにとっては、気分的にすっきりしないものだったでしょう。
 士幌線が十勝三股まで全通したのは1939(昭和14)年11月18日です。その先に森林鉄道があった時代もあり、林業の拠点として役割を担った駅でした。旅客用には片面ホームが1つあるだけでしたが、木材輸送の名残で構内は広く、何本もの線路があり、東大雪の山々を望む景色は雄大で、北海道らしさを感じた終着駅でした。
 なお、糠平ダムの建設に伴い、1955年に糠平付近のルートが変更されています。私が乗車したのはもちろん新しいルートの方です。旧線に存在したタウシュベツ川橋梁等は「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」として第1回北海道遺産に選定され、古代ローマの遺跡のようだとして人気を集めていますが、そのころは名前すら知りませんでした。ただし、旧線跡らしきものを車窓から眺めて、カメラをむけた記憶はあります。

 当時の国鉄が配布していた観光パンフレットの一部です。士幌線が描かれた部分を拡大してみました。
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 十勝三股駅は無人駅ではなく、入場券を買うことができました。
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 十勝三股に着いた721Dです。寒冷地向けの気動車、キハ1215とキハ128の2両編成で、前者の一部は荷物室扱いとなっていました。(1972年3月11日撮影、以下同じ)
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駅の構内は広く、高原のような雰囲気を感じる駅でした。
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 駅名板の脇に、海抜664mという表示があります。当時、北海道最高所の駅でした。
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これはウペペケサンケ山(1848m)でしょうか。十勝三股駅から見た雪山の風景はインパクトがありました。
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 十勝三股の駅前風景です。当時の駅周辺には常住者がかなりいて、しっかり除雪されていました。
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 糠平湖を車窓からみた風景です。結氷しており、一面の雪原となっていました。
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 対岸に、旧線跡らしきものが見えました。タウシュベツ川橋梁はこの近くかもしれません。
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 当時の国鉄は、個人旅行者を増やそうと、1970年から「ディスカバー・ジャパン」という名のキャンペーンを展開していました。そのため、士幌線の糠平駅にもこんなスタンプが設置されていました。記憶は定かではないのですが、観光客がほとんど来ない十勝三股駅には設置されていなかったと思います。
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梅雨空の下でも野菜は美味

 梅雨らしいといえばそれまでですが、ここ1週間ほど、雨の降らない日はありません。幸い、災害に直結するような豪雨にはなっていませんが、野山を歩き回ることはできず、雨の止み間を利用して、家の周りを散歩するのが関の山です。
 そのような日々の中で、ささやかな楽しみを与えてくれるスポットといえるのが野菜の直売所です。地元産の野菜が旬をむかえており、畑から直接持ち込まれる野菜は、鮮度抜群でとにかく美味です。もちろん価格は超リーズナブルですから、スーパーには悪いのですが、夏野菜の大半は直売所で調達することになります。
 珍しい野菜と出合うことも多く、先日は、サボイキャベツなるものをゲットしました。葉が縮れていて、白菜とキャベツを足して2で割ったような感じの野菜です。煮て食べると美味しいという話でしたので、同じ直売所に並んでいたビートと一緒に煮込んで、ボルシチ風のシチューをつくってみました。煮崩れしないので、シャキシャキ感が楽しめました。スライサーで千切りし、サラダにした場合も歯触りが良く、美味しく食べることができました。このほかロマネスコという不思議な形をした野菜も入手しましたが、こちらはカリフラワーのコリコリ感とブロッコリーの甘みをミックスしたような感じで、いろいろな料理に応用できそうです。
 さて、わが家の菜園の野菜や果実はどうなったかというと、レタスはすでに食べ尽くし、キューリやトマトが実るのを待っているところです。山東菜は、虫除けの網を設置したところだけは育ちましたが、それ以外は虫に食べられて茎しか残っていません。高冷地といえども葉物の無農薬栽培は難しいものです。虫除け網の中を、なんと蝶が飛び回っていました。成虫になって入ったのではなく、山東菜をエサに育ったのでしょう。醜い蛾でなくてよかったと思うしかありません。
 アンズやプラムは全く実をつけずがっかりですが、今年の期待の星はブルーベリーです。かなりの数の実が成り、すでに完熟状態になっているものもありますので、今後の収穫が楽しみです。
 家のまわりではこの時季らしい花が咲いています。筆頭はアジサイです。ここ数年全く花が咲かず、冬の寒さに耐えられなくなったかと心配しておりましたので、久々にたくさんの花を見て嬉しくなりました。
 花壇ではユリも咲いています。初めて植えてみたアスター(エゾギク)も咲き始めました。驚いたのは、はやくもコスモスが開花したことです。梅雨も明けていないのに、庭の片隅では、すでに秋の気配が漂い始めました。

 いつもお世話になっている直売所の1つがここです。御代田町の浅間サンライン沿いにあります。
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 入口の台の上に白菜が並んでいます。白菜=冬=鍋物というイメージですが、当地では今が旬。夏の白菜の方が美味しいといわれていますので、ポン太もゲットしました。
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 直売所の前に花壇が設けられていて、色とりどりの花が咲いていました。看板に「中山間地」とあるように、確かにここは標高の高いところです。こういう環境で育つ野菜が、美味しくないはずはありません。
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 すぐ近くには人気の蕎麦店「地粉や」があります。コロナ禍にもめげず、いつの間にか駐車場が舗装されていました。
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 直売所のはすむかいにあった、こちらのフレンチレストラン「エマーブル」は、残念ながら閉店してしまいました。
エマーブル閉店.JPG
 浅間サンライン沿いにあるラベンダーの畑です。ちょうど花が満開になったところで、梅雨空の下でも鮮やかに見えます。
ラベンダーは岳.JPG
 直売所で入手したサボイキャベツがこれです。キャベツ?白菜?、何だろうこれはといった感じです。サボイというのはフランスの産地の地名とか。
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 これが、一見グロテスクなロマネスコ(左)とビート(右)です。ロマネスコはイタリアの野菜で、ローマ近郊では16世紀から栽培されているそうです。
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 大根にもこんなタイプがあります。左右の赤大根は中まで真っ赤で、スライスして甘酢漬けにすると美味。真ん中のふとっちょ大根は辛みが際立ちます。
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 これが赤大根の甘酢漬けです。着色料を使用したわけではないのに、血の滴るようなこの色。知らない人はドキッとするでしょうね。
赤大根の甘酢漬け.JPG
 わが家で今一番の期待の星はこのブルーベリー。良い感じに熟してきました。
ブルーベリー.JPG
 山東菜を虫から守るために防虫網を設置しましたが、その中で蝶が数匹飛び回っていました。ムムッ??
囲われた蝶.JPG
 花壇ではユリが咲きました。マリーゴールドも日に日に大きくなっています。
百合とマーガレット.JPG
 久しぶりに咲いてくれたアジサイです。多摩の古巣から移植し、挿し木で増やしたものです。土壌の影響か、花の色が全部白くなってしまいました。
アジサイ.JPG
 初めて植えてみたアスター(エゾギク)ですが、無事に大きくなり開花しました。
アスター.JPG
 森の中では、ヤマホタルブクロが咲いていました。
ホタルブクロ.JPG
 これは、自らは光合成をおこなわないオニノヤガラという腐生植物です。漢方薬の原料になるそうです。昨年、ご近所の家の庭に変わった植物があると聞き、見せてもらいましたが、わが家の森にも現れるとは。
オニノヤガラ.JPG
 今年最初に咲いたコスモスです。この花を見れば、秋を感じないわけにはいきません。
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 孫を喜ばせようと、切り株を利用して「お猿のジョージ」をつくってみました。自分でつくっておいてなんですが、雨の降りしきる森の中にこれが立っているのを見ると、ちょっとドキッとします。
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浅間山麓にブルーの新風 -しなの鉄道に新型車両登場-

 東京都で新型コロナ感染者の増加が顕著になったり、九州では甚大な水害が発生したりと、暗いニュースが多い中で、浅間山麓ではちょっぴり明るいニュースがありました。それは、しなの鉄道発足以来はじめての新型車両となるSR1系の営業運転が始まったことです。
 今回投入された3編成6両は、有料ライナー仕様で、平日は、「サンライズしなの」号及び「サンセットしなの」号、土休日は「軽井沢リゾート」号として運転されます。小諸以東の浅間山麓を走るのは「軽井沢リゾート」号のみです。営業初日(7月4日)は土曜日でしたので、間近に見ることができるチャンスとばかり、御代田駅付近へ出かけてみました。前夜から降っていた雨が止んだのが列車の通過直前ということもあり、ほかにはカメラを持った人はおらず、営業初日の1番列車が走行するシーンを「独占取材」することができました。
 ブルーを基調にしたこの車両、今までのしなの鉄道のイメージを一新するものであることは間違いありません。沿線の山並みと千曲川の清流をイメージしたデザインという話ですが、私の印象では水を意識させる部分が強いようで、山岳地帯を走る列車というよりはリバーサイドトレインという感じです。慣れればどうということはないのでしょうが、ちょっと違和感はありました。
 報道によれば、座席がロングシート・クロスシートの両方に転換可能になっていたり、電源コンセントやカップホルダーが付いていて、Wi-Fiサービスが利用できるなど、従来の車両とは一線を画する車内設備を有しているということです。実際に利用してみないと感想は述べられませんので、なるべく早く乗車の機会を得たいものです。 
 この新型車両は、国鉄時代以来使い続けている115系を置き換えることを目的としており、2026年度にかけて26編成52両を導入する計画でした。しかし、コロナ禍の影響で運賃収入(特に定期外収入=普通乗車券の収入)が減少し、今年度は黒字困難の見通しとなり、導入期間の延長や車両数の削減も検討されるということです。一茶の故郷を走る路線だからというわけではもちろんありませんが、「めでたさもちうぐらいなり」の新車デビューでした。

 雨上がりの浅間山麓を走るSR1系「かるいざわリゾート1号」です。軽井沢から終着の妙高高原までの所要時間は1時間51分です。(7月4日、御代田~平原間)
新型SR1系「軽井沢リゾート1号」/御代田~平原.JPG
 颯爽と小諸方面へ下っていきました。
新型SR1系「軽井沢リゾート1号」②/御代田~平原.JPG
まもなく上りの1番電車、長野発軽井沢行の「かるいざわリゾート2号」がやってきました。
新型SR1系「軽井沢リゾート2号」/御代田~平原.JPG
 25‰の急勾配を軽快に登っていきます。ここは、御代田駅の少し平原寄りの地点で、左手奥の三角屋根の建物は御代田町役場です。
新型SR1系「軽井沢リゾート2号」②/御代田~平原.JPG
 SR1系はJR東の総合車両製作所新津事業所で製造されたもので、基本的には同所で製造され、JR東の新潟地区に投入されているE129系と同形です。これは一昨年の7月1日に新津駅で撮影したJRのE129系ですが、塗色が異なるだけで、ずいぶん違ったイメージになるものです。
E129系/新津.JPG
 今後導入される車両は、今回のライナー用とは異なり、赤色の塗色となるそうです。現在のこの赤とグレーのしなの鉄道カラーは、沿線にリゾート地をかかえる路線らしい上品さが感じられ、大変気に入っていました。ぜひこの雰囲気を踏襲してもらいたいものです。
115系.JPG
 このあたりで撮影していると、どうしても頭に浮かぶのは国鉄(信越本線)時代のことです。これは189系の特急「あさま」(1985年8月21日撮影)ですが、こんな長い編成の列車が走っていたのが、今となっては夢のようです。
850821信越本線189系あさま/御代田~平原.jpg

懐かしの鷲ヶ峰 -52年ぶりの再訪-

 梅雨の晴れ間の貴重な一日をどう過ごすか。やはり気持ちの良いのは山歩きです。それでは、どこへ出かけたらよいか。ふと思いついたのは、そろそろニッコウキスゲのシーズンをむかえる霧ヶ峰です。霧ヶ峰はいくつもの峰からなる火山の総称ですが、今回はその北西端に位置する鷲ヶ峰(1798m)に登ることにしました。
 実は鷲ヶ峰は52年前に登ったことがあります。都立T高校を卒業し、そのころは「一浪=ヒトナミ」といわれた浪人生活に入った夏のことでした。クラスの大半が浪人しておりましたので、気晴らしに、いや運動不足解消のために、有志で山歩きに出かけようということになったわけです。
 下諏訪駅から和田峠を越える国鉄バスが運行されていたので、それを利用して和田峠から入山し、鷲ヶ峰に登り、八島ヶ原湿原の東側を経由して、上諏訪行の諏訪バスが発着していた強清水に至るというルートでした。今は和田峠を通るバスはなく、強清水発着のバスも土休日のみの運転ですので、当時と同じルートで山歩きをするのは大変です。この一帯の交通事情はビーナスラインという名の観光道路が建設されたことで大変貌を遂げたのですが、当時私たちが歩いたルートに近い、和田峠~八島ヶ原湿原付近~強清水間の道路が開通したのは2年後の1970(昭和45)年11月です。車が頻繁に行き交い、駐車場が大混雑をきたすような風景をみることなく、静かな山歩きを楽しめたのはラッキーだったかもしれません。
 さて今回はそのビーナスラインを利用して、「八島湿原駐車場」から鷲ヶ峰を往復し、その後、湿原を時計回りに一周するプランとしました。
 鷲ヶ峰がどんな山だったのか、何しろ52年前のことですから、鮮明に記憶しているとは言い難いのですが、ほとんど樹木のない草原状の尾根を歩いたという記憶とは一致していました。展望の良い山というのも昔のイメージ通りでした。全く記憶がなかったのが八島ヶ原湿原の鎌ヶ池です。その脇を通ったはずなのですが、湿原にはあまり興味がなかったのかもしれません。
 当時は植物にも関心が薄く、ニッコウキスゲ以外、花の名前などほとんど知らなかったといってよいでしょう。今回は、どこにどんな花が咲いているのか、珍しい高山植物はないか、それを探す楽しみが大きかったように思います。観光開発に伴う景観の変化もさることながら、自分自身の山や自然との向き合い方が、52年前とは大きく変化したことを感じた山歩きでした。


 初めて鷲ヶ峰に登ったころの霧ヶ峰付近の絵図です。『JNR(国鉄)ニュース』に掲載されていたものですが、和田峠へむかう国鉄バスが描かれています。
国鉄ニュース掲載の霧ヶ峰絵図.jpg
 ニッコウキスゲが咲き始めた現在の霧ヶ峰です。かつてはあたり一面ニッコウキスゲの原という感じでしたが、シカの食害により壊滅的な打撃を受けました。柵を設置するなどの対策を講じたことで、復活しつつあるということですが、まだその数は少ない印象です。
咲き始めたニッコウキスゲ.JPG 
 「八島湿原駐車場」に車を置いて、鷲ヶ峰への登山を開始しました。早速現れたのが、シカ除け柵のゲートです。鷲ヶ峰は前方の山を越えた先にあります。
シカ防護柵.JPG
 登山道脇や八島ヶ原湿原周辺でよくみかけたのがこのニシキウツギです。湿原入口の「八島湿原花ごよみ」という案内板でも紹介されていました。
ニシキウツギ (2).JPG
 近寄って見るとこんなに可愛い花でした。
ニシキウツギ.JPG
 尾根に出ると鷲ヶ峰の山頂部分(左端)が見えてきました。気持ちのよい山道です。
鷲が峰めざして.JPG
 振り返ると、湿原が一望できます。
八島が原湿原.JPG
 52年前に鷲ヶ峰から下った際の風景はこのようでした。眼下に広がる八島が原湿原の形は同じですが、全体に今よりも樹木が少ない印象です。
680721鷲が峰から八島湿原への下山路.jpg
 現在は八島湿原駐車場やビーナスラインの一部が視野に入ってきますが、昔はもちろんそのようなものはありません。
八島湿原駐車場.JPG
 ここを登りきれば鷲ヶ峰の頂上は間近です。
DSCF2902.JPG
 登山道の周辺ではいろいろな高山植物をみることができました。これはミヤマウツボグサです。
ウツボグサ.JPG
 こちらは、今咲き始めましたという感じのコウリンカです。
コウリンカ.JPG
 現在の鷲ヶ峰山頂です。昔はこんな立派な標識やベンチはなかったと思います。
現在の山頂.JPG
 52年前に山頂で撮影した写真です。当たり前ですが、みんな若いですね。されど、現在のハイティーンと比べると少し大人びているかも。
680721鷲が峰山頂にて.jpg
 記念写真を撮った場所はこの岩のあたりだと思われます。
山頂の岩.JPG
 山頂からの眺めは抜群で、諏訪湖も一望できます。
諏訪湖方面の眺め.JPG
 52年前も同じ眺めを楽しんだようです。
680721鷲が峰山腹から諏訪湖方面をみる.jpg
 山頂から和田峠側をみたところです。52年前はこちら側から登ってきました。
鷲ヶ峰山頂から和田峠方面をみる.JPG
 こんな写真が残っていました。背後にトンネルがみえますから、和田峠の登山道入口付近ではないでしょうか。
680721和田峠出発.jpg
 鷲ヶ峰から八島ヶ原湿原へと下るルートは今回も同様です。途中で、鎌ヶ池を見下ろすことができますが、このあたりの記憶はまったくありません。手前に写っているのはニシキウツギです。
ニシキウツギと鎌ヶ池.JPG
 八島が原湿原を一周する道は、こうした木道になっているところが多いのですが、その傍らにはコバイケイソウ(右)やレンゲツツジ、ヤマツツジなどが咲いていました。
遊歩道とコバイケイソウ.JPG
 鎌ヶ池付近の自然の造形のすばらしさには感動を覚えました。52年前もここを通っているはずなのに、記憶がないのが不思議です。
鎌ヶ池と八島ヶ原湿原.JPG
 レンゲツツジと小さな池塘のコラボも素敵です。
池塘とレンゲツツジ.JPG
 湿原のまわりにはアヤメやアカギキンポウゲ(黄色い花)が咲いていました。
アカギキンポウゲとアヤメ.JPG
 これはイブキトラノオでしょうか。
イブキトラノオ.JPG
 八島ヶ原湿原南側の遊歩道からみた鷲ヶ峰です。52年前にはここは通っていないので、この景観は新鮮でした。
八島が原湿原からみた鷲ヶ峰.JPG

不作のアンズに右往左往するも

 わが家のアンズが1つも実っていません。これはおかしいぞと思っていたところ、主産地の千曲市でも、収穫が例年の4割程度という不作であることが明らかになりました。暖冬で開花は早かったのですが、その後に寒波がきたことが災いしたようです。素人考えですが、虫の活動が不活発で受粉がうまくいかなかったのかもしれません。わが家ではアンズだけでなく、リンゴ(アルプス乙女)も僅かしか結実していません。
 この時季のわが家では、いつもアンズジャムを手造りしています。パンチ力のある甘酸っぱさが、夏の暑さを乗り切る上で不可欠なものになっているからです。ところがこの不作の影響で、今年はスーパーにアンズが並ぶことはないという話が伝わってきました。このままでは、アンズジャムのない夏になる。そんなことがあってはならぬと、思いついたのが、直接産地に出向いて手に入れることです。
 即実行と出かけた先は、日本一のアンズの里として知られる千曲市の森地区。幸運にも現地に着いてすぐ、「あんずの里物産館」の前に、「生アンズ入荷しました」という看板を見つけました。狙いは的中したわけですが、中に入ってみると、並んでいた量は少なく、到着時間が少し遅ければ「本日分販売終了」となっていたかもしれません。危ないところでした。
 せっかく森まで来たので、物産館のすぐ近くの「科野の里歴史公園」に寄ってみました。そこは、古墳時代初期(4世紀末)につくられたとみられる森将軍塚古墳の所在地です。全長100m余という県内最大の前方後円墳で、竪穴式石室は東日本最大級とか。科野(信濃の国の前身)の首長の墳墓ということですが、古代史に疎いポン太でも、ヤマト王権との関わりを物語る、興味深い史跡であることはわかります。古墳は山の稜線につくられていて、展望抜群ということなので、天気の良い日に改めて訪れてみたいと思いました。
 帰路、坂城町を通過した際、バラ公園の存在に気づき、そこにも寄ってみました。残念ながら、盛りは過ぎていましたが、最盛期には梅雨の鬱陶しさを吹き飛ばすほどの、絢爛たる花園と化していたはずです。ここも再訪の価値ありと記憶に留めました。
 同じ日、わが家の庭の片隅で、面白い植物をみつけました。今までみたことのない白い花が咲いていたので、調べてみたところ、イチヤクソウと判明。さらにそのすぐ近くにはアカバナイチヤクソウではないかと思われる蕾もありました。イチヤクソウは、低山の山林中に分布する多年草で、東京都では絶滅危惧種に指定されているとのことです。日陰干しすると生薬になることから、その名(一薬草)がついたとか。
 梅雨の最中とはいえ、貴重なアンズを入手することができ、ちょっとした発見もあったので、気持ちだけは晴れた一日でした。

 千曲市の森地区にある「あんずの里物産館」です。
あんずの里物産館.JPG
 千曲市は日本一のあんずの産地ということで、ご当地キャラクターも「あん姫」です。
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 おっ、ありました。あんずが買えるぞ!!
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 この森地区の春の様子ですが、文字通り「あんずの里」です。
杏の里 森.JPG
 本日ゲットしたアンズです。これだけあれば、この夏のわが家のジャム需要をなんとか満たすことができそうです。アンズは収穫シーズンが短い上、傷みやすいので、ふだんの年でも、入手には気をつかいますが、今年は貴重品といってもよいでしょう。
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 物産館のすぐ前の山上にあるのが、森将軍塚古墳です。最近は日本史の教科書にも載っているそうです。雨が降ったり止んだりの天気でしたので、この日は登るのをあきらめましたが、次回はぜひ登ってみたいものです。
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 森将軍塚古墳の麓が「科野の里歴史公園」になっています。中に入ろうとすると、こんな看板が。この文面は、野性動物と共存している信州らしくてよいですね。
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 古墳時代の村が再現されているコーナーです。本当に人が住んでいて畑を耕しているような雰囲気で、よくできています。
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 こちらは坂城町の「千曲川バラ公園」駐車場です。しなの鉄道と千曲川の堤防の間にあり、電車からも見えるはず。
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 コロナ対策で、バラ祭は中止となったそうですが、散策は自由です。
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 遊歩道も整備されていて、最盛期には相当楽しめそうです。
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 半分ぐらいの花がすでに枯れてしまっていたのが残念ですが、霧雨に煙る背後の山とのコラボは絵になります。ちなみにこの山の頂にあったのが、信州の戦国武将として名高い村上義清の葛尾城です。武田信玄との戦に敗れ、越後の上杉謙信を頼ったことが、あの川中島合戦の契機となりました。
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 わが家の庭の片隅で見つけたイチヤクソウです。元は浅間山麓の原野だったところですから、こうした山野草があるのは当たり前かもしれませんが、その正体がわかるとやはり嬉しいもの。
イチヤクソウ.JPG
 こちらはベニバナイチヤクソウのようです。本州中部以北の山地に分布しているものだということなので、より貴重かもしれません。
ベニバナイチヤクソウ.JPG
 梅雨真っ最中のわが家の花壇はこのとおり。ナデシコが盛りをむかえ、タネから育てたマリーゴールドも花をつけはじめました。間もなく咲きそうなのがユリとオオバギボウシです。
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至宝の山と森-黒斑山を歩いて-

 先週末に県を跨いでの移動自粛が解除されて以来、浅間山麓でも県外ナンバーの車を見かけることが多くなりました。梅雨の晴れ間に、黒斑山に出かけてみたところ、登山口(車坂峠)の駐車場は満車状態で、登山道を歩いている人の数も、これまで見たことがないほどの多さでした。全体的にみて、若い人や家族連れの比率が高く、高齢者は少ないという印象です。やはり、高齢者の場合は、感染を恐れて本格的に出歩くことをまだ避けているのかもしれません。
 山で出会った若者の多くが、明るい表情をしており、中には「これまでずっと家に閉じこもって我慢していたので嬉しい」と話す人もいました。広域に人が動けば感染が広がる恐れがあり、その懸念をぬぐい去ることはできませんが、各地からやってきて山歩きを楽しんでいる人々の姿をみると、ひたすら「ステイホーム」でというのは無理があると思わざるをえません。誰だって、美しい自然の中で身体を動かしたいのです。 
 黒斑山は、訪れる誰をも満足させてくれるすばらしい山です。森もあれば岩場もあり、高山植物も豊富。僅か2時間ほどで山頂に立つことができ、これほど雄大なアルペン的景観を楽しむことができる山はそうはないと思います。黒斑山の詳細については、一昨年の6月に「黒斑山への招待」というブログでご紹介しましたので、ぜひご覧下さい。
 コロナ禍を筆頭に、暗いニュースが多い中で、信州ではちょっと良いニュースもありました。それは、霧ヶ峰周辺の山林を大規模(事業区域は196.5ha)に伐採してメガソーラーをつくるという計画が撤回されたことです。この背景には水資源の保全機能や生態系への悪影響、景観の悪化などを懸念する地域住民の声が高まったことがあると思われます。太陽光発電自体が悪いわけではなく、自宅の屋根などに設置する「小規模分散型」(自給自足型)であれば、むしろ大賛成です。しかし、大規模な森林伐採を伴う「山林開発型」を許容することはできません。
 森の中に入れば、誰しもひんやりとした清浄な空気の存在を感じるはずです。水資源を守り気温の上昇を防いでいる森をつぶしてつくった電気で、クーラーをフル稼働させて涼むなどということが、矛盾に満ちた愚かな行為であることは、ポン太のようなポンコツ頭でも容易に理解できます。山や森は、ただ美しいだけでなく、心身ともに健康な生活を維持する上でのかけがえのない宝です。黒斑山で、大勢の登山者の笑顔に接して、益々その思いを強くしました。

 前方の黒斑山を目指して、美しい森の中を歩きます。
黒斑山をめざして.JPG
 森は天然のクーラー。暑さ知らずです。
森の中の道.JPG
 足元にはイワカガミがたくさん咲いていました。
白樺を彩るイワカガミ.JPG
 コマクサの咲くガレ場もあります。
槍が鞘南斜面のガレ場.JPG
 今年はまだ咲いている数が少なかったのと、登山道から遠く離れた場所にしか咲いていなかったので写真撮影はできませんでした。これは一昨年の様子です。
黒斑のコマクサ.JPG
 黒斑山といえばゴゼンタチバナ。今年はとくにその数が多いように感じました。
ゴゼンタチバナ.JPG
 最初に登り着くピークを槍ヶ鞘といいます。そこからの眺めはすばらしく、登ってきた疲れが吹き飛びます。右は浅間山、左はこれからたどるトーミの頭です。
槍ヶ鞘からの眺望.JPG
 トーミの頭(右端)から黒斑山山頂(左端)に至る稜線です。険しそうに見えますが、難なく登ることができます。
DSCF2617.JPG
 足元には切れ落ちた深い谷があり、吸い込まれそうになります。この谷にはニホンカモシカが棲息していて、時折登山道にも現れます。
剣が峰と谷.JPG
 槍ヶ鞘からトーミの頭へと登って行く途中には、ハクサンイチゲがたくさん咲いていて、夏山らしい雰囲気が漂っていました。
登山道脇のハクサンイチゲ.JPG
 トーミの頭の上では、大勢の登山者が眺めを楽しんでいました。
DSCF2677.JPG
 トーミの頭から見た浅間山の外輪山は、アルプスを思わせる絶景です。
DSCF2643.JPG
 外輪山中の最高峰が黒斑山です。標高は2404mあり、浅間山本体を除けば、浅間連峰の最高峰です。
黒斑の頂上付近.JPG
 黒斑山の山頂は狭い上に展望がいまひとつなので、そこから蛇骨岳方面へ少し歩いた稜線上でいつも昼食休憩をとることにしています。この日は若い先客がおり、もう少し先まで歩くことにしました。
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 外輪山の稜線を行く登山道は見晴らし抜群のパノラマラインです。この辺がよかろうと、ランチの場所を確保しました。
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 ちょっと狭い場所で、転落したら大変ですが、展望は抜群です。
DSCF2666.JPG
 浅間山と外輪山、火口原(湯の平)を一望する、この眺めを楽しみながらのランチは、まさに至福のひとときです。
DSCF2669.JPG
 このあたりからは、浅間山の噴火口の様子もよくわかります。少し噴煙が多いように感じましたが、帰宅してニュースを聞くと、このところ火山活動が活発化していて小噴火の恐れがあるとのこと。25日に、噴火警戒レベルが2に引き上げられ、火口から2km以内への立ち入りができなくなりました。噴火口に近い前掛山へ登ることはできませんが、黒斑山は大丈夫です。
DSCF2661.JPG
 帰路は槍ヶ鞘経由の尾根コース(表コース)ではなく、展望のない谷コース(中コース)をとりました。そこで思いがけず遭遇したのが、このマイヅルソウです。何度も登っている山でも、新たな「発見」があるものです。
マイヅルソウ2 (2).JPG


梅雨晴れの鹿沢の山へ-山頂にもレンゲツツジ-

 梅雨の晴れ間を利用して、湯ノ丸高原へレンゲツツジを見にでかけました。いつもは湯ノ丸山への登山道沿いある「ツツジ平」を中心に見て歩くのですが、湯ノ丸山は先日登ったばかりですので、今回は例年とは違う場所を歩いてみることにしました。
 地蔵峠を群馬県側に少し下ったところに、桟敷山という山があります。その隣の小桟敷山との間には「せんべい平」とよばれる平らな土地が広がっています。その一帯にもレンゲツツジが咲いており、まずはそこを散策しました。レンゲツツジの数自体は「ツツジ平」に及びませんが、周囲を山に囲まれたロケーションがすばらしく、白樺の林の中に朱を散らしたように咲くレンゲツツジは、色鮮やかで、より一層輝いて見えます。
 桟敷山、小桟敷山をはじめ、角間山、鍋蓋山、村上山といったこのあたりの山々は、浅間連峰の一翼を担う存在ではあるのですが、群馬県嬬恋村の鹿沢地方に属しており、鹿沢の山というとらえ方もできます。鹿沢の山は、冬は深い雪に覆われ、桟敷山山麓の鹿沢温泉には「雪山賛歌発祥の地」の碑があります。積雪期が長いせいか、信州側から登る山とはだいぶ雰囲気が異なる感じで、一言でいえば水分を含んだ「しっとり」感。展望はさほど良くはないのですが、空気が爽やかで歩くこと自体が心地よい、そんな山々です。
 せんべい平から海抜1852mの小桟敷山に登ってみました。お椀を伏せたような形をした山で、小なりといえども火山(溶岩ドーム)です。山頂部分は予想以上に広々しており、たくさんのレンゲツツジが咲いていました。展望が開けているのは西籠ノ登山方面のみですが、ランチを食べてのんびり過ごすには最適な天上の楽園です。
 帰路、温泉で山の汗を流したくなって、新鹿沢温泉まで車を走らせました。県道94号線(東御嬬恋線)の群馬側は、昨年の台風19号により大きな被害を受け、長い間通行止めになっていたところです。被害の大きさは想像をはるかに超えるもので、随所で道路が崩落しており、片側交互通行でしのぎながら復旧工事が行われていました。聞けば全国で5番目という降水量だったそうです。県境の向こう側というだけで、これほどまでに情報が届かないものなのかと、驚いたポン太でした。


 湯ノ丸山から見た鹿沢の山々です。左側から村上山、桟敷山、小桟敷山と並んでいます。小桟敷山の手前の平坦なところが「せんべい平」です。
鹿沢の山々(村上山、桟敷山、小桟敷山).JPG
 地蔵峠から群馬側に少し下ったあたりのレンゲツツジの群落です。県道からよく見えるので、大勢の人で賑わっていました。
ツツジ群落/湯ノ丸山麓.JPG
 ここが桟敷山登山口です。信州側の山と比べると、入山する人は極めて少なく、静かな山歩きが楽しめます。
桟敷山登山口.JPG
 「せんべい平」の気持ちのよい道です。木立の間から湯ノ丸山が望まれます。
せんべい平を行く.JPG
 白樺林の中に咲くレンゲツツジです。
せんべい平のツツジ.JPG
 「せんべい平」から見上げた桟敷山です。
桟敷山.JPG
 こちらが小桟敷山。山を覆う緑の鮮やかさに圧倒されます。
小桟敷山.JPG
 道端には、可愛らしいスズランもまだ咲いていました。
DSCF2472.JPG
 高山植物のツマトリソウも咲いていました。
ツマトリソウ/せんべい平.JPG
 小桟敷山の登山道です。途中の展望はありませんが、フィトンチッドがいっぱいという感じで、気持ちよく登れます。
小桟敷山登山道.JPG
 小桟敷山の頂上に着いてその広さにびっくり。
小桟敷山頂の標識.JPG
 レンゲツツジのむこうに見えるのは西籠ノ登山です。
小桟敷山山頂から西籠ノ登山を望む.JPG
 レンゲツツジがたくさん咲いていて、ここが山頂であることを忘れそうになります。ここでのランチは至福のひとときでした。
小桟敷山山頂のツツジ.JPG
 下山後、新鹿沢温泉へむかいましたが、県道のいたるところに昨秋の台風18号のツメ跡が残っていました。
昨秋の台風18号被害.JPG
 山側からは土砂崩れ、道路沿いの湯尻川は氾濫。なぎ倒されたままになっている樹木を見ただけで、その恐ろしさが伝わってきます。
台風の惨禍.JPG


マーガレットではなかった

 北海道に似た気候の浅間山麓ですが、北海道とは違って梅雨は存在し、梅雨入りや梅雨明けのタイミングは関東地方とほぼ同じです。ただ、東京周辺と比べると気温が6~7度低いことと、降水量自体が7割程度と少ないので、それほど鬱陶しい感じはしません。
 この時季に散歩にでかけると、道端や空き地に白い花が無数に咲いているのを見かけます。花の形から、マーガレットが野生化し繁殖しているものとばかり思っておりました。ところが、調べてみるとマーガレットは温暖な気候を好む植物ということなので、浅間山麓のような高冷地で野生化するとは思えません。また、よくよく眺めてみると葉の形がマーガレットとは異なっています。それではあの白い花は何なのだということになるわけですが、マーガレットに似た花で、耐寒性抜群の植物があることがわかりました。その名はフランスギクです。江戸末期に観賞用として渡来したものだそうですが、寒さにめっぽう強いために野生化し、特に北海道では繁殖しすぎて、雑草扱いされることが多いとか。なるほどそれなら、浅間山麓で増え続けているのもわかります。 
 植物にとっては梅雨は恵みの季節であり、わが家の花壇でも、新たな花が咲き始めました。その代表はペンステモンです。ペンステモンは北米原産の多年草で、いろいろな種類があるようですが、わが家のものは、葉が赤紫色で、まっすぐに伸びた花茎に、凛とした感じの薄ピンク色の花を咲かせます。フランスギク同様寒さに強く、シックで山野草のような雰囲気があるので、ポン太は大変気に入っています。しかし、わが家からタネが散って、フランスギク状態にならないように、気をつけなければなりません。
 ペンステモンと同時にバラも咲きました。手入れが楽なミニバラしか植えていないのですが、真っ赤なバラが咲くと、「淋しかったボ~クの庭が明るくなった」ことは間違いありません。こんな歌詞がすぐに頭に浮かぶのはやはり古希ダヌキですね。このほか、ナデシコやフランネルソウなど、いろいろな花が咲き始め、樹木ではヤマボウシの花が目につくようになりました。以下は、わが家やその周辺で今咲いている花の様子です。


 この花を見れば、マーガレットだと勘違いするのもやむを得ないのではないでしょうか。
フランスギク.JPG
 森の中で野生化し繁殖しているフランスギクです。
野性のフランスギク.JPG
 車庫脇の空き地もフランスギクに占領されています。
ノラフランスギク.JPG
 こちらのお宅はフランスギクに包囲されてしまったようです。
マーガレット屋敷.JPG
 意図したものではなさそうですが、フランスギクとポピー(ひなげし)が繁殖して、耕作放棄地が美しい花園と化していました。
ポピー咲く庭.JPG
 さて、わが家の花壇で咲き始めたペンステモンはこれです。
ペンステモン.JPG
 近寄って見るとこんな花で、やはり外来種という感じはします。
ペンステモンの花.JPG
 バラが咲いたバラが咲いた真っ赤なバラが・・・花壇が一気に華やかになりました。
バラが咲いた.JPG
 バラとペンステモンのコラボです。
バラとペンステモン.JPG
 どこからかタネがとんできて定着したフランネルソウも咲き始めました。葉や茎がビロードのようなので、長い間、ビロードソウだと思っていたのですが、フランネルソウという呼び名が一般的なようです。ほかにもスイセンノウ(酔仙翁)やリクニス・コロナリアという洒落た名がついており、雑草扱いしては気の毒な気がします。ちなみにナデシコ科の植物だということです。
ビロード.JPG
 本家のナデシコも咲き始めました。
ナデシコ.JPG
 この時季を象徴するような樹木の花といえばこれ。ヤマボウシです。白い四枚の花びらのように見える総包片が、山法師の坊主頭と頭巾のようだというのが名の由来だということです。山の中でこの花をみると、そのような連想に納得します。
ヤマボウシ.JPG
 いつも散歩している水辺(御影用水)近くに咲いていたヤマボウシですが、こんなに花の数が多いと、別の花のように見えなくもありません。
咲きすぎのヤマボウシ.JPG
 この時季の樹木の花で華やかなのはタニウツギ(ベニウツギ)です。主に日本海側の山中に分布するということなので、東京では目にした記憶がありません。
ベニウツギ.JPG
 梅雨の晴れ間に、平尾山に登ってみましたら、頂上付近にはノアザミがたくさん咲いていました。愛しき花よ汝(な)はあざみ~♪ 連ドラ「エール」に出てくる佐藤久志のモデル伊藤久男氏の歌でしたね。倍賞千恵子版も素敵です。
アザミ咲く山頂.JPG
 花が咲けば蝶も来る。きれいなアゲハ蝶が花の蜜を吸っていました。
アザミとアゲハ.JPG

可愛いお客様 -小鳥と蝶-

 わが家の木製のポストが、シジュウカラの巣づくりに占領されました。毎年、この時季になると、ポストの中にコケや枯れ枝などが大量に入っていることが多く、最初は子供のいたずらかと思い、すぐに取り除いていたのですが、小鳥の仕業であることがわかったことと、あんなに小さな身体で、せっせと運んだ労力を無にしてしまうのは忍びないと考え、今年はそのまま放置することにしました。
 いつ卵を産んだのかはわかりませんでしたが、気がつくとポストの中からピーピーと鳴く声が聞こえてきました。ヒナが誕生していたのです。虫をくわえた親鳥がひっきりなしに行き来しています。こちらが見ていると警戒して近くの木の枝に待機し、遠ざかると、さっとポストの中へ入り、あっという間に飛び去っていきます。その早業に目を見張ると同時に、危険を回避しつつしっかり子育てをしている姿には感動を覚えました。隙間からポストの中を覗いてみると、大きな口を開けて親鳥を待つ三羽のヒナの姿がありました。
 一方、このところ毎日収獲して食べているレタスに、見慣れぬ蝶が来ていました。夏の烏帽子岳などで見かける高山蝶のミヤマシロチョウに似ています。えっ、あの貴重な蝶がわが家へ?そんなはずはあるまいと、ネットで調べてみると、ミヤマシロチョウではなく、アゲハチョウの仲間のウスバシロチョウのようです。北方系の蝶で、低山や里に棲息しているそうですから、それならポン太の菜園に現れても不思議ではありません。ただ、年に1回しか卵から成虫に育たず、成虫をみることができるのは、初夏の1ヶ月間だけということなので、目にする機会が少ない蝶ではあります。
 新型ウイルスのような「迷惑な客」は困りますが、こうした可愛いお客様は大歓迎。お次は、しばらく見ていないホタルがやって来てくれないかと、密かに期待しているポン太です。


 これが巣作りの標的にされたポストです。ポン太の手造りですが、だいぶくたびれているので、小鳥に提供しても惜しくはありません。
巣箱と化したポスト.JPG
 虫をくわえた親鳥がやってきて様子を見ています。
虫をくわえたシジュウカラ.JPG
 中を覗くと、いましたいました。この写真で確認できるのは2羽ですが、もう一羽いました。
巣箱の中のヒナたち .JPG
 菜園に飛来したウスバシロチョウです。
ウスバシロチョウ.JPG
 長い時間ポン太の育てたレタスの葉にとまっていました。味が気に入ったのかも。
レタス畑のウスバシロチョウ.JPG
 当初、もしやと疑ったミヤマシロチョウはこちらです。昨年8月に烏帽子岳で撮影したものです。マツムシソウの花に2羽とまっていました。高山蝶らしい気品を感じました。
マツムシソウとミヤマシロチョウ.JPG

初夏の高山植物めぐり-湯ノ丸山と三方ヶ峰-

 先週、水ノ塔山で「山開き」をしたポン太ですが、間もなく梅雨入りと聞き、今一度、初夏の浅間連峰を味わっておこうと、湯ノ丸山と三方ヶ峰(池ノ平湿原周辺)へ出かけてきました。
 湯ノ丸山ではイワカガミの見事な咲きっぷりに感動。頂上から稜線を10分ほどたどり、もうひとつのピーク(北峰)まで足を伸ばしてみたところ、視点が少しずれただけでこんなにも眺めが違うものかと驚きました。何度も登っている山でも、登る度に新たな発見や感動があるものです。
 三方ヶ峰では、稀少なイチヨウラン(一葉蘭)に出会うことができました。日本特産のラン科の植物ということで、小なりといえども風格があります。これまで一度も見たことがなかったので、これにも大感激。登山道の脇にはシロバナノヘビイチゴ(下界のヘビイチゴとは別物です)やミツバオウレンがこれでもかというほど咲いており、それに混じって、ツマトリソウも咲いていました。三方ヶ峰のガレ場では、咲き始めたばかりの可憐なコマクサも鑑賞することができ、この時季ならではの雰囲気を存分に味わうことができた山歩きでした。
 前回のブログで、今夏は浅間連峰の登山者が増えるのではないかと予想しましたが、平日にもかかわらず、湯ノ丸山も三方ヶ峰(池ノ平湿原)もかなりの登山者が来ており、その予兆を感じました。しかし、予期せぬことも起きていました。地蔵峠から湯ノ丸キャンプ場へ至る道路が、改修工事のため通行止め(車だけではなく登山者も)になっていたことです。当初の計画では湯ノ丸山ではなく、湯ノ丸キャンプ場を経由して烏帽子岳に登るはずでした。キャンプ場を通らない迂回ルートは、湯ノ丸山への登山路と途中まで同じです。それなら、今回は烏帽子岳ではなく、湯ノ丸山に登ろうと予定を変えたというわけです。通行止めの期間は7月31日までと実に長く、レンゲツツジが見頃となり大勢の登山者が訪れる時季と重なりますから、なぜ今なのと思わざるを得ません。それだけでなく、インターネットで検索しても、この通行止め情報は表示されず、烏帽子岳への登山者は、現地で掲示をみて皆驚いていました。
 工事期間の設定については、やむを得ない事情があるとしても、通行止めの情報だけはネットで登山者に周知すべきです。登山届けの提出を呼びかけながら、現地でルート変更を余儀なくさせるようなことは、登山の安全上も好ましいことではないと思います。


 地蔵峠から湯ノ丸キャンプ場へむかう道路の入口におかれた通行禁止の看板です。この先7月31日まで利用できないというのは、烏帽子岳へむかう登山者にとってかなりの痛手です。
登山者も通行止めの看板.JPG
 こちらは迂回路の案内です。四角形の三辺をまわるような形になります。
迂回路表示.JPG
 湯ノ丸山へむかう登山道は緑の中の一本道。快適な山歩きが約束されているような道です。
湯ノ丸山へ.JPG
 ツツジの名所として知られているツツジ平ですが、まだ開花している花は少なく、多くはこのレベルでした。
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 沿道ではズミが咲き始めていて、その可愛らしいこと。
ズミ.JPG
 わが家のズミはとっくに散ってしまいましたが、山でみるズミはまた格別です。
ズミ咲く山.JPG
 このレベルの山でも登山届けの提出を求められるようになりました。
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 早速イワカガミが出迎えてくれました。まるで門柱の飾りのようです。
出迎えイワカガミ.JPG
 葉の光沢が、岩のまわりの鏡のようだというのが、イワカガミ(岩鏡)の名の由来ということですが、この姿をみれば納得です。
これぞイワカガミ.JPG
 ここはイワカガミのお花畑ですね。
イワカガミのお花畑.JPG
 振り返ると眼下にツツジ平を望むことができます。あと10日も経てば、山腹が真っ赤に染まるはず。
ツツジ平を見下ろす (2).JPG
 樹木がなくなると、間もなく標高2101mの頂上です。
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 広々とした山頂は、平日にもかかわらず大勢の登山者で賑わっていました。
登山者で賑わう湯ノ丸山山頂.JPG
 晴天に恵まれ展望は良好。目の前の烏帽子岳越しに、槍ヶ岳周辺の北アルプスを望むことができました。
烏帽子と槍.JPG
 頂上の岩の間にもイワカガミが咲いていました。この時季の湯ノ丸山はイワカガミの天下です。
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 湯ノ丸山山頂からもうひとつのピーク(北峰)を見たところです。標高差は2mしかなく、両者を結ぶ道は展望抜群の山上遊歩道といったところ。
湯ノ丸山からみた北峰.JPG
 大きな岩が積み重なっている標高2099mの北峰の頂上です。
湯ノ丸山北峰(2099m)山頂.JPG
 北峰から見た烏帽子岳です。まさしく烏帽子の形をしています。
北峰からみた烏帽子岳.JPG
 北峰からは遮るもののない四阿山(中央)と根子岳(左)の姿を望むことができます。
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 地蔵峠をはさんで反対側に位置する三方ヶ峰へやってきました。まずは池ノ平湿原を囲む山々を一周です。最近、クマが出没したらしく、真新しい注意看板がでていました。
熊注意.JPG
 登山道脇にたくさん咲いていたシロバナノヘビイチゴです。名前を聞くとドキッとしますが、下界のヘビイチゴとは異なり、バラ科オランダイチゴ属の高山植物で、実は甘く美味とか。もっと良い名前で呼んであげたい花です。
シロバナノヘビイチゴ②.JPG
 水ノ塔山でも見たミツバオウレンです。その名のとおり、葉が三つ葉であることがよくわかります。
ミツバオウレン.JPG
 イワカガミとコラボしているミツバオウレンもありました。
イワカガミとミツバオウレンのコラボ②.JPG
 これが稀少といわれているイチヨウランです。
イチヨウラン.JPG
 人の顔のようにみえなくもないイチヨウランです。
顔面のようにも見えるイチヨウランの花.JPG
 三株並んだイチヨウランです。茎の下の方に出る葉が一枚しかないのがその名の由来ということです。
三株並んだイチヨウラン.jpg
 今夏はじめて見たツマトリソウです。
ツマトリソウ.JPG
 この岩の下にはヒカリゴケがあるはずと覗いて見たところ、やはりありました。
ヒカリゴケのある岩.JPG
 暗い岩の下で緑色に怪しく光るヒカリゴケです。
ヒカリゴケ.JPG
 上を見みたり下を見たりと忙しい山歩きですが、尾根から俯瞰した池ノ平湿原と黒斑山の風景はいつもながらの美しさです。
池ノ平湿原と黒斑山.JPG
 見晴岳付近から見た三方ヶ峰のガレ場です。こんなところに咲くのが、あの可憐な高山植物の女王コマクサです。
三方ヶ峰のガレ場.JPG
 ガレ場の上には柵が設置されていて、ちょっと興ざめではあるのですが、盗掘防止や登山者の安全を考えるとやむを得ないでしょう。
コマクサの柵.JPG
 はやくもかなりの数のコマクサが咲いていました。
岩陰のコマクサ.JPG
 こんな自然条件の厳しいところに咲くのですからたいしたものです。
過酷な世界に生きるコマクサ.JPG
 やはりすばらしい花です。これを見ると夏山を実感します。
可憐なコマクサ.JPG
 コマクサが独占していたガレ場にイワカガミが進出しはじめていました。ここはダメでしょう。かえれ!かえれ!イワカガミ。
イワカガミが進出.JPG
 池ノ平湿原のシンボル鏡池が、文字通りの鏡池になっていました。
鏡のごとき鏡池.JPG
 湿原から駐車場へもどる道です。30年ぐらい前でしょうか、一度舗装されたことがありました。山の湿原へ行くのに舗装道路を歩きたいというハイカーなどいるのか、誰のための舗装?と呆れたことを思い出しました。ちょうどよい具合に壊れて、いいかんじになりました。
ちょうどよく壊れた舗装路.JPG

 
 

水ノ塔山で山開き-イワカガミがお出迎え-

 いよいよ夏山シーズン到来というわけで、プライベート山開きを挙行いたしました。今年は「コロナ」の影響で、各地の山開き(開山祭)が相次いで中止となっていますが、当方の山開きは、参加者二名(ポン太とポン子)のみですから、「三密」とは無縁。中止する理由も見当たりませんので、例年同様実施に踏み切ったというわけです。
 出かけた先は、浅間連峰の水ノ塔(みずのと)山。今年初めての2000m級の山です。いつも登っている里山とは、植生も空気感も異なり、登山口から一歩足を踏み出しただけで気分は爽快です。標高1700m~2500mの山々は、本州中部では亜高山帯に分類されますが、下界とは別世界のそうした山を歩ける季節になった喜びを感ぜずにはいられません。芽吹いたばかりのカラマツの美しさは格別ですし、イワカガミやツガザクラといった可憐な高山植物が出迎えてくれる登山道は、珠玉の道といっても過言ではないでしょう。
 今年の夏山は「コロナ」の影響が深刻で、富士山では、山小屋のすべてが休業し、登山道も閉鎖ということですから、登山禁止と同じです。富士山に限らず、今シーズン休業する山小屋はかなりの数にのぼりそうで、例えば南アルプスでは長野県側の山小屋はすべて休業。八ヶ岳でも、主峰赤岳へのベースとなる赤岳鉱泉や行者小屋、赤岳頂上山荘など稜線上を含む6軒が営業しない方針だということです。一般登山者にとっては、入山困難な山域が多くなりそうですし、ルート選択を誤ると危険なことにもなりかねません。感染防止対策としては、やむを得ないことですが、寂しさと不安を禁じ得ません。
 日帰り登山が一般的でアクセスが容易な浅間連峰の場合、今夏は、登山者が増えそうな気がします。「密」になりすぎては困りますが、山歩きの好きな方には、ぜひコロナ禍で疲弊した心身をリフレッシュしてもらいたいもの。標高2202mの水ノ塔山山頂にて、この夏の登山の安全と「コロナ」退散を祈念したポン太とポン子でした。

 昨年秋の台風でアクセス道路が不通となって以来、久しぶりの高峰高原です。高峰温泉付近から見上げた水ノ塔山(右)~東籠ノ登山の稜線は登山意欲をそそります。
水ノ塔山から東籠ノ登山の稜線.JPG
 登山口には、「コロナ」を意識した「入山注意」の掲示がありました。「感染予防に配慮した救助活動は非常に困難です。ご理解ください。」と記されています。
高峰温泉からの登山口.JPG
 カラマツのまばゆいばかりの若葉の中を行く登山道は快適そのもの。
カラマツの新緑に染まる登山道.JPG
 カラマツの芽吹く姿は、美しくもあり、可愛くもありです。
カラマツの芽吹き.JPG
 振り返ってみた新緑の森と高峯山です。
新緑のカラマツと高峰山.JPG
 中腹まで登ると、可憐なイワカガミが出迎えてくれました。
イワカガミと稜線.JPG
 その名のとおり、岩を囲むように咲いていたイワカガミです。
DSCF1966.JPG
 可愛らしいツガザクラも群落をなして咲いていました。
ツガザクラの群落.JPG
 岩の間に咲いているツガザクラも可愛いですね。
花束のようなツガザクラ.JPG
 これはミツバオウレンでしょうか。
ミツバオウレン.JPG
 夏山の登山者を楽しませてくれるエーデルワイスもたくさん芽を出していました。
エーデルワイスお目覚め.JPG
 登るにつれて岩場の連続となりますが、このあたりも里山とは異なる面白さです。
岩場を登る.JPG
 岩の間から見下ろした新緑のカラマツ林の美しさ。これを見ないことには夏山は始まりません。
新緑の森のすばらしさ.JPG
 ホシガラスが木の上から新緑の森を眺めていました。君にも森の美しさがわかるのかな。
新緑の森を見下ろすホシガラス.JPG
 稜線が見えてきました。頂上まであと少しです。
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 頂上直下には大岩がごろごろしているところがあり、短足の我等にとっては乗り越えるのがちょっとつらい難所です。
頂上直下の岩場.JPG
 水ノ塔山の頂上からみた東籠ノ登山(右)と三方が峰(左)です。
東籠ノ登山と三方が峰.JPG
 ランチの後、夏山の安全とコロナ退散を祈念し、このポーズ。山の神様に通じたでしょうか。
山開き.JPG
 登山口にもどる途中に、こんなケルンがありましたので、同じことを祈念して石を二つ積み、「山開き」を終えました。
ケルン.JPG

初夏の薫り

 森に甘い香りが漂い始めました。アカシアの花が咲いたのです。咲く時は一気に咲き、頭上には白い房が無数に垂れ下がってきます。窓から入ってくるこの甘い薫りとカッコーの鳴き声。これぞまさしく、浅間山麓が初夏になった証のような気がします。
 菜園の野菜も生長著しく、イチゴが実り始め、レタスは食べ頃の状態が続いています。ジャガイモ(ノーザンルビー)の花も咲きました。ルバーブの茎もだいぶ太くなったので、そろそろジャムにできそうです。花壇では、ミヤコワスレが咲き始め、タネを播いておいた、マリーゴールドや百日草、コスモスが発芽しました。森の中では、黄色い妖精のようなキスゲが開花。植えたわけではないのに自然に定着したアヤメやツユクサも咲き始め、どこを見ても間違いなく初夏の風景です。
 いつもの平尾山も緑が濃くなり、新緑とコラボしていたヤマツツジの花も、頂上付近の一部を除き姿を消しました。浅間山の雪もすっかりなくなり、完全な夏姿です。佐久平一帯の水田では田植えが終わったところが多く、小さな苗が整然と並んでいる様は、以前のブログで紹介した畑アート同様、「たんぼアート」と言ってもよい美しさといえましょう。
 平尾山の森の中で嬉しい発見がありました。それはクリンソウが咲いていたことです。昨年は見た記憶がなく、絶えてしまったのかと危惧していたのですが、せせらぎの傍らに見事な花を咲かせていて安心しました。クリンソウは日本原産のサクラソウ科の植物の中で最も大型で、花の咲いている姿が仏閣の「九輪」に似ているのが名の由来とか。
 植物の世界が初夏になった以上、こちらも対応せねばと、今日は衣替えに取り組みました。といっても半袖になったわけではありません。真夏でも朝夕は肌寒さを感じる当地では、半袖で過ごせる日は少なく、紫外線も強いので、重宝するのは薄手の長袖。よって、衣替えといっても見た目はたいして変わりませんが、衣服が少し軽くなった分、気持ちも軽くなりました。「コロナ」の懸念がなければ、最も過ごしやすい季節なのですが・・・。

 これでもかというほど咲いているアカシアの花です。蜜がたっぷりあり、ハチミツといえばこれ。明治期に北米からアカシアとして輸入されたので、日本では一般的にアカシアと呼ばれていますが、本当の名はハリエンジュ(ニセアカシア)です。
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 咲いているのは全部アカシアという湯川のほとりです。甘い香りが漂ってきます。
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 アカシアと田植えが終わったばかりの田んぼがコラボしていました。これぞ「たんぼアート」なり。
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 さて、わが家の庭ではミヤコワスレが咲き始めました。その名にぴったりの花で、ポン太は大好きです。
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 植えたわけではないのに、こんなにきれいなツユクサです。
ツユクサ咲く.JPG
 アヤメも咲き始めました。この季節にはこの色が似合います。
アヤメ咲く.JPG
 森の中ではキスゲが咲き始め、暗い森が一気に明るくなりました。
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 菜園のジャガイモ(ノーザンルビー)も大きく育ち、こんな花が咲きました。
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 食べ頃になったイチゴです。粒は小さいのですが味は濃く美味。しばらく楽しめそうです。
イチゴ初収穫.JPG
 菜園外の空き地に天然ミツバが大発生。あまりにも量が多いので、おひたしにしてみましたら、しゃきしゃきして予想以上に美味でした。
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 アカシアほどのインパクトはありませんが、ミズキも咲いています。街路樹に多いハナミズキとはまったく別物です。
ミズキの花.JPG
 道端にもいろいろな花が咲いていますが、これはムシトリナデシコ。雑草としてむしってしまうには惜しい気がします。
ムシトリスミレ.JPG
 アサマフウロに似ている花が咲いていました。名前を調べてみましたら、ヒメフウロのようです。
ヒメフウロ.JPG
 さて、平尾山も新緑から万緑へ。登山道もごらんのとおりです。ここは頂上に近いところなので、まだ少しヤマツツジの花が残っていました。
万緑の忍耐の小径.JPG
 頂上付近も、背後の佐久平も緑一色です。
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 登山道の傍らにギンランが咲いていました。
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 クリンソウを見つけました。見応えのある素敵な花です。
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 浅間山もすっかり夏姿になりました。
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鍛冶屋線鍛冶屋駅~忘れ難き終着駅(13)

第13回 鍛冶屋線鍛冶屋駅(兵庫県)

 鍛冶屋線と聞いて、イメージが湧く人は少ないのではないでしょうか。沿線に、全国的に有名な観光地があるわけではなく、車窓風景もとりたてて優れていたとは言い難い、有り体に言えば平凡な生活路線だったからです。
 私が鍛冶屋線に乗車したのは、今から47年前の1973(昭和48)年、学生生活最後の年でした。同じ同好会に所属していた友人がこの沿線の出身で、旧家と聞くその友人宅を尋ねたいと思っていたことと、鉄道全線乗車の布石にもなるということが訪問の動機だったと思います。
 鍛冶屋線は、現存している加古川線(JR西日本)の支線にあたる路線です。しかし、列車の運転系統からみると、鍛冶屋線の列車のほとんどが、加古川線から直通していましたので、実質的には加古川線の本線(の末端部分)といってもよい存在でした。とくに、沿線の西脇市は綿工業(播州織)で知られた北播磨北部の中心都市であり、西脇駅が市の中心部に位置していたことから、利用者も多かったと思います。西脇から先の区間は閑散線区のイメージでしたが、曽我井、中村町そして終点の鍛冶屋の三駅が属していた中町(現、多可町)は、第一回国勢調査が行われた1920(大正9)年には、西脇や三木、加古川を凌ぐ人口を有していたそうですから、鉄道敷設が企図されるだけの豊かな地域だったのでしょう。酒米の生産が盛んで、有名な山田錦発祥の地といわれています。京都へ通じる裏街道の要衝でもあったということで、終点の鍛冶屋駅は、古びてはいたものの、終着駅らしい風情があり、周辺の集落も歴史を感じさせるものでした。
 多くの支線(鍛冶屋線のほか、北条、三木、高砂の各線)を擁した加古川線は、開業時は播州鉄道(のち播丹鉄道)という私鉄でした。『日本国有鉄道100年史』には、「酒造用の米穀を主とする農産物など、地方産業および交通運輸の発展を促進すること」が敷設の目的であったと記されています。1913(大正2)年に開業した最初の路線は、加古川から西脇へ通じるもので、鍛冶屋まで延長開業したのは、1923(大正12)年5月6日です。その翌年の12月に、途中の野村(現、西脇市)から福知山線の谷川へ繋がる路線が開通したことで、そちらが「本線」となり、戦時買収による国有化を経て、野村~鍛冶屋間は国鉄(のちJR)鍛冶屋線となったわけです。
 加古川線の支線の中では、鍛冶屋線の利用者が最も多く、野村~西脇間だけをみれば、廃止基準を上回っていたとされます。かの宮脇俊三氏が「線名おそるべし」というようなことを書かれていたと思いますが、もし、鍛冶屋線を名乗らずに、加古川線という扱いであったなら、今も走っていた可能性があったのではないでしょうか。1990(平成2)年3月31日限りで廃止となり、分岐駅であった野村駅が西脇市駅と改称されました。しかし、同駅は市の中心部からはずれているため、コミュニティバスは運行されているものの、それを利用して加古川線に乗り継ぐ人はほとんどいないという話を、上述の友人から聞きました。ちなみに、現在、西脇方面へ行く際のメインルートとして利用されているのは、大阪、神戸から直通する高速、急行バスだそうです。
 線名ゆえにしっぽ切りされてしまったようで、気の毒な気がする鍛冶屋線。終点の鍛冶屋駅の駅舎自体は現存し、鉄道資料館になっているということなので、機会があれば再訪してみたいものです。


 鍛冶屋線を含む加古川線グループの路線図(『旅客事務用鉄道路線図』1964年版より)です。現在、「本線」にあたる加古川線以外で存続しているのは、第三セクター化された北条線(現、北条鉄道)のみです。なお、鍛冶屋線の曽我井駅(1961年に羽安~中村町間に開設)が、この地図には掲載されていません。

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 起点の野村駅(現、西脇市駅)と終点の鍛冶屋駅の入場券です。
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 起点の野村駅の風景です。谷川方面への乗り換え駅として賑わっていました。(1973年6月6日撮影)
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 終点の鍛冶屋駅です。朝夕は大勢の通学客が利用していました。(1973年6月5日撮影)
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 鍛冶屋駅の駅前通りです。まだ廃線の危機がせまっていたわけではなく、駅前の看板を見ると、当時の地域にとって、貨物の車扱い取り止めが大きな問題であったようです。(同上)
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 鍛冶屋駅のホーム側です。農産物の集散地であったことから、立派な貨物ホームを有していました。(同上)
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 こちらは、中町(当時)の中心集落であった中村町駅前の風景です。(1973年6月6日撮影)
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「佐久の名山」、二つの頂へ - 城山と虚空蔵山-

 一日で、「佐久の名山」二峰に登ってきました。佐久商工会議所が発行した『佐久の名山ガイド』という冊子に掲載されていた17峰の中に、これまで登ったことがなく、名前すら認識していなかった山が二つ含まれていたので、出かけてみようという気になったからです。それは、城山(じょうやま)と虚空蔵山(こくぞうさん)です。どちらも登頂が極めて容易な里山で、「山歩き」の対象としては少々物足りない感じがすることは否めません。これまで食指が動かなかったのはそういう理由からです。しかし、遠出自粛のこの機会にこそ登っておくべきではないかと考えました。二山まとめて登ることで「山歩き」1回分と考えればよいのだし、「名山」に選ばれている理由も知ることができる。さらには「佐久の名山」完登達成にもなる、といった理屈をつけて出かけてみたというわけです。
 城山は、日本に二つしかない五稜郭(星形の城郭)として知られる龍岡城の裏山です。地形図には三角点と881.5という標高は記されているものの、山名は記されていません。現地の道標にも山名はなく、「展望台」とあるだけです。山上に、戦国時代に築かれた田口城跡があることから、地元では単純に「城山」と呼ばれているのでしょう。しかし、「城山」は全国に無数にありますから、「佐久の名山」としてアピールするのであれば、田口城山というように差別化したほうがよいと思いました。「展望台」の表示がメインなのは、山上の一角に、龍岡城の五稜郭を見渡せる場所があるからです。そこからの展望は確かにすばらしく、山上に築かれた田口城跡も、石積みや堀切などの遺構が残っていて見応えがあり、「佐久の名山」にふさわしい山でした。山頂に相当する田口城跡の中心部は、三角点より高い位置にありましたから、三角点の標高に15mほどプラスした896m前後がこの山の本当の高さと考えられます。スタート地点の龍岡城との標高差はおよそ175m、展望台まで30分、頂上へはそこから5分余で登ることができました。
 一方の虚空蔵山は、中部横断道の佐久南インターからほど近い里山で、蓼科山から延 びてきた支尾根の先端部にあたります。山上の三角点の標高は773.7m、登山口の多福寺の標高がおよそ680mですから、高度差は100m弱しかありません。山というより丘といった感じです。僅か20分ほどの楽ちんな山登りですが、山頂に設置されていた展望櫓からの眺望はまさに絶景。いつもお世話になっている平尾山とは反対に、南側から佐久平を一望できるというのが魅力です。両方お参りしないと「片参り」になってしまうという、善光寺と北向観音(別所温泉)の関係同様、佐久平の全体像を知るには、平尾山だけではなく、こちらも登らないわけにはいかない「名山」でした。


『佐久の名山ガイド』に掲載されている17峰の名前と位置です。浅間山、蓼科山、八ヶ岳といった有名な山だけでなく、ポン太がしょっちゅう登っている平尾山などの里山もリストアップされています。地元の人に親しまれている山であることを重視した妥当な選定ではないでしょうか。
佐久の名山001.jpg
 これが、蕃松院という古刹から見上げた城山です。
蕃松院からみた城山.JPG
 登山ルートには、蕃松院の裏手からと、それよりも少し東側の民家の路地裏から入るものと2ルートあるということでしたので、とりあえず後者で登り前者のルートで降りることにしました。これが、後者のルート入口です。
登山口入口.JPG
 薄暗い林の中をひたすら登っていきます。
城山登山道.JPG
 尾根に出ると北側から林道がきていました。
林道.JPG
 そこを少し進むと「展望台100m」の標識があり、再び細い山道にはいります。
展望台まで100m.JPG
 少し登ると三角点が現れました。そこが最高地点というわけではなく、更に登ったところに展望台への分岐がありました。
三角点.JPG
 これが「展望台」です。そこだけ木立が途切れていて、眼下に五稜郭、その後方に八ヶ岳連峰の大展望がえられます。
展望台.JPG
 展望台からは、五稜郭の形をはっきり確認することができます。城内にある建物は小学校です。
上からみた五稜郭.JPG
 分岐までもどり、少し登ると広々とした田口城跡の園地に出ました。そこが城山の頂上と思われるのですが、何の標識もありません。こうした石積みが随所に残っていて、山城としては相当立派なものであったことが想像されます。
石積みが残る田口城跡(山頂).JPG
 七合目まで同じ道をもどり、標識にしたがって、蕃松院へのルートをたどったのですが、その結果大変な目に遭いました。
蕃松院分岐.JPG
 倒木もある荒れた道です。土砂や枯れ葉に埋まって道が消えているところもあり、かなり怖い思いをしながら急斜面を下りました。
蕃松院への下山路.JPG
 なんとか蕃松院裏まで下ると、こんな標識がでていてびっくり。七合目の分岐点にも表示してくれないと、ポン太のように知らずに下ってしまうケースが結構あるのではないでしょうか。小さな子供を連れていたりすれば、滑落する恐れもありますから、「佐久の名山」としては、ちょっと考えて欲しいものです。
DSCF1718.JPG
 現在の五稜郭は、緑がいっぱいです。
五稜郭の堀.JPG
 ちなみに、桜の季節はこのような美しさです。
サクラの五稜郭.JPG
 さて、次は虚空蔵山です。まずは登山口である多福寺へ。この裏山が虚空蔵山です。
多福寺と虚空蔵産.JPG
 石仏が並ぶ脇の道を登っていきます。
虚空蔵山登山口.JPG
 途中には四国八十八箇所の写し霊場があり、弘法大師と刻まれた石碑や石像が並んでいます。
弘法大師.JPG
 登ること20分ほどで、こんなに広々とした頂上に到達しました。展望櫓に登れば、佐久平の大展望を楽しむことができます。
山頂の展望櫓.JPG
 正面に見えるのは平尾山です。ということは、平尾山から虚空蔵山を望むことができるはずですが、今までまったく気づきませんでした。
虚空蔵山からの展望 平尾山を望む.JPG

畑もアートだ

 山も野も里も緑一色。植物の生長の早さ、その勢いには圧倒されるばかりです。草や木の芳香をたっぷり含んだ美味しい空気。思わず立ち止まって深呼吸したくなります。畑では高原野菜の植え付けが盛んにおこなわれており、田には水がはられ、田植えが始まったところもあります。
 田舎の風景といえば、全国的には「田んぼ」が主役ですが、ここ浅間山麓では、レタスやキャベツといった高原野菜を栽培する畑の面積が圧倒的に広く、それがつくり出す景観は、アートと呼んでもおかしくない美しさです。広い畑に整然と植えられた苗をみただけでも、爽やかな気分になりますが、それがレタスであった場合、いろいろな種類があり、葉の色も異なっているため、遠目にはパッチワークのように見えます。一斉に田植えをして一斉に収穫する水田とは異なり、時期をずらして植え、何度も収穫できるようにしておく必要性から、生長具合の異なる苗が、それぞれ畑の一定の面積を占め、異なる色彩になっていることも、アートのように見える理由の1つかもしれません。
 森の中の道をたどり、畑の広がるところへ出ると、開放的な気分になるだけでなく、その思いがけない美しさに驚くことがしばしばです。春の花が一段落したこの時季、「畑アート」探索はちょっとした楽しみといえましょう。「畑アート」の良いところは、その図柄が日々変化すること。育ち具合によって、同じ畑とは思えないぐらい変わってしまい、又収穫されると、何も描かれていないキャンバスにもどってしまう。今日見た「畑アート」は、明日は存在しないかもしれませんから、一期一会といってもよい作品鑑賞です。畑で作業している人は、アート作品をつくっている意識はないでしょうから、立ち止まって眺めていると、いぶかしく思われるかもしれません。それでも立ち止まって眺める価値がある。たかが散歩と侮ることなかれ。歩いてさえいれば、いろいろな楽しみが見つかるものです。

 樹木が成長する勢いは恐ろしいほどです。ポン太の小さな菜園も、背後に迫る緑の波に飲み込まれそう。
ポン太の菜園.JPG
 道路も緑のトンネル状態です。
新緑の道.JPG
 畑の中に出ると景色が一変。ごく普通のキャベツ畑ですが、眺めているとスカッとした気分になります。
爽やかなキャベツ畑.JPG
 浅間山麓で栽培されている野菜は「霧下野菜」とよばれています。早朝の霧が乾燥をふせぎ、瑞々しく柔らかい、味も食感も良い野菜にしてくれるそうです。こういう景色を眺めていると、そうかもしれないという気になります。
霧下野菜.JPG
 住宅地化がすすみ、レタス畑と隣あわせになっているところも多いのですが、畑が整然としていて美しいので違和感はありません。
住宅街と畑.JPG
 こちらはなんとレタス畑を含む街区全体が住民協定により景観形成されていました。
きれいな畑.JPG
 ここまでくれば正しく「畑アート」ではないでしょうか。
畑アートその1.JPG
 こちらも見事です。
まさにアート.JPG
 レタス苗の植え付け作業風景、いや「畑アート」の造形作業風景といってもよいでしょう。それにしても1株ずつ手作業で植えていくわけですから大変な労力です。
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 植え付ける苗がセットされていた台の上がすでにパッチワークです。
苗からパッチワーク.JPG
 シートが張られ植え付け準備が整った畑と、植え付け用の機材です。
植え付け機材.JPG 
 植え付けが終わったばかりの畑です。スケールの大きさに驚くとともに、苗が育ったたらどんな景観になるのか楽しみです。
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 スケールは小さいものの、地形を上手に利用したこの畑にも造形美を感じます。後ろに見えるのは新幹線のコンクリート橋です。
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 この時季の長野牧場がどうなっているのか、ちょっと覗いてみましたが、「おお牧場はみどり~」と歌いたくなりました。
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 牧草を栽培する畑はさすがに広いですね。緑の草の中に吸い込まれそうです。
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 牧場のカラマツ並木です。散歩するにはぜいたくすぎる雰囲気でした。
新緑の落葉松林.JPG
 「畑アート」を楽しんだ後は、わが菜園のレタスを使ったサラダをつくってみました。柔らかくて美味しいこと。これはもう「霧下野菜」と称してもおかしくないと、大満足のポン太でした。
レタスの朝食 .JPG






 

コシアブラをかえせ

 そろそろヤマツツジが咲いているのではと、平尾山へ出かけてみました。期待に違わず、登山口に近いところでは満開。中腹でも日当たりのよいところでは次々と咲き始めていて、新緑の森に赤い絵の具を散らしたような美しさでした。栽培種と比べると花は小さく、数も少ないので、豪華絢爛という感じにはなりませんが、新緑を邪魔しない程度に自己主張しているところが、山に咲く花らしい感じがして、ポン太は気に入っています。平尾山が1年中で最も美しく輝くのが、このツツジの咲く時季といって間違いないと思います。
 山歩きで汗をかいた後は、冷たい蕎麦を食べたくなるもの。蕎麦のお供といえば天ぷらです。特に山菜の天ぷらは、微妙なえぐみがあり、季節感をたっぷり味わえるので、大好きです。ベスト3を選ぶとすれば、タラ、ハリギリ、コシアブラの若芽になるのではないでしょうか。中でもコシアブラは、一度食べたら忘れられないほど美味です。あまりに美味しいので、ポン太の森でも育つのではないかと苗木を植えてみました。今はまだようやく根付いた段階で、食べられる状態になる日はだいぶ先です。
 夕方、菜園の除草をしていたところ、町の防災無線放送から、コシアブラという名が聞こえてきました。耳を澄ますと「町内産のコシアブラから基準値を超える放射性セシウムが検出されたので、採取、出荷、摂取を自粛するように」という内容でした。正直びっくり仰天です。新聞で確認すると、浅間山麓の御代田町、軽井沢町以外にも長野市、中野市、野沢温泉村、木島平村についても県は同様の自粛要請をしている由。これは福島の原発事故で拡散した放射性物質が、今もあちらこちらで放射線を発していることを意味します。
 ポン太の森や周辺の山で採ってきた他の山菜は大丈夫なのか。ポン太が「開墾」した菜園の作物はどうなる? 安全を確かめるすべがないだけに、いやな気持ちになります。そもそも放射性物質は放射線を出す能力が減衰するまでに長時間を要し、セシウム137の半減期(半分になる期間)は30年です。中には1万年以上かかるものもあるというのですからやっかいです。
 「コロナ」に気をとられていましたが、「フクシマ」も終息してはいないのです。「除染」といっても、濃度の高い土をはぎ取って別の場所へ移した(保管した)だけで、放射能を無害にできたわけではありません。人間の手で処理(無害化)できないようなものを出し続ける産業などあってよいものか。いまだに原発再稼働を唱えている御仁がいますが、官邸にフクシマの除染土を運び入れてからモノを言えと、可哀想なコシアブラの木を眺めているうちに、熱くなってしまいました。

 麓のレタス畑から見上げた新緑の平尾山です。里山とはいえ堂々たる山容です。
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 いつもは怖そうに見えるクマ注意看板ですが、その先の登山道沿いにツツジが咲いていると、気分が明るくなります。
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 登山道に覆い被さるように咲くヤマツツジです。
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 岩の間や山の斜面に咲くヤマツツジも見応えがあります。
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 新緑の海に赤い絵の具を散らしたように見えるヤマツツジの花。これこそヤマツツジの醍醐味といえましょう。
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 登山道に沿ってヤマツツジがずっと続いているところもあり、気分良く登ることができます。
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 近くで見ても美しいヤマツツジの花です。
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 ヤマツツジのほかにガマズミも咲いていました。ちょっと箸休めといったところでしょうか。
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 中腹から上はまだ蕾のところも多かったのですが、それでも赤い蕾が新緑とよくマッチしてきれいです。
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 芽吹いたばかりの白樺とヤマツツジのコラボも素敵です。
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 山頂から佐久平を見下ろすと、水のはられた田が目立つようになり、だいぶ雰囲気が変わりました。
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 山頂の草むらには、キンポウゲウ科のウマノアシガタが咲いていました。
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 シロバナエンレイソウもまだ咲いていましたが、花の色がシロではなくなっていました。
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 こちらはラショウモンカズラ。面白い形をした花ですが、渡辺綱が羅生門で切り落とした鬼女のウデがその名の由来だと知ると、不気味な花に見えてきます。
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 これが、美味しい山菜ベスト3の1つ、ハリギリです。名前のとおり枝には鋭いトゲがあります。
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 ポン太が植えたコシアブラの木です。大きく育って食べられるようになる日を楽しみにしていたのですが・・・。
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新緑の森に咲く花々

 北海道や東京、大阪など8都道府県を除く39県で、緊急事態宣言が解除されました。長野県も解除された県の1つですが、巷では「嬉しいが怖い」という声が多く聞かれます。新型コロナウイルスが消滅したわけではなく、特効薬やワクチンの開発がまだできていないのですから当然でしょう。市民の真面目な努力(外出自粛、人との距離をとる、手洗い励行、マスク着用等)によって、なんとか爆発的感染拡大をしのいでいる状況に変わりはなく、危機感(緊張感)が緩めば巨大な第二波がやってくる。それは多くの識者が指摘しているところです。気がかりなのは解除にあたっての政権のトーンが、「のり越えた」というニュアンスに傾いているように思われることです。これが「緩み」を生むことに繋がらないか。都知事が、全てクリアされたような雰囲気が漂う出口戦略という言葉を使いたくない、と言っているのは一理ある、心配性の森のタヌキはそう思います。 
 先月、緊急事態宣言が発せられたころは、桜はおろか、咲いている花など皆無で、冬枯れのままの風景でした。季節の変化は恐ろしいほどの勢いで進み、今、わが家は新緑の海の中にあります。リンゴの花はだいぶ散りましたが、それに替わってヤマツツジやレンゲツツジが開花し、緑の森の中で存在感を発揮しています。何本もあるウワミズザクラは満開状態が続いており、たぶんそのせいでしょうが、森は甘い香りにつつまれています。樹木の下では、ホタルカズラの小さな花が青紫の独特の色を見せており、貴重種のクマガイソウも例年以上にたくさん咲いています。日当たりのよい道路際ではアマドコロを見かけるようになりました。スズランに似た感じの植物ですが、毒はなく食用にもなる由。調べてみるとアマドコロの花言葉は「元気をだして」「心の痛みがわかる人」だそうですから、コロナ禍にさいなまれているすべての人に贈りたい花ですね。
 散歩に出て、目に入ってくるのは満開の八重桜です。ポン太の散歩エリアには特に八重桜が多いのですが、戦後間もなく、この浅間山麓の原野に開拓に入った人々が植えた名残ではないかと推測しています。火山の噴石だらけの不毛の土地を、なんとか豊かな土地に変えたい、そんな願いがこもっているように思えてなりません。ちなみに、おめでたい席で出される桜茶には八重桜が使われており、八は末広がりで縁起の良い数字とされます。
 いま咲き誇る八重桜をよくみると、そのほとんどが老木です。このままではいずれ朽ちてしまい、見事な花を楽しむことができなくなってしまうかもしれません。景観と開拓精神を継承するためにも、要所要所に八重桜の若木を植えるべきではないか、散歩をしながらそんな勝手なことを考えてしまったポン太でした。

 ポン太の森に甘い香りをふりまいているウワミズザクラです。サクラといっても、花は一般のサクラとは全く形状が異なっています。
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 ヤマツツジは、栽培種のツツジと比べると成長が遅く、昨年初めて数輪の花をつけたのですが、今年はこんなにたくさんの花が咲き、森が一気に華やかになりました。平尾山でもそろそろ咲き始めていると思われるので、次の山行が楽しみです。
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 こちらは、いつの間にか自生していたレンゲツツジです。鳥がタネを運んでくれたのかもしれません。ヤマツツジより花は大きく、色は朱にちかいのでよく目立ちます。
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 シャクナゲも開花しました。深山のシャクナゲと比べると色が濃い感じがします。
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 環境省の絶滅危惧種に指定されているクマガイソウです。グロテスクにも見える花ですが、武士が矢を避けるために背負った母衣(ほろ)に形が似ているところから、一ノ谷の合戦で名をはせた熊谷次郎直実の名をとってクマガイソウとなった由。一方、討ち取られた平家の平敦盛になぞらえたアツモリソウもありますが、クマガイソウはラン科アツモリソウ属に含まれるということなので、討ち取られた方が上位になっているというのも面白いですね。
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 単純な青紫色といえない、摩訶不思議な色合いが面白いホタルカズラです。草むらの中でみるとホタルの光のようだというのがその名の由来とか。こちらも地域によっては絶滅危惧種の扱いを受けているそうですから、ポン太の森もたいしたものといえるかもしれません。
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 花言葉がすばらしいアマドコロです。
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 ポン太の家から数分の道沿いに咲く八重桜です。今は住宅地化してしまい開拓地の雰囲気はありません。昔と変わらないのは、後方の浅間山とこの八重桜だけかもしれません。
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 中山道沿いにも八重桜が並木のようになっているところがあります。「中山道歩き」の人にとっては癒やしの風景ではないかと思いますが、今は誰も通りません。
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 御影用水の端にも、八重桜が数本まとまって咲いているところがあります。
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 その近くの旧開拓集落では、道路に沿って、たくさんの八重桜が植えられています。
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 腰の曲がった老木が、これだけ立派に花を咲かせている姿に感動してしまいました。
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 浅間山の雪もこんなに少なくなり、山麓一帯は春から初夏へと一気に移りつつある感じがします。畑では、高原野菜の植え付け作業がたけなわです。
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 ポン太の菜園はどうなっているかといえば、4月の初めに植えたレタスがこんなに大きくなりました。収穫まであと少しです。試しに大きめの葉をとって食べてみましたら、柔らかくて美味しいこと。やはり自家製は最高なり。
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 ジャガイモ(ノーザンルビー)の芽もぐんぐんのびて、ここまで大きくなりました。ここはジャガイモのために新たに開墾した「畑」ですが、うまくいきそうで嬉しいですね。
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街角の芝桜アートを堪能

 散歩とウォーキングはイコールでしょうか。今までこのブログでは、両者を同じことのように取り扱っていたのですが、よくよく考えると、だいぶニュアンスが異なっているように思います。
 辞書をひいてみると、散歩とは、気晴らしや健康のために家の周辺などをぶらぶら歩くことであり、ウォーキングは健康維持のための歩行運動というような説明がなされています。どちらも健康によい行為であることに違いはないのですが、前者は、ぶらぶら歩きながら、見たり聞いたり匂いを感じたり、あるいは思索したりということに力点が置かれているようです。後者は身体を動かすことそれ自体を目的としており、スポーツの一種といえましょう。
 ポン太がやっているのは、どちらなのか。冬場はおそらくウォーキングですが、それ以外の季節は散歩です。春夏秋のスリーシーズンが短期間に凝縮された形でやってくるここ浅間山麓。樹木や草花に象徴される季節の移り変わりを何としても漏らさず味わいたいと思うのです。それには、スピード感のあるウォーキングではなくぶらぶら歩きの散歩が最適というわけです。
 家屋が接近しておらず、どの家にも大なり小なり庭がある当地では、程度の差はあれ、大半の家がガーデニングに力を入れている様子がうかがえます。そうしたお庭を眺めて庭造りのヒントを得たり、今何が咲いているのか確かめて歩くのは、散歩の楽しみの1つといえましょう。ここ二週間ほどの間、特に目を奪われたのは、芝桜の造形です。中には芝桜アートと呼びたいものまでありましたので、そのいくつかをご紹介することにします。

 まずこちらは、畑と道路との境に、農家の方がつくった芝桜アート。道を歩く人を楽しませるためにこれだけ手をかけてくれていることに感謝です。
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 こちらはまだガーデニングを始めたばかりのようですが、芝桜と枝垂れ桜のバランスがよく、この先の変化が楽しみです。
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 芝桜と鯉のぼりののどかな風景。これもまた良きかなです。
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 隣地との段差を利用したみごとな造形ではないでしょうか。
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 こちらも庭と駐車場の間の斜面を利用したものですが、なかなかの迫力です。
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 家の回りを囲む芝桜。段差があるときれいに見えます。
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 駐車場と建物の間の比較的狭いスペースを芝桜で埋めたたくみなガーデニングに驚きました。
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 今咲いているのは芝桜だけですが、相当ガーデニングに力を入れていそうなお庭で、これから先が楽しみです、
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 地域の老人倶楽部が手入れをしている花壇の芝桜です。
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 こちらの石積みと芝桜の組み合わせは見事です。
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 まだまだいろいろな花が咲いてきそうなお庭です。
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 こちらは公共施設(エコールみよた)ですが、浅間の焼け石と芝桜がよくマッチしています。
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 これはアート作品として植えられた芝桜のようで、手前に「Secret Garden Project」という立て札がありました。
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眩い新緑と山麓を彩る花々

 ゴールデンウィークならぬステイホームウィークが終わりました。浅間山麓では、ヤマザクラや八重ザクラを除いてほとんどの桜は散ってしまい、山も森も野もすべてが眩いばかりの新緑に包まれています。毎日のように新しい花が咲き、わが家の話題も「今日は○○が咲いたよ」「○○には○○も咲いている」といった類が多くなりました。
 ポン太の庭では、リンゴが満開、ズミも見頃です。ウワミズザクラも咲きかけています。朝起きて、窓のカーテンを開けたとたんに目に飛び込んでくる新緑の鮮やかさは、この時季ならでは。特に、ツリバナ、ニシキギ、ヤマツツジ、マユミ、ミズキ、白樺といった木々の若葉は、「きみどり」という絵の具の色そのものです。
 「カッコーが鳴いたら作物の植え付けや種まきをする」というのが、この高冷地における古くからの言い伝えということですが、今年はまだカッコーの声は聞こえてきません。しかし、気温は十分高くなってきていますので、ポン太は待ちきれずに、菜園にキュウリとトマトの苗を植え、山東菜のタネを播いてしまいました。この先寒い日があると困るのですが、天気予報を信じればたぶん大丈夫です。
 いつもの平尾山もあっという間に緑のベールに包まれました。頂上の桜はほとんど葉桜となりましたが、1本だけあるオオヤマザクラは、まだ満開。ピンク色の花束のように咲くその姿は、背後に控えている雪解けが進んだ浅間山とよくマッチして、見応えがあります。森の中では、今年もシロバナエンレイソウが可憐な花を咲かせており、登山道脇には可愛らしいワダソウがたくさん咲いていました。麓に近いところではニリンソウも咲き始め、ヤマツツジの蕾も開花まであと一歩というところまでふくらんでいます。平尾山のベストシーズンが始まったといってよいでしょう。


 窓の外は眩いばかりの新緑です。
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 わが家の庭のリンゴも満開。背後の木々の若葉は文字通りの「きみどり」です。チューリップは終わりかけていますが、新緑の中で見るとまだ鮮やかです。
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 これがリンゴ(アルプス乙女)の花です。近寄ると甘い香りが漂ってきます。
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 ポン太推奨のズミの花です。
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 近くで見ると、本当に可愛らしい花です。
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 家庭菜園ではイチゴの花盛り。今年は豊作の予感?
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 ブルーベリーも例年より花が多いように感じます。このまま実って欲しいですね。
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 森の中には美味しいものも。今年はタラの芽の当たり年のようで、たくさん収穫できました。
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 クマガイソウも花芽が出てきました。
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 ポン太の森にも少しだけヤマザクラがあるのですが、こんなに色の濃いものは珍しいのでは。
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 平尾山もすっかり新緑に包まれました。
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 登山道のまわりも緑が増してきて、気持ちよく登れます。
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 つい数日前まで、頂上は桜の花盛りでした。
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 桜の花と遠くの雪山(北アルプス)。絶景です。
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 今も咲いているオオヤマザクラと浅間山です。
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 平尾山では貴重なシロバナエンレイソウです。
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 こちらは可憐なのに、名前はちょっと平凡なワダソウ。
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 ニリンソウも咲いていました。
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 ポン太の森にも咲いているイカリソウですが、平尾山の方がより端正で美しいように見えました。
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 とりわけ珍しいわけではないのですが、きれいなスミレもたくさん咲いています。
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 登山道脇で咲きだした山吹の花です。これも珍しいわけではないのですが、新緑の森とよくマッチしてきれいです。
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歌声喫茶オープン

 この「コロナ自粛」の最中に、歌声喫茶がオープンするなどあり得ないと思われるでしょうね。いえいえあり得るのです。お店ではなく「おうち歌声喫茶」ですから。
 今は、コンサートや○○の集いといったあらゆるイベントが中止となっており、ナマで楽しめるものがありません。それではいささか味気ないので、一計を案じたというわけです。用意したものは、歌詞カードとケーキとコーヒーのみ。お客は、ポン太とポン子の二人だけですから、「三密」の心配はありませんが、緑のさわやかな風が入ってくるように窓は全開にしました。たとえ音程の狂った声が漏れたとしても、腰を抜かすのは森のリスかタヌキぐらいで、ご近所迷惑にならなくて済むのは田舎暮らしならではです。
 口を大きく開いてお腹の底から声を出して歌いたくなるのは、やはり流行歌やポップスの類ではなく、季節感溢れた童謡・唱歌・叙情歌曲。この季節にふさわしい「こいのぼり」「背くらべ」「朧月夜」「夏は来ぬ」「茶摘み」「夏の思い出」「カチューシャ」等をリストアップし、歌詞カードをつくりました。
 「おうち歌声喫茶」では伴奏はなく完全なアカペラです。歌ってみて思ったのは、昔の歌の歌詞のすばらしさ。文語調で格調高いだけでなく情感に溢れていて、自然にメロディーがついてくる感じがします。
 いま浅間山麓では、新緑の森や残雪の山を背景に、無数の鯉のぼりが空を泳いでいます。見ているだけでも気持ちが良いものですが、「こいのぼり」の歌を声に出して歌うと、体中に元気がみなぎってくるような気がしました。ちなみに「こいのぼり」の歌は二つありますが、ポン太の好みは「屋根より高い~♪」の方ではなく、「いらかの波と雲の波~♪」ではじまる弘田龍太郎作曲の勇壮な曲です。「たちばな薫るあさかぜに、高く泳ぐや鯉のぼり」と歌っていくと、自分も鯉のぼりとともに空に舞い上がっていくような高揚感が味わえ、気持ちがすっきりします。ロックダウンされたイタリアの都市住民が、気持ちを奮い立たせるようにマンションのベランダに出て大声で歌い合っているシーンがテレビで流れましたが、あの気持ち、わかりますね。
 「リンゴの花ほころび~♪」と「カチューシャ」を歌い終わって、外に出てみると、昨日まで蕾だったリンゴの花が咲き始めていました。「コロナ」の渦中とはいえ、麗らかな春です。

 歌声喫茶の準備OKなり。ポン太とポン子の二人だけでは寂しいので、「ポンちゃん」にも参加してもらいました。
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 リンゴ(アルプス乙女)の花が咲きました。リンゴの花は満開時よりも、咲き始めのころが一番可愛らしくてきれいです。
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 ささやかな菜園のまわりの木々が一斉に芽吹いて、薄緑のベールがかかったように見えます。頭上ではヤマザクラが咲き始めました。
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 森の中ではイカリソウが咲いていました。
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 ヒトリシズカもお目覚めです。
ヒトリシズカ.JPG
 日当たりのよいところは、フデリンドウのお花畑になっていました。
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 樹形が悪くヤブのようになってしまうので、ポン太はあまり好きではないのですが、花とその名前だけは素敵なウグイスカグラです。
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 それとは逆に、名前から受けるイメージはよくなくても、森の中で咲いていると存在感があり、ポン太が大好きなのがズミ。蕾が赤くふくらんできました。
ズミの蕾.JPG
 花壇のチューリップが咲きそろい、華やかな雰囲気になりました。
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 チューリップは大好きなので、自分でもどこに植えたか忘れてしまうほど、あちらこちらに植えてあるのですが、クマザサの中でこんな咲き方をしているものもありました。
ささとチューリップ.JPG
 岩とコラボしているこちらもきれいです。
岩陰のチューリップ.JPG
 植えたのではなく、抜いた雑草と一緒に土に埋めてしまったと思われる球根が育って、いつのまにか花を咲かせていました。
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 気候が良くなるとやたらに庭いじりがしたくなるもの。今年新設した「タヌキ花壇」にアスターを植え、コスモスのタネをまいてみました。秋にはどんな風景になるか楽しみです。
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アカル山を経てモンブランに登頂!?

 先月はモンブランに登頂しました。「コロナ」が猛威をふるっているこの時期に、ヨーロッパアルプスの最高峰であるモンブランに登頂? ウソに決まっているだろうと思われるかもしれません。そのとおり、ウソといえばウソですが、まったくのデタラメというわけではありません。
 生活エリアである浅間山麓から一歩も出ないという「自粛」生活を送る中で、健康維持のためのウォーキングと地元の里山歩きの回数だけは着実に増えました。先月は山歩きに出かけた回数が合計16回となり、なんと月間の最多記録を更新してしまいました。出かけた先は平尾山が大半ですが、少し気分を変えようとアカル山にも登りました。いずれも登山口から山頂までの高度差は300m程度ですので、300m×16回で4800m、それがこの1ヶ月間に実際に登った高さの累計です。1ヶ月かけて、標高4800mの山に(海岸線から)登ったのと同じではないかと考え、その高さに該当する名山を探したところ、ほぼ一致したのが、標高4810mのモンブランというわけです。
 単なるこじつけに過ぎないと言われるかもしれませんが、佐久の里山が世界的名峰のモンブランに大化けし、大きな満足感を得ることができたのですから、タヌキらしくていいじゃありませんか。ポン太はタヌキ界において、間違いなくモンブランの登頂に成功したのです。
 さて、平尾山についてはこのブログで何度も取り上げていますが、アカル山についてはこれまで触れたことがありません。アカル山を漢字で書くと閼伽流山です。難読山名の典型といえそうですが、サンスクリット語で、聖なる(清らかな)水を意味するそうで、山麓には、慈覚大師により天長3年(826年)に建立されたと伝わる天台宗の古刹明泉寺があります。山全体が宗教的雰囲気に満ち、佐久のパワースポットだと言う人もいます。岩峰の1つに仙人ヶ岳とよばれるところがあり、昭和天皇が摂政宮であった時代に登頂し、そこで野点をしたというのですから、かつては地域を代表するような名所だったのでしょう。海抜1028mの山頂は、仙人ヶ岳から尾根を10分ほどたどったところにありますが、展望はまったくなし。山登りとして面白いかどうかは別として、昔の文人墨客に好まれた雰囲気とはどういうものか、それを実感できるという意味では、大変面白い里山です。

 月間16回目の山歩きを達成すべく平尾山へ。平尾山を愛するどなたかが植えてくれたのでしょう。登山道脇に水仙が咲いていました。
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 先月初回の登山の際には冬枯れ状態だった平尾山も、いまは芽吹き始めた木々の緑が目立つようになりました。
芽吹き始めた平尾山.JPG
 月間16回の記録達成と「モンブラン」登頂を祝って万歳!
月間16回登山達成.JPG
 この「快挙」を祝うかのように、森の中では早春の精ともいわれるアズマイチゲ(東一華)が見事に花開いていました。
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 ポン太も「モンブラン」登頂の記念と、いつもお世話になっている平尾山への感謝の気持ちをこめて、わが家から持参したモミジを一株植えました。大きく育って、秋の平尾山を真っ赤に染めてくれると嬉しいのですが・・・。 
記念植樹.JPG

 さてこちらは閼伽流山の麓にある天台宗の古刹明泉寺です。
名泉寺の石段.JPG
 明泉寺の参道から閼伽流山への登山道が分岐していますが、この字をみて「あかるさん」と読める人は少ないのでは。
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 山里のすばらしい風景に心が躍ります。
山里の桜みち.JPG
 登山道の脇にこんな注意看板が立っていました。クライミング禁止というのが面白いですが、その理由は登ってみればわかります。
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 この山全体が寺域といってもよく、沿道の桜にも宗教的雰囲気を感じました。
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 登山道の脇に丁目石(1~12丁目まで)が設置されていて、そこには、願主(おそらく檀家の方)が詠まれた歌(短歌ではありません)が刻まれていました。声に出して読んでみるとリズミカルな傑作ぞろいです。これは6丁目の丁目石ですが、「日本アルプス雲間にみえて、花の浄土の閼伽流山」と刻まれています。これはもう「閼伽流山小唄」。手拍子を打ちたくなります。
六丁目石.JPG
 12丁目が近づくと、鐘楼が見えてきました。山寺らしい風情のある鐘楼です。
鐘楼.JPG
 大岩壁を背にした観音堂です。こんな岩壁をみればロッククライマーは登りたくなるでしょうね。前述の禁止表示の意味がわかります。この岩壁の上が仙人ヶ岳です。
観音堂と仙人ヶ岳.JPG
 観音堂から仙人ヶ岳にいたる道は急峻で、この山一番の難所です。
急峻な仙人ヶ岳への道.JPG
 ここが仙人ヶ岳の頂上です。摂政宮時代の昭和天皇が大正12年に訪れたことを示す石碑が立っていました。
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 仙人ヶ岳からの眺めはすばらしく、佐久平と蓼科八ヶ岳連峰が一望できます。ただし、かなりの高度感があり、ここで野点をしたらおしりがむずむずしそうですが・・。
仙人ヶ岳からの絶景.JPG
 美しい松と岩の織りなす風景。文人墨客が好む要素がここにはあります。
松が美しい景観.JPG
 こちらが閼伽流山の本当の頂上ですが、展望もなく面白みはありません。
山頂.JPG
 麓から見上げた閼伽流山の稜線です。右手の尖った岩峰が仙人ヶ岳です。水墨画に描かれている山のようで、昔の人はこういう景観に憧れたのではないでしょうか。
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ご近所の桜でお花見

 ゴールデンウィークならぬ「ステイホームウィーク」が始まりました。「(県外へ)出るな、(県内へ)来るな」という自粛要請、そして「信州の観光はお休み中です」という 知事のアピールが功を奏したのか、浅間山麓の人出は予想していたよりもずっと少なく、軽井沢駅前では8割減となったそうです。老舗の万平ホテルやプリンスホテルなど休業している宿泊施設も多く、目玉の集客施設であるアウトレットも休業中ですから、人出が少ないのは当然かもしれません。
 最寄りのスーパーであるツルヤ御代田店も、新装開店した日を除けば混雑はみられず、「三密」にならずに買い物することができています。駐車場も空きスペースが多く、県外ナンバーのクルマが特に目立つということもありません。
 ポン太の生活エリアである海抜800~900m前後の浅間山麓では、いま桜が満開です。公園はもちろんですが、学校や公共施設の前、個人の庭や畑の脇などいたるところに桜が咲いています。ウォーキング=お花見といった感じですから、ご近所を一回りしてくるだけでも、気分は爽快です。部屋に閉じこもらざるを得ない都会の「自粛」と比べて、人と出会わずに歩き回れるところがいくらでもある田舎の「自粛」は、ストレスの度合いが低いことは間違いないでしょう。
 「コロナ」前と「コロナ」後では、社会の有り様が全く違ったものなるのではという予測があります。そのひとつがテレワークの普及、常態化ではないでしょうか。毎日出社する必要がなければ、どこにいても仕事はできるわけですから、人が密集する都会を離れて、田舎暮らしを選択する人が増えそうな気がします。これは旧来型の田舎暮らしとは別物で、都会と田舎を融合させるような新たな文化が生まれる可能性を感じます。今までかけ声倒れに終わっていた東京一極集中の是正が実現するとすれば、まさに「禍を転じて・・・」です。
 ウォーキングをしていて、最近、「売地」「売家」の看板が取り外されたところが多いような気がします。はやくもポスト「コロナ」を見据えた動きが始まったのかも・・・。

 ご近所の庭の枝垂れ桜です。色も形もすばらしく、散歩の度に眺めては楽しませてもらっています。
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 こちらも個人の庭の桜とは思えないほど立派で、見とれてしまいます。
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 ご近所の裏庭に楚々と咲く桜です。
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 リゾートマンション前の桜です。まるで桜通りのようになっていて、ここを通り抜けるのが最近の散歩の楽しみの1つです。
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 木陰からキジが飛び出してきました。春になるとキジも浮かれるようです。
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 水辺(御影用水)の周辺には桜は少ないのですが、芝桜が彩りを添え、景色が一変しました。
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 水辺の南側の旧開拓集落内には枝垂れ桜の古木があります。その花が咲くのを毎年楽しみにしていたのですが、隣地に新築の家が建ち、だいぶ雰囲気が変わりました。工事が始まったころ、その木が伐採されてしまうのではと心配しましたが、そのようなことはなく、今年も見事に咲いてくれました。
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 公民館には開拓の碑があり、この地域の歴史を伝えてくれます。桜は満開ですが、例年ここで行われていた「お花見会」は中止となりました。
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 中山道も桜が満開です。いつもの年なら、GW中は中山道歩きの人と出合うことが多いのですが、今年は皆無といってよいでしょう。
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 御代田駅の旧駅跡に保存されているD51形蒸気機関車も桜に包まれていました。このD51787をめぐる数奇な物語については、以前のブログでご紹介したとおりです。
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 駅からほど近い御代田町役場前の桜は色が美しくよく目立ちます。
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 そのまた近くにあるこのみごとな桜の大樹、意外な場所に咲いているのです。奥に和風の建物があるので、料亭か和食処と思われるかもしれませんが、実はパチンコ店の駐車場だった場所です。パチンコ店はすでに閉店しており、ここには軽井沢の地ビールで有名な「ヤッホーブルーイング」の進出が予定されています。「コロナ」が終息すれば、できたての地ビールを飲みながらこのみごとな桜を眺めることができるのではと期待してしまいます。
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 こちらは御代田町立南小学校入口の桜です。本来なら子供たちが元気にその下をくぐり抜けて登下校するところですが、休校が続いている今年はひっそりとしています。
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 小学校の前にある雪窓公園の桜も満開。公園への通路が桜の回廊のようになっていました。
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 野球場兼用のグランドです。町民の野球大会等はすべて中止となっているため、親子連れがボール遊びなどを楽しんでいました。
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 公園の遊具も花に囲まれていました。昨年のGWには孫がやってきて、ここで楽しく遊んだのですが、今年は呼び寄せることもできません。
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 こちらは「雪窓湖」という溜池からみた桜と浅間山です。このあたりは絶好の散歩コースといえましょう。
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 夏は龍神まつりのメイン会場となり、大勢の人でにぎわう龍神の杜公園です。残念ながら、今年の龍神まつりは中止が決定しています。
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 大きな龍の滑り台のまわりも桜また桜。孫がもし来れたならきっと大喜びするに違いないと、むなしく見上げるしかありませんでした。
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 農作業の準備が始まった畑の後ろでは桜が満開。それを見下ろすようにそびえ立つ大きな浅間山。ポン太の散歩コースの中で、一押しの景観だと思います。
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開花ラッシュに癒される春

 ここ1週間ほどの間に、ポン太の森や庭の景色は大きく変わりました。アンズが咲いたと喜んでいるうちに、森に何本もあるコブシの花が次々と咲き、レンギョウ、ボケ、プラム、チューリップ、水仙、スミレなど、色とりどりの花が開花。木々の芽吹きも始まり、色彩が日に日に豊かになっていくのを感じます。わが家の近くの中山道沿いでは、すでに桜が咲き始めていて、御代田町の標高の高いエリアや軽井沢町周辺の桜は、今週末あたりが見頃になりそうです。
 佐久平一帯の桜はまだ満開の状態が続いていますが、それに加えて、平尾山の麓のいわゆる平尾桃源郷では桃の花も咲き始めました。例年ですと、桜が終わるころに桃が咲くという流れですが、今年は桜と桃がほぼ同時ですから、ピンクの海が広がった感じがします。
 佐久平のクリニックに出かけたついでに、満開の桜を眺め、帰途、平尾山麓の桃の開花状況を見てきましたので、わが家のまわりの様子と併せてご紹介することにします。
 「コロナ」のニュースを聞く度に気が重くなりますが、次々と咲く花を眺めていると、少しばかり心が穏やかになります。毎年、この時期には、こうした花々の開花を楽しみにしているのですが、今年は楽しみというよりも、癒しを感じます。このすばらしい信州の春を見に来て、ぜひ癒されて欲しいと言いたいところですが、残念ながら、真逆のことを言わざるを得ません。ご承知のとおり、県境を越えての移動には自粛要請が出されており、「信州の観光はお休み」(県知事)ですから、今は我慢していだく以外にありません。
 今日は、ポン太とポン子にとって待ちに待ったできごとがありました。それはスーパーツルヤ御代田店が新装オープンしたことです。開店と同時にでかけてみましたが、あまりの混雑に恐れをなして、買い物をせずに帰ってきてしまいました。「三密」は絶対に避けねばなりませんので、改めて空いていそうな時間帯に出かけてみました。入口では、係の方が来店客の手に消毒液をかけていましたし、カートの握り棒を丁寧に拭いている様子もみられました。必ずマスクを付けて来店するようにとの張り紙もありました。各レジにはビニールの遮蔽幕が下がり、床には、客同士が接近しないように、ソーシャルディスタンス(社会的距離)を示すオレンジ色の線がひかれ、コロナ対策に気を配っている様子がうかがえました。
 以前と比べると、奥行きがだいぶ広がり、店舗が大きくなった感じはしましたが、品物の配置は、以前とほぼ同じでしたので、どこに何があるかすぐにわかり、短時間でスムーズに買い物をすることができました。総じて利用しやすく、家の近くにこのようなスーパーがもどってきてくれたことは、本当に心強い限りです。

 アンズが咲くと窓辺が一気に明るくなります。
アンズ咲く窓辺.JPG
 コブシは咲き始めが趣があります。
咲き始めのコブシ.JPG
 花が開いた状態のコブシです。屋根の上を飾っています。
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 レンギョウが咲きました。鮮やかな黄色が森を彩ります。
レンギョウ.JPG
 ボケの花です。あまりに地味なので見過ごしていました。
ボケ.JPG
 プラムも咲きました。満開になると窓辺を真っ白に染めてくれてとてもきれいなのですが、実を結ぶことは少なく、口にすることができたのはほんの僅かです。
プラム.JPG
 なんと桃の花も開花しました。いつもよりだいぶ早いような気がします。
桃が咲いた.JPG
 日当たりのよい道沿いに植えておいたチューリップが咲きました。な~らんだ、な~らんだ、赤白黄色~♪と口ずさみたくなります。
並んだチューリップ.JPG
 水仙も可愛らしく咲いています。
水仙.JPG
 こちらはスミレです。スミレは種類が多いので何というスミレかわかりませんが、近寄ってみるとなかなかきれいな花です。
スミレ.JPG
 ポン太が新設した「タヌキ花壇」のまわりも華やかになりました。
タヌキ花壇.JPG
 石垣イチゴを栽培しているところに一株だけ植えておいたチューリップが咲きました。チューリップは大好きなので、庭と言わず森の中といわずいたるところに植えてあるのですが、咲くタイミングにはかなりの時差があるので、長い間楽しめます。
石垣イチゴとチューリップ.JPG
 植えるのが早すぎたかと心配していたサニーレタスですが、順調に育っているようでひと安心です。
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 これはご近所のお庭ですが、こちらのコブシは樹形がよいので、毎年咲くのを楽しみにしています。
コブシと芝桜.JPG
 さて、佐久平ではいま桜が満開。ここは定番のお花見スポットの「長野牧場」です。例年同様みごとな咲きっぷりですが、その下でお弁当を広げている人はおらず、散策する皆さんすべてマスク姿です。
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 去年はこのあたりにシートを敷いて、孫を囲んでささやかな花見の宴をしたのに・・・。
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 これは佐久総合病院佐久医療センター内の桜です。病院の敷地内とは思えないボリュームです。
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 車椅子を押す姿があるので、病院内だとわかりますが、ここも佐久平の桜名所といってよいでしょう。
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 こちらは千曲川沿いの「さくラさく小径」です。
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 その桜並木の間からみた浅間山です。
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 千曲川のほとりの枝垂れ桜もきれいに咲いていました。
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 桜と浅間山はよく似合います。
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 こちらは初午祭の際に大勢の人で賑わった鼻顔稲荷神社です。今は桜の花だけが賑わいをみせていました。
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 平尾山の桜もまだ満開の状態を維持していました。
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 そのすぐ下の「平尾桃源郷」では桃の花が咲き、山裾がピンクに染まっています。
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 桃の花の後ろに浅間山が顔を出していました。
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 本日新装オープンしたツルヤ御代田店です。開店時には駐車場がクルマで埋まっていました。
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 入口まで行ってみたところ、入場規制が行われていて、店の外に大勢の人が並んでいました。あきらめて昼過ぎに出直したところ、スムーズに入店できました。平日の昼間ならゆったりと買い物ができそうで安心しました。今日は県外車は少なかったのですが、GWにはどうなるのか、それはまったくわかりません。
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桜でたどる中山道

 国内の「コロナ」感染者が1万人を超えたという大変な事態の最中に、桜だ花だ山歩きだと、何を能天気なことを言っているのだとお叱りを受けるかもしれません。緊急事態宣言対象地域が全国に拡大し、その中にはわが信州(長野県)も当然含まれておりますし、阿部県知事は、県民に対して、外出の自粛と県外への移動をやめるように要請しております。
 ムムッ、これはいよいよ、巣ごもりに入る以外にないかと思ったのですが、新聞記事をよく読むと、食料品の買い物や通院など、生活の維持に必要な外出は対象外としているほか、健康維持のための散歩等はむしろ必要で、中山間地では家を出ても人と会わないことがあり、外出を過度に自粛する必要はないとのこと。そうであれば、桜や花を愛でながら、誰もいない小径や野山を逍遙するのは、健康維持の為に必要な散歩の範疇と考えてよさそうです。徘徊好きのブラタヌキとしてはだいぶ気が楽になりました。
 考えてみれば、浅間山麓の森の中での暮らしでは、これまでも外出時に人と出会うことはほとんどなく、連れ合い以外の誰とも話すことなく一日が終わるようなことが、むしろ普通でした。人との接触を避けるという意味での「自粛」は、すでに日常的に実行していたわけで、それにプラスして実践すべきは、県外へ出ず、人の集まる場所へは行かないということぐらいでしょうか。
 佐久平一帯はいよいよ本格的な桜のシーズンをむかえました。身近な中山道をたどりつつ桜の様子を眺めてみるのもよかろうとでかけてみました。旧道を歩いている人は皆無と言ってよく、「人との接触」などまったく心配なし。芭蕉も新選組も皇女和宮もたどったこの歴史の道は、いつ歩いても興味深いものですが、桜が咲いているとより一層気分が盛り上がります。江戸から21番目の小田井宿から26番目の芦田宿の手前まで、中山道とその周辺の桜を探って歩いてみました。
 なお、これはあくまで、健康維持に必要な散歩の余滴としての花見です。タヌキが悪知恵を働かせているわけではありませんので、ご理解ください。散歩もままならず、ストレスを蓄積されている都市部の皆様には申し訳ないことではありますが、ポン太の拙い写真が些かでも癒しの足しになれば幸いです。

 浅間山麓の追分宿で北国街道と分かれた中山道が、佐久平の岩村田宿へむかって下っていく途中にあるのが小田井宿です。小さな宿場ですが、出桁造りの問屋の建物などが残っており、往時の面影をかなり留めています。桜前線はここまで這い上がっていました。
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 小田井宿本陣跡の桜です。皇女和宮はここで休憩した御礼に、人形を手渡したといわれています。
小田井宿本陣の桜.JPG
 小田井宿の宝珠院というお寺のみごとな枝垂れ桜です。樹齢はおよそ300年と推定されているそうですから、江戸時代の旅人もこの桜を眺めたかもしれません。
小田井宿宝珠院の枝垂れ桜.JPG
 千曲川の渡河地点に設けられたのが塩名田宿です。このあたりの千曲川は急流で、しばしば橋が流され、船を繋いで板を渡した「船橋」が用いられた時代もあったそうです。現在の橋(中津橋)は1931年に架けられた鉄橋で、日本百名橋の1つに選ばれています。この写真は、橋を渡った対岸から塩名田宿側を見たところです。橋のたもとの桜が満開でした。
塩名田の桜.JPG
 次の八幡宿へむかう道沿いの桜です。ここには御馬寄という、いかにも旧街道らしい地名がついています。
御馬寄の中山道と桜.JPG
 望月宿へ至る途中には、旧道がそのまま残っているところがあります。
中山道旧道(布施の湯入口付近)の桜.JPG
 旧道が国道に合流する箇所の桜もきれいでした。
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 望月宿の手前に瓜生坂というところがあり、そこを下って望月宿に入っていくのですが、そのあたりの雰囲気がポン太は大好きです。桜の下に見えている細い道が旧中山道です。
望月宿入口の桜.JPG
 望月宿へは鹿曲川を渡って入ります。川岸の絶壁を穿って弁財天が祭られていますが、往時の旅人たちもこの風景を眺めたのではないでしょうか。弁財天の入口に「駒曳の木曽や出るらん三日の月」という去来の句碑がありました。
鹿曲川と弁天窟.JPG
 望月宿の近くにある望月城址に登ってみました。桜は五分咲きぐらいで、花の間から望月宿を見下ろすことができました。
望月城址からみた望月の街並み.JPG
 望月宿を出て芦田宿方面へむかう中山道です。特別何があるというわけでもなく、歩いている人もいませんが、桜が咲いているだけで嬉しくなります。
旧中山道 茂田井宿手前.JPG
 望月宿と次の芦田宿との中間にあるのが、茂田井(もたい)宿という間の宿(あいのしゅく)です。その街並みはこれぞ中山道というすばらしさ。歩いて絶対損はありません。
茂田井宿.JPG
 茂田井宿の中を歩いて行くと、屋根のむこうに満開の桜の山が見えてきて、気分が高揚します。
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 茂田井宿の西側の入口にあるバス停です。ここに座ってお花見ができそうですね。
茂田井バス停留所.JPG
 茂田井宿付近を南側から眺めたところです。浅間山を背景にしたのどかな風景が広がり、癒されます。
茂田井宿遠望.JPG
 茂田井宿からすこし山の中へ入ったところに、大同2年(807年)の開基と伝わる真言宗の古刹、福王寺があります。初めて立ち寄ってみたのですが、宝永年間に植えられたという樹齢およそ300年の枝垂れ桜が満開で、ごらんのとおりのすばらしい景観でした。。
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 少し違う角度から見ても、見事としか言いようがありません。
福王寺の樹齢300年の枝垂れ桜.JPG
 山里に位置するこのお寺のロケーションもまたすばらしいものがあります。こんな鄙びたところまでやってくる著名人はいないだろうと思ったのですが、山門前の石碑をみると、なんと皇太子時代の今上天皇が訪れていました。
ロケーションもすばらしい福王寺.JPG
 中山道からは少しはずれますが、前回のブログで2~3分咲きとお伝えした平尾山山麓の桜があっというまに満開となりました。
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 桜のむこうに浮かぶ浅間連峰の黒斑山が、まるでマッターホルンのようです。
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 こちらは蓼科山です。いつもの風景が桜に彩られると別物になります。桜の種類は違いますが、高遠に匹敵する風景ではないでしょうか。
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 桜の花に包まれる幸せ。やはり花があってこその春です。
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交錯する春と冬

  高冷地の住人にとって春の訪れほど嬉しいものはありません。桜のシーズンが首都圏よりほぼ1ヶ月遅い浅間山麓では、桜より前に咲く花に春の訪れを感じます。梢の先の蕾がほころんで2~3輪の花が咲いているのを見つけると、おっ、○○が咲いたぞ、と嬉しくなって、そこら中を駆け回りたい気持ちになるといっても過言ではないでしょう。「コロナ」の暗雲が垂れ込めている今年はなおさらです。
 わが家の庭で、待ちに待ったアンズが開花しました。この可愛らしい花が咲くと、本当に春が来た気分になります。頭上ではコブシも開花し、白い蝶が空を舞っているよう。レンギョウの花も咲きかけており、リンゴの芽吹きも始まりました。まだ一輪だけですが、イチゴの花も咲き、道路際ではタンポポが黄色い顔を並べています。
 こうなると、無性に庭いじりがしたくなるもの。拾い集めた浅間の噴石で、新しい花壇をつくってしまいました。名付けてタヌキ花壇です。何を植えるか考える楽しみが1つ増えました。
 新花壇の完成から間もなく、またまた降雪があり、朝方の一時、わが家の庭も真っ白になりました。気温が上がり雪はすぐに消えてしまったので、これなら山歩きも可能だろうと平尾山へでかけてみました。しかし、里山とはいえ、標高1155mの山ですから、中腹から上はかなりの積雪があり、ほぼ冬山状態。滑落を心配しつつも、季節外れの雪景色を楽しむことができました。
 その平尾山も麓はまったく別世界で、竜神池の畔では水仙が満開。登山道脇ではアヅマイチゲが咲いているのを見つけました。佐久平パーキングエリア周辺では桜も咲き始めていて、すでに2~3分咲きになっている木も。また、守芳院という禅寺の参道では、枝垂れ桜が満開でした。
 春と冬を同時に味わえるという、こんな贅沢な一日を演出してくれた自然に感謝、と言いたいところですが、やっかいな新型コロナウイルスとて自然界の中で変異して生まれたもの。自然は人間のいいとこ取りを許さないようにできているのかもしれません。

 アンズが開花しました。
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 コブシも咲き始めました。白い蝶が舞っているような風情があります。
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 レンギョウは開花まであと一歩といったところです。
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 こちらはイチゴです。まだ1輪だけですが、どんどん咲いてたくさん実ってくれると嬉しいですね。
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 リンゴの芽吹きが始まりました。花が咲くのは葉が出た後です。
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 道端ではタンポポを見かけるようになりました。
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 アンズの開花に浮かれて新設した「タヌキ花壇」です。
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 さてこちらは平尾山。登山道は途中から雪道となりました。
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 雪に覆われた頂上付近です。
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 「忍耐の小径」の道標にも雪がこびりついていました。こんな日でもかなりの登山者がいてびっくり。
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 厳冬期を思わせる景色です。
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 登山道の脇にアズマイチゲが咲いていました。
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 麓の竜神池のまわりでは水仙が満開。
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 佐久平パーキングエリア付近の桜は2分~3分咲き。あと数日で満開の桜を楽しむことができそうです。
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 菜の花が咲いているところもあり、平尾山の麓はすっかり春です。
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 守芳院というお寺の参道のまわりでは、枝垂れ桜がすでに満開。左側のソメイヨシノは三分咲きといったところでしょうか。
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 梅(右)と枝垂れ桜(左)がコラボしていました。
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 ここは桜の名所として知られているようなところではなく、見に来ている人はいませんでしたが、この山寺の素朴な雰囲気、自然体で咲いている桜には魅力を感じました。
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 守芳院の前から見た佐久平です。この景色もなかなかのものです。
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 浅間山麓の御代田町でも佐久平に近いところでは桜が咲いていました。
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 家の近くで鯉のぼりを発見。こちらのお宅では男の子が生まれたようです。雪の浅間を背景に元気に泳ぐ鯉のぼりをみていると、子供の成長を願うすばらしい風習だと改めて思います。
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ノスタルジーという名の妙薬

 単純に「昔は良かった」とか、「古き良き時代」などとはいえません。例えば、ポン太やその少し上の世代では、高度成長時代を懐かしむ人が多いと思います。右肩上がりで希望に満ちた良き時代であったと。しかし、その陰には悲惨な公害や出稼ぎ労働者・日雇い労働者の過酷な労働があったのであり、そのことを忘れてはならないでしょう。どんな時代にも光と陰があるのです。それを前提としつつも、先人の営みの結晶やその時代の賜といえる文化に目をむけ、味わい、ノスタルジーに浸るという行為は決して悪いことではないと思います。
 未来は(現在も)不確実で不安がいっぱいです。しかし、過去はすでに確定したものですから安心感があります。つまり結末のわかっているお芝居を見るようなもので、安心して名場面の所作を楽しめるというものではないでしょうか。
 ポン太もそうですが、鉄道好きにはノスタルジー志向が強いように思います。古びた駅舎や車両を見ただけでいろいろなことが想像され、感動で涙ぐむこともあります。そんな心情を、今から半世紀以上前に実行した旅の記録を基に綴った本があります。古くからの知人である小川功さんの著『昭和四十一年日本一周最果て鉄道旅』(笠間書院、2019年刊)です。小川さんは経営学的視点からの鉄道史研究者で、これまでたくさんの研究書を著していますが、情感をたっぷり込めたこのようなエッセイは初めてとのこと。
 そうそうと頷いたり、こんなシーンを見ることができたのかと羨ましく思ったり、鉄道愛が宗教の領域にまで到達しているのではないかと思わせる記述にニンマリしてしまったりと、とにかく楽しめます。
 本書は三部構成になっていて、一部が日本一周大旅行の顛末、二部はそれから五十年後の鉄路や周辺地域の変貌について、三部は日本一周大旅行に当初賛同しながら諸般の事情で参加しなかった仲間の「懺悔録」となっています。
 第一部で最も力が入っていると思われるのは、冬の北海道をたどる部分です。日本三大車窓の1つと謳われた狩勝峠の旧線をはじめ、北海道拓殖鉄道、湧別鉄道、手塩炭礦鉄道、定山渓鉄道等々、著者が眺めた数々の鉄道シーンを、ほんの僅かな年の差ゆえに見ることができなかった(間に合わなかった)ポン太としては、読み進むにつれ、郷愁を通り越して、夢の世界に遊ぶ心地がしました。
 第二部では、筆者ならではの観察眼を感じました。「私鉄帝国主義」と表現された電鉄資本による地域争奪戦をはじめ、駅前の風景から資本の盛衰を読み解くところなど、後に経営学者となられたのは、むべなるかなと思います。この50年の間に、地域がすっかり変わってしまい、懐かしい昭和の情景全体が喪失したことを改めて認識させられます。
 本書のタイトルにも使われている「最果て」という言葉。今は死語のようになってしまいましたが、その魔力に吸い寄せられたという点では、私も著者と同じです。新型コロナウイルスが猛威を振るい、外出自粛を余儀なくされる中、半世紀前の「最果て」の旅を追体験し、ノスタルジーという名の妙薬で癒されてみてはいかがでしょうか。

 この表紙を見ただけでノスタルジーを感じます。
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 これは口絵の一部ですが、ポン太が「間に合わなかった」垂涎のシーンばかりです。
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 海外旅行など夢のまた夢だった当時、北海道は憧れの地でした。ポン太が初めて北海道を訪れたのは、小川さんが「日本一周最果て鉄道旅」をされた4年後の1970(昭和45)年夏です。この間に残念ながらかなりの数の私鉄が失われましたが、初めて見た北海道の鉄道シーンは感動の連続でした。青函連絡船を降り、函館駅ホームでまず目にした風景がこれです。右はこれから乗車する函館本線(山線)経由の札幌行急行「ニセコ3号」、左は室蘭本線・千歳線経由の旭川行特急「北斗2号」です。いやが上にも気分は高揚しました。(1970年7月10日撮影)
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 薄暮の倶知安駅で乗ってきた「ニセコ3号」を見送りましたが、このC62重連の勇姿を見て、北海道に来たことを実感しました。(同上)
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「最果て」の鉄道景観を求めて道東へ。珍しくカラーで撮影した釧網本線です。原生花園や線路自体は今も健在ですが、こんな貨物列車の走る姿を見ることはできません。(692列車、北浜~浜小清水にて1970年7月17日撮影)
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 日本海側の羽幌線も最果てムードの漂う路線でしたが、沿線にあった私鉄ともどもすべて消え失せてしまいました。(6884列車、番屋ノ沢乗降場~力昼間にて1970年7月14日撮影)
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 名寄本線も最果てという言葉にふさわしい路線でしたが、一族郎党すべて消え失せました。(名寄本線691列車、一ノ橋~上興部間にて1970年7月15日撮影)
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 路線自体が姿を消したわけではありませんが、ルート変更により今は見られなくなったシーンもあります。これは室蘭本線礼文~大岸間を行く上り特急「北斗1号」です。当時は噴火湾沿いを走っていました。(1970年7月21日撮影)
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 石北本線の常紋信号場で、貨物列車同士が交換する印象深いシーンです。(1970年7月16日撮影)
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 宗谷本線和寒駅でのスナップです。夏なのに寒々とした雰囲気の中、C5547牽引の330列車が勢いよく煙を噴き上げ、発車して行きました。(1970年7月15日撮影)
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 南稚内駅を発車するC5530牽引の322列車です。北の果てまで来たという実感がわきました。(1970年7月13日撮影)
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 私鉄の多くが姿を消していた中、なんとか間に合ったのがこの美唄鉄道です。運炭鉄道の雰囲気をかろうじて味わうことができました。(常盤台にて1970年7月20日撮影)
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「三密」なき花見

 信州は桜のシーズンを迎えました。標高の高いポン太の家のまわりではまだ開花していませんが、長野市あたりでは平年より11日もはやく開花し、すでに見頃を過ぎたという話です。例年ですと、桜の開花状況や、見頃状況が、テレビのローカルニュースで連日報道され、それを見ているだけで気分が明るくなります。そして、その情報を基に、花見に出かけることが多いのですが、今年は「コロナ」の影響で、報じられることが極端に少なくなりました。
 信州の桜の名所の代名詞でもある高遠城址公園では、園内への入場自体が禁止され、それ以外の多くの桜名所では、花を眺めること自体はOKでも花見の宴は禁止、桜祭り等のイベントやライトアップは中止という措置がとられています。そもそも人が集まることを避けるというのが、コロナ対策の基本ですから、桜の見頃を宣伝して大勢の人が集まってしまってはよくないわけです。
 そんな中で、小諸の懐古園が見頃になりつつあるという情報が耳に入ってきました。大勢の人が集まっているようなら避けなければならないし、どうしたものかと思案した結果、とりあえず行って見ることにしました。混雑しているようなら入らずに引き返せばよいだけです。
 現地に着いて驚きました。混雑どころかほとんど人影はありません。城内にいた人数は全部合わせても20人足らず。いつもの年なら、数多くの敷物が並び花の宴で盛り上がる旧馬場の一帯などは、誰一人歩いていませんでした。これほど人のいない懐古園は、桜の季節はもちろん、それ以外の時季でも目にしたことはありません。
 長野県知事は、県民に対して緊急事態宣言の出ている7都府県への行き来を基本的に行わず、7都府県に住む人には長野県との行き来を自粛するようにと呼びかけています。一方の7都府県では外出の徹底した自粛が要請されていますので、小諸へ花見に来る人が少ないのはあたりまえかもしれません。
 肝心の桜ですが、枝垂れは満開、ソメイヨシノは5分咲きといったところでした。誰とも接触することなく、本年初の信州の花見を存分に楽しむことができたので、満足はしましたが、ちょっと後ろめたさの残る「三密」なき花見でした。

 人影はなく閑散としている小諸駅前です。
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 駅前の「停車場ガーデン」では、コブシが満開でした。
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 懐古園の城門脇では枝垂れ桜が満開。城内はさぞかしと期待が高まります。
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 ソメイヨシノは五分咲きでも十分見応えがあります。
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 藤村記念館前の枝垂れ桜がみごとでした。
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 石垣の上から「よく来たな」という感じで、桜が見下ろしていました。
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 いつもの年なら、観光客を乗せた人力車が颯爽と駆け抜けていく道ですが、歩いている人は誰もいません。
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 桜の花園となった馬場です。宴が禁止されているので、無人の園と化していました。
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 小諸の固有種といわれる「小諸八重紅枝垂れ桜」です。植樹に力を入れたようで、だいぶ本数が増えた印象ですが、桜より見る人の数が少ないのが残念。
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 いろいろな色の桜を楽しめるのが懐古園のよいところ。
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 天守台の主のように咲き誇る桜です。
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 五分咲きの桜の梢の先に見えるのは浅間山と小諸の市街地です。
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 石垣の上の枝垂れ桜はまるで盆栽のよう。
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 桜の後方に見える建物は、若き日の藤村が教鞭を執った小諸義塾です。
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 いつもなら観光バスなどでいっぱいになる駐車場もごらんの通りです。
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 小諸の桜の見どころは懐古園だけではありません。これはポン太が気に入っている布引電気鉄道廃線跡の桜並木です。
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 浅間連峰の方へとむかうこの桜並木の下が廃線跡です。小諸市の「ふるさと遺産」に認定されています。
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家庭菜園で「コロナ」に対抗

 春らしい陽気に包まれた一日、家庭菜園で汗を流しました。人間ではなく専ら土と対話する作業ですから、「コロナ」に邪魔される心配はなく、もちろん自粛の必要もありません。
 新型コロナウイルスの感染は拡大の一途で、終息の見通しはまったく立っていません。長期戦になると見ている専門家も多いようですから、年の初めに思い描いていた旅の計画や、会合、イベントへの参加も、当分の間棚上げとせざるを得ません。身体を動かすことができ、家の庭で一人で楽しめるものとなれば、ポン太の頭では家庭菜園以外に思いつくものはなく、今年は例年以上に力を注ぐことになりそうです。
 ちょっと大げさですが、冷涼で火山の噴出物だらけの痩せ地における家庭菜園の可能性を最大限試す。それを今年の目標のひとつとすることにしました。まずは土づくりですが、ホームセンターで少し高価な有機石灰入り堆肥を買ってきて、たっぷりすき込みました。土の養分が流れ出さないように菜園の縁にはゴム製の仕切りを設置しました。肥料には魚粉入りの有機配合肥料がよかろうと、それも準備しました。
 最初に植え付けたのはジャガイモです。一般的なものでは面白くないので、昨年同様、皮も中身も赤い「ノーザンルビー」を選択しました。次に、少し早いとは思ったのですが、サニーレタスの苗を植えてみました。まだ氷点下に気温が下がる日もあるので、ビニールの覆いをつけたのですが、この結果がどうなるかはわかりません。
 土作りの手を休めて、頭上を見上げると、アンズの蕾が赤く膨らんでいました。コブシも開花の一歩手前といった感じです。森の中ではギョウジャニンニクが、菜園の片隅ではルーバーブが芽を出し、すくすくと成長しています。「コロナ」さえなければ、この季節の変化が無条件に嬉しく感じられるところですが・・・。

 ジャガイモを植え付けるために新たに整備した「畑」です。一坪菜園どころか半坪あるかないかという規模ですが、土を掘り返し耕すという作業は結構な重労働です。
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 これがノーザンルビーの種いもです。ピンク色の可愛らしい芽がでています。
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 一般的なジャガイモと比べると値段は倍以上です。箱には北海道の大樹町で生産されたことを示すこんな検査合格証がついていました。
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 どちらにも芽の部分が残るように半分に切ったところです。鮮やかな赤色をしています。
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 植えつける前に、切り口に草木灰をまぶします。この草木灰は、昨年、枯れ葉を燃やしてつくっておいたもの。
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 20センチほどの穴を掘って植え付けました。植え付けた個数は全部で18個です。
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 植え付けを終えた後、動物除けにきれいな風車(100円ショップで調達)を挿してみました。家庭菜園ですから、遊び心も必要です。
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 菜園の脇のアンズの蕾がここまで膨らんでいました。開花まであと数日といったところでしょうか。
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 サニーレタスの苗も植えました。レタスは寒さには比較的強いので、どの程度の寒さ対策をしたらよいのかよくわからないのですが、とりあえずこんなスタイルにしてみました。
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 今年もしっかり芽をだしてくれたルバーブです。この10倍ぐらいに成長したら、茎の部分を収穫しジャムにします。
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 森の中のギョウジャニンニクです。毒草のコバイケイソウに似ていますが、ニンニク臭がするので間違うことはありません。
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 引き続き土づくりに励むポン太です。苗屋さんでプレゼントされた帽子を着用してみたのですが、なんだか農協のおじさんみたいですね。
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 浅間山の雪が縮緬のようにみえます。春の山といった感じになりました。
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雪解(ゆきげ)の風情

 前回のブログをアップして間もなく、30センチ強の積雪に見舞われました。まったくもって春は行きつ戻りつです。この時季の雪はすぐに解けてしまうのが普通ですが、今回は積雪量が多かったので、それから数日経った今でも日陰にはまだ少し雪が残っています。
 不思議なことに、雪が無い状態よりも、雪解けが進んでいく様を眺めている方が、より一層春の訪れを感じます。藤村の千曲川旅情の歌に、「しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)日に溶けて淡雪流る あたゝかき光はあれど野に満つる香(かをり)も知らず 浅くのみ春は霞みて麦の色わづかに青し」というくだりがありますが、そんな情感に通じるものかもしれません。雪の中から少しだけ顔を出している花や緑色の葉を見ると、待ち遠しかった春がいよいよやって来たのだという嬉しい思いが、心の底からこみ上げてくるのです。
 雪解の水とともに、新型コロナウィルスも流れ去ってしまうと良いのですが、そうはいきません。浅間山麓では幸いなことに、現時点では感染者は確認されていませんが、今後どうなるのかはまったくわかりません。先週末以来、スーパーの駐車場等では首都圏ナンバーの車が目立つようになりました。軽井沢のスーパーでは、食料品などを一度に4~5万円もまとめ買いする人がいて、棚が空になってしまった由。首都封鎖が現実味を帯びる中で、「コロナ疎開が進んでいるのでは」という声も聞かれます。
 安心を求めて大勢の人がやって来ることで、安全ではなくなることが懸念される中、「首都圏の皆さんもできれば自宅で過ごしてもらいたい」と書き込んだ佐久市長のツイッターが物議をかもしています。地元では、よくぞ言ってくれたという意見も多いのですが、孫や子供たちが東京で暮らしているポン太の立ち位置は微妙です。しばらくこちらへ来て森の中でゆったりと過ごして欲しいと思いながらも、スーパーや飲食店が人で溢れ、「濃厚接触」の可能性が高まってしまっては・・・。ゴールデンウィーク直前の4月23日には、待望のスーパーツルヤ御代田店が新装開店します。雪解の風情に浸りつつも、ちょっと心配なポン太です。


 ポン太の庭も森も雪で埋まりました。
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 生活道路にもこれだけの雪が積もり、通路を確保するための除雪に大汗をかきました。
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 翌々日にはだいぶ雪が解けたので、ウォーキングに出かけました。道端の雪の中から顔を出していたのは咲き始めたばかりの水仙です。
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 雪と緑の葉がコラボしているところはまさに春です。
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 雪の残る民家の庭先では梅が咲き始めていました。満開よりもこのぐらいの方が風情があります。
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 雪はあっても、暖かさを感じる水辺の風景です。
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 日当たりの良い石垣では、芝桜が咲き始めていました。
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 寒さや雪にはめっぽう強いポン太の庭のビオラです。雪の中でもしっかり咲いていました。
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 森の中を流れる沢にも春を感じます。
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 これは紅梅でしょうか。雪の庭に咲いていると、より一層華やかにみえます。
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 「4月23日開業」の幕が掲げられたツルヤ御代田店です。GWにはどれほどの賑わいとなるのか、期待半分、不安半分といったところです。
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行きつ戻りつの春

 テレビのニュースは「コロナ」一色。世界の状況をみれば極東の島国だけが無事に済むとは思えません。
 その島国の某首相の対応は大丈夫でしょうか。唐突過ぎたという問題はあるものの、学校の一斉休校については、「注意喚起」という点で一定の評価はできます。しかし、その後の対応はまったくちぐはぐ。感染拡大への懸念を示しながら、原則として学校の再開に踏み切る指示を出したことで、人々の緊張感が一気に緩んだように見えます。誰だって、学校が再開される見通しならもう安心と思ってしまいます。気が緩んだ人々の行動が何をもたらすことになるのか大変心配です。
 某首相の、M問題やK問題、「桜・・・会」等への処し方から判断しますと、ご自身に責任が及ばぬように周囲には十分な配慮をさせ、自殺者がでても、すべては現場の判断によるものであり、トップとは無関係という信念を貫いておられるように見えます。今後予想される事態に、全責任を負って果断かつ適切な対処ができるのか、タヌキの分際で恐縮ですが、不安でなりません。
 巨大都市の某知事さんが、首都封鎖を口にするなど、警鐘を鳴らし始めました。今まで前面に出ず控えめにしていたのは、この方の持ち味である自分ファースト(再選ファースト、五輪ファースト)のせいであるという声を耳にします。遅きに失した感はありますが、ここはコロナ対策ファーストに徹してもらいたいもの。
 浮き世の先行きは不透明ですが、自然の営みは行きつ戻りつはあるものの、着実に春本番にむかいつつあるようです。浅間山麓のポン太の森では、春の訪れを告げるダンコウバイ(檀香梅)が咲き始めました。平尾山一帯でもその黄色い花が目をひきます。
 里では梅が満開。遠くの雪山とコラボしている梅には、信州の春らしさを感じます。アンズの産地として知られる千曲市では、例年より2週間もはやくアンズが開花し、千曲川の河川敷などはすでにピンクの海。あちらこちらで「春」を感じるこのごろです。

 暖かくなったかと思うとまた急に寒くなり、うっすらと雪が積もる日もあります。
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 そんな日にポン太の森ではダンコウバイ(檀香梅)が開花しました。森の中で最初に咲く花ですが、去年より1週間ほどはやいような気がします。
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 こちらは平尾山のダンコウバイ。冬枯れた森が一気に明るくなります。
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 花びらに透明感があり、ツヤツヤしているところは、ロウバイ(蝋梅)と似ています。どちらも漢字では梅の字が入っていますが、クスノキの仲間ということです。
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 遠目には何の花かわからなかったのですが、これもダンコウバイです。
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 暖かな日差しに誘われたのか、はたまた「コロナ」の及ばない世界に逃れたいという心理か、そこはわかりませんが、平尾山には今まで見たことがないほど大勢の登山者が押し寄せていました。
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 山座同定(山名の確認作業)に余念の無い登山者たち。この日の展望は抜群で、満足度は高かったのではないでしょうか。
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 登山口には水仙が咲いていました。ポン太の庭ではまだ蕾ですから、よほど日当たりがよいのでしょう。
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 里では満開の梅が雪山と対峙していました。
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 桜の名所として知られる佐久市臼田の稲荷神社(稲荷山公園)ですが、今咲いているのは桜ではなく梅です。
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 どうということもない畑の片隅に咲く梅ですが、凛とした美しさを感じます。
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 こちらは千曲川の河川敷をピンク色に染めて咲くアンズです。遠くに見える雪山は、戸隠連峰の最高峰である高妻山です。
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 鏡台山をバックにして咲くアンズです。鏡台山は月の名所として知られる姨捨(田毎の月)の対岸に位置し、月がそこから出る姿が美しいとされる山です。
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なつかしき多摩丘陵の春

 孫の風邪が長引いて登園もままならないという連絡を受け、ここはジイバアの出番と、多摩丘陵の古巣へ助っ人に出かけてきました。
 家の中にばかりいては、運動不足になってしまうので、孫の世話の合間に、近くの丘陵を歩いてみました。すでに桜が咲いているところもあり、浅間山麓と比べると、ひと月はやく季節が進んでいる感じです。これからやってくる浅間山麓の春はもちろんすばらしいのですが、多摩丘陵の春も味わい深いものがあります。
 昔よく散策した絹の道(浜街道)を下り、いくつかの谷戸(やと)を巡りました。谷戸というのは、丘陵地が浸食されてできた谷のことで、多摩地域では一般的にそう呼ばれています。そこは多摩丘陵が住宅地化される以前からの人々の生活の舞台であり、水田、畑、雑木林と古民家が織りなす景観は、東京とは思えないのどかさです。
 嬉しいことに、この地と出会った40年前と変わらぬ風景が保たれているところが多く、浦島太郎にならずにすみます。もちろんまったく変化がないわけではなく、谷戸の入口に近いところは、新築の家が増えた印象です。また、代替わりがその理由なのかもしれませんが、耕作放棄地のようになってしまったところや、手入れが行き届いていないようにみえる庭などがあり、ちょっと荒れた感じがして残念に思いました。それでも、谷戸の中は、街中とは異なるまったりした空気が流れていて、歩くほどに癒されます。
 「絹の道」近くの谷戸は「嫁入谷戸」とよばれていますが、それは「弓射谷戸」が転化したものだという説があります。夜な夜な現れては村の若者たちをたぶらかす妖艶な巫女がおり、魔性のものに違いないと弓で射たところ、たちまちその姿は消え失せ、翌朝になって田に射貫かれた狐が横たわっていたという伝説がその由来です。
 丘陵上に開発されたニュータウンと隣あわせのところに、こうした伝説の残るのどかな谷戸があり、きれいな空気と緑が溢れている。こんな恵まれた環境の下で長年暮らすことができ、子育てをし、仕事にもそれなりに精を出せた幸せを、改めて感じたポン太でした。

 多摩丘陵の傾斜地に植えられた菜の花が満開でした。
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 一見、高原のお花畑のようです。
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 幕末から明治初期にかけて、生糸の集散地八王子から貿易港横浜へ、当時最重要な輸出品であった生糸が運ばれた「絹の道」です。竹林が大きくなった以外は昔と変わりません。
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 このあたりの「絹の道」の雰囲気は幕末からほとんど変わっていないのではないでしょうか。今、生糸を積んだ荷車がやってきても違和感はありません。むかって左手側が嫁入谷戸です。
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 谷戸の片隅に、フキノトウがでていました。
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 かつて散歩をしていて、桃源郷に迷いこんだような気分になった嫁入谷戸です。
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 谷戸の最奥には美しい水田があったのですが、どうやら耕作放棄地と化したようです。
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 花に囲まれた民家をみると、桃源郷のように感じたころを思い出します。
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 よい香りに誘われて歩みを進めると、沈丁花が満開でした。
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 こちらは別の谷戸ですが、緑が一面に広がり、これぞ谷戸の春といった感じがしました。
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 谷戸のむこうには、多摩ニュータウンがせまっています。家がだいぶ増えたような気がします。
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 日当たりのよいところには、花がたくさん咲いていて、目を楽しませてくれました。
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 ニュータウン内の桜は、二分から三分咲きになっているところもありました。
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 ソメイヨシノではなさそうですが、やはり桜はいいですね。ウキウキした気分になります。
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 植えた時期は定かでは無く、おそらく十数年は経っていると思いますが、ポン太が古巣の裏庭に植えた八朔が大きく育ち、たくさんの実をつけていました。孫が喜んで食べているということなので、植えた甲斐がありました。
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春の「冬景色」

 先週末から寒気が強まり、まとまった雪が降りました。東京で桜の開花が報じられたこの時季に、まさかの雪景色です。暖冬で、「雪景色欠乏症」に陥っていたポン太ですから、ちょっと得をしたような気分になりました。雪はまさに白い魔術師です。森や街があっという間に白一色に染め上げられ、風景が一変してしまいます。
 雪は一日中降り続きましたので、雪見を兼ねて、買い物に出かけることにしました。こんな日に出歩く人は少ないでしょうから、スーパーはガラガラで、コロナウイルス感染を心配することなく、ゆったり買い物ができるに違いない。そう思ったのですが、おっとどっこい、軽井沢のツルヤはかなりの混雑で、レジには列ができていました。同じことを考えた人が多かったのかもしれませんし、外食を敬遠し食品・食材を購入しようという人が増えている証なのかもしれません。
 行き帰りに目にした沿道の風景は、やはりいつもとは別物でした。とくに追分宿あたりは、広重・英泉の「木曽街道六十九次」の絵のようで、風情がありました。本物の「木曽街道六十九次」の中で雪景色が描かれているのは、板鼻、和田、大井の3箇所ですが、もし雪の追分宿を描けば、こうなるのではと想像されます。
 雪景色を堪能した後、ドラッグストアに立ち寄りました。今まで使用していた体温計の誤差が少々気になっていたので新調しようと考えたからです。ところがなんと、最初に立ち寄った店だけでなく、近隣の数軒の店がすべて在庫ゼロ、入荷予定もなしというのには驚きました。マスク、消毒液のみならず体温計まで消え失せてしまうとは。これまた買い占めている輩でもいるのでしょうか。
 必要なものが手にはいらず、お花見のイベントやコンサートは軒並み中止。春の雪景色はあっという間に消えてしまいましたが、春になっても世の中の「冬景色」は居座ったままです。

 雪に霞む国道18号バイパスです。
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 その下を流れる墨絵のような湯川です。
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 ツルヤの駐車場はかなり埋まっていました。
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 買い物中のご主人様を待つワンちゃん。時折降りかかる雪をものともせず、両足をそろえた不動の姿勢で待っている姿は、現代のハチ公のよう。
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 木々も野原も白一色となりました。
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 信濃追分駅付近の雪景色です。
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 別荘地帯の森も雪化粧して、より一層きれいに見えます。
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 追分宿に入っていく坂道も風情があります。
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 追分宿の雪景色を描くなら、この場所がよいのでは。
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 一夜明けたポン太の森です。見慣れた風景も輝いて見えます。
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 裾野まで雪化粧した浅間山です。このスカッとした風景を見れば気分も明るくなります。 
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アウトドアなら大丈夫 - 麓も楽しい平尾山

 不要不急の外出は避けよというニュースを耳にする毎日です。確かに人混みや密閉空間へ出かけることは控えるとしても、人の少ない屋外で身体を動かすことは、むしろ奨励すべきではないかと思います。家の中に閉じこもってばかりいると、免疫力低下が心配になってしまいます。ダメダメばかりの報道ではなく、比較的安全にできることは何か、こんな楽しみ方もある、といった情報も流して欲しいものです。ただし、マスコミの影響力は大きいので、特定の場所を紹介したりすると、そこに人が集まりすぎてしまい、かえって危険が増すということも考えられます。要は、人の動きに惑わされず、自分で考えて行動することが大切だということでしょう。
 誰でも簡単にできる運動といえばウォーキングです。人の少ないところを選んで歩けばマスクも必要なし。晴天に恵まれれば気分も爽快です。同じところばかりでは飽きてしまいますが、そこは工夫の余地ありで、たとえ道ひとつでもふだんと違うところを歩けば、景色が変わり楽しみも増します。
 このブログで何度もとりあげ、その魅力を熱く語っている平尾山ですが、その麓はあまり歩いていないことに気づきました。そこで、いつもは山頂を目指して登って行く道の反対側のエリアに足を運び、歩き回ってみることにしました。今まで知らなかった数多くの遊歩道が整備されていて、ルート選びも自由自在。森の中には、フィールドアスレチック(もちろん無料です)の施設もあり、多様な運動が可能です。桜の木も多いので、お花見シーズンなどは、弁当持参で来てもよさそうです。体力づくりにはもってこいの場所ですから、一斉休校中の生徒たちが大勢来ているのでは思ったのですが、人影はゼロ。森の中のウォーキングなどというものには、若年層は興味がないのかもしれませんね。

パラダスキー場の南側ゲレンデから見上げた平尾山の稜線です。暖冬の影響で、このゲレンデは、今季は一度もオープンできませんでした。この周辺が公園として整備されていて、恰好のウォーキングコースになっています。
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 ゲレンデの近くにこんなものがあるのを「発見」しました。説明板よれば、一本松古墳群の第三号墳で、横穴式石室になっている由。古墳時代末期(7世紀後半~8世紀初頭)につくられたもので、平尾山南麓の下平尾集落付近に住んでいた有力者の家族墓ではないかということです。そんな時代からきっと豊かな土地だったのでしょうね。
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 歩いているうちに「見晴らしの湯」の裏に出ました。桜の木が多いので、開花が楽しみです。
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 森の中のアスレチック施設です。アップダウンがあるので、全部の施設をめぐると相当な運動量になりそうです。
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 アスレチック広場の入口にこんな看板が出ていました。左端の「クマ注意」にどうしても目がいってしまい、入るのを躊躇する人が多いかもしれません。とてもよい施設なので、もう少し丁寧な説明が欲しいような気がします。
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 こちらの看板には「冒険家と忍が暮らす霧隠れの里、平尾山」とあり、見ているだけで楽しくなります。孫がもう少し大きくなれば、忍者気分で森の中を飛び回ることでしょう。ジイジがついていくのは大変かもしれませんが・・・。
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 オープンできなかったゲレンデのリフトの下に、何やら動物の影を発見。えっ、この時季にクマ?、しかもシカと一緒?と驚いたのですが、余興の置物でした。
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 いつも山頂から眺めて感激している北アルプスですが、里から見ても絵になります。集落の後ろに見えているのは、穂高連峰(右端は槍ヶ岳)です。
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 こちらは鹿島槍ヶ岳(左端)から白馬岳(右端)へと連なる後立山連峰です。
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リスクだらけの日々なれど

 日本中どこで生活していてもリスクがゼロということはありえません。ここ浅間山麓で最大のリスクとされているのは浅間山の噴火です。特に、積雪期に噴火した場合には、融雪型泥流が発生し、大きな被害をもたらすと考えられています。しかし、今年は暖冬で雪が少なく、火山活動が活性化しているわけでもないので、その心配はなさそうです。
 最近、しばしば目にするのが火災です。わが家から徒歩圏内の中山道沿いにある金属加工工場が全焼したのには驚きました。そこで働く外国人労働者の姿をよく見かけましたので、彼等の生活がどうなってしまうのかも気がかりです。小諸の日帰り温泉施設へ行く途中の北国街道沿いでも民家が焼け落ちている姿を見ましたし、上田の太郎山に登った際には、市内の住宅地から火の手が上がっているのが見え、煙の匂いが山中にまで漂ってきました。翌日の新聞によれば、火元に隣接した数軒が焼けるという大火だったようです。春先は、空気が乾燥しているだけでなく、風の強い日が多いので、火の元には十分注意する必要があります。鍋を火にかけたことを忘れ、黒焦げにした前科のあるポン太ですから、他人事ではありません。
 今、全国的に広がっているリスクといえば、もちろん新型コロナウイルスの感染です。当地でも、感染の心配がないわけではありませんが、現状では、その余波の方が大きいように思います。マスクが入手困難になっているほか、イベントの中止も相次ぎ、町立の図書館、博物館も休館となりました。保健所を名乗り、家族構成や資産などを聞きだそうとする怪しげな電話(アポ電?)もあるというのですから、とんでもない話です。
 テレビで、トイレットペーパーやティッシュの買い溜めが横行している様子をみて、都会の連中はすぐそんなデマ情報にまどわされて買いに走るんだからと、あきれていたポン太ですが、翌日、ドラッグストアに行ってみると、なんとそれらの棚は空っぽ。出所がデマであれ、無くなっては困るのでとりあえず買っておこうという心理は、都会も地方も同じでした。
 新聞の折り込み広告を見ていたポン子が、「あらすごいわよ」というのでそのチラシをみると、貴重な紙面の半分を割いて、消費者に冷静な対応を求める文言が書かれていました。家から少し遠いので、たまにしか行くことのないナナーズというスーパーですが、ポン子が、この姿勢はすばらしい、今日はここに買い物に行きましょう、というので出かけました。店内に入ったところに、「マスクが入手できず大変お困りの方は、サービスカウンターへどうぞ」という張り紙がありました。このような姿勢は確かに評価できます。いつもより少し高価な食材を購入してしまったポン太でした。

 浅間山山頂付近の雪は、ご覧のとおり少なく状況です。
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 里から見てもこのとおりです。右手の建築中の建物は、4月23日のオープンをめざしているツルヤ御代田店です。
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 以前の御代田店と比べるとかなり規模が大きいように見えます。
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 中山道沿いの全焼した工場です。火災が起きたのは夜間ということで、翌朝その前を通って驚きました。
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 上田の太郎山に登り、山頂付近の神社から市街地を見下ろすと、住宅密集地から煙があがっていました。この季節は火の元要注意ですね。
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 新型コロナウイルスの余波は、小さな地方の町にも様々な影響を及ぼしており、よく利用している図書館もご覧のとおりです。
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 博物館も休館です。
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 コンサートも中止のお知らせが掲示されていました。
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 マスクはまったく手に入らず、近くのドラッグストアには、こんな掲示が出されたままです。
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 こちらには、除菌・消毒関連商品も在庫なしと掲示されていました。中国語も併記されており、地方でも外国人居住者の存在が普通になっていることがわかります。
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 ポン子がおどろいた新聞折り込みチラシがこれです。真摯な取り組みが功を奏したのか、棚には隙間が目立つものの、トイレットペーパーもティッシュも品切れにはなっていませんでした。
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東京都電福神橋停留場~忘れ難き終着駅(12)

第12回 都電24系統福神橋停留場(東京)
 廃線跡と聞けば、過疎地を思い浮かべる人が多いと思いますが、実は東京ほど廃線跡だらけの場所はありません。かつては、山手線の内側から東側にかけてのエリアを中心に、稠密な都電の路線網が形成されていました。高度成長下でモータリゼーションが進行し、道路渋滞が常態化すると、都電は邪魔者扱いされるようになり、1972(昭和47)年までに、荒川線(32系統と27系統の一部を合体)を除くすべての路線が姿を消してしまったのです。したがって、都区内のちょっとした大通りはどこもかしこも廃線跡というわけです。
 都電には、運行系統を示す番号が付されており、どこかへ出かけるにはまずその番号を把握する必要がありました。たくさんあった系統の中で、特に印象深いのが24系統です。神田駅に近い須田町(ここはたくさんの系統が集まる都電の大ジャンクションでした)を起点に、上野広小路から上野駅前を経て浅草の雷門に至り、吾妻橋で隅田川を渡り、京成の押上駅前から柳島を経て福神橋に至るという系統でした。経由地の地名を聞いただけでおわかりになると思いますが、典型的な下町路線で、みどころがいっぱい。もしも存続していて、お洒落な観光電車でも運行していたら、インバウンド客に大人気となったことでしょう。東京に行ったら絶対に乗るべき「三つ星」の乗り物にランクインしたかもしれません。
 柳島から終点の福神橋にかけては、北十間川に沿って走り、柳島の名のとおり美しい柳の並木が続いていました。下町情緒たっぷりで、乗っていてつくづく「都電っていいなぁ」と思いました。そして、これほど魅力的な路線があっさり廃止されてしまうことへの憤りも感じました。
 路面電車(軌道)の場合、乗降する場所は駅(停車場)ではなく停留場ですから、終着駅というのはおかしいな表現ではあります。されど、数ある都電の終点の中で最も強い印象を受けたのが福神橋であり、そこへ至る柳島界隈の雰囲気が何よりすばらしく、「忘れ難き終着駅」の1つとして取り上げないわけにはいきません。
 新型コロナウィルスの感染拡大で、世の中殺伐とした雰囲気ですが、昔の都電の写真を眺めていると、少しばかりのどかな気分になれます。こんな時こそノスタルジーに浸って癒されたいもの。その一助となれば幸いです。

  1968年(昭和43)年の都電路線図の一部です。左上の須田町と右下の福神橋を結ぶ赤線で示されたルートが24系統です。
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 都電24系統の起点だった須田町の風景です。停留場に福神橋行の電車が停車しています。(1971年5月3日撮影)
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 上野公園の下を行く24系統の電車です。この日は祝日でしたので、公園入口の階段が大勢の人で溢れています。(1971年5月3日撮影)
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 今は無き仁丹塔を背に浅草へとむかいます。(1971年5月3日撮影)
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 雷門前を行く都電と都バスです。沿線は観光名所だらけでした。(1971年5月3日撮影)
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 浅草電停です。左手の地下鉄出入口上屋と電車の後方の神谷バーは今も健在です。(1971年2月3日撮影)
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 東武浅草駅前を行く都電です。この時代の浅草駅ビルは、ほぼ創建当時のままの姿でした。(1971年2月3日撮影)
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 柳島橋を渡る都電です。この少し手前に柳島の電停があり、その横が柳島車庫(柳島電車営業所)でした。(1971年5月3日撮影)
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 北十間川に沿う柳島付近の風景は都電とお似合いで、風情がありました。(1971年5月3日撮影)
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 これが柳島電車営業所です。
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 ずらりと並んだ都電は壮観でした。(1971年5月3日撮影)
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 柳島の1つ先が終点の福神橋。のどかで雰囲気のよい停留所でした。電車に乗ろうとしている女児の姿が時代を感じさせます。(1971年5月3日撮影)
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やっと出会えた平尾山の霧氷

 明日から3月です。いつもの年なら、桜の開花時期を予想するなどして、心が浮き立つところですが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大に関する話題一色。高齢者は重症化リスクが高いといわれており、あちらこちらの「古希を祝う会」に出没していたポン太も気にせずにはいられません。
 自分でできる予防対策は、マスクと手洗いぐらいですが、マスク不足は浅間山麓でも深刻で、家の近くのドラッグストアはどこも在庫ゼロ。昨年暮れに買っておいたマスクでなんとかしのいでいる状態です。
 もう1つのウィルス対策とされるのが、免疫力の向上です。若い人と比べると、高齢者の免疫力は1~2割程度だそうですから、少しでも向上させる必要があります。専門家の話では、ウォーキングが効果的で、さらにその上を行くのが山歩きである由。山歩きは大好きですし、山中ではジムや体育館のような「濃厚接触」の恐れもないので、このところせっせと里山(大半は平尾山)に足を運んでいます。その結果、なんと山歩きに出かけた回数が2月としては最多の10回に達しました。2月は日数が(閏年でも29日と)少なく、雪の心配もあることから、いつもの年なら数回がせいぜいでしたから、これは「快挙」といえましょう。ポン子などはポン太より1回多い11回と、一年を通じての月間最多回数を更新しました。
 平尾山の神様がこの快挙を喜んでくれたのかもしれません。2月としては最後に平尾山に登った日に、思いがけないご褒美がありました。それは、今冬はもう無理かとあきらめていた霧氷を見ることができたことです。少し強い寒気(といっても例年並みだそうです)が流れ込んだことで、いつもの風景が一変し、まるでガラスの宮殿に迷いこんだような美しさでした。しかし、昼過ぎに気温が上昇すると、あっという間に霧氷は消え、元の冬枯れた山にもどってしまいました。ちょっと切ないところは、シンデレラの魔法のようです。
 どこかに魔法使いがいて、新型ウイルスを一瞬にして消してくれると有り難いのですが、そうはいかないでしょうね。


 尾根まで登ると、松葉がガラス細工のように光っていました。
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 その先の尾根道はまるでガラスの宮殿です。
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 風が強い場所では霧氷が羽のようになっていました。
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 いつもの尾根がこの美しさです。霧氷は、冬の里山の最大の楽しみといってよいでしょう。
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 頂上付近の木々にも、ご覧のとおり、霧氷の花が咲いていました。
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 霧氷がつくと、松の木でさえ花が咲いたように見えます。
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 上信国境の山々も上部が白くなっていました。おそらく霧氷になっているのでしょう。
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 いつもより風情を感じる山頂です。このまま下りてしまうのがもったいないような気がしました。
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浅間山麓のスケート事情

 ポン太がスケートに親しむようになったのは、新宿歌舞伎町のスケートリンクにおいてでした。高校生のころに歌舞伎町に出入りしていたなどというと、相当な悪ガキのように思われるかもしれませんが、実は、当時通っていた都立T高校では、ミラノ座の上階にあったリンクを貸切にしてスケート教室を開催していたのです。毎日通ったのでそれなりに滑れるようになりました。そうなるともっと大きな本格的リンクで滑ってみたくなるのが人情。友人と連れだって出かけた先は、軽井沢スケートセンターでした。
 当時の浅間山麓は、スーケートのメッカと目されていました。寒冷ではあっても雪の少ない地域ですから、冬のスポーツあるいはレジャーとしてスケートが重視されたのはもっともなことです。西武資本により1956年に千ヶ滝に開設された軽井沢スケートセンターはとりわけ有名で、最盛期には首都圏から夜行バスで訪れる若者たちでたいそう賑わっていました。実はポン太も夜行バス組の一人でした。  
 浅間山麓のスケート場は、軽井沢スケートセンターのほかにもたくさんありました。冬の寒さは今よりもずっと厳しく、厚い氷が張った池はどこもかしこも恰好のスケートリンクになっていたからです。今では信じられないことですが、軽井沢町の塩沢湖や現在の大賀ホール横の池(東急のリンクだったような気がします)、レイクニュータウンの「レマン湖」、御代田町の雪窓湖などでも、スケートを楽しむことができたのです。
 現在、ポン太の散歩コースになっている、軽井沢町と御代田町の境に、かつては西軽井沢温泉・ホテル浅間(開業時はヘルスセンター浅間)という宿泊施設がありました。開拓民が水田の開墾中に温泉水を発見したことがきっかけだったそうですが、1966(昭和41)年にホテルを開業。敷地内にはかなり大きな池があり、たまたま冬に訪れた際に、結氷したその池でスケートに興じたことがあります。ホテル内には外来入浴可能な温泉もあり、そこには何度もお世話になりました。鉄分の濃い温泉でタオルが真っ赤に染まったことを覚えています。経営的にはうまくいかなかったようで、開業から僅か数年で廃業してしまいました。その跡地はしばらく更地になっていましたが、2007年にヴァンデュール西軽井沢という温泉付きリゾートマンションが建ち現在に至っています。
 思い出深い軽井沢スケートセンターは、老朽化等の理由により、2009年に閉鎖されてしまいました。現在、浅間山麓でスケートができるところは、軽井沢町が塩沢湖の南側の風越公園に開設したスケート場(屋外)とアイスアリーナ(屋内)、それに、天然リンクの伝統を絶やさぬようにと2012年に星野エリアに復活したケラ池スケート場の三箇所ぐらいです。
 もはやスケートのメッカとはいえませんが、カーリング場という新たな施設が加わり、プリンスやパラダといった人工雪のスキー場もできましたので、ウィンタースポーツの総合エリアに昇華したということができるのかもしれません。
 こんなことを書いているうちに、久しぶりにスケート靴を履いてみたくなりました。えっ、年寄りの冷や水だと、そうかもしれませんね。

最盛期の軽井沢スケートセンターです。このリンクの他に屋内リンクもありました。周辺には西武百貨店や宿泊施設、売店、飲食店、テニスコートなど様々な施設がありましたが、いまは日帰り温泉施設(千ヶ滝温泉)を除いてすべて消滅しました。(1965年12月撮影)
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長野オリンピックが開催されていた時期の塩沢湖です。完全結氷していて、湖上でカーリング体験もできました。暖冬の今年の様子からは想像もできません。(1998年2月撮影)
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御代田町にあった西軽井沢温泉「ホテル浅間」です。カラーフィルムが劣化して、こんな画像になってしまったのは残念ですが、だいたいの様子はおわかりいただけると思います。この写真では隠れてしまっていますが、建物の手前にかなり大きな池があり、冬季はスケートができました。(1966年8月撮影)
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これが上の写真と同じ場所の現況です。後方の大きな建物が、リゾートマンションのヴァンデュール西軽井沢ですが、そこがかつてホテル浅間のあった場所です。手前の草地や畑はゴルフ練習場となり、池も埋め立てられてその一部になってしまったようです。
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これがその池の冬季の様子です。颯爽と滑っているこの青年、何を隠そう若き日のポン太です。(1970年1月撮影)
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結構な広さがあり、大勢の人がスケートを楽しんでいました。(1970年1月撮影)
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背後に写っている山のシルエットからみて、上の写真を撮影した場所は、現在のゴルフ練習場の奥のフェンスあたりではないでしょうか。
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かつての軽井沢スケートセンターの代わりなっているのが、風越公園に町が整備したアイスパークです。この入口の奥(裏側)に屋外リンクが、右手にカーリング場があります。
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二階のロビーのガラス越しに屋外リンクとカーリング場を見ることができます。
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国際大会も可能なカーリング場です。町民チームが練習していました。
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屋外リンクは400mの本格的なもの。利用料は1日800円(町民は半額)ですから、かなりリーズナブルといってよいでしょう。
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現在、唯一の天然リンクとして営業しているケラ池ですが、一部は人工的に凍らせているので、正しくは半天然リンクです。
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とにかく今年は異常な暖冬ですから、ポン太の散歩コースにある池(七口池)もご覧のとおり、氷の「こ」の字もありません。今後も温暖化はとまりそうもなく、昔のように天然リンクでスケートを楽しむなどということは、夢のまた夢といったところでしょうか。
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懐かしき景信山

 古希記念の同期会、古い友人や知人との再会、御茶ノ水橋都電レール保存会の方々との会合、そして最もハードな孫の世話等、この一週間、都内を忙しく動き回ってきたポン太ですが、それらの間隙を縫って、昔なじみの景信山に登ってきました。
 多摩地域をねぐらにしていたころ、数えきれないほど足を運んだのが、高尾山・陣馬山周辺の山域です。おそらく登山地図に記載されているルートはすべて踏破しています。どんなルートを辿っても経由する可能性が高いのが高尾山と陣馬山の中間に位置する景信山です。縦走の途中で立ち寄るだけではなく、この山だけを目的に登ることもあり、回数としては一番多く登ったのが景信山ではないでしょうか。
 いつも人が溢れている高尾山と比べて、静かな山歩きが楽しめ、展望も良いので、この山はポン太の大のお気に入りでした。景信山頂小屋の名物は、ナメコ汁と野草のてんぷら。それらを注文し、持参したおにぎりと一緒に食べるのが楽しみで、天ぷらにすればいろいろな草や葉を食べることができるということも学びました。そのおかげで、今も、蕎麦のお供に、わが家では山野草の天ぷらをよくつくります。
 久しぶりに登ってみて、あらためて、登りやすく気持ちのよい山だと思いました。少々残念だったのは、昨秋の台風19号の爪痕がまだ残っていて、小仏峠を経て小仏バス停へ下るルートが通れず、中央道脇からのルートで往復せざるをえなかったことです。
 この日は絶好の登山日和。山頂からの眺めもよく、スカイツリーや都内の高層ビル群がよく見えました。信州の里山なら盆地の先に屏風を立てたような北アルプスを望むことができるのですが、平野の先に見えるのが「ビル連山」というのは東京ならでは。これもまた良きかなです。西方には少し雪のついた丹沢の山々、さらに真っ白な富士の姿を望むことができました。
 こんなすばらしい山を手軽に楽しむことができるのですから、東京も捨てた物ではありません。仕事や人間関係でちょっと疲れた時にこの山に登ると、悩ましいと思っていた事が取るに足らないことのように思えてリフレッシュできる。そんな経験を何度もしましたので、今思えば、本当に有り難い山ということができます。守護神ならぬ守護山です。現在の守護山は佐久の平尾山ですが、ポン太にとって元祖守護山にあたる存在が景信山であることは間違いありません。
 東京在住のみなさん、このすばらしい山にぜひお出かけください。心身ともにリフレッシュすること間違いなしですよ。

 信州の山と違って暖地系の常緑樹がかなりあり、冬場でも緑の中を歩いている気分になれます。
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 浅間山麓では4月に咲くダンコウバイがもう咲いていました。
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 尾根に出て高尾山から城山へと続く山並みを目にすれば気分は爽快。登ってきた甲斐があります。
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 目の前の景信山は杉また杉。たっぷり花粉を放出しそうな雰囲気ですから、花粉症の方はマスクが必要かもしれません。
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 一休みするのにちょうどよい鞍部があります。そこは小下沢(こげざわ)へ下るルートの分岐点なのですが、その入口にはロープが張られて通行止めになっていました。ここも台風19号にやられたようです。まだ復旧していない登山ルートも多く、プランを立てる際には注意が必要です。
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 最後の急登をのぼりきれば、大展望の待つ山頂(標高727m)です。2月の平日でもかなりの登山者がいました。
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 東方を眺めると、ビルの山とスカイツリーが見えます。
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 この日は営業していませんでしたが、これが野草の天ぷらを食べさせてくれる頂上小屋です。昔と変わらぬこの素朴な佇まい。それもまた魅力の1つだと思います。
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 西方に目をやると、相模湖と丹沢の山々が一望できます。
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 そして霊峰富士の姿も。
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 景信山の麓、裏高尾エリアは梅の名所です。いつもの年より早いのではないかと思いますが、満開の梅を楽しむことができました。
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鼻顔稲荷(はなづらいなり)の初午祭

 佐久市岩村田にある、鼻顔(はなづら)稲荷神社の初午(はつうま)祭にでかけてきました。昨年は都合がつかなかったので二年ぶりです。参道にはたくさんの露店が並び、普段は人影も稀な通りが、人また人で埋め尽くされる、当地最大と言ってもよい祭です。どうしてこんなに人が集まるのか、そもそも初午とは何なのでしょうか。
 初午は2月最初の午の日のことで、旧暦の2月は新暦では3月にあたりますから、ちょうど農作業の準備を始めるころです。そこで農耕の神様を祭る盛大な行事を行う必要があるというわけです。なぜ稲荷神社なのかといえば、稲荷は「稲生り」に由来するということで、稲荷神=農耕の神だからです。
 稲荷といえばキツネがつきもの。キツネは稲荷神のお使いという扱いですが、キツネは農作物を荒らす小動物を食べてくれる有り難い動物なのでという説があり、なるほどと納得してしまいます。そこでお供え物となるのが、キツネの大好物(本当かどうかはわかりませんが)とされる油揚げです。それを煮てご飯とドッキングすれば稲荷寿司となるわけですが、そちらをキツネにお供えしてはダメでしょうね。キツネが米を好んで食べるようになったら、益獣ではなくなってしまいますから。ポン太は稲荷寿司が大好きですが、誰からも有り難く思われていないタヌキが食べる分には問題はないでしょう。
  鼻顔(はなづら)稲荷神社の初午祭では、ダルマが大量に売られ、それを目当てに大勢の人がやってきます。稲荷神と中国禅宗の開祖とされるダルマの関係性はよくわかりませんが、まあとにかく賑やかです。一年に一度だけやってくる、魔法にかかったような1日といって良いでしょう。ちなみに、鼻顔稲荷の初午祭は、毎年2月11日に行われています。カレンダー上の初午ですと平日になってしまう可能性があるので、祝日の11日に行うようにしたものと思われます。


 ふだんの鼻顔稲荷神社はこんな感じで閑散としています。
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 ところが初午の日はご覧のとおり。
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 鼻顔稲荷神社に通じる道も、いつもは歩いている人すら見かけません。
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 それが露天商通りに大変身です。
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 どこからこんなに人が出てくるのかと思えるほどの賑わいです。
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 震災復興支援でしょうか、青年団のような組織が大船渡のホタテを焼いて売っていました。よく見ると「ブラタモリで放映されました」の掲示が。「ブラタヌキのブログに載りました」とはならないでしょうね。
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 神社の境内にはダルマを売る露店がいっぱい。
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 「旦那、思い切ってこちらの大きいのはいかが。縁起物だよ!」 値段を見たら12000円でした。さあどうする。
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 大勢の人が買い求める標準的なサイズはこちら。この値段、高いのか安いのか。相場を知らないポン太にはわかりませんが、縁起物と考えればまあリーズナブルかなぁ。
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 おっとでましたキツネさん。なかなかの美形です。子ギツネが可愛いですね。
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 本殿の前には、お参りを待つ長い列が。
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 神社の脇を流れる湯川の水面には、鳥たちがのどかに群れていて、春の訪れを感じさせます。後方は八ヶ岳連峰です。
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 河原には古いダルマや飾り物が積み上げられていますが、夕闇が迫るころ、これらを燃やす「おたきあげ」が行われます。後方に聳えているのが懸崖づくりの社殿です。
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 これは、二年前の「おたきあげ」の様子です。
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 いつもこのブログをご覧いただき有り難うございます。諸般の事情により、次のブログ更新まで1週間ほど間隔が開いてしまう可能性大ですが、ご容赦ください。

同級生のイベントと渋谷の変貌

 古希をむかえ、同期会、クラス会など旧交を温める機会が増えました。何十年も前に同じ学校で僅かな期間を共にしたというだけのことなのに、どうしてこれほど懐かしく思えるのか不思議な気がします。これはやはり時代と場所の共有ということが大きいのではないでしょうか。「こんなことがあったね」に対して、「そうそう、そうだよね」という答えがかえってくるのと、「ふーん、そうなの、何それ」の違い。前者だと安心感が得られ、一瞬にして気持ちが通じたような気になるのです。それぞれに違う人生を歩んできたわけですし、考え方も異なると思いますが、この安心感があればこそ、いつまでも繋がっていられる、そんな気がします。
 先日、高校時代のクラスメイトであるK君が、「たそがれアート展&コンサート」を開催するというので、出かけてきました。美術館を貸し切りにして、ご自身が趣味で描いてきた絵画を展示するとともに、定年後に習い始めて練習を重ねてきたフルートの演奏を披露しようというもの。作品展示には、同級生4名が友情出品しており、コンサートでは奥様がピアノ伴奏、娘さんやお孫さんもピアノや歌で「ゲスト」出演しました。お洒落でなんとも素敵な雰囲気。このイベントにつきましては、クラスメイトのI君が、ご自身のブログ「ギャラリー静河」で詳しく紹介していますので、このページ右側の「マイリンク」から「ギャラリー静河」をクリックしてご覧ください。
 家に帰った後もしばらく余韻に浸っていたポン太ですが、これほどのレベルではなくても、いつか作品展示とコンサートをやってみたいものだと思い始めました。旧交を温めることで、過去ではなくこれからの夢も生まれたのです。

 美術館を会場にしたコンサートの様子です。
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 作品展はこのような感じでした。   
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 会場にむかう途中で、渋谷に寄り道しました。地下鉄銀座線の渋谷駅が移転し、オープンしたというのでその様子を見たかったからです。東口広場の上に設けられた新駅です。
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 かつては、地下鉄なのに駅前広場の上空を横断し、ビルの三階に発着するという面白みがあったのですが、地下線を出るとすぐに駅に到着してしまうので、地上に出た感じすらしません。この写真は新駅から表参道側を見たところです。
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 新駅から旧駅側を見たところです。反対側に車庫があるので、単線の線路が残されています。
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 新駅になる前はこんな感じでした。わずか7年前の写真ですが、はるか昔のような気がしてしまいます。
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 渋谷は町全体が大改造中で、昔のイメージが全部消えてしまいそう。ハチ公前のこの風景も見納めです。ちなみに初代ハチ公像が設置されたのは、東横百貨店(東館)開業と同じ1934年でした。当時はまだ西館はなく、その基になる玉電ビルが完成したのは1939年です。
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 地下の通路で、東横デパートの懐古写真展をやっていました。
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 あまり関心を示す人はいません。「明治は遠くなりにけり」どころか「昭和は遠くなりにけり」ですね。
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 西館の店内には、こんな横断幕が掲げられていました。大規模開発に伴い、3月末で営業終了となる由。
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やっと来た冬将軍

 なにしろ今年は異常な暖冬で、気温は下がってもせいぜい零下3~4度。こんなものは浅間山麓の冬ではありません。このまま春になってしまったら、気の抜けたビールを飲み、サビ抜きの寿司だけを食べたような物足りなさを感じるところでした。ところが今朝起きて外に出てみると、吐く息は真っ白で、頬や指先がピリピリします。これこれ、これだよ浅間山麓の冬は。
 立春をすぎた今頃になってやってきた冬将軍。大歓迎とばかり、防寒服に着替えてウォーキングに出かけました。国道18号に出ると、道端に表示されていた気温は-14度。こんな数字をみたのは今季初めてなのでちょっと興奮してしまいました。残念だったのは、木々が霧氷になっていないことです。このところ乾燥状態が続いていたので、空気中の水分が足りないのでしょうか。
 いつもの水辺(御影用水)に行ってみると、水面から蒸発した水蒸気が霧となって立ちこめ、そこに朝日が差し込んでなんとも幻想的な風景になっていました。この現象を「けあらし」と呼ぶようです。思わず見とれていると、霧の中から犬を連れた散歩者が次々と現れました。寒そうにしている人はおらず、氷点下14度の世界を楽しんでいるように見えました。
 こんな日に外を歩き回っていて、本当に寒くないのかって?そりゃぁ寒いですよ。要は気の持ちようです。浅間山麓で何年か暮らしていると、冬とはこういうものだという覚悟ができてきます。そして、その凛とした寒さを心地よいものと感じるようになるのです。
 雪があれば、もっと気持ちよくなれるのですが、先月末に降った雪はその後の暖かさでほとんど解けてしまい、今は積雪ゼロ。先月の雪の日に歩き回って撮影した写真もアップしますので、雪の有無でどれだけ雰囲気が変わるのか、ご覧下さい。

 今朝の国道18号です。気温-14度と表示されていました。
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 「けあらし」の水辺です。なんとも幻想的。
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 これぞ冬というこんな景色を見ると、背筋がピンとのびる気がします。
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 犬と散歩する人たちです。氷点下14度をものともせず気持ち良さそうに歩いていました。ワンちゃんも元気です。
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 浅間山も凛とした感じに見えましたが、地面に雪がまったくないのが残念です。
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 空気が澄み渡たり、住宅地からも北アルプスがはっきり見えます。中央部の突起は槍ヶ岳です。
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 さてここからは、先月の雪景色です。まずはわが家の近くの道路ですが、雪が積もるといつもの道とは思えません。
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 中山道では、凍結防止剤を散布する車がせわしく動きまわっていました。
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 水辺に降る雪は風情があります。
雪に霞む水辺 .JPG
 北海道か北欧にでもやってきたような感じになります。
ここはどこ.JPG
 この橋のむこうにはすばらしい世界が待っていそう。
夢の橋?.JPG
 雪の造形美はみごとです。
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 ほとんど車の通らない雪道を、灯油配達の車がやってきました。
灯油を届けに.JPG
 まだ誰も人が歩いていないこんな雪道を見ると歩きたくなります。
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 おっと、これは雪に浮かれて飛び出してきたロートルダヌキかな。
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 雪が積もると絵本の世界のようです。月遅れの間抜けなサンタのソリがやってきてもおかしくないですね。
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道祖神祭りのわら馬引き-御代田町塩野

 昨年の2月に、このブログで、上田市真田町戸沢という集落に伝わる「ねじ行事」をご紹介しました。小さな子供たちがわら馬を曳いて道祖神に詣でる姿が実に可愛らしく、すばらしい伝統行事だと感激したのですが、「わら馬引き」スタイルの道祖神祭りは、なんと浅間山麓の御代田町でも行われていたのです。それも町内2箇所で行われ、1つは中山道の小田井宿、もう1つは浅間山に近い塩野という集落ですから、まさに灯台下暗しです。しかし、それが行われる日時や正確な場所が、町の広報にもホームページにも記載されておらず、よくわかりません。そこで、町役場に電話で問い合わせたのですが、なんとその時点で前者はすでに終了(1月26日だったそうです)していました。後者は2月2日に実施されることがわかりましたので、そこへ出かけてみることにしました。
 それにしても、町の中の小さな集落の行事だということで、外部へのPRがほとんどなされないというのはもったいない話です。小田井の道祖神まつりは御代田町の文化財(民俗資料)に指定されているというのですから、町民だけでなく、ホームページや観光サイトなどで全国に発信すれば、町のイメージアップにもなると思うのですが・・・。
 さて、塩野の道祖神祭りですが、上田で見たものとは全く異なっていました。わら馬自体がかなり大きく、それを参加者みんなで曳いて集落内を歩き、道祖神にお参りするというもの。先頭を行く軽トラの荷台に乗った子供たちが、「道祖神という人は・・・」で始まる歌に合わせて太鼓をたたきます。歌詞は無病息災を祈る内容であるように聞こえました。極めて素朴な行事ですが、旧街道のような雰囲気を宿した塩野の街並みとマッチして、ポン太には大変興味深いものでした。
 出かける前から予想はつきましたが、沿道の観客はほぼゼロ。何もPRしておらず、道を尋ねた地元の人ですら、わら馬の出発時刻やそれが通る正確なルートを知らなかったぐらいですから当然です。これは氷山の一角で、おそらく全国には知られざる地域行事がたくさんあるのでしょうね。

 わら馬引きが行われた塩野は、北国街道の別ルートにあたる旧道沿いの集落です。少し奥に入ると、こんなレトロな風景に出会うことができます。
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 わら馬引きの起点となる道祖神です。
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 いよいよ出発。
わら馬出発.JPG
 まるで本物の馬のような扱いです。
本当の馬のよう.JPG
 きれいに晴れわたった浅間山の麓を進みます。
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 民家のあるエリアに入ってきました。
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 大きなわら馬の後にもう一頭、ちび馬も続きます。
チビ馬も続く.JPG
 先頭を行く軽トラの荷台には、太鼓係の子供が二人。
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 古い集落の中を進みます。このあたりの雰囲気は最高です。
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 集落のメインストリートですが、見物客はほとんどいません。
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 宅老所に立ち寄ったわら馬です。お年寄りとの記念撮影もありました。
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 塩野公民館近くの道祖神前に到着しました。
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 わら馬と一緒に道祖神にお参りです。とくに何かをお供えするということはありませんでした。
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 これが塩野の案内図です。現在地とあるところの近くが、わら馬引きの出発地でした。
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住宅ラッシュとクリニックラッシュ

 異常な暖冬です。先日、待望の本格的な降雪がありましたが、きれいな雪景色(その写真は後日アップすることにします)を眺めることができたのはたった1日だけ。その後の雨とぽかぽか陽気であっという間に解けてしまいました。
 スノーリゾートは困っているでしょうし、冬物衣料や耐寒耐雪グッズは売れず、除雪作業による収益を見込んでいた業者もがっかりしていることでしょう。害虫が死なずに冬を越してしまうことや水不足も心配です。散歩の途中で出会う人の多くが、「寒い季節はやっぱり寒くなければね」と言います。
 雪のない暖冬を歓迎しているのは、作業に支障が生じない建築現場ではないでしょうか。あちらこちらから、ダンダン、コンコンという音が聞こえ、わが家のまわりにも、目下建築中の家が三軒あります。浅間山麓一帯が建築ラッシュの様相を呈しているといっても過言ではないかもしれません。佐久市の北部から御代田町にかけては人口増加も顕著なようです。5年前に佐久平駅前に誕生し、県内で21年ぶりの新設小学校と話題になった佐久平浅間小学校の児童数が急増し、遠からず教室不足となるため、増築工事に着手すると報じられています。
 人口が増えればビジネスチャンスも増える、ということでしょうか。現在、ツルヤ御代田店が規模拡大を目的に改築中ですが、ちらし広告によれば4月23日にオープン予定とのこと。別棟の百円ショップ「セリア」は一足早く本日(1月31日)オープンしました。国道18号沿いに昨年オープンした花屋(GATEフラワーフィールド)は、現在の店の奥に新たな大型店舗を建築中です。
 新たな動きとして少々驚いているのは、クリニックの建設ラッシュです。御代田町から佐久市に入ったところに、まだ開院してそれほど経っていない内科のクリニックがありますが、昨年はその近くに整形外科のクリニックが開院しました。それから間もなく、御代田町内のココラデというパン屋の前に内科のクリニックが開院。その隣地では新たな整形外科クリニックが建設中です。また、ポン太がよく散歩している御影用水沿いでは、「かるいざわ御影用水クリニック」の基礎工事が始まりました。近隣のエリアには既存のクリニックがかなりありますので、素人考えでは大丈夫なのかと思ってしまいますが、しっかり「需要」を把握してのことなのでしょう。
 買い物もクリニックも便利になることに異存はありません。しかし、森の古ダヌキとしては、あまりに都会化(住宅地化)してしまうのはどうかなという思いもないわけではなく、高原らしい自然環境が保たれた、節度ある開発を願うばかりです。


 半世紀前の浅間山麓(ポン太が現在住んでいるあたり)はこんなところでした。ここに家がたくさん建ち、アパートまでできるとは思いませんでした。
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 御代田町には、まだこのような浅間山麓の原形のような風景が残っているところがありますが、住宅地化してしまう可能性がないとはいえません。
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 上の写真のすぐ近くです。少し前までこの道沿いは畑でしたが、今は住宅が建ち並び、その隙間に畑があるという感じです。
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 わが家の近くで建設中の家です。こちらは完成の域に達したようです。
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 ここも、基礎工事が終わったと思ったら、あっという間に家が建っていました。
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 こちらの家もだいぶできあがったようです。
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 昨年、御代田町から佐久市に入ったところに開業した整形外科クリニックです。新しいクリニックがこのエリアにできるなんてと、その時は驚いたのですが・・・。
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 御代田町に開院したばかりの内科のクリニックです。
こまつクリニック.JPG
 クリニックができれば薬局もできます。
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 その隣では整形外科のクリニックが今春の開院をめざして建設中です。
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 御影用水沿いにこんな看板が建ち、重機が動き出していました。
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 新聞にこんな折り込み広告が入っていましたので、早速出かけてみました。
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 本日開店した百円ショップ「セリア」です。半世紀前は、原野の中だったところで、百円ショップの恩恵に預かれるとは。
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 全国展開している百円ショップということですが、デザイン性に優れていて、可愛いらしい小物が多いとか。こんなに便利になってしまっては、浅間山麓の森の中での田舎暮らしなどと言っていられなくなるかもしれませんね。
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やっぱりすごいぞ小諸の風穴

 これまでこのブログで何度か取り上げてきた小諸の風穴(ふうけつ)。世界遺産に認定されている荒船風穴と同じ類のものが小諸市域に存在し、しかも一部は現役で使用されているのですから、それだけでも驚きです。実際に現地を見学し、予想以上のスケールに目を見張りましたが、その本当の価値や歴史的位置づけについての理解が十分とはいえませんでした。もう少し詳しく知りたい思っていたところ、そのものずばり「蚕種貯蔵風穴の歴史と制度-上信地域の風穴の歴史的位置づけ」と題した講演会が開催されることを知り、参加することにしました。
 会場となった安藤百福記念センターのホールは、120人ほどの参加者で満席。「○○で遊ぶ会」よりも「○○を学ぶ会」の方が人が集まるといわれる、カルチャー好きの県民性をここでも再確認です。
 この講演を聞いて印象に残ったことを簡単にご紹介しましょう。
 風穴というのは岩石の隙間から吹き出す冷気を利用した天然の冷蔵庫です。機械式冷蔵庫などなかった時代に重宝されたわけですが、その役割で最も重要だったのは、蚕種(蚕の卵)を貯蔵することでした。自然状態で蚕が繭をつくるのは一年に一回ですが、蚕種を風穴で貯蔵し孵化を抑制することで、年に複数回蚕を育てて繭を生産することが可能になるのです。これにより、当時最大の輸出産業であった生糸の大増産を行うことができたわけですから、日本の近代化を担った蚕糸業を源流の部分で支えた、とんでもなく重要な産業遺産ということができます。
 長野県は蚕種の風穴貯蔵で全国をリードする存在であったそうです。先鞭をつけたのは旧南安曇郡稲核(いねこき)村で、その後県内各地に広がりました。しかし需要増加とともに風穴も急増(粗製乱造で経営も分散)し、蚕種の品質低下が問題となりました。
 貯蔵レベルが一定でない群小の風穴に対して、一箇所で大量に貯蔵ができる最新設備を備えた風穴が必要だとして設けられたのが荒船風穴だということです。その収蔵量110万枚(蚕の蛾の卵が産みつけられた蚕卵紙の枚数)は全国一、営業展開も全国規模であった由。これに影響されて、長野県内でも風穴の改良と大規模化が進められました。長野県内の風穴集中地域トップ3のうちのさらにナンバー1であったのが北佐久郡です。風穴毎の貯蔵枚数を合計すると、荒船に匹敵する計107万枚余(明治43年)となり、その中心をなしていたのが、小諸風穴と氷風穴(両者は隣接エリア)ということですから、たいしたものです。もっともっと注目されてよい産業遺産だと改めて思いました。

 講演会の前に氷風穴を見学しました。氷というのは集落の地名ですから、「こおりふうけつ」と読みます。小諸地区には氷風穴と小諸風穴がありました。規模としては後者の方が大きかったようですが、その跡がよく残っているのは前者です。これはその1つ、5号風穴の入口です。説明板や各種表示が整備されつつあり、見学者にとっては有り難いことです。
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 風穴の遺構がこのようにしっかりした形で残っています。使用時にはもちろん上屋がありました。
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表示といえば、こんなユーモアのセンスが光る注意書きもありました。
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 冷風穴に隣接して、温風が吹き出す温風穴も存在していました。温風穴があったとされる場所で、その説明を聞きました。
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 温風の吹き出し口に蕾のついた梅の枝を挿しておいたところ、あっという間に開花した由。まわりのコケやシダが青々しています。
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 手をかざすと生暖かい空気が出ているのがわかりました。温度は16度もあり、冷え込んだ朝などは、湯気が立ち上るそうです。
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 駐車場の表示は、講演会ではなく「学習会」となっていました。みなさんしっかり学習するつもりで来ているのですね。
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 ここが会場の安藤百福センターです。自然体験活動指導者の養成を目的とした施設ですから、この塔はボルダリング体験用かもしれません。
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散策路も整備されていて、こんな角度で浅間山を望むことができます。
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 これはツリーハウスでしょうか。面白そうなものがいろいろ目につきました。
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 ロビーからの眺めもすばらしく、まるで絵のようでした。
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 安藤百福の像もありました。ご承知のとおり、インスタントラーメンの発明者にして日清食品の創業者、朝ドラ「まんぷく」のモデルになった人物です。
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 講演会が始まりました。右手の方が群馬県から来られた講師の飯塚聡先生です。
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 会場内に展示されていた小諸風穴の宣伝です。いささか大げさなように見えますが、広範囲に顧客を集めるためには必要だったのでしょう。
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 お土産にこんなすばらしいものをいただきました。風穴に貯蔵して熟成させたというその名も「風穴そば」。風穴はいまも役に立っているのです。
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少し残念なイルミネーション事情

 浅間山麓の冬は寒くて長い、そして暗い。今年は暖冬で、気温だけはいつもより高いのですが、夜の闇の深さは例年同様で、都会とは比べようがありません。午後7時を過ぎれば開いている店はほとんどなく、街の灯りが乏しくなる中で、ひときわ目立つのがイルミネーションです。ポン太にとって、冬の楽しみの1つと言ってもよいものですが、ここにきて少し異変が起きています。
 東信地方で最大級、県内人気度第3位といわれた佐久平駅前のイルミネーション「SAKU BLOOM」が、今季(1月5日)限りで点灯を終了してしまいました。設備が老朽化し、更新の費用が捻出できないというのがその理由のようです。軽井沢や御代田駅前にもイルミネーションが飾られていますが、以前と比べると地味になっているという印象は否めません。軽井沢では、クリスマスに合わせたイルミネーションやイベントが名物だったのですが、「恵みシャレー」のように、昨年のクリスマスからイベントそのものを止めてしまったところもあります。
 LED電球の普及とともに盛んになったイルミネーションですが、いまや全国各地どこにでもある平凡な装置と化し、その分インパクトが小さくなり、人寄せ効果も薄れてしまい、派手な飾り付けをしようという意欲が失せつつあるのではないでしょうか。
 しかし、ちょっと待って欲しい。イルミネーションが無くても十分明るい都会ならまだしも、漆黒の闇に包まれる当地で、イルミネーションの灯が消えてしまうと、寂しいだけでなく、外に出る気力が失せてしまいます。なんとか復活してもらいたいのは佐久平駅前「SAKU BLOOM」。資金が足りないのであれば、資金集めの有料イベントを開催するとか、クラウドファンディングを試みるとか、工夫はないものでしょうか。
 少し残念な浅間山麓のイルミネーション事情ですが、もちろんがんばって点灯しているところもあります。エールを送る意味で、今季楽しませてもらった(もらっている)浅間山麓のイルミネーションをいくつかご紹介しましょう。

 御代田駅前のイルミネーションです。簡素な飾り付けですが、もしこれがなかったら、冬の駅前広場は実に寂しいものになってしまうでしょう。御代田駅前.JPG
 こちらは軽井沢駅前。木々はライトアップされていますが、イルミネーション自体は小規模。
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よくみれば可愛いのですが、これが軽井沢駅前なの?とちょっと寂しい印象はぬぐえません。
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 軽井沢のアウトレット(プリンスショッピングモール)では、例年同様のイルミネーションがみられました。
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 ブランド商品のショッピング(ポン太には縁がありませんが)も、この飾り付けがあってこそ気分がもりあがるというもの。
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池に映ったイルミネーションもきれいです。
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こちらは佐久平の名物となっている企業イルミネーション。国道141号沿いにある「樫山」の敷地内です。
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 メルヘン調の飾り付けで見応えがあります。
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 水辺に水を飲みに集まってきた森の動物たち、というコンセプトでしょうか。
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 企業の敷地内ですから、イルミネーションの中を散策することはできませんが、見学者専用の駐車場が用意されていて、道路沿いを歩いて眺めることはできます。
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 企業イルミネーションといえば、御代田町の大井建設工業社屋のイルミネーションもなかなかのもの。漆黒の闇に浮かぶこの姿を初めて見た時は、突然テーマパークが出現したのかと驚きました。
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 とても建設会社の社屋とは思えません。
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 時々色が変わるのが面白く、しばらく見入ってしまいました。国道18号沿いですから、行き交う車には要注意です。
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 イルミネーションの中を散策できる唯一の存在であった「SAKU BLOOM」が、今季限りで終了してしまったのは本当に残念です。
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渚滑線北見滝ノ上駅~忘れ難き終着駅(11)

第11回 渚滑(しょこつ)線北見滝ノ上駅(北海道)

 最近気に入っているテレビ番組の一つがNHKの「日本人のおなまえっ!」。人名だけでなく、地名など様々な名前の由来を掘り下げていく内容が面白く、なるほどと納得することが多いからです。
 鉄道路線の「おなまえ」も興味深いものがあります。国鉄時代には、地域ごとに「○○線の部」と称するグループに分けられ、そのグループの中心をなす路線に本線の名を与えるというルールがありました。例えば「東北線の部」の盟主は東北本線で、その下に両毛線や日光線などがあるというスタイルです。江戸時代の藩に例えれば、本線=殿様、支線=家臣のような感じでしょうか。
 国鉄の分割民営化という時代の流れの中で、不採算と見なされた多くの支線が姿を消して行きましたが、本線まですべて消滅というケースは稀です。その稀なケースに該当したのが北海道のオホーツク沿岸に路線網を広げていた「名寄線の部」でした。そこには盟主の名寄本線以下、興浜南線、渚滑線、湧網線、そして名寄本線の支線扱いだった中湧別~湧別間が属していましたがすべて消滅。まさに一族郎党根絶やしとなったのです。
 このエリアの鉄道に乗りに出かけた際、特に注目したのが、渚滑線の北見滝ノ上駅と名寄本線の僅か一駅だけ(ただし途中に四号線という乗降場あり)の支線の終点であった湧別駅です。今回のタイトルは前者ですが、後者も一緒に取り上げることにします。
 渚滑線はオホーツク沿岸の渚滑駅で名寄本線から分岐し、内陸の山間部へと分け入る路線でした。何のために敷設され、どのように利用されている路線なのか、終点の北見滝ノ上とはどんなところなのか。興味津々で乗車しました。列車はディーゼルカー1両だけで乗客は数えるほど。沿線風景にさほど特色があるわけではなく、平凡な閑散線区のように見えました。ところが、滝ノ下駅で交換した貨物列車を見てびっくり。数多くの貨車を連ねた堂々たるものだったからです。終点の北見滝ノ上駅も、ホームは片面1線のみとはいえ構内は結構な広さでおどろきました。滝上町は豊富な森林資源を有し、馬鈴薯やハッカ、テンサイといった農産物の産地でもあり、渚滑線は農林産物の輸送ルートとして重要な役割を果たしていたわけです。当時の旅行メモには「切り出された木材が山をなし、予想していたよりもずっと開けた感じ」とあります。町の人口も1万人を超えていたようです。
 実はこの渚滑線の歴史は意外に古いのです。名寄線の全通(1921年)の僅か2年後の1923(大正12)年11月5日に、渚滑~北見滝ノ上間が開通しています。同じ日に名寄線は名寄本線と改称しており、渚滑線という「家臣」ができて「本線」になれたわけです。
 一方の湧別駅ですが、開業時は下湧別(1954年に湧別と改称)と称していました。湧別軽便線として社名淵(のちの開盛)~下湧別間が開業したのは1916(大正5)年11月21日です。なぜ軽便線だったのかといえば、後に石北本線や名寄本線を形成することになる路線を促成する方便として、手続きが簡単な軽便線という形をとったからです。湧別軽便線(1922年、湧別線と改称)の終着駅として開業した同駅ですが、1932(昭和7)年に、湧別線が名寄本線に統合されたことで、旧名寄本線よりも歴史の古い湧別駅も名寄本線の一員となりました。1956(昭和31)年12月の時刻表によれば、湧別駅に発着する列車は一日7往復(うち5往復は網走に直通)もあり、かなりの賑わいだったようです。しかし、私が乗車した1972(昭和47)年には、1日2往復という国鉄全路線の中で二番目に本数の少ない、超閑散路線となっていました。
 「名寄線の部」の鉄道網形成史に大きな足跡を残した両線でしたが、渚滑線は1985年4月1日に、湧別支線は名寄本線の廃止時(1989年5月1日)に本体部分と一緒に廃止されました。取りつぶされた藩と家臣の悲哀のようなものを感じてしまう、忘れ難き終着駅なのです。

 渚滑線というのはこのような場所にありました。これは1972(昭和47)年の鉄道路線図(時刻表の索引地図から抜粋)ですが、赤丸を付した駅が今回取り上げた北見滝ノ上駅と湧別駅です。
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 渚滑線が分岐していた渚滑駅付近を行く名寄本線の貨物列車(691列車)です。渚滑自体は小さな集落ですが、名寄本線の貨物列車は堂々たるものでした。(1970年7月15日撮影)
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 滝ノ下駅で交換した渚滑線の貨物列車です。ローカル線らしからぬ長大な編成で驚きました。(1972年3月8日撮影)
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 渚滑線の終点、北見滝ノ上駅に到着した渚滑発8:22の723D列車です。キハ2219の単行で乗客はまばらでしたが、駅舎は立派で構内も広々としていました。(1972年3月8日撮影)
720308渚滑線723Dキハ2219/北見滝ノ上.jpg
 一日の列車本数は、下りが9本(1本は区間列車で休日運休)上りが7本と、北海道のローカル線としては多い方で、5往復は紋別まで直通していましたから、利便性という点ではそう悪い路線ではありませんでした。北見滝ノ上駅には、駅員が配置されており、入場券も売っていました。
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 こちらは、名寄本線の支線、湧別駅に着いたキハ22303単行の940D列車です。この列車の始発駅は湧網線の佐呂間駅で、私もそこから乗車したのですが、中湧別から湧別へむかった乗客は私一人だけでした。途中の四号線という乗降場で一人乗ってきましたが、この日この列車で湧別駅に降り立った乗客は僅か二人。車内に載せられていた新聞の束を輸送するのが目的のような列車でした。(1972年3月5日撮影)
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 湧別の駅舎です。雪の中を自転車でやってきたのは、新聞を受け取りに来た人でしょうか。(1972年3月5日撮影)
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 この時点では無人駅ではなく、入場券を買うことができました。因みに、中湧別~湧別間の列車は、中湧別発が7:09(940D)と16:23(928D)、湧別発が7:22(923D)と16:37(943D)の1日2往復のみ。
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 私が乗車した列車(940D)の始発駅、湧網線佐呂間駅の風景です。右側は網走行の921D、左側が乗車した940Dです。この湧網線も消えてしまい、今はオホーツク沿岸を鉄道でたどることはできません。(1972年3月5日撮影)
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