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浅間山麓のブラタヌキ
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浅間山麓に移り住んだタヌキのポン太のブログです。どんなタヌキかって?それはプロフィールをご覧下さい。
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横浜線開通110周年に因んで

2018/12/09 12:24
 日本で最初の鉄道が新橋〜横浜間に開通したのは、今から146年前の1872(明治5)年でした。それから30〜40年で、全国の幹線鉄道網が概ねできあがりましたから、すでに開通から100年以上経過した路線が少なくありません。このような歴史の長さこそ、鉄道の魅力の1つではないかとポン太は考えます。鉄道の歴史は、近現代の社会のあゆみとリンクしており、地域形成にも深く関わっています。折々の鉄道風景が、自分史のひとコマとして、脳裡に刻みこまれている人も少なくないはずです。
 浅間山麓を走る信越本線(現、しなの鉄道線)が、本年、開通130周年をむかえたことについては何度もブログで触れましたが、今年、節目の年をむかえたのは信越線だけではありません。実は、ポン太にとって、かつては極めて身近な存在であった横浜線が、本年開通110周年をむかえました。
 桑都八王子と国際貿易港横浜を直結する鉄道は、八王子と横浜の生糸商等が熱望していたものであり、1886(明治19)年には、甲武鉄道(現、中央線)に対抗して武蔵鉄道(川崎〜八王子間)を出願したものの却下されてしまいました。その後、何度も申請に失敗した後、横浜の実業家たちが中心となって横浜鉄道を立ち上げ、明治41(1908)年9月23日、東神奈川〜八王子間を開業しました。ところが、経営不振(運賃併算で割高となる貨物輸送が振わず)で、1910(明治43)年4月1日には、鉄道院借り上げという形となり、1917(大正6)年10月1日に国有化されて、国鉄横浜線(1987年からJR東日本の路線)となったのです。
 ポン太は1976年から40年近く横浜線の沿線に住んでおりましたので、同線には懐かしい思い出がたくさんあります。近年、横浜線の各駅とその周辺の変貌は著しく、昔の情景を想像することすら難しくなってきているように思います。そこで、手元にある古い写真で、横浜線の近過去を振り返えってみることにします。写真は八王子〜町田間のみですが、そうそうこうだったね、へえーそうだったのか、と楽しんでいただければ幸いです。

 八王子駅の乗り換え階段に、横浜線110周年記念のペイントが出現していました。
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 ポン太が横浜線沿線に住み始めたころの八王子駅横浜線ホームです。まだ旧型国電が主役で、ローカル線的な雰囲気が漂っていました。(1976年6月12日撮影)
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 1988年(昭和63)3月に高架化され、新駅舎に移行して間もなくの片倉駅です。かつてはのどかな丘陵地帯であった片倉〜相原間ですが、沿線エリアの開発に拍車がかかったのは、このころからです。(1988年8月31日撮影)
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 片倉〜相原間に新駅が誕生したのは、1997(平成9)年4月1日です。これは開業したばかりの八王子みなみ野駅ですが、駅のまわりには建物はほとんどなく、しばらくは駅だけがポツンと建っている状態でした。(1997年4月5日撮影)
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 開業3年後の八王子みなみ野駅です。西側では建物が増えていますが、東側(左手)はまだ更地が目立ちます。
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 八王子みなみ野駅が開業する前年の風景です。駅はこの写真の右手方向になります。宅地の造成がかなり進展していますが、まだ家はほとんど建っていません。左手奥にみえる円形のビルは日野自動車の歴史館である「日野自動車21世紀センター」です。現在はこの造成地の大半が住宅で埋まっています。(1996年11月5日撮影)
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 開発が始まる前の八王子みなみの駅付近(相原側へ少し進んだあたり)です。現在とは全く異なるのどかな風景が広がっていました。(1977年6月9日撮影)
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 こんな踏切もありました。(1976年9月23日撮影)
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 八王子みなみの駅周辺が開発される以前の片倉〜相原間は、横浜線で唯一、山の中を行くといった感じのところでした。国道16号は御殿峠を越えますが、横浜線は相原トンネルで多摩丘陵を駆け抜けていきます。(81年11月15日撮影)
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 相原トンネルを抜けて、相原駅へとむかう上り電車(103系)です。八王子〜相原間は1988年3月まで単線でしたが、写真の右側には複線化に備えた路盤がすでに準備されている様子がうかがえます。
(1981年11月15日撮影)
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 相原駅は横浜鉄道開通と同時に開業した古い駅です。この駅舎は1934(昭和9)年に建設されたもの。2003年に橋上駅化されるまで存在しており、ポン太は、時が止まったような、こののどかな雰囲気が大好きでした。この駅舎が取り壊されたことで、横浜線内から戦前に建設された駅舎は全て姿を消しました。(1980年6月22日撮影)
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 相原〜橋本間の大山街道踏切です。(1976年6月12日撮影)
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 橋本駅は1980年に橋上駅化されるまで、このような姿でした。駅前広場の一角にはバスの乗降場や待合室があり、地方都市の駅のような雰囲気が漂っていました。(1978年11月4日撮影)
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 相模原駅に最初に降り立った時の印象は、市の名前を冠している駅にしてはいささか寂し過ぎるのでは、ということでした。駅前に繁華街とよべるほどのものがないせいですが、横浜鉄道開業時にはこの駅はなく、戦時体制下の軍都建設に伴って、その玄関口として1941(昭和16)年4月5日に開業したという経緯があります。元々大きな集落があったところではなかったのです。(1981年11月26日撮影)
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 相模原駅は、1996年に橋上駅化されましたが、その少し前はこのような姿でした。駅舎の本体は開業時のままだったと思われますが、外観はずいぶんお洒落になっていました。(1995年1月23日撮影)
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 原町田駅です。1980年に駅周辺の再開発により小田急寄りに移転するまで、国鉄は原町田、小田急は新原町田と称していました。橋本と同様、地方都市の駅という感じですが、元々駅の近くに原町田という集落があり、国鉄原町田駅がその最寄り駅でした。小田急の新原町田駅とは600mほどの距離があったため乗換は大変で、ラッシュ時には走る人も多く、「マラソン道路」などと呼ばれていました。(1979年4月22日撮影)
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 原町田駅のホームです。ローカル線の少し大きめの駅という雰囲気でした。(1979年4月22日撮影)
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 原町田駅の跨線橋から八王子側(小田急線側)を見たところです。線路際では再開発のための解体工事が行われている様子がうかがえます。(1979年4月22日撮影)
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 国鉄原町田駅の入場券(左)と小田急新原町田駅発の乗車券、新原町田行の特急券です。だいぶ変色しており、時の流れを感じます。
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初冬の富士登山

2018/12/05 10:27
 先日、ポン子と一緒に富士山に登ってきました。といっても日本一高いあの富士山ではありません。上田市の西方、塩田平の南縁に聳える独鈷山系の富士山です。標高は1029.6m。何だ、ただの里山ではないか、と思われるかもしれませんが、おそらく、日本で二番目に高い富士山なのです。
 全国に富士を名乗る山はたくさんありますが、いずれも「○○富士」といったように、富士の前に地域名がついていたり、富士は通称で本当の山名は別にあるというケースが大半です。しかし、この山はずばり富士山。国土地理院の地形図にも、しっかり富士山と記載されています。正式名称が富士山という山が他に無いわけではないのですが、地形図に表記されているものはごく少数です。ポン太の知る限りでは、この上田の富士山に次いで高い(地形図に表記されている)富士山は、福島県西会津町にあります。しかし、その標高は508.8mにすぎませんから、上田の富士山が堂々の第二位であるとみてよさそうです。
 さて、富士山という立派な本名をもつこの山ですが、地元では、付近にある鹿教湯(かけゆ)温泉の名を冠して、鹿教湯富士と通称されています。気軽に温泉客も登れる里山なのかというとそうではなく、観光パンフレットなどに登山案内やルートが掲載されていないのはもちろん、現地に行ってみると、登山口の標識も無く、山中には道標の類が1つもありませんでした。要するに登山・ハイキングの対象となるような山ではないのです。しかし、「日本で二番目に高い富士山」というところに惹かれるものがあり、あえてチャレンジしたというわけです。
 このあたりは、日本有数の松茸の産地ですから、シーズン中に山中をウロウロしていると、不法侵入者ではないかと疑われる心配があります。夏は暑すぎてこのような低山に登る気はしませんので、初冬の今がチャンスではあるわけです。南麓の国道254沿いにある高梨という集落から入山し、まずは富士山東側の鞍部、市峠を目指しました。獣除けの柵から登山道が始まるというロケーションが不安感をかき立てましたが、市峠への道は、一部に崩壊箇所はあったものの、全体としては幅広くしっかりしたものでした。道端のいたるところに石仏が鎮座しており、その中には江戸時代の年号が刻まれたものもありました。どうやら、市峠を越えるこの道は、松本から上田へ抜ける最短ルートとして、昔は利用する人が多かったようなのです。土留めの石積みが残っている箇所もあり、思いがけず古道の風情を楽しむことができました。
 1時間ほどで難なく市峠に到着しましたが、大変だったのはそこから。富士山頂へは市峠から西側へ続く尾根を登っていくのですが、落ち葉で道がほとんど見えません。所々の木の枝に巻き付けてある赤いテープだけが頼りです。尾根をはずさないように慎重に進みましたが、山頂が近づくにつれ、とんでもない急登となりました。斜面に積もった落ち葉は滑りやすく、足の置き場を間違えると滑落は必至です。つかむことのできるものは、枝でも岩でも何でもつかみ、なんとか切り抜けましたが、帰路は恐怖で足が震えました。
 山頂には、小さな石祠と三等三角点があるのみ。樹間から鹿教湯の温泉街を望むことはできますが、展望が良いとはいえません。滑落の危険を冒してまで登る価値のある山なのかといわれると、う〜ん、という感じです。されど、ポン太にとっては28年ぶりの「富士登山」であり、前回は日本一の、今回は二番目に高い富士山の頂に立てたのですから、達成感は十分得ることができたといえましょう。


 鹿教湯温泉街から見た富士山です。ただしこれは2月に撮影したもので、今回の登山時には雪はありません。
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 鹿教湯温泉と富士山の位置関係はこうなっています。赤い点線が今回登ったルートです。
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 この獣除けの柵が登山道の入口です。留め金を一旦はずして中に入りました。
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 その先に続く道は、それなりに整備されていて、岩の上には石仏が鎮座しています。
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 随所に石仏が置かれていて、この道が古い街道であることがよくわかります。この石仏には嘉永五年と刻まれていました。ペリーが浦賀に来航して日本中が大騒ぎになるのはこの翌年です。
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 全体としては歩きやすい道ですが、崩落した岩が道を塞いでいるところもあります。道端の石碑には「天保六年」と刻まれていました。天保といえば、江戸三大改革の1つ、水野忠邦による天保の改革が有名ですが、それが行われたのは、この6年後の天保十二年。こういうものを見ると、江戸時代が身近に感じられます。
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 斜面をトラバースしなければならない箇所もあり、転落しないように慎重に進みました。
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 大きな岩の下をまわり込むようなところもあります。
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 こんな立派な石積みが残っていました。単なる土留めではなく、建物があった名残のようにも見えます。茶店があり、峠を越える旅人がここで一息入れたのかもしれない、などと想像してしまいました。人や馬が頻繁に行き交った往時の情景が目に浮かんでくるようです。
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 ここが市峠です。この道は、塩田平を経て上田城下へと通じていました。山地を避けて大回りするよりは、この最短ルートを利用する人の方が多かったのではないでしょうか。昔の人にとっては、この程度の峠越えは苦にならなかったのかもしれません。
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 このあたり一帯は松茸山ですから、入山権の無いよそ者が立ち入らないように、テープが張られていました。こうした山を「止め山」といいます。「止め山につき、無断入山者は罰金20万円」などと書かれている場合もあります。
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 市峠から富士山へは、享和元年(西暦では1801年)と刻まれた古い石仏の後ろを登っていくのですが、どこが道なのかはっきりしません。
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 樹間から鹿教湯の温泉街を望むことができます。
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 傾斜がどんどんきつくなります。この先は、自分の身体を保持するのがやっとという急斜面となり、写真を撮る余裕はありませんでした。
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 ようやくたどりついた富士山の山頂です。
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 小さな山名プレートが、松の木に取り付けられていました。日本で二番目に高い富士山ですから、もう少し立派な表示があってもよさそうですが・・・。
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 下山後、鹿教湯温泉で汗を流し、今年まだ一度も口にしていなかった松茸を少しばかり賞味しました。松茸の握り寿司に松茸入茶碗むし、松茸御飯。本当は、そちらが目的だったのではないかって?「それも」ということにしておきましょう。
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台鉄自強号塗色の電車、浅間山麓を快走

2018/12/02 12:30
 しなの鉄道に、先月15日から、今まで見たことのない塗色の電車が走っています。初めて目にした人は、何だろうあの車両はと驚くのではないでしょうか。電車そのものはしなの鉄道が所有する115系電車ですが、1編成(3両)の塗色を台湾鉄路局(台鉄)の自強号(EMU100形交流電車、すでに定期営業運転は終了)をイメージしたものに変えて運行しているもの。本年3月に、しなの鉄道と台鉄は「友好協定」を結び、双方に同名の駅が存在する田中駅は姉妹駅となりました。そのような関係から、台鉄自強号塗色の電車の登場となったわけです。
 今年は、直江津から伸びてきた官設鉄道(のちの信越線)が軽井沢まで開通して130周年という節目の年です。それに因んだ様々なイベントが行われていることについては、以前のブログでも触れたとおりですが、上田〜軽井沢間の開業日である12月1日には、台鉄自強号塗色の電車を用いた臨時電車が運転されました。列車名は下りが「信越線軽井沢〜上田開業130年記念号」、上りは「台鉄・田中駅友好記念号」。それぞれにヘッドマークも付くというので、ポン太もカメラをもって出かけてみました。
 見慣れた浅間山麓の風景の中を走る台鉄自強号塗色の電車。違和感があるかと思いきや、冬枯れの野や森には、むしろこのような明るい雰囲気の電車が良く映えます。台鉄自強号色の電車は、この先3年間、普通電車や快速電車として運用されるということなので、目にする(利用する)機会はかなりありそうです。


 イベント列車の人気は衰えず、今回もたくさんのカメラの砲列ができていました。
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 浅間山麓(御代田〜平原間)を行く「信越線軽井沢〜上田開業130年記念号」です。
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 まわりの冬枯れた風景にこの色はよく映えます。
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 信濃追分の森の中(信濃追分〜御代田間)を行く「台鉄・田中駅友好記念号」です。
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 ヘッドマークに大きく「田中」の文字が入っています。台鉄の田中駅が姉妹駅であるということをアピールしているわけですが、田中駅では、この日が開業記念日であることに因んで、全国の田中さんに同駅に集合してもらうというイベントが行われました。田中姓であるということが証明できれば、『「田中さん」来駅記念プレート』と同日のみ有効な軽井沢・長野フリーきっぷを進呈するということでしたが、果たして何人の田中さんがそれをゲットしたのでしょうか。
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初冬は寂しきものなれど

2018/11/30 22:48
 浅間山麓に暮らしていて、1年中で一番寂しさを覚えるのは、11月下旬〜12月下旬ではないでしょうか。地元産の野菜は収穫が終わってしまい、賑わっていた直売所の多くが冬季閉鎖となります。別荘に滞在していた人たちもその大半が去り、ウォーキングをしていても誰にも出会わないことが多くなります。紅葉が美しかった山や森も枯れ木ばかり。日没がどんどん早くなっていくことも、寂寥感の一因です。雪が積もってくれれば、雪化粧した木々を眺めたり、冷え込みが厳しい日には、霧氷の出現を期待したりといった別の楽しみがあるのですが、初冬にはまだそれはかないません。
 殺風景な茶系一色のこの季節ですが、良いこともあります。それは空気が澄んできて、遠くの山、とりわけ北アルプスの山々を望むことがきることです。先日も西の空にくっきりと浮かんだ槍ヶ岳を見つけて、嬉しくなりました。夕焼けの色が一段と鮮やかに見えるのもこの季節ならではといえましょう。枯れ木もシルエットになると、まるで印象派の絵画のようです。そのようにポジティブにとらえれば、この季節もまんざら悪くはないかもしれません。寂しい初冬の黄昏時こそ絶好のウォーキングタイムと考え、今日も歩き回ったポン太でした。


 レタスやキャベツなどの高原野菜を栽培していた畑も、このように寂しくなりました。後ろに見える山は、ポン太がしばしば登っている平尾山です。
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 こちらの畑にも作物は何もありません。蓼科・八ヶ岳連峰のシルエットがなかったら、単なる冬枯れの寂しい風景になってしまいます。
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 浅間山の山頂部に少し雪がついています。ポン太が目視している限りでは、今季3度目の冠雪です。当地では「浅間に三度雪が降れば、里でも雪が降る」といわれていますが、今年はどうでしょうか。
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 黄昏時の水辺の風景は、さながら印象派の絵のようです。
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 ポン太のねぐらから一番近いところにあったコンビニ、ローソンが突然閉店してしまいました。こちらは冬枯れというわけではなく、何か事情があったのでしょうが、閉店後すぐに白く塗りつぶされてしまった看板を見ると、寂しさを禁じえません。
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 夕焼け空に浮かぶ槍ヶ岳です。こんな感じに見えるのはこの季節ならではです。
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 蓼科山も神々しく見えます。
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 霧ヶ峰方面のみごとな夕景です。上空を飛ぶ飛行機がアクセントになっていました。
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 中山道を歩いているうちに日没となりました。振り返ると燃えるような夕焼け。明日も天気は良さそうです。
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平原駅物語 〜浅間山麓の駅物語<その5>

2018/11/26 09:17
 平原駅と聞いてピンとくる人は少ないのではないでしょうか。しなの鉄道で軽井沢から4つ目、御代田と小諸の間にある駅ですが、この駅で乗降する人の姿を見ることは稀です。何しろ駅前にある人家は1軒のみで、ホームから見えるのは田と畑ばかり。最近はやりの「秘境駅」といっても過言ではないかもしれません。
 1日の乗降客数もしなの鉄道線内最少の181人(2017年度)。その次に少ない信濃追分駅の534人と比べても3分の1というレベルです。国鉄時代から無人駅でしたが、当時は木造駅舎がありました。今は、駅舎代わりの車掌車(ヨ14364)が置かれているのみです。
 平原駅は信越本線開業時には存在していません。同線の輸送力増強(単線時代、列車増発には交換設備が必要)をはかるために、1921(大正10)年10月10日に設置された信号所がそのルーツです。地元の人々から、列車が停車するのに利用できないのはどうかという不満が出て、特別に乗降が許されたという時代もあったようですが、1952(昭和27)年1月10に旅客駅として正式に開業しました。
 駅名は旧平原村(現在は小諸市の大字)に由来します。その主たる集落は旧北国街道沿いにあり、江戸時代には間の宿として栄えた歴史があります。その集落を経由して平原駅へ行こうとしたことがありますが、道がさっぱりわかりません。「駅入口」といった類の標識が一切ないのです。また、しなの鉄道を跨いでいる国道141号から駅へ通じる道の入口にも何の表示もありません。これほど行きにくい、いや行きたくても行けない駅は少ないと思います。
 駅のまわりは前述のとおり田と畑ですが、直線距離で数百メートルほどの高台には新興住宅地が形成されていたり、集合住宅もあるなど、かなりの人が住んでいます。ところがそうした住宅地から駅へ通じる道が全くといってよいほど整備されていないのです。眼下を電車が走っているのに利用できない。秘境ではないのに、秘境駅化している。これでいいのだろうかと思うポン太でした。


 国道141号の橋の上から見下ろした平原駅とその周辺です。田畑以外何もない、秘境駅のムードが漂っています。
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 車掌車が平原駅の「駅舎」です。昔は貨物列車の最後尾に必ず連結されていた車両なので、懐かしい雰囲気ではあります。
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 ホーム側からみたところです。
 
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 車掌車の中はこうなっています。
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 こんな張り紙がありました。静かなので読書にうってつけとは・・・。小諸市青少年補導センターが掲示したものですが、利用者を増やそうという方向性は感じられません。
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 平原駅を発車した下り列車です。晴れていればこのように右手前方に北アルプスを望むことができます。その手前の高台に新しい住宅がいくつも建っていますが、そこから直接駅へ行く道はありません。
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 平原駅の少し御代田寄りからは浅間山がよく見えます。斜面を登っていく道がありますが、そこをたどっていくと平原の集落(かつての平原宿)にでます。駅から徒歩圏内の家の数は決して少なくはありません。
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 旧街道(北国街道)らしい趣のある平原の街並みです。
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 平原の集落から駅へと下る道の入口ですが、何の標識もなく、この道を進んでよいものか迷ってしまいます。
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 こちらは、国道141号です。平原駅へは、青地に白矢印の道路標識がある角を左に曲がらなければならないのですが、これまた何の表示もなく、多くのドライバーは駅の存在を認識することなく通り過ぎて行きます。
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 これが国道141号と平原駅を結ぶ道(メインルート)です。対向車が来たらすれ違えない狭さですから、この先に駅があるのだろうかと不安なってしまいます。
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「まんぷく」と小諸

2018/11/24 09:18
 このところ毎朝8時になると、NHKの連ドラ『まんぷく』に釘付けになってしまうポン太です。これほど熱心に連ドラを見るのは、3年前の『あさが来た』以来でしょうか。『まんぷく』の主人公、立花萬平のモデルは、インスタントラーメンの発明者にして日清食品の創業者である安藤百福。このような実在の人物をモデルとし、歴史的背景をからめながら展開していくドラマがポン太は好きなのです。『あさが来た』もそうでした。各場面に登場する小道具類などが、本当にその時代に合っているものなのか、時には「これはおかしいぞ」などとつぶやきながら楽しめるのが、この手のドラマが好きな理由かもしれません。
 実はポン太は、このドラマが始まるだいぶ前から、安藤百福の名をしばしば目にしておりました。それは、小諸の日帰り温泉施設「あぐりの湯」の近くに、「安藤百福センター」という施設があるからです。百福は「食とスポーツは健康を支える両輪である」という理念の持ち主で、自然体験活動をとりわけ重視していたということです。その遺志を受け継ぎ、生誕百年記念事業として設立されたのが、安藤百福記念自然体験活動指導者養成センター(通称安藤百福センター)でした。自然環境に恵まれた小諸は、そうした活動を行うのにふさわしい場所として選ばれたわけです。
 ラーメンがそれほど好物ではないポン太でも、インスタントラーメンのお世話になることはあります。数あるインスタントラーメンの中で、比較的食べる回数が多いのが日清の「ラ王」。最近気づいたのは、パッケージが変わったことと麺の著しい進化です。ほとんど生麺のような食感になっていて驚きました。日清食品の企業理念の1つに、百福の言葉である食創為世(世の中のために食を創造する)というのがあるそうです。麺の進化は百福の理念のなせるワザなのか、などと思いながらラーメンをすすり、「まんぷく」したポン太でした。
 
 小諸の「あぐりの湯」を目指してクルマを走らせると、このような標識が目に飛び込んできます。「安藤百福センター」とは何だろうか、誰でもそう思うのではないでしょうか。
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 その先には、もう少し詳しいこんな看板もでています。
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 ここが安藤百福センターの入口です。
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 入口から坂道を少し登ると、自然体験活動指導者養成センターが見えてきます。周囲の環境にマッチしたお洒落な建物です。
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 センターの裏には御牧ヶ原台地が広がっています。この自然も学習対象なのでしょうね。
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 安藤百福センター付近からは浅間山や浅間連峰の山々が一望できます。百福自身が、生前に、この地に立ったことがあるかどうかはわかりませんが、この景観を見れば、誰しも自然はすばらしいと感じるはずです。
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 ポン太が紹介するまでもありませんが、これが「ラ王」担々麺のパッケージです。
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 本日つくったのは担々麺そのものではなく、ポン太特製の「唐揚ラーメン」です。ピリ辛で、寒い日は身体が温まります。
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漬け物はやっぱり野沢菜

2018/11/22 00:18
 この季節、農産物の直売場で最も目立つ野菜は野沢菜です。店頭にうずたかく積み上げられていて、こんなに買う人がいるのだろうかと思うほどです。信州では、野沢菜漬けは極めてポピュラーな漬け物で、冬の訪れを前に、多くの家庭であたりまえのように漬けている、と見て間違いないでしょう。 
 浅間山麓に移住する前は、すでに漬け物になっている野沢菜を買ってきて食べることはあっても、自分で漬けようなどと考えたことはありませんでした。そもそも、生の野沢菜を八百屋やスーパーで売っているのを見たことがないのですから当然です。しかし、直売場に山積みされている野沢菜を目にすると、漬けてみようかな、漬けたほうが良さそうだ、いやこれは漬けねばならぬ、という脅迫観念が生じてしまいます。元々、野菜が乏しくなる厳寒期を乗り切るための保存食だったわけですから、信州の冬の食卓に無くてはならぬものであり、お茶請けにも欠かせない必須の食べ物といえましょう。ここはもう、「郷に入らば」の精神を発揮して、漬けるしかありません。
 一般的な野沢菜漬けといえば塩漬けですが、樽で大量に漬けても、わが家ではとても消費しきれませんし、塩分の摂り過ぎになるのも心配です。少量で美味しく漬けられるのは醤油漬けだと聞いて、そちらをつくってみることにしました。レシピは、直売所のおばさんに教えてもらいましたから、この地域のみんなが食べている、浅間山麓の味ということになります。
 結果はどうだったか。これが想像以上の美味で驚きました。やっぱり漬け物は野沢菜だね、と自慢げに話したくなってしまったポン太です。

 量が少な目の束を購入したつもりですが、このボリューム。これで値段は300円でした。
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 まずはよく水で洗わねばなりませんが、なにしろ丈が高いので、ふつうのバケツにはおさまらず、一苦労です。
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 洗った後は、3〜5センチほどの長さに刻み、樽の中へ投入しました。葉が多すぎると美味しくないということでしたので、先端部分(4分の1程度)は取り除き、豚肉と炒めておいしくいただきました。
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 後は、砂糖、酒、醤油、酢を教わったとおりの比率で入れ、少量の昆布と鷹の爪を加えるだけです。これがすべて投入した後の姿です。
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 重しを置けば漬け込み完了。ふたをして、外気と同じ温度になる場所に保管しました。
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 それから二日後、はやくも水があがってきました。順調です。
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 これが漬け込んでから1週間後の状態ですが、もう食べられそうです。
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 待ちきれずに少しお皿にとって食べてみました。う〜んいける。まだちょっと浅漬けの感じですが、味は上々。この先どこまで美味しくなるのか楽しみです。
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秋はフィナーレ

2018/11/19 10:52
 美しかった紅葉の季節は去り、間もなく長く寒い冬がやってこようとしています。山はすでに枯れ木ばかりになってしまいましたが、里ではまだ落葉松や白樺の黄葉を見ることができます。とりわけ見事なのが、佐久平の長野牧場(正式名称は家畜改良センター茨城牧場長野支場)。この牧場の落葉松の葉がすっかり落ちてしまうと、冬将軍の到来は待ったなしということになり、冬用タイヤへの交換、厳冬期用衣類やグッズの準備等、冬対策を急がねばなりません。
 今年は面白いことに気づきました。それは牧場の脇を走る道路沿いに桜の花がたくさん咲いていたことです。えっ、晩秋に桜?と驚きましたが、すぐ近くに「長野牧場創立百周年記念植樹 カンザクラ」という説明板があり、納得。苗木を植えてから12年が経過したようですが、今は背丈以上の大きさに育ち、花をたくさん咲かせるだけの体力がついたということでしょう。それにしても紅葉(黄葉)した木々をバックに咲く桜というのは、美しいだけでなく、手品を見ているような面白さがあります。



春は桜の名所として知られる長野牧場ですが、秋も風情があります。
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 落葉松の黄金色の黄葉はみごとです。
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 道路沿いの白樺並木も黄葉していました。
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 まるで北海道のような、この開放感が長野牧場の魅力です。
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 地元の人々の散歩コースになっている白樺と落葉松の並木道です。
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 浅間山と紅葉(黄葉)した木々をバックに咲くカンザクラです。
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 こうして写真に撮ると、季節はいったいいつなのかと思ってしまいますね。
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軽井沢で山登り

2018/11/17 12:43
 三年前に放映されたNHKの「ブラタモリ」軽井沢編で、避暑地軽井沢ができたのは離山のおかげという話を取り上げていました。現在の浅間山ができるよりもずっと昔、離山付近で大噴火が起き、その噴出物によって以前は湖だったところが埋め尽くされて、高地でありながら、広く平らな土地がつくられたというのです。
 離山の標高は1256m。そんなに高いわけではありませんが、火山は火山。お椀を伏せたようなその山容(鐘状火山or溶岩ドーム)は独特で、軽井沢のシンボルと言ってもよいでしょう。旧軽井沢と中軽井沢(沓掛)の中間に位置し、他のどの自治体とも境を接していない、正真正銘の軽井沢の山でもあります。
 軽井沢の市街地との標高差は300mほどですから、登山の対象としては、物足りないと思われるかもしれませんが、頂上からの展望もよく、登ってみる価値のある山だと思います。ただし、簡単に登れるからといって、甘くみてはいけません。ここは野性動物の生息地であり、ポン太も、目の前を、イノシシの親子がドタドタと駆け抜けていく場面に遭遇したり、猿の群れに囲まれて往生した経験があります。もちろん熊もいますから、注意するにこしたことはありません。
 登山ルートは東側からと南側からの2つがあります。東口ルートは、別荘地の中をゆるやかに登っていく道で、一般車は通行止めとはいえ、頂上付近まで車が通れるような広い道が通じています。南口は、軽井沢町歴史民俗資料館の裏手からいきなり山に入るルートで、細く険しい登山道が続きます。後者の方が山登りらしい感じがして、ポン太はそちらを選択することが多いのですが、先日は、最終盤の紅葉見物も兼ねて、前者のルートで登ってみました。いつもならつまらないと思う別荘地内の舗装道路も、紅葉に彩られていると別物になります。葉の落ちた樹間から望む旧軽井沢の街並みも意外性があり、東口ルートで登るならこの時期をおいてほかにないと思ったポン太でした。


 軽井沢東部小学校の前が東口登山道の入口です。
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 別荘地の庭では、残り少なくなったモミジが真っ赤に燃えていました。
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 別荘地内にも、登山道の標識が随所にあり、道に迷うことはありません。
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 別荘地の後ろに、これから登る離山が見えます。
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 登山者心理としては嫌なものである舗装道路が続きますが、この景観なら許してやりましょう。
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 別荘地が尽きたところに記帳場があり、ここからが山登りです。
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 でました、熊注意の看板。無視してはいけません。
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 その先もずっとこんな道が続きます。樹間からの旧軽井沢方面の眺めが救いです。
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 頂上まであと900メートルというところから、ようやく山道らしい感じになりました
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 展望台からみた軽井沢駅周辺の街並みです。プリンスのスキー場は、すでに一部がオープンしています。
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 頂上付近は台地状になっていて予想以上に広いのと、落ち葉で道が見えにくくなっているので、標識を見落とさないようにしないと迷ってしまいます。
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 わずかに残っていた紅葉です。
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 ここが離山の山頂です。
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 山頂からは、浅間山の迫力ある眺めが楽しめます。
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 少し霞んでいますが、八ヶ岳・蓼科方面の眺めもみごとでした。
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 下山後、雲場池に寄ってみました。紅葉シーズンが去り、池畔は静寂に包まれていました。腐っても鯛、枯れても雲場池ですね。
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心に栄養補給、芸術の秋

2018/11/13 15:35
 秋は、展覧会やコンサート、演劇などのイベントが目白押し。田舎は自然には恵まれているものの、文化的な活動が低調でイベントも少なく退屈だ、という話をよく聞きますが、浅間山麓に限ってはそのようなことはありません。都会で生活していたころと比べて、むしろ文化的行事に出かける回数は増えました。会場へのアクセスが容易であることや、入場料が廉価である(もしくは無料の)場合が多いので、気軽に参加することができるのです。
 望月宿で古楽器の演奏を聴いたことについては以前のブログで触れたとおりですが、そのほかにも、軽井沢町の追分宿郷土館で行われたリゾートコンサートや御代田町「エコール御代田」のサロンコンサート、佐久市「コスモホール」の佐久室内オーケストラの定期演奏会(曲目はウェーバーのファゴット協奏曲ほか)など、この秋もいろいろなイベントに参加し、楽しませてもらっています。
 先週の日曜日には、「コスモホール」で市民ミュージカルの公演があり、ポン子とでかけてきました。この催しは、今年で10回目ということですから、恒例行事として市民に定着しているといってよいでしょう。今年の内容は、佐久出身の社会運動家で、農村婦人の解放と女性の地位向上に尽力した丸岡秀子にスポットをあて、その苦難の半生を描いたものでした。題して「心の中の光となって〜人間物語丸岡秀子」です。
 昭和30(1955)年、ようやく実現にこぎ着けた第一回母親大会(議長は羽仁説子)で、丸岡秀子が「夫を主人と呼ぶのはやめましょう」と演説するシーンから物語りは始まりました。当時の熱気が伝わってくる演出で、最初から舞台に引き込まれます。造り酒屋の長女として生まれながら、母親の死で里子に出され、辛酸をなめた秀子の子供時代。それを演じた子役のセリフ回しや仕草が堂々としており、かつ自然であることにも目を見張りました。随所で演奏された篠笛も効果的で、その演奏の見事さに感動しましたが、東京芸大で邦楽専攻というプロフィールを見て納得。出演者の総数100人以上という、躍動感溢れる舞台に圧倒され続けた3時間でした。まさに市民の市民による市民のためのミュージカル。佐久の文化の底力と地元愛の深さを感じたポン太でした。

 
 これは追分郷土館で開催されたリゾートコンサートの様子です。琴の演奏会でしたが、実はポン太にとって、琴の演奏を聴くのは初体験。なんとなく、良家の娘さんが優雅かつ上品に演奏する楽器というイメージでしたが、実際の演奏は変幻自在。音域もおどろくほど広く、何も知らないくせに何だと叱られそうですが、ハープ以上に表現力のある楽器ではないかと、感動してしまいました。
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 三台の琴のコラボ(琴の場合にそれを何というのかわかりませんが)は迫力満点で、音が激しく上下して緊張感が高まるところなどは、現代音楽を聞いているような気分になりました。
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 この日は、近くの旧油屋旅館の庭で「ホンモノ市」が開催されていて、テントの中には販売者自身が制作した作品が並んでいました。
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 有志によるものでしょうか。ジャズバンドの生演奏も行われていて、そちらも楽しめました。
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 こちらは、市民ミュージカルが上演されたコスモホールのロビーです。大きなポスターが掲出され、後ろの壁際では、丸岡秀子関連のパネル展示が行われていました。
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 パネル展示を熱心に見る人が多く、中には「丸岡先生のおかげで私の両親は結ばれた」というような会話をしている人もいました。丸岡秀子は、政治家の井出一太郎や作家の井出孫六の異母姉にあたる人ですから、パネルの中には井出家の人々が一堂に会した写真もありました。
 
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 井出家が営む佐久市臼田の橘倉酒造です。この家の長女として生まれた秀子ですが、里子に出されてしまったので、ここで育ったわけではありません。
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 パネルの写真の中には、志を同じくする平塚らいてう(右)と語らう丸岡秀子の姿もありました。
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 ロビーの掲示をみていますと、冬場も様々なイベントが行われるようですので、次は何を見に来ようかと、はやくもそんなことを考えてしまいました。佐久だけでなく、軽井沢や上田でもいろいろな催しがありますから、「芸術の秋」が終わっても、心の栄養補給に困るということはなさそうです。
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柿は寒いのが苦手?

2018/11/10 10:03
 柿はポン太の大好物です。数ある果物の中で、どれか1つを選べと言われたら、たぶん柿と答えるのではないでしょうか。味はもちろんですが、晴れ渡った秋空に良く映えるあの色(柿色)もすばらしく、古民家の傍らにたくさんの実をつけた柿の木があるだけで、原田泰治の絵のような風情を感じます。
 大好きな柿を自分でも育ててみたいと考え、浅間山麓に移住して最初に植えた果物が柿でした。しかしこれは大失敗。1年足らずで枯れてしまいました。氷点下15度にもなる冬の寒さに耐えられなかったようです。改めて、近隣の家の庭を眺めてみると、柿の木のある家は1軒もありません。やはりここでは無理だったのです。
 佐久平や小諸まで下れば、柿の木を見かけることはありますが、ほとんどは小粒の渋柿です。干し柿も大好きなポン太は、直売所で調達した渋柿の皮をむいてベランダに吊してみました。気温が低いせいか、カビが生えることもなく、順調にしぼんでいきます。寒いのが苦手な柿ですが、干し柿づくりにとっては寒さは味方というわけです。
 先日、東京の友人から、自宅の庭で収穫した大量の甘柿が届きました。そのあまりに見事な形と色に感激し、お盆に載せて鑑賞してしまいました。さらには、庭に持ち出し、紅葉とコラボ。まずは目で晩秋の風情を味わったポン太でした。


 友人から届いた柿を庭に置いて「鑑賞」しました。柿は見た目も美しい果物です。
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 紅葉とのコラボ。これぞ日本の秋という感じがします。
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 佐久平パーキングエリア付近で見つけた柿。あまりに小粒でしかも渋柿なので、収穫されることもなく放置状態です。柿好きのポン太から見れば、もったいないような気がしますが・・・。
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 直売所で調達した渋柿を「柿すだれ」にしてベランダに吊してみました。小さいので皮むきが大変ですが、飾り物のようで絵になります。
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 柿と古民家と紅葉した山。これぞ「ふるさとの秋」という感じですが、これは北信の高山村で撮影したもの。浅間山麓では、残念ながら、このような風景を見ることはほとんどありません。
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古城には紅葉がよく似合う

2018/11/06 19:01
 紅葉の話ばかりで恐縮ですが、どうしてもこの時期は、紅葉狩りのスイッチが入ってしまっているので、ご容赦ください。
 前のブログに記したとおり、今年の紅葉の進み方ははやく、軽井沢周辺はすでに「色あせはじめ」という状況になっています。しかし、それよりも標高の低いところは、いまが盛り。昨日、来客を案内して小諸の懐古園(小諸城址)へでかけてみましたところ、これ以上は望めないほどの見事な紅葉を楽しむことができました。小諸の標高は650m前後ですから、ちょうどそのあたりまで、紅葉前線が降りて来ているわけです。
 紅葉の時期に懐古園を訪れたのは3年ぶり。懐古園自体は何も変わっていませんが、赤や黄色の葉に彩られた城跡というのは、実に趣があり、これぞ秋という感じがします。山の紅葉も、軽井沢のちょっとお洒落な紅葉もすばらしいのですが、城跡というのは人の世の栄枯盛衰を強く感じさせるところであり、紅葉が華やかであるほど哀感が漂うところに、他の場所とは異なる魅力を感じます。
 小諸は武田信玄の信州攻略の拠点となったところです。山本勘助が築城したともいわれていますが、現在の形に整備したのは、江戸幕府開府後、初代小諸藩主となった仙石秀久とのこと。城下町よりもお城の方が低い位置にある「穴城」という珍しい形をしています。自然の深い谷(田切地形)を巧みに利用しているところから、そうした谷を彩る紅葉もまた魅力の1つです。
 小諸は、島崎藤村ゆかりの地であり、城址を散策していると、あの有名な「千曲川旅情のうた」の一節が頭に浮かんできます。「小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ・・・」
 気持ちの良い秋の一日を味わうことができた懐古園でした。

 懐古園入口の三の門を入り、坂を登ると二の丸跡があります。その上からの眺めは見事でした。
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 赤い色が目立つ北の丸跡付近の紅葉です。
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 石垣の曲がり角からみた紅葉も風情があります。
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 藤村記念館前にある大ケヤキとそのまわりの紅葉です。
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 馬場の跡に昔からある東屋ですが、紅葉の季節にはその鄙びた味わいが一層増すように感じます。かつて、草笛を吹く禅僧がいたのはこのあたりです。ポン太もその音色を何度か聞いたことがありますが、みすぼらしい身なりでしたので、物乞いと間違われることもあったようです。1958(昭和33)年から亡くなる直前まで、22年間にわたり毎日草笛を吹き続けていた由。その僧侶が、横山祖道という方であるということを知ったのは、ずっと後になってからです。
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 空堀のかわりをしていた谷も、紅葉に彩られています。
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 千曲川を眼下に望む「水の手展望台」です。懐古園の名所の1つで、この近くに「千曲川旅情のうた」の碑があります。
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 千曲川の畔や周囲の山々も良い感じに色づいて、満足できる眺めになっていました。「千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて・・・」という心境になるかどうかはわかりませんが。
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 廃城となって荒れていくお城を憂いた元藩士たちが、本丸跡に懐古神社を祀り、公園として整備したそうです。その神社脇の池のまわりも、きれいに紅葉していました。
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 天守台下のもみじの色があまりにも赤いので驚きました。
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 これも天守台下の風景ですが、古城の石垣と紅葉は、本当によく似合います。
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浅間山麓の紅葉ピークに

2018/11/03 19:23
 いま信州で紅葉がピークをむかえているのは、標高およそ700〜1000mのエリアです。ポン太がねぐらにしている森の標高は900mですから、今まさに紅葉真っ盛り。窓の外へ目をやれば、居ながらにして、日々刻々色合いが変化する紅葉を楽しむことができます。一年中で一番幸せな時間を過ごしていると言っても過言ではないかもしれません。
 散歩に出かけるのが楽しく、歩きたくてしかたなくなるのもこの時期です。紅葉がきれいなのは、有名なスポットだけではありません。公園はもちろん、一般住宅や別荘の庭の木々も見事に紅葉していますので、散歩をしながらそれらを見て回るというのも楽しみの1つです。
 ポン太の個人的な感覚としては、今年は、色づいてから落葉するまでのスピードが、例年より速いような気がします。もし、浅間山麓の紅葉散歩を計画中という方がいらっしゃいましたら、できる限り早くお越しいただくのが良いかと思います。


 本日の浅間山と山麓の様子です。浅間山の中腹より下の方が紅葉していることがわかります。
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 窓から見たポン太の森の紅葉です。
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 これは先週撮影した、ポン太の森です。真っ赤に色づいていたツタは、今は散ってしまいありません。
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 ポン太の家のすぐ脇のもみじが見頃になりました。
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 いつもの散歩道からみた風景です。後方に八ヶ岳がみえます。
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 こういう脇道を見つけると、入って行きたくなります。
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 水辺(御影用水)一帯も紅葉が進んでいます。
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 散歩道のあちらこちらが紅葉しています。
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 すばらしいもみじの庭です。見とれてしまいました。
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  中山道沿いの木々も紅葉しており、この時期の街道歩きは快適そのものです。
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 御代田町のスポーツゾーン、雪窓公園付近の街路樹もきれいに色づいていました。
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 孫を遊ばせようとやってきた龍神の杜公園も色づいていました。巨大な龍の滑り台は、一見怖そうですが、2歳の孫と滑り降りることができました。
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 遊具のまわりもこの紅葉です。
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 御代田町の露切峡です。遊歩道などはなく、橋の上から眺めるだけですが、なかなかの景観です。
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 定番の紅葉名所、軽井沢の雲場池へやってきました。期待を裏切らない紅葉です。
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 モデルを使っての撮影でしょうか。ベトナムかタイの方のようでした。外国人にも大人気の雲場池です。
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 ワンちゃんにも紅葉はきれいに見えるのでしょうか。
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 池の奥のカフェも良い雰囲気です。
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 京都のお庭を思わせる風景ですが、これは別荘地内の池です。
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 雲場池は、その周辺の別荘地の雰囲気もすばらしく、みごとな紅葉に出会うことができます。
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 軽井沢駅前の大通りです。周囲の山々の紅葉も進んでいることがわかります。
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おみそれしました聖山

2018/10/30 07:45
 聖山と聞いてすぐにどこにある山かわかる人は少ないでしょう。山の名は知らないが、聖高原なら知っているという方は多いかと思います。篠ノ井線に聖高原という駅があり、その北方、善光寺街道の猿ヶ馬場峠一帯が、聖高原と呼ばれている場所です。別荘地、リゾート地として開発されたのは1960年代からで、一般受けしそうな名称として採用されたのが、近くに聳える聖山でした。
 聖山の標高は1447m。筑北三山の1つとして、地元ではかなり知名度の高い山ではありますが、頂上付近まで自動車道路が通じ、山頂には電波塔が林立していると聞けば、正直登ってみたいという気持ちにはなりません。しかし、いろいろ調べてみると、信州百名山の1つであり、1等三角点峰でもあること、電波塔が設置されるほど見通し(展望)が良いこと、紅葉も美しいことなど、プラス評価も多いことがわかり、行くなら紅葉シーズンの今しかないと出かけてみることにしました。
 クルマで山頂まで行ったのでは山登りにならないので、麻績(おみ)村の坊平登山口から聖峠経由で山頂を目指しました。この選択は大正解でした。全行程の3分の2ぐらいが紅葉の真っ盛り。すでに葉が落ちていた頂上からの眺めは、まさに360度の大展望でした。この日は残念ながら雲が多く、山座同定をすることはできませんでしたが、案内板によれば、信州の著名な山の大部分を眺めることができるようです。
 下山後に一周した聖高原には、興味をひく場所が2つありました。1つは、紅葉が水面に映えて美しい「すずらん湖」、もう1つは川島浪速別荘跡です。川島は、戦前の日本の大陸政策と関わりの深い人物で、「男装の麗人」「東洋のマタ・ハリ」などと呼ばれた川島芳子の養父であると聞けば、ピンとくる方も多いのではないでしょうか。
 松本藩士の子として生まれた川島浪速は、陸軍の中国語通訳として大陸を渡り歩く中で、清朝の皇族と親交を深め、義兄弟の契りを結んだ粛親王の第14王女を養女としてもらい受けました。それが川島芳子です。その血筋故に、真偽のほどは定かではありませんが、諜報活動に利用され、時代の寵児としてもてはやされたようです。敗戦後、国民党政権から漢奸(売国奴の意)とみなされ、銃殺刑に処せられています。その芳子も過ごしたとされる山荘「無聖庵」が復原されていたのですが、今は訪れる人も少ないようで、山荘への入口さえ不明瞭で少し荒れた状態になっていました。
 聖高原が開発された1960〜70年代には、まだ戦前を知る世代の人が多く、川島浪速や芳子は知名度があり、看板がわりにする「利用価値」があったのでしょう。内実とは関係なく、利用できるものは利用する、軍部も観光業者も変わらないなあ、などと皮肉な見方をしたくなるポン太でした。

ここが坊平登山口です。この一帯も別荘地になっていて、しばらくは自動車も通れる道を進みます。
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 別荘地の一角から見上げた聖山の稜線です。
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 別荘地を過ぎると、気持ちのよい山道となりました。
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 みごとな紅葉の森です。
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 豪華絢爛なふすま絵のようです。
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 聖峠です。ここから尾根歩きとなります。
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 標高が高くなるにしたがって、枯れ木が目立つようになりますが、その中にすこし残っている紅葉もまたきれいでした。
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 まもなく頂上です。
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 これが標高1447mの聖山の頂上です。立派な一等三角点の標柱がありました。
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 頂上にはこのような電波塔がたくさんあります。ここから眺めることができる山々の説明板が、すべての方向にむけて設置されていて、いかに展望のよい山であるかわかります。
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 霞か雲か、この日の眺望はこのようにすっきりせず、残念ながら遠方の山を確認することができませんでした。
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 聖高原の「すずらん湖」の紅葉です。
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 これが、復原された川島浪速の別荘、無聖庵です。
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 聖高原の中心、聖湖です。
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 聖湖の近くに、善光寺街道の旧道が残っていました。このあたりが猿ヶ馬場峠で、かつては大勢の参拝者がここを越えて善光寺へとむかったのでしょう。
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錦秋の横谷渓谷を逍遙す

2018/10/26 21:45
 信州の秋は盛りをむかえつつあります。高山から始まった紅葉が、いよいよ里に近づいてきました。テレビでは連日、○○あたりが見頃というニュースが流れています。それを聞くと、見逃すわけにはいくまい、という気分になってしまいます。とはいえ、信州は広いので、すべてを見て回るなどということは不可能ですから、今年はどこへ行くべきかと、かなり頭を悩ませることになります。
 以前訪ねた際の好印象が頭にこびりついていた場所の1つが、蓼科高原の横谷渓谷です。調べてみたら、それはもう5年も前のことでしたので、無性に再訪してみたくなりました。 横谷渓谷には、一番上流の「おしどり隠しの滝」から下流の「乙女滝」まで、3.2キロの遊歩道が整備されています。途中には横谷観音という渓谷の好展望台があり、そこの駐車場からスタートすれば、3時間程度で、渓谷の紅葉をすべて堪能することができます。高度差がかなりあるので、紅葉の進み具合が異なり、前回は、中流域の「王滝」あたりが見頃でしたが、今回は、上流の「おしどり隠しの滝」付近が見事に紅葉していました。下流の「乙女滝」あたりが見頃になるのはもう少し先のようですから、長期間にわたり、紅葉を楽しむことができるというのも、横谷渓谷の魅力かもしれません。 
 浅間山麓から蓼科高原へ行くには、どのルートをとっても峠越えが必要です。その道沿いの紅葉もまたすばらしく、まさに紅葉三昧の一日となりました。どうして人はかくも紅葉を見ると気分が高揚してしまうのでしょうね。おっと、人ではないはずのポン太も紅葉で高揚しておりますが…。

 往路は麦草峠を経由しました。その手前に広がるのが八千穂高原です。日本一という白樺の群生地で知られていますが、白樺林の中のもみじの紅葉もきれいです。
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 麦草峠から蓼科高原へ下っていく道路沿いの落葉松林です。みごとな黄金色になっていました。
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 落葉松ごしに南アルプスの山々がみえます。
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 横谷観音の駐車場の前がすでにこの紅葉です。テンションが上がります。
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 横谷観音の展望台から見下ろした横谷渓谷です。これからこの谷筋を歩きます。
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 横谷観音の展望台からは王滝を見下ろすことができます。
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 遊歩道に入り、まずは「おしどり隠しの滝」をめざしました。遊歩道沿いの紅葉もなかなかのものです。
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 紅葉真っ盛りの「おしどり隠しの滝」です。
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 次々とハイカーがやってきます。この眺めをみれば誰しも満足するはず。テレビ局の取材クルーも来ていました。
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 「おしどり隠しの滝」の下流側の紅葉もきれいでした。
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 「おしどり隠しの滝」から明治旅館の前を通り、御射鹿池(みしゃがいけ)まで往復しました。その途中からみた「おしどり隠しの滝」周辺の山の紅葉です。遠景は蓼科山、谷間の赤い屋根の建物が明治旅館です。
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 御射鹿池に着いてびっくり。幽玄な雰囲気が漂い、とても良い印象をもっていた御射鹿池ですが、いつの間にかその前の道路が整備され、広大な駐車場まで設置されて、雰囲気が一変していました。次々とツアーバスがやってきて、池の前は人また人です。人気がでれば仕方のないことなのかもしれませんが、これほど整備されてしまうと、「幽玄」な雰囲気は吹っ飛び、ただの池にしか見えません。もう、ここには来る必要がない、とつぶやいたポン太でした。
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 これは、前回訪問時(5年前)に撮影した御射鹿池です。今となっては、すばらしい思い出です。
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 再び、渓谷の遊歩道へもどり、王滝のすぐ近くへ。やはり横谷渓谷の主役はこの王滝と言って良いでしょう。
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 横谷温泉(乙女滝)へ下る道からみた渓流と紅葉です。ずっとこんな景色が続きます。
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 これが乙女滝です。名前とは異なり、かなり迫力のある滝です。このあたりはまだほとんど紅葉していませんでした。
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 帰路はすずらん峠を経由し、蓼科牧場から立科町、佐久市へと下りました。振り返ると夕陽を浴びて蓼科高原が燃えているようでした。
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 黄昏の牧場で草を食む牛。もうそろそろ牧舎にもどらなければいけないはずですが、どうしたのでしょう。
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信越線開業130周年記念列車、浅間山麓を走る

2018/10/23 21:20
 直江津からのびてきた信越線(当初の名称は直江津線)が、軽井沢まで開業して今年で130年になります。正確な開業日は、関山〜長野間が1888年5月1日、長野〜上田間が同年8月15日、上田〜軽井沢間が同年12月1日です。ポン太も、これに因んで、浅間山麓の駅物語と称するブログを何度かアップしました。
 この区間の大部分を継承したしなの鉄道でも、いろいろなイベントを実施中ですが、今月の目玉は、開業130周年記念列車の運転でした。用いた車両は、かつて特急「あさま」などに使用された189系電車。碓氷峠の急勾配区間を挟んだ区間で運用するため、補助機関車と協調運転ができる装置を搭載した特急用電車です。新幹線開業と同時に碓氷峠を越える在来線が廃止されたことで、この電車の特長を活かすことはできなくなり、廃車への流れとなりました。現在、JR東日本長野総合車両センターの6両編成のみが走行可能であり、それを用いての運転というわけです。
 189系電車が浅間山麓を走るのは久しぶりとあって大勢のファンがつめかけ、沿線の撮影ポイントはクルマの置き場に困るような状態でした。正直申しますと、ポン太はイベント列車にはあまり興味がなく、どちらかといえば日常的な鉄道の方が好きなのです。しかし、今回の記念列車は、イベントとはいえ、かつて、東京と信州を行き来する際によく利用していた189系電車ですから、昔なじみに会いに行くような感覚で撮影に出かけてみました。往時の様子とあわせてご覧下さい。

 ポン太が昔からよく撮影している場所(御代田〜平原間)へ行ってみると、驚くほど大勢の人が集まっていました。その人々の前を下り759M小諸行が通過して行きます。それにしても、ポン太の感覚としては、どうしてこうも皆同じ位置から撮りたがるのか不思議です。他人と似たりよったりの写真になってしまっては面白くないのではないでしょうか。この日この列車をこのアングルで撮影したのは自分だけ、というスタンスで撮影したいなぁ、とポン太なら思いますが。
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 いよいよ記念列車がやってきました。列車の背後の森の中にある三角屋根の建物は、今年の5月に竣工した御代田町役場です。これを入れることで時代がわかる、というのがポン太のねらいですが、このアングルで撮影している人は他にはいませんでした。(シメシメ)
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 小諸方向へ下っていく記念列車の後ろ姿です。(いずれも10月20日撮影)
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 往時の189系特急「あさま5号」です。(1990年8月20日撮影)
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 同じ「あさま」でも、こちらは489系の特急「あさま9号」です。(1992年8月9日撮影)
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 今、しなの鉄道は、いろいろな記念塗色の電車を走らせています。これはいわゆるスカ色(かつての横須賀線色)の電車です。ポン太には、かつてこの区間でこの塗色の115系電車に乗った(見た)記憶はありません。
(軽井沢行2602M、2018年10月20日撮影)
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りんごの話

2018/10/20 09:24
 実りの秋ですが、この夏の猛暑とその後の長雨の影響がいろいろな形で表れています。良かったのはキノコ類で、松茸が大豊作であることは以前のブログで触れたとおりです。悪かったものの代表は山栗ではないでしょうか。いつもの年ですと、1回のウォーキングで、ビニール袋がいっぱいになってしまうほどの収穫があるのですが、今年はさっぱり。ポン太の森の栗も、数えるほどしか拾うことができませんでした。そういうわけで、いつも楽しみにしている栗ご飯は、あきらめざるを得ません。
 果物はどうでしょうか。信州で果物の王様といえば、全国第二位の生産量を誇るりんごです。プロの農家が栽培しているりんごについては、いまのところ問題はなさそうですが、ポン太の庭の「アルプス乙女」という姫りんごは、ここ数年で最低の収穫量でした。それでもおよそ50個は収穫できましたので、形のよいものを選んで、ブランデー煮をつくることにしました。いろいろ試した中では、これが「アルプス乙女」の一番美味しい食べ方だと思います。ちょっとお洒落な自家製スイーツ。これなら一流パティシエにも負けないのではと自画自賛のポン太ですが・・・。

 春は花を楽しむことができる「アルプス乙女」です。
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 収穫直前の「アルプス乙女」です。実の数は例年の半分以下。ちょっと寂しい実りです。
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 皮をむかずに丸ごと利用しますので、まずは良く洗ってきれいにします。
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 次に芯の部分を抜く作業が必要ですが、これが結構大変です。力を入れすぎると割れてしまうので、慎重に行います。これが芯を抜いた状態です。
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 鍋に並べて煮込みます。入れるものは水、砂糖、ハチミツ、ブランデー、レモン果汁ですが、その量や比率、入れるタイミングは「企業秘密」です。(へへへ)
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 いい感じになりました。まもなく出来上がりです。
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 あら熱がとれたら冷蔵庫で冷やし、さらに冷凍しておけば、いつでも取り出しで食べることができます。これはプレーンヨーグルトにトッピングし、アイスクリームを添えたスイーツ。甘味と酸味がほどよく混じり合って、とても美味しいです。
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やはり外せない白駒池の紅葉

2018/10/14 09:49
 八ヶ岳エリア随一の紅葉名所である白駒池。標高2115mという高所に位置しているため、北アルプスなどを除けば、信州で最も早い時期に紅葉が楽しめる場所です。近年、全国にその名が知られるようになり、シーズン中は、遊歩道入口の駐車場へ到達することすら困難な大渋滞が発生することも稀ではありません。
 今年は例年より1週間ほどはやく紅葉が始まり、先週末の三連休あたりが、最後の見頃になるのではと予想されていました。渋滞覚悟で出かけたくはないので、今年はパスでも仕方が無いかと思っておりました。ところが、三連休が終わった後の平日も、予報に反して晴天が続き、「落葉しきり」という情報は伝わってきません。それなら、様子を見に出かけても良いのではという気になりました。
 平日の午後という選択がよかったようで、難なく駐車場に到着。もちろん、それなりの数の観光客は来ていましたが、遊歩道が歩きにくくなるほどの混雑ではありません。肝心の紅葉ですが、ピークを過ぎてはいたものの、まだ十分楽しむことのできるレベルでした。何度も訪れている場所ではありますが、駐車場から苔の森の遊歩道をたどり、池畔に出た瞬間に目に飛び込んでくる鮮やかな紅葉には、いつも感動させられます。
 白駒池の紅葉は間違いなく天下一品です。今秋も何とか間に合って見ることができ、本当に良かったと思うポン太でした。白駒池の紅葉をまだ見たことがないという方は、ぜひ来年の秋にお出かけください。

 今年は訪れるのが遅かったことで、今までとは違った楽しみもありました。そのひとつは、白駒池へ至る途中の国道沿いの山腹がすでに紅葉しており、その眺めがとても良かったことです。
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 もうひとつは、駐車場から苔の森をぬけて白駒池に至る遊歩道沿いにも紅葉している木があり、苔の森がより一層美しく見えたことです。
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 苔と紅葉した木々の絶妙なコントラスト。このまま額に入れて飾っておきたいようです。
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 池畔に至ると、こんな景色が目に飛び込んできました。水際のドウダンツツジの紅葉は終わりかけていましたが、その上の白樺がみごとに紅葉しており、やはり、紅葉名所だけのことはあります。
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 このあたりは、紅葉の最盛期には水面が真っ赤に染まるところです。落葉がすすみ、赤い葉は僅かに残る程度でしたが、良い景色であることに変わりはありません。
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 池畔の周回路を進むと、樹間から真っ赤な紅葉と水面が見え隠れします。これまた良い眺めです。
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 少し開けたところからの眺めは雄大で、標高2000m以上の場所にある天然の池としては、全国最大であることが実感できます。
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 水面に浮かぶ落ち葉もきれいです。野辰之作詞、岡野貞一作曲の「もみじ」。その2番の歌詞がメロディーとともに浮かんできます。「波にゆられて離れてよって・・・水の上にも織る錦」
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 池を離れて森の中を歩いても、これまたすばらしい紅葉に出会うことができます。
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 スタートしたのが遅かったので、池を一周しているうちに日が傾いてきました。山小屋の灯りが水面に映っているのをみると、「たそがれの灯は ほのかにともりて・・・」と歌いたくなります。紅葉に気分も高揚したところで、家路についたポン太でした。
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山の紅葉は今が盛り〜展望抜群の八間山へ

2018/10/10 12:42
 紅葉前線がだいぶ下がってきました。現在は標高1500〜2000m前後の亜高山帯が見頃になっています。
 先週末の三連休は秋晴れが続きましたが、その先の天気は下り坂という予報でしたので、なんとか連休中に1度は山の紅葉を楽しみたいと考えました。しかし、考えることはみな同じでしょうから、紅葉名所はどこも混雑が予想されます。そこで、比較的マイナーな山で紅葉が楽しめるところはないかと、地図を眺めていて見つけたのが、八間山(はちけんざん)でした。標高は1934.5mとかなりの高さがある山ですが、ポン太の意識の中には今まで存在していなかったというのが正直なところです。その山があるのは、志賀高原の裏側(これは信州から見ての話で、群馬の方には失礼な言い方になると思いますが)、野反(のぞり)湖の東岸。群馬百名山の1つということなのですが、あまり知名度は高くないと思われます。
 野反湖を訪ねること自体が初めてでした。ダム建設によって生じた人造湖とはいえ、元々湿原があった場所ということで、天然湖と変わらない美しさを感じました。山に登らなくても十分満足できる景観といえましょう。八間山へは、その野反湖の南端、野反峠(富士見峠)から登ります。
 ポン太の狙いは的中して、連休中にもかかわらず野反峠の駐車場はガラガラ。登山者も数えるほどでしたから、ゆったりマイペースで山歩きを楽しむことができました。野反湖を取り巻く山々はちょうど紅葉の真っ盛り。尾根につけられた登山道からは、どちらを眺めても紅葉また紅葉です。八間山がこれほど展望の良い山であったとは、なんたるベストチョイスなのかと、思わずニンマリしてしまったポン太です。


 野反湖の南端、野反峠からみた野反湖です。とてもダム湖とは思えない美しさです。
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 野反峠の駐車場の前が八間山への登山口です。頂上までポン太の足で1時間45分(含休憩)でしたから、気軽に登れるハイキングの山といった感じです。
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 登るにつれて、野反湖を眺める角度が変わり、その美景に、思わず歓声をあげてしまいました。
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 登山道はずっと尾根道なので、野反湖とは反対側の景色も楽しめます。全山紅葉し、これぞ山の紅葉という眺めです。
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 とにかく気分のよい登山道で、見飽きることがありません。
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 高度が上がると野反湖の眺めはこのようになります。
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 こんなところを歩くのが申し訳ないような、紅葉のど真ん中を行く道です。
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 いろいろな木々が紅葉していましたが、白樺の紅葉もみごとでした。
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 ドウダンも真っ赤に紅葉していました。まるでとコマクサのような可憐な花が咲いていて驚きました。
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 少しガスがでてきました。その中に見え隠れする八間山山腹の紅葉も、高山らしい雰囲気で迫力がありました。
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 八間山の頂上付近は笹に覆われていて、その中を登って行きます。
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 頂上付近の尾根から、ガスが晴れた谷を見下ろすと、極彩色の絵画のようでした。
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 八間山の頂上です。かなり広いスペースがあり、ランチには最適です。
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 八間山頂から、堂岩山、白砂山方面へと連なる尾根です。自然の造形のすばらしさには驚嘆するしかありません。
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 この白樺の幹の面白さ。厳しい自然がつくりだした造形美です。
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 帰路、振り返ってみた八間山山腹の紅葉です。日が当たって、より一層鮮やかさを増しました。
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 下山後に眺めた、野反湖畔の紅葉です。信州のすぐ隣であるにもかかわらず、こんなすばらしい紅葉名所があることに、今まで気づかなかったとは・・・。
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教会のある風景

2018/10/06 22:22
 浅間山麓には教会がたくさんあります。宣教師によって拓かれた避暑地という歴史的背景があることが一番の理由だと思われますが、それに加えて、ブライダル産業のメッカであるということも関係しているのではないでしょうか。いうまでもなく、教会はキリスト教徒のための宗教施設ですが、ここ浅間山麓では、地域を特徴づける存在として、欠かせないものになっているといっても過言ではないでしょう。
 作曲家の故武満徹氏は、御代田町の別荘を創作活動の拠点としていました。同氏が作詞作曲した「小さな空」という作品は、子供のころの記憶をセンチメンタルかつお洒落に描いているのですが、そこには、浅間山麓をイメージしたのではないかと思われる次のような歌詞がでてきます。「夕空みたら 教会の窓の ステンドグラスが 眞赫に燃えてた」
 冷涼で北欧や中欧を思わせる浅間山麓の自然景観には、確かに教会の建物が良く似合います。建物のデザインも、周囲の環境にマッチするように考えられていて、教会の存在が、地域のイメージアップにつながっている面があるのは否めません。著名な建築家が手がけた教会建築も少なくありませんので、これからの季節、紅葉狩りを兼ねての教会ウォッチングも悪くないのではと思うポン太です。

 軽井沢最古の教会、ショー記念礼拝堂です。聖公会(イギリス国教会)の宣教師であったショーが、この地に別荘を建てたことが、避暑地軽井沢の始まりとされます。礼拝堂の裏にある別荘(ショーハウス)は、1888(明治21)年の建築で、軽井沢最初の洋風別荘です。礼拝堂の原形となるものがつくられたのは1895(明治28)年で、その後、1922年までに増改築され、現在の姿になったということです。
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 こちらは、1897(明治30)年に軽井沢合同基督教会として設立されたユニオン・チャーチです。その名のとおり、避暑に訪れた外国人たちが、国籍や宗派を問わず集えるようにという目的でつくられたもの。改築設計を手がけたのは著名な建築家ウィリアム・ヴォーリズで、1918年(大正7)年の建築物です。 
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 ユニオン・チャーチの内部はいたって簡素です。
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 ユニオン・チャーチのすぐ近くにある軽井沢集会堂もヴォーリズの設計で、1922(大正11)年の建築です。ヴォーリズは、メンソレータムを日本に普及させた近江兄弟社の創立者の一人で、建築家としての代表作には、関西学院大学西宮上ケ原キャンパスの建築群があります。
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 ユニオン・チャーチ(左の建物)のすぐ裏が諏訪神社です。両者の間には面白い境界杭があります。「西洋教會所」と読めますが、神社の境内の一部を教会に提供した名残とみられます。神様が仲良く棲み分けた形ですが、わざわざ「西洋教會」と表記したのは、キリスト教会に馴染みがなかったせいなのかもしれません。
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 こちらは旧軽井沢のシンボルのような聖パウロカトリック教会です。アントニン・レーモンドが設計し、1934(昭和9)年に竣工したもの。レーモンドは、チェコ出身の建築家で、モダニズム作品により、日本の建築界に大きな影響を与えたとされます。
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 旧軽井沢銀座とこの教会との間に設けられている商業施設(モール)は、その名も「チャーチ・ストリート」です。
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 星野エリアにある軽井沢高原教会です。1921 (大正10)年の「芸術自由教育講習会」を原点に誕生したということですが、結婚式でよく知られている教会です。キャンドルナイトなど様々な催しが行われており、毎週日曜日(13:30〜)にはゴスペル礼拝があります。
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 同じく星野エリアにある「石の教会」の夜景です。設計はアメリカ人建築家ケンドリック・ケロッグで1988(昭和63)年に竣工しました。地上は礼拝堂、地下は内村鑑三記念堂になっています。とにかくお洒落で、こちらも結婚式の人気スポットです。
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 なにしろブライダル産業のメッカですから、雲場池あたりでは、しばしばこのような光景を目にします。
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 ここは教会ではありません。教会関係者のための宿泊・集会施設「軽井沢恵みシャレー」です。コンサートが開催されることもあります。クリスマスのイルミネーションは有名です。
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 クリスマスには、人間がクリスマスツリー状態になって賛美歌を歌う、「シンギングツリー」というイベントが行われています。
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 軽井沢だけでなく、その周辺にもたくさんの教会および関連施設があります。こちらは御代田町にあるバプテスト系の宿泊施設「めぐみの村」内にあるチャペルです。まわりの自然に溶け込むような佇まいは、絵になります。
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記録は活力の素

2018/10/03 22:45
 記録にこだわったり、記録達成をめざしてがんばろうする行為、これはまさに人間である証ではないでしょうか。スピード記録を狙っているサルなどいませんし、何かのコレクションに夢中になっているサルも、もちろんいません。
 世界一の記録を集めたギネスブックを面白がり、その記録に挑戦しようなどと考えるのは人間だけです。世界一かどうかは別にして、自分が目標とした記録を達成した時の満足感は大きく、生きている実感を得ることができるといっても過言ではないと思います。
 ひとくちに記録といっても、その内容は様々で、関心のない人からみれば、なんと馬鹿げたことにチャレンジしているのだ、といったケースも多いと思います。しかし、自分の好みに合い、がんばればなんとか達成可能な記録であればこそ、飽きずに取り組むことができ、その過程を楽しむこともできるのです。
 ポン太の興味の対象である鉄道のジャンルにも、いろいろな記録が存在します。その1つが全路線完全乗車です。好きな鉄道に全部乗ろうというわけですから、それ自体が楽しいことであり、1980年に、当時の国鉄私鉄全線乗車を達成することができました。その後も新線が開業する度に必ず乗車して記録を維持していますから、これはもう命のある限り続けることになると思います。
 手軽な運動であるウォーキングでも、何か目標とするものがあると、がんばろうという気持ちがより強くなるものです。ポン太が目をつけたのは中山道踏破でした。歴史探訪の要素もあり、行程を調べる段階から興味が湧きました。自分がコマになって双六をやっているような感じで、「あがり」の京都三条大橋に到達した時の満足感は、言葉で言い表せないほど大きなものでした。ポン太がこれまでに達成した比較的大きな記録(ではないかと自己満足しているもの)はこんなところです。
 ポン太の友人は、日本の全ての市区町村(含離島)訪問を間もなく達成します。最後に残った埼玉県鳩ヶ谷市を訪れる日には、ポン太もお祝いに駆けつける予定です。同君は、すでに日本百名山完登(都道府県最高峰完登も)を成し遂げており、ポン太と同じ鉄道全線乗車も達成していますので、山(自然)、地域(文化)、鉄道(交通)という異分野にまたがる三冠達成となるわけです。
 これほどの大記録ではなくても、自分にとって価値ある記録には、今後もチャレンジしたいし、そうすることで元気も出るような気がするポン太です。

 ポン太が日本の鉄道全線乗車を達成したのは、群馬県の上信電鉄下仁田駅においてでした。乗車後に廃止されてしまった路線がかなりある中で、同電鉄が今も元気に走り続けているのは嬉しいことです。(1980年8月16日)
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 当時の下仁田駅です。今もそれほど大きく変わってはいません。
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 乗車後に廃止された路線の中で、強く印象に残っているシーンを、ポン太の「懐かしのアルバム」からいくつかご紹介します。
 まずは北海道の深名線です。深川と名寄を結ぶ路線でしたが、1995年に全線廃止となりました。ポン太が乗車した混合列車にはダルマストーブが設置されていました。乗客はポン太のほかには1人しかおらず、途中駅での乗降客はゼロでした。(深名線8990列車車内にて、1972年3月4日撮影)
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 こちらは九州の室木線です。筑豊エリアの運炭路線の1つですが、当時としても時代離れしていると感じた路線でした。1985年に廃止となりました。(1971年7月3日、終点の室木駅で撮影)
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 九州最南端の私鉄であった鹿児島交通南薩線。南国らしい独特の雰囲気があり、もう一度乗りに来たいと思わせる路線でしたが、1984年に廃止されてしまいました。(終点の枕崎駅にて、1978年8月6日撮影)
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 中山道を踏破して、京都三条大橋に到達した際の記念写真です。京の都に着いた感激はひとしおでした。(2015年4月12日)
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 中山道は途中の景色や雰囲気が良いので、もう一度歩きたいと思うところが多々ありました。これは木曽路の中山道(妻籠宿の手前)です。どうです、歩きたくなりませんか?
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 中山道の最高地点、和田峠を越えた際にも、難所を突破できたという達成感を得ることができました。碓氷峠などもそうですが、達成感を得られるところがたくさんあるのも中山道の魅力ではないでしょうか。
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 三年前のことですが、友人の日本百名山完登達成に同行して、群馬県の武尊山に登りました。山頂はあいにくの雨でしたが、同行者全員で快挙達成を祝いました。ポン太も、自分が達成したわけではないのに、それなりの達成感を感じてしまいました。
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 下山の途中で雨が上がり、みごとな紅葉を眺めることができました。このような写真を見ると、紅葉の時期に山歩きをしないわけにはいかなくなります。
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秋色加速

2018/09/29 23:07
 足早に進む季節。今年は特にそれを感じます。あの暑い夏が去った後の気温の下がり方はおどろくほどで、9月中に暖房が必要になるなどということは、今まで経験したことがありません。
 秋といえば、何といっても楽しみなのは紅葉です。浅間山麓の本格的な紅葉シーズンはまだ先ですが、すでに色づき始めた木々の様子を見ていますと、例年より早く紅葉の見頃がやって来そうな気がします。
 中山道沿いの小径をたどり、追分宿まで歩いてみました。夏のシーズンが終わり、誰もいなくなった山荘の庭に、みごとに紅葉した木をいくつも見かけました。追分宿の中心部も少しずつ赤い色が増してきています。浅間山麓全体が紅葉に包まれる時期ももちろん美しいのですが、まだ緑が支配的な中に、赤い色が少し混じっている、紅葉の始まりの時期というのも、それはそれで、また良いものです。
 暑い夏とその後の多雨が、キノコには最適の環境であったようで、森の中はキノコがいっぱい。食べられるものだけでなく毒キノコも大繁殖しています。膨らんだビニール袋を手に、森から出てくる人によく出会いますが、わかる人にはわかるのでしょうね。ポン太にはもちろん無理な話で、うらやましく見ているだけです。キノコといえば、今年は松茸も大豊作とか。信州には松茸の産地が多く、この季節、新聞記事やテレビのニュースでよく取りあげられるのが、小学校や保育園の松茸給食です。地元産の松茸がたっぷり入った給食に、舌鼓を打つ児童や園児たち。ポン太の孫がもしそんな保育園に通っていたら、味見をさせろと押しかけてしまうかも。何?タヌキ汁持参ならOKだと、それは困ります。

 人が去った山荘の庭に、きれいに紅葉している木がありました。
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 道端のドウダンも色づいてきました。
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 色づき始めたこんなに素敵なお庭を、見る人がいないというのはもったいないですね。
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 真っ赤に色づいたたくさんの実。何だろうかと近付いてみるとヤマボウシでした。その後ろには、ムクゲの花が咲いていました。
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 全体的には、終わりかけているコスモスですが、追分宿では、まだきれいな花を咲かせていました。
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 色づき始めた追分宿の様子です。
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 股旅物のドラマでもはじまりそうな雰囲気です。
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 森に入るとキノコが目につきます。美味しそうにもみえますが、アブナイ、アブナイ。
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 草間彌生ワールドのようなキノコです。毒、それとも? いや、これはやはり毒でしょう。
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中山道の宿場町で古楽器を聴く

2018/09/26 15:49
 中秋の名月。旧街道の宿場町で、月待ちをしながら古楽器の音色を楽しむ。なんとお洒落なイベントなのでしょうか。新聞でその情報を得たポン太は、開催場所である、中山道(日本橋から25番目)の宿場町、望月宿の歴史民俗資料館へと出かけてみました。望月は宿場町として栄えただけではなく、平安時代から官牧(望月ノ牧)の所在地として知られ、紀貫之の和歌にもその名が詠まれているという、古い歴史を有する土地です。演奏用ステージが設けられていたのは、資料館内の古民家コーナーの囲炉裏端。外の街並みも演奏会場も、このようなイベントにふさわしい雰囲気のところでした。
 古楽器と聞いて、当初想像したのは、雅楽などに用いられる和楽器です。しかし、この演奏会の主役は、西欧の古楽器、ヴィオラ・ダ・ガンバとリュートでした。前者はチェロに似た擦弦楽器(ただし弦は6弦)で、音域の異なる様々なサイズのものがあり、合奏を楽しむために、宮廷や貴族の家には常備されていたということです。後者は琵琶のような形をした撥弦楽器で、ギターの元祖のような感じでした。演奏された曲の大半は、16世紀以前に作曲されたもので、なじみはないものの、素朴で温もりのあるその音色は心地よく、やわらかな弦の響きに魅了されました。
 プログラムの中に、「天正遣欧少年使節」の足跡を、古楽器の演奏を交えて語るという内容のものがありました。遣欧使節が持ち帰った古楽器は、豊臣秀吉の前で演奏されたということです。演奏曲とされる「千々の悲しみ」という曲を聴くことができました。安土桃山時代の日本と、ルネサンス時代のヨーロッパが同時代であり、当時の天下人がこのような演奏を耳にしていたのかと思うと、歴史のロマンを感じないわけにはいきません。
 演奏会の後は、中秋の名月を愛でるはずでしたが、残念ながら、お月様は雲の中に隠れたままで姿を見せてくれませんでした。されど、雅な企画であることは間違いなく、改めてこの地域の文化の奥深さ、文化度の高さに感じ入ったポン太でした。

 ここが中山道望月宿です。今も往時をしのばせる街並みが残っています。
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 映画「犬神家の一族」のロケが行われた、井出野屋旅館もあります。
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 コンサートの会場、望月歴史民俗資料館です。ここは、望月宿本陣の跡で、再建された本陣門から入場します。
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  囲炉裏を囲んでの古楽器の演奏風景です。6人の演奏者からなる「佐久古楽合奏団」は、この資料館に縁のある古楽器愛好者が集まり、2年前に結成されたということです。メンバーの中には、古楽器を製作している方もいました。
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 ヴィオラ・ダ・ガンバとリュート(中央)の演奏です。
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 リュートの伴奏による歌唱もありました。「サリーガーデン」というアイルランド民謡は、情感のある良い歌でした。
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 演奏者が曲目によって楽器を持ち替えて演奏するのもこのコンサートの特色でした。この曲では、先ほどまでヴィオラ・ダ・ガンバを演奏していた方が太鼓を担当し、ハープシコード代用のキーボードを弾いていた方が大きなヴィオラ・ダ・ガンバを担当しています。
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 「天正遣欧少年使節」の足跡が演奏を交えて語られた場面です。スライドによる画像付です。
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 演奏者の中には、尺八の名手でもあるという方がいて、「もののけ姫」の演奏では尺八を担当。日本の古楽器と西欧の古楽器とのコラボも見事でした。
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 コンサートの後は望遠鏡も用意されて、資料館の前庭で月の出を待ったのですが、空は厚い雲に覆われていて見ることができませんでした。
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 これは3年前の「スーパームーン」の際に撮影した写真です。このような月を期待したのですが、残念でした。
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ツリバナの妙

2018/09/23 22:32
 ポン太の森に自生する樹木の中で、特に気に入っているのがツリバナです。辞書で調べてみると、ニシキギ科ニシキギ属の落葉低木とあり、北海道から九州まで全国の落葉広葉樹林帯に分布しているとのこと。そんなに珍しい樹木ではなさそうですが、ポン太は浅間山麓に移住するまで、その名前はもちろん、存在さえ知りませんでした。
 幹は細長く、ちょっとなよなよした感じですが、台風が来ても倒れることはなく、案外丈夫です。葉は鮮やかな黄緑色で、新緑の季節が過ぎ、夏になっても、新緑のようなみずみずしさを保っています。花はとても小さいのですが、長い柄の先にちょこんと咲いている様は実に可愛らしく感じられます。秋になると、熟して真っ赤になった実が、葉の間から吊り下がり、最後ははじけてタネが飛びだしてきます。それはまるで、秋の到来を祝って、くす玉が割れたかのようです。
 紅葉もみごとです。個体によってその時期にはかなりずれがあり、8月下旬から色づいているものもあれば、実が真っ赤になっているのに、葉は青々としているものまで様々。紅葉した葉の色も、桃色から深紅に近いものまでいろいろで、遠目には、あれっ、何が紅葉しているのかな、と思うことがしばしばです。
 世話をしているわけでもないのに、春から秋まで、これだけの変化を楽しませてくれるのですから、自然の恵みに感謝するしかないポン太です。
 
 小さくて可愛いらしいツリバナの花です。
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 真夏のツリバナの葉です。緑が濃すぎず、新緑のようにも見えます。
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 初秋には実が目立つようになります。
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 真っ赤に熟した状態です。
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 くす玉のように割れ始めました。
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 少し淡い感じの紅葉もきれいです。
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 こんなに赤くなる葉もあります。
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美景てんこもりの飯盛山

2018/09/20 22:24
 家の近くの平尾山に何度か登っているうちに、身体が山に慣れてきました。足の筋肉の反応もよくなり、久しぶりに登った際に感じたような痛みも出ません。やはり、身体はいくつになっても鍛えないとだめだ、つくづくそう思います。このところ、平尾山へは週に2回程度のペースで登っていますので、そのレベルを維持したいところですが、同じ山ばかりではさすがに飽きてしまいます。そこで、少し気分を変えてみようと出かけたのが、佐久地域の南端に位置する標高1643mの飯盛(めしもり)山です。登山口の平沢峠の標高がおよそ1450mですから、標高差は200m足らず。山登りとしては物足りないような気がして、これまで1度も登ったことがありませんでした。
 里山の範疇に入るとはいえ、標高1643mはそれなりの高さです。日本百名山に選ばれている山の中にも、これより低い山が12座もあります。例えば、東北の名山である岩木山の標高は1625mですから、飯盛山より低いのです。山は単に高ければよいというわけではないのですが、高さによって植生や展望も変わってきますから、ある程度の高さがあると登る楽しみが増すことは否定できません。
 平沢峠から、落葉松林の明るい登山道を50分ほど登ると稜線にでました。その先の展望は抜群で、八ヶ岳連峰はもちろん、南アルプス、富士山、金峰山、瑞牆山等々、文句のつけようのない大パノラマの世界です。展望だけではなく、沿道にはたくさんの種類の花が咲いていて目を楽しませてくれます。その中に、大好きなタカネマツムシソウを見つけ、カメラをむけていると、下山してきた方が、「この先に大群落がありますからお楽しみに」と教えてくれました。展望と花の両方を楽しみつつ、20分ほど歩くと、ご飯を茶碗に盛ったような円錐形をした飯盛山の直下に到達。そこには教えてもらったとおりのタカネマツムシソウの大群落がありました。頂上に着くころには、富士山に少しかかっていた雲もとれて、端正なシルエットが眼前に浮かんでいました。まさに絶景です。
 幼児でも簡単に登れる山ですが、登ってみる価値のある山だと思います。飯盛山だけに、展望にも花にも「大満腹」のポン太でした。
 
 飯盛山への登山口、平沢峠です。ここからの眺めもすばらしく、「フォッサマグナ発想の地」という説明板もありました。この地を訪れたエドムント・ナウマン博士(ドイツ人)が、ここから南アルプスの景色を眺めたことをきっかけに、本州を東西に分ける構造体(地溝帯)の存在に注目し、そう命名したということです。
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 明るく気持ちの良い登山道を登って行きます。
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 稜線に出ると一気に展望が開けました。
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 ふりかえると八ヶ岳が大きく見えます。
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 道端には野菊が咲き乱れていました。秋ですね。
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 そうかと思うと、わずかながらまだフウロも咲いていました。
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 これはヤマラッキョウの花でしょうか。浅間山麓ではあまり見かけない花です。
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 飯盛山が近付いてきました。
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 円錐形の山同士、富士山とのコラボも絵になります。
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 タカネマツムシソウの群落があらわれました。盛りは過ぎていましたが、まだ十分きれいです。
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 蜜を求めて蝶もやってきます。この花と蝶、絶妙な色の取り合わせではないでしょうか。
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 ウメバチソウも咲いていました。
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 おっと、これは猛毒のトリカブトです。
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 飯盛山山頂から見た富士山です。この景色を見ることができたただけでも満足してしまいます。
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 こちらは金峰山(右)と瑞牆山(左)。金峰山頂のシンボル、五丈岩がよく見えます。
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 南アルプス方面の眺めです。フォッサマグナも実感できます。
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 これだけの展望を欲しいままにしての山上ランチ。おにぎりとわずかなおかずだけでしたが、一流レストランの食事よりも美味しく感じられました。
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 小さな子供たちもがんばって登ってきました。短時間で登れて展望が良い、まさにファミリーハイキングにふさわしい山です。
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五島慶太の故郷

2018/09/16 22:59
 大手私鉄の雄、東京急行電鉄(東急)を築きあげた人物して、五島慶太の名を知る人は多いと思います。多くの鉄道会社を合併統合した辣腕ぶりから、「強盗慶太」と呼ばれたこともありましたが、電鉄経営者の中で、ひときわ異彩を放つ人物であることは間違いないでしょう。その五島慶太が、信州の出身であることはあまり知られていないように思います。
 五島(旧姓小林)慶太は、1882(明治15)年に小県郡殿戸村(現在の青木村)で生まれました。青木村は、以前のブログで、「義民の村」として取りあげたことがありますが、反骨精神を尊ぶ村です。横紙破りとみられなくもない豪腕経営者が、この村の生まれであると聞けば、なるほどと思ってしまいます。
 殿戸の生家は、慶太の没後も往時の姿のまま残されていました。ところが、本年8月14日に発生した火災(落雷が原因とみられています)で、屋根や2階の壁、床などが焼けてしまい、解体されることになったという記事が、最近の信濃毎日新聞に掲載されていました。村では、焼け残った部分を移築保存し、再建を視野に活用策を検討するそうです。
 鉄道史に大きな足跡を残した五島慶太ですが、その故郷に鉄道(厳密には電気軌道)が通じたのは、1921(大正10)年6月17日のことでした。上田市郊外(千曲川対岸)の三好町から青木に至る上田温泉電軌青木線です。殿戸にも駅(停留所)が設けられましたので、五島慶太も帰省の際に利用したかもしれません。青木線が特許を得た1919年当時、五島慶太は鉄道院監督局総務課長の職にありました。特許に影響力を行使したかどうかははわかりませんが、敷設への動きは認識していたでしょう。五島が鉄道経営に関する知識を集積したのは、鉄道院(1920年に鉄道省に昇格)で全国の鉄道軌道の監督行政に携わったことによるといわれています。
 青木線は県道を借用して敷設したため、早期に開業することができたようです。ところが、それが仇となり、1938(昭和13)年にその借用期限が切れたことで廃止に追い込まれています。青木線の終点であった青木バスターミナルの待合室に青木線の写真が掲げられているのを見て、この短命だった電車に興味が湧きました。何か遺構が残っていないか、沿線を歩いてみたくなります。五島慶太の生家が今後どのような形で活用されるのか、村として五島慶太の業績をどう評価して顕彰していくのか、といったことももちろん興味深く、青木村から目を離すことはできないと感じているポン太です。


 ポン太が五島慶太の生家を訪ねたのは、今から35年も前の1983年で、下の写真はその時に撮影したものです。
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 「俺は信州の水呑百姓の次男坊だと、語っているが、・・・・千戸あまりの村では一番の資産家であった」(三鬼陽之助著『五島慶太伝』)ということで、生家の建物はかなり大きなものでした。
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 生家の近くに設けられた「五島慶太翁記念公園」内の頌徳碑です。
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 五島慶太が、生前に地元に寄付した五島公民館です。
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 青木村の中心に位置する青木バスターミナルです。ここにはかつて、上田温泉電軌青木線の終点、青木駅がありました。
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 1931(昭和6)年ごろの青木駅と青木線の電車です。
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 青木線と同時に開業した上田温泉電軌川西線(のちに別所線と改称)は、上田電鉄別所線として健在です。これは、五島慶太の生家を訪ねた際に利用した1983年当時の別所温泉駅です。
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 これは現在の別所温泉駅です。車両は変わりましたが、駅は昔のままです。このレトロで風情のある佇まいは、東信地域でピカイチではないかとポン太は思います。
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 かつての別所線は、丸窓電車(モハ5250形)で有名でした。これは上田駅で撮影したモハ5250形(5251)です。現在の別所線上田駅は高架化されていて、風景は一変しています。
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里山で蝶と戯る

2018/09/13 17:29
 9月に入ってから、涼しい日が続いているので、1ヶ月ぶりに里山歩きを再開しました。まずは、いつもの平尾山へとでかけたのですが、たった1時間で登れる山頂が、こんなに遠かったかと思えるほどつらく感じました。年齢的に山登りはもう難しくなりつつあるのかなと、暗い気分になったのですが、その後、何度か登っているうちに、身体が楽になり、所要時間も少しずつ短くなってきました。毎日ウォーキングはしていても、山で使う筋力(心肺機能も)はまったく別物であり、山登りに必要な体力は山で養うしかないということがよくわかりました。
 平尾山の山頂から見渡した佐久平は、全体が黄金色に変わりつつあり、すっかり秋の風情です。ベンチで持参したお茶を飲んでいると、まわりを無数の蝶とトンボに取り囲まれていることに気づきました。あまり人を警戒する様子もなく、目の前を舞ったり、帽子にとまったりしています。しばらくその様子を眺めているうちに、のどかだなぁ、なんて平和なんだ。つくづくそう思いました。
 人間世界では相変わらずいさかいが絶えません。パワーゲームに明け暮れている権力者たちは、こんな静かな里山に登って一時を過ごすようなことはないに違いない、などと勝手に想像しながら山を降りたポン太でした。

 平尾山から見下ろした佐久平は、実りの季節をむかえつつあります。
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 静かな平尾山の山頂です。
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 まだ日暮れには遠いのですが、「夕焼け小焼けの赤とんぼ、とまっているよ竿の先」と口ずさみたくなりますね。
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 もちろん赤とんぼ以外のとんぼもたくさん舞っていました。
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 すぐ近くの花にやってきた蝶。よくみると可愛らしい顔をしています。
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 羽を広げた姿はやはり絵になります。
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 こちらはちょっとくたびれた感じの蝶。最後の力をふりしぼって蜜を吸っています。がんばれ!
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たまごの女王

2018/09/11 21:18
 食欲の秋。何を食べても美味しい季節ですが、たまにはシンプルに「卵かけご飯」というのも悪くないでしょう。
 浅間山麓エリアで卵といえば、「ちゃたまや」の「浅間小町」が有名です。「ちゃたまや」は、佐久の山中に広大な養鶏場を有する「ブラウンエッグファーム」の直営店で、 本店があるのは佐久市浅科(旧浅科村)。幹線道路沿いではあるものの、まわりは見渡す限りの水田で、建物も地味。こんなところで商売になるのかなと思いきや、次から次へとクルマがやって来て、どんな時間帯でもお店に人が入っていないということはありません。
 卵そのものが美味しいだけでなく、プリン、シュークリーム、ジェラートといった加工品も、味が良いのはもちろん、ボリューム満点でしかもリーズナブル。というわけで、近くを通りかかった際には、ついつい立ち寄ってしまいます。
 今回はシュークリームと「浅間小町」を購入しました。だいぶ前に食べたロールケーキがとても美味しかったので、本当はそれが欲しかったのですが店頭にはなく、確実に入手するには予約をということでしたので、次回のお楽しみとあきらめました。
 さて、家に帰ってから食したシュークリームと卵のお味は?下の写真から察していただけると思いますが、十分満足したポン太でした。


 佐久平から望月方面へむかうと、こんな看板が目に飛び込んできます。
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 その反対側にはこんな看板も。たまごのジェラート、美味しそうに見えますね。見えるだけでなく本当に美味しいです。
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 ちゃたまや本店の建物は、見過ごしてしまいそうになるほど地味ですが、次々とクルマがやってきます。
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 これがお店の入口です。
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 持ち帰った「浅間小町」です。もっと大きなサイズもありますが、今回はこれにしました。
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 シュークリームはボリューム満点。これは生クリームとカスタードのダブルですが、カスタードだけのタイプもあります。
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 「浅間小町」をご飯にかけてみました。ふだんはあまり卵かけご飯を食べないので、正確な評価は難しいのですが、ねっとり感があり、美味しく食べられました。すき焼きと一緒に食べたら、もっと美味しいかもしれませんので、試してみたくなりました。
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 なんと黄身を箸で持ち上げることもできました。
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中軽井沢駅物語 〜浅間山麓の駅物語<その4>

2018/09/08 16:35
 おそらく、現在の避暑客や行楽客の多くは、中軽井沢駅の旧称が沓掛であることをご存知ないと思います。その沓掛駅が開業したのは1910(明治43)年7月15日。信越本線(当初は直江津線)上田〜軽井沢間が開通してから22年後のことでした。沓掛の名は、中山道で日本橋から19番目の宿場であった沓掛宿に由来します。浅間三宿のひとつとして栄え、皇女和宮下向の際には宿泊地となるなど、それなりの規模を有する宿場でした。
 沓掛駅の開業からしばらくして、この地を別荘地として開発しようという人物が現れます。後に西武グループの総帥となる堤康次郎です。外国人や上流階層の避暑地として発展しつつあった軽井沢の隣地であることに目をつけ、庶民にも手が届く別荘地開発を目論んだのです。1918(大正7)年に沓掛区有林ほか60万坪を買収。千ヶ滝一帯は別荘地へと姿を変えていきました。ねらいは当たり、昭和に入るころには、千ヶ滝の名は、軽井沢の新たな別荘地、行楽エリアとして知られるようになります。鉄道省が1936(昭和11)年に刊行した『鉄道旅行案内』の「沓掛」の項には、「千ヶ滝遊園地」の記載があり、「土地高燥、気澄み水清い避暑地で、園内には貸別荘、旅館、倶楽部、共同浴場、運動用具などがある」とあります。余談ですが、最近、軽井沢の「うたう会」という集いに参加したところ、当時人気絶頂であった藤山一郎と渡辺はま子のデュエットソング『千ヶ滝小唄』(久米正雄作詞、藤山一郎作曲、ビクター、1935年)まで売り出されていたという話を聞き、驚きました。一番の歌詞は「碓氷越えれば気も軽井沢、降りる支度を降りる支度を千ヶ滝」とかけことばになっていて、CMソングのような存在だったのではないかと感じます。
 戦後はさらに開発が進み、1956(昭和31)年には軽井沢スケートセンター(2009年に閉鎖)が開業しました。同じ年の4月10日、沓掛駅は、中軽井沢駅へと改称され、何と字名まで中軽井沢となり、沓掛は地名としても消滅してしまいました。これは中山道69次の中で唯一のケースだそうです。地名はその土地の歴史を物語る文化財のようなものだと考えるポン太としては、愚劣な改名としか思えませんが、観光開発には資するところがあったのでしょう。
 碓氷峠のアプト式が解消されてからは、中軽井沢を終着(始発)駅とする、避暑客、行楽客輸送のための準急(のち急行)「軽井沢」号や特急「そよかぜ」号が運転されるようになりました。観光地として開発された「鬼押し出し」や、万座草津方面へのバスに乗り継ぐ人も多く、軽井沢のもうひとつの玄関口となったのです。
 1997(平成9)年の新幹線開業後は、ローカル列車のみが発着するしなの鉄道の駅となり、いささか寂れた感は否めません。そこで、賑わいを取り戻すべく取り組まれたのが、橋上駅化と、駅と一体化した地域交流施設(町立図書館等)の建設です。前者は2012年に、後者は2013年4月1日にオープンしました。これにより駅とその周辺の雰囲気は一変しましたが、地域交流施設が「くつかけテラス」と命名されたことには、ちょっとした嬉しさを感じているポン太です。

 中軽井沢駅と一体化した地域交流施設「くつかけ」テラスです。2013年にオープンし、町立図書館などが入っています。
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 入口の表示はこうなっています。「くつかけ」の名が公の場に復活したのは喜ばしいことです。
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 駅への出入口前がバスのりばになっています。昔のように、大勢の行楽客が並んでバスを待つという光景は見られませんが、今も西武観光バス(旧称は西武高原バス)が発着していますし、町内循環バスもやってきます。
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 橋上駅化されただけでなく、構内の様子も大きく変わりました。上下線が1本ずつという単純な相対式ホームになり、昔の面影はありません。上りホームに、しなの鉄道の看板列車「ろくもん」が入ってきたところです。
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 以前の中軽井沢駅は、島式ホーム(上り本線+中線)と片面ホーム(下り本線)というスタイルでした。この写真は、高崎行326列車が進入してきたところです。上の写真とほぼ同じ場所です。(1975年7月6日撮影)
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 上野駅で発車を待つ中軽井沢行の準急「軽井沢」号です。1962年に同名の列車が運転開始した際は、横川止まりで、軽井沢へはバス連絡という形をとっていたと思います。碓氷峠にアプト式ではない新線が開通した1963年7月から中軽井沢行になりました。(1965年9月25日撮影)
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 中軽井沢始発の特急「そよかぜ」号の特急券です。ポン太も何度か利用しましたが、当時、軽井沢を訪れたことがある方は、懐かしく感じられることと思います。
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 沓掛の地名が失われた後も、沓掛の存在を主張していたのが、長倉神社境内の「沓掛時次郎の碑」です。長谷川伸の同名作品に登場する架空の人物ですが、沓掛の名を世に知らしめた「功績」は大きく、今も「時次郎饅頭」という銘菓が販売されています。
 「千両万両曲げない意地も、人情からめば弱くなる、浅間三筋の煙の下で、男沓掛時次郎」
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 沓掛宿の建物は、1951年の大火で大半が焼失し、残念ながら宿場町の面影はほとんど残っていません。このような石碑が、かろうじて宿場だったことを伝えてくれます。
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 千ヶ滝の旧スケートセンターエリアの丘には、開発者である堤康次郎の像があります。しかし、その周辺にあったスケート場やテニス場、商業施設(夏季には西武デパートが営業していたこともあります)、ホテルなどは現存せず、残るは日帰り温泉施設(千ヶ滝温泉)のみ。千ヶ滝の別荘地は今も健在ですから、観光客が歩きまわらなくなったことで、静かな環境が保たれているということはいえるでしょう。
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初秋の風情

2018/09/01 12:45
 一昨日、気象庁は、浅間山の噴火警戒レベルを、2から1に引き下げると発表しました。火口周辺500m以内には立ち入れないものの、前掛山(2524m)までは登山できるようになったわけです。夏山シーズンには間に合いませんでしたが、朗報であることは間違いありません。本格的な夏山に登らないうちに秋をむかえてしまったポン太としても、久しぶりに登ってみようかなという気持ちになります。
 さて、その浅間山を毎日眺めて過ごしているポン太ですが、山麓一帯は、「初秋の侯」という手紙の冒頭の挨拶にふさわしい雰囲気になってきました。風に揺れている芒の穂や、一面に白い花を咲かせている蕎麦畑を見たりすると、もうすっかり秋だなぁと思います。その一方では、ヒマワリや百日草など、夏の名残を感じさせる花もまだたくさん咲いています。この夏と秋とが交錯する風情、それがまさに初秋なのでしょう。
 ポン太の森やその周辺の様子をカメラでスケッチしてみました。

 雲海に浮かぶ浅間山です。頂上は台形のように見えますが、右手奥の少し高いところが噴火口のある火口丘で、左手の稜線上のピークが前掛山です。
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 芒と紅葉し始めた木々。秋になったことを感じさせます。
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 秋の七草のひとつ、萩の花も咲いています。
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 コスモスとヒマワリのコラボ。秋と夏が同居している、まさに「初秋」です。
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 庭の百日草はまだ盛り。蜜を吸いに、こんな蝶もやってきます。
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 道端には秋の使者、アキアカネ(赤トンボ)がとまっていました。
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 サンショの実が赤く色づいています。
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 ポン太の森の栗の実も大きくなってきました。あと1ヶ月もすれば収穫できそうです。
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 近くの蕎麦畑では、蕎麦の花が満開。新蕎麦のシーズンまであと1ヶ月半といったところでしょうか。
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 近くで見ると、意外にきれいな蕎麦の花です。
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 初秋の味覚といえばやはりこれ。不漁から一転豊漁に変わり、値段が下がったので、さっそく庭で焼いてみました。油の焦げるニオイが食欲をそそります。都会でこんなことをやったら苦情がでそうですが、直火で豪快に焼いて食べる秋刀魚はひと味違います。
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 チェーンソーアートにチャレンジしてみました。おサルのジョージのつもりですが・・・。
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野辺山SLランドの終焉

2018/08/27 17:50
 野辺山高原の国道141号沿いに、「SLランド」と称するテーマパークがあります。その看板は国道からもよく見えますし、小さな蒸気機関車が動いている姿を目にした方も多いと思います。1986年の開園以来、32年の長きにわたり来場者を楽しませてきた同園が、なんと今月末で閉園することになりました。ポン太は、以前に1度訪ねたことはありますが、だいぶ記憶も薄れていたので、閉園前にもう一度じっくり見ておきたいと思い、出かけてきました。
 同園の目玉は、350mほどの周回レール(軌間762mm)上を走る蒸気機関車362号です。元は台湾糖業公司で使用されていた機関車で、1948年のベルギー(アングロフランコベルジ社)製。2両の客車を牽いて走りますが、それらもサトウキビ運搬用の貨車を改造したものです。ここは、信州で動く蒸気機関車を見ることができる唯一の場所であり、海抜1386mの「日本で一番高いところを走る蒸気機関車」でもありましたから、閉園してしまうというのは実に残念です。これを引き継いで運営してくれるところはないのでしょうか。
 同園を訪れた日は、国立天文台野辺山宇宙電波観測所の特別公開日でもあり、そちらも見学してきました。同所は、直径45mという世界最大級の電波望遠鏡を有する施設として有名で、野辺山高原のシンボル的な存在です。ところが、財政難から遠隔操作態勢への移行方針が示されており、今回が最後の特別公開になるかもしれないということでした。初めて間近に見た電波望遠鏡の巨大さには驚かされましたが、それ以上に驚いたのが、観測所構内に「超広軌鉄道」があったことです。それはミリ波干渉計アンテナを移動させるためのもので、東西方向に560m、南北方向に520m、合計1080mの「路線網」が形成されていました。両線の交点にはターンテーブルが設けられていて、方向転換ができるようになっています。さて、そのゲージですが、手元のパンフレットを物差し代わりにして測ってみたところ4000mmもありました。これは新幹線(国際標準軌=1435mm)の2.8倍です。以前、JFEスチールの京浜製鉄所を見学した際に、溶銑輸送用の「鉄道」が、1676mmゲージであることを知り、それが日本で一番の超広軌鉄道であろうと思っていたのですが、それをはるかに上回るものがあろうとは。この「大発見」に有頂天になったポン太でした。
 
 SL列車への乗車を待つ人の列です。間もなく閉園ということで、子供連れだけでなく、名残を惜しむ大人の姿も少なくありません。
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 「野辺山高原駅」を発車した362号です。
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 周回ルート上には、こんなメルヘンのような風景もあります。
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 高原の涼風を浴びながらの短い汽車旅です。
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 コスモスとのコラボも絵になりますが、この風景もあと僅か。
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 真横からみた362号です。キャブの後ろの大きな箱のような部分には蒸気発生装置が積まれています。見栄えは悪くなってしまいましたが、機関車本来のボイラーを使用せずに動態化するためには、やむを得ない措置だったのでしょう。
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 これが蒸気発生装置です。こうした方法で動態化した例がほかにあるでしょうか。
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 周回路線には踏切があり、警報器も遮断機も作動します。
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 SLランドは小さなテーマパークですが、ほかにも乗り物がいくつかあります。その中でかなり本格的なのが、「スイスレーティッシュ鉄道」と称する5インチゲージの鉄道。線路の長さが一周360mもあります。自分でノッチを入れてスタートします。
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 スピード感もあり、とても楽しそう。
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 こんなところも走るのですね。乗ってみたいと思いましたが、ポン太一人ではちょっと・・・・。
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 さてこちらは国立天文台野辺山宇宙電波観測所です。45mの電波望遠鏡はさすがに大きいです。
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 「45mにタッチ」というイベントをやっていて、皆さんタッチしていました。もちろんポン太も。総重量は700トンあるそうです。
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 これがミリ波干渉計とその移動のために設けられたレールです。
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 超広軌のレールがのびています。
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 東西線と南北線の交点にあるターンテーブルです。
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 レールの終端部に「車両基地」があり、ミリ波干渉計運搬用の車両(台車)がその中に入っていました。
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 これは名古屋大学の電波へリオグラフだということです。子供たちが「可愛い〜」と叫んでいました。
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 ひまわりとのコラボです。どちらもむきが大切、かな。
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 野辺山は何かと鉄道の話題の多いところです。ある種の鉄道の「聖地」といえるかもしれません。ここはJRの最高地点で、観光名所にもなっています。
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 そのすぐ近くには鉄道神社もあります。鳥居は枕木、ご神体はレールです。最高地点の標高は1375m。「ひとみなこうふく」または「ひとみなごうかく」とも読めるので、御利益があるそうな。
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 野辺山駅はJRで最高所にある駅です。海抜は1345.67m。2がないだけで、数字が順番に並びます。なんというわかりやすさ。
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 野辺山駅前の公園には小海線で活躍したSL、C56形(C5696)蒸気機関車が保存展示されています。
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 野辺山といえばヤツレンの牛乳が有名です。美味しいのでポン太も毎日飲んでいますが、その商品名は「ポッポ牛乳」。何かと鉄道とは縁の深い野辺山です。
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ヤツレンの直売所で売っているソフトクリームは、濃厚で美味。満足度はいつも100%です。この日も、一日歩き回った後でしたので、格別でした。
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 鉄道の「聖地」ともいえる野辺山の地から、SLランドが消えてしまうのはやはり寂しいですね。



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ノスタルジックな学校建築

2018/08/24 17:21
 テレビで全国放送のニュースを見ていると、このところよく耳にするのが、「夏休みも残り少なくなりましたが・・・」というセリフ。しかし、信州の学校ではすでに新学期に入ったところが多いのです。21日の夕方、散歩に出ると、学校帰りの中学生たちが、「こんにちは」と元気よく挨拶してくれました。聞けば、当日が始業式であった由。
 夏休みの短い信州の子供たち。8月末日まで、宿題などそっちのけで遊びまくっていたポン太としては、ちょっと可哀想な気もしますが、お盆を過ぎれば秋風が吹き、涼しさを感じるようになるという、従来の信州であれば、理にかなってはいたわけです。しかし、今年はどうでしょうか。一昨日(8月22日)の長野市の最高気温はなんと38.5度。浅間山麓ではさすがにそれほどの猛暑にはなっていませんが、今後のことを考えれば、学校にもクーラーが必要だという声が出るのは当然かと思われます。
 冷暖房効果だけを考えれば、新しい建物の方が良いということになります。しかし、学校というところは、思い出の宿る場所でもありますから、何でも新しければ良いというわけでもありません。母校に、昔と同じ古い校舎が残っていたりすれば、嬉しく思う人が多いはずです。母校ではなくても、長い歴史を刻んだ校舎には、地域の人々の思いが詰まっているような気がして、惹かれるものがあります。
 明治期に建設された小学校の校舎で現存しているものは少なくなりつつありますが、佐久市大沢地区(旧南佐久郡大沢村)に、明治26(1893)年竣工の旧大沢小学校校舎が残されていることを新聞記事で知り、訪ねてみました。内部の公開期間は過ぎていたので、外観のみの見学でしたが、大きな改造を加えられた形跡がなく、ほぼ建築当時の姿を保っているその姿は見応えがありました。建築用材の大部分は村の共有林等から供出されたということで、村民総参加の学校建築であったと、説明板に記されていました。当時の建築資料も残されているということですから、学校建築の歴史を振り返る上で貴重な遺産ということができるでしょう。
 佐久市内には、明治8(1875)年に竣工した、全国でも最古級という擬洋風学校建築の中込学校もあります。どちらにも言えることですが、決して豊かとはいえない当時の人々の、教育に寄せる思い(期待)がいかに大きなものであったか、それが感じられるだけでも、行ってみる価値があるとポン太は思います。

 これが、旧大沢小学校の校舎です。昭和58(1983)年に野沢小学校に統合されて廃校となるまで使用されていました。東西方向の中廊下があり、その両側に教室が配置されるという、明治中期特有の学校建築洋式を示している貴重な建物です。
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 半円形のガラス製欄間やガス灯(閉校後復元)など、正面玄関付近はちょっとお洒落な意匠になっています。
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 校舎の北側(裏側)です。実際に小学校として使用されていたころは、窓枠がアルミサッシ化されていたそうですが、現在は建設当時と同じ木製にもどされています。洋風の下見板張りの壁面には、アクセントとなる胴蛇腹(帯状の突出部)が設けられています。
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 校舎の前には、定番の金次郎像が立っていました。この風景もノスタルジックで良いですね。
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 こちらは、国の重要文化財に指定されている中込学校です。建築したのは、地元出身の大工の棟梁であった市川代次郎。明治2(1869)年に渡米し、欧米の建築技術を学んだ人物で、欧米で学んだ日本で最初の大工といわれています。そのため、同時代のアメリカの地方の小学校と構造がよく似ているそうです。
 それにしても、明治維新から間もないこの時代に、草深いこの地に、このような立派な小学校を建てた地域の人々の熱意には、頭が下がります。
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 浅間山麓からは離れた場所になりますが、小学校の校舎で印象深いもののひとつが、遠山郷(飯田市南信濃)の木澤小学校です。昭和7(1932)年に建築された木造校舎で、平成12(2000)年に廃校となりました。明治期の校舎と比べると簡素ではありますが、とてもよい雰囲気です。
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 今にも校庭で遊んでいた子供たちがもどって来そうな教室の内部です。「引っ越しのサカイ」のコマーシャル撮影に使われたということですが、まさに映画のロケにぴったりの場所です。
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 この近くには、天空の郷(あるいは日本のチロル)とよばれている下栗の郷があります。どうやってこの場所を開拓し住み着いたのでしょうね。
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夏は終われない

2018/08/20 11:18
 お盆を過ぎると秋風が吹いて空気もひんやりしてくる。それ自体は例年のことなのですが、今年は気温の低下が著しく、最高気温が22〜23度、最低気温は10度前後という日が続いています。テレビの報道によれば、これは10月中旬から下旬並みとのこと。
 一気に去ってゆく夏を惜しむ気持ちは誰しも同じでしょうが、浅間山麓の御代田町では、最大の夏のイベントである「龍神まつり」が台風により中止となっており、このままでは夏は終われないという気分の人がとりわけ多かったように思います。それに応えて(かどうかはわかりませんが)急遽開催されたのが、町の観光協会による「納涼会」。「龍神まつり」のメイン会場である龍神の杜公園に屋台村を設置し、「龍神まつり」で打ち上げる予定だった花火も打ち上げることになったのです。開催日の18日(土)夕刻、その様子を見にポン太も出かけてみました。
 特別なアトラクションがあるわけでもないのに、想像していた以上の人出で、屋台の前には長蛇の列。やはり皆さん、このままでは夏は終われないと思っていたのでしょう。子連れファミリーも多く、いつもなら閑散としている遊具のまわりも暗くなるまで賑わっていました。ビールを飲むには少々涼し過ぎる感じではありましたが、気持ちに区切りをつけたいと思って飲んでいた人もいたはずです。
 ところで、ポン太はこのところの急激な気温の低下を甘く見て、大失敗をしてしまいました。半袖の夏の寝間着で、これまでと同じ夏用の薄い布団を掛けて寝ていたのですが、朝起きると身体がだるく、ノドには痛みが。これはまずい、このまま風邪をひいてしまったら、ポン太の夏が本当に終わってしまう。まだ、本格的な山登りもしていないというのに…。
 ノド飴をなめ、いつもより熱めの湯に浸かり、毛布を一枚多くした寝床にもぐりこんで、快復を願うばかりのポン太でした。


 龍神の杜公園に設けられた屋台村はこの賑わい。
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 ちょっと肌寒いのをがまんして冷えたビールで乾杯。これがなければ夏は終われないという気持ち、よくわかります。
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 だんだん薄暗くなってきました。シルエットになった浅間山もゆく夏を惜しんでいるかのようです。
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 龍の形をした滑り台が夕焼け空に浮かび上がり、雰囲気を盛り上げてくれました。
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 御代田町消防団の喇叭隊が登場しました。郡大会を勝ち抜き、県大会出場を果たした精鋭とのことです。メロディーラインがきれいにそろったよい演奏でした。
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 喇叭隊の演奏が終わると花火の打ち上げが始まりました。
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 やっぱりこれがなければ夏は終われません。小規模とはいえ花火があるとないとでは大ちがいですね。
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 花火と浴衣、まさに夏を感じさせてくれるとりあわせです。
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 花火を見て、ポン太もすっきりした気分になれました。有り難う「納涼会」。
 

 

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記録ずくめの夏がゆく

2018/08/16 22:31
 「記録的な」という言葉を何度聞いたことでしょうか。猛暑、豪雨、そして台風にも悩まされたこの夏の日本列島。浅間山麓も例外ではなく、最高気温が30度を上回る日が続き、これはもう一昔前の東京になってしまったのでは、と思うほどでした。台風12号来襲の際には、わが家でも大きな松の木が倒れて怖い思いをしましたし、その後片付けも大変でした。御代田町では「龍神まつり」が中止となり、地区の盆踊りも見送られました。参加するしないに関わらず、地域の行事がなくなるというのは寂しいものです。暑さは峠を越え、朝夕は秋風を感じるようにはなりましたが、行われるべきものが行われないと、なんとなく季節の区切りがつかないような気がします。
 一昨年あたりから、地域の行事を見にいくことが多くなったポン太ですが、毎年決まった日に行われる行事には、季節の移ろいをより強く実感させる働き、あるいは次の季節への心の準備をさせる働き、そのようなものがあるように思います。
 ところで、本物の台風だけではなく、先週は「孫」台風も来襲しました。可愛いことは間違いないのですが、これまた大変なパワーですから、ジイやバアはそれなりに疲れます。滞在予定の1週間が過ぎ、ようやく静かな日々がもどってきました。一息ついたところで、まだ収穫していなかったジャガイモ掘り、若干の野菜の収穫、そして庭の手入れといった屋外作業に取り組みました。1つ1つの作業はたいしたことがないように見えますが、半日もやっているとクタクタです。これが楽しいと思える、少なくとも苦にはならないというのが、田舎暮らしができるかどうかの分かれ目かもしれません。

 収穫したノーザンルビーという種類のジャガイモです。皮だけでなく中も赤く味が良いにもかかわらず、市販されているのを見たことがありません。半坪ほどのスペースで、これだけ穫れれば上出来ではないでしょうか。
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 今年は実のつきかたが悪かったトマトですが、アイコというミニトマトがようやくこのレベルになりました。
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 いつもの年ならもっとたくさん出てくるミョウガですが、今年はいまのところこの1つだけです。
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 昨年植えたばかりなのに4つも実ってくれた桃。そのうちの1つは直径7センチほどの大きさになりました。そろそろ食べ頃です。
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 ヒメリンゴ(アルプス乙女)の実も、一丁前に色づいてきました。
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 ポン太の好きな百日草が咲きそろいました。「洋」でもあり「和」でもあるところが良いですね。
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 今がさかりのコバギボウシです。花期がオオバギボウシより半月ほど遅いので、両方庭に植えておくと、長い間楽しめます。花の色はこちらの方が濃く、見応えがあります。
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なるか写真のメッカ〜浅間国際フォトフェスティバル開幕

2018/08/11 23:22
 本日(8月11日)、浅間国際フォトフェスティバルが開幕しました。会場は、御代田町の写真美術館(来年オープン予定)周辺エリアです。浅間山麓を、日本の、いや世界の写真のメッカにするという、大きな目標を掲げて始まったこのフェスティバル。今年はプレという位置づけながら、イベントとしてはかなり本格的なものであるという話でしたので、早速ポン太も出かけてみました。
 屋外、屋内(美術館内)の全ての作品を見てまわりましたが、第一線で活躍している内外の写真家の作品はどれも見応えがあり、写真というよりも現代アートに近いものもありました。写真というツールを利用して、多様な芸術表現を追求している、という言い方が適切かもしれません。
 館内に掲げてあった 「カメラに帰れ」という文言が目にとまりました。フェスティバルの展示作品を選ぶにあたって、その根底に据えたテーマは「カメラに帰れ」だというのです。つまり撮影装置としてのカメラへの回帰。過去半世紀、世界的カメラ企業の多くがこの日本の国で生まれており、初開催のこのフェスティバルにとって、実にふさわしいテーマだと記されていました。これにはポン太も大いに納得しました。
 このフェスティバルの特色の1つが屋外展示です。森の中を散策しながら作品を眺めるという経験は初めてでしたが、快適そのものと言ってよいと思います。カフェやビアスタンドも用意されており、疲れたらひと息入れることもできます。
 想像していた以上に素晴らしい、行ってみる価値のあるフェスティバルではないか、というのがポン太の感想です。地元だからひいき目にみているということはありませんので念の為。
 同フェスティバルは9月末日まで開催されます。会場はしなの鉄道御代田駅(軽井沢から3駅目)から徒歩10分ほどの便利なところです。


 会場に掲げられたフェスの看板です。
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 エントランスです。
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 展示館の壁面を利用した写真展示です。
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 展示館内に入ると、えっこれが写真、と思わせる作品が目に飛び込んできました。
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 布のように見えますが、これも写真です。
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 これは、いわゆる針穴写真機を用いて撮影した、浅間山の巨大な作品です。
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 上方からの眺めを意識した作品です。
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 お洒落なカフェもあります。
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 屋外展示にはこのようなスタイルのものもありました。
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 可愛いというか気味が悪いというか、不思議な作品です。
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 すだれのような輪の中に入って鑑賞する作品で、内側からは鳥が見えます。 
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 こんなお店も出ていました。
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 観光地によくある「顔出し穴」付の看板をモチーフにした、ちょっと怖さを感じる作品です。後方の建物は御代田町役場です。
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 エコールみよた「縄文ミュージアム」の屋外広場も展示会場になっていて、写真家の小山一成氏による、御代田町を題材にした作品が展示されています。14ヶ月にわたり撮りためたものということです。
 
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 これは龍神まつりの写真ですが、動きがあり、切り取り方もすばらしいですね。
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高原の駅よさようなら

2018/08/10 17:18
 以前のブログで、信濃追分駅が映画「高原の駅よさようなら」のロケ地であったことや、常磐線の浪江駅前にその主題歌の碑(高原の駅よさようなら誕生の駅碑)があることを取りあげました。その映画自体はこれまで見たことがなかったのですが、昨夜、軽井沢の追分公民館で上映会があることを知り、この機会を逃してはならじと出かけてきました。
 「高原の駅よさようなら」は、1951(昭和26)年に新東宝が制作したもので、主演は水島道太郎と香川京子です。トーキーですが、録音状態(保存状態?)が悪く、セリフが聞き取りにくいところが多々ありました。もっとも、ストーリー自体は、ありきたりなものですから、セリフをしっかり聞かなければ理解できないようなところはありません。興味の中心は何といってもロケ地となった当時の浅間山麓の風景です。
 最後の別れのシーンが信濃追分駅で撮影されたことは間違いなく、D50形蒸気機関車に牽かれた上り列車が信濃追分駅に進入してくるシーンは見応えがあります。それ以外の高原風景は、ポン太の見立てでは北軽井沢(浅間牧場周辺)で撮影されたもののようです。今ほど樹木が生い茂っておらず、荒涼とした風景の中を、砂埃をあげながら馬車が走り抜けて行くシーンは迫力があります。ちなみに、この映画には自動車も舗装道路も全く登場しません。古い映画が面白いのは、当時の風景や生活ぶりを知ることができることです。それも馴染みのある地域であればあるほど興味が湧くというもの。信濃追分駅が登場したシーンでは、観客の間から「へェー」とか「オー」とかいう声が漏れていました。
 「高原の駅よさようなら」と同じ1951年の松竹映画に「あの丘超えて」(主演は鶴田浩二と美空ひばり)という作品があるそうです。その映画にも信濃追分駅のシーンがあるということなので、ぜひ見たいものです。このほか、浅間山麓を舞台にした映画としては、初の国産カラー作品として知られる「カルメン故郷に帰る」(1951年、松竹)が有名で、草軽電鉄のシーンがたくさん出てきます。この映画はテレビで放映されましたので、ポン太も見ています。草軽電鉄が舞台の映画としては、このほかに、「山鳩」(1957年、東宝)という作品があります。小瀬温泉(映画の中では落葉松沢)駅の駅長を森繁久彌が演じているということなので、これもぜひ見たいものの1つです。
 日本全国どこでも、村おこし、町おこしが叫ばれていますが、まずは地域の過去を振り返ることが肝要ではないでしょうか。公民館が地域に関連のある古い映画を掘り起こして上映する。実にすばらしい試みであり、ポン太は大歓迎です。

 上映会のパンフレットより。主演の水島道太郎の後ろにある信濃追分駅の駅名板の次駅が「くつかけ」となっています。中山道沓掛宿由来の駅名でしたが、その後、中軽井沢と改称されてしまいました。
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その下の写真は現在の信濃追分駅としなの鉄道の電車です。この上りホームは、「高原の駅よさようなら」の時代と同じです。
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 映画の高原シーンは北軽井沢周辺で撮影されたものと考えられますが、そこを走っていた草軽電気鉄道は登場しません。主人公が訪れた療養所の最寄り駅が信濃追分という設定ですから、当然といえば当然です。
 下の鉄道地図は、東京日日新聞が、1928(昭和3)年元旦付録として配付したものの一部です。草軽電気鉄道(当時の名称は草津電気鉄道)はすでに全通しており、「草津鉄道」と記載されています。駅名の一部がなぜかカタカナ書きになっています。映画「高原の駅よさようなら」の時代よりかなり前のものではありますが、昭和初期の浅間山麓とその周辺の鉄道網を一覧できる面白い地図なので取り上げてみました。ただし、駅名の中には誤りもありますので、残念ながら正確な資料とはいえません。
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 資料を整理していて見つけた草津電気鉄道全通紀念のハガキです。1926年の全通時はそのような名称でした。草軽電気鉄道と改称されたのは1939年です。
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 軽井沢駅前には、草軽電気鉄道の特徴的な電気機関車デキ12形(13号)が保存されており、往時を偲ぶことができます。
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恐悦至極−アクセス数1万突破! 

2018/08/05 11:56
 連日の暑さで、ブログ更新のモチベーションは下がり気味。そんな中、ブログ管理ページの「アクセスレポート」をクリックしてみたところ、アクセス数が1万を超えていました。このブログを開設したのが昨年の4月ですから、それから1年と3ヶ月余りで、アクセス(閲覧)数が1万の大台にのるとは…。タヌキ冥利に尽きると言ってよいでしょう。アクセスして下さった皆様に心より感謝申し上げる次第です。
 この数字を見たことで、俄然やる気がでてきました。私的ネタで恐縮ですが、菜園と庭の現状を少しレポートしてみます。
 暑さ続きで野菜の不作と価格の高騰がニュースになっていますが、ポン太の小さな家庭菜園でも、葉ものはまったくダメでした。トマトも僅かしか実らずがっかりです。インゲンは実り始めたばかりなので、これからどうなるかわかりませんが、とりあえず口には入りそう。まずまずだったのは、ジャガイモ(ノーザンルビー)で、少し土を掘ってみたところ例年より大きめのイモがいくつもでてきました。良い意味で予想外だったのは桃です。昨年植えたばかりなので、収穫できるのは再来年ぐらいかなと思っていたのですが、粒は小さいながら合計4個の実が成りました。庭に目を転じると、6月にタネを蒔いておいたマリーゴールドと百日草が咲き始め、本格的な夏の庭らしい雰囲気になりました。
 少し風が涼しくなった夕方、水やりに外へ出てみると、咲いたばかりの百日草に赤トンボ(アキアカネ)がとまっていました。明後日(7日)は立秋です。暑い暑いといっているうちに、秋がすぐそこまで忍び寄ってきているのです。テレビの全国ニュースでは、「暦の上では立秋ですが・・・」といったフレーズを聞くことが多いのですが、浅間山麓の実感としては、「暦通り」に秋がやってきます。ポン太の森では、一部の樹木の紅葉が始まっていますし、散歩道ではコスモスが満開。秋の七草の代表である女郎花も咲いています。
 あれほど「困った困った」と言っていた暑さですが、間もなく高原の短い夏が終わってしまうのかと思うと、名残惜しいような気持ちになるポン太でした。
 「浅間山麓のブラタヌキ」を、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 少ししか実らなかったトマトですが、完熟した実は美味です。そろそろ食べ頃かな。
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 おっ、インゲンが大きくなっている。このままどんどん実をつけて欲しいなぁ。
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 土の中からでてきたノーザンルビー。皮も中身も赤いので、一見サツマイモのようですが、ジャガイモです。
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 こんな細い枝にもかかわらず、実をつけてくれた白桃。どんな味がするのか楽しみです。
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 マリーゴールドに囲まれてご満悦。この後ろでは百日草も咲き始めています。
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 ツリバナの一部はすでに紅葉しています。秋はすぐそこまで来ているのです。
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 一部のもみじは、ここまで紅葉が進みました。
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 8月2日から3日間、軽井沢では恒例の「軽井沢夏期大学」が開催されました。会場の中央公民館前には秋の七草の桔梗や女郎花(右側)がたくさん咲いていました。
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 「軽井沢夏期大学」は、後藤新平と新渡戸稲造が1918(大正7)年に創設した「軽井沢通俗夏期大学」がそのルーツということで、今年はちょうど百周年にあたります。避暑に訪れる碩学や各界の専門家の話を気軽に聞くことができるというメリットがあり、今日まで続いているわけです。今年のテーマは、「中央と境界−後藤・新渡戸が向き合った世界−」でした。聴講は無料、事前申込みも不要ですから、ポン太も毎年楽しませてもらっています。
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「ショー祭」に行ってみた

2018/08/01 22:47
 日本を代表する避暑地として、全国にその名を知られる軽井沢。この地が避暑地として優れていることを「発見」したのは、カナダの宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーでした。1885(明治18)年に、初めて軽井沢を訪れたショーは、風光のすばらしさと冷涼な気候に注目し、翌1886年、家族を伴ってひと夏を過ごしました。ショーは自ら別荘を建てただけでなく、友人や知人に紹介したことで、軽井沢の名が広まったのです。避暑地軽井沢にとって、ショーは大恩人というわけで、毎年8月1日に、ゆかりの地である旧軽井沢のショー記念礼拝堂において、「ショー祭」が行われています。
 浅間山麓エリアの歴史に関心を寄せているポン太としては、一度は見ておきたいイベントでした。ただ、この時期の軽井沢はひどく混雑するので、これまで躊躇していたのですが、幸い今年の8月1日は平日で、人出もそれほどではないのではと考え、出かけてみたというわけです。それでもクルマの利用は避けて、電車で軽井沢駅まで行き、別荘地内の道を2キロ半ほど歩いてショー記念礼拝堂へむかいました。
 今日の軽井沢は蒸し暑く、最高気温は31度台まで上昇。とても快適なウォーキングとは言い難い状況でした。それでも目には涼しげな緑陰の道をたどり、樹間に見え隠れるする別荘建築のレトロな風情を楽しめたので、まあよしとしなければならないでしょう。肝心の「ショー祭」は、式典からアトラクションまでそのすべてを見ることができました。その様子については下の写真をご覧ください。
 ところで、軽井沢が避暑地として大発展した背景には、アクセスの改善があったことを忘れてはならないでしょう。ショーが初めて軽井沢にやってきた年に、既設の日本鉄道(現・高崎線)に接続する高崎〜横川間の鉄道が開通。一方、直江津から軽井沢に至る鉄道も1888(明治21)年に開通しています。しかし、急峻な碓氷峠を越えなければならない横川〜軽井沢間の建設は遅れ、ドイツのハルツ山で実用化していたアプト(abt)式(英語読みではアブト式)を採用することで、1893(明治26)年4月1日にようやく開通しました。鉄道により首都圏と直結されたことで、政財界の要人や上流階層の人々が、こぞってこの地に別荘を設けるようになったのです。
 旧軽井沢銀座通りにある軽井沢観光会館の二階に、軽井沢の鉄道に関する展示コーナーが設けられています。展示物は「(旧)軽井沢駅舎記念館」(現在はしなの鉄道の軽井沢駅舎として利用)から引き継いだものが中心ですが、軽井沢のど真ん中に、このような展示コーナーが存在する意義は極めて大きい、ポン太はそう思います。

 駅からショー記念礼拝堂へ向かう道には、こんなレトロな別荘建築がありました。こういう建物を見ると、軽井沢が避暑地として長い歴史を刻んできた町であることを実感します。
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 ショー祭が行われるショー記念礼拝堂の前です。
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 一般参加者の席はこんな感じです。
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 ショーに関わりのある加、日、英の旗が入場し、式典が始まりました。
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 聖歌「アメイジンググレイス」の合唱、そして主教の言葉と続きました。
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 主催者挨拶、来賓祝辞といった型どおりの式典の最後はショーの胸像への献花でした。
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 主催者、来賓だけでなく、一般参加者の献花もありました。ポン太、ポン子も軽井沢には何かとお世話になっているので、先人への感謝の気持ちを込めて献花させていただきました。
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 式典の後は「アフタヌーン・コンサート」がありました。まずは、軽井沢少年少女合唱団による合唱です。
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 プロのギタリスト、ルナ・ケンゾー氏による演奏と弾き語りもありました。同氏は軽井沢に隣接する御代田町のご出身であるという説明がありました。すばらしい演奏技術を披露してくれたのですが、屋外であるため音が拡散してしまい、聞き取りにくいところがあったのが残念です。
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「ショー祭」の最後は、参加者全員が手を繋いで輪になり、「今日の日はさようなら」の大合唱。なんだかキャンプファイヤーみたいだと、ちょっとノスタルジックな気分になりながらも、大きな声で歌ってしまったポン太でした。
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 旧軽井沢銀座通りにある観光会館です。一階は観光案内所、二階が鉄道展示室となっています。
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 軽井沢町立東部小学校には、アプト式時代のED42形電気機関車(ED42 2)が保存されています。
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 アプト区間を行く現役時代のED42形電気機関車です。(熊ノ平ー軽井沢間、1963年8月7日撮影)
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自然は怖い、されど美しい

2018/07/29 11:59
 思わぬ時期に思わぬ方向から日本列島を直撃した台風12号。ここ浅間山麓も、昨夜は激しい風雨に見舞われました。夜遅く、どーんという大きな音がしたので、夜が明けるのを待って確認したところ、大きな松の木が1本、枝先が家の窓をこするような形で倒れていました。角度が少しずれていたら、屋根や窓を直撃した可能性もあり、肝を冷やしたポン太でした。
 森の中での生活は、ふだんは実に快適ですが、こういうこともありますから、自然を甘く見ることはできません。世の中なんでもそうでしょうが、プラスとマイナスが裏表になっている。総合的にみて満足できればそれでよし、ということかなと思います。
 太陽が顔を出したので外に出てみると、台風の名残の風にのって甘い香りが漂ってきました。山百合です。早々と梅雨が明け、猛暑が続き、今度は台風と、今年は季節がひと月近くずれているような感じがしますが、山百合は季節を間違えることなく、例年と同じこの時期にしっかり花を開いてくれました。庭で咲いている姿も悪くはないのですが、やはりその名のとおり、山の斜面や森の中の少し薄暗いところに咲いている姿が一番美しいように思います。大輪で目に鮮やかなだけでなく、香り高く気品のある山百合は、正に野に咲く花の女王。
 森の女王様に背中を押され、ノコギリとチェーンソーを手に、倒木との闘いにいざ出陣!のポン太でした。

 昨夜の大きな音の正体はこれでした。まさにぎりぎりのセーフ。倒れたのは松だけで、ほかの種類の木と比べて、松が最も風に弱いことがわかります。
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 枝の先が窓のすぐ近くまできていました。ほんの少しずれていたら、窓が粉々になっていたかもしれません。
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 台風をよそに、美しい姿をみせてくれたのが山百合。まるでつくりもののようです。
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 背景が暗いと美しさが際立ちます。
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 森の中のこんな場所に咲いているのがベストではないでしょうか。
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 崖下にひっそりと咲いている姿も絵になります。
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 こちらは山百合と同じ時期に咲くウバユリです。山百合と比べると地味ですが、飾らない雰囲気が野の花という感じがしてそれなりに気に入っています。茎が長いので葉が無いようにみえます。そこから、葉が無い→歯が無い=老婆→ウバユリとは、ちょっと可哀想なネーミングですね。
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 よく見れば下の方にしっかり葉があります。それでもウバユリとは…。
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佐渡紀行 その2−自然景観&文化景観−

2018/07/26 22:57
 金山の遺産を堪能した後は、佐渡の自然景観を見て歩きました。佐渡は日本海に浮かぶ島ですから、海の景観ははずせません。まずは絶景の誉れ高い尖閣湾へ。説明板にはノルウェーのハルダンゲルフィヨルドに勝るとも劣らない景観と記されていました。ノルウェーに行ったことがないので、比較はできませんが、切り立った海食崖が湾を取り囲んでいる景観は確かに美しく、鑑賞する価値は十分にあると思います。もちろん、氷河地形のフィヨルドとは成り立ちが異なっていますから、似たような景観とは言い難いような気がします。岩の上に形の良い松が生えているところなどは、むしろ日本的な海岸美という感じがします。資料館に展示されていた写真をみると、ここはなんと、映画「君の名は」(もちろんアニメではありませんよ)のロケ地でした。
 外海府とよばれる佐渡の北西部の海岸には景勝地が多いのですが、最北端に近いところまで行くと、観光客の姿がほとんど見られなくなりました。山が海岸線まで迫り、1車線の道路がアップダウンを繰り返す難所もあります。その先に、大野亀、二つ亀という美しい景観の場所がありました。
 佐渡最北端に立つのが弾崎(はじきざき)灯台です。灯台の脇の広場に二体の人物像が立っていました。ところが、そこへ至る道は草ぼうぼうである上、灯台の側から広場へ入るゲートが閉鎖されていて、何の像か確かめることができませんでした。後で調べてみると「喜びも悲しみも幾年月の像」だということです。ポン太も子供の頃にその映画を見たことがありますが、主人公の灯台守の任地の1つがここだったということまでは覚えていませんでした。
 佐渡の北西端エリアを見た後は、最南端に位置する小木半島へと移動しました。小木海岸といえば、「たらい舟」(地元では「はんぎり」と呼んでいます)が有名ですが、景勝地としても知られ、海岸段丘と海食崖、波食台が織りなす風景に特色があります。小木半島の先端に立つのが、沢崎鼻灯台で、そこが佐渡の最西端です。
 小木海岸には宿根木という実に興味深い集落がありました。かつて北前船の寄港地として栄えたところで、狭い路地を挟んで板張りの家屋が密集している景観は独特です。一歩その中に足を踏み入れると、タイムスリップしたような感じになります。歴史的街並みという点では佐渡随一の景観といえましょう。ここが最後の見学地であったこともあり、その印象は強烈で、もしまた佐渡を訪れる機会があれば、ここは絶対にはずせないと思ったポン太でした。

 尖閣湾です。ちょっと絵葉書的な写真で恐縮ですが、美しい景色なのでご容赦を。
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 断崖の下を行く船。絵になります。
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 水鳥の楽園のようです。
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 外海府の北の方は、このように山地が海に迫り、平地は僅かしかありません。
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 大野亀とよばれる岩山が海に突き出しています。確かに亀さんのように見えます。大野亀の周辺にはカンゾウの群落がありますが、すでに花の季節は終わっていました。
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 大野亀周辺の遊歩道はとても眺めが良く、もう一つの景勝地、二つ亀を望むことができます。
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 佐渡最北端の弾崎(はじきざき)灯台です。飛行機雲と灯台がクロスし、昼間なのに光線が出ているように見えました。この付近の海域では遭難事故が多く、この灯台は地元住民の強い要望により大正8(1919)年に設置されたということです。
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 灯台脇の広場に立つ「喜びも悲しみも幾年月」の像がこれです。せっかく設置してあるのですから、灯台側からアクセスできるようにしておくべきではないかと思います。ここまでしか近寄れず、何の像なのか確かめることすらできませんでした。
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 最北端から南西エリアへ移動する途中、佐渡最大の湖、加茂湖の畔を通りました。湖の南側に遊歩道があるのを見つけて、少し歩いてみたのですが、これがそこからの眺めです。トキの里にふさわしい、穏やかな風景でした。
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 加茂湖畔の漁業集落も風情がありました。1階に船を収納するスペースがあり、丹後半島(伊根)の舟屋に似ています。
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 昭和3(1928)年に設置された佐渡最西端の沢崎鼻灯台です。灯台が立つ台地は、枕状溶岩という珍しいものだそうです。直江津から小木へ向かう船舶が、第一目標として目印にするのがこの灯台ということですから、フェリーの乗客としてすでにお世話になっていたことになります。
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 小木海岸深浦の眺めです。
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 小木半島の宿根木は、北前船の寄港地として栄えたところです。ここがその港の跡ですが、白い円筒形の柱は、船を繋ぐための石杭で、安永5年(1776年)ごろに立てられたものということです。
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 港の奥にある宿根木の集落です。江戸時代以来の家並みがそのまま残っており、新潟県で唯一、「伝統的建造物群保存地区」に指定されています。一軒粗末な家のようにみえて、内部は凝ったつくりになっていたり、蔵を板壁で隠して財力があることをさとられないようにしていたりと、往時の繁栄を物語るものが随所にあり、実に興味深いところでした。
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 こんな狭い路地の奥に、郵便局があったというのも驚きです。
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 この風景、どこかで見たことはないでしょうか。そうです、吉永小百合さんを起用したJR東日本のポスターです。この写真でポン子が立っている場所に、吉永小百合さんがいます。えらい違いだって・・・?。それ以上言うと大変なことになっても知りませんよ。
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 佐渡からの帰路ももちろん佐渡汽船のフェリーを利用したわけですが、直江津港が近付いたころ、思いがけない光景を目にしました。遠目には、海に浮かぶタージマハルのように見えたのですが、なんと上越火力発電所のLNGタンクでした。船旅でなければ見られないものを見て、ちょっと得をしたような気になったポン太でした。
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佐渡紀行 その1−金山の遺産−

2018/07/24 21:29
 信州には山は山ほどありますが、海はありません。信州人が海に出かける場合、第一の選択肢となるのは越後の海、すなわち日本海です。テレビの報道によれば、直江津の水族館を訪れる客の4割は信州からということですから、先方にとっては大のお得意様ということになります。その先の佐渡まで、足をのばしている人の数は定かではありませんが、冬季を除き、直江津と佐渡の小木を結ぶフェリー(佐渡汽船)が運航されていますので、海を渡るのは簡単です。とはいえ、わざわざ陸続きでないところへ行くには、背中を押してくれる何かが必要です。ポン太にとってのそれは、「ブラタモリ」佐渡編の内容が面白かったこと、そして、佐渡汽船が企画した長野県民限定のクーポン券をゲットしたことでした。
 小木港に上陸してまず向かったのは、相川の佐渡金山跡。佐渡の金山は有名ですが、その遺構がどんな形でどれだけ残っているのかについては、実はポン太も良くは知りませんでした。「ブラタモリ」でその一端を知り、これはぜひとも自分の目で見ておくべきものではないかと思ったわけです。
 佐渡金山と聞くと、なんとなく幕府の奉行所が管轄していた江戸時代の金山というイメージが浮かびます。旅番組などでは、江戸時代の坑内の様子を再現している部分を紹介することが多いので、そう思ってしまいがちですが、実は、明治以降の近代化された鉱山の遺産の方がスケールが大きく数も多いのです。坑道はもちろん、機械工場、粗砕場、浮遊選鉱場、発電所、積出港、それらをつないでいたトロッコ軌道、鉱山の人々で賑わった街並みなど、実に様々な遺産を見ることができます。1601(慶長6)年の開山から、1989(平成元)年の閉山に至る388年間の金鉱山の遺産がセットでみられる、大変貴重な、そして魅力的な産業遺産であることは間違いありません。
 地元佐渡市では、世界遺産登録を目指しているということですが、すでに世界遺産となっている石見銀山と比較しても、見どころは多いように感じました。あとは、人類が共有すべき普遍的な価値という観点から、どのようなストーリーが描けるのか、そこに成否がかかっているように思いますが、どうでしょうか。

 直江津港フェリーターミナルの展望フロアから見た、佐渡汽船の高速フェリー「あかね」です。総トン数5702トン、最大速力30ノットのこの船で佐渡へ渡りました。
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 佐渡金山のシンボルのような「道遊の割戸」です。露天掘りで山がこんな形になってしまったというわけです。
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 江戸期の宗太夫坑も明治以降の道遊坑も、見学者の入口はここです。株式会社ゴールデン佐渡というところが一括管理していて、ここで入場料を払って入ります。入場券も金色でした。
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 まずは江戸期のエリアへ。人形を使って往時の坑内の様子を再現していますが、人形の表情がリアルで、遠目には本物の人間のようです。機械力が無かった時代の過酷な労働の様子がよくわかります。
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 宗太夫坑の見学を終え、外に出たところにちょうどよい休憩場所があり、金粉をトッピングした「純金ソフト」なるものを売っていました。話のタネに食べてみましたが、濃厚で大変美味。観光地にありがちな法外な価格設定ではなく、ごく普通の350円でした。
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 さていよいよ、明治以降の道遊坑の見学です。おっ、おっ、トロッコ軌道です。2トンバッテリー機関車がランプを点灯して停車しています。今にも動き出しそうなよい雰囲気です。ゲージを測ってみましたら、510mm弱でした。測る場所によって若干の違いがありましたが、20インチ(508mm)ゲージということでよさそうです。動力を用いる軌道としては最小の部類といえるでしょう。
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 こんな標識が残されているのもリアルでいいですね。
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 ここは道遊の割戸の真下にあたる採掘場ということです。ほんの少し前まで作業が行われていたのではないかと思わせるような雰囲気です。
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 道遊坑の出口です。坑道を出た先には機械工場があります。
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 機械工場の前です。機関車に乗っているのは本物の人間ではなく人形です。よくできています。
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 機械工場の中には、鉱山で使用した様々な機械類が保管されていますが、機関車を出し入れするための、こんなターンテーブルも残されていました。足で押してみたら簡単に動きました。
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 軌道が現役当時の雰囲気のまま残っているところもありました。鉱石が向かう先は粗砕場です。
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 正面の建物は粗砕場の上部にあたる部分で、ここから下に落とされた鉱石は、クラッシャーで破砕・分級されます。
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 入場料不要の場外にも見どころはたくさんあります。これは、三菱時代の大立竪坑です。
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 こちらは、低品位の鉱石を粉砕し、水銀を用いて金を回収する搗鉱場(とうこうば)の跡です。
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 山を下った北沢地区にも様々な施設の遺産が残されていました。これは、浮遊選鉱場の跡ですが、あまりにも巨大で圧倒されます。
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 こちらは火力発電所発電機室棟です。煉瓦積みの建物は趣があります。
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 その近くに、相川郷土博物館がありました。説明板には「明治18年工部省官営当時並びに28年宮内省御料局佐渡支庁当時の建造物」と記されていました。貴重な木造建造物です。
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 鉱石の積み出し(後には発電所の燃料となる石炭の搬入)用に建設され、明治25(1892)年に完成した大間港の遺構です。トラス橋の後ろにみえる円筒状のものは、貨物の積み卸しに使用したクレーンの台座です。この廃港の雰囲気、ちょっと切ない気分にさせられますが、ポン太はこのような物寂しい風景が大好きです。
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 何という趣のある朽ち方でしょうか。しびれます。
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 鉱山関係者でたいそう賑わったというかつての繁華街、京町通りです。このレトロな風情、いいですねぇー。暑さを忘れて歩き回ってしまいました。
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 京町の入口に、見事な煉瓦塀がありましたが、積み方がとても変わっています。イギリス積みではもちろんなく、フランス積みのようにも見えますが煉瓦の目地がずれていて、どこか変です。どうしてこんな積み方になったのでしょうね。
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 上に掲げた写真の場所以外にも、みどころがたくさんあり、充実した一日でした。そして最後は、このような日本海の見事な夕焼け。大満足のポン太でした。
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御嶽海優勝、「馬子唄道中」で二度興奮

2018/07/22 22:45
 昨日は、信濃の国にビッグニュースが舞い降りてきました。大相撲名古屋場所で、関脇御嶽海が初優勝したのです。県歌『信濃の国』の歌詞に、「 四方に聳ゆる山々は、御嶽、乗鞍、駒ヶ岳・・・」とあるように、代表的山岳のトップに名をあげられているのが御嶽山。その聖なる山(山岳信仰の一大中心地)を四股名とする力士ですから、信州人が応援しないはずはありません。県民歴3年余のポン太、ポン子ももちろん応援しておりますし、ポン子などは握手までして激励していたのですから、喜びもひとしおです。来場所の結果によっては大関昇進も夢ではなくなりました。そうなれば、信濃の国にとっては、江戸時代に活躍したあの伝説の名力士雷電以来ということになり、これはもう相撲の歴史を塗り替えるほどのできごとです。がんばれ御嶽海!
 一夜明けた今日は、中山道追分宿のお祭り「馬子唄道中」がありました。徒歩で行ける場所ですし、宿場の雰囲気もよいので、ポン太はこのお祭りがかなり気に入っています。御嶽海優勝の勢いで、相当賑わっているかと思いきや、ギャラリーの数は例年より少なめ。やはり暑さが影響しているのでしょうか。パレード自体は、若い出演者が増えて、とても活気があったように思います。去年はいなかった忍者も登場していました。江戸時代を再現したパレードとは別に、小諸のチンドン屋愛好グルーブも練り歩いていましたが、昔風にいえばジンタの哀調を帯びた調べ(曲は「美しき天然」)に、子供のころに見たドサ回りのサーカスを思い出しました。思わず「すばらしい、ぜひ続けて欲しい」と声をかけてしまったポン太でした。

 新聞販売店から早速手ぬぐいが配られました。紙面の扱いも特大です。
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 昨年秋に、佐久を訪れた際の御嶽海です。この時と比べると一回りも二回りも大きくなったような気がします。
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 握手会では、赤ちゃんを抱っこしてもらった人もいました。この赤ちゃんのご両親も大喜びしていることでしょう。
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 四股名の元になった御嶽山です。『日本百名山』の著者深田久弥は、「一個の山としてこれだけ図体の大きい存在も稀である」と記しています。故郷のこの山のように、御嶽海も相撲界の大きな存在になって欲しいですね。
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 以下は「馬子唄道中」のスナップです。浅間神社から繰り出したパレードがやってきました。「馬子唄道中」の名のごとく、先頭をいく馬子が「追分節」を歌っています。「小諸出てみろ 浅間の山にヨー 今朝も煙が三筋立つ」
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 花嫁さんもやって来ました。
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 馬の後ろに警護の忍者がいます。よく見ると馬上の人物のタスキには「特殊詐欺撲滅」の文字が。オレオレ詐欺は忍者が防ぐということでしょうか。
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 可愛らしい町娘がやって来ました。
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 アメ屋も登場です。後ろは旅芸人でしょうか。
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 えっさ、ほいさ、空の駕籠が快調に飛ばしてきます。
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 中間地点の「油屋」で休憩です。お馬さんも疲れますね。
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 江戸時代と現代のピクニックがミックスしたような光景です。
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 着物を着て歩くのはやはり暑い。麦茶で一息いれないとやっていられません。この後、単なる見物人にすぎないポン太にも麦茶をふるまってくれました。ローカルなお祭りはそういうところが嬉しいですね。
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 お馬さんに子供たちは興味津々。
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 出演者が記念撮影している様子を見物する人々。後ろでワンちゃんお利口にして待っています。
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 休憩後、パレード再開です。定番の黄門様が登場しました。
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 後ろの旅籠に潜んでいたかのような忍者です。
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 江戸時代には、駕籠のお客が外国人の少女などということはありえませんが、絵になっています。
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 ギャラリーの雰囲気がなんとなく軽井沢っぽいですね。
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 パレードは宿場の入口まで行って折り返しとなるため、一時的に人の流れが対面型となり、宿場を行き交う往時の人々といった雰囲気になりました。
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 毎年そう思うのですが、一人だけ離れて悠然と歩く尺八奏者のかっこよさ。演奏もなかなかのもので、外国人が手を振っているのを見たとたんに、ジャズの「テイクファイブ」を吹き始めたのには驚きました。
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 泉洞寺の参道を行く「ちんどんばんど」の皆さんです。懐かしいメロディー、懐かしいリズム。いつまでもがんばって欲しいです。
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浅間山麓はお祭モードに

2018/07/21 07:06
 浅間山麓に夏祭りのシーズンがやってきました。先週末には小諸と岩村田(佐久市)で祇園祭が行われ、明日(22日)は、追分宿(軽井沢町)で「馬子唄道中」が、来週末の28日(土)には御代田町で「龍神まつり」が開催されます。さらに、来月の15日(水)には佐久市望月の奇祭「榊祭り」が、翌16日(木)には中山道小田井宿(御代田町)で「小田井宿まつり」が行われます。
 このほか浅間山麓では数え切れないほどの展覧会や音楽イベントが予定されており、8月11日には、新企画の「浅間国際フォトフェスティバル」(会場は来年開館予定の御代田写真美術館周辺)が開幕します。とてもそのすべてにお付き合いすることなどできませんので、今夏は何を見にいくべきか、悩ましい選択を迫られることになるわけです。
 ところで、前回のブログで「氷風穴まつり」を取りあげましたが、同じ日に小諸市内では祇園祭が行われていました。「氷風穴まつり」からの帰途、北国街道沿いの市町区というところで、神輿が地区内を巡回する様子を見ることができました。昨年、市の中心市街地で見た祇園祭は、たくさんの神輿や山車が集結して練り歩く華やかなパレードといった雰囲気でしたが、こちらは、保管場所から出てきた神輿が、小さな路地まで入り込んで、氏子の各家を回るという地域密着スタイル。担ぎ手も見物人もほとんどが顔見知りですから、気軽に声を掛け合う様子がいかにも地域のお祭りという感じでした。担ぎ手は大変でしょうが、急坂を上り下りするシーンが面白く、思わずカメラをむけてしまったポン太でした。

 さあいよいよ神輿の出発です。町内の人々が集まってきました。
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 羽織袴の年配者が神輿の上に乗り、何かをまきはじめました。お菓子?お餅? 山車の上からまくのは見たことがありますが、神輿の上からというのは初めてです。
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 健康に育つことを願ってということでしょうが、赤ちゃんが神輿に乗せられました。この表情をみると、赤ちゃんにとっては迷惑な話かも・・・。
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 元気よく担ぎ出しました。
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 神輿には神主さんが同行しています。
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 小諸は坂の町です。特にこの神輿が巡る町内は急坂ばかり。まずは下り坂ですが、バランスをとるのが大変そうです。
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 一軒一軒御祓いをしてまわります。
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 今度は上り坂です。気合いが入ります。
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 勾配がきつくなれば、身体もきつい。ご苦労様です。
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風穴の威力に驚嘆

2018/07/19 16:17
 猛暑が続いていますので、それに対抗して、今回は涼しい話題を1つ提供させていただきます。場所は小諸市のその名も「氷」という集落。以前のブログで1度ご紹介したことがありますが、そこは「風穴の里」として、近年注目を集めているところです。昨年9月には、この地で風穴の「全国サミット」が開かれました。それを記念して、地元の「氷風穴の里保存会」が「氷風穴まつり」開催し、ふだんは入れない風穴内部も公開するという情報を得たので、早速でかけてみました。
 当日(7月15日)は全国的に記録的暑さに見舞われ、上田ではなんと37.5度に。避暑地軽井沢ですら31.6度という、とんでもない酷暑の1日でした。氷地区は千曲川左岸の高台にあり、樹木も多いので小諸市街地よりは涼しいのですが、それでも30度は軽く超えていたと思います。しかし、風穴の中に入ってみると、夏の服装では5分といられない涼しさ、いや冷たさで驚きました。現役で使用中の4号風穴には温度計はありませんでしたが、隣接する5号風穴(体験用風穴として利用されています)の底部の温度計の針をみてびっくり。なんとたったの2度です。風穴は、地下の岩石の隙間で冷やされた空気が吹き出してくるものですが、これほどの冷却力があるとは。
 家庭用冷蔵庫など足元にも及ばない自然のパワー。こういったものに目をつけて、上手に利用した先人の知恵にも驚かされます。風穴に蚕種(蚕の卵)を保存することで、孵化する時期をコントロールできるようになり、それが当時最大の輸出産業であった蚕糸業を飛躍的に発展させ、生糸輸出で稼いだ外貨により日本の近代化が成し遂げられた。そんな歴史を思えば、この風穴群が近代化産業遺産としていかに重要なものであるかわかります。
 風穴を知らずして、日本の近代化は語れない。ポン太のボケた頭も、風穴で冷やされて、少しはシャープになったかも・・・。 

 風穴群がある「氷」集落は、千曲川の左岸、御牧ヶ原台地へ登っていく途中にあります。日帰り温泉として人気のある「あぐりの湯」のすぐ近くです。
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 入口に「氷風穴まつり」の表示が出ていました。
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 ここが風穴群のあるエリアです。
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 パネルも設置されていて、風穴についての説明文や昔の写真が掲示されていました。
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 明治7年に、有志により「氷風穴同益社」が組織され、蚕種貯蔵業が始まったということです。大変評判がよく、全国から貯蔵依頼が相次いだということで、この写真は、明治41年の蚕種入穴の風景です(展示パネルより)。
届いた荷物の数の多さに驚かされます。
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 最盛期には十数基あったという風穴ですが、現在も使用中なのはこの4号風穴のみ。個人所有なので通常は見学できませんが、この日は特別に鍵を開けて中を見せてもらうことができました。
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 内部の様子です。見学者の吐く息が白い霧のように見えます。現在は管理者である戸塚酒造(佐久市岩村田)の清酒(銘柄は「寒竹」)と地元関係者が預けた漬け物類などが保管されています。
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 こんな注意書きがありました。一般人がお酒を保管してはいけないということですね。
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 隣の5号風穴は、上屋は現存していませんが、体験風穴として活用されています。これはその入口です。
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 入口の外壁の温度計は24度を示していました。
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 風穴の内側の壁に設置されていた温度計は14度を示しており、ここですでに外とは10度以上ちがいます。
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 風穴の底部に小さな小屋が設けられていて、その中に入るとものすごい冷気を感じました。左の壁に温度計がありますが、その表示はなんと2度です。
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 条件がよければ見られるという「風穴霧」を見ることができました。白い筋のように見える霧の上と下とでは相当な温度差があるわけです。
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 こちらも上屋はありませんが、石組みがしっかり残っている1号風穴です。説明しているのは地元のガイドさんです。
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 「風穴貯蔵寒竹大吟醸」の試飲です。ポン太も味わってみたかったのですが、クルマの運転を考え自重しました。
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 風穴で冷やした甘酒もふるまわれていたので、こちらは美味しくいただきました。このほかに赤飯や漬け物もふるまわれており、やはり「お祭り」には嬉しいことがいろいろあります。
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池の平で花三昧

2018/07/15 18:54
 連日の猛暑にうんざりという方が多いのではないでしょうか。標高約1000mの浅間山麓でも、30度近くまで気温が上がる日が増えました。避暑地のはずなのにおかしいのではと思われるかもしれません。気温の低減率は100mにつき0.5〜0.6度といわれていますから、東京と比べれば5〜6度は低いわけで、通常の夏であれば、暑さ知らずの快適な状態を維持することができます。しかし、近年の首都圏は、真夏日どころか35度以上の猛暑日になることが多く、そうなれば当地も真夏日(30度以上)に近い状態になってしまうというわけです。
 日中歩き回るなら少しでも涼しい場所がよかろうと、浅間連峰の池の平湿原へ出かけてきました。さすがに標高2000mともなれば、空気はひんやりしており、文字通り暑さ知らずです。浅間連峰は全体的に高山植物が豊富なところですが、池の平湿原を取り巻く山々の稜線や斜面は、とりわけ花の種類が多いことで知られています。山といってもそのアップダウンは最大で100mほどですから、きわめて楽ちんなハイキング。登山が目的であれば少々物足りないかと思いますが、涼しい風に吹かれながら花を愛でたり、お弁当を広げたりするには最適な場所といえましょう。
 この時期、どんな花を見ることができるのか、またどんな景色を楽しめるのか、写真でご紹介します。


 地蔵峠から車で10分足らずで、池ノ平湿原の駐車場(兎平)に到達します。標高はすでに2061mもありますから、着いた瞬間から「涼しい」と感じます。駐車料金は1日500円です。
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 歩き出すとすぐに、ハクサンフウロが目に入ってきました。
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 こちらはタカネグンナイフウロです。すでに花期が終わりかけていましたが、まだきれいに咲いている花もありました。
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 カラマツソウもたくさん咲いています。花の形がカラマツの芽吹きのようにみえなくもありません。
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 稜線の一角にはアヤメがたくさん咲いているところがあり、さながら「アヤメヶ丘」です。
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 登山道というよりは、遊歩道といった感じで、高山植物を愛でながら、楽しく歩くことができます。展望も良好です。
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 森に入るとハクサンシャクナゲが咲いていました。
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 道端にもハクサンシャクナゲが顔をだしています。
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 池の平湿原を取り巻く山々の中で、地形図に名前が表記されているのは三角点峰の三方ヶ峰(2040m)のみですが、標高が最も高いのは「雲上の丘」と呼ばれている地点で、2110mあります。見晴らしが良いのでランチには最適です。
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「雲上の丘」付近から見下ろした池の平湿原です。木道が設置されていることがわかります。
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 尾根歩きだけでなく、このような鬱蒼たる森の中を歩くところもあり、登山道はバラエティーに富んでいます。それにしても、どうして「ピグミーの森」なのでしょうね。
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 森を抜けたところの小さな岩の前にウスユキソウ(エーデルワイス)が並んでいました。岩の下を覗いてみると、ヒカリゴケが光っていました。
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 緑色に光っているのがヒカリゴケです。
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 南側の稜線に出るとテガタチドリが咲いていました。小さな花びらの形が鳥の「千鳥」に似ているところからその名がついたということです。
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 この稜線は花の宝庫です。これはキバナヤマオダマキで、平地のオダマキとはちょっと違います。
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 ウツボグサも咲いています。
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 これは薬草にもなるイブキジャコウソウではないでしょうか。
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 ツメクサに似たシャジクソウです。
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 タムラソウのつぼみにヒョウモンチョウが羽を休めていました。のどかでよい雰囲気です。
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 南側の稜線で最も高い見晴岳(2095m)から三方ヶ峰を見たところです。中央のガレているところがコマクサの園です。
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 稜線の岩陰に咲くハクサンフウロは、野原にあるものよりきれいに見えます。
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 見晴岳頂上付近に咲くタカネナデシコです。平地のナデシコの高山種ということで、花の形はさほど変わらないのですが、なぜか高貴な花にみえます。これがほんとうの「高嶺の花」ですね。
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 これをみると高い山にやってきた気がするシシウドです。
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 ウスユキソウ(日本のエーデルワイス)はあちらこちらで群落をつくっています。
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 三方ヶ峰のコマクサは、このような柵に囲まれています。無粋ではありますが、盗掘や踏み荒らしから貴重な花を守るにはいたしかたないことでしょう。
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 そのおかげで、こんなにたくさんのコマクサを見ることができます。
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 こんな角度で見ると、高山植物の女王の名ににふさわしい気品と貫禄を感じます。
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 稜線から池の平湿原へ降りて行く途中で見つけたクルマユリです。この日咲いていたのはこの1輪だけでした。
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 ナナカマドの葉の一部は、すでに紅葉していました。山でははやくも秋の準備がはじまっているのです。
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 何か動くモノの気配を感じて目をやると、カモシカでした。このところよくカモシカと出会いますから、もう山のお友達気分です。
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 池の平湿原のシンボル鏡池です。鏡のように周囲の山々の緑を映しています。
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 池の平湿原を一周する木道は、遠足の小学生たちでいっぱいでした。
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 池の平湿原に咲くアヤメです。山の上のアヤメもきれいですが、こちらもまた絵になります。
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 木道を進むと「放開口」という場所があります。湿原をとりまく山がそこだけ開いているところですが、日本庭園のような景色が楽しめます。
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 カラマツの美しい森を抜けて、駐車場のある兎平にもどります。
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 兎平にはニッコウキスゲが咲いていました。近年、鹿の食害でニッコウキスゲが消滅してしまったという話をよく聞きますが、ここは今のところ無事なようです。
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 高原にふさわしいきれいな花です。
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森陰のコーヒー天国

2018/07/13 21:24
 日が経つにつれ、西日本の豪雨被害が途方もないものであることがわかってきました。「数十年に一度」という言葉を何度も聞きましたが、もはやそれが平年化しつつあると思わざるをえません。日本中どこでもこのようなことが起こりうる、そう考えておいた方がよさそうです。浅間山麓も大気の不安定な状態が続いており、何度か「土砂災害警戒情報」が出ましたが、幸いなことに被害がでるようなことにはならずにすんでいます。
 雨が上がるとほっとしますが、今度は気温がぐんぐん上昇。標高の高い当地でも、日中は暑いと感じる日が多くなりました。日差しが(紫外線も)強いので、外を歩き回る気分にはなれません。木陰でコーヒーでも飲んで涼んでいるのが一番、ということになるわけです。浅間山麓の水はミネラル分の多い硬水ですから、コーヒーは特に美味しく感じられます。自分で飲むだけではなく、他人にも提供したいという気持ちになりやすいせいか、浅間山麓の森の中はカフェだらけ。信濃追分〜御代田のわずか一駅間だけでも30軒以上のカフェがあります。人口比でいえば都会の何倍もあるといってよいでしょう。
 カフェのオーナーには移住者が多く、店内に一歩足を踏み入れただけで、それぞれのオーナーの理想やこだわりを感じます。共通しているのは、隠れ家のような雰囲気でしょうか。涼しい森の中の隠れ家的カフェでひとときを過ごせば、リラックスできることは間違いなく、中には行列ができるほどの人気店になってしまったところもあります。家で飲むコーヒーも美味しいのですが、たまにはそれぞれのお店のコーヒーの味(自家焙煎しているところもありますので)を確かめに、出かけてみるのも悪くありません。ポン太の徘徊エリアに潜んでいる個性的なお店をいくつか取りあげてみることにします。

 ここは「ならの木」というお店です。その名のとおり、ならの木に囲まれた閑静な場所にあります。かなり奥まったところなので、初めての場合、道がわかりにくいのが難点ですが、その分、隠れ家的雰囲気は十分漂っています。時々、クラシックやジャズのコンサートが催され、先月のバイオリンコンサートにはポン太も出かけてきました。コーヒーは自家焙煎です。
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 「ならの木」で行われた、バイオリニスト村石達哉さんのコンサートの様子です。
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 朝食が人気のキャボットコーブというお店です。オーナーは商社勤めをされていたようなのですが、長く暮らしたアメリカのニューイングランド地方の朝食が気に入り、それを提供したいというのがお店を開いた動機とか。早朝から営業していますが、昼前に閉店してしまうので要注意です。近年は大変な人気店になってしまい、夏季は予約が必要です。
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 中山道沿いにある「MIKAGE CHAYA(みかげ茶屋)」です。店名は近くの御影用水に由来するのではないかと思います。周囲の樹木の勢いがすごいので、外からはお店の建物がよく見えません。店内は落ち着いた雰囲気で、数量限定の和風ランチ「茶屋御膳」が人気です。コーヒーは自家焙煎しています。
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 教会のようにも見えますが、「TREES(トゥリーズ)」という名前のカフェ・ギャラリーです。週に3日(月、火、水)だけの営業で、看板も小さいので、見過ごしてしまいそうになります。このお店のこだわりは自家製のヘルシーマフィン。すぐ近くをしなの鉄道の電車が通ります。
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 御影用水沿いのカフェ「グルマン」です。ドーム状の建物はオーナーご自身で建てたもの。水辺の雰囲気と眺めの良さで人気があります。食べ物はガレットに特色があります。現在リニューアル中で、今月下旬に再開予定とのこと。
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 これは 「すずめカフェ」という、自宅の1階を改装して営業している「おうちカフェ」です。靴を脱いで入ります。御代田町の雀ヶ谷という場所にあるので、この店名になったようです。店の裏側は広々としており、雄大な浅間山を望むことができます。
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 このほかにもユニークなカフェがたくさんあります。ポン太の住まい自体が隠れ家のようなものではあるのですが、タヌキには隠れ家はいくつあっても良いので、浅間山麓のカフェ探索をこれからも続けてみたいと思います。
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常磐線のフクシマ

2018/07/11 07:55
 先日のブログで、三陸鉄道北リアス線を取りあげましたが、東北地方でもう1つ気になっていた路線があります。それは常磐線です。福島県の太平洋岸(浜通り)を縦貫する幹線ですが、いまだに全線復旧とはなっていません。北側の浪江〜岩沼間と南側のいわき〜富岡間はすでに運転が再開されていますが、残る富岡〜浪江間20.3kmは、福島第一原発から近く、その大半が原則立ち入り禁止の帰還困難区域に属しているからです。除染作業を行いつつ、地震で落下した橋梁の再建などの工事が進められているということで、2020年3月には運転再開の予定と発表されています。現地はいまどんな状況になっているのか、自分の目で確かめておきたいと思い、出かけてみました。
 いわき駅までは特急「ひたち」でスムーズに到達することができますが、その先は、運転本数が少ない上、不通区間である富岡〜浪江間の代行バスは一日にたった6本(上りは5本)しかありません。東京から仙台まで、常磐線ルートをたどって通り抜けるのはかなり大変です。富岡11時40分発(それを逃すと次は16時59分発)の代行バスを利用することにし、それにあわせてスケジュールをたてました。
 いわき駅で乗り継いだ富岡行普通列車の車両は、なぜか元特急「スーパーひたち」の651系。乗換の際に、ホームを間違えたかと不安になってしまいました。快適ではあるのですが、ちょっと違和感があります。富岡駅はすっかり新しくなっており、周囲の風景もまったく見覚えのないものでした。聞いてみると、旧駅とその周辺は津波で流され、元の場所よりかなり北側へ移設されたということです。新たに整備された駅前広場周辺には空き地が目立ち、復興の遅れは否めません。やはり住民が長期間他地域への避難を余儀なくされたことが影響しているのでしょうか。
 僅か4名の乗客を乗せて代行バスは定刻に発車しました。走り出すと同時に、「このバスは間もなく帰還困難区域に入りますので、絶対に窓を開けないでください」というアナウンスがありました。富岡町役場の入口付近まで進むと、道路際に、「ここから1.5km先、帰還困難区域」「自動二輪車、原動機付自転車、軽車両、歩行者は通行できません」という看板がでており、気にしないようにと思ってはいても、多少の緊張感は禁じえません。
 「帰還困難区域」に入ると風景が一変しました。ホームセンター、飲食店、ガソリンスタンド等、全ての店舗が廃墟と化し、耕作放棄を余儀なくされた田畑は原野へと姿を変えていました。脇道の入口の多くはフェンスで封鎖されていましたが、開閉式の柵を設けて警備員が車の出入りをチェックしているところもありました。
 震災以前の姿を、廃墟となった建物の様子から想像すると、それなりに活気があり、生活に不便を感じるような地域ではなかったように思われます。地域を丸ごと崩壊させ、生活を一変させてしまう放射能汚染の怖さを改めて感じました。このところ、原発再稼働への動きが勢いを増しているようですが、この状況を見れば、「のど元過ぎれば…」というような話ではないことがわかります。
 双葉町に入って数分ほどで左手に常磐線の線路が接近してきました。真新しいコンクリート橋からは、復旧工事が進展している様子がうかがえます。しかし、そこは帰還困難区域の中です。代行バスの通行が許されている以上、列車が走り抜けることはできるでしょうが、途中駅での乗降は許されるのかなど、いろいろな疑問が湧いてきました。
 ノンストップで走ったせいか、代行バスは定刻より少し早く浪江駅に着きました。浪江駅周辺には、震災で崩れたまま修復されていない家屋が目立ちます。これも、長期間の避難生活を余儀なくされた影響でしょうか。浪江駅舎もひびが入るなどかなりの打撃を受けたということですが、すでに修復され、昔と同じ姿で使用されていました。
 駅前で思いがけないもの見つけました。それは、「高原の駅よさようなら誕生の駅」の碑です。以前「信濃追分駅物語」と題したブログで、「高原の駅よさようなら」の映画の舞台(ロケ地)になったことで、信濃追分駅が有名になったという話を紹介しましたが、主題歌を作曲したのが、当地出身の佐々木俊一氏であることは全く知りませんでした。浪江と浅間山麓がつながったことに、ちょっと嬉しさを感じたポン太でした。

 富岡駅に着いた普通列車ですが、車両は元特急用の651系です。駅は全く新しくなっていました。
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 ポン太が高校生の頃に富岡駅で撮影した写真です。下り231列車(C6237牽引)が発車して行くところです。構内がずいぶん広かったことがわかります。この時代、電化されていたのは平(現在のいわき)の1つ先の草野駅までで、このあたりの常磐線の主役はまだ蒸気機関車でした。(1966年10月1日撮影)
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 常磐線の海側には、黒い袋が集積されていました。袋の中身は、除染のために取り除かれた土でしょうか。
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 新しくなった富岡駅駅舎です。「さくらステーションKINONE」という売店兼飲食コーナーが併設されています。駅前には他にお店は1軒もなく、助かりました。
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 不通区間である富岡〜浪江間の代行バスとバス乗り場です。何しろ本数が少ないので乗車するのは大変です。
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 走り出したバスから見た富岡駅前通りです。少しずつ家やアパートが建ち始めていますが、復興は容易ではなさそうです。
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 「1.5km先、帰還困難区域」の表示が現れました。
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 いよいよここから帰還困難区域です。前方にお店の看板がいくつも見えますが、営業しているところはありません。
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 家電量販店も廃墟と化していました。
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 原野のように見えますが、元は田や畑だったのでしょう。
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 脇道へ入れないようにフェンスが設置されています。
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 警備員が出入りをチェックしているところもありました。
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 帰還困難区域が続きます。
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 地域の人々で賑わっていたであろうホームセンターも廃墟となっていました。
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 放棄された農家でしょうか。そのまわりには豊かな畑や田が広がっていたと思われます。
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 双葉町に入ると常磐線が接近してきました。まだ架線は張られていませんが、レールは敷かれているようです。
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 富岡〜浪江間には、夜ノ森、大野、双葉の3駅がありました。これは半世紀前の夜ノ森駅を通過する下り青森行急行「第2みちのく」です。東北新幹線がない時代、常磐線は東北方面への優等列車の主要ルートでした。(1966年10月1日撮影)
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 上野〜青森を結ぶ唯一の昼行ディーゼル特急「はつかり」も常磐線経由でした。この写真は、富岡〜夜ノ森間を行く、上りの「はつかり」です。まさか半世紀後に、ここが帰還困難区域になるなどとは、思いもよりませんでした。ちなみに、福島第一原発の運転開始はこの5年後です。(1966年10月1日撮影)
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 浪江駅に到着した代行バスです。駅舎は昔と同じでした。
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 浪江の駅前通りです。荒廃した雰囲気が漂っていて復興の困難さがうかがえます。
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 駅前広場に設置されていた「高原の駅よさようなら誕生の駅」碑です。「しばし別れの夜汽車の窓よ、言わず語らずに心と心・・・・」古めかしい歌詞ですが、汽車の時代を知るポン太にとっては、リアルで懐かしいものに感じられます。
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 浪江から乗り継いだ原ノ町行の719系交流電車です。
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 原ノ町で仙台行に乗り継ぎました。常磐線の復旧区間の中で、駒ヶ嶺〜浜吉田間は、旧線とは別の山側を迂回するルートに変更され、営業キロも0.5キロ増えています。復旧とはいえ新線と同じようなものですから、全線乗車の維持をめざすポン太としては、乗らないわけにはいきません。この写真は、その途中にある山下駅です。高架化により車窓からの景観も別物になっていました。
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季節が変だ

2018/07/08 17:10
 6月中に早々と梅雨が明け、今年は長い夏になるのではと思っておりましたら、ここ数日は一転して雨ばかり。気温も下がって、肌寒さを感じるような状況です。九州から本州中部にかけての広い範囲で水害が発生しており、やはり地球温暖化による気候変動が益々激しいものになってきたと思わざるをえません。
 雨が止んだところを見計らって散歩にでかけました。幸い、土砂崩れや樹木が倒れるといった被害がでているところはありませんでしたが、植物の様子が少し変です。ポン太の森では、モミジの一部が紅葉し始めており、いつもの散歩コース沿いでは、コスモスが咲いていました。一時暑い時期があって、その後気温が下がったので、秋が来たと勘違いしたのかもしれません。近所の方からいただいて庭の片隅に植えておいたヤナギランも咲いていました。ヤナギランは高山植物に分類されることが多く、山歩きをしていてこの花が咲いているのを見ると、夏も盛り過ぎたと感じますから、えっ、もう咲いたのと驚きました。
 今朝は霧雨が降っていたのですが、昼頃には晴れ間もでてきました。このまま安定した普通の夏になって欲しい、そう願いつつ空を見上げるポン太でした。

 紅葉し始めたモミジ。いくらなんでも気が早いのでは。
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 コスモスも咲き始めました。おいおい、まだ7月上旬だよ。
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 ヤナギランも咲いてしまいました。去年、この花を撮影した写真の日付をみると8月1日でした。
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 ポン太の庭ではとっくに散ってしまったオダマキが、再び咲いているところもありました。
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 この季節にふさわしい花が咲いているのをみるとほっとします。これはオオバギボウシの花ですが、咲き始めのこのぐらいの時期が一番きれいです。
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 ユリも季節通りに咲いてくれました。
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 季節の変化がおかしいせいか、秋の収穫を楽しみにしているリンゴ(アルプス乙女)の実のつきかたも例年より悪く、その数は昨年の3分の1以下といったところです。
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 昨年より少しましだったのがアンズです。昨年はたった2個しか収穫できませんでしたが、今年は10個は食べられそうです。それでもジャムにできるような量ではありませんので、昨年同様、ポン子がスーパーに調達にでかけました。アンズに限らず、ジャムは自家製が一番です。
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三陸鉄道は元気だった

2018/07/06 11:51
 久しぶりに東北へ出かけてきました。東日本大震災以来、少々気になっていたところがあったからです。その1つが三陸鉄道です。実は、1984(昭和59)年4月1日の開業(全通)当日、北リアス線、南リアス線ともに全線乗車をしております。それ以前に、国鉄線として部分開通した際にも乗車しており、誕生前から大人になるまで、その成長を見続けてきた路線と言ってよいでしょう。
 三陸鉄道開業日の沿線は、盆と正月が一緒にきたような華やいだ雰囲気に包まれていました。住民総出といってもよいほど大勢の人が駅やその周辺に集まり、「90年の悲願達成」を祝っていた姿が今も忘れられません。しかし、元々人口の少ないエリアであり、厳しい経営環境の下でのスタートでした。
 2011年のあの東日本大震災の津波で不通になったと聞いた時には、正直、「廃線」の二文字が頭に浮かびました。「90年の悲願達成」が27年で幻になってしまうのかと。しかし、大震災から僅か5日後には陸中野田〜久慈間で運転を再開、その4日後には宮古〜田老間、さらに9日後には小本(現在の岩泉小本)まで運転区間を拡大させたのです。鉄道員の家族や親族にも被災された方が多かったと思いますが、素早い運転再開が、被災地の人々をどれだけ勇気づけたことか。震災復興のシンボルとなったことで、全線復旧への道筋がついたと考えられますし、比較的新しい路線であったことから、海岸線より高い位置を走っている区間(トンネルも含めて)が多かったことも幸いしたかもしれません。大震災から3年後の2014年4月6日に、全線の復旧が完了しました。
 復旧後の姿を見届けたいと、一昨年、南リアス線(盛〜釜石)に乗車。今回は北リアス線(宮古〜久慈)へ乗りに出かけたというわけです。NHKの連ドラ「あまちゃん」の効果が継続しているせいかもしれませんが、予想していたよりも大勢の乗客で賑わっており、ほっとしました。
 南北リアス線の間をつなぐJR山田線(宮古〜釜石)は、来春に復旧の予定で、それと同時に同区間は三陸鉄道へ移管されることになっています。路線が1本につながるとはいえ、経営的には厳しさが増す恐れがないとはいえません。利用する人がいなければ、震災復興の輝かしいシンボル、三陸鉄道の明日は暗いものになってしまいます。個人でできる支援は、乗りに出かけること、そして、たとえ飲み物1杯でも、弁当1折でも消費することでしょうか。宮古駅の売店に「三鉄赤字せんべい」なるものが並んでいるのを見て、思わず購入してしまったポン太でした。

 久慈駅で出発を待つ三陸鉄道宮古行の列車です。駅の様子は開業時とそれほど大きく変わってはいません。
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 34年前の三陸鉄道開業日の久慈駅です。ホームに人が溢れています。
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 開業日には、出発を前に、乗務員への花束贈呈が行われました。
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 今回乗車した宮古行の列車はほぼ満席の盛況でした。三陸鉄道乗車を目的としたツアー客もいたようです。
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 トンネルを抜けると野田玉川駅です。久慈行の列車が待っていました。このあたりは津波の被害はなく、昔と変わらない風景でした。
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 堀内駅は、NHKの朝の連ドラ「あまちゃん」のロケ地で、ドラマの中では「袖ヶ浜」駅となっていました。
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 堀内駅近くの大橋橋梁は、北リアス線で最も景観の良い場所とされ、こんな眺めが楽しめます。列車は橋の上で一旦停車し、カメラタイムをサービスしてくれます。
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 十府ヶ浦付近の海岸沿いには、新たな防潮堤が建設されていて、列車から海は見えません。このあたりの線路は津波で大きな被害を受けたことが想像されます。
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 国鉄線(久慈線)時代の終着駅であった普代です。
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 田野畑駅です。この先の島越(しまのこし)駅付近は津波の被害が甚大で、駅も高架線も全て流されました。三陸鉄道で最後に復旧したのが田野畑〜小本(現・岩泉小本)間でした。
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 島越駅付近(海側)の現状です。かつては八角形のドーム屋根をもつ南欧風の瀟洒な駅舎がありました。津波で消失し、現在は山側に新たな駅舎が建てられています。「あまちゃん」の震災シーンはここで撮影されたものだそうです。
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 三陸鉄道開業日の様子です。島越駅前広場には開業を祝ってこんなに大勢の人が集まっていました。

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 三陸鉄道には、「あまちゃん」のロケ風景写真が掲示されている車両もあります。
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 あのドラマはポン太も夢中で見ていましたので、こんな写真を見るととても懐かしい感じがします。
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 終着駅宮古に到着しました。ホームは昔と変わっていません。
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 これは開業日の宮古駅に到着した列車です。マスコミ関係者が大勢訪れていました。
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 開業日の三陸鉄道宮古駅駅舎と駅前風景です。
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 開業日の宮古市内の様子です。信じられないほど大勢の人が出ていました。
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 来年3月にはJR山田線の宮古〜釜石間を引き継ぎ、長大な三陸縦貫路線となる三陸鉄道です。ふと思い出したのが、宮澤賢治が作詞した「花巻農学校精神歌」の一節、「ケハシキタビノナカニシテ ワレラヒカリノミチヲフム」。三陸の「ヒカリノミチ」になって欲しいですね。また乗りにきますから。
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 「三鉄赤字せんべい」と時刻表です。「赤字せんべい」を食べて赤字解消となればよいのですが・・・。
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小諸で味わう鉄道ノスタルジア

2018/07/01 06:46
 鉄道が好きな人は誰でもそうではないかと思いますが、鉄道に関わりのあるグッズを見ただけで嬉しくなったり、気分が高揚したりするものです。鉄道会社のフェスタなどで、用済みとなった鉄道用品、車両部品などを販売することがよくありますが、どこも大変な人気です。使い道のないようなもの(普通の感覚ではゴミ)を手に入れてどうするのだと思われるかもしれませんが、それは単なるモノではないのです。ある時代、ある場所の鉄道物語を紐解く(想像して楽しむ)ための鍵のようなものと言ったらよいでしょうか。
 小諸駅の近くに、鉄道グッズだらけの興味深いお店があります。新聞報道でその存在を知り、出かけてきました。そのお店があるのは、小諸駅の東端、先日のブログでとりあげた「停車場拡張記念碑」のすぐそばです。お店の名前は「茶房ギャラリー山小屋の駅」。鉄道好きのご主人が退職後にご自宅の1階を改装して始めたというカフェで、店内には鉄道グッズが所狭しと並んでいます。信越本線時代の小諸駅で使用されていたものも多く、郷愁を感じます。また、80年以上も前に消えてしまった、布引電気鉄道の電車の照明器具といった極めてレアなものもありました。鉄道だけではなく、電話機をはじめレトロな小物で店内は埋め尽くされていて、これは何だろうかと眺めているだけで、あっという間に時間が経ってしまいます。
 このお店のコーヒーへのこだわりもなかなかのものです。なんと注文を受けてから自家焙煎しており、その味は濃厚かつまろやか。目と口の両方で至福のひとときを味わえるお店でした。


 「茶房ギャラリー山小屋の駅」のエントランスです。小諸駅の駅名板や信号機がむかえてくれます。
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 店内へは靴を脱いで入りますが、足元をみるとアプト式のラックレールが置かれていました。
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 天井からたくさんの鉄道グッズが下がっています。
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 年代物の電話機のコレクションも驚くほどたくさんありました。
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 これが布引電気鉄道で使用されていたという照明器具です。
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 布引電気鉄道の貴重な写真も飾られていました。どうやら布引駅の列車交換シーンのようです。
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 窓の外にも駅名板や転轍機などが置かれていました。
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