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浅間山麓のブラタヌキ
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浅間山麓に移り住んだタヌキのポン太のブログです。どんなタヌキかって?それはプロフィールをご覧下さい。
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軽井沢の穴場〜町立植物園

2019/06/18 10:39
 軽井沢は年間800万人もの人が訪れる一大行楽地です。シーズン中や土休日などは、町内の道路が渋滞し、移動もままならないことが多いのですが、そんな軽井沢にも大変静かで落ち着ける穴場スポットがあります。その1つが軽井沢町立の植物園です。特に行楽客にアピールしている様子はなく、入口も目立たないので、立ち寄る人はあまりいません。来園者も黙って植物を眺めたりカメラに収めたりといった人がほとんどですから、静謐な時間を過ごすことができるのです。
 ただし、浅間山麓の植物に関心のない人にとっては、まったく面白味のない施設かもしれません。特別きれいなお庭という感じはしませんし、むしろ一見したところ、雑然とした感じで、雑草なのか展示植物なのか見分けがつかないようなところもあります。しかし、それが魅力でもあるのです。そもそも山野草や樹木は、ここが○○、ここが××とそのエリアがはっきりしていることは稀で、いろいろ混ざっている中で、目にとまった花の名や樹木の名を知りたいと思うことが多いのではないでしょうか。
 浅間山麓に自生していたり、自然環境に適合して育っている植物のほとんどが集められていますから、そうした植物の名を知りたいと思って眺めると、興味はつきません。有り難いのは、ポン太の家の周辺に咲いている花が、植物園内でも同じ頃に同じように咲いていて、その名を確認するのに好都合なことです。
 訪れる度に、1つや2つは花の名を覚えて帰るのですが、今回新たに覚えたものの1つに「シラン」があります。いつもの散歩コースの道端や庭の片隅でよくみかける花ですが、その名を今まで知りませんでした。名前は「シラン」でも、これからは「知ってる」と言えるのが嬉しいポン太です。

 これが植物園の入口です。周辺には、長野オリンピックの会場となったカーリングホールやスケート場などがありますが、ここだけはいつもひっそりしています。
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 園内の通路です。植物の種類毎に明確な区分けがなされているわけではないので、最初はとまどいます。
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 よくみると、葉の間に隠れるように説明板が置かれていて、それがなんであるのかわかるのです。
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 これがシランです。よく見かける花ですが、ようやくその名がわかりました。
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 この時季の植物園の見ものはクリンソウ。軽井沢町の花はサクラソウですが、その仲間です。
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 花の色が赤いクリンソウです。
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 こちらはオオデマリのようにみえますが、近寄ってみると葉が違います。テマリカンボクという名がついていました。今までオオデマリだとばかり思っていたもののいくつかは、これだった可能性もあり、これからは葉もよくみなければと思います。
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 園内でたくさん咲いていたのがタニウツギ。ポン太の家の近くでもたくさん咲いており、その名がタニウツギで間違いないことが確認できました。
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 とてもきれいだったのが、このハナガサシャクナゲです。一般のシャクナゲよりさらに豪華な感じがしました。
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 ポン太の庭では数日前に終わってしまったニッコウキスゲですが、ここは株数が多いせいかまだたくさん咲いていました。
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 その反対にポン太の庭の方がまだたくさん咲いているのがミヤコワスレ。園内には僅かな数しか咲いていませんでした。それにしても、植物園と同じ花をわが家の庭で観賞できるのは嬉しいですね。
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 軽井沢の植物園らしいコーナーもあります。夏に咲くアサマキスゲ(ユウスゲ)は、奥ゆかしい感じのする薄黄色の素敵な花です。かつてはポン太の家の庭にもあったのですが、残念ながら絶えてしまいました。
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 新たに認識した植物の1つがこのオヤマボクチ。北信地方では、この葉の繊維を乾燥させ、蕎麦のつなぎに用いることが知られていますが、その葉がこのようなものだということを初めて知りました。植物園は本当に勉強になります。
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羽後交通雄勝線西馬音内駅〜忘れ難き終着駅(9)

2019/06/15 10:09
第9回 羽後交通雄勝線西馬音内駅(秋田県)

 西馬音内(にしもない)は、秋田県南部に位置する雄勝(おがち)郡羽後町の中心集落で、かつては奥羽本線の湯沢駅から西馬音内駅まで羽後交通雄勝線という鉄道が存在していました。
 1972(昭和47)年の夏休みに東北旅行へ出かけ、このローカル私鉄に乗車したのですが、西馬音内駅に降り立った時に受けた印象は、郷愁というよりもタイムスリップに近いものでした。過去の栄光を閉じ込め化石化したような古色蒼然たる駅舎、構内に置かれたレトロな車両群。古い映画の中に迷い込んだような気がして、鳥肌が立ちました。画像
 同線は、雄勝鉄道として1928(昭和3)年8月10日、湯沢〜西馬音内間8.9kmを開業。1935年2月13日には梺(ふもと)駅まで延伸し、全長11.7kmの路線となりました。しかし、その延伸区間は1967年12月1日に廃止され、それ以降は西馬音内が終着駅でした。
 開業時から電化路線であり、ポール付きの電車で運行されてきたのですが、なんと1971年に電車を気動車に代える「内燃化」が実施されました。羽後交通のもう一つの路線であった横荘線(横手〜沼館間)の廃止に伴う措置で、同線の気動車を転用することで、経費節減をはかろうとしたわけです。したがって、1972年の夏に訪れた際に乗車した列車は気動車で、西馬音内駅構内には、お役御免となった電車が多数留置されていました。雄勝線には、明治期に製造された古い客貨車も残っていて、それが実際に使われている姿を見ることもできました。今思えば、夢幻のような鉄道シーンの連続でした。
 訪問した翌年(1973年)の4月1日、同線は全線廃止となり、1回だけの乗車に終わってしまったのが残念です。

 西馬音内へむかう列車が発着していた湯沢駅の雄勝線ホームです。発車を待っていたのは、横荘線から来た気動車のキハ2。(1972年8月31日撮影、以下同様)
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 列車内は学校帰りの女子高校生でいっぱいでした。
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 羽後三輪駅です。駅舎はありましたが無人化されており、車掌が乗車券を回収していました。
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 こちらは貝沢駅。廃止まで半年強というこの時期でも、かなりの利用者がいました。前方の線路際には、架線を取り外された架線柱が並んでいます。
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 終点の西馬音内に到着した気動車です。車両端(西馬音内側)には荷台がついていました。
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 創建時には威風堂々たる建物であったと思われる西馬音内駅舎です。停まっていたバスもレトロでした。
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 構内には開業以来という古い電車(デハ3、1927年蒲田車輛製造製)が留置されていました。
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 こちらの電車(デハ5)は、都電の余った車体を利用して日本鉄道自動車で製造されたものだということです。
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 西馬音内駅構内には、こんなにたくさんの車両が留置されていました。先頭に置かれているのは、ロータリー雪掻車のユキ3です。
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 現役で使用中だったこの客車(ホハフ2)は、1910(明治43)年の鉄道院神戸工場製。骨董品といってもおかしくない雰囲気でした。(湯沢駅にて)
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 積み込み作業中のこの貨車(ワフ1)も明治生まれ。1903(明治36)年、官設鉄道神戸工場製だと知ったのは、だいぶ後になってからですが、このような鉄道博物館に並んでいてもおかしくないような車両が実際に使用されていたのです。(湯沢駅にて)
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モミジエレジー

2019/06/12 17:20
 梅雨の最中に、モミジの話とは何ぞやと思われるかもしれません。実はこれにはちょっとした訳があるのです。ポン太がしばしば訪れ、my里山とよんでもよいほど気に入っている平尾山は、落葉樹が多いこともあり、秋になれば全山美しく色づきます。しかし、赤い色は少なく、「紅葉」というより「黄葉」です。そこで、赤いモミジが増えたらもっと雰囲気が良くなるのではと考えたポン太は、一昨年の春の話ですが、わが家から若木を移植することにしました。枝振りのよいものを選び、大きく育てば登山者の目を楽しませるに違いないと思われる場所まで運び上げ、植え付けました。ところが、数日後に行ってみると、根が土から浮きあがり、向きも変わっていました。どうやら誰かが持ち去ろうとしたようなのです。根が意外に大きいので途中であきらめて放置したのでしょう。やれやれと植え直し、水をたっぷり与えて下山しました。その後はすくすくと育ち、登る度にその成長を眺めるのを楽しみにしていました。
 悲劇は突然訪れました。梅雨の影響で、しばらくぶりの登山となったある日、その場所を訪れると、モミジが跡形もありません。下草刈りの作業が行われ、雑草とともに刈り払われてしまっていたのです。ポン太の植えたモミジが消えただけではありません。頂上付近の見晴らしが良くなったのはよいのですが、たくさん咲いていたアザミやアヤメ、そのほかの草花(貴重なものもあったような気がします)もほとんどが刈り払われてしまいました。
 里山の管理の難しさ、山中での作業の大変さはよくわかります。仕事ですから、決められたとおりの作業を遂行せざるを得ないということも理解できます。されど、されど・・・。権力者への官僚の忖度は論外ですが、木々や草花、平尾山を愛する者への忖度は許される、いや忖度して欲しい、と思ってしまうポン太です。
 懲りないポン太は、今年また、移植作戦を敢行しました。今度こそ大きく育ってくれることを願っています。
さて、30年後、見事に色づいたモミジをみて、「ここにこんなきれいなモミジがあるとは!」「なんて素敵な山かしら」「山の神様の化身であるタヌキが植えたに違いない」・・・いつしか人々は「ポン太のモミジ」と呼ぶようになったとさ。こんなことになるやも・・・。妄想の「日本昔ばなし」です。

 平尾山の秋はこんな感じです。これでも十分美しいのですが、赤いモミジが混じればもっとすばらしくなるのではないかと考えました。
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 刈られてしまい今は無きモミジです。一昨年植えたばかりのころの姿です。良い形をしていたのに・・・。
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 山頂付近の草が刈られた際に、一旦は姿を消したアザミですが、野性の強さでしょうか、少しずつ復活し、元の姿にもどりつつあるようです。がんばれアザミちゃん。むむっ、これでは「やすらぎの・・・」になってしまうか。
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 アヤメも同様で、少しずつ増えているようです。おなじアヤメでも山上のアヤメは気品が漂っているように感じます。
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 頂上の広場には黄色い花がたくさん咲いていました。キンポウゲ科のウマノアシガタという花ではないかと思うのですが、どうでしょうか。そうだとすれば毒草です。きれいな花には毒がある、うまい話にはウソがある、ポン太の迷言です。
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 今年植え付けたモミジです。前回の轍を踏まないように、大きくなるまで、なるべく目立たないような場所を選びました。
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 これもそうですが、わざと岩陰に植えました。
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 梅雨のこの時季に咲く樹木の花でポン太の一押しはヤマボウシです。山法師の白い頭巾がその名の由来ということですが、山中で凛として咲いているところはまさに山法師です。
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 登山道脇で山百合が育っていました。今まで平尾山で山百合は見たことがありませんので、自然に生えたものではなく、誰かが植えたものです。ここだけでなく、数カ所で見かけました。植えた方の平尾山への熱い思いを感じます。
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 平尾山を愛する人は少なくないようで、こんな手造りの標示を見つけました。
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2000mの風〜池ノ平湿原

2019/06/09 16:56
 信州各地の山から開山祭の便りが届くようになりました。いよいよ夏山シーズンの到来です。ポン太がねぐらにしている標高900m前後の浅間山麓も、平野部からみれば高原ですし、爽やかな空気に満たされていることは間違いないのですが、2000mを越える高山の空気感はまた別物。植生も異なり、別世界といってよいでしょう。
 今季初めて、2000mの風を浴びに、池ノ平湿原と周囲の山にでかけてきました。池ノ平湿原は、浅間連峰の中では最大の湿原で、中心部の標高は1950m。周囲を取り巻く山々は、高山植物の宝庫として知られています。地形図に山名が記されているのは、三角点のある三方ヶ峰(2040.7m)だけですが、「雲上の丘」と通称される小ピークが最高地点で、その標高は2110mです。湿原との高低差は僅か160m、湿原と尾根をめぐる最長のハイキングコースをたどっても、2時間程度で一周できる「楽ちん」な山歩きです。このところあまり身体を動かしていなかったので、まずはこの程度でよかろうと、これをもって、今年のプライベート山開きといたしました。
 「楽ちん」ではあっても、そこは2000m級の山。落葉松はまだ芽吹いたばかりで、桜(ミネザクラ)も咲いていました。高山植物は、イワカガミがちらほら咲き始めたところで、ほかにはミツバオーレンとショウジョウバカマを見かけた程度。本格的なシーズンはまだ先という感じでしたが、久しぶりの2000mの風は、この上なく心地よいものでした。

 下界は夏日でしたが、湿原入口の小屋にあった温度計をみると14度。山歩きには快適な気温です。
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 芽吹いたばかりの落葉松に彩られた登山道です。
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 桜が咲いていました。桜にもいろいろ種類がありますが、これは野生種の一種で山岳地帯を好むミネザクラ(タカネザクラ)のようです。
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 新録の落葉松と桜のコラボです。6月に花見とは、さすがは標高2000mです。
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 足元にイワカガミが咲いていました。その数はまだ少なく、注意していないとなかなか見つかりません。
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 こちらはミツバオーレン。小さな花ですが、きれいな形をしています。
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 湿原にはひっきりなしにハイカーがやってきます。花はまだ何も咲いていませんが、広々として気持ちのよいところなので、がっかりする人はたぶんいないでしょう。
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 池ノ平湿原のシンボル、鏡池です。まだ初夏の感じではありません。
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 湿原から三方ヶ峰へ通じる木道です。このあたりでカモシカに出会うことが多いのですが、この日は遠足の子供たちの声が響き渡っていたので、どこかに隠れてしまったようです。
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 木道のすぐ脇に咲いていたショウジョウバカマです。ポン太がカメラを取り出そうとしていると、通りがかった遠足の小学生の一人が、「ショウジョウバカマがある」と声を上げました。花の名を知っているのです。おそるべし、野外学習効果。
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 三方ヶ峰のガレ場にはコマクサの群落があります。まだ咲いている花はなく、ごく一部の株から花芽が出ているだけでした。見頃は今月末でしょうか。
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 ハイキングコース沿いには、シャクナゲも多いのですが、まだ一輪も咲いていませんでした。
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 通るたびに、絶滅してはいないかと心配になるのがヒカリゴケ。しっかり岩の下で光っているのを確認しました。
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 最高地点の「雲上の丘」で夏山登山の安全を祈念し、ポン太とポン子の山開きとしました。後ろの黒雲が気になるところですが、祈りが通じたのか雨に降られることはなく、無事下山することができました。
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 帰路に立ち寄った湯ノ丸渓流の緑の鮮やかなこと。これぞ夏山といった感じでした。
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夏は来ぬ

2019/06/05 12:04
 このところの植物の成長は驚異的で、僅か数日で景色が変わってしまうほどです。成長して欲しくない植物、いわゆる雑草類の成長もめざましく、ほっておくわけにはいきません。連日、雑草との熾烈なバトルを展開しているのですが、とにかく手強い相手なので、勝利を得るのは至難の業です。
 庭で雑草の除去作業中、上空から「カッコー」の鳴く声が聞こえてきました。甘い香りも漂ってきたので、頭上を見回すと、白い房状のアカシア(正しくはニセアカシア=ハリエンジュ)の花がたくさん咲いていました。トゲがあるので、どちらかと言えば苦手な樹木なのですが、花だけは別で、まさに初夏を実感させてくれる有り難い存在ということができるでしょう。
 散歩中に眺める風景もすっかり初夏です。いたるところで目にするのがアヤメやアイリス。コデマリ、オオデマリも今が盛りです。ウツギも咲いていますが、ウツギの別名は卯の花。「卯〜の花の匂う垣根に〜♪」で始まる『夏は来ぬ』の歌を思い出す人も多いと思います。初夏ののどかな風景を描いた歌詞と流麗なメロディーで親しまれている名曲ですが、実は三番の歌詞が実にシビアなことをご存知でしょうか。「窓近く蛍飛びかい おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ」となっているのです。おこたってばかりのポン太などは、思わず襟を正したくなりますね。さすがは学校教育に用いられた唱歌です。

 アカシアの花が、森全体に甘い香りを漂わせています。
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 日当たりのよいところでは、キスゲが咲き始めました。
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 この時季らしい花といえばツユクサ。誰も植えていないのに、あちらこちらに勝手に咲いています。
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 こちらも野草のアマドコロ。これほどまとまって咲いていると、まるで栽培しているかのようです。
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 野性の花にはちょっとやっかいなものもあります。これは、見た目はきれいですが、うっかり触れると炎症をおこしかねないクサノオウの花です。
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 こちらも要注意のマムシグサです。人を死に至らしめるほどの毒性があるそうですが、草むらから鎌首をもたげたようなこの姿をみれば、他の野草と間違えて食べる人はいないでしょうね。
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 生け垣としてはごくごくありふれたレッドロビンですが、こんなにきれいな花が咲くとは、今まで気づきませんでした。
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 これはガマズミの一種だと思いますが、山でみるものに比べて花が立派です。ヤブデマリかもしれません。
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 散歩中に道端で出会ったピンク色のオダマキです。こんなにきれいなオダマキはいままで見たことがありません。
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 民家の脇の空き地がアイリスのお花畑に変身です。
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 中山道もアイリスの花街道に。
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 八重の山吹が彩る中山道です。
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 見事なオオデマリです。庭の手入れをされていた奥様の話では、毎年咲き方が異なるそうですが、今年は最高レベルとのこと。
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 開拓集落の道がマーガレット街道になっていました。
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 ウツギも咲いています。これほど赤い花は珍しいと思いますが、どうやらこれは日本海側に多く分布するタニウツギ(別名ベニウツギ)のようです。
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 昔は畑だったところが、今はお花畑に。たくさん咲いている赤い花はポピーでしょうか。
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 おっと、キジのおでましです。
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 背は低いものの、美しい藤です。
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 水辺の道ではコデマリが咲いています。
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 なんといっても水辺にふさわしいのはアヤメです。
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 のどかな水鳥の姿にも初夏を感じます。
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やはり美味しい手造り野菜

2019/05/30 22:01
 畑を耕していた近所の方から、「植え付けはカッコウが鳴いてからだよ」という話を聞いて以来、基本的にはその教えを守っているポン太です。5月の連休を過ぎても、連日のように霜注意報が出ている当地ですから、植え付けが早過ぎると寒さにやられてしまいます。レタスだけは例外で、4月早々に苗を植えましたが、その後の予期せぬ大雪で3分の1がダメになりました。それでも残りのレタスはすくすくと育ち、数日前から収穫して食べています。その葉の柔らかいこと。市販のものの数倍(ちょっと大げさかな)は美味しく、朝食のサラダが別物に変身です。
 レタスを食べ始めて間もなく、森の奥からカッコウの声が聞こえてきました。よしっ、と山東菜のタネを蒔き、キュウリとトマト、そしてトウモロコシの苗を植え付けました。なるべく市販されていないものがよいだろうと、キュウリは信州の伝統野菜という「八町きゅうり」にしました。トウモロコシは極甘の品種を選んだのですが、初めてなのでうまく育つか心配です。されど「蒔かぬ種は生えぬ」ですし、植え付けない作物は育つはずもないわけですから、すべてはダメ元と考えてやってみる以外にありません。
 採算などあうはずもなく、労力を考えたら無駄に思える家庭菜園ですが、作物が育っていく様子を眺めるのも楽しみですし、幸運にも収穫に恵まれ、美味しいものが口に入った時の比べようもない満足感。よって、一度始めたらやめられず、このところ毎日水やりに精を出しているポン太です。

 浅間山もすっかり夏姿になりました。プロの畑の作物もしっかり育っています。
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 立派に育った家庭菜園のサニーレタスです。外側の葉から食べ始めましたが、あと2週間は食べ続けていられそう。
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 こちらはリーフレタスです。見た目よりも柔らかく肉との相性は抜群。後方のじゃがいもも順調に育っています。
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 4月の雪の後はこんな状態でしたから、本当によく育ってくれました。
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 イチゴの実も大きくなってきました。次に口に入るのはたぶんこれです。
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 ルバーブも収穫の時期が迫ってきたようです。
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 カッコウの声を聞いてから植え付けた苗です。手前に蒔いた山東菜は、数日で発芽してくれました。一見して、ろくでもない痩せた土であることは、おわかりいただけると思います。これでもしっかり堆肥を入れ、元肥に有機肥料を施してはいるのですが・・・。
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 アンズに実がついていました。昨年よりは少し多いようです。
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 苦労して育ててもダメになる野菜が多い中、労せずして手に入れられるのがミツバです。自然に生えてくる天然ミツバは、市販のものと比べると少しこわいのですが、天ぷらにすると香りが強く美味です。
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春から初夏へ〜山はツツジの季節

2019/05/26 15:01
 この週末は各地で気温が上がり、30度を超えた地点も少なくないようです。テレビでは熱中症への注意を促すアナウンスが続いていますが、標高の高い浅間山麓では、そこまで気温が上がることはなく助かっています。動き回れば多少は汗ばむものの、オープンカフェなどを楽しむにはちょうどよい感じではないでしょうか。
 首都圏が暑くなればなるほど、浅間山麓の滞在人口は増え、スーパーの駐車場は、品川、練馬、多摩、大宮といったナンバーのクルマでいっぱになります。ところが、この週末は意外に閑散。あまりに早く暑くなったので出かける準備ができなかったのか、それとも身勝手なT大統領が来日しているせいなのか・・・。
 眩しいほど鮮やかだった緑が次第に濃くなり、家の回りは緑のカーテンで二重三重に包まれたような状態になりました。窓から木の間越しに見えていた浅間山も、まったく見えなくなりました。
 今、目に鮮やかなのはツツジです。ご近所には生け垣が全部ツツジというお宅もありますから、その前を歩くだけで、気分が明るくなります。ツツジといえば、花束のように密集して咲いているイメージですが、野性のヤマツツジは少し違います。花は控え目で、緑の海の中にぱらぱらと朱を散らしたように咲くその姿は、素朴で味わい深いものがあります。
 日本中の山野でみることができるヤマツツジですが、ポン太の一押しはやはり地元の平尾山。群生しすぎていないところが魅力です。

 ポン太の森にもほんの少しツツジがあります。植えたわけではなく、どこかからタネが飛んできて、いつの間にか花が咲くようになったもの。これは花の色がオレンジに近いレンゲツツジです。
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 こちらはヤマツツジ。まだ株が小さく、今年初めて、わずか数輪ですが、花が咲きました。
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 ご近所の生け垣のツツジです。
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 平尾山の登山道です。怖そうなクマ注意看板の後ろはヤマツツジです。
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 花の数は少ないのですが、緑の森の中での存在感はなかなかのもの。こんな風情がヤマツツジの魅力ではないでしょうか。
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 緑の海に浮かんでいるようなヤマツツジも見応えがあります。
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 白樺林との相性もバッチリです。
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 近くでみるとヤマツツジの花はこんな感じ。
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 平尾山も頂上に近いところはまだみずみずしい新緑です。このあたりにはヤマツツジはありません。
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 こちらはヤマツツジの下を行く尾根道です。
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 平尾山山頂からみた佐久平です。大部分の田に水が張られていて、すでに田植えの終わったところも多いようです。
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 夕陽を浴びたヤマツツジもきれいです。
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水芭蕉に会いに〜斑尾高原

2019/05/22 11:26
 「夏が来〜れば思い出す〜♪ 」といえば尾瀬、尾瀬といえば水芭蕉ですが、信州にも水芭蕉を見ることができるスポットがいくつもあります。その中で特に気に入っているのが、斑尾高原の沼ノ原湿原です。まわりの山々の濃淡のある新緑がすばらしく、まるでメルヘンの世界に迷い込んだかのような景観を楽しむことができるのです。
 水芭蕉の咲いている姿は、歌詞にあるとおり、「夢見て咲いている」ような感じで、正に森の妖精。それを見ると、魂が浄化されるような気さえします。水芭蕉が咲く5月は、俳句の季語では夏ですし、立夏(今年は5月6日)という言葉もありますから、「夏が来〜れば」の歌詞が間違っているわけではありません。しかし、雪解け水の中に咲く花ですから、実際の感覚としては、夏というより晩春です。水芭蕉に会わずに春は終われないと、今年も斑尾高原へでかけました。
 例年よりも10日ほど遅い訪問でしたので、すでに見頃を過ぎているのではないかと心配しましたが、幸いなことに4月が寒かったせいか、いつもの年以上に良い状態の(大きくなりすぎず、枯れているものも少ない)水芭蕉を眺めることができました。リュウキンカも満開状態で、むしろベストタイミングといってよいほどでした。
 斑尾高原散策の後は、飯山へとむかいました。千曲川河畔の菜の花はすでに終わっていましたが、少し山間部へ入った北竜湖のほとりはまだ満開。こちらもまたメルヘンの世界のよう。メルヘンづくしの1日を満喫し、家(現実世界)に戻ると、何だか気が抜けてしまい、しばらくの間、何も手につかなくなってしまったポン太でした。

 沼の原湿原入口の案内板です。それによると湿原の標高は870m、広さは19ha。いろいろな散策コースがありますが、奥の奥まで見て回ると二時間程かかります。
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 湿原の中に一歩足を踏み入れると、そこはもうメルヘンの世界。雲の形までメルヘンです。
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 湿原の中は、基本的に木道の上を歩いて散策します。
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 右手にはリュウキンカの群落が。
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 リュウキンカもまた湿原の女王です。
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 まるでこちらを向いて出迎えてくれているかのような水芭蕉です。
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 こちらは寄り添ってお話しでもしているかのよう。水芭蕉にもいろいろな表情があって楽しめます。
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 群落になっていると迫力があります。
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 雪解け水の中に咲く姿も可憐です。
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 レトロなスタイルのハイカーとこの景色。様になっていますね。
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 文句のつけようがないすばらしい景観です。
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 山の斜面にはまだ雪が残っていました。散策路にはぬかるんでいる箇所もあり、それなりの足ごしらえは必要です。そんなこともあってか、歩いている人の姿は少なく、ゆったりと湿原散策を楽しむことができました。
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 かなり強い流れにもめげず、水中花のように咲いているものもあります。
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 さて、こちらは飯山市の北竜湖。湖岸の菜の花が満開でした。
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 この景観。もうこれはメルヘン以外の何ものでもないですね。天女が舞い降りてきてもおかしくない、そんな感じです。
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 新緑の山と菜の花。すばらしいコントラストです。
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 菜の花に囲まれた古民家。これも絵になります。
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 飯山周辺の農村風景は、どこを見ても、これぞ日本の故郷、といった感じがして癒されます。
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平尾山も緑

2019/05/16 09:47
 しばらく中断していた里山歩きを再開しました。まずはお馴染みの平尾山へ。
 山麓から這い上がった新緑が頂上付近まで到達し、まさに緑一色の世界です。登山道の脇には黄色い山吹の花が登山者を歓迎するかのように並んでいました。日当たりのよいところでは、ヤマツツジが咲き始めています。頂上付近には、まだヤマザクラも咲き残っていて、白樺の芽吹きとコラボです。
 こんな小さな里山でも、頂上からの景観は雄大。浅間山麓の畑は、白いシートに覆われた部分が多くなり、高原野菜の植え付けが進んでいる様子がうかがえます。佐久平では、水が張られた田が目立ち、間もなく田植えが始まるようです。しかし、遠景の北アルプスはまだ白い屏風を立てたような姿。このところ、滑落や疲労凍死といった遭難のニュースを耳にすることが多いのですが、3000m級の山は冬山と同じですから、甘く見てはいけないことがよくわかります。
 頂上から少し下ったところでエンレイソウが咲いているのを見つけました。正確にはミヤマエンレイソウで、花は白色です。家に帰って図鑑で調べてみると、エンレイソウの漢字表記は延齢草。山歩きで「延齢」とは、なんとめでたい花なのかと、嬉しくなったポン太でした。ちなみに、エンレイソウの一種で花弁の大きなオオバナノエンレイソウは北海道に多く自生し、北大のシンボルマークにもなっているそうです。


 新緑に覆われた平尾山。登山道がおいでおいでをしているように見えます。
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 ありふれた山吹ですが、新緑の森の中では存在感が際立ちます。
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 ハリギリの芽吹きです。新芽を天ぷらにして食べると美味ですが、鋭いトゲがあるのでうっかり手を出すと痛い目に。
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 森の中ではニリンソウが咲いていました。
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 咲き始めたばかりのヤマツツジです。平尾山全体のヤマツツジが見頃になるのは、まだ1週間以上先といったところでしょうか。
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 山頂も緑に変わりましたが、まだヤマザクラも咲いています。
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 佐久平の田んぼには水が張られ、田植えも間近ですが、北アルプスはごらんのとおりの白い屏風です。
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 浅間山も山頂部にはまだ時折雪が降るようで、その姿が日々変わります。裾野に広がる白い部分は、レタス畑です。
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 これがミヤマエンレイソウです。花は小さく地味ですが、登山者へのアピール度は高いように感じます。なにより「延齢草」というネーミングが、ロートル登山者には心地良いですね。
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溢れる緑、ふたたびの桜

2019/05/13 10:12
 浅間山麓は、一年中で一番気持ちの良い季節を迎えているといっても過言ではないでしょう。どこを見ても眩いばかりの緑です。朝晩はまだ少し冷えるものの、昼間は20度前後と快適そのもの。山麓全体が爽やかな空気に満たされている感じで、おもわず深呼吸したくなります。気持ちが良いのは人間だけではないようです。キジが活発に動き回っていて、いたるところでケンケンという鳴き声を耳にします。声だけでなく、散歩中、突然目の前に姿を現すこともあります。木々の梢を飛び交う鳥の数も増え、名前はよくわからないものの、見たことのない鳥を目で追う、にわかバードウォッチャーの日々です。
 今浅間山麓では、八重桜が満開。二度目の花見というわけですが、緑が溢れる中で、それに負けないように咲く八重桜には、ソメイヨシノとは異なる魅力があるように感じます。咲いているのは八重桜だけではありません。野も森も各家の庭も、次から次へと咲く花でいっぱい。今日は何が咲いているだろうか、○○の開花はどこまで進んだろうかと、毎日わくわくした気分で散歩に出かけることができるのです。
 ひとことで言えばパラダイス。生命力が一気に噴出する、このすばらしい季節を味わうことができるのは、長く厳しい冬があればこそ。高冷地に住んで大正解、そう思わずにはいられないポン太です。

いつも散歩している御影用水。そのほとりに立つ建設記念碑周辺の八重桜が満開です。
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 水辺もすっかり新緑に覆われました。
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 御影用水の南側にはかつての開拓集落があり、その道沿いの八重桜は見応えがあります。
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 八重桜が並木のようになっていて、気持ちのよい道です。老木が多いところを見ると、開拓時代に植えられたものではないでしょうか。厳しい生活の中で桜を植えてくれた先人に感謝です。
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 突然目の前をキジが横切って行きました。
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 中山道沿いでも八重桜が満開です。小田井宿をめざして下っていく旅人によく出会いますが、この季節の街道歩きは、満足度最高レベルといえるのではないでしょうか。
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 このあたりの中山道からは、浅間山がこんな感じに見えます。すこし霞んだような夕景も風情があってよいものです。
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 ポン太の家へもどる途中の道でも八重桜が満開。
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 八重桜と芝桜のコラボです。
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 日当たりのよいところではシャクナゲも満開です。
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 ガーデニングに取り組まれている家が多いので、それを見て歩くのも散歩の楽しみの1つです。
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 石垣の上や隙間に植えられた芝桜も今がみごろ。路地の曲がり角が花園状態です。
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 林の中でスミレの群落を見つけました。あまり見たことのないスミレなので、図鑑で調べたところ、アメリカスミレサイシンというものに似ているのですが、どうでしょうか。
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 ポン太の森ではウワミズザクラが満開になりました。サクラといっても一般的なサクラとは全く異なる花です。
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 ポン太の好きなズミも咲き始めました。
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 森が騒がしいので窓からのぞいてみると、黄色いくちばしの可愛いらしい鳥が数羽、なぜかまゆみの木に戯れていました。図鑑で調べたところでは、イカルという名前の鳥のようです。
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 リンゴ(アルプス乙女)も満開です。以前のブログで、満開よりも咲き始めが美しいと書きましたが、満開の状態でも十分楽しめます。何よりすばらしいのは、その甘い香りが庭中に広がることです。
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 散歩を終え、心地よい疲労感につつまれながら、新緑の森に沈む夕陽を眺める。間違いなく至福のひとときです。
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倉吉線山守駅〜忘れ難き終着駅(8)

2019/05/09 18:47
第8回 倉吉線山守駅(鳥取県)

 旅の途中で体調が悪くなると、楽しいはずの旅が苦行へと一転します。そんな目には遭いたくないものですが、残念ながら、そうなってしまったことがあります。
 1974年の早春、山陰地方の鉄道を乗り歩こうと出かけた時のことです。京都で3日間を過ごし、中国地方に入って2日ほど経ったころ、ノドが痛くなりました。がまんして動き回っているうちに熱も出てきて、境線を乗り終えて倉吉線に乗車したころには、おそらく38度以上になっていたと思います。ボーっとした頭で眺めた風景はやはりボーっとしておりました。それでも、なんとか記憶にとどめようと、車窓を凝視し続け、ようやくたどり着いた終着駅が山守駅でした。写真を1枚撮っただけで、椅子にへたりこみ、倉吉へと折り返したのです。元気を出すには何か食べなければと駅前食堂に入ったのですが、まったくノドを通りませんでした。翌日も体調は回復せず、結局それ以降の予定を取りやめて家にもどることになってしまいました。そんな苦い記憶とともにある忘れ難き終着駅、それが山守駅です。体調の良いときにもう一度訪ねたいと思ったものの実現することはなく、1985年4月1日に廃止されてしまいました。画像
 倉吉は鳥取県中部の中心都市です。官設鉄道(のちの山陰本線)が開通した際に、倉吉駅が設けられましたが、町の中心市街地である打吹地区とはかなり離れていました。そこで、両者を結ぶ鉄道として、1912年6月1日に倉吉軽便線が開業しました。それが倉吉線のはじまりです。軽便線といっても私鉄ではなく国鉄線です。軌間も1067mmでした。1941年に関金まで延長され、戦後の1958年12月20日に山守まで全通しました。
 熱でボーっとした状態での記憶ですから、正確ではないかもしれませが、山守駅というのは不思議な駅でした。ひとことで言えば、あれっ、ここが終点なの、という感じでしょうか。1本の線路に、片面ホームのみという終着駅はほかにもたくさんありますが、2両編成の列車がはみ出してしまうほど貧弱なホームにはおどろきました。まわりに大きな集落があるわけでもなく、かといって、これ以上進めないというほどの山奥でもない。とりあえずここでおしまい、といった印象でした。改正鉄道敷設法には、中国勝山へつながる予定線として記載されていましたから、開通当初は暫定的な終点という意識だったのかもしれません。

 倉吉市の中心部に最も近かった打吹(うつぶき)駅です。開業時には倉吉駅を名乗り、山陰本線の倉吉駅は倉吉軽便線開業の1ヶ月前に上井(あげい)と改称。その後、1972年に倉吉が打吹に、上井が元の倉吉に名称変更されるという、地元以外の人にはわかりにくい経緯をたどりました。(1974年2月22日撮影。以下のモノクロ写真はすべて同様)

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 利用者が比較的多かった倉吉〜打吹(および1つ先の西倉吉)間には区間列車があり、温泉地の関金まで行く列車もありました。当時は、区間列車の多くが蒸気機関車によるもので、停車しているのは打吹発倉吉行の428列車です。ちなみに、終点の山守駅には機回り線がなく、山守まで行く列車はすべてディーゼルカーでした。
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 熱で頭がボーっとした状態の中で撮影した山守駅での1枚です。山守駅着16時35分の449D列車ですが、かなりの利用者がいたことがわかります。
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《余録・境線今昔》
 倉吉線の直前に乗車したのが境線で、これは終点の境港駅で撮影した写真です。境線は現存していますが、その様子はずいぶん変わりました。
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 境港駅のホームからは港に停泊している船舶が見えました。煙突のマークからソ連船であることがわかります。貨物ヤードも広かったのですが、境線の貨物営業は1986年に廃止となり、こうした風景は完全に過去のものになりました。
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 40年近く経ってから再訪した堺線は、「妖怪路線」に変身していました。こんな駅名が車窓にあらわれるとちょっと驚きますね。(2013年9月13日撮影。以下同様)
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 夜が更けてからこのベンチで列車を待つ勇気は、ポン太にはありません。
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 終点の境港駅は、こんなに変わっていました。
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 現在の境港駅舎です。水木ワールドの様々な妖怪が出迎えてくれます。
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何はともあれ新緑

2019/05/06 10:10
 今日で10連休が終了。前回のブログで、孫対応をポジティブに考えたい、と述べたポン太でしたが、さすがにこの連休は長く、孫が引き上げた後は、疲れが出てぐったりです。
 連休中はとにかく忙しく、テレビを見る時間は僅かしか無かったのですが、スイッチをいれると改元と代替わりに関するお祭り騒ぎの報道ばかりで、辟易してしまいました。便乗商品が溢れるのは企業サイドの都合ですから仕方がないとして、祝賀モード一色に染め上げ、やれ「新時代の到来」だの「時代が変わる」だのと、自明のことのようにフィーバーするマスコミの姿には、モヤモヤ感が残りました。何事であれ、様々な見方があって当然です。そもそも論が大好きな、ひねダヌキのポン太ですから、元号によって時代を認識する(歴史をくくる)ことの是非を問わずに、能天気に「令和」だ「令和」だと騒いでいて良いのだろうかと思ってしまいます。その「令和」にしても、語感や選考過程に違和感を覚えた人はいたはずです。
 判で押したような報道番組が垂れ流される中、孫と一緒に見ていた教育テレビの内容のすばらしさには感動してしまいました。実によくできています。子供むけ番組なのに「子供だまし」ではありません。洞察力が感じられない報道番組の方が、よほど「子供だまし」なのでは、と皮肉な見方をしたくなりました。
 身体も気持ちもモヤモヤしていたポン太ですが、庭に出てみると、あの4月の大雪にもめげず、植えたレタスの8割が元気に育っています。ジャガイモの芽も出てきました。イチゴも実もつけています。リンゴの花もほころび、森は新緑に輝いています。時間や季節は人間の思惑や欲望とは無関係に確実に動いている。そう思うと、モヤモヤが少し晴れたような気がしたポン太でした。

 浅間山の雪もだいぶ少なくなり、麓はすっかり新緑に覆われました。
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 孫がやって来た時には満開だった雪窓公園の桜ですが、帰るころにはすっかり散ってしまい、遊具の背景が若葉に変わりました。 
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 平尾山の麓の果樹園では、連休中に桃の花が満開となり、すでに散り始めたところもあります。
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 ポン太のささやかな菜園も新緑に包まれました。
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 窓の外はどちらを見ても輝くばかりの新緑です。
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 心配していたレタスですが、なんとか元気に育っています。
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 先月初めに植えたジャガイモの芽がでてきました。
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 少し野生化したようなイチゴですが、次々と花が咲き、実も膨らんできて、収穫が楽しみです。
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 ルバーブ(手前)もこんなに大きくなりました。あと少しでジャムにできそうです。後方のブルーベリーも葉がでそろいました。
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 森の中ではイカリソウ咲いていました。その名のとおり、錨の形をしています。
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 フデリンドウも咲き始めました。
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 ほころぶという表現がぴったりなリンゴの花です。満開になった時よりも、咲き始めの方が可愛らしく、毎年「りんごの花ほころび〜♪」を楽しみにしているポン太です。
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迎える側の今

2019/05/01 21:16
 世間は10連休の真っ最中。現役時代であれば、このチャンスを逃すまいとどこかへ出かける算段をしたところですが、今は毎日が日曜日の年金生活。しかも、生活拠点が浅間山麓の森の中というわけですから、「出かける」のではなく、すっかり「迎える」側です。
 連休に入ってからというもの、スーパーもレストランも県外車でいっぱい。いつも買いに行くパン屋さんでは、お昼前に全ての棚が空っぽになっていて、これにはさすがに驚きました。ふだんは誰にも会わない散歩道も、愛犬連れの人々が列をなしています。だからといって、静かな環境を返せ、などと野暮なことは言いません。この浅間山麓の地に魅力を感じて大勢の方がやって来る、それは、むしろ嬉しいことなのです。
 今、桜が満開(ただし八重桜はまだ蕾)ですが、それだけではなく、様々な花が堰を切ったように咲き始め、芽吹きがどんどん進んでいます。茶色だった森は、薄緑色のベールをまとったような色彩に変身中です。一年中で最も心躍る季節ですから、それを地元民だけが独り占めするわけにはいきません。居ながらにして、そのような自然に親しむことができていることに感謝しつつ、遠方から来られた方々には、この季節ならではの心地よさを十分味わっていただきたい、そのように思います。
 とまあ、一般論としてはそうなのですが、孫がやって来たとなると話は別です。にわかに忙しくなり、上述のような季節変化を楽しむゆとりはなくなってしまいます。冬季のように、遊ばせる場所探しに苦労しなくてすむ、という点ではだいぶ助かりますが、ますますアクティブになっている孫の相手はかなり大変。どちらのジイバアもそうでしょうが、孫は可愛いけれど疲れます。それでも、遊ばせつつ花見や散歩を楽しめれば一石二鳥ではないかと、ポジティブに気持ちを切り換え、目下奮戦中のポン太です。

 浅間山麓では桜が満開です。
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 様々な花が一斉に咲き出して、いつもの散歩道沿いの風景が一変しました。
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 こちらの庭も花がいっぱい。眺めているだけで明るい気分になります。
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 ポン太が植えたチューリップもほぼ咲きそろいました。背後の森では芽吹きがすすみ、薄緑色のベールをかけたようです。
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 森のあちらこちらにスミレが咲いています。
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 ヒトリシズカも咲き始めました。
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 植えてから2年しか経っていない桃ですが、今年もしっかり花を付けてくれました。
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 プラムも咲き始め、ポン太の森も賑やかになってきました。
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 浅間山麓のシンボルともいえる落葉松の芽吹きも進行中です。
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 タンポポもこれだけ広い範囲を埋め尽くして咲いていると、見事としか言いようがありません。しゃがんで作業中の高齢の御婦人に聞くと、1株ずつ除去している最中とのこと。気が遠くなるような・・・。
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 孫を、雪窓公園(御代田町)に連れだしました。遊具のまわりの桜は見応えがありましたが、孫は、当然ながら、花より遊具です。
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 桜の花びらとともに滑り降りる快感、なんていうことは感じていないでしょうが、楽しく遊べたようです。
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 公園の隣の球場では草野球の真っ最中。浅間山と満開の桜に見守られて、選手は気分爽快ではないでしょうか。
 
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 連休中なので、それなりに人は出ていましたが、都会の公園と比べたらのどかなものです。
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 雪窓湖(という名の溜池)のほとりの桜が、思いのほかきれいに咲いていました。
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 同じ公園でばかり遊ばせていると飽きてしまうので、佐久市の長野牧場(正式名は茨城牧場長野支場)へ出かけてみました。桜は終わりかけていましたが、まだなんとか観賞可能なレベルでした。
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 見頃を過ぎているので、お弁当を広げている人はごく僅か。のどか過ぎるほどのどかです。
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 駆け回ろうが、どんなに大声を出そうが、気にする必要なし。こういう場所は孫連れには有り難いですね。
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 孫は桜よりもヤギさんに夢中でした。
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サクラ咲く咲く佐久平

2019/04/27 11:12
 今年の信州の桜は、開花が遅かった分、満開になるのも散るのも早く、あれよあれよという感じです。散ってしまう前に、見るべきところを見ておこうと、佐久平をひとめぐりしてきました。
 佐久平で一番の桜名所といえば長野牧場です。が、今回はあえてそこをはずし、これまで桜の季節には訪れたことのない場所や、訪れること自体が初めてというところに足を運んでみました。見てまわったのは、「関所破りの桜」「大池の枝垂れ桜」「蕃松院」「新海三社神社」「龍岡城」「さくラさく小径」。そう聞いてピンとくる人は、たぶん地元以外では稀ではないでしょうか。かくいうポン太も実は最近になって知ったところが多いのです。
 同じ佐久平の中とはいえ、桜のロケーションは千差万別。それぞれに個性があり、まさに「みんな違ってみんないい」です。ボリュームのある桜名所はもちろん見応えがありますが、じっくり眺めて楽しむには、むしろマイナーなところの方が優れているかもしれません。
 それにしても、桜はなぜこうも魅力的なのか。何度見ても飽きるということはありませんし、眺めているだけで明るい気持ちになります。佐久平の桜は終わりかけていますが、より標高の高いエリアでは、これからが見頃ですから、ポン太の桜行脚もまだしばらくは続けられそうです。

 五郎兵衛記念館前の「関所破りの桜」です。市川五郎兵衛は、江戸時代の初期、苦労して用水を開削し、佐久を米どころに変えた人物です。村人たちはその徳をしたって神社を建てました。そこに植える桜を受け取りに行った使者が、関所の通行手形を忘れ、役人に理由を話したところ通行を許されたことからこの名がついたとか。
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 大池という名の溜池の畔に咲く枝垂れ桜です。「関所破りの桜」と同じく、佐久市の西部、旧浅科村のエリアにあります。
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 大梁山蕃松院は、佐久市南部に位置する曹洞宗の古刹です。禅寺らしい凛とした佇まいがすばらしく、桜も端正です。
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 こちらは新海三社神社です。佐久地方開拓の祖神を祀る古い神社ですが、神仏混淆の名残なのか、境内には三重の塔があります。そのまわりの桜が見事で、カメラマンには人気のあるスポットです。
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 神楽殿からみた三重の塔です。ちょっと珍しい風景ですね。
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 こんな角度で眺めていると、奈良、京都あるいは鎌倉にでも来ているような気分になります。
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 今回訪ねた場所の中では、最も知名度が高いと思われる龍岡城の桜です。日本に2つしかない五稜郭(もう1つは函館)で、星形の堀に花筏が浮かんでいました。
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佐久市民の散歩道になっている、「さくらサく小径」です。千曲川沿いにあります。
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「さくらサく小径」を歩いて行った先の千曲川のほとりでは、桜とユキヤナギが競演していました。
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おお、春になったなぁ、と感じさせる風景ではないでしょうか。
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夜桜未満の美〜懐古園(小諸城址)の桜

2019/04/24 23:34
 いよいよ浅間山麓にも本格的な桜のシーズンがやってきました。標高800m前後まで開花が進み、すでに満開になったところもあります。
 浅間山麓の桜名所の中で、最も知名度が高いのが小諸の懐古園(小諸城址)ではないでしょうか。例年よりも開花は遅かったのですが、先週後半の陽気で一気に満開となり、今週末までもつかどうか、微妙なところです。昨年は日程が合わず、見ることができませんでしたので、今年は見逃すわけにはいくまいと、何はさておき、出かけてきました。
 桜は見る時間帯によってだいぶ印象が異なります。今年は今まで見たことのない時間帯がよかろうと、黄昏時を狙ってみました。これが大正解で、千曲川の対岸に沈む夕陽を浴びた桜は、昼間とはまた別物。全体的には逆光ぎみに花を見ることになるので、花弁が際立ち、ふわっと浮き上がった感じに見えました。園内を移動するにしたがって、光線の角度が変わり、花の色合いが変わって見えるというのもこの時間帯ならでは。幻想的な夜桜もすばらしいのですが、夜桜未満もまた良しと、認識を新たにしたポン太でした。

 天守台の桜が、夕陽に輝いていました。
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 夕陽を浴びた桜と、その木漏れ日を受けた石垣。風情があります。
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 この見事な桜の下で、どんな宴が始まるのでしょうか。
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 小諸の固有種、コモロヤエベニシダレザクラです。より一層赤味が増したように見えます。
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 古城ならではの夕景です。
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 夕陽に包まれた桜の園(かつての馬場)です。
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 逆光であればこその眺めです。
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開花宣言

2019/04/20 13:28
 ポン太の森で、春の訪れを実感させてくれる花、それは桜ではなく、アンズです。アンズが咲くのとほぼ同時にコブシが咲き、アンズの開花を合図に、レンギョウ、ボケ、水仙、チューリップなど、様々な花が咲き始め、木々の芽吹きもはじまります。庭や森が一気に明るくなる、そんな感じです。
 本日、待ちに待ったそのアンズが開花しました。昨年は4月7日に開花しましたから、なんと13日も遅い開花です。4月に入ってからの寒波と雪の影響かと思われます。アンズと桜の開花はかなりの時差があるのが普通ですが、今年はアンズが異常に遅かったので、あまり間をおかずに桜が開花するかもしれません。浅間山麓では、ゴールデンウィークのころが桜の見頃になりそうなので、それもまた楽しみです。
 アンズの写真を撮ろうと外に出ると、頭上からウグイスの鳴き声が聞こえてきました。まさに、アンズとともに春がやって来たことを実感したポン太でした。

 浅間を背にしたポン太の森のアンズです。
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 開花宣言はまだ早すぎると思われるかもしれませんが、枝によっては数輪開いているところもあり、「開花」と判定しました。
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 これなら、開花宣言しても許されるのではないでしょうか。それにしても可愛い花です。
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 コブシも咲き始めました。
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 レンギョウも開花です。
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 目立たない花ですが、ボケも咲き始めました。
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 日当たりのよい場所では水仙も咲いています。
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 チューリップもいくつか咲き始めました。
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 冬を越したビオラも元気いっぱい花を咲かせています。殺風景だった庭が明るくなりました。
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 芽吹きはじめたウワミズザクラです。垂直に立っているのが花芽で、まもなく筒状の白い花が咲きます。
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 リンゴも芽吹きの準備が整った感じです。花芽もいっしょにでてきますから、ゴールデンウィークには、可憐な花を愛でることができそうです。
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《佐久平では桜が満開》
 アンズの開花に大喜びのポン太でしたが、午後になって佐久平へ買い物に出かけたところ、なんと佐久平周辺では桜が満開になっていました。ここ2〜3日の暖かさで、一気に開花したのでしょう。標高が200m弱低いだけで、ずいぶん違うものです。これは佐久平駅付近の桜並木です。
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 桜の上を行く、小海線のイベント列車「ハイレール1375」です。
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寒さのご褒美

2019/04/16 20:51
 4月に入ってから、真冬のような寒い日が続いたことや、予想外の積雪があったことについては、以前のブログで触れたとおりです。しかしこの寒さのぶりかえしが、思わぬ幸運をもたらしました。それは、4月も半ばを過ぎたこの時期に、アンズの里のみごとな眺めを楽しむことができたことです。
 アンズの開花は桜よりもずっと早く、桜が咲くころには散ってしまうのがふつうです。千曲市のアンズの里では、3月中に開花し、先々週の週末には満開になったと報じられていました。満開のアンズを眺めることができる期間は短く、今年は無理かなとあきらめていたのですが、開花後に寒い日が続いたことで、なんと今もまだ見頃な状態だというのです。これはチャンスと出かけてみることにしました。出かけた場所は、長野市松代の尼厳山(あまかざりやま)の麓。千曲市の森地区ほど有名ではないのですが、知る人ぞ知るアンズの里で、観光地化されていないところが最大の魅力です。花見のイベントは先週末に終ったようで、見物客は皆無状態。ピンクに染まったアンズ畑の大景観を独り占めして、大満足のポン太でした。
 一方、上田からは上田城のソメイヨシノが満開になったというニュースも届きました。こちらはほぼ例年どおりということですが、同じ日に、アンズと桜を、どちらも良い状態で眺めることができるという機会は、そうそうあるものではありません。上田城にも立ち寄り、東信(東信州)地方最初の花見を楽しんだことは、いうまでもありません。

《アンズの里》
尼厳山(あまかざりやま)を背に広がるアンズ畑です。
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 近寄って見るとこの可愛らしさ。桜とはまた違った風情があります。
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 アンズの里は、集落も絵になります。
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 誰もいないアンズ畑の中の道を登っていくと、山の上に月がでていました。気持ちのよい風景です。
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 しっかり手入れされたアンズの木は見応えがあります。
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 奇妙山という面白い名前の山ををバックにして咲くアンズです。この山にはまだ登ったことはありませんが、形がよく、登ってみたくなる山です。
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満開のレンギョウとアンズのコラボも素敵でした。
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全体がピンクに染まったアンズの里の大景観です。来た甲斐がありました。
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《上田城と桜》
 上田城は桜名所として知られているところですが、ポン太の印象としては、他の名所と比べて豪華絢爛という感じはしません。桜の数も驚くほど多いというわけではありません。しかし、不思議な魅力があり、何度も見に来てしまうのはなぜでしょうか。それは、徳川の大軍を二度にわたって撃退した「真田のオーラ」ではないでしょうか。
 桜に囲まれたのどかな城というよりも、どこか風雲急を告げているように感じられます。
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 攻め寄せる敵をにらみつけているような櫓です。
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 ここは尼ヶ淵と呼ばれているところで、かつてはこの下を千曲川が流れていました。どうみてもここから攻め登るのは無理ですね。
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 石垣の上に翻る六文銭の旗。徳川の大軍なにするものぞ、といったところでしょうか。
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 城内にある真田神社です。この絵、いくらなんでもかっこ良すぎませんか。
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 お堀の桜も満開でした。正面に見える山は、上田市民の山として親しまれている太郎山です。
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 東京と同じように、花見客の中に外国人をたくさんみかけました。上田市は県内で最も在住外国人の多い都市ということなので、あたりまえかもしれませんが・・・。
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 東京の桜名所と違うのは、場所取りの心配がないこと。ファミリーがゆったりと花見を楽しんでいましたが、これだけまわりに人がいないと、ちょっと寂しいかも。
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 愛想のよい三匹のワンちゃん。お花見は楽しい? 答えは、楽しいワン、ワン、ワン、かな。
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 枝にはつぼみの状態の花もあり、満開になったとはいえ、まだしばらくは楽しめそうな上田城です。
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それぞれの桜 −武州・上州・越後−

2019/04/13 15:14
 例年並、あるいは例年より少し遅い。そんなところに落ち着きそうな感じになってきました。今年は2月から3月にかけて比較的暖かな日が多かったので、いつもより季節の進み方が早いのではと思っていたのですが、4月に入ってからの寒さは予想外でした。
 東京の桜が早かったこともあり、信州(特に浅間山麓一帯)の桜との時差がひどく開いてしまったように感じます。今年は東京の桜を見ていないので、まだ先になりそうな信州の桜を見る前に、下界の桜も少しは楽しみたいと、2回に分けてバスと電車の乗り歩きをしてきました。
 碓氷峠を下った横川の鉄道文化村あたりの桜はすでに満開。高崎では盛りを過ぎて桜吹雪となっていました。標高差恐るべしです。それより少し前になりますが、熊谷の荒川土手(桜堤)にも立ち寄ってみました。見渡す限り続く満開の桜はまるで大河のような大迫力。
 高崎から上越線で北上すると、沼田あたりまでは桜が咲いていたのですが、その先はまだまだという感じで、水上では桜どころか雪景色となり、「国境の長いトンネルを抜けた」先は、今も「雪国」のままでした。同じ越後でも平野部の長岡あたりでは、桜が咲いているところもあり、上越市の有名な桜の名所である高田城(高田公園)では、雪山を背にした満開の桜がむかえてくれました。
 わずか1日の移動でこの変化。日本列島が平坦ではなく、高峻な脊梁山脈が存在するがゆえに生じている多様性。それぞれの桜を眺めて、改めてその面白さを感じたポン太でした。

《武州の桜》
熊谷の荒川土手は、中山道踏破の際に訪れた場所ですが、桜を見るのは初めてです。ここは河口まで76.0キロの地点。このまま河口までずっと続いているのではないかと思えるほどの桜のボリュームに驚きました。
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土手の上も下も人また人。上野公園に劣らない人出でした。さすがは県内トップクラスの桜名所です。
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みんな楽しそうですね。
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屋台もたくさん出ていて、たいへんな賑わいでした。
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《上州の桜》
碓氷峠を下ったところにある横川の「鉄道文化村」です。レールと腕木式信号機の背後に満開の桜。このシーンを「いいね」と感じる人は、たぶん鉄道好きです。ポン太もそうですから。
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保存車両と桜のコラボ。「いいね」「いいね」です。
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高崎駅から徒歩数分のところにある高崎城址の桜です。全国的に知られた桜名所ではありませんが、やはりお城と桜はベストマッチングです。
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盛りは過ぎていましたが、お堀に浮かぶ花筏もまた良きかなです。
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新クラスの記念撮影でしょうか。桜の下でスタートした新学期。高崎の生徒たちはラッキーですね。
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 上越線で沼田を過ぎ後閑までくると、咲いている桜も三分咲きか五分咲きのレベル。満開になるのはまだ先という感じでした。
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 桜どころか雪が目立つ水上駅です。ここで乗り換えた長岡行電車は2両編成。かつて上野と新潟を結ぶ特急列車が頻繁に行き交った長いホームは昔のままですから、この電車の短さが際立ちます。
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《越後の桜》
かつて国内最長を誇った清水トンネルを抜けた先は、文字通り「雪国」でした。しばらく桜とはお別れ。これは越後中里付近の車窓風景です。
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長岡を経由して、上越市高田へ。高田城址は全国的にも名の知れた桜の名所で、三大夜桜のひとつに数えられています。しかし、途中の車窓からは、ほとんど桜を目にすることがなかったので、本当に咲いているのか心配でした。とにかく行ってみなければと、名物の雁木風アーケードが連なる商店街をぬけて城址へむかいました。
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おっ、街中の川のほとりに満開の桜が咲いています。期待感が高まります。
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高田城址に近づくと桜また桜。お花見の準備をしている親子でしょうか。お子さんのもつ傘が粋ですね。
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広いお堀が見えてきました。満開の桜と背後の雪山。これを見ただけでもう十分という感じですが、この先にはさらに素晴らしい桜が待っていました。
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城址のまわりの道も桜で埋め尽くされていました。
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こんな桜ロード、誰だって歩きたくなりますね。
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出店のスケールも大きく、なんとお化け屋敷までありました。桜を見て肝を冷やすって、ありなのでしょうか。
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もちろん城内も素敵です。全国レベルの名所だけに、かなりの人出ではありましたが、首都圏の名所と比べればゆったり散策することができます。
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この景観は、高田ならではでしょう。
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これまた絶景ですね。
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この景色を見て、素晴らしいと言わない人はいないと思います。
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あたりが暗くなってくると、ますます雰囲気が良くなります。
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帰りの電車の都合があり、完全な「夜桜」になるまで留まることはできませんでしたが、三大夜桜といわれるだけのことはあると実感しました。
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後ろ髪をひかれる思いで城址を後にしましたが、ふりかえるとこの眺め。立ち去るのはもったいないと誰でも思うのではないでしょうか。
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駅にもどる途中にもこんなところがあり、思わずカメラをむけてしまいました。すごいぞ高田の桜。
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なんとか発車の5分前に駅にもどることができました。駅舎もこんなに素敵な高田でした。
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おっとどっこい春はお預け

2019/04/10 15:14
 このブログを開設したのは、一昨年(2017年)の4月9日です。ということは、丸二年が経過し、今日のブログが3年目に入って最初となるわけで、少しは華やいだ感じのものにしたいと思っておりました。
 春一番に華やぐものといえばもちろん桜。信州の桜はまだこれからですが、近県では見頃になったところが多く、昨日はその様子を見がてら、信越線と上越線を乗り歩いてきました。今回のブログは、各地の華やかな桜の写真を中心に構成しようと考えていたのですが、今朝起きてびっくり仰天。なな、なんと一面の雪景色です。それも春の淡雪といった感じではなく、吹雪の様相すら呈する本格的な雪。昼前には大雪警報がでました。
 この冬は雪が少なく、美しい雪景色を楽しむことができないと嘆いていたポン太ですが、この時期の雪は御免被りたいですね。何より心配なのは、先日植えたばかりのレタス。いくら寒さに強いといっても、これだけの雪の下に埋もれてしまっては・・・。やっと膨らみ始めた水仙やチューリップの花芽もどうなるか心配です。これでは、アンズやコブシの開花もだいぶ先になりそうです。
 そんなわけで、今回は冬に戻ってしまったようなポン太の家の周りの様子をお伝えすることにします。桜の話は改めて次回以降で取り上げることにしたいと思いますので、乞うご期待!

 野菜や肉などのストックが寂しくなっていたので、やむなく雪の中を買い物に出かけました。これは国道18号の様子です。
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 スーパーの駐車場もご覧の通り。タイヤを冬用のままにしておいてよかったと、胸をなで下ろしたポン太でした。
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 脇道に入ると、路面にもかなりの積雪があります。
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 いつもの水辺(御影用水)も冬景色に逆戻りです。
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 ポン太の家のまわりも、吹雪に霞んでいます。
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 レタスを植えたばかりの家庭菜園も雪の下になってしまいました。
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 もう少しで花が咲きそうになっていた水仙も、雪の上にかろうじて葉先が出ているだけ。
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 ポン太の森の雪景色です。きれいではあるのですが、今は困ります。
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家庭菜園始動

2019/04/07 09:29
 4月になったので、例年同様小さな家庭菜園を始動させました。真っ先に植え付けるのはジャガイモです。ポン太のお気に入りは、果肉まで赤いノーザンルビーという品種。まずはホームセンターで種芋を購入する必要があるのですが、今年はどこを探しても入手することができず、やむなくシャドウクイーンという黒色の品種を購入しました。ところがそれから間もなくして、佐久市の南端にあるタネ屋さんで、偶然ノーザンルビーを発見。やはりこちらが良さそうだと、1キロ入りを一袋購入してしまいました。その結果、小さな家庭菜園には余る量の種芋を抱え込むことになったのです。捨てるのは忍びないので、植え付け間隔を30センチ弱まで縮めることで対処しました。「超密植」状態ですから果たしてどうなるでしょうか。
 ジャガイモの次に植えたのはレタスです。4月初めは寒さが厳しく雪が舞うような状態でしたので、少し見合わせていたのですが、5日あたりから急速に気温が上昇。もうよかろうと苗を植え付けることにしました。レタス以外の作物の植え付けや種まきはまだだいぶ先ですが、それに備えて土を起こし、堆肥を入れるという作業だけはやっておかなければなりません。まわりの森を見回してみると、まだダンコウバイ以外に咲いている花はありません。もちろん芽吹きもまだです。それでも、枯れ葉の下からギョウジャニンニクやルバーブが顔を出しており、本格的な春は間近。そう思うと、土を掘る手にも力が入ったポン太でした。

 これがノーザンルビー(右)とシャドウクイーン(左)の種芋です。
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 ノーザンルビーは、皮だけでなく、中も赤いのが特徴です。
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 目玉焼きと一緒に盛り付けると、見た目はベーコンエッグのようですが、食べてみるともちろん味はジャガイモ。このフェイクな感じがポン太は大好きです。
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 こちらは植え付けたばかりの(結球)レタスです。順調に育ってくれれば、5月下旬には口に入るはず。
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 昨年大成功だったサニーレタスも植えました。
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 森の中では枯れ葉の下からギョウジャニンニクが顔をだしていました。昨年より株が少し増えたようです。
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 千曲市からは見頃になったという便りが届いているアンズですが、ポン太の森ではまだ固いつぼみの状態です。開花は10日後ぐらいでしょうか。
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 コブシもこの状態では開花はまだまだですね。
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「おやき」の故郷

2019/04/03 11:21
 信州の郷土食の代表といえば、「おやき」をあげる人が多いと思います。東京のデパ地下にも、「おやき」の店が進出していますから、いまや全国的にも知られた存在かもしれません。ただ、信州は広いので、「おやき」が県内全域で日常的に食されているかといえば、必ずしもそうではありません。「おやき」を好む人が特に多いのは、北部の長野市を中心とした一帯ではないでしょうか。
 元々、「おやき」は家庭でつくるものであり、地域や各家庭によって、つくり方や具の内容は異なっています。ポン太が子供のころ、現在の千曲市域に住む親戚を訪ねた際に、つくってもらって食べたのが、ポン太にとっては、「おやき」初体験でした。その「おやき」のスタイルは、具を入れて蒸した後、油をひいたフライパンで焼くというもの。お店で売られているような饅頭形ではなく、平べったい形をしていました。ねちゃねちゃした食感が子供にとっては心地よいものではなく、しかも中に入っていた具が、ポン太の苦手とするナス(この地域独特の丸ナス)であったこともあり、ポン太の頭の中には、嫌いな食べ物としてインプットされてしまいました。
 その後長い間、「おやき」を食べることはありませんでしたが、10年ほど前、虫倉山に登ろうと長野市の中条地区(旧中条村)を訪れた際に、ポン太のイメージとはまったく異なる「おやき」を目にしました。試しに食べてみたところ、その美味しいこと。表面はカリっとしているのに、中はしっとりしており、たっぷり入っていた具がこれまた美味。ポン太の「おやき」観は見事にひっくり返され、また食べたい、何度でも食べたい、に変わりました。
 その「おやき」は、囲炉裏の灰を使って蒸し焼きにするというタイプ(灰焼きおやき)で、どうやらこれが「おやき」の原形のようです。長野市の西方に位置する旧中条村や小川村などの山間地域は西山地方とよばれていますが、その西山地方で食べられていた「おやき」が里へ降り、囲炉裏とは無縁な家庭へ普及する過程で、蒸すタイプや蒸して焼くタイプ等に枝分かれし、中に入れる具も様々に変化。その結果、食感も味も異なる、バリエーション豊かな信州の「おやき」文化が形成されたというわけです。そのようなことを知ると、いろいろな場所で「おやき」の食べ比べをしてみたい、そんな気持ちになりました。1箇所、あるいは1店舗の「おやき」を食べただけで、「おやき」とはこういうものだと判断するのは大間違いなのです。

 旧中条村の「やきもち家」という温泉付きの施設で、「灰焼きおやき」を食べることができます。そこは、はっきり言ってとんでもない山の中。初めて訪れた際には、なかなかたどり着くことができず、この道でよいのだろうかと不安になりました。これが、途中の道から見下ろした「やきもち家」の全景です。
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 「やきもち家」の本館は、古民家を移築したという茅葺きの趣のある建物です。
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 食堂のすぐ隣に囲炉裏があります。この雰囲気もまたご馳走の一部といえましょう。
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これが、「やきもち家」の「おやき」です。 写真に写っている「おやき」の具は、切干大根です。ポン太の好みからいえば、これと野沢菜入りのものが絶品です。
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旧中条村には、絵に描いたような山里の風景が広がっています。
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 小さな棚田の縁に、フキノトウがたくさん顔を出していて、山里にも確実に春がきていることを感じました。
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ここは山姥の里ということですが、一般的な昔話に出てくるような怖い存在ではなく、子供を可愛がり危険から守ったやさしい山姥であった由。とても山姥とは思えないこのような像が設置されています。
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 虫倉山の麓には、不動滝という立派な滝があります。 
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このあたりの沢にはサンショウウオが生息しているようで、その保護をよびかけるこんな看板がでていました。よく読むと、三番目の項に、驚きの文言が。えっ、飲む人がいるの?
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「信州環状鉄道」を楽しむ

2019/03/30 22:38
 信州にも環状鉄道があります。といっても、山手線や大阪環状線のように電車がグルグル回っている路線があるわけではありません。列車を乗り継げば信州(の中央部)を一周できる形に線路がつながっているという話です。浅間山麓の小諸駅からでしたら、小諸→(小海線)→小淵沢→(中央東線)→塩尻→(篠ノ井線)→篠ノ井→(しなの鉄道)→小諸(またはその逆コース)と乗り継げばよいわけです。
 1963年から75年まで、長野を起終点として、上記のルートをたどる「循環急行」(設定当初は準急)なるものが運転されていたことがありますから、「信州環状鉄道」はあながち無理なこじつけとはいえません。ただし、小海線の南端部分は山梨県に属しており、純粋に信州内で完結はしていません。このルート上には、美しい車窓風景を楽しめるところや、途中下車したくなるような名所が多く、「信州周遊券」(→信州ワイド周遊券)が発売されていたころは、フリー乗降エリアの要のような存在でした。
 しばらくご無沙汰していた「信州環状鉄道」に、つい先日乗車してきました。その動機となったのは、篠ノ井線明科〜西条間の旧線跡遊歩道です。以前からぜひ歩いてみたいと思っていたのですが、樹木の葉がまだ出ていないこの時期なら、鉄道遺産の観察にはもってこい。目的地をそこに定め、時計回りに一周してみたというわけです。
 篠ノ井線旧線跡には、明治期に建設された煉瓦積みのトンネルや橋梁が遺されていて、スイッチバック式だった信号場の跡もあります。昔を偲びながら深い森の中を行く旧線跡ウォーキングは、想像していた以上に気持ちの良いものでした。
 「信州環状鉄道」の車窓展望が、今も満足できるものであることを確認することができたのも「成果」といえましょう。雪を戴く山々の眺めは信州ならではの素晴らしさ。お洒落な特別車両を用意し、供食サービス付きの「循環列車」を運転したら、相当な人気を博するのではないか、そんなことまで考えてしまったポン太でした。

 まずは小海線からスタートです。この羽黒下駅あたりから山間部に入って行きます。ちなみに、羽黒下駅の駅舎は、佐久鉄道として開業した当時のままで、見応えがあります。
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 小海線きっての秘境駅といわれている佐久広瀬駅です。こういうのどかな雰囲気が味わえるのも、ローカル線ならではです。
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 野辺山駅付近の車窓に広がる八ヶ岳。これぞ高原鉄道、ザ・小海線、といった風景ではないでしょうか。
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 これは、往時の循環急行「すわ」号です。長野から出発し反時計回りで長野にもどる列車でした。時計回りで運転されていた列車には「のべやま」号という愛称がついていました。(清里〜野辺山間にて、1970年8月28日撮影) 
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 観光名所にもなっている、海抜1375mのJR最高地点です。列車から前方を見ていると、踏切のところがサミットになっていることがよくわかります。
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 小淵沢で中央東線に乗り継いで茅野までやってきました。この353系の特急「あずさ」に追い越されましたが、今月16日のダイヤ改正により、特急「あずさ」はすべて353系電車で統一され、自由席が消滅。駅によっては停車本数が減って利用しにくくなった面もあり、今回のダイヤ改正に対する地元の評判は必ずしも良くないようです。
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 篠ノ井線の明科駅です。1902(明治35)年、篠ノ井線の開通と同時に開業した古い駅ですが、現駅舎は1927(昭和2)年の建築ということです。
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 明科駅前には「廃線敷遊歩道」の立派な案内板が立っていました。1988年9月に新線に切り替えられて廃線となった明科〜西条間のうち、明科から旧第二白坂トンネルまでの区間が遊歩道として整備されています。
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 ここは、遊歩道の明科駅側の入口付近です。左側(西側)の展望がよく、北アルプスの常念岳等がよく見えます。旧線時代はビューポイントでしたが、新線は明科駅を出るとすぐにトンネルに入ってしまうので展望はありません。
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 廃線跡遊歩道には、通り抜けることができるトンネルが2箇所あります。これは全長125mの三五山(さごやま)トンネル。篠ノ井線のこの区間が開業したのは明治35(1902)年6月15日ですから、この煉瓦積みのトンネルは明治30年代前半の建造物ということになります。一見煉瓦のようには見えませんが、これは、電化に際して水滴が電線に付着するのを防ぐために、モルタルを吹き付けたためだということです。
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 トンネル内に入ると煉瓦積みであることがよくわかります。
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 踏切がそのまま残されているところもあり、廃線跡であることを実感します。この場所のように、僅かでもレールが存在していると嬉しいものです。
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 斜面災害を防止するための鉄道防備林が、全国に先駆けて整備されたということで、それもこの廃線跡遊歩道の見どころの1つです。当初はニセアカシアが、戦後はケヤキが植えられた由。見事なケヤキ林が続きます。
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 旧線跡の土手に咲いていた福寿草です。思わぬところで春を感じました。
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 今も前方を睨んだまま立ち続けている信号機が、廃線跡歩きの気分を盛り上げてくれます。
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 赤煉瓦の小沢川橋梁です。胸壁上部の仕上げ方が極めて特殊(小口の段が鋸歯状)ということなのですが、近寄ってみて、その形状を確認することができました。
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 三五山トンネルと同じく煉瓦積みの漆久保トンネルです。こちらは一見して煉瓦積みとわかり、明治期に建設された鉄道らしい雰囲気が漂っています。
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 スイッチバック式だったという潮沢信号場付近です。左側が本線、右手の少し高いところがスイッチバック線の跡ではないでしょうか。
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 遊歩道はここでおしまい。前方に旧第二白坂トンネルの入口がみえますが、入口が閉鎖されていて、通り抜けることはできません。明科にもどり、篠ノ井線の旅を続けました。
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 篠ノ井線きっての鉄道名所といえば姨捨駅。この付近からの眺めは、日本三大車窓の1つといわれています。
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 今回の目玉は篠ノ井線旧線の廃線跡歩きでしたが、「信州環状線」の沿線には見どころがたくさんあり、切り口を変えれば何度訪れても楽しめる、そう感じたポン太でした。
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そこまで来た春

2019/03/25 22:11
 浅間山麓の生活実感として、3月はまだ冬です。木々の葉がほとんど落ちてしまう11月下旬から、芽吹きが始まる4月下旬までの5ヶ月間が冬で、残りの7ヶ月弱に春夏秋の3つのシーズンが凝縮されている、そんなところでしょうか。それでも、温暖化の影響からか、昔ほど長く厳しい冬を耐えて春を待つといった感じはしません。今年は特に暖冬で、雪が極端に少なかったせいか、3月でも春の訪れを感じるような日が多いように思います。
 東京からはすでに桜の便りが届いていますが、さすがにこちらではそれはまだ先の話。それでもいままで彩りのなかった庭にビオラが咲き始め、森の中ではダンコウバイの花をちらほら見かけるようになりました。道端にはフキノトウが顔を出しています。平尾山のスキー場は、昨日で今季の営業を終え、白いマルチシートがセットされたレタス畑では、苗の植え付けが始まったところもあります。本格的な春便りの発信には、まだ時間が必要ですが、冬から春へ、間違いなく季節は動いている、そんなことを感じるこのごろです。

 咲き始めたビオラです。寒さにめっぽう強く、雪の下で冬を越し、わが家の庭で一番早く花を咲かせてくれる、有り難い存在です。
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 庭のシャクナゲの花芽がこんなに大きくなっていました。開花は1ヶ月以上先ですが、立派に咲いてくれそうで楽しみです。
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 いつもの散歩コースの道端にフキノトウがでていました。
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 森の中で真っ先に花を咲かせるダンコウバイです。
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 小さな花ですが、近寄ってみると、こんな感じです。
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 昨日店じまいした平尾山のスキー場(パラダ)です。気温の高い日が多かったせいか、ゲレンデの雪がやせ細っています。今季は雪の管理が大変だったのではないでしょうか。
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 浅間山麓の畑には白いものが目立つようになりました。レタスを栽培するためのマルチシートです。
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 ヤマツツジの枝に天蚕(の繭)がついたままになっているのを見つけました。芽吹きにはほど遠いこの時期、新緑を思わせるこんなにきれいな色のものはほかにはありませんから、思わず見とれてしまいました。ちなみに天蚕の糸だけを用いた織物も製造されているそうですが、たいへん高価だということです。
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 芽吹きの季節をむかえる前に、わが家の近くの森が大規模に伐採されてしまいました。ここに何ができるのか、ちょっと心配なポン太です。
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同和鉱業花岡線花岡駅〜忘れ難き終着駅(7)

2019/03/21 12:28
第7回 同和鉱業花岡線花岡駅(秋田県)

 ポン太が十代のころの話です。家の近くに劇団幹部の女優さんが住んでおり、その方からチケットを入手した父が、これはなかなか良さそうだからと、私に観劇をすすめてくれたのです。それまで「新劇」というものを見たことが無かったので、良い機会と思い出かけてみました。会場は六本木の俳優座劇場、タイトルは「勲章の川」であったと思います。「花岡事件」を扱ったかなりシリアスな内容でした。
 「花岡事件」というのは、第二次大戦末期、秋田県花岡鉱山鹿島組出張所に強制連行されて来ていた中国人労働者たちが、虐待に耐えかねて暴動を起こし逃走した事件です。捕らえられた後の扱いは過酷で、拷問によるものを含め、400人以上が死亡したとされます。こんな事件があったことを初めて知り、劇団員たちのリアルな演技にも衝撃を受けました。捕らえられた中国人たちに、多くの住民が石を投げつける中で、茹でたジャガイモをそっと渡した女性がいたという話もあったように思います。どんな状況下でも「良心」や「慈愛」を失わない人がいることに、救われた思いがしたように記憶しているのですが、そんな話だったような気がするという程度の記憶にすぎません。画像
 それから10年以上経ってから、鉄道乗車を目的に花岡を訪れる機会がありました。雪の降りしきる花岡駅に着いた時に、ふと思い出したのが上記の劇のことです。事件が起きたのは夏ですから、目の前の風景とはまったく異なっているはずです。それなのに、なぜかこの重く湿った春の雪と事件とが、自分の中では融合してしまい、切ない気持ちになりました。そんな意味で忘れ難い終着駅、それが花岡なのです。
 花岡線は大館〜花岡間4.8km、全線単線非電化の路線でした。花岡鉱山の専用鉄道として開通した後、譲渡された小坂鉄道(後の同和鉱業小坂鉄道)の手により1916(大正5)年1月26日に開業。当初はいわゆる軽便サイズの762mm軌間でしたが、1951年に国鉄線と同じ1067mmに改軌しています。1985(昭和60)年4月1日に廃止となりました。

 雪の降りしきる花岡駅とその構内です。(1978年3月30日撮影、以下3枚同様)
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 花岡駅は、大鉱山を有する駅だけあって、このような立派な駅舎でした。
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 花岡線の始発駅だった大館です。これは小坂線のホームで、左側が花岡線のホームでした。ちなみに小坂線の方は1994年まで旅客営業が行われていました。
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 5年ほど前、久しぶりに大館を訪れました。大館といえば秋田犬の故郷。可愛い銅像がむかえてくれました。(2013年7月4日撮影、以下同様)
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 同和鉱業の大館駅跡と思われるところに行ってみると、こんな看板が目に入りました。しかし、かつての旅客駅の面影や痕跡をみつけることはできませんでした。
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 小坂線の方は、旅客営業を廃止した後も、2009年に全線廃止となるまで貨物輸送を続けていましたので、広い大館駅構内には、まだたくさんのレールが残されていました。
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 駅跡から少し歩いてみましたが、小坂線のレールは撤去されずに、ずっと続いていました。左側に線路1本分のスペースがありますが、それが花岡線の廃線跡と思われます。
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国道18号、小さな「発見」

2019/03/18 12:04
 浅間山麓の幹線道路の筆頭といえば、もちろん国道18号です。どこへ出かけるにもこの道路のお世話になることが多いのですが、そこを歩いてみようという気にはなかなかなりません。猛スピードで行き交うクルマの脇を歩くのは不安でもあり、排気ガスや騒音も気になります。静かな森の中や水辺のエリアに足がむいてしまうのは当然でしょう。
 しかし、クルマで通行しているだけでは、国道沿いの変化に気がつかないこともあります。そこで、ポン太のねぐらから比較的近い部分(軽井沢町と御代田町の境界付近)を歩いてみることにしたのですが、やはり変化は起きていました。オープンして間もないカフェが閉店していた一方、かつては運送会社の駐車場だったところに花屋がオープン。閉店したローソンの建物が取り壊されて更地化されるなど、沿道の風景もいままでとは違った感じになっていました。やはりクルマの中から見るのと、歩いて見るのとでは、地域の見え方が相当違いますし、徒歩でないと気がつかないことも多いのです。
 国道18号といえば、最近、ユーチューブで、「国道18号線」というタイトルの歌があったことを知りました。フランク永井と松尾和子のデュエット曲で、リリースされたのは1964(昭和39)年とのこと。ポン太の記憶にまったく残っていないところをみると、大ヒット曲ではなかったようですが、今聴いてみると、ムードのあるそれなりに良い曲だと思います。歌詞の中に、「東京〜軽井沢、切ない愛を、はこぶ 国道18号線」というくだりがあります。 高速道路が無かった時代には、国道18号(高崎からは17号経由)が首都圏と信州を結ぶ道路交通のメインルートでした。しかし、1964年の段階では碓氷バイパスすら整備されていませんから、碓氷峠越えはかなり大変で、快適なドライブとはいえません。「ヘッドライトも届かぬ闇に」というフレーズも出てきます。まったくそのとおりで、現在でも夜間に旧道を走行するには勇気がいります。ロマンより恐怖を感じさせるような道であった上、東京〜軽井沢を行き来する車の絶対数も少なく、共感を得にくかったことが、ヒットしなかった理由かもしれません。


 18号沿いに出現したこの建物、何に見えますか。この冬、建設中の様子をクルマから何度も眺めていたのですが、ウィスキーの樽のようなものが並べられていることと、建物自体は断熱効果の期待できない簡易なもののようでしたので、ワインや野菜、果物などの直売場ではなかろうかと想像しておりました。看板には「GATE」とあるだけで、今回歩いてみて初めて、オープンしたのが花屋さんであることがわかりました。
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 お店の入口はこんな感じで、クルマからですと中は見えません。
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 扉の中を覗いてみて、はじめて花屋さんだとわかりました。
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 国道を背にした売り場もありました。
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 新しく生まれるものがあれば消え去るものもある。コンビニのローソンがあったところが更地化され、妙に広々した景色となりました。次に何かできるのでしょうか。
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 こちらはガソリンスタンドを改装して、昨年オープンしたカフェですが、よくみると、「貸店舗」の表示がでていました。駐車場が一杯になっていた日もあり、繁盛しているのかと思っていたのですが・・・。何がダメだったのか、勝手な想像ですが、店舗の装飾は凝っていたものの、手前の屋根がガソリンスタンド感丸出しで、アンバランスな印象を受けたことは否めません。
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 えっ、この場所にこのお店って何、と驚いたのが、元家具屋の店舗を改装して2年前にオープンしたその名も「What?」というお店。西洋アンティーク家具や小物を扱っており、年中クリスマスのような雰囲気です。
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 こちらは昔からあるコイン精米所です。その前で立ち止まって見ていると、次から次へと車がやってきます。やはりこういうものは根強い需要があり、廃れないですね。
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 需要といえば、浅間山麓では薪ストーブを愛用している家も多く、国道沿いにはその専門店があり、繁盛しているように見えます。
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 いろいろなお店ができたり消えたりしていますが、変わらぬものはその盛衰を眺めている浅間山。何年か前にこのような瀟洒な葬祭場がオープンしましたが、時代の趨勢を考えれば、浅間山麓でもマーケットは広がっているということでしょう。
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 今はいろいろなお店がある国道18号沿いですが、半世紀前には原野が広がっているだけで、お店どころか民家もほとんどありませんでした。これは1963年ごろの、軽井沢町から御代田町に入ったあたりの国道風景です。
車もほとんど走っていません。
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 上の写真と同じ場所の現在の風景です。右手にあるのは生コンの工場です。
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 碓氷峠を越える区間の国道18号は、こんな感じでした。車が走ってはいますが、カーブだらけで狭く走りにくい道でした。並走しているのは、アプト式時代(最後の年)の信越本線の列車です。
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海野宿でお雛さま三昧

2019/03/12 15:06
 今まで見た中で一番といってもよいほど、インパクトのある「ひな祭り」を見てきました。それは、東御市で現在開催中(3月3日〜24日)の「北国街道 海野宿 ひな祭り」です。
 町おこしの一環として、雛人形を飾る催しは各地で行われており、いささか食傷気味の感がありましたが、この海野(うんの)宿の「ひな祭り」は、他所とは異なる特長があり、大変興味深いものでした。その第一はビッグスケールの宿場町というロケーションです。
 信州で宿場町といえば、木曽路の奈良井宿と妻籠宿が有名で、とくに最近は外国人に大人気の観光スポットであることは、周知のとおりです。それと比べると全国的知名度は劣るかもしれませんが、旧北国街道沿いに、およそ700mにわたって伝統的建造物が連なる海野宿のスケールは、前二者と遜色がなく、信州における見応えのある宿場町御三家の1つと言って間違いないでしょう。明治以降、宿場としての機能を失った後も、蚕種の生産や取引で栄えたことから、江戸時代の旅籠建築以外に、蚕糸業が盛んであった時代の立派な建物が残っていることも海野宿の大きな特色です。
 特別なイベントがなくても訪れる価値のある場所ですが、そこに「ひな祭り」が加わったことで、わくわく感が増幅されたように思います。雛人形が飾られていた家はなんと45軒。部屋の中に入って鑑賞するスタイルではなく、海野格子とよばれる特徴的な格子戸越しに雛飾りを眺めて歩くというのも、実に風情があります。格子の中に気をとられて、最初は気がつかなかったのですが、ふと見上げると、建物の二階の窓が開いていて、そこにもたくさんの雛人形が鎮座していました。こちらが人形を見るのではなく、人形たちに見下ろされているという感じも、今までにないもので、よいアイデアです。極めつけは、毎土曜日の夜に行われる行灯の点灯。格子から漏れる光と行灯のやわらかな明かりが見事にミックスして、昼間とは異なる幻想的な世界に様変わりするのです。
 パンフレットによれば、第5回となっていましたので、まだ若いイベントです。PR不足なのか、訪れていた人は少なく、その分ゆったり散策することができたのですが、ちょっと残念な気がしました。今後の隆盛を心より願ったポン太でした。 

 ここが海野宿の入口です。歴史を感じさせる街並みが続いていますが、普通の暮らしが営まれている場でもあります。
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 街道の中央には昔と同じように用水が流れています。旅人が足を洗ったり、馬に水を飲ませたりしたのでしょう。こんな時代劇のセットのような風景が残っていることに、まずもって感動してしまいます。
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 まだ明るい時間でしたが、地元の方々が行灯のセットを始めていました。
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 まずは宿場内を一巡。このように戸口に雛人形を飾っている家もありました。
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 海野宿の「ひな祭り」の最大の特色は、雛人形を格子越しに眺めることです。風情がありますね。
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 格子の中を覗くと、こんなにたくさんの雛人形が並べられていた家もあります。
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 見上げると二階の窓にもお雛さまが。
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 こちらのお宅の二階にも。
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 上を見ても下を見てもお雛さま。こんな展示は、今まで見たことがありません。
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 1階と2階の展示が対角のようになっているところが、なんともお洒落です。
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 雛人形を見にお邪魔したお宅の入口から外を眺めると、タイムスリップしたような気分になります。
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 あたりが薄暗くなってくると、格子から漏れる明かりが、独特の雰囲気を醸しだします。
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 行灯に灯が点りました。
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 すっかり暗くなると、こんな幻想的な雰囲気に。
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 海野宿のひな祭りのポスターです。最終日の3月24日には、流しびなやクラフトマーケットといった催しがあり、着物の貸出し着付けも行われるということなので、また違った雰囲気が味わえるかもしれません。
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アパート症候群

2019/03/09 11:46
 最近の浅間山麓、とくにポン太の住む南麓一帯で目につく動きといえば、建設ラッシュといってもよいほどのアパートの増加です。ポン太がよく散歩しているエリアでも、現在建設中のアパートがいくつも目につきますし、ここ数年の間に建設されたアパートの数は、十指に余るどころか、足の指を入れても足りないほどです。いままで、落葉松やコナラ、赤松の林だったところが、突然切り開かれて、何ができるのかなと思っていると、たいていがアパート。そうでなければ太陽光発電施設、というのが最近のお決まりパターンです。
 この背景に何があるのか。あくまで推測に過ぎませんが、土地所有者の高齢化、あるいは代替わりなどを機に、所有地の有効利用をはかりたいという意思が生じていたところへ、業者からの働きかけがあって、そのようなことになっているのではないでしょうか。税金だけ払って土地を遊ばせておくわけにはいかない、というわけです。
 大都市周辺でもない高冷地で、アパート経営が成り立つのかと、素朴な疑問を抱く人も多いはず。ポン太もそう思っておりました。ところが、新築アパートの前に、「満室」の札が掲げられているところが意外に多いのです。いったいどんな人が入居しているのでしょうか。これまた推測ですが、軽井沢やその周辺にはホテルやレストランが多く、佐久平には多くの工場や大規模商業施設が存在しています。この地域にはそれなりの雇用があるわけです。家賃が安く自然環境のよい浅間山麓に住んで、クルマで職場へという、独身者や単身赴任者が、案外多いということではないでしょうか。
 昨年、長野県内77の自治体の中で、人口が増加したのは8町村でしたが、そのうちの2つが浅間山麓の軽井沢町と御代田町でした。人口(とくに若い人)が増えたことで、介護保険料が下がり、スーパーやホームセンターが充実し、医療の心配もない等、ポン太もその恩恵を十分受けているわけです。したがって、この動きを歓迎したいと思う気持ちがないわけではありません。しかし、その一方で、森や畑の中に家屋が点在するという、のどかな高原の雰囲気が失われ、大都市周辺のような住宅地化が進んでしまうことには、不安があります。アパートの入居者も、豊かな自然環境ゆえにこの地を選んだという人が少なくないはずですから、建設にあたっては、環境や景観への慎重な配慮が望まれます。なにより心配なのは、このままの勢いでアパートが増え続けた場合、遠からず供給過剰となり、建築主自身が、厳しい状況に陥ることです。老婆心ならぬ古狸心ながら、そう思ってしまいます。

 浅間山を背にしたアパートです。ここは元々開拓民の家と畑があったところです。
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 散歩の途中で見かけたアパート群です。すでに出来上がって入居済みのアパートの前では、新たな建設が始まっていました。後ろに浅間山がなければ、ここは東京郊外の新興住宅地?と思ってしまいます。
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 入居済みのアパート前には、満室の看板が。
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 新しいアパートとその前に並ぶ太陽光発電パネル。近年目立つようになった、浅間山麓の風景です。
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 こちらは昨年、中山道沿いに完成したホテル従業員用のアパート。このような施設も増えています。
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 これは、平屋の1戸建てを並べたアパート(貸家群)。「庭付き一戸建て」は、独身者にはアピールしなかったようで、完成して1年以上経ちますが、満室になっているようには見えません。
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 ポン太の家の近くでも二棟のアパートが建設中です。
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 そこは2年前まで空き地だったところで、このような月見草の群落がありました。
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 建設中のアパートのすぐ後ろでも、樹木の伐採が始まりました。ここもアパートになるのでしょうか。
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 これは、現在建設中のアパート付近の40年以上前の風景です。左手奥に見えているのは平尾山。このあたり一帯は、ほぼ原野といってもよいところでした。(1975年7月撮影)
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鹿島臨海鉄道臨港線鹿島港南駅〜忘れ難き終着駅(6)

2019/03/06 23:23
第6回 鹿島臨海鉄道臨港線鹿島港南駅(茨城県)

 何のための終着駅だったのか、事情に通じた人以外理解に苦しむような終着駅でした。鹿島港南駅が開業したのは1978(昭和53)年7月25日、廃止されたのが1983(昭和58)年12月1日ですから、存続期間は僅か5年余。しかも列車本数は1日3往復でしたから、いったい誰が利用していたのか、そもそもどういう人の利用を前提にしてこの駅を設けたのか、わけがわからない駅と言っても過言ではないでしょう。
 鹿島臨海鉄道は、元々鹿島臨海コンビナートの物流を担う目的で設立された貨物鉄道でした。1978年5月に成田空港が開港した際、燃料輸送に利用するはずのパイプライン建設が間に合わず、鹿島港から空港への燃料輸送に同鉄道が用いられることになったのです。ご承知のとおり、成田空港建設をめぐっては激しい反対運動があり、周辺地域にもピリピリした空気が漂っていました。そこで燃料輸送の見返りに旅客輸送を行うことになり、その終点として開業したのが鹿島港南駅だったわけです。国鉄線との接続駅である北鹿島駅から鹿島港南駅までが同鉄道の旅客営業区間となったのですが、北鹿島は貨物駅であったため乗降することはできず、国鉄線の鹿島神宮が事実上の始発駅でした。鹿島神宮〜鹿島港南間の営業キロは18.6km(鹿島臨海鉄道の部分は15.4km)で、乗車券には、鹿島神宮から400円、(北鹿島)→鹿島臨海線300円と表記されていました。JTB時刻表には、乗降できない北鹿島の駅名はなく、索引の地図も、国鉄線と臨港線が駅の無いところでスイッチバックする形でつながるという、面白い描き方になっていました。画像
 パイプラインの完成により、見返りの必要性が(あったかどうか疑問ですが)無くなり、旅客営業は廃止されました。1985年に、鹿島臨海鉄道は水戸〜北鹿島間を開業し、旅客営業を復活。北鹿島駅は1994年に鹿島サッカースタジアム駅と改称して旅客営業を開始しました。しかし、列車が停車するのはサッカー開催日のみ。この駅で乗降するのは、今もそう簡単ではありません。
 短命で実際に利用した人が極めて少なく、今となっては存在していた意味さえわからない終着駅。だからこそ忘れ難い、それが鹿島港南駅なのです。


 同線を訪れたのは開業から3ヶ月ほど経った11月23日。鹿島神宮駅発13時14分の列車に乗りました。車両はキハ1002の単行で、乗客は3人。下の写真は鹿島神宮駅で発車を待つ、鹿島港南行列車です。(1978年11月23日撮影、以下同様)
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 これが終着駅の鹿島港南駅です。駅前には電話ボックス以外何もありません。片面ホームのみの無人駅です。
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 鹿島港南駅ホームと去って行く列車です。
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 鹿島港南駅に着いた列車は、乗客を乗せて折り返すことはなく、無人のまま一旦引きあげてしまいます。次の上り列車は16時45分発でそれが最終。3時間も待たなければならないので、帰路はバスを利用せざるを得ませんでした。
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 当日利用した乗車券です。
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リンゴ可愛や

2019/03/03 15:31
 信州で暮らすようになってから、一番よく食べている果物はおそらくリンゴです。何しろ全国第二位の大産地ですから、農産物直売所や道の駅、温泉施設など、どこに行っても「食べないと損ですよ」といわんばかりに大量のリンゴが並んでいます。保存方法が進化しているのか、収穫から3〜4ヶ月経った今でも、まったくボケていない、新鮮なリンゴを入手することが可能です。
 ご承知のとおり、リンゴにもいろいろな種類があり、もちろん味も違います。信州生まれの品種で「シナノ三兄弟」と呼ばれているのが、「秋映」「シナノスイート」「シナノゴールド」。率直な感想をいわせてもらうと、「秋映」は見た目が抜群で、リンゴの絵を描くには最適ですが、味はいまひとつです。「シナノスイート」はその名のとおりとにかく甘く、果物は甘いのが一番という方にはおすすめ。「シナノゴールド」は黄色いリンゴで、甘味も酸味もともに強く、果肉も硬めでパンチ力を感じます。生食でもジャムにしても美味しいというのがポン太の評価です。
 生食で文句なく美味しいのは、「サンふじ」ではないでしょうか。それもシーズンの最晩期に収獲されたものには、蜜がたっぷり入っていて、満足度マックスです。最近よく目にするようになったのが、新品種の「あいかの香り」。甘味と酸味がほどよくミックスした、とても美味しいリンゴです。「ふじ」と「つがる」から生まれたものだそうで、「あいか」は開発した園主の娘の名とか。「サンふじ」のように目に見える形で蜜が存在しているわけではないのに、果肉にまんべんなく甘味がいきわたっている感じがします。
 この「あいかの香り」とやや酸味の強い「シナノゴールド」を半々の割合で用いてジャムをつくってみたところ、これまでで一番かもしれないという美味しいジャムができました。
 「リンゴはなんにも言わないけれど〜♪」・・・、実に奥が深いのです。

 昨秋のリンゴ畑の風景です。真っ赤に実ったリンゴは、見るからに美味しそうですが、色と味はあまり関係がありません。食べてみないことには、本当のところ、どんな味なのかわからないのです。
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 「シナノゴールド」(左)と「あいかの香り」(右)です。ジャム用にと小さなサイズを選びました。もちろんそのまま食べても美味です。
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 適当な大きさに刻んで鍋の中へ。この姿になってしまえば、リンゴの種類が何であるかわからないですね。
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 少量の水と砂糖を投入し、1時間ほど煮込むとこのようになります。だいぶジャムらしくなってきました。ここから先、どのように仕上げるかは「企業秘密」なので、公開はここまでです。もちろん添加物や着色料の類は一切使用しておりません。
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 満足のいくレベルに仕上がったジャムを、お気に入りのパンにたっぷりのせての朝食。至福のひとときです。
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湯ノ丸山〜春めく雪山へ

2019/02/28 00:08
 冬は雪があってこそと、雪を賛美するような話ばかりしているポン太ですが、この先、浅間山麓できれいな雪景色を望むことは、もう無理ではないかという気になっています。このところ暖かな日が続いていて、なんと、庭の花壇に植えておいたチューリップの芽がはやくも顔を出し始めたからです。2月中にこんなことが起きたのは初めてです。季節の進み方が年々はやくなっているのかもしれません。
 このまま春になってしまえば、標高の高い山の雪も早晩消えてしまうことでしょう。今季、一度も本格的な雪山を見ずに終わってしまうのは、なんだか物足りない気がして、浅間連峰の1峰である湯ノ丸山(2101m)へトレッキングに出かけました。登山口の地蔵峠の標高が1732mもありますから、山頂との高低差は369m。無雪期であれば1時間半程度で登れるハイキングレベルの山です。しかし、雪山となれば話は別。あまりに雪が深いようなら、無理をせずに途中で引き返えすつもりでスタートしました。
 里山とはちがい、2000m級の山となれば、最初から最後まで雪の上を歩くことになります。斜面で万一滑り落ちるようなことになったら大変ですから、今季初めてアイゼンを装着することにしました。幸い、登山道はよく踏まれていて歩きやすく、2時間弱で山頂に到達。天候にも恵まれて、八ヶ岳や北アルプスはもちろん、遠く富士山や越後の山々まで360度の大展望を楽しむことができました。雪を戴く山々の眺めは神々しいまでに美しく、老骨に鞭打って(というほど大げさではありませんが)、登った甲斐がありました。昨年の高峯山に続いて、今年も2000m級の雪山に1つ登頂できたことは、冬山経験がほとんど無いポン太にとって、大成果といってよいでしょう。
 雪山とはいっても、樹木の先端が芽吹きにそなえて少し赤くなっていたり、雪の表面が溶けてゆるんでいるところがあったりと、春のきざしを随所に感じた山行でもありました。標高の高い山でも春はすぐそこまで来ているのです。山全体がパステル調の淡い緑色に染まる落葉松の芽吹きも、そう遠くはありません。それをどの山で見ようかと、はやくもそんなことを考えてしまったポン太でした。

 湯ノ丸高原も今冬は雪が少なかったようで、ガードレールにも達しない程度の積雪でした。
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 湯ノ丸キャンプ場からみた湯ノ丸山です。さあ、あの頂まで登るぞ!
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 烏帽子岳への道を分ける「中分岐」までやってきました。ここからツツジ平へむかいます。空は抜けるようなブルー。気持ちのよい道です。
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 初夏ならば、咲き誇るレンゲツツジで大地が真っ赤に染まるツツジ平ですが、上州の山々をバックにした雪景色も見応えがあります。
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 高度が上がると視界が広がり、気分も爽快。
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 頂上を目指して、ここはがんばりどころです。
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 振り返ると、浅間山の本体が見えます。
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 鹿沢の山々も一望できます。鹿沢温泉は、「雪山讃歌」(の歌詞)発祥の地。「雪よー岩よー♪」と口ずさみたくなります。
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 スキーでやってきた人もいました。登るのはちょっと大変そう。
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 ここを登り切れば湯の丸山頂です。
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 山頂からの眺めは申し分なし。眼前に迫るは四阿山、根子岳といった菅平の名峰です。
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 風が強いせいか、山頂の足下は積雪ゼロ。吹き飛ばされそうになりながら、記念写真を撮りました。ヒマラヤにでも登頂したような気分です。
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 山頂から烏帽子岳越しに見る北アルプスは、みごととしか言いようがありません。
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 戸隠、飯縄、黒姫、そして越後の妙高。北信の山々もまたみごとな眺めです。
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 こちらは蓼科・八ヶ岳連峰です。いつも見慣れている山ですが、視点が高くなったことで立体感が増し、思わず見とれてしまいました。山は登っただけの価値がある。つくづくそう思います。
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興浜北線北見枝幸駅〜忘れ難き終着駅(5)

2019/02/24 22:27
第5回 興浜北線北見枝幸駅(北海道)

 新旧の地図を見比べて、鉄道路線網のあまりの縮小ぶりに、驚かされるのが北海道です。特に、オホーツク海の沿岸エリアは、鉄道空白地帯といってもよい状態になってしまいました。かつて、北海道ワイド周遊券を手に、各線を乗り歩いていた時代、稚内から網走まで、一部の区間を除いてオホーツク沿岸を鉄道で移動することが可能でした。その一部の区間というのは、興浜北線の北見枝幸(きたみえさし)駅と興浜南線の雄武(おむ)駅との間です。興浜線という線名からもわかるように、元々名寄本線の興部(おこっぺ)と天北線の浜頓別を結ぶ予定で建設された鉄道が結局つながらず、双方が盲腸線のままの状態になっていたわけです。北見枝幸と雄武の間には大きな町は無く、この間を結ぶバスは、夏季なら海岸沿いの原野と牧草地の中を、冬であれば真っ白な雪原をひた走るといった感じで、「オホーツク一本道」などと呼ばれていました。画像
 当時、旅行ガイド等にしばしば使われていたのが「最果て」という言葉です。「最果ての町」だの「最果て旅情」だのといった文言に惹かれて、北海道を旅をする若者も多かったように思います。かくいうポン太もその一人かもしれません。実際に乗ってみて、「最果ての鉄路」というイメージに最も合致していたのが興浜北線であり、「最果ての駅」は北見枝幸、そして「最果ての道路」は「オホーツク一本道」でした。
 海外に簡単に出かけられるようになった今日、国内なのに「最果て」とはなんだよ、といわれかねませんが、当時、首都圏から北海道の端まで行くのは、現在の海外旅行以上に時間のかかる大旅行でした。青函連絡船を介して列車を何度も乗り継ぎ、ようやくたどり着いた先は、十分「最果て」だったわけです。車窓から流氷を眺め、最果てムードに酔いしれた興浜北線の旅。北見枝幸で乗り継いだバスの車窓から見た「オホーツク一本道」の白一色の風景。忘れられない思い出です。
 興浜北線浜頓別〜北見枝幸間30.4kmが開業したのは1936(昭和11)年7月10日。廃止されたのは1985(昭和58)年7月1日です。同年7月15日には、南側の興浜南線も廃止され、さらにその4年後の1989(平成元)年5月1日には、興浜北線の接続先であった天北線も、興浜南線の本線にあたる名寄本線までもが全線廃止となり、このエリアから鉄路は完全に消滅してしまいました。あの日、「最果ての鉄路」を旅することができた幸せを思わざるをえません。

 浜頓別駅の天北線ホームから、発車を待つ北見枝幸行の列車を見たところです。当時の興浜北線には1日6往復(1往復は音威子府直通)の列車が設定されていました。この日乗車した列車は気動車(キハ2267)の単行(1両編成)でしたが、当時のメモには、「意外に乗客多く、座席はほぼ満席」とあります。(1972年3月7日撮影)
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 興浜北線からみたオホーツク海の流氷です。車窓から流氷を見たのはこれが初めてというわけで、大感激でした。(1972年3月7日撮影)
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 北見枝幸に到着した列車です。枝幸町はこの地方の中心をなす町で、当時の人口は1万を超えていましたから、それなりの利用者があったのもうなずけます。
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 最初の旅から10年後に再訪した際に撮影した北見枝幸駅の駅舎です。(1981年12月27日撮影)
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ようやく明るくなり始めたた北見枝幸駅構内です。ホームには始発列車が停車しています。(1981年12月27日撮影)
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 興浜南線に乗り継ぐために「オホーツク1本道」を走る宗谷バスに乗車しました。乗客は数名しかおらず、最前列の座席を確保して前方展望を満喫することができました。地吹雪になったら恐怖を感じるかもしれない道が続きます。
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 雄武町に入ったバス停には、「興浜南線を守ろう」という看板がありました。同線の廃止はこれから3年半後です。(1981年12月27日撮影)
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 もう一方の終着駅雄武です。面白かったのは、同じ字を書いて町の名は「おうむ」と読ませるのに、なぜか駅名は「おむ」だったことです。(1972年3月7日撮影)
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 雄武駅構内のこの広さ。水産物、農産物など貨物の取扱が多かったことをうかがわせます。(1981年12月27日撮影)
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古刹も冬がよし〜布引観音

2019/02/21 11:58
 ふいに、参道の急坂を登りたくなり、布引観音(布引山釈尊寺)へでかけてきました。このお寺は、千曲川の左岸、御牧ヶ原台地の縁に立つ天台宗の古刹で、桜と紅葉の名所としても知られているところです。昨年はそのどちらの季節にもでかけていませんし、それ以外にもでかけた記憶がありませんので、久しぶりの訪問ということになります。
 千曲河畔の参道入口から、最大の見どころである観音堂まで、高低差が100m以上あり、階段もしくはそれに準ずる急坂が続きますから、大人の足でたっぷり20分はかかります。冬場は凍結している箇所もあるので、それなりの注意が必要です。山登りとまでは言えませんが、山登りのような気分は味わえますし、ちょっとした運動にはなるので、ポン太にとって、魅力的な場所の1つであることは間違いありません。
 葉が落ちているこの時季は、殺風景ではあるものの、周囲の山や岩壁がよく見えるので、どのような地形の場所なのかわかるというメリットがあります。懸崖づくりの朱色の観音堂がより一層高く見えますし、展望を妨げる樹木の葉がないので、観音堂の舞台に立った際の高度感は半端ではありません。ちなみに観音堂は江戸期のものですが、その岩屋内にある宮殿(くでん)は 鎌倉時代の正嘉2年(1258年)に造られたものということで、重要文化財に指定されています。
 布引観音は昔から有名な場所、というよりも昔のほうが有名な場所であったと言う方が正しいかもしれません。無信心の老婆が千曲川で布をさらしていると、一頭の牛があらわれ、角にひっかけて走り出したので、その後を追いかけていくうちに善光寺に至り、信仰に目覚めるという説話「牛にひかれて善光寺参り」の場所としてよく知られていたからです。戦前の一時期、小諸駅から参道の入口付近を通り、島川原に至る布引電気鉄道という電車も走っていました。
 今は訪れる人もそれほど多くはなく、とりわけこの時季は静けさが際立つ感じですが、そこがまたよいのだと勝手に満足し、冷えた身体を温めようと近くの温泉へ急いだポン太でした。


 ここが参道の入口。布引観音はこの山の上です。
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 参道入口の前には、かつてここを走っていた布引電気鉄道布引駅のホーム跡が残っています。貴重な遺構なので、ぜひこのまま保存して欲しいものです。
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 ここは霊場ですから、参道には多数の石仏や地蔵が並んでいます。こんな素朴で可愛らしい地蔵もあります。
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 冬季ならではの楽しみは、このような氷瀑がみられること。
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 岩の後ろには氷の芸術も
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 参道はこのような急坂の連続です。
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 「牛にひかれて善光寺参り」にまつわる場所ももちろんあります。これは善光寺に通じているといわれる「善光寺穴」。善光寺が火災にあった際には、ここから煙がでたそうな。
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 こちらは、牛が岩の中にあらわれているという「牛岩」。見えるような見えないような・・・。
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 沿道の石仏を寄進したのは、東京の商家のようです。かつては広域に参拝者を集めていたことがうかがえます。
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 今は通れない昔の山門から見上げた観音堂です。
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 その山門前の石柱等を寄進したのも東京の商人たち。八丁堀、北品川宿といった地名が読み取れます。布引観音の名は全国に鳴り響き、東京からも大勢の参詣者が訪れる、現代風にいえば人気のパワースポットだったのでしょう。
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 参道を登り切ると、眼前にあらわれるのが、懸崖づくりの観音堂です。こんなとんでもないところに、よくつくったものです。宗教心のなせるワザなのか。それとも現代人と同じような「目立ちたい」精神の発露なのか。
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 観音堂へいたる途中にも、たくさんの岩屋があり、その中にお堂がつくられています。前方の岩をくりぬいたトンネルを抜けた先が観音堂です。
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 六道地蔵の脇をぬけていきますが、やましい気持ちがあると、この前は通りにくいでしょうね。
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 観音堂の舞台から下を見るとこんな感じです。高所恐怖症の人は遠慮した方がよいかも。
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 観音堂からみた釈尊寺の本堂です。このまわりには桜の木が多く、春はすばらしい景色となります。
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 これは4年前の桜の季節に撮影したものですが、桜が咲くと雰囲気が変わります。
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 同じく桜と観音堂です。冬もよいですが、やっぱり桜も見たいですね。
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里山も雪あればこそ

2019/02/17 17:54
 すでに何度も述べましたが、今冬の浅間山麓は雪が極端に少ない状態が続いています。雪はきをする必要がなく、ウォーキングや低山歩きが楽にできるという点では、助かっているともいえるのですが、見た目が冬らしくないだけでなく、あまりに降水量が少ないと、植物に悪影響がでるのではないかと心配になってしまいます。
 雪の少なさのおかげではあるのですが、今年になってからすでに10回、平尾山に登ることができました。そのすべてが無雪状態での登山というわけではなく、雪を踏む場面も何度かありました。雪が残っていると、そこには無数の動物の足跡があり、その主を判定したくなります。冷え込みが厳しい日であれば、山頂部が霧氷になっていないか期待してしまいますし、白銀に輝く遠くの山々の展望も楽しみです。
思いがけぬ拾いものがありました。それは天蚕、すなわち野性の蚕(ヤママユガの繭)です。養蚕農家が育てる一般的な蚕(家蚕)の繭が白いのに対して、天蚕は薄緑色をしています。天蚕の糸は丈夫な上しなやかで光沢もあり、繊維のダイヤモンドとよばれることもあるそうです。これまで、地面に落ちているものをみかけることがあっても、ひどく汚れている場合が多く、拾う気になりませんでした。しかし、雪の上では比較的きれいなものを見つけることができます。図鑑で調べてみたところ、ヤママユガの一種、ウスタビガの繭であることがわかりました。
 それにしても、野性の蛾の繭から糸がとれることに気づき、自ら蚕を育てて、大量に紡ぐ技術を発展させた人間様のすごさ。世界遺産、富岡製糸場のルーツのそのまたルーツを手のひらにのせて、たいしたものだと感じ入ったポン太でした。

 うっすらと雪化粧した平尾山の登山道です。まだ誰の足跡もありません。動物の足跡すらありません。自分が今日最初の訪問者かと思うと何だかうれしくなります。怖いクマ注意の看板がこちらをにらんでいますが、いまはまだその心配はなし。
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 北斜面には雪が残っているところが多く、滑らないように慎重に進みます。
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 見上げると、パラダスキー場の上部が霧氷になっていました。
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 日当たりのよい尾根は雪が少なく快適な山歩きが楽しめます。
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 山頂の木々も霧氷になっていました。
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 山頂からの北アルプス大展望。まるで白い屏風を立てたようです。何度見ても感動します。
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 雪の斜面の下りには神経を使います。念のためアイゼンを持参していますが、今冬は一度も出番がありません。
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 帰路の谷筋には雪が残っているところがあり、動物の足跡をたくさん確認することができました。これはキツネでしょうか。
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 これは間違いなくウサギです。ウサギは後ろ足ではねるようにして進みますから、足跡が2つそろっているのが後ろ足の分、そろっていない(1つになっている場合が多い)のが前足の分です。むこうから、こちらへむかって走ってきたものと思われます。
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 足跡が2つずつそろっていて、歩幅がかなり長い。これはカモシカあるいはシカではないでしょうか。
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 何の足跡かさっぱりわからないものもあります。人の足跡のようにも見えますが、こんなところを裸足で歩く人などいるのでしょうか。むむっ、もしや雪男。そんなバカな。
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 雪の上でひろった天蚕(の繭)です。きれいな薄緑色をしています。
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 家に持ち帰り、一般的な繭(家蚕)と並べてみました。こんなに違うのですね。
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北恵那鉄道下付知駅〜忘れ難き終着駅(4)

2019/02/13 21:17
第4回 北恵那鉄道下付知駅(岐阜県)

 日本の鉄道に全部乗りたい、そんなことを考えはじめたころ、最初に目標としたのは国鉄線全線乗車でした。ベストセラーとなった『時刻表2万キロ』の著者である宮脇俊三氏も同じことを考えたようですが、その後の著作の中で、これは失敗であったという主旨のことを述べています。 ポン太も同感で、私鉄を優先すべきであったと思います。なぜなら、国鉄ローカル線の廃止が本格化したのは、1980年代に入ってからですが、ローカル私鉄はそのだいぶ前から廃線への流れが加速しており、国鉄に目をむけている間に、乗る機会を逸してしまった私鉄のなんと多いことか。
 そんな中で、幸運にも廃止直前に乗ることができた路線の1つが北恵那鉄道です。それは、岐阜県東濃地方の中心都市である中津川市(旧中津町)と木曽川の支流付知川沿いの恵那郡付知町(現在は中津川市域)とを結ぶ、全長(営業キロ)22.1kmの電気鉄道でした。画像
 この鉄道の建設には福沢諭吉の娘婿である福沢桃介が深く関わっています。桃介が力を注いだ事業の中心にあったのが、木曽川水系における電源開発(水力発電所の設置)でした。木曽川本流の大井発電所(大井ダム)の建設により、付知川流域からの筏による木材搬出ができなくなるため、その代替輸送手段として、この鉄道の建設が必要になったのです。大井発電所の竣工年と同じ1924(大正13)年8月5日に、中津町〜下付知(しもつけち)間を開業し、桃介自ら社長に就任しています。1937(昭和12)年には、終点の下付知で接続する付知森林鉄道が敷設され、北恵那鉄道は木材輸送に大いに役立ったものと思われます。
 しかし、1959(昭和34)年に森林鉄道は廃止され、高度成長期以降、モータリゼーションの進行とともに利用客も減少。元々沿線人口が多い地域ではなかったこともあり、厳しい経営を余儀なくされたことは想像に難くありません。
 ポン太が訪れたのは、1978(昭和53)年8月24日です。同線の廃止は同年9月18日ですから、かろうじて間に合ったといえましょう。国鉄中央西線の中津川駅で下車し、北恵那鉄道に乗り換える際に、興味深かったのは、同線の起点駅が国鉄駅からはだいぶ離れた中央線の線路の反対側にあり、駅名も昔の町名の中津町を名乗っていたことです。地方私鉄の場合、国鉄線のホームの片隅から発着するようなケースが多いのですが、堂々とした自前のターミナルを有し、国鉄駅とは異なる名称を堅持していたことに、ある種の感動を覚えました。
 駅の佇まいも年季の入った車両も、ローカル電車のイメージそのもの。道床に雑草が生い茂り、その中をかき分けるようにして走るところもあり、文字通り草深い路線でした。それは、厳しい台所事情の証でもあったわけで、ガタンゴトンとよく揺れる電車に乗って、終点の下付知駅に到着した時には、この時代(1970年代末)までよくがんばりましたね、長い間ご苦労様でしたと、頭を下げたい気持ちになったポン太でした。

 北恵那鉄道の起点、中津町駅です。このような立派な駅舎でした。(1978年8月24日撮影、以下同様)
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 中津町駅のホームに停車している7:03発の下付知行一番電車です。電車が走るのは朝夕のみで、この電車の次はなんと16:15。その後4本の電車がありますが、日没後になってしまいます。なんとしてもこの電車に乗らねばと、長野発の夜行列車で朝4時に中津川駅に着き、駅待合室で待機していたのです。
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 途中の並松駅で上り電車と交換しました。どこに線路があるのかわからないほど雑草が繁茂しており、ローカル電車の悲哀を感じてしまいました。中津町から乗車した電車(デ563)もこの電車(デ565)も、名鉄から譲り受けた電車です。
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 終着駅下付知駅に着いた電車です。構内は広く、貨物輸送が盛んだった時代を偲ばせます。
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 下付知の駅舎も予想外に大きなものでした。付知町の中心部からは少し離れた場所にあり、延伸を予定したもののかなわなかったということです。
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 北恵那鉄道の車内補充券です。中津町〜下付知の所要時間は53分、運賃は420円でした。
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可愛いわら馬ひき

2019/02/10 22:27
 何もかも、すべてが可愛らしい伝統行事を見てきました。それは、真田の里(上田市真田町)の戸沢という集落に伝わる「ねじ行事」です。「ねじ」というのは、米粉でつくった蒸し餅に彩色をして餡を入れ、花や動物の形に仕上げたもの。それを道祖神に供えるという行事ですが、前年に子供が生まれた家では、祭の前日に親類縁者が集まり「ねじ」をつくってお祝いするということです。
 道祖神へのお供えの仕方に特色があります。家毎にわら馬をつくり、その背中に「ねじ」を背負わせて台車に乗せ、それを子供たちが曳いて道祖神へとむかうのです。その何ともいえない可愛らしさ。道祖神に「ねじ」を供えて無病息災を祈るだけでなく、母親たちは重箱に入れて「ねじ」を持ち寄り交換します。お互いの子供の成長を願うというわけです。
 この「ねじ行事」のように、一般には知られていなくても、小さな集落に引き継がれている伝統行事の中には、思わず微笑んでしまったり、驚いたり、感心したりするものが少なくありません。しかし、それを実際に見たり体験したりするのはかなり大変です。テレビや新聞で報道されることがあっても、その時点ではすでに「後の祭」。どうすれば事前にその情報をつかむことができるのでしょうか。
 今回は、たまたまネットでその写真を見たことがきっかけでした。市のホームページでも詳しいことはわからず、地元の公民館に問い合わせて、ようやく開始時刻や正確な場所を知ることができました。
 そんなわけで、当該地域外から見に来ていた人はごく僅か。もったいないと思う反面、観光行事化していないからこそ、間近に見ることができ、感じるところが多いともいえます。やはり、地域の地域による地域のための行事であることが、その内容を変質させず、長く続けていられる理由かもしれません。
 ふだん見ることができないものを見ると、ぞくぞくワクワクするようなところがあります。チコちゃんも言っていました。高齢になるほど月日の経つのがはやいと感じるのは、子供の頃と比べて「ときめき」が少ないからだと。確かに、思う存分徘徊し、目新しいものを見つけて気分が高揚した日は、一日が長く感じられます。そうだ、そのとおりだ、徘徊は金、家でのんびりは糞だ、と宣言し、今度はポン子に叱られたポン太でした。


 この行事が行われた戸沢集落の入口です。戸沢は、猿飛佐助の師匠である甲賀流忍術の達人、戸沢白雲斎が住んでいた場所ともいわれています。地名の表示板には当然のことながら真田の六文銭が描かれています。
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 わら馬をひいて、子供たちが出てきました。準備はいいかな。
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 ひく方もひかれる方も可愛いらしいわら馬ひきです。
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 晴れ着を着て道祖神へむかう家族もいます。
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 がんばれ、あと一息だ。
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 道祖神の近くまでやってきました。
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 道祖神に到着です。
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 「ねじ」を供えて無病息災を祈ります。
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 道祖神に供えられた「ねじ」。これまた可愛いらしいですね。
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 お母さんたちは、お互いの子供の成長を願い、持ち寄った「ねじ」を交換します。
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 子供はおんぶにだっこ。親にひかれていくわら馬も。
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 家にもどるわら馬たち。この後、わら馬は屋根に放り投げられます。わら馬が災厄を背負って天にのぼってくれるからだとか。
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夕陽はマジシャン

2019/02/07 09:53
 かつて大阪〜札幌間に、「トワイライトエクスプレス」という名の寝台特急列車が走っていました。日本海の夕景を堪能できるというのがウリで、ポン太も一度は乗ってみたいと思っていたのですが、実現しないうちに廃止されてしまいました。
 旅先で見る夕景ほど心に染みるものはありません。豪華列車ではなくても、列車の車窓からみる夕景は最高のごちそうのような気がします。太陽が大地を朱に染めながら沈んでいく。その燃えるような一瞬が過ぎると、山の端がシルエットとなって浮かびあがります。次第にあたりは暗くなり、小さな集落の家々の窓に、ぽつりぽつりと灯りが点り始めます。そのうちには道路も畑も見分けがつかなくなってきます。所々にある街灯の下だけがぽっと明るくなっていて、人影がみえたりすると、この土地の人たちはどんな暮らしをしているのだろうか、などと想像してしまいます。
 黄昏時は寂しくていやだという人もいますが、ポン太にとっては、このトワイライトタイムこそ至福の時間といっても過言ではありません。雪のある場所でのトワイライトシーンはとりわけ印象深く、半世紀も前になりますが、冬の北海道を蒸気機関車のひく普通列車で旅した際、雪原に沈む夕陽と機関車の吐き出す煙のシルエットに感動したことが、今も忘れられません。かの啄木も「うす紅く雪に流れて入日影 曠野(あらの)の汽車の窓を照らせり」と歌に詠んでいます。辺境の地釧路へむかう車中の歌であり、悲しみと希望の入り交じった心境を重ねあわせたものといわれています。
 先月末、浅間山麓にようやくまとまった雪が降ったということをブログに書きました。その後もう一度積雪があり、きれいな雪景色となったので、日没間近な時間にウォーキングにでかけました。林も山も水辺も、夕陽に照らされると、ふだん見ているものとはまったく別物に変身です。雪が舞台芸術家だとすれば、夕陽はマジシャンと言うことができるかもしれません。
 わが家のまわりで見た、印象的なシーンをいくつかご紹介したいと思います。


 陽が傾いてきました。いざ、ウォーキングへ。
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 夕陽を浴びた水辺。いつもと違った雰囲気です。
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 落葉松林のむこうに、陽が沈もうとしています。
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 浅間山も夕陽に紅く染まっています。
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 中山道も黄金の道に変身です。
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 いよいよ日没です。ここはふだんはなんということのない空き地で、バスの廃車体が置いてあったりするのですが、雪と夕陽が別世界に変えてくれます。
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 わが家の西方、美ヶ原に沈む夕陽です。
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 陽が沈んだ後の山のシルエットも見応えがあります。浅間山麓のテレビの電波は、すべてこの美ヶ原から送信されてきます。目を凝らすと、山頂に電波塔が林立しているのがわかります。
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 落日の余韻。シルエットになった木々の雰囲気もよく、いつまでも眺めていたい気分になります。
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 ここまで暗くなると、さすがに寂しさの方が勝ります。身体も冷えてきました。そろそろ引き上げるとしましょう。
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 ※このところの気温上昇で雪が溶けてしまい、残念ながら現在は上記のような状況ではありません。
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浅間山麓のスゴすぎる節分事情

2019/02/03 19:08
 「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られそうですが、何かを達成したという実感もないままに、1月はあっという間に過ぎ去り、今日は節分。子供たちが小さかったころは、わが家でも毎年ささやかな「豆まき」をしていましたが、その後はとんとご無沙汰です。有名な寺社で芸能人が「豆まき」をしている姿をテレビのニュースで見て、「へぇー、そうか今日は節分か」と意識するだけで、自らアクションを起こすことなどありませんでした。
 ところが、信州の節分事情を知るにつれ、これは結構な地域イベントではないかと興味をそそられました。盛大な「豆まき」をする寺社がすこぶる多いのです。それも単に豆をまくのではなく、殻付きピーナッツやチョコレート菓子といった食べ物から軍手、スポンジのような日用品に至るまで、何でもまきまくる(投げまくる?)。それをゲットしようとするジイバアが、ビニール袋を手に大フィーバー。そんなことを聞けば、その様子をちょっと覗いてみたくなります。
 節分といえば、地元スーパーのツルヤも本日限りの「節分だるま福引」を開催。2000円以上購入すれば、空くじなしで景品が当たるというもので、今年で54回目という恒例行事です。当選確率が半分以上もある4等でも「福だるま」が貰えます。ただし、景品が終わり次第終了ということなので、いつもよりはやい9時の開店時から買い物客が続々入店。ポン太もそれに加わり、無事「福だるま」をゲットしました。
 「豆まき」の方は、どこの寺社へ行くべきか迷ったのですが、できるだけ賑やかなところがよかろうと、ぴんころ地蔵で有名な佐久市野沢の成田山薬師寺へ出かけました。その狙いは的中。日曜日と重なったこともあり、大勢の家族連れが境内を埋め尽くしていました。子供たちという強敵を前に、ジイやバアもヒートアップ。そのパワーとテンションの高さをみれば、ぴんころ地蔵などお参りしなくても大丈夫ですよ皆さん、と言いたくなってしまったポン太でした。


 これがツルヤの折り込み広告の一部です。同店のイベントは、抽選とはいっても、ゲットできる可能性の高いものが多いので、出かけてみる価値が十分あります。ちなみに、わが家の部屋に飾ってある観葉植物は、すべて同店のイベントでいただいたものです。
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 9時の開店時には、すでに駐車場はクルマでいっぱい。今日は朝から良く晴れて、浅間山がきれいに見えました。
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 ツルヤの福だるまを飾り、恵方巻きでランチとしました。
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 午後はいよいよ野沢の成田山へ。「ぴんころ通り」を歩いて成田山へむかいましたが、誰一人歩いている人はいません。本当に節分のイベントがあるのだろうかと不安になります。
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 成田山の参道に入るとようやく人が現れました。おっ、結構来ているじゃないか。
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 これが近年人気抜群のぴんころ地蔵です。ツアーバスまで立ち寄るそうです。
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 境内に入ると、あっとおどろく人また人。
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 子供たちも、ビニール袋を手にスタンバイです。
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 待つことしばし、「豆まき」が始まりました。なんと同時に三ヵ所からです。あまりに種類が多すぎて、何が空中を飛んでいるのかよくわかりません。
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 トイレットペーパーやサンダルもまかれているようです。
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 マスクを飛ばしてナイスキャッチ。大物をゲットしたようですね。おめでとうございます。
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 戦利品を手に成田山を後にするジイバアたち。みんなよく捕るものですね。
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 さて、ポン太たちの戦利品はといえば、この8点。まあまあの成果ではないでしょうか。ツルヤのだるまの弟分のような小さなダルマもゲットし、満足しました。それにしても、この内容はほとんど日用品。これって、「豆まき」なのでしょうか。ゲットできたのですから文句は言いませんが・・・。
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雪あればこそ

2019/01/30 19:06
 この冬、浅間山麓は極端に雪が少ない状態が続いておりましたが、先週末にようやくまとまった雪が降りました。積雪は数センチといったところでしたが、冬らしい景色にはなりました。
 雪化粧とはよく言ったもので、殺風景だった森や野原が、あっという間にメルヘンのような世界へ変身してしまう面白さ。この大変貌には、森の動物たちも浮かれてしまうようです。窓から雪景色を眺めていたポン子が「あれっ、キツネが遊んでいる!」と大騒ぎ。部屋の奥の方にいたポン太にはキツネの姿は見えませんでしたが、裏庭から森の方へと続くそれらしい足跡がありましたから、キツネが現れたことは間違いなさそうです。雪上の足跡から、どんな動物が徘徊したのか想像して楽しむことができるのも雪あればこそです。
 雪がやみ、日差しが出てきたところで、ウォーキングに出かけました。クルマの通行量が多いところは、雪が踏み固められてツルツルになっていたりするので要注意ですが、林の中の雪の小径を歩くのは、本当に気持ちがよいものです。いつも歩いている場所なのに、まったく違う世界に来たような気がして、飽きることがありません。浅間山も、水辺の景観も、雪があるとないとでは大違いです。
 浅間山麓がいわゆる「雪国」ではないからこそ、こんなのんきなことを言っていられるわけですが、同じ信州でもメートル単位で雪が積もり、その対策に悩まされている北部(北信地方)の人たちからは、ふざけるなとお叱りをうけるかもしれませんね。申し訳ないとは思いつつ、久々の雪景色に熱くなってしまったポン太でした。

 ポン太の森も雪化粧しました。
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 この足跡は?キツネだと思うのですが・・・。
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 まずは家の近くの雪道を抜けてウォーキングへ。幹線道路以外はこんな感じです。
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 ここは中山道。クルマが圧雪状態にしたところが少し溶けてから凍ると、このようなツルツル状態になってしまいます。歩くのも怖いのですが、クルマの方だって、急ブレーキでもかけようものなら大変なことになりますね。
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 森の中に入るとほっとします。クルマの来ない雪道散歩は快適そのものです。
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 風が吹くと雪が舞い上がり、そこに陽が差し込むと、きらきら輝いてまるでダイヤモンドダストのよう。
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 国木田独歩の「武蔵野」ではありませんが、道に迷うことをためらうなという気分になります。この角はどちらに行っても雰囲気がよさそう、左かな、それとも直進かな・・・。
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 生け垣にできた氷柱も目を楽しませてくれます。
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 水辺も雪があると雰囲気が違います。散歩に出てきた人も多いようで、雪の上には足跡がいっぱいです。
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 麓に雪があると浅間山も一段と輝いてみえます。
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勝田線筑前勝田駅〜忘れ難き終着駅(3)

2019/01/27 09:08
 第3回 勝田線筑前勝田駅(福岡県)

 子供のころ(60年も前の話ですが)、小学校の社会科の教科書に必ず載っていたのが、石炭産地の分布図でした。当時、石炭はまだエネルギーの主役の地位にあり、教室のストーブにも石炭が用いられていましたから、その産地に関する知識は、小学生にとっても必須のものだったわけです。九州の北部に産出量の多さを示す大きな黒丸がたくさんついていたのが印象深く、どんなところだろうかと、興味をもちました。画像
 残念ながら、九州はあまりに遠く、石炭産業全盛時にその地を訪れることはできませんでしたが、その名残の鉄道路線には、いくつも乗車することができました。今回とりあげた勝田線もその1つです。勝田線は鹿児島本線の吉塚(博多駅の隣)駅と筑前勝田駅を結んでいた13.8kmの路線です。開業時は筑前参宮鉄道という私鉄で、1919(大正8)年5月20日に全通(前年の9月19日に宇美〜筑前勝田間は貨物線として開業)しています。1942年に西日本鉄道(西鉄)に統合された後、1944(昭和19)年5月1日、戦時買収により国鉄勝田線となりました。
 沿線の糟屋(かすや)郡一帯には、かつて大小50以上の炭鉱があり、糟屋炭田とよばれていました。とりわけ規模が大きかったのが志免(しめ)炭鉱(志免鉱業所)と三菱勝田炭鉱です。前者は国有の炭鉱で海軍艦艇の燃料を確保するために開発され、戦前は海軍の管轄下にありました。戦後は国鉄の管轄となり蒸気機関車の燃料等に用いられました。エネルギー革命の進展により、前者は1964年、後者は1963年に閉山。志免鉱業所には、全国最大規模といわれた大型竪坑櫓(1943年竣工)があり、2009年に国の重要文化財に指定されています。
 ポン太が勝田線に乗車し筑前勝田駅に降り立ったのは1976(昭和51)年7月31日ですが、実はこれには前段があります。その3年前の1973年8月25日、香椎線に乗車した際に、宇美で乗り換えて筑前勝田まで行き、折り返して吉塚へ向かおうと考えました。これなら1回で両線に乗ることができるからです。ところが、なんとその前の月に発生した集中豪雨被害により勝田線は不通になっており、乗車はかないませんでした。復旧には1年以上かかったということで、それから3年後の再訪でようやく乗車できたというわけです。
 勝田線の列車本数は、一日7往復(うち1往復は土日のみ運転)。ほかに吉塚〜志免間には平日のみ運転の区間列車が1往復があったものの、運転間隔が開きすぎて使い勝手の悪い路線であったことは間違いありません。1985(昭和60)年4月1日に廃止となりました。
 路線の廃止後に、一度、現地を尋ねたことがあります。2011年秋のことですが、筑前勝田駅跡だけでなく志免町の志免鉱業所竪坑櫓などを見て回りました。かつての沿線エリアは福岡都市圏の近郊住宅地として発展しており、福岡市内とを結ぶ路線バスが頻繁に行き交っていました。もし勝田線が大都市近郊路線と位置づけられ、それなりの方策が講じられていれば、存続できた可能性がないとはいえません。財政再建問題に苦しんでいた当時の国鉄の余裕のなさ、無為無策を想起させるという点でも、ポン太にとって忘れ難き終着駅なのです。


 ありし日の筑前勝田駅です。停車している車両はキハ20439、土日運転の6829D列車(折り返して6830D列車となる)です。朝夕には客車列車(ディーゼル機関車牽引)が運転されていたので、機回し線があります。(1976年7月31日撮影)
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 道路より低い位置にあった筑前勝田駅駅舎です。この雰囲気からすると、筑前参宮鉄道として開通して以来の駅舎だったのかもしれません。(上に同じ)
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 かつての筑前勝田駅跡です。小公園になっていました。駅跡を示すものは何もありませんが、地形と周囲の山々の形から、ここで間違いなさそうです。(2011年11月21日撮影。以下同様)
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 勝田線からも見ることができた志免鉱業所の巨大な竪坑櫓です。高さはなんと47.6mもあり、国の重要文化財に指定されています。現存するものは、世界でも、こことベルギーのブレニー、中国の撫順しかないということですが、建築年代が比較的新しい(1943年竣工)ことから、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成要素とならなかったのが残念です。
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 勝田線志免駅の跡地は「志免鉄道記念公園」として整備されていました。後方に竪坑櫓が見えます。
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 志免駅ホームの跡です。中央部を道路が横切っていますが、駅の雰囲気は感じます。
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 石壁にはめ込まれていた志免駅の写真です。廃止直前のようで、ホームに大勢の人がいます。
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 廃線跡のかなりの部分が遊歩道化されていました。
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厳冬の軽井沢を歩く

2019/01/23 22:25
 浅間山麓では、年が明けてからもずっと雪の無い状態が続いています。いつもの年ですと、アイスバーンと化した道を、恐る恐る歩かなければならないのですが、今のところ、どこでも普通にウォーキングをすることができます。寒さは厳しいものの、防寒着さえあれば、歩きやすいことは間違いなく、先日は、旧軽井沢から碓氷峠往復のウォーキングを楽しんできました。
 クリスマスシーズンとは異なり、さすがにこの時季に軽井沢を訪れる人は少なく、旧軽銀座ですら人影はまばらです。別荘エリアや碓氷峠へ通じる遊歩道で、人に出会うことはまずありません。聞こえてくるのは風の音のみという静かな軽井沢。古くからの在住者に聞くと、この季節が一番よい、一番好き、と答える人が多いそうです。
 葉を落としている木々の間から、浅間山をはじめ周囲の山を見渡すことができるのも、この季節ならでは。クマの心配もなく、安心して歩いていられるというメリットもあります。花も緑も紅葉もなく、殺風景といえば殺風景ですが、「静寂」に価値を求めるなら、確かに軽井沢はこの季節が一番といえるかもしれません。
 
 旧軽井沢のロータリーも閑散としており、人影はありません。
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 旧軽銀座も歩いている人は数えるほどで、夏の賑わいがウソのようです。
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 旧軽銀座からショー記念礼拝堂へむかう旧道(中山道)もごらんのとおり、誰も歩いていません。
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 碓氷峠へむかう遊歩道沿いの川は半分凍っていました。
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 夏は森の中をひたすら登るといった感じの遊歩道ですが、葉が落ちているこの季節は、まわりの風景がよく見えます。
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 樹間から顔をのぞかせた浅間山が背中を押してくれます。
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 誰もいない碓氷峠の見晴台。雄大な景色を独り占めです。 
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鉄道唱歌に「鉾か剣か鋸か 獅子か猛虎か荒鷲か 虚空に立てる岩のさま」とある妙義山ですが、まさにそのとおりの眺めです。
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 見晴台からみた浅間山です。南麓のポン太の家から見る浅間山とは、だいぶ形が違います。
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 別荘地内の道も静まりかえっていて、人の気配はありません。これを寂しくていやだと感じるか、静かで安らぐと感じるか、後者であれば、軽井沢は冬が一番ということになります。
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 冬の軽井沢といえばスケート。これは野鳥の森に隣接する天然氷のケラ池スケートリンクです。スケートを楽しんでいる人の姿をみると、ちょっとやってみたくなりますね。滑れるのかって? 大丈夫、入試以来滑るのは得意のポン太ですから。
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山城を攻略〜砥石、米山、枡形城

2019/01/21 00:14
 体力なし、技術なし、気力なしの古ダヌキにとって、冬場に山歩きが可能なのは低山のみ。同じ山ばかりではさすがに飽きてしまいますので、できればまだ足を踏み入れたことのない山に登りたいもの。しかし、浅間山麓とその周辺の山は、ほぼ行き尽くしていますから、この時季に登って面白そうな低山はなかなか見つかりません。そこで目を付けたのが山城です。戦国時代の山城は、実戦に備えて険しい山の頂につくられていることが多いので、史跡めぐりを兼ねた山歩きが楽しめるのではないかと考えました。
 上田市近郊の伊勢山という地区に、砥石(といし)城という山城があります。地形図によれば、山の標高は788.7m、頂上には三角点が置かれています。戦国時代の歴史が好きな方ならご存知と思いますが、砥石城を攻略しようと攻め寄せた武田信玄が大敗し、「砥石崩れ」などといわれている戦い(天文19年=1550年)が行われた場所です。単独の山城ではなく、すぐ隣の峰には米山城があり、砥石城から尾根伝いに北へ進むと、「本城」と枡形城があります。これら一群の山城によって、強固な山岳要塞が形成されていたのです。麓の集落と最高地点である枡形城の比高は約200mありますし、すべての城跡を見て回るとおよそ2時間の行程となりますので、それなりの山歩きができます。
 ここを守っていたのは、葛尾城(現在の坂城町)を本拠地とする豪族、村上義清配下の諸将でした。実際に歩いて見れば、この山城を正攻法で攻め落とすのは至難だということがよくわかります。しかし、「砥石崩れ」の翌年、信玄の命を受けた真田幸隆(昌幸の父であり、幸村の祖父)の調略によりあっけなく陥落してしまいます。「乗っ取り」ともよばれるこの戦功で、幸隆は信玄の信頼を得、武田の有力な家臣になったということです。調略、謀略、寝返り等、何でもありで戦国の世をしぶとく生き抜いた真田一族。その戦いの原点がここにあったのかと思うと気分が高揚します。
 ちなみに、砥石城陥落の2年後、武田勢に攻められて葛尾城を追われた村上義清が、越後の上杉謙信に助けを求めたことから、あの有名な川中島合戦が起きたわけです。義清は落城寸前の葛尾城から奥方と侍女たちを逃がしました。その一行が千曲川を渡ろうとした際、危険を顧みずに船を出してくれた船頭に感謝し、船賃のかわりに、髪に挿していた笄(こうがい)を与えたと伝えられています。そのことから、「笄の渡し」という名がついたという話を、ポン太は子供のころに、(現在の千曲市出身の)父親から何度も聞かされました。そんなことから、この地の戦国時代がとても身近な気がしていたので、この山城めぐりは、単なる山歩き以上に楽しいものとなりました。

 砥石城南側の櫓門というところから入山しました。駐車場、トイレが整備されていて、立派な案内板もありました。これはその一部ですが、砥石城というのが、単独の山城ではなく、いくつもの山城で構成されたものであることが、よくわかります。
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 登山道の入口にはこんな石碑が。登ってみれば、確かに「なめんなよ!」です。
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 登山口の櫓門はまったくのイミテーションですが、山城に登るぞという気分にはさせてくれます。
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 登山道から見上げた砥石城です。美しい松林に囲まれています。
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 最初にむかったのは米山城。頂上直下には滑りやすい箇所もあり、なめてかかると痛い目にあいます。
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 米山城跡に立つ村上義清公の碑です。武田信玄を二度も撃退した英雄として、敵味方の違いはあれ、真田一族とともにリスペクトされています。
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 米山城の標高は734m。この一帯の山城群の中では最も低いのですが、見晴らしは抜群で、敵の動きが手に取るようにわかったのではないでしょうか。天気がよければ富士山も見ることができるようです。
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 米山城跡からみた槍ヶ岳です。
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 米山城跡から一旦鞍部の分岐までもどり、砥石城跡へむかいました。ここはかなりきつい登りです。
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 砥石城跡です。米山城と比べると狭い感じがします。
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 標高が高い分だけ、遠くまで見通せます。景観図や「関東の富士見百景」の標柱が設置されていました。
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 砥石城跡から北へ尾根伝いにしばらく進んだところが本城(本丸にあたる場所)跡。石垣やから堀の跡などがみられ、城跡らしい雰囲気が漂っていました。
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 最も標高の高い場所(830m)にあるのが、枡形城跡です。
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 枡形城跡からは、御屋敷や真田本城など、「真田の里」が一望できます。
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 帰りは大手口とよばれる東側へ下りました。陽泰寺という大きなお寺があり、そこは、真田一族の本家、海野氏の菩提寺だということです。
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 伊勢山の集落を抜けて、櫓門前の駐車場にもどりました。伊勢山は、真田が砥石城を支配するようになってから誕生した城下町だということで、趣があります。砥石城は、その麓にもみどころがたくさんあり、山歩き+αが楽しめます。
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 櫓門付近で面白いものをみつけました。一見したところバス停のようなのですが、時刻が書かれていません。通りかかった地元の方に聞くと、この場所がアニメ映画「サマーウォーズ」の舞台となったことに因んで設置されたものだということです。つまりフェイク。本物のバス停だと信じて、ここでバスを待つ観光客がいたら困りますね。そんな間抜けはポン太ぐらいだろうって? そうかなぁ・・・。
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日中線熱塩駅〜忘れ難き終着駅(2)

2019/01/17 22:02
第2回 日中線熱塩駅(福島県)
 ラーメンと「蔵の町」で知られる福島県喜多方市。現在の喜多方駅は、磐越西線の途中駅に過ぎませんが、かつてはそこから分岐して北方の熱塩に至る11.6kmの盲腸線がありました。それが日中線です。
 初めてこの線に乗車したのは、1971(昭和46)年正月の家族旅行の折です。終点の熱塩駅から徒歩数分のところに熱塩温泉があり、そこが旅の目的地でした。宿泊したのは笹屋本館という老舗の純和風旅館。熱塩という名のごとく、湯は熱くしかも塩分が濃いので身体がよく温まったことを覚えています。画像
 この温泉に行くのに日中線の列車を利用する人は、ほとんどいなかったと思います。なぜなら、列車本数が一日たったの3往復と少なく、日中線という線名とは裏腹に、日中は列車がまったくないというダイヤだったからです。
 喜多方発6:12が始発で、その次は10時間後の16:04、最終が18:25でしたから、東京を朝出発し、夕食前に旅館にチェックインするには、16:04発の623列車を利用する以外に選択肢はありません。623列車を牽引していたのはC11形蒸気機関車(C1164)。乗車した客車は、背ずりが板張りのオハフ612520でした。残念だったのは、冬場のこの時間帯ですと、終点の熱塩に着くころにはすっかり暗くなってしまい、ほとんど景色が見えなかったことです。撮ることができた写真も、途中の会津加納駅に停車中の1枚のみ。帰路は、バスを利用せざるを得ず、なんとなくすっきりしない乗車体験となりました。
 やはり全線の風景を目に焼き付けておかねばと、それから11年後の1982年春に、もう一度乗りに出かけました。蒸気機関車の時代は去り、機関車はディーゼル(DE10)に替わっていましたが、客車は同じタイプでしたから、硬い背ずりの感触とローカル線旅情を満喫することができました。同線が廃止されたのは、その2年後の1984年4月1日です。
 それにしても、どうしてこのような路線が敷設されたのか、なぜ日中線という名前だったのか、そんな疑問をもたれる方が多いのではないでしょうか。建設の根拠となったのは、1922(大正11)年に公布された(改正)鉄道敷設法です。その別表の予定線の中に、「山形県米沢ヨリ福島県喜多方ニ至ル鉄道」が含まれていたからです。明治時代から、栃木県の今市と米沢を結ぶ野岩羽線(下野―岩代―羽後)構想があり、それを引き継いだものでした。完成すれば、東北本線の西側にもう1本、東北縦貫線ができあがるという夢のような話です。
 1937(昭和12)年に日中戦争が始まると、その翌年以降、国鉄の新線建設工事は中止もしくは繰り延べを余儀なくされます。そんな中で、完成間近なところだけは工事が継続され、1938(昭和13)年8月18日、喜多方〜熱塩間が開業に至ったというわけです。 線名は、熱塩から4キロほど先にあった日中温泉(現在はダム湖の底に沈んでおり、昔とは別の位置に同名の温泉が再建されています)に由来します。上記の野岩羽線構想の実現を目指すなら、「岩羽(南)線」のような線名をつけてもおかしくないはずですが、想像するに、現実的にみて米沢への延伸は困難なので、せめて日中温泉までは延伸開業させたい、という思いがあったのではないでしょうか。


 初めて日中線に乗車した際に会津加納駅で撮影した写真がこれです。この機関車(C1164)は、喜多方〜会津村松間の廃線跡に保存されていて、今も見ることができるそうです。終点の熱塩駅には転車台がなかったので、下りはバック運転、上りは正方向での運転でした。(1971年1月1日撮影)
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 終着駅の熱塩です。到着するとすぐに機関車を切り離し、先頭(喜多方側)につけかえます。これはちょうどその連結が終わり、上りの624列車となった状態です。(1982年3月26日撮影。以下同様)
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 これは北側から熱塩駅を見たところです。右側が機まわり線(機関車を反対側につけかえるのに用いる線路)です。
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 駅のまわりは、このようなのどかな雰囲気でした。
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 客車はオハフ61とオハ61の二両編成。数人の乗客がいましたが、いずれも、この線に乗ること自体を目的とした人のようでした。通学の高校生(この日は春休み中なのでいませんでしたが)以外、日常的に利用する一般の乗客はほとんどいなかったのでしょう。この何のクッションもない板の背ずりがずらりと並んだオハフ612528の車内風景、ポン太には涙が出るほど懐かしいものですが、今の若い人たちはどう思うでしょうか。「これって、日本の鉄道ですか?」と言われてしまうかもしれませんね。
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遠い日の記憶で大成功の甘酒づくり

2019/01/14 09:40
 テレビの健康番組などで、老化を防ぎ美容と健康に絶大な効果を発揮する食品として紹介されることが多いのが甘酒です。「飲む点滴」といわれるほどの実力の持ち主だそうですが、効能はともかく、冬の寒い日に、ちょっと飲みたくなるものであることは間違いありません。時々、市販されているものを買ってきて飲んではいるのですが、当たり外れが結構あります。自分でつくってみたらどうだろうか、ふとそんなことを考えました。
 甘酒の原料は糀(こうじ)と米。佐久地域は酒どころであり、味噌や醤油を手造りする人も多いので、糀(こうじ)は身近な存在です。スーパーでも簡単に入手できます。ネットでレシピを探したところ、どうやら炊飯器利用が一番簡単そうです。めんどうな温度管理を炊飯器がやってくれるからです。そこで、まずはそれを試してみました。結果は不成功ではないものの、ベタベタした感じで、望んでいたものとはだいぶ違っていました。
 思い出したのは、遠い昔、母親がこたつの余熱で甘酒をつくってくれたことです。糀をうまく発酵させるには温度を60度に保つ必要があるというのですが、こたつの中で、それほど厳密な温度管理ができていたとは思えません。糀も生き物ですから、ある程度の温かさ(40度以上?)を維持できれば、それなりにがんばってくれるのではないかと考えました。わが家にはこたつが無いので、湯たんぽを熱源にして、上から毛布をかぶせ、ひと晩放置しておくという方法をとったところ、おどろくほど美味しい甘酒ができました。これはもう甘酒は手造りに限る、そう確信したポン太でした。


 道端でこんな看板を見ると「こうじ」を使ってみたくなります。
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 今回用いた糀は、スーパーで売っていた安曇野産です。パッケージが気に入ってこれにしました。
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 1合のご飯を鍋に入れ、水を加えて加熱し、五分がゆ状態にします。
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 およそ200gの糀をボールに用意しました。
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 ご飯が60度ぐらいまで冷えたところで、糀を加えてよくまぜます。
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 湯たんぽ(のケース)の上に鍋を置き、その上から毛布をかけてひと晩寝かせます。
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 12時間後、鍋のフタを開けてみると、甘酒ができていました。甘さは十分です。あとは、発酵を止めるために加熱すれば完成です。
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 できたばかりの甘酒を朝食のホットケーキにのせてみました。マイルドな甘さで美味です。トーストでもよいかもしれません。
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 プレーンヨーグルトにトッピングしてみました。ヨーグルトの酸味とよく合います。自家製のアサマブドウ(クロマメノキ)のジャムを加えると、ちょっとしたスイーツです。
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 水で二倍程度に薄め、加熱して飲む定番の甘酒が美味しいことはいうまでもありません。すり下ろしたショウガを少し加えると、味が良いだけでなく身体が温まります。氷点下のウォーキングから帰った後に飲めば、生き返ったような気分になること請け合いです。
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白糠線北進駅〜忘れ難き終着駅(1)

2019/01/09 23:55
 浅間山麓の冬の夜、星空はプラネタリウムのようにきれいですが、底冷えのする寒さの中、出歩ける場所はほとんどありません。長く寒い夜をネガティブにとらえれば、「こんなところに住んでいられるか」となりますが、ポジティブにとらえれば、「暖房の効いた部屋の中で、落ち着いて読書や資料整理に取り組めるチャンス」ともいえます。
 この冬こそなんとかせねばと思っていることの1つが、古い写真の整理です。劣化が心配なフィルムをデジタル化し、タイトルやデータをつけて検索しやすいようにするといった作業ですが、結構な手間がかかります。おまけに、フィルムのひとコマひとコマには、それを撮影した時の思い出がありますから、ついつい感慨にふけってしまい、作業は遅々として進みません。それでも、懐かしいシーンがパソコン画面に少しずつ甦ってきていますので、それらを利用した連載企画を始めることにしました。題して「忘れ難き終着駅」です。

 第1回 白糠線北進駅(北海道)
 白糠(しらぬか)線というのは、根室本線の白糠駅から分岐し北進(ほくしん)駅に至る33.1キロの盲腸線(行き止まりの路線)です。国鉄末期、利用者の少ないローカル線は赤字の元凶とみなされ、1980年のいわゆる「国鉄再建法」の成立により、次々と姿を消していきました。白糠線は同法施行後の特定地方交通線廃止第1号となった路線です。画像
 白糠線には一日僅か3往復の列車しか運転されておらず、極めて乗りにくい路線の1つでした。白糠発の始発は6:38、その後は13:50、そして17:40発が最終です。札幌方面からは夜行列車を使っても始発には間に合いません。そこで札幌発7:05の急行「狩勝1号」で白糠へむかい、13:50発の列車に乗ることにしました。そのためだけに札幌に1泊するのはもったいないので、青函連絡船で北海道に渡った後、函館発23:40の夜行急行「すずらん4号」に乗り、札幌で「狩勝1号」に乗り継ぐというプランを立てました。今考えると、かなりのハードスケジュールですが、当時はこのぐらいの旅は当たり前でした。
 13:50発の白糠線533D列車は、気動車(キハ22242)の単行(一両編成)。通学時間帯ではないので、ローカル線の主役ともいえる高校生の姿はなく、乗客は数人のみ。当時のメモには「牧場のような風景が続く」とあります。終点の北進は、片面ホームだけがポツンと存在している駅舎もない無人駅で、周辺に人家らしきものは見当たりません。北海道の国鉄線で唯一の未乗路線でしたから、乗車できて嬉しい反面、これでは存続は難しいのではと少しばかり暗い気分になりました。
 どうして人家のないようなところが終点なのか。実は、この路線は、白糠と池北線の足寄(あしょろ)駅を連絡するというのが当初の目的で、1964(昭和39)年10月7日に白糠から上茶路(かみちゃろ)まで開通。それから8年後の1972(昭和47)年9月8日に、北進まで延長開業しました。「北進」という駅名は、地名ではなく、鉄路よ北へ進めという願望を込めたネーミングだったようです。しかし皮肉なことに、北へ進むどころか、1983年(昭和58年)10月23日、全通から僅か11年で廃止されてしまいました。当初連絡を予定した池北線も、第三セクター化された後に廃止されていますから、仮に足寄まで開通していたとしても、生きのびることは難しかったでしょう。元々の計画に無理があったといえばそれまでですが、僅かな間とはいえ「夢」を見させてくれた存在、そう思えば「北進駅」も浮かばれるのではないでしょうか。

 これが終点の北進駅です。乗ってきた気動車(キハ22242)が停車しています。16分後に上り534D列車として折り返していきます。(1977年7月25日撮影、以下同様)
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 白糠側からみるとこうです。どこからともなく(といった感じがしましたが)乗客が一人やってきました。
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 開業からまだ5年というのに、駅名板は文字が読めないほどぼろぼろになっていました。
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 北進は無人駅ですから乗車券も入場券も買うことはできません。記念に車掌さんから購入した車内補充券がこれです。地図式ではなく手書きでした。
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遊び場難民

2019/01/05 10:48
 久しぶりにやって来た孫は可愛いけれど、相手をするのは大変で、長時間ともなれば疲れ果ててしまう。そのような悩みは、全国のジイバアに共通するものではないでしょうか。遊ばせ方にも工夫が必要なのでそれなりに頭を使います。正月のこの時期、とりわけ苦労するのが、屋外の遊び場探しです。
 遊具を備えた児童公園が近くにないわけではありません。しかし、日中でも零度前後という気温ですから、短時間遊ばせただけで身体が冷え切ってしまいます。日差しがあればまだしも、曇り空で少しでも風があろうものなら、その場に居続けることすら困難です。
 日当たりがよく、安心して長時間遊ばせることができる公園はないものかと探してみたところ、小諸市に南城公園(みなみじょうこうえん)という評判のよい公園があることがわかりました。軽井沢町や御代田町に比べれば標高が低いので、気温が高めという点も魅力です。実際に行ってみたところ、南向きの斜面に、いかにも子供が喜びそうな遊具が立体的に配置されていて、さながら「遊具城」のよう。遊具の前面には広大な芝生広場があり、天気が良ければ一日遊ばせていられます。国道18号に設置されていた温度計の数値は2℃でしたが、この公園は日当たり抜群で、寒さはほとんど感じません。孫は大喜びで飛び回り、その後の午睡も爆睡状態に。「遊び場難民」状態から解放され、ほっと一息ついたポン太でした。 
 この公園を「発見」する前夜、イルミネーションを見せに佐久平へ連れていきました。佐久でイルミネーションといえば、佐久平駅前の「SAKU BLOOM」と真空機器メーカーとして知られる樫山工業(本社敷地内)が有名です。寒さは強烈で、手袋をしていても指がかじかむほどでしたが、イルミネーションそのものは、例年より見応えがあるように感じました。孫も大喜びしていましたので、ジイジの選択は正しかったと評価されること間違いなし。えっ、誰が評価するのかって? 自分です。


 南城公園に着くと、こんな大きな遊具が目に飛び込んできました。これはすごいぞ!都会の児童公園では考えられないと娘もびっくり。もちろん無料で利用できます。
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 子供向けのボルダリング設備もあり、滑り台も多種多様。遊び放題といった感じです。
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 幼児から小学生まで、年齢層に応じた遊具を完備していることにも感心しました。看板にもそう書いてあります。
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 こちらば幼児ゾーンです。
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 長いローラー滑り台。孫はこれが気に入ったようで、何度も何度も滑り降りていました。
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 佐久平駅前の巨大イルミネーション「SAKU BLOOM」です。
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 奥行きの広さを感じさせるイルミネーションです。
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 子供が喜びそうな仕掛けもあります。
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 こちらは樫山工業のイルミネーションです。ここが工場敷地内とはとても思えません。
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新年は霧氷とともに

2019/01/01 23:45
 新年おめでとうございます。本年も「浅間山麓のブラタヌキ」をよろしくお願いいたします。
 元日の天気予報は、太平洋側は晴れ、日本海側は雪ということでした。ここ浅間山麓の天候はどちらかといえば太平洋側に近く、全国版の天気予報で「長野」と表示されるものとは別物です。よって、初日の出が見られるのではないかと期待しました。
 朝早く起きてみると、どんよりした曇り空。浅間も見えません。これでは初日の出は無理かなと思ったのですが、家の周囲の森を見渡すと、霧氷が出現しています。たとえ初日の出が拝めなくても、霧氷の良い写真が撮れれば、まあいいかと考え、カメラ片手にわが家より少し標高の高い、御影用水へとむかいました。
 水辺の霧氷は予想通りのすばらしさでした。大気と水の温度差のせいか、水面からは湯気のような霧が立ちのぼり、幻想的な雰囲気を漂わせています。霧氷の写真を撮っているうちに周囲がだいぶ明るくなってきました。すると、落葉松林のむこうから、ふいに太陽が顔をのぞかせたのです。あきらめかけていた初日の出です。山上から見るご来光のような迫力はありませんが、これはこれで美しく、十分満足したポン太でした。


 中山道沿いの霧氷です。そんなに冷え込んだようには思えなかったのですが、氷点下10度前後まで下がっていたようです。
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 水辺周辺には、夜明け前から犬の散歩をする人がいました。
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 冷え込みの厳しさを思わせる水辺の風景です。
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 見事な霧氷です。
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 落葉松林の間から太陽が顔を出しました。
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 これが水辺の初日の出です。
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 凍てついた大地も陽を浴びて輝いています。
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 日の出から30分ほど経って、ようやく浅間山が姿を現しました。やはり浅間山があってこその当地です。山岳信仰というわけではないのですが、しっかり我等を見守って欲しいという気持ちになります。
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今年も楽しめた山歩き〜「山じまい」は太郎山

2018/12/31 10:56
 この一年の山歩きを振り返ってみました。本年最後に登った山は上田の太郎山でしたが、それが60回目の山行となりました。年間50回を越えたのは3年ぶりですから、よくがんばったといえそうです。ただし、大半が1〜2時間で登れるような里山です。
 信州には日本100名山クラスの名峰がたくさんありますので、わざわざ里山に登る必要があるのかと思われるかもしれませんが、里山には里山の魅力があるのです。そのことに気づかされたのは、インターネットで中嶋豊氏のホームページ『信州山歩き地図』を閲覧するようになってからです。同氏は長野県警の元警視で、山岳遭難救助のエキスパートとして活躍された方です。信州の山を知り尽くした同氏作成のイラストマップは大変魅力的で、ぜひこの山に登ってみたいと思わせるものでした。里山の中には、登山道が地形図に記されていないところもあり、実際に登る際にも大いに役立ちました。現在は出版物(信濃毎日新聞社刊)として発売されており、ホームページ上でマップを見ることはできません。
 同氏が紹介している山は285座ですが、これまでに、70座に登ることができました。気に入って何度も登っている山もあります。その中から、ポン太おすすめの里山ベスト5を選んでみました。
@平尾山(平尾富士)<1155m>・・・登山回数最多の山ですから、ここをはずすことはできません。山頂からの眺めがすばらしく、何度登っても飽きません。佐久では一押しの里山です。
A太郎山<1164m>・・・上田市民に愛されている、里山の代表格です。展望は抜群。カモシカにもよく出会います。冬でも登れる有り難い山です。
B雁田山<786m>・・・小布施の裏山で、北斎の天井絵で有名な岩松院が登山口です。標高は低いのですが、縦走すると3時間以上かかります。展望園地というピークからみた北信五岳の眺めはみごとです。 
C尼厳山<781m>・・・読み方は「あまかざりやま」です。長野市松代地区ある山で、その麓はアンズの里として有名。ピンク色に染まった里の風景は絶景といってよいでしょう。 
D虫倉山<1378m>・・・ 長野市中条(旧中条村)にある山です。北アルプスの好展望台として知られ、チロル風の山里の景観は絵のような美しさです。
 いずれも期待を裏切ることはない山です。ぜひ登ってみてください。
 それでは皆様、どうぞよいお年をお迎えください。来年(2019年)も「浅間山麓のブラタヌキ」をよろしくお願いいたします。

 空気が澄んだ日の平尾山山頂からは、北アルプス全体が見渡せます。もちろん、蓼科、八ヶ岳方面の展望もすばらしく、ポン太が何度登っても飽きない理由がおわかりいただけると思います。
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 ズームアップしてみると、穂高(左)や槍がこのように鮮明に見えます。
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 「山じまい」をした太郎山山頂からの上田市街地の眺めです。帯状に光っているのは千曲川です。
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 この1年間、無事に60回も山歩きを楽しむことができたことへの感謝をこめて、太郎山に、そして全ての山にバンザーイ!
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 太郎山に登った後の楽しみは蕎麦です。上田の名店「刀屋」に立ち寄り、早めの年越し蕎麦を味わいました。
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 最近のお気に入りは、この「冷やしたぬき」。写真ではわかりにくいかもしれませんが、天ぷらがてんこ盛りで、えっ、これが「たぬき」なのと、タヌキもびっくりの内容と量です。ちなみに、これは「大盛」ではなく「普通」です。
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 小布施の岩松院の背後に連なるのが雁田山です。簡単に登れそうに見えますが、急登の連続で思いのほか時間がかかります。
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 雁田山の「展望園地」というピークからは、小布施の街並みと北信五岳(飯縄山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山)が見渡せます。ただし、斑尾山だけは少し離れた位置にあるので写真には入っていません。
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 アンズの里から見上げた尼厳山です。
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 こちらは尼厳山からアンズの里を見下ろしたところです。4月上旬にはこの里全体がピンク色に染まります。
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 虫倉山山頂からの大展望です。
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 虫倉山周辺の山里の風景です。どこを切り取っても絵のような美しさで、何度訪れても感動します。
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記憶を残す再開発〜渋谷の新風景

2018/12/29 10:49
 かつてはあたりまえのように眺めていた東京の風景が、久しぶりに出かけてみると、すっかり変わってしまっていて、浦島太郎のような心境になることがあります。その代表例ともいえるのが渋谷です。現在再開発の真っ最中で、馴染みのある風景が次々と失われ、全く別の町になりつつあると言ってよいでしょう。
 先日、といってもひと月ほど前になりますが、東京へ出かけた折に、渋谷駅周辺を徘徊してみました。驚いたのは、渋谷川沿いの高架線を走っていた東横線の跡地を利用した再開発が進展し、実にユニークな街区が誕生していたことです。
 駅跡地の一部には、東急渋谷駅の象徴でもあった逆三角形のような外壁のデザインがそのまま取り入れられ、旧駅の面影を留めるような工夫がなされていました。そこから続く旧線跡の商業施設「渋谷ストリーム」の真ん中にはレールが敷設されていて、鉄道の跡であることがわかるような仕掛けになっています。更にその先、渋谷川沿いの遊歩道化された部分には、かつての高架線に用いられていたと思われるコンクリート片が、モニュメントのように配置されていました。代官山に近いエリアでは、線路跡地に建てられた複合施設「渋谷ブリッジ」のベンチがレール形をしていたり、柱の装飾画が東横線の懐かしいシーンであったりと、「ここに東横線ありき」というコンセプトで全体が統一されていることに、感銘を受けました。
 再開発というと、かつての痕跡を完全に消し去ってしまうことが多く、それでは地域の歴史が後世に伝わらなくなってしまうと嘆くことの多いポン太ですが、このような形であれば大歓迎です。浦島太郎も途方にくれずに済みます。その昔、渋谷駅の総合駅化を推進し、渋谷=東急の町というイメージをつくりあげた五島慶太氏も、草葉の陰で喜んでいるのでは、などと余計なことまで考えてしまいました。

 東急渋谷駅(旧駅)跡の現在の姿です。この壁面、懐かしい感じがします。
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 地下化される前の東急渋谷駅はこのようでした。
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 再開発で出現した「渋谷ストリーム」へ続く通路には、レ-ルが埋め込まれていました。
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 商業施設の中をレールが貫いています。
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 線路を見ながら一杯? いい雰囲気じゃありませんか。
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 渋谷川沿いの遊歩道にもレールが設置されていて、ここが東横線の旧線跡だと気づかせてくれます。
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 「渋谷ブリッジ」へと続く遊歩道には、レールはありませんが、芝生の中に置かれている「石」は、かつての高架線のコンクリート片のようです。
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 「渋谷ブリッジ」のレール形をしたベンチ? こういうこだわり、嬉しいですね。
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 柱には郷愁をさそうような装飾画もありました。
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 ここはニューヨークの地下鉄? 壁の案内板もお洒落です。
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軽井沢のクリスマス

2018/12/25 16:21
 浅間山麓でクリスマスを実感できるのは、軽井沢をおいてほかにありません。いろいろなイベントがある中で、ポン太が一番気に入っているのが、一般公開されている新島学園のクリスマスコンサートです。ハンドベルの演奏が見事なことと、一部が簡素な礼拝形式になっていることで、クリスマスらしさを味わうことができるからです。
 例年同様、少し早めに家を出て、クルマで会場の大賀ホールへとむかいました。ところが、軽井沢町内の道路が大渋滞。開演10分前にようやく会場近くに到達したのですが、いつも駐車するホール前の大駐車場だけでなく、周辺の駐車場が全て満車。コンサートへの入場を断念せざるを得ませんでした。こんなことは初めてです。
 このままでは終われないと、その翌日、クリスマスタウンを標榜している星野エリアへ出かけてみました。お目当ては、「キャンドルナイト」と軽井沢高原教会のハンドベル&ハープのミニコンサートです。幸い駐車場は確保できたのですが、軽井沢高原教会周辺は人また人。ミニコンサートはすでに定員に達していて入れないことがわかり、これまた断念せざるを得ませんでした。冬の軽井沢人気が、これほど沸騰していたとは驚きです。外国人旅行客も増えており、今までとは様子が違ってきているのかもしれません。
 コンサートにはふられましたが、「キャンドルナイト」自体はとてもすばらしいものでした。森の中に散りばめられた無数のランタンと大小様々なスタイルのクリスマスツリー。幻想的かつメルヘンのような世界が演出されていて魅了されます。見上げれば、空には満天の星。1時間ほど歩き回って気が済んだポン太でした。

 クリスマスタウンのシンボルのような「もみの木ひろば」です。
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 ハルニレテラスもクリスマスバージョンになっていました。
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 やどり木をイメージしたというイルミネーションです。
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 ハルニレテラスのクリスマスツリーです。まわりが暗いので、とても目立ちます。
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 「キャンドルナイト」にやってきました。えっ、クリスマスイブに結婚式?
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 ランタンの中でゆらめくキャンドルの灯り。電球やLEDとは異なる自然でやわらかな光は、癒やし効果抜群です。
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 森の中で出会う様々なクリスマスツリー。なかなかのアイデアですね。
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 こちらはランタンを吊した「ランタンツリー」です。
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 高原教会の前には大勢の人が集まっていました。
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 大きなツリーのまわりは、写真を撮る人でいっぱいです。それでも喧噪といった感じにならないのは、やはり森の中だからでしょう。
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 ランタンは無料で貸し出していて、それを吊して森の中を散策することもできます。
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 色とりどりの落ち葉の上に置かれているランタンも風情があります。
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冬こそ碓氷峠へ〜姿を現した第13橋梁ほか

2018/12/22 15:37
 冬こそ訪ねたい鉄道遺産。今回は碓氷峠です。
 アプト式鉄道時代の構造物の多くが、「旧碓氷峠鉄道施設」として国の重要文化財に指定され、廃線跡は「アプトの道」という名の遊歩道になっていることをご存知の方は多いと思います。しかし、遊歩道化されているのは、旧熊ノ平より東側(横川側)だけです。それより西側(軽井沢側)はどうなっているのかとえいえば、アプト式廃止後の複線化工事の際に、大半が下り線用に改築され、アプト式時代の構造物はほとんど残っていません。それでも、すべてが改築の対象となったわけではなく、第16隧道から碓氷第13橋梁までの区間は、下り線ルートから少し位置がずれていたことで、取り壊しを免れました。それらの鉄道遺産は、注目されることがないまま、放置に近い状態に置かれていましたが、なんと今年(2018年)、碓氷第13橋梁と第17隧道が、熊ノ平変電所および碓氷第7橋梁とともに、重要文化財に追加指定されたのです。
 葉が落ちて、全体が見やすくなった碓氷第13橋梁とその周辺を眺めに出かけてみました。碓氷第13橋梁は、見応えのある面白い橋梁です。レンガ造りの5連アーチ橋でその長さは51.7m。高さは10.1mと低いのですが、第3橋梁と第6橋梁に次ぐスケールです。中尾川を跨いでいるだけでなく、かつてはその下(第1径間と第5径間)を国道(旧18号線)がひも状にくぐり抜けていて、ポン太の記憶の中にも、そのころの様子が僅かながら残っています。
 碓氷第13橋梁の横川側にあるのが第17隧道で、今はその中を通り抜けることはできませんが、内部は荒れてはいないようです。煉瓦造の坑門は両側ともしっかりしています。重要文化財に追加指定されなかった第16隧道は、下部が土砂で埋まった状態ですが、それを取り除けば往時の姿を取り戻すことができそうです。両隧道間には可愛らしい煉瓦アーチ橋(溝渠)も残されており、遊歩道化も可能ではないかと期待してしまいます。
 ポン太の更なるのぞみは、レールが残っているかつての下り線を利用し、横川〜軽井沢間に観光列車を運行することです。鉄道遺産見学に便利な駅(停留所)を何カ所か設ければ、観光資源としての価値も高まるでしょうし、軽井沢に抜けられとなれば、より一層多くの人が訪れるのではないでしょうか。観光列車それ自体も人気のある乗り物になると思いますが・・・。

 自動車道路側から見た碓氷第13橋梁です。葉が生い茂っていると真横からはほとんど見えません。
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 近づいて見るとこんな感じです。一番手前と一番奥のアーチの下を、かつては国道が通っていましたが、今は半分ほど土砂で埋まっています。
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 この下を国道がくぐり抜けていました。その名残の警戒塗色のペンキが、アーチの上部に少し残っているのがわかります。
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 碓氷第13橋梁の軽井沢側には第18隧道がありましたが、今は坑口がコンクリートでふさがれています。右側は下り線用につくられた第10隧道です。
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 碓氷第13橋梁に隣接している下り線(軽井沢側を見たところ)です。架線は盗難にあったということで残っていませんが、レールはしっかりした状態で残っています。この線路に観光列車を走らせ、この場所に駅(停留所)を設ければ、鉄道遺産探訪のバリエーションが豊かになることは間違いありません。横川からここまでウォーキングを楽しみ、帰りは列車でもどるもよし、軽井沢へむかうもよし。
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 碓氷第13橋梁の横川側にある第17隧道の坑門です。この隧道も重要文化財に追加指定されました。
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 第17隧道(左)と第16隧道の坑門(右)です。
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 両隧道の間にある可愛らしい煉瓦アーチ橋(溝渠)です。
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 第16隧道の軽井沢側坑門です。下の方が土砂で埋まっています。
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 熊ノ平以東の鉄道遺産も、葉の落ちた状態で眺めると、そのスケール感が際立ちます。これは前後の巨大な擁壁が印象的な碓氷第6橋梁です。
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 碓氷峠の鉄道遺産のシンボル、碓氷第3橋梁も、4連のアーチ全てが一望できます。
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 まさに天空の架け橋といった感じのこの迫力。
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 陽を浴びた煉瓦アーチ橋は見事としか言いようがありません。重機もない明治20年代に、これほどのものを建設した先人のパワーに脱帽です。
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