中山道でブラタヌキ~ポン太とポン子のずくなし道中記 その8

  <9日目、7月15日> せまる山並み、益々良くなる街道の風情

 東京を離れれば離れるほど、街道歩きの面白さは増す。そう考えて間違いないでしょう。前にも書きましたが、京都から東京へむかった場合には、ゴールが近付くほど旧街道の雰囲気は希薄となります。その結果、上州には到達したものの、東京まで歩く気力がなくなり、中山道歩きをやめてしまったという外国人の方にも出会いました。やはり京の都をめざす「上洛」が正解ですね。
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 この日は安中市の原市小学校前からのスタートです。 歩き出してまもなく左手に立場茶屋の建物があらわれました。沿道には古い民家が多く、旧街道を歩いているという実感がわきます。しかし趣のある民家の多くが空き家になっており、いつまでこの景観が保てるだろうかと心配になります。そうした古民家の戸口には必ずといってよいほど「碓氷社組合員」の青い標識が張られていました。碓氷社というのは、1878年に設立された群馬を代表する組合製糸であり、蚕糸業がどれほど盛んであったのかよくわかります。
 国道18号に吸収されずに残っている旧道は、ほとんど人通りのない寂しい道でした。道路が舗装されていることを除けば昔とあまり変わらない風景ではないでしょうか。一旦、国道18号線に合流しますが、間もなく松井田市街地方面へ分れる道があり、それが旧中山道です。そこを少し進んだところで、右手の藪の中に「西南の役碑」をみつけました。日本史の教科書に必ずでてくる出来事ですが、このような遠く離れた土地でも石碑に記録されているのを見ると、それが、局地的事件ではなく、国を揺るがす大事件であったことがよく理解できます。このように日本史を身近なものとして感じることができるのも、街道歩きの醍醐味のひとつでしょう。

原市小学校を後に松井田宿をめざしました。旧街道らしい道です。
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道路脇の「西南の役碑」
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  松井田宿に入ると旧旅籠と思われる建物がかなり残っており、宿場町の雰囲気は十分感じられました。残念なのは、旧宿場町であることを活かして、町を積極的にアピールしていこうという姿勢が感じられなかったことです。
  松井田宿を抜け、西松井田駅入口の交差点を過ぎたところで、左手の細い道へ入ります。碓氷川沿いに開けた水田の中の農道のような道です。前方の妙義山から吹き下ろす風が心地よく、暑さにまいりそうな状態からしばし解放されたような気分になりました。
 窪宿という集落の先で18号線を横断。上信越道の下を通り抜けると間もなく、「茶屋本陣お西お東」の標識がありました。そこを右に入って信越線の踏切を渡ったところに、「五料の茶屋本陣」の建物があります。立派な建物なので、立ち寄って見学することにしました。「お西、お東」という表現が面白く、最初は何のことかわからなかったのですが、ほぼ同形の茶屋本陣が2軒あり、一年毎に交代で名主が勤めを果たしていたことからそのように呼ばれたということです。江戸時代の文化三年の建築ですが、保存状態は大変良く、見学した甲斐がありました。冷たい麦茶と梅漬けのサービスがあり、暑い中を歩いて来て、のどがカラカラに渇いていましたので、助かりました。

松井田宿脇本陣前にて
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松井田宿から2kmキロほど進んだあたりの旧中山道。歩いてきた松井田側を振り返ってみた風景です。
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五料の茶屋本陣
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 五料平というところで信越線の踏切を渡り、その北側の丘を越えます。現在の国道18号とはまったく異なるルートです。そこを丸山坂というようですが、坂を上り切ったところに、「茶釜石」という叩くと透明感のある音がでる不思議な石がありました。このあたりの中山道は、のどかな山里を行くといった雰囲気で、心が和みます。坂を下り、信越線の線路際にでました。すぐ近くの国道に設置されていた温度計の表示はなんと35度。この炎天下、我ながら良く歩いたものだと感心しました。ほどなく本日のゴールである横川駅に到着。次回はいよいよ中山道最大の難所といわれる碓氷峠越えです。

「茶釜石」。叩くと確かに良い音がしました。昔の旅人も、面白がって叩いたのでしょうか。
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丸山坂を越えたあたりののどかな中山道
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横川駅前の「峠の釜めし」で有名な荻野屋
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