中山道でブラタヌキ~ポン太とポン子のずくなし道中記 その24

<26日目、11月19日> 中津川宿から大井宿(恵那市)へ画像
 西へ進むにつれ、スタート地点への移動に時間がかかるようになりました。前回の到達点である中津川宿の本陣跡を出発したのは正午過ぎ。半日で行けるのは、次の大井宿(現・恵那市)までです。
 中津川宿の大井宿側には枡形が残り、その周辺には古い民家が集中していて、宿場町らしい雰囲気が漂っていました。中津川を渡り、のどかな旧道を進んで行くと、目の前に、「こでの木坂」が現れました。この坂は段丘上へのちょっとした高低差を登るだけですが、明治天皇巡幸の際には、地元青年が勾配緩和の道普請をした由。坂の上には、双頭一身道祖神という面白い形の道祖神が鎮座していました。
 国道19号に吸収されたごく一部を除き、中津川宿~大井宿間の旧道は、右に左にとゆるやかなカーブを描いて下っていく感じで、後方にはいつも恵那山の大きな姿があります。実に気持ちの良い道です。茶屋本陣のある茄子川(なすびがわ)という集落も風情がありました。秋葉街道の分岐点として、往時はかなり賑わった場所です。茄子川集落のはずれからは、御嶽山を望むことができ、噴煙も確認できました。柿の実を収穫していた地元の人の話では、このあたりを近い将来リニア新幹線が通過するということでした。
 広重の「大井」のモデルになったという甚平坂の上からは、さらにはっきりと御嶽山を望むことができました。中央自動車道を越え、「鉄道省、昭和七年」の銘板がついた明智鉄道のガードをくぐると、間もなく大井宿です。桝形の先に本陣が見えてきました。本陣から続く街並みが大井宿の中心部で、無料公開中のひし屋資料館という商家を見学しました。その斜め前に残る旅籠には、巡幸の際に明治天皇が宿泊したそうです。玉座が残っていましたので、ポン太もそこに腰掛けて一休み。将来、「ポン太様御小休所」などという記念碑が建つことはないでしょうが・・・。大井宿の中を行く中山道は、枡形の連続といった感じで複雑ですが、しっかりした標識が出ているので迷うことはありません。一通り大井宿を見学した後、恵那駅近くのホテルに投宿しました。

こでの木坂
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これが双頭一身道祖神です
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大きな恵那山を背に、のどかな旧道を下りました
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広重の「大井」のモデルになったという甚平坂からみた御嶽山
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大井宿の本陣。このまわりは宿場町らしい雰囲気です。
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<27日目、11月20日>中山道最後の難所、十三峠越えにいどむ画像
美濃路における中山道歩きのハイライトであり、中山道屈指の難所でもある、「十三峠」を歩く日がやってきました。大井宿を出ると、およそ20キロ先の細久手宿まで、宿泊施設はゼロ。商店すら1軒もなく、飲食物の調達はできないという話を聞いていたので、予備も含めて多めの食料を背負い、早朝にホテルを出発しました。
 大井橋を渡って恵那市内の中山道を進むと、ちょうど「のれんコンテスト」というイベントが行われており、沿道の各家の前に手作りののれんが下がっていました。どれも力作で、古い民家の通りにはのれんが良く似合います。アイデア賞を出してもよいようなイベントだと感心しました。中津川もそうですが、恵那市もまた中山道を地域の誇りとし、積極的にアピールしようという意欲が感じられます。
 中央線(上り線)の中仙道踏切を渡り、高速道路の下をくぐり抜けたところから山道が始まりました。「これより西 十三峠」と記された石標の先は、いきなり石畳の急坂でした。「十三峠」というのは固有の地名ではなく、この先、大湫(おおくて)宿まで、いくつもの峠を越えていかねばならないので、それらを総称して「十三峠」と呼んでいるわけです。昔の旅人にとって、険しくはないもののやっかいな骨の折れる道程であったことは間違いありません。坂を登り終え、槇ヶ根一里塚を過ぎたあたりから展望が開けて、まだ見頃といってもよい紅葉も含めて、すばらしい景色を楽しむことができました。
 槇ヶ根一里塚は両側の塚がしっかり残っていました。この先も、対をなした一里塚が連続して残されており、そうした場所は中山道全体でもここだけという貴重な存在です。緩やかな起伏をもつ高原状の丘陵地(地形的には隆起準平原に該当するようですが)を行く気持ちの良い道がずっと続きます。残丘の間のちょっと開けた場所には小さな集落が点在し、木曽路とはまた違った味わいがありました。
 道はアップダウンをくりかえしますが、それぞれの坂には名前がついており、息が乱れ、大名行列も乱れたところから「乱れ坂」という名がつけられた坂もありました。次の紅坂一里塚も原型そのままの一対の塚が健在。その先の深萱という山間集落には立場(休息所)の標識があり、間の宿のような役割を果たしていたようです。
 大井宿からおよそ4時間で、この地域のシンボルである権現山の登山口に着きました。今日の行程の中間点にあたるところです。絵のような山里風景が広がっており、気持ちのよい場所なので、道端の土手に腰をおろして、早めの昼食をとりました。

恵那市内の旧道沿いで行われていた「のれんコンテスト」

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いよいよここから十三峠が始まります。
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原形をとどめている槇ヶ根一里塚
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槇ヶ根一里塚の先には、こんな大展望が待っていました。
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隆起準平原上を行くこの道が旧中山道です。
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大名行列も乱れたという「乱れ坂」
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権現山登山口付近の山里。旧中山道と集落とが見事に調和している感じです。
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 樫の木坂一里塚を過ぎると、中山道の両側はゴルフ場として開発されていて、道のところだけが昔のまま残されていました。樹間からゴルフのカートなどが見えると、ちょっと違和感を感じますが、静かな歩きやすい道です。石窟の中に石仏が納められている三十三所観音を過ぎ、20分ほど歩くと大湫宿への下りとなりました。この地域は、石窟に石仏を納めることが一般的なようで、この先でもいくつかそのようなものを見かけました。また三つの顔をもつ馬頭観音も多いようです。
 大湫宿を見下ろす寺坂を下り、集落に入って枡形を左折したところが本陣跡。今は学校のグランドになっていますが、そこには皇女和宮の歌碑が立っていました。沿道には店がないという話でしたが、大湫宿の入口付近に小さな商店があり、パンぐらいは買えそうです。きれいな公民館のフロアには中山道関連の展示もありました。大湫は想像していたよりは大きな集落で、脇本陣も現存しており、宿場の雰囲気を十分感じることができます。ただし宿泊施設はありません。
 今宵の宿、細久手宿の大黒屋に電話をして、無事に大湫まで到達したことを告げました。大湫宿のはずれにも大きな高札場があります。その前を過ぎて少し歩いたところが、広重描く「大湫」の場所で、沿道には絵の中で強調されている大きな石(二つ石)が現存していました。大湫病院の先で再び山道へと入ります。本日最後の峠であり、日本一長い石畳が残る琵琶峠への登りが始まりました。それほどの苦労を感じることなく登り切った頂上で、この日はじめて中山道歩きの旅人とすれ違いました。6時間歩いて、出会ったのがたった一人というのは寂しいですが、市街地からも鉄道からも遠く離れた不便な場所であればこそ、旧中山道が原形に近い形で残ったともいえるわけです。日常生活でこの道をたどる人はほとんどいないでしょうから、中山道歩きを楽しむ人だけの楽園ロードというわけです。
 長い石畳を下りて里に近づくと、子供たちが叫んでいるような甲高いざわめきが聞こえてきました。こんな山中にも小学校があり、校庭で遊ぶ子供たちの声がこだましているのかと思ったのですが、とんだ勘違いで、その音源は巨大な鶏舎でした。八瀬沢という山間集落の近くには大きな養鶏場が立地しており、沿道には「国際犬訓練所」という施設もありました。鳴き声への苦情がでない山中を選んでそのような施設をつくったのでしょう。

大湫宿への道。風情がありますが、人に会うことはありませんでした。
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寺坂から見下ろした大湫宿
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広重が描いた「大湫」の場所はここ。大きな石(二つ石)が目印です。
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日本一長い石畳のある枇杷峠への入口
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枇杷峠のサミットです。皇女和宮の歌碑が立っていました。「住み馴れし都路出でてけふいくひ いそぐもつらき東路のたび」 とあります。こちらは京が近づくほど気分が高揚するような楽しい歩き旅ですが、和宮の降嫁の旅は、東へ進むにつれて寂しさが募るばかりだったのでしょうね。
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 琵琶峠の山道が終った後は、自動車も通れる舗装道路を歩くことになります。交通量は少ないものの、時折通る車に注意しなければならず、本日の行程の中では面白みの少ない区間です。それでも弁天池という池や、一対の塚が残る瑞浪一里塚があり、間違いなく街道を歩いていることがわかります。右手の藪の奥から、すさまじいエンジン音が聞こえてきて、暴走族がやりたい放題をやっているのかと緊張しましたが、道の分岐にYZサーキットという看板があったので、事情がわかりました。これまた騒音への苦情がでない場所を選んでいるわけです。
 そのエンジン音が遠ざかったところに細久手宿がありました。大火で古い建物はあまり残っておらず、宿場町の面影は希薄ですが、江戸時代以来の貴重な旅籠が1軒、今も営業しているのです。それが、今宵の宿、大黒屋です。早朝に出立したかいあって日没よりずっと前に到着することができてほっとしました。
 大黒屋は、昔の建物だけに、街道に面した格子の内側に薄いガラス窓があるだけで、雨戸はありません。狭い廊下、階段脇の吹き抜けなど、旅籠だった時代を偲ばせる構造になっています。現代の感覚では快適とは言い難いですが、タイムスリップの旅にはまことにふさわしい宿です。
 横川の旅館で出会った人たちから、料理が美味しいのでぜひ宿泊をと勧められた宿であり、出された料理は、確かにほかとは違うものでした。百合根、あまごの塩焼き、鯉の甘露煮、里芋まんじゅうなど、ふだん口にすることのないものばかり。昔の大名クラスに出された最高の料理に近いものではないかという思いがしました。
 今日の宿泊客は私たちのほかには、同じ中山道歩きをしている70代の二人組だけ。ここに泊まるのはほぼ中山道歩きの人に限定されるようです。宿の人の話では、明日からの三連休は満室とか。横川で噂を聞いた料理上手の90代の大女将にお目にかかることはありませんでしたが、ご健在で、今も調理をご担当とのこと。
 部屋の暖房は石油ストーブのみ。それも夜は消してしまうので、毛布や布団を多めに被って寝ました。幸い寒いと感じることはありませんでしたが、翌朝、隣に寝ていたポン子が、夜中に激しく戸をたたく音がしたというのです。疲れ果て、行き倒れになりかけた旅の人が開けて欲しいとアピールしていたのではないか、その人は大丈夫だっただろうかといいます。まさかと思いましたが、やはりそれは風の仕業だったようです。妄想も江戸時代にスリップした旅籠の一夜でした。

ようやく細久手宿に入りました
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今宵の宿、江戸時代から続く旅籠「大黒屋」です
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大黒屋のレトロで興味深い夕食はここからスタートです
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大黒屋の建物の中はこうなっていました。
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