国道18号、小さな「発見」

 浅間山麓の幹線道路の筆頭といえば、もちろん国道18号です。どこへ出かけるにもこの道路のお世話になることが多いのですが、そこを歩いてみようという気にはなかなかなりません。猛スピードで行き交うクルマの脇を歩くのは不安でもあり、排気ガスや騒音も気になります。静かな森の中や水辺のエリアに足がむいてしまうのは当然でしょう。
 しかし、クルマで通行しているだけでは、国道沿いの変化に気がつかないこともあります。そこで、ポン太のねぐらから比較的近い部分(軽井沢町と御代田町の境界付近)を歩いてみることにしたのですが、やはり変化は起きていました。オープンして間もないカフェが閉店していた一方、かつては運送会社の駐車場だったところに花屋がオープン。閉店したローソンの建物が取り壊されて更地化されるなど、沿道の風景もいままでとは違った感じになっていました。やはりクルマの中から見るのと、歩いて見るのとでは、地域の見え方が相当違いますし、徒歩でないと気がつかないことも多いのです。
 国道18号といえば、最近、ユーチューブで、「国道18号線」というタイトルの歌があったことを知りました。フランク永井と松尾和子のデュエット曲で、リリースされたのは1964(昭和39)年とのこと。ポン太の記憶にまったく残っていないところをみると、大ヒット曲ではなかったようですが、今聴いてみると、ムードのあるそれなりに良い曲だと思います。歌詞の中に、「東京~軽井沢、切ない愛を、はこぶ 国道18号線」というくだりがあります。 高速道路が無かった時代には、国道18号(高崎からは17号経由)が首都圏と信州を結ぶ道路交通のメインルートでした。しかし、1964年の段階では碓氷バイパスすら整備されていませんから、碓氷峠越えはかなり大変で、快適なドライブとはいえません。「ヘッドライトも届かぬ闇に」というフレーズも出てきます。まったくそのとおりで、現在でも夜間に旧道を走行するには勇気がいります。ロマンより恐怖を感じさせるような道であった上、東京~軽井沢を行き来する車の絶対数も少なく、共感を得にくかったことが、ヒットしなかった理由かもしれません。


 18号沿いに出現したこの建物、何に見えますか。この冬、建設中の様子をクルマから何度も眺めていたのですが、ウィスキーの樽のようなものが並べられていることと、建物自体は断熱効果の期待できない簡易なもののようでしたので、ワインや野菜、果物などの直売場ではなかろうかと想像しておりました。看板には「GATE」とあるだけで、今回歩いてみて初めて、オープンしたのが花屋さんであることがわかりました。
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 お店の入口はこんな感じで、クルマからですと中は見えません。
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 扉の中を覗いてみて、はじめて花屋さんだとわかりました。
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 国道を背にした売り場もありました。
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 新しく生まれるものがあれば消え去るものもある。コンビニのローソンがあったところが更地化され、妙に広々した景色となりました。次に何かできるのでしょうか。
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 こちらはガソリンスタンドを改装して、昨年オープンしたカフェですが、よくみると、「貸店舗」の表示がでていました。駐車場が一杯になっていた日もあり、繁盛しているのかと思っていたのですが・・・。何がダメだったのか、勝手な想像ですが、店舗の装飾は凝っていたものの、手前の屋根がガソリンスタンド感丸出しで、アンバランスな印象を受けたことは否めません。
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 えっ、この場所にこのお店って何、と驚いたのが、元家具屋の店舗を改装して2年前にオープンしたその名も「What?」というお店。西洋アンティーク家具や小物を扱っており、年中クリスマスのような雰囲気です。
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 こちらは昔からあるコイン精米所です。その前で立ち止まって見ていると、次から次へと車がやってきます。やはりこういうものは根強い需要があり、廃れないですね。
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 需要といえば、浅間山麓では薪ストーブを愛用している家も多く、国道沿いにはその専門店があり、繁盛しているように見えます。
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 いろいろなお店ができたり消えたりしていますが、変わらぬものはその盛衰を眺めている浅間山。何年か前にこのような瀟洒な葬祭場がオープンしましたが、時代の趨勢を考えれば、浅間山麓でもマーケットは広がっているということでしょう。
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 今はいろいろなお店がある国道18号沿いですが、半世紀前には原野が広がっているだけで、お店どころか民家もほとんどありませんでした。これは1963年ごろの、軽井沢町から御代田町に入ったあたりの国道風景です。
車もほとんど走っていません。
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 上の写真と同じ場所の現在の風景です。右手にあるのは生コンの工場です。
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 碓氷峠を越える区間の国道18号は、こんな感じでした。車が走ってはいますが、カーブだらけで狭く走りにくい道でした。並走しているのは、アプト式時代(最後の年)の信越本線の列車です。
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