一歩前進の春

 浅間山麓もようやく春を実感できるようになりました。何と言っても嬉しいのは、当地の春告げ花といってもよい、ダンコウバイが咲きはじめたことです。モノトーンだった森に、この黄色い花が咲いているのを見ると、とにかく気分が明るくなります。
 ダンコウバイだけでなく、梅も咲きはじめました。「梅一輪一輪ほどの暖かさ」という句もありますが、開花した花の数だけ暖かさが増すように感じます。
 庭の片隅や生け垣の下に水仙が咲いているのを見かけることも多くなりました。平尾山でも、竜神池のまわりの水仙が咲きはじめていて、雪が解けたゲレンデの傍らでは、コブシもちらほら開花しています。いよいよ目に見える形で春がやってきたわけです。
 平尾山の登山道の脇にも、いくつか花芽をつけている水仙があったのですが、その花芽が摘み取られているのに気づきました。ひどいことをする人もいるものだと、山で顔なじみになった方と話しているうちに、意外な展開となりました。花を見られなくなったのは残念ではあるが、摘み取った人が悪人かといえばそうともいえないだろう。水仙は野性のものではなく、誰かが植えたものなので、山にあってはいけないと考える人は必ずいるというのです。守るべきは、その山本来の山野草であり、綺麗に咲いてくれるなら何を植えてもよいというわけではない、というのも道理です。
 里山の有り方ひとつをとっても、多様な考えがあると、改めて思ったポン太でした。

 咲きはじめた平尾山のダンコウバイです。
咲き始めのダンコウバイ.JPG
 森の中に黄色い花がちらほら見えるだけでも春を実感します。
ダンコウバイ咲く森.JPG
 登山道の上にもダンコウバイが咲いていました。
ダンコウバイの登山道.JPG
 竜神池近くの登山道脇では水仙が咲きはじめました。
竜神池の畔に水仙咲く.JPG
 パラダスキー場南ゲレンデの雪も僅かに残るだけです。
雪解のゲレンデ.JPG
 ゲレンデ脇のコブシも咲き出し、蓼科山とコラボしています。
咲きはじめたコブシ.JPG
 平尾山の麓では、梅も開花しました。
梅と蓼科.JPG
 日当たりのよい斜面では、ダンコウバイがこんなに見事に咲いていました。
ダンコウバイ花盛り.JPG
 さて、わが家はどうかといえば、コブシがもう一息で開花というところまで来ています。
わが家のコブシ.JPG
 一輪だけ、クリスマスローズが咲いているのを見つけました。その名とは異なり、早春に咲く花で、別称は「雪起こし」だそうです。
クリスマスローズ(別名:雪起こし).JPG
 ご近所の庭では、紅梅が咲いていました。
紅梅.JPG
 散歩からもどる途中、夕陽を浴びて黄金色に輝くダンコウバイと遭遇。コロナ禍はまだまだ収まりそうもありませんが、希望の光のように見えなくもありません。
ダンコウバイの光.JPG
 浅間山の雪もここまで少なくなりました。数日前、噴火警報レベルが2(火口から概ね2km以内に影響を及ぼす小規模噴火の可能性あり)に引き上げられ、浅間山(前掛山)に登ることができなくなりました。今夏、久しぶりに登ってみようと思っていただけに残念です。
浅間山.JPG

山里で春探し

 東京では桜が満開になったということですが、こちら浅間山麓では、桜どころか梅もまだほんの一部でしか咲いていません。木の枝の先端に生気は感じるものの、芽吹きはまだまだ先です。
 信州(長野県)は全国で4番目に面積が広く、しかも南北に長い県ですから、浅間山麓とは季節の進み具合が異なる地域がたくさんあります。最南端の天龍村からは桜の開花が伝えられていますが、北部(北信)では、ようやく雪が解けて、フキノトウが顔を出し始めたところでしょう。そうした山里の風情は、いかにも春が来たという感じがして、ポン太は大好きです。天気の良い日を見計らい、フキノトウの入手も兼ねて、長野市西部の旧中条村、旧七二会(なにあい)村の山里に出かけてみました。
 今は長野市域に入っているとはいえ、この一帯は山また山の純然たる山村です。車一台がやっと通れる急カーブと急勾配が連続する道を登って行った先に、いくつもの集落があります。山の斜面に民家が点在し、重畳たる山並みのむこうに北アルプスの白き峰々が屹立する様は、これぞ「ザ・日本の山里」といっても過言ではありません。
 暖冬の影響か、雪はすっかり消えていて、フキノトウも食用にするには大きくなりすぎているものが多かったのですが、それでも天ぷらにちょうど良いレベルのものをいくつか確保することができました。棚田の土手が少し青みがかり、水仙や菜の花が咲いているところもありました。遠くの山々が霞んでいるところも、いかにも春らしい雰囲気です。虫倉山山麓の山道では、今年初めてカモシカに遭遇しました。カモシカも春を感じて山から出てきたのかもしれません。
 旧七二会村の小坂地区は、福寿草の群生地として知られているところです。福寿草といえば、今まで庭の片隅や鉢植えでしか見たことがなかったのですが、山の斜面を覆い尽くすほどの大量の福寿草に圧倒されました。
 家にもどった後、持ち帰ったフキノトウを天ぷらにし、蕎麦と一緒に食べました。独特の香りとほろ苦さが口中に広がり、春探しの成果が、身体の中にも染み渡った一日となりました。

 旧中条村の美しい棚田です。
旧中条村の風景.JPG
 山里に春が来たことを感じさせてくれる風景です。
山里の早春.JPG
 こちらの民家も、絵に描きたくなるような佇まいです。
絵のような山里.JPG
 水車小屋のまわりの日差しにも暖かさを感じます。
虫倉山のふもと.JPG
 棚田の傍らの水仙も咲きはじめていました。
棚田の春.JPG
 土手のフキノトウは少し大きくなりすぎていますが、春の山里らしい風景です。
DSCF8184.JPG
 虫倉山の麓は山姥の里といわれています。といっても、このような子供にやさしい山姥だったそうです。背後の山並みが青く霞んで、春の訪れを告げているようでした。
やさしい山姥の里.JPG
 こちらは旧七二会村の山間部に位置する小坂という集落です。「福寿草祭り」ののぼりが立つ坂を下った先に、福寿草の群生地が存在します。
福寿草まつりののぼり.JPG
 福寿草祭りといっても、地元有志によるこのような簡素なもので、「密」ではありません。ここから徒歩で群生地にむかいます。
福寿草まつり.JPG
 福寿草の前に、五分咲きの梅がむかえてくれました。浅間山麓よりも開花が少し早いようです。
梅も咲いていた.JPG
 これが群生地に通じる道です。およそ500mほど坂道を下ります。
福寿草群落への道.JPG
 だんだん道は細くなり、この奥に本当に群生地があるのか不安になりますが・・・。
DSCF8208.JPG
 群生地が見えてきました。大変な急斜面です。
急斜面を覆う福寿草.JPG
 見学者のためのデッキが設置されていました。
DSCF8217.JPG
 群生地というだけあって、おどろくほたくさんの福寿草が咲いています。
七二会小坂の福寿草群生地.JPG
 一度にこれだけの数の福寿草を見たのは初めてです。
DSCF8238.JPG
 群生地の下部へ降りていく階段も設置されており、その脇にもたくさんの福寿草が咲いていました。
DSCF8239.JPG
 ここは福寿草だけでなく、アズマイチゲの群生地でもあるそうで、すでに咲き始めたものもありました。
咲き始めたアズマイチゲ.JPG
 家にもどってから、フキノトウの天ぷらをつくりました。蕎麦とはベストマッチングで、これほど春を感じる食べ物はありません。
フキノトウの天ぷら.JPG
 

幌内線幌内駅~忘れ難き終着駅(16)

第16回 幌内線幌内駅(北海道)

 何であれ、「○○で最初」というものには価値があり、興味をそそられます。周知のとおり、日本で最初の鉄道は、1872年に開業した新橋~横浜間の鉄道ですが、本州以外で最初に鉄道が開業したのはどこかといえば、九州でも四国でもなく、実は北海道なのです。
 新橋~横浜間に遅れること僅か8年後の1880(明治13)年11月28日、手宮~札幌間に官営幌内鉄道が開業しています。開拓地ということもあり、本州とは異なる、アメリカンスタイルの鉄道でした。したがって、昨年(2020年)は、北海道に鉄道が誕生して120周年という節目の年だったわけですが、コロナ禍の最中ということもあり、さしたる話題にならなかったのは残念です。
 その幌内鉄道が、目的地としていた石炭産地の幌内まで全通したのは、2年後の1882(明治15)年11月13日でした。さらに、1888年には、幌内の手前の幌内太(1944年に三笠と改称)から郁春別(翌年から幾春別と表記を変更)へ至る支線も開業しました。その後、幌内鉄道は北海道炭礦鉄道に譲渡され、1906年の国有化を経て、岩見沢~幾春別間(18.1km)および幌内太(三笠)~幌内間(2.7km)は、国鉄幌内線となりました。
 北海道最初の鉄道という輝かしい歴史を有する幌内線でしたが、石炭産業の衰退という時代の流れの中で、廃止対象の第2次特定地方交通線に認定され、1987年に全線が廃止となりました。
 三笠~幌内間は、全線廃止時には貨物線という扱いでしたが、1972年10月31日まで旅客営業が行われており、実はその時代に乗車したことがあるのです。日付を確かめると1972年3月14日でしたので、なんと、旅客営業廃止の僅か7ヶ月余り前のことです。ぎりぎりのところで、この歴史的路線に乗ることができたのですから、なんという幸運でしょうか。そういう意味で間違いなく忘れ難い終着駅ということができるでしょう。
 当時の幌内線の旅客列車は、三笠発の下りが2本、幌内発の上りが3本と少なく、午前中は幌内発7時2分の724列車のみでした。そこで、列車での往復をあきらめ、早朝のバスで幌内まで行き、724列車で三笠にもどることにしました。
 旅客列車とはいっても、たくさんの貨車に1両だけ客車(荷物合造のスハ二62)を繋いだ混合列車でした。主役は石炭で、旅客はおまけのようなものだったわけです。私以外に乗客はいませんでした。三笠駅の構造はちょっと変わっていて、幌内方面への分岐が岩見沢寄りの地点にあったため、幌内からの列車は三笠駅のホームに直接入ることができず、スイッチバックを余儀なくされたことも、今となっては古き良き思い出です。

 昭和30年代中期の鉄道路線図に描かれた幌内線です。この周辺は石炭産地でしたので、その輸送を担う鉄道がたくさんありました。
幌内線005.jpg
 バスで幌内に着いた時には、ホームに列車は入っておらず、このようなレトロな駅舎が目に飛び込んできました。
720314幌内線幌内駅.jpg
 幌内は無人駅ではなく、入場券を買うことができました。
幌内007.jpg
 幌内駅のホームと駅舎です。
720314幌内線幌内駅舎とホーム.jpg
 入換作業が始まりました。まだ客車は連結されていません。
720314幌内線幌内駅で入換中の59609.jpg
 上り724列車となる編成ができあがり、ホームに入ってきました。機関車(59609)のすぐ後ろに連結されたスハニ621が、これから乗る車両です。
720314幌内線724レ(混合列車)/幌内006.jpg
 発車をまつ724列車です。
720314幌内線724レ59609/幌内.jpg
 こちらは三笠駅のホームです。右端が幌内へとむかう線路で、幌内側から直接ホームに入ることはできません。ホームに停車しているディーゼルカーは、幾春別から来た列車です。
720314幌内線三笠駅.jpg
 幌内線のもう一方の終点、幾春別です。停車しているのは、乗ってきた623D列車(キハ56118)で、626Dとなって折り返します。
720314幌内線626Dキハ56118/幾春別.jpg
 幾春別駅でも入場券を買うことができました。
幾春別006.jpg

2つの「千曲川旅情」

 藤村の千曲川旅情の詩と聞けば、「小諸なる古城のほとり雲白く遊子かなしむ」で始まる、あの有名な詩を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。ポン太もその一人です。小諸城址(懐古園)にはその詩碑があり、訪れた誰もがそれを見て、藤村ゆかりの地、小諸にやって来たことを実感していると思います。
 ところが先日、ポン子のお供で、佐久市臼田にある佐久総合病院を訪れた際に、その近くの稲荷山公園を散策したところ、なんとそこにも「千曲川旅情のうた」の詩碑があることに気づきました。小諸の詩碑をコピーしたものなのかと思い、その碑の文言を読んでみると、良く知られている「小諸なる・・・」とは別の詩が刻まれていました。
  きのふまたかくてありけり 今日もまたかくてありなむ
  (中略)
  千曲川やなぎかすみて春浅く水流れたり
  ただ独り岩をめぐりてこの岸にうれひをつなぐ
 不思議に思って調べてみると、実は藤村は、「旅情(小諸なる古城のほとり)」「一小吟(千曲川旅情のうた)」という独立した2つの詩を、それぞれ別の雑誌に発表していたのです。後に姉妹詩のような扱いになったということですが、そうであれば、小諸碑の詩は本来「小諸なる古城のほとり」であり、稲荷山公園の詩碑こそが「千曲川旅情のうた」というわけです。知らなかったとはいえ、一瞬、小諸の詩碑のぱくりと思ってしまったのは、申し訳ない話です。
 藤村はこの稲荷山公園の下を流れる千曲川の景観をとても気に入っていたということですが、今もなかなかの美景です。上記の詩を読んだ後で、改めて眺めてみると、この詩の情感がひしひしと伝わってきます。何だかすばらしい発見をしたような気になりました。

 藤村の詩碑は、赤い鳥居が印象的な稲荷神社の階段を登った先にあります。
稲荷神社.JPG
 これが、「千曲川旅情のうた」の詩碑です。
千曲川旅情のうた碑.JPG
 詩碑付近からの千曲川下流域の眺めです。少し霞んでいますが、浅間山もよく見えます。
稲荷山公園からみた千曲川下流.JPG
 臼田橋から見た千曲川と稲荷山公園です。JAXAの観測施設(大パラボラアンテナ)があることから、「星の町臼田」を標榜しており、稲荷山公園にはロケット型の展望台(コスモタワー)が設置されています。
DSCF8105.JPG
 千曲川の上流を眺めたところですが、「千曲川旅情のうた」の情感が伝わってくる風景です。
千曲川旅情/佐久市臼田.JPG
 河原にはこの地域に多い溶結凝灰岩の石畳があります。
河岸に露出した溶結凝灰岩.JPG
 臼田橋から下流域を見たところですが、一昨年の台風19号の爪痕が随所に残っており、いまも護岸や河川敷の復旧工事が行われています。左手の建物が佐久総合病院(本院)です。
臼田橋より.JPG
 臼田橋の親柱は佐久石と呼ばれる溶結凝灰岩でつくられています。この橋を渡った先に、小海線の臼田駅があります。
佐久石(溶結凝灰岩)を用いた臼田橋の親柱.JPG
 稲荷山公園に設置されている、ロケット型展望台、コスモタワーです。
DSCF8112.JPG
 ロケットの脇に怪しげな彫刻が4つ設置してありました。四季の星座に因んだものだそうで、これは夏の星座ヘルクレス座です。
DSCF8113.JPG
 他の遊具も宇宙に因んだものでした。
DSCF8116.JPG
 公園内には藤村の詩碑以外にも様々な碑があります。これは、臼田出身で女性解放運動の先駆者の一人とされる丸岡秀子さんの碑です。「読むこと 書くこと 行うこと」と記されていました。ちなみに、昨年亡くなられた作家の井出孫六さんは丸岡さんの異母弟です。
丸岡秀子の碑.JPG
 稲荷山公園は桜の名所としても有名で、間もなくこんな風景が見られるはずです。
DSCF9560.JPG

トレイル・ランニング(Trail running)に喝!

 下界からは次々と花の便りが届くようになりました。当地でも、力強さを増した陽光に、春らしさを感じる日が多くなりましたが、こちらから花便りをお届けできるのは、まだ1ヶ月以上先です。
 散歩の途中で、福寿草が咲いているお宅を見つけました。名前とは裏腹に、毒のある植物だそうですが、ほかに咲いている花などない殺風景なお庭に、黄金色に輝くその姿を見ると、嬉しくなります。このほか、日当たりのよい道端で、オオイヌノフグリを見つけました。ふだんは雑草扱いの小さな花ですが、この時季に目にすると、咲いていてくれて有り難うという気になります。
 暖かな日差しに誘われて、山歩きに出かける回数も増えてきました。ところが先日、いつもの平尾山に登りはじめて間もなく、どきっとさせられる出来事がありました。かなりのスピードで走ってきた若者に突然追い抜かれたのです。谷沿いの道ではなかったので、よけ損なって転倒したとしても、大事には至らなかったでしょうが、その若者は後ろを振り返ることもなく、走り去って行きました。平尾山でこんな経験をしたのは初めてです。
 数日後にその理由がわかりました。登山道脇の随所に、矢印と「Enjoy Trail Running 」という文字が書かれた標識が立てられていたからです。どうやらこの山がトレイル・ランニングのコースになり、近々、千人規模の大会が開催されるらしいのです。上述の若者はその練習をしていた可能性大です。
 トレイル・ランニングという言葉をご存知でしょうか。最近、耳にすることが多くなり、他の山で走っている人と出会ったこともあります。ほとんどの方は、追い越しやすれ違いの際には挨拶をし、スピードをゆるめてくれます。山の楽しみ方は人それぞれでしょうから、個人でマナーを守り、ランニング登山をすることについては、目くじらを立てることもないかと思います。しかし、「集団」や「競技大会」となれば話は別です。平地のマラソン大会と同じようなノリで、地域興しの人寄せイベントとして、開催を歓迎する自治体が増えていることに、危惧の念を抱かざるを得ません。
 細く険阻な山道は、そもそも競技施設ではないのです。大勢で走れば、登山道への負荷も大きいと思われますし、多数のランナーが駆け抜けるようなところで、一般登山者が安心して山歩きを楽しむことができるとは思えません。大会当日だけ、その山へ近づかなければよいという話でもありません。もしも、マラソン並みに「愛好者」が増えて、山がタフなアスリートの競技場と化し、高齢者を含む一般登山者が、肩身の狭い思いをするようなことになるのであれば、これはもうポンコツだぬきといえども、ムシロ旗を掲げて決起する以外にありません。そこには、「山では走るな!」の血書が記されることになるでしょう。なにしろ、信濃の国は義民の国、レジスタンスの国ですから。

 散歩でみつけた福寿草です。
福寿草.JPG
 庭に咲いていた花はこれだけですが、春が来た気分にはなれます。
咲いているのは福寿草のみ.JPG
 道端に咲いていたオオイヌノフグリです。
オオイヌノフグリ.JPG
 水辺の梅の蕾はまだ固く、開花は当分先です。
梅はまだまだ.JPG
 咲いていたシバザクラを見つけました。数輪ほどの暖かさといったところでしょうか。
芝桜.JPG
 ほかに咲いている花はないかと目を凝らしていると、こんなものを見つけてしまいました。これはいけません。枯れ草へのポイ捨ては放火未遂だぞ、おい。
けしからぬポイ捨て.JPG

 さて、こちらはいつもの平尾山の登山道です。なんだなんだ、この看板は。
DSCF8071.JPG
 えっ、トレイル・ランニングのコースになってしまったの?
なんだなんだこの看板は.JPG
 クマさんもびっくりです。
クマさんもびっくり.JPG
 この茶色の標識が、いたるところに設置されていました。
ここも走るのか.JPG
 この谷沿いの道で、もしランナーと接触したら・・・。
谷沿いの狭い道.JPG
 山頂付近もコースになっているようです。
ここもコースなのか.JPG
 練習中に滑ったのでしょうか。だいぶ荒れているところがありました。山はマイペースで楽しみたいもの。どうして「競技」にしなければならないのか、ポン太には理解できません。
荒れた登山道.JPG

タヌキの雛祭り

 スーパーのチラシで知りぬ雛祭り 
 昨日は、桃の節句=雛祭りでしたが、川柳風に表現すれば、このようでした。子供たちが小さかったころは、わが家でも雛人形を飾り、それなりのご馳走を食べるなど、一大行事でしたが、今は昔です。それでも、例年ですと、浅間山麓では「北国街道小諸宿のお人形さんめぐり」といったイベントが開催され、雛祭りの季節がやってきたことを意識することはできました。今年は、コロナ禍で中止となり、雛祭りの文字やイラストを見るのは、スーパーのチラシの中だけというわけです。
 何もしないという選択肢もあったのですが、そのチラシに誘われて、「桜餅」と「ひなあられ」を購入し、ティータイムに食しました。桜餅には、小麦粉の薄い生地で餡を挟んだ関東風と、もちもち感のある「道明寺粉」で餡を包んだ関西風があります。当地のスーパーでは、両者がほぼ同じ比率で売られていますから、桜餅に関しては、東西折衷の文化圏といえそうです。生まれも育ちも関東のポン太ですが、桜餅は関西風の方が好みです。塩気のある桜の葉と、道明寺粉に包まれた餡の甘さとが、実に良く調和し、口の中に春がやって来たような気になりました。
 家のまわりで咲いている花はまだありませんが、春の雰囲気は随所に感じられます。花壇でははやくもチューリップが芽を出しています。ダンコウバイの花芽もかなり膨らんできました。例年よりはやくレタスの植え付け準備に入った畑も目につきます。
 春を迎えたこと自体はうれしいのですが、厳しい冬を乗り越えたという実感がないまま暖かくなってしまって良いのだろうかと、不安にもなります。温暖化が蝕む地球。このまま経済成長を追い求めていけば、地球環境が人類の生存を脅かす危機的状況に陥るのではないか。そんな論考を読んだばかりなので、ポンコツダヌキといえども、少々考え込んでしまいました。

 タヌキだって雛祭りじゃ。
タヌキの雛祭り.JPG
 ダンコウバイの花芽がこんなに膨らんでいます。
ダンコウバイの花芽.JPG
 落ち葉の下から顔をだしたチューリップの芽です。例年より2週間以上はやいように思います。
チューリップの芽.JPG
 レタス畑では、植え付け用のマルチシート張りが始まりました。後方の山は、いつも登っている平尾山です。
畑始動.JPG
 畝づくりもシート張りも機械でやっているので、あっという間に景色が変わります。
マルチシート敷マシーン.JPG
DSCF8048.JPG
 浅間の雪も少なくなり、暖かさを感じる風景です。
春めいた風景.JPG
 背後の北アルプスの山々は真っ白ですが、集落のまわりには、すでに春が来ているように見えます。
DSCF8031.JPG
 例年ですと、小諸では「お人形さんめぐり」のイベントが行われるのですが、今年はありません。これは3年前に撮影した写真です。(以下同様)
DSCF8533.JPG
 店内に飾られた雛人形です。
DSCF8540.JPG
 骨董品店もご覧のとおりです。展示品なのか販売品なのかわかりませんね。
DSCF8538.JPG
 こちらは江戸時代(享保)の雛人形ですが、これだけのボリュームがあると圧倒されます。
ほんまち町屋館の享保のお雛様.JPG
 昔懐かしい「昭和の雛人形」です。実際に見に行った時には、珍しくもない雛人形を並べただけの、月並みのイベントのように思ったのですが、この季節にはやはりこういうイベントが必要なのです。
昭和のお雛様.JPG