テーマ:鉄道

浅間山麓にブルーの新風 -しなの鉄道に新型車両登場-

 東京都で新型コロナ感染者の増加が顕著になったり、九州では甚大な水害が発生したりと、暗いニュースが多い中で、浅間山麓ではちょっぴり明るいニュースがありました。それは、しなの鉄道発足以来はじめての新型車両となるSR1系の営業運転が始まったことです。  今回投入された3編成6両は、有料ライナー仕様で、平日は、「サンライズしなの」号及び「サ…
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鍛冶屋線鍛冶屋駅~忘れ難き終着駅(13)

第13回 鍛冶屋線鍛冶屋駅(兵庫県)  鍛冶屋線と聞いて、イメージが湧く人は少ないのではないでしょうか。沿線に、全国的に有名な観光地があるわけではなく、車窓風景もとりたてて優れていたとは言い難い、有り体に言えば平凡な生活路線だったからです。  私が鍛冶屋線に乗車したのは、今から47年前の1973(昭和48)年、学生生活最後の年…
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ノスタルジーという名の妙薬

 単純に「昔は良かった」とか、「古き良き時代」などとはいえません。例えば、ポン太やその少し上の世代では、高度成長時代を懐かしむ人が多いと思います。右肩上がりで希望に満ちた良き時代であったと。しかし、その陰には悲惨な公害や出稼ぎ労働者・日雇い労働者の過酷な労働があったのであり、そのことを忘れてはならないでしょう。どんな時代にも光と陰がある…
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東京都電福神橋停留場~忘れ難き終着駅(12)

第12回 都電24系統福神橋停留場(東京)  廃線跡と聞けば、過疎地を思い浮かべる人が多いと思いますが、実は東京ほど廃線跡だらけの場所はありません。かつては、山手線の内側から東側にかけてのエリアを中心に、稠密な都電の路線網が形成されていました。高度成長下でモータリゼーションが進行し、道路渋滞が常態化すると、都電は邪魔者扱いされるように…
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渚滑線北見滝ノ上駅~忘れ難き終着駅(11)

第11回 渚滑(しょこつ)線北見滝ノ上駅(北海道)  最近気に入っているテレビ番組の一つがNHKの「日本人のおなまえっ!」。人名だけでなく、地名など様々な名前の由来を掘り下げていく内容が面白く、なるほどと納得することが多いからです。  鉄道路線の「おなまえ」も興味深いものがあります。国鉄時代には、地域ごとに「○○線の部」と称する…
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鉄道納め 山納め

 ポン太が関心を寄せている「鉄道」と「山歩き」。今年の成果はどうであったのか、総括してみました。  まずは鉄道です。今年は講演会等で大勢の方にお話する機会が比較的多く、それなりの準備が必要でした。今まで調べたことを再確認したり、筋立てに知恵を絞ったりする中で、認識を新たにしたことが多々あり、有意義な一年だったように思います。また、今年…
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延伸された「ゆいレール」に乗って

 沖縄を初めて訪れたのは、今から38年前の1981年です。47都道府県の中で、最後の訪問県となってしまったのですが、その理由は、戦後長い間沖縄には鉄道が存在せず、鉄道全線乗車を目指していたポン太にとって、旅先を選ぶ際の優先度が低かったからです。 1980年に全線乗車を達成したことで、沖縄に行ってみたいと思うようになり、その翌年に、新婚旅…
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住めばふるさと

 故郷(ふるさと)とは、一般的には生まれ育った場所を指す言葉ですが、必ずしもそれだけではないと思います。現在住んでいるところやかつて住んだことがあるところも、その土地に関心を持ち愛着を感じていれば、故郷といえるのではないでしょうか。  ポン太には故郷とよべる場所が4つあるように思います。1つは生誕地である栃木県宇都宮市。小学校4年まで…
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台風の爪痕その後―布引電気鉄道の橋脚は健在

 大きな爪痕を残した台風19号が去ってからおよそひと月が経過し、鉄道関係の復旧はかなり進捗しました。飯山線と小海線はすでに全線での運転を再開しており、長野県内の鉄道路線で不通区間が残っているのは、しなの鉄道しなの鉄道線と上田電鉄別所線の2線のみとなりました。  しなの鉄道線は、その上を跨いでいた(市道の)海野宿橋の一部が崩落したことに…
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別所線を復興のシンボルに

上田電鉄別所線(上田~別所温泉)は、国鉄信越本線由来のしなの鉄道を別にすれば、東信(東信州)地方に現存する唯一の私鉄路線です。1921(大正10)年の開業時は、別所温泉電軌という名前で、千曲川対岸の三好町(現・城下)が起点でした。1924(大正13)年に千曲川橋梁が完成したことにより上田までの全線が開通したのです。  モータリゼーシ…
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中央線130周年の意味

 少年時代から社会人となるまで、東京の杉並区で過ごしたポン太にとって、鉄道といえば中央線でした。中学生になった1962年に、中野~三鷹間の高架複々線化工事が開始されたので、それ以前の地上線時代も、工事の途中経過も、完成後の様子も、そのすべてを眺めることができました。自分自身の成長とともに大変貌を遂げた中央線が、本年、開業130周年をむか…
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宮原線肥後小国駅~忘れ難き終着駅(10)

第10回 宮原線肥後小国駅(熊本県)  その昔、「日本の鉄道」というテレビ番組があったのをご存知でしょうか。テレビ草創期の話です。日本でテレビ放送が始まったのは1953年で、最初はNHKと日本テレビの2局しかありませんでした。その後、現在のキー局にあたる放送局が次々と開局。1959年に、テレビ朝日のルーツとなる日本教育テレビ(196…
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津軽鉄道には「ふるさと」がある

 久しぶりに訪ねた津軽鉄道。この鉄道に乗車すると、自分の故郷でもないのに、懐かしさを感じてしまいます。その理由の1つは、津軽という土地のイメージでしょうか。津軽と聞いただけで、岩木山、津軽平野、リンゴ畑、雪国、地吹雪、津軽三味線、津軽弁、ねぷた等を連想してしまいます。そこから受けるイメージは、「究極の故郷」。津軽をテーマにした歌もたくさ…
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三陸鉄道は希望の鉄路

 梅雨の合間に東北へ出かけてきました。主な目的は、この3月に開業した三陸鉄道釜石~宮古間に乗車することです。JR山田線の一部であったこの区間は、2011年の東日本大震災で大きな津波被害を受けましたが、復旧工事の完成と同時に三陸鉄道に移管され、三陸鉄道リアス線として開業しました。  震災の4ヶ月後にこの地を訪れ、想像を絶する被災状況を目…
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車窓を返せ

 なんてついてないんだ。そう思わざるを得ないことが新幹線と高速バスで立て続けに起こりました。窓側の席を確保することができず、通路側に座ることになってしまったのです。それだけならまだ我慢できるのですが、発車するなり、窓側の人が、ブラインド(バスではカーテン)を閉めてしまったのです。それも一人だけではなく、連続して数席、しかも左右ともです。…
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羽後交通雄勝線西馬音内駅~忘れ難き終着駅(9)

第9回 羽後交通雄勝線西馬音内駅(秋田県)  西馬音内(にしもない)は、秋田県南部に位置する雄勝(おがち)郡羽後町の中心集落で、かつては奥羽本線の湯沢駅から西馬音内駅まで羽後交通雄勝線という鉄道が存在していました。  1972(昭和47)年の夏休みに東北旅行へ出かけ、このローカル私鉄に乗車したのですが、西馬音内駅に降り立った時に…
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倉吉線山守駅~忘れ難き終着駅(8)

第8回 倉吉線山守駅(鳥取県)  旅の途中で体調が悪くなると、楽しいはずの旅が苦行へと一転します。そんな目には遭いたくないものですが、残念ながら、そうなってしまったことがあります。  1974年の早春、山陰地方の鉄道を乗り歩こうと出かけた時のことです。京都で3日間を過ごし、中国地方に入って2日ほど経ったころ、ノドが痛くなりました…
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「信州環状鉄道」を楽しむ

 信州にも環状鉄道があります。といっても、山手線や大阪環状線のように電車がグルグル回っている路線があるわけではありません。列車を乗り継げば信州(の中央部)を一周できる形に線路がつながっているという話です。浅間山麓の小諸駅からでしたら、小諸→(小海線)→小淵沢→(中央東線)→塩尻→(篠ノ井線)→篠ノ井→(しなの鉄道)→小諸(またはその逆コ…
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同和鉱業花岡線花岡駅~忘れ難き終着駅(7)

第7回 同和鉱業花岡線花岡駅(秋田県)  ポン太が十代のころの話です。家の近くに劇団幹部の女優さんが住んでおり、その方からチケットを入手した父が、これはなかなか良さそうだからと、私に観劇をすすめてくれたのです。それまで「新劇」というものを見たことが無かったので、良い機会と思い出かけてみました。会場は六本木の俳優座劇場、タイトルは「…
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鹿島臨海鉄道臨港線鹿島港南駅~忘れ難き終着駅(6)

第6回 鹿島臨海鉄道臨港線鹿島港南駅(茨城県)  何のための終着駅だったのか、事情に通じた人以外理解に苦しむような終着駅でした。鹿島港南駅が開業したのは1978(昭和53)年7月25日、廃止されたのが1983(昭和58)年12月1日ですから、存続期間は僅か5年余。しかも列車本数は1日3往復でしたから、いったい誰が利用していたのか、…
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興浜北線北見枝幸駅~忘れ難き終着駅(5)

第5回 興浜北線北見枝幸駅(北海道)  新旧の地図を見比べて、鉄道路線網のあまりの縮小ぶりに、驚かされるのが北海道です。特に、オホーツク海の沿岸エリアは、鉄道空白地帯といってもよい状態になってしまいました。かつて、北海道ワイド周遊券を手に、各線を乗り歩いていた時代、稚内から網走まで、一部の区間を除いてオホーツク沿岸を鉄道で移動する…
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北恵那鉄道下付知駅~忘れ難き終着駅(4)

第4回 北恵那鉄道下付知駅(岐阜県)  日本の鉄道に全部乗りたい、そんなことを考えはじめたころ、最初に目標としたのは国鉄線全線乗車でした。ベストセラーとなった『時刻表2万キロ』の著者である宮脇俊三氏も同じことを考えたようですが、その後の著作の中で、これは失敗であったという主旨のことを述べています。 ポン太も同感で、私鉄を優先す…
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勝田線筑前勝田駅~忘れ難き終着駅(3)

 第3回 勝田線筑前勝田駅(福岡県)  子供のころ(60年も前の話ですが)、小学校の社会科の教科書に必ず載っていたのが、石炭産地の分布図でした。当時、石炭はまだエネルギーの主役の地位にあり、教室のストーブにも石炭が用いられていましたから、その産地に関する知識は、小学生にとっても必須のものだったわけです。九州の北部に産出量の多さを示…
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日中線熱塩駅~忘れ難き終着駅(2)

第2回 日中線熱塩駅(福島県)  ラーメンと「蔵の町」で知られる福島県喜多方市。現在の喜多方駅は、磐越西線の途中駅に過ぎませんが、かつてはそこから分岐して北方の熱塩に至る11.6kmの盲腸線がありました。それが日中線です。  初めてこの線に乗車したのは、1971(昭和46)年正月の家族旅行の折です。終点の熱塩駅から徒歩数分のところに…
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白糠線北進駅~忘れ難き終着駅(1)

 浅間山麓の冬の夜、星空はプラネタリウムのようにきれいですが、底冷えのする寒さの中、出歩ける場所はほとんどありません。長く寒い夜をネガティブにとらえれば、「こんなところに住んでいられるか」となりますが、ポジティブにとらえれば、「暖房の効いた部屋の中で、落ち着いて読書や資料整理に取り組めるチャンス」ともいえます。  この冬こそなんとかせ…
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記憶を残す再開発~渋谷の新風景

 かつてはあたりまえのように眺めていた東京の風景が、久しぶりに出かけてみると、すっかり変わってしまっていて、浦島太郎のような心境になることがあります。その代表例ともいえるのが渋谷です。現在再開発の真っ最中で、馴染みのある風景が次々と失われ、全く別の町になりつつあると言ってよいでしょう。  先日、といってもひと月ほど前になりますが、東京…
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冬こそ碓氷峠へ~姿を現した第13橋梁ほか

 冬こそ訪ねたい鉄道遺産。今回は碓氷峠です。  アプト式鉄道時代の構造物の多くが、「旧碓氷峠鉄道施設」として国の重要文化財に指定され、廃線跡は「アプトの道」という名の遊歩道になっていることをご存知の方は多いと思います。しかし、遊歩道化されているのは、旧熊ノ平より東側(横川側)だけです。それより西側(軽井沢側)はどうなっているのかとえい…
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高原に眠る草軽電鉄の遺産~柳川橋梁

 日中でも気温が氷点下、もしくはせいぜい2~3度という、浅間山麓らしい正しい冬が到来しました。浅間山も中腹以上が雪化粧し、見た目も本格的な冬という感じです。  こんな時期にこそ出かけたい場所があります。それは、鉄道の廃線跡。草木が生い茂っている季節には見えなかったものが、葉がすっかり落ちた今なら見えるというメリットがありますし、そこが…
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横浜線開通110周年に因んで

 日本で最初の鉄道が新橋~横浜間に開通したのは、今から146年前の1872(明治5)年でした。それから30~40年で、全国の幹線鉄道網が概ねできあがりましたから、すでに開通から100年以上経過した路線が少なくありません。このような歴史の長さこそ、鉄道の魅力の1つではないかとポン太は考えます。鉄道の歴史は、近現代の社会のあゆみとリンクして…
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台鉄自強号塗色の電車、浅間山麓を快走

 しなの鉄道に、先月15日から、今まで見たことのない塗色の電車が走っています。初めて目にした人は、何だろうあの車両はと驚くのではないでしょうか。電車そのものはしなの鉄道が所有する115系電車ですが、1編成(3両)の塗色を台湾鉄路局(台鉄)の自強号(EMU100形交流電車、すでに定期営業運転は終了)をイメージしたものに変えて運行しているも…
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